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夜7時。家からいちばん近いコンビニでおやつを見繕う。ゼリーかシュークリームか。夜だし、ゼリーにしようかな……
「明日暇か?」
「雪成」
急に声をかけられて振り返る。雪成のママから「今日帰ってくるのよー」とは聞いていたが。久しぶりの再会だと言うのに、この幼馴染は再会を喜ぶような様子もない。それどころか私を暇と決めつける。
「……暇だけど」
「じゃ18時な。いつもんとこ……長くなるから覚悟しとけ」
嫌な予感がするなあ……その予感は当たったようで、雪成は口元に笑みを浮かべた。すごく悪そうなやつを。
「塔一郎、別れたんだよ。失恋慰め会だ」
「えーーっマジなの!?」
なんでまたそんな。たちの悪い冗談かと思ったけど、雪成はニヤニヤ笑うだけで前言撤回しなかった。つまり、マジらしい。
「っていうかそれなら私いらないでしょ。反省会ならふたりでやりなよ」
「もうやった。2回戦といこうぜ」
「意味ある?それ……」
雪成はアイスを、私はゼリーをそれぞれ会計して。帰り道に詳しい話を聞き出そうとしたけど、雪成は「明日な」と笑うばかりで何もわからなかった。
◻︎
翌日。家庭教師のバイトを終えて、いつものファミレスに向かう。最寄り駅に着く直前、雪から連絡があった。2人とも先に入っているようだ。
雪成が言う「いつもんとこ」は、私と雪成の家から徒歩10分、塔一郎の家からだと15分くらいの所にあるファミレスだ。近場で、いつもそこそこ空いてて、そして雪成のパパがここの優待券を持っている。雪成のパパのおかげで私達は「いつもんとこ」に集まれる。
今朝もゴミ出しの時に雪成のパパに会ったのでそのお礼を言うと、雪成のパパは券をくれたことは「あー、いいよいいよ気にしないで」って感じで、むしろ「雪くん、今日は遅くなるってすごーく張り切ってたよ。名前ちゃん、嫌だったら途中で帰っていいからね……」って私の心配をしていた。塔一郎が彼女と別れたことの何が雪成をそんなに刺激したのか。雪成も少し前に彼女にフラれたばかりだからかな。
駅から少し離れたファミレス。お店は夏休みだというのに、心配になるくらいガラガラ。失恋反省会をするのにはいいのかもしれない。幼馴染2人は奥まった所のソファ席に陣取っているらしい。長くなりそうな予感しかしない……ため息。
幼馴染2人……正確に言うと、塔一郎は雪成の幼馴染なんだけど。雪成は「もう面倒くせえからまとめて幼馴染でいいだろ」と言うけど、それは私と塔一郎的にはイマイチしっくりこない。
雪成と塔一郎は昔から自転車競技をやっている。高校の時は一緒に寮に入って、3年の時は2人でインターハイに出たし、大学生になった今でもずっと仲がいい。
私と雪成は家がすぐ近くで、引っ越して来た時期も同じで母親同士仲がいい。家からいちばん近いコンビニが同じなので、高校の頃から雪成が帰省するといつもそのコンビニで遭遇する。昨日もそう。
私にとって塔一郎は「雪成の幼馴染」だし、塔一郎にとって私は「雪成の幼馴染」だ。雪成にとってはどっちも幼馴染だけど、私と塔一郎はなんか違う。
「名前」
店のドアを開けると、真っ先に塔一郎が気づいて片手を上げた。失恋の直後で荒れ狂ってるかと思ったけど、割といつも通りに見える。ソファ席に近寄って声をかける。表情を伺う。元気そうだ。
「久しぶり。思ったより元気そうだね……」
「久しぶり。雪成 がずいぶん期待を煽ってくれたみたいだね」
「うんそうなの。雪成、昨日から遠足前の幼稚園児みたいに大はしゃぎ」
「うるせえよ」
塔一郎は私たちのやりとりに苦笑して、雪成は肘ついて不貞腐れていた。いつも通りの2人だ。
広いソファ席。2人が向き合って座ってたのでどっちに座るか少し悩み。まあ……慰め会ってことだし隣でヨシヨシしてやった方がいいだろうと考え、塔一郎を奥に詰めさせて横に座る。奥の席は出入りに不便だから、今日ばかりは塔一郎の分のドリンクも取りに行ってあげることにしよう。
「で、お前そのカッコでバイト行ってんの?」
「うるさいなー」
私がバイト用のブラウスにスカートという真面目な格好をしているのを見て雪成が笑った。コンビニで会う時は適当な格好のことが多いから、化粧してきちんとした格好をしているのは違和感があるのかも。
家庭教師とか塾講って普通スーツなんだろうけど、色々あって私はスーツを着ていない。流石によそさまのお家に上がるわけだから、ある程度ちゃんとした格好を心がけている。見慣れないのか、塔一郎もまじまじと私の格好を見た。家庭教師のバイトを始めた話はしていたけど、そんなに変かな?
「言ったでしょ、一応カテキョだから真面目な格好してるの」
「おー、黙ってればお嬢様っぽく見えるな」
「雪成」
一応、を強調するも雪成は相変わらずの減らず口。私がスマホの画面(ちょうど雪成のママとラインをしていた)を見せつけると、雪成はラインの相手が誰か察して、嫌そうな顔で黙った。私が雪成のママに「雪成にいじめられた!」って泣きつけば、雪成のママはこっちの味方をするって決まっているから。
久しぶりに会ったので、ふたりの大学の話なんかを聞きながらご飯を食べる。2人とも相変わらず自転車に乗ってて、ゴリゴリ運動部だからそれなりに先輩後輩関係で苦労もあるみたいだけど、それも楽しいみたいだった。良かったなと思った。高校の頃、たまに2人の学校生活の話を聞くとなんだかすごく大変そうだったから。
ご飯を食べ終わって、デザートまで頼んだところで私は今日の目的を思い出した。塔一郎の失恋騒動の事情聴取……間違えた、慰めに来たんだった。根掘り葉掘り聞く気満々できたのに!
「そうだ、すっかり忘れてた。塔一郎、なんで振られちゃったの?」
「なんでっていうか……」
「年末に付き合い始めた子でしょ?お似合いだし、いい感じだったのに」
「ぐ……」
先に運ばれてきたアイスをつついていた塔一郎が固まった。軽めのジャブのつもりが普通に喰らっている。どうやら失恋の傷はまだ癒えていないらしい。
塔一郎が同じ大学の子とお付き合いを始めた話はもちろん聞いてた。12月に入った頃、向こうから告白されて付き合い始めたと。
年末に3人で会った時、散々強請って写真を見せてもらった。清楚で穏やかそうでいい子そうだった。あの塔一郎に彼女ができたとあって私と雪成は「塔一郎と彼女の年始のデートはどこに行くべきか」で大盛りあがりした。
大学の近くで買い物デートするならどこがいいとか、付き合いたてでドライブはやめといた方がいいとか、あの辺でイルミネーションはあるのかとか、春だったらレース見に来てもらえたのにとか。付き合うどころかこれまで塔一郎から恋愛のそういう話はあんまり聞いたことがなかったから、私も雪成もかなりテンションが上がった。茨城近辺のデートスポットを検索して大盛り上がりする私達を塔一郎は呆れた顔で見ていた。
あと塔一郎のハジメテのお付き合いを心配して(塔一郎は真面目なんだけど結構変なところあるから)、彼女のことはくれぐれも丁重に扱いなるべく紳士的に振る舞うこと、塔一郎に限ってないと思うがあんまりがっつかないようにというアドバイスをして、塔一郎に嫌な顔をされた。それが、別れただと!!
相手のお嬢さんの顔を思い出そうとする。初デートの時の写真しか見たことないから既にその顔は記憶の中でぼんやりしている。塔一郎のSNSにもあんまり写真は上がっていなかった気がする。
雪成からは塔一郎の初めての交際はなかなか順調だと聞いていた。噂によると年明けはショッピングモールでデート、試験勉強を一緒にして、試験明けには水族館に行ったとか。春以降は自転車の季節だから忙しくしていたみたいだけど、真面目な塔一郎が彼女をずっと放っておいたとも考えにくい。優しそうで穏やかそうだった彼女。そんな人に振られるとなると、考えられるのは……
「……なんかやらかした?」
「……」
「やらかしたんだ……!」
気まずそうに塔一郎は黙り、私は雪成をちらっと見た。先に事情を聞いているからか、雪成の顔は既に笑っている。
「な、なんで?いい感じだったのに……」
「それは……」
塔一郎は言い淀んだ。雪成はいよいよ大声で笑うのを我慢するのに必死で、事情を聞くには不向きだった。幼馴染の失恋を笑うなんて最低だと思ったけど、雪成は私がひどい別れ方をした時も大爆笑したからこれが通常運転だ。私の方も雪成が当時付き合ってた子に「私と自転車どっちが大事なの?」って怒られた時は大笑いしたからお互い様だけど。しかも雪成、その子とはすぐ別れたらしいし。私と雪成は昔から互いの失敗を笑い合うようなそんな感じだが、相手が塔一郎となると話が別だ。真面目な性格だから、「手酷く振られたんだって?」って笑うのも悪いような気がしてしまう。
塔一郎は何か言おうとしてやめた。
「それが……いや、やっぱりやめておくよ。色々すれ違いがあってね、夏学期の終わりにフラれてしまったんだ。名前にもいろいろ協力してもらったのにすまなかったね」
「えーっ!」
以上。話は終わり。みたいな態度に思わず不満の声を上げる。野次馬根性で悪いけど、これだけ引っ張られたら詳細を聞かずには帰れない。私が「なんで!?詳しく教えてよ」と強請り、雪成が「教えてやれよ、塔一郎」とニヤニヤ笑った。塔一郎は渋い顔をした。よっぽど痛い別れ方をしたらしい。
「季節のパフェお持ちしましたー」
私と雪成が頼んだパフェがいいタイミングで来たので話が一時中断する。ブドウと栗のパフェ。デザートまで頼めるのは雪成のパパのお陰だ。また後で御礼をしないと。写真を撮って、スマホをスプーンに持ち替える。1番上のマロングラッセから。私が細長いスプーンでマロングラッセをすくおうと四苦八苦している間、塔一郎と雪成は話す話さないで揉めていた。
「笑い話で済ませてもらった方がお前も気が楽になんだろ」
「笑い話で済むかな……」
「ちょっと待って、何やったの……?」
ドン引きするような話?聞きたいような、聞きたくないような……頑固な塔一郎が首を振って、雪成が「女子の意見聞いといた方が今後の参考になるかもしれねえし」と煽る。私はそうだそうだと頷いた。
ここで初めて塔一郎が躊躇う様子を見せた。いいぞ!ここまで引っ張っておいて「名前には聞かせられない話だから、事実報告だけで帰ってください」なんて言われてはたまらない。
店員さんが遠くに行ったのを確認してから塔一郎が口を開く。
「実は」
雪成は笑みを深め、私はゴクリと息を呑んだ。塔一郎は一体何をやらかしたのか。
「実は、その……ボクの筋肉達のことなんだけど」
「まさか」
「なんていうか……彼女には、すこし受け入れ難かったみたいで」
「えーーっ!」
「うるせっ」
向かいの席から雪成にスパンと頭を叩かれ、そのまま私はテーブルに突っ伏した。アンフラ が障害になったか……!
塔一郎の言う「ボクの筋肉達」は……なんて言うか癖がつよい。この一見真面目で誠実で大人しそうな男が、筋肉に名前つけて可愛がってるのを、塔一郎の彼女が受け入れられなかったのもわからなくもない。いや、すごくよくわかる。
でも、なんで半年も経ってからそんな話に?割と塔一郎は普段から「ボクの筋肉達」──私は「やつら」と呼んでいる、しばらく会わないうちにどんどん数が増えていくから──の話をしているはずなのに。事態を飲み込むのに半年かかった?それとも半年筋肉話をされ続け無理だと思った?……なんかしっくり来ない。まさか。私はテーブルから起き上がって塔一郎に詰め寄った。
「まさかとは思うけど、塔一郎、“その話“してなかったの?半年も付き合っておいて?」
「……うん」
雪成は「してなかったんだなあ、これが……!」とニヤニヤした。以前私にアンディフランク以下略の説明をしてくれた時は「同じ自転車乗りとして、塔一郎のことはすごく評価してる」って言ってたけど、今回ばかりは流石に笑いが勝ったみたい。傷心の幼馴染を前にして容赦なく大笑いしている。目立ちたがりモテたがりの雪成は意味もなく塔一郎と張り合う癖があるから、自分が振られた直後に塔一郎も振られて嬉しかったんだろう。
しかしいつもハッキリ喋る塔一郎にしては珍しい声の小ささだ。流石にしくじった自覚があるらしい。
「あのね、言ってなかった塔一郎が悪いよ……」
「ぐ」
「普通の女の子はね、いきなり『ボクの筋肉とも仲良くしてほしいな』とか『紹介するよ、こちら右大胸筋のアンディと左大胸筋のフランク』とか言われてはいそうですかってならないんだよ!」
「うぐ」
「なんで付き合ってすぐ言わなかったの?」
「頃合いを見て言おうとは思ってたんだよ……」
「それで半年もかかったの?本当に一回も言う機会なかったの?塔一郎その辺どう考えてるの」
「だははは」
「雪成うるさい!」
塔一郎は頭を抱えて、雪成はパフェを食べながら満足そうにしていた。これが見たくて態々向かいに座ったとか言うんじゃないだろうな、ってくらい嬉しそうにしている。私は言いたいことは全部言ったので、一旦パフェを一口食べる。アイスクリームが溶け始めていた。
しかし、別れた原因が「急にアンディとフランク以下略の存在を紹介された彼女さんが戸惑ったから」……というのは想定外だったかも。順に整理しよう。
まず大前提。塔一郎は高校の頃から「アンディとフランク」他、自分の筋肉に名前をつけて可愛がっている。私と雪成も知ってる、塔一郎の愉快な仲間達。
付き合った彼女にはタイミングを逃したとかいう情けない理由で言ってなかった。付き合って半年以上も経って、急に登場した筋肉たち。普通に困惑するだろう。「仲良くしてほしい」って?筋肉に名前ってどういうこと?そもそも誰?なんでカタカナの名前なの?理解するには時間がかかるだろうし……いや、時間がかかっても受け入れられなかったから別れたんだろう。気になることが出てきたので追加質問。
「デートの時に言ったの?」
「……うん」
「うわあ……」
うわあ……以外の言葉が出てこない。学業、部活で忙しい彼氏との久しぶりのデート、それを吹き飛ばす衝撃の告白。突然現れたアンディフランク以下略の存在。か、かわいそう……更に疑問が生じたので再び追加質問。
「じゃあその子は塔一郎が筋肉に話しかけてるのをなんだと思ってたの?」
「お前か俺と電話してると思ってたらしいぜ」
「はあ!?巻き込まないでよ!」
「だはははは」
「とにかく、ちゃんと言っとかなかった塔一郎が100パー悪いよ。呼んでもらったところ悪いけど、今回は私慰めらんないな。慰めてもらうなら雪成に頼んでね」
塔一郎が頷き、雪成が肩をすくめたのを見て、私は無言でパフェを食べ進める。知らないところで自分が巻き込まれてたこともあり、野次馬根性は引っ込んでしまった。面白がって根掘り葉掘り聞くのは、なんだか相手の女の子に悪い気がする。
パフェを食べながら、雪成と塔一郎が話すのを聞いていると、どうやら彼女は自転車に乗ってる時の塔一郎を見たことがなかったらしい。もし次に誰かとお付き合いすることになったら一度レース見に来てもらうなりはした方がよさそうという結論に落ち着いたようだった。
私も2人が自転車に乗るところはあんまり見たことがないから詳しくないのだが。ロードレースではレース中に「普段の性格」から「勝負の性格」に切り替わる選手は珍しく無いのだという。幼馴染2人から聞く限りでは、今の学生ロードレース界隈には常識の範疇を超えた自転車超人達がウヨウヨしているらしい。歌いながら坂登るとか、羽が生えるとか、他色々。そういう人達と戦っていた幼馴染2人ももちろん自転車超人なのだろう。塔一郎はさっき言った通りだし、雪成は高校の頃からレース中に流血する悪癖がある。そういうオンとオフのギャップを受け入れられる人こそが自転車乗りの彼女に向いているのではないかと思う。素人の見解だけど。
さて、パフェの上の方を突き終わったことだし飲み物でも取りに行こうかな。そしたらタイミング良く雪成が席を立った。ドリンクバーに行くらしい。塔一郎のグラスはまだ中身が入っている。
「雪成、ついでに私のもお願い」
「自分で行けよ!」
「紅茶がいいな」
呆れた顔の雪成は「ホットでいいんだな?」と言い捨て、さっさとドリンクバーに歩いて行った。それを見た塔一郎が「昔から変わらないね」と苦笑する。雪成が私に甘いと言いたいらしい。
「違うよ、いっつも雪成が私を振り回してるの。たまにはこれくらいしてもらわなくちゃ」
「今日とか?」
「今日とか。見た?あのテンション。この後大人しく帰らせてくれる感じじゃないよ」
塔一郎は神妙に頷いた。いつになくテンションが高い雪成のことだから、デザート食べたら解散とはいかないだろう。2軒目を探しておいた方がいいかもしれない。
「カラオケ行く?パーっと歌って気分転換しちゃう?」
「そうだね」
「……大丈夫?星井美希失恋メドレー歌ってあげよっか?」
塔一郎は小さく笑って首を振った。やっぱりちょっと落ち込んでる……?厳しく言いすぎた?元カノのために、それから次に塔一郎と付き合う子のためにも……私は慰めないし、甘やかさないぞ。と思っていたのに少し揺らぐ。だって、塔一郎のしょんぼりした顔は高校生だった頃を思い出させるから。
あの頃、塔一郎はたまにこっちに帰ってきても暗い顔をしてる時が多かった。そういう時は大体自転車部のせいだというのは事情を知らない私でも察することができた。私は事情がわからないなりに、励ましたり、気づいてないふりしたりした。引退してからは穏やかな顔のことが増えて、塔一郎があんな顔をしていたのはやっぱり箱根の自転車部のせいだと思っている。
「次はちゃんと先に話しておくんだよ」
「次って……随分簡単に言ってくれるね」
「まだ次のことは考えられない?大丈夫、今回失敗しちゃった分、次はもうちょっと上手くやれるって」
なるべく軽く明るく言ったつもりが返事がない。塔一郎はそう思わないということらしい。まあ、そうか。私は割とすぐ次行こう!ってなるタイプだけど、塔一郎って真面目だしな。失敗を真剣に受け止めすぎてるのかも。となるとやっぱり、引きずるより次に行った方がいい気がするんだけどな……
「名前、実は」
「何楽しそうにしてんだよ」
塔一郎が何が言おうとしたその時、雪成が戻ってきて、私の前にカップを置いた。塔一郎が何を言おうとしたのか聞こうとしたが「なんでもないよ」と首を振られる。
「今回のこと反省したら次いこって話」
「塔一郎は嫌そうな顔してっけど」
「うーんすぐには切り替えられないか……」
「そらそうだろ、お前とは違うんだよ」
「うるさいなー」
雪成が言ってるのは、私が彼氏の浮気で別れてすぐ他の人と付き合った時のことだ。大学1年の夏。当時付き合ってた男が免許合宿中浮気した上でヤることヤってたとかいう結構最悪のパターンだったので速攻別れて次に行った。相手のクズっぷりには当時雪成も顔を顰めていた。あのクズと比べるなんて塔一郎に失礼だ。
「塔一郎はクズじゃないし、それどころか真面目だし。大丈夫、次の彼女がすぐ見つかるよ。次の子も、アレさえ乗り越えられれば……!」
「そのアレが問題なんだろうが」
「雪成も名前も、アレアレ言わないでくれるかい」
ごめんごめんと謝って「アンディとフランクね」と言い直す。私は「そのことさえ先に話しておけば次はうまく行くはずだ」と拳を握って力説したが、塔一郎は半信半疑という感じだ。挙句雪成は「アレの件は高校の時にお前がすぐ受け入れたから塔一郎の感覚がおかしくなって云々」と私のせいにし出す。記憶の捏造だ。
「すぐ受け入れてないよ。あの時、わけ分からなくて雪成に電話したんだよ。覚えてないの?」
「忘れた」
「この野郎……」
あれは高校2年生の時、夏前。近所でばったり塔一郎に会った。忙しくなる夏休みの前に実家に顔出したみたいで、少し立ち話をした。塔一郎がインターハイの選手に選ばれたすぐ後のことだった。久しぶりに見た塔一郎は元気そうな顔で、安心した。
「紹介するよ。名前、右大胸筋のアンディと左大胸筋のフランク。アンディ、フランク。名前だよ。初めて会った気がしない?そうだね、名前のことは雪成 がよく話しているから……」
元気そうだけど……元気そうだけど、これは何?大混乱の私、でも塔一郎はすごく嬉しそうで。「アンディもフランクも、名前に会えて嬉しいみたいだ」って言われても、私は何がどういうことかよく分からなくて。私は困惑したまま「そうなんだ……よろしくね……?」と言ったが、どうやら「よろしくね」は塔一郎にとって正解だったらしい。塔一郎は満足そうに微笑んだ。
塔一郎に何があった?箱根で何があった?間違いなく、自転車部のせいだ。そうとしか思えない。これは喜んでいいことなんだよね?そうだよね?今すぐにでも聞きたいのに、雪成がいない。判断するのは自分しかいない。
1年の冬にこっちに帰って来た時、塔一郎はすっごく暗い顔してた。箱根で怖いセンパイ達にいじめられてるんじゃないかって、心配になるくらい。随分表情が変わった。自信に溢れている。だから、きっとこれはいい変化で、いい報告なんだと判断した。
塔一郎は彼らのことを色々教えてくれようとしたんだけど、私は無理やりインターハイメンバー入りの件に話題をそらした。筋肉の話はわからないが、あのハコガクでインハイを走るのがすごいということはわかる。しかも2年生で。塔一郎は詳しく語らなかったが、きっとすごく努力したに違いない。だから塔一郎のことをすごく褒めた。筋肉のことは見なかったことにして、塔一郎の努力の成果だねと言った。塔一郎は満足そうに頷いて、箱根に帰って行った。
その晩。事情を知ってそうな雪成に電話をかけた。あの時はインハイメンバー落ちしたとかで雪成の方が病んでて、でも雪成にしか聞けなかったので電話をかけた。
「塔一郎が言ってたナントカとナントカって何……?」という私の疑問、雪成はアンディとフランクのことだとすぐにわかってくれて、私が覚えられなかった彼らの名前と簡単な性格特徴について教えてくれた。次に帰って来た時、塔一郎はまたこの話をするだろうと思って、雪成に教わったことをそのまま書きつけた。
それから帰省する度に塔一郎の愉快な仲間たちは増えていった。私は紹介される事に一体彼らは何匹いるんだと顔を引き攣らせ、よろしくねと挨拶をして、雪成に電話をかけ、聞き取れなかった彼らの名前と特徴をメモした。
ペテルなる新入りを紹介されたその頃になって、雪成はようやく塔一郎が自転車で何をやってるのか教えてくれた。最速の槍。筋肉。アブ。残念ながら聞いてもよくわかんなかった。雪成が「見たらわかるから、一回レース観にこいよ」「インハイは終わったけど、まだ引退前にいくつかあるし」って誘ってくれたけど、私は未だ塔一郎の走りを見たことがない。だって、レース会場は大体アクセス悪いし屋外だし……なので、塔一郎が自転車で何をやってるのかについてはよくわかっていない。とにかく変なやつだなと思っている。正直な所、雪成みたいに無闇に流血するよりはいいなと思ってる。塔一郎の筋肉に関する回想終わり。
「……何の話だい?」
この辺りの話を詳しく知らないから、塔一郎は首を傾げた。なんだかんだ雪成は塔一郎に甘いから。私たちが毎度こうやって新しい筋肉が誕生日する度に内々で解決して誤魔化してきたせいで、今回塔一郎は振られたのかもしれない……
「別に。次は理解のある彼女見つけろよって話」雪成は素っ気なく言って、溶けかけたアイスをスプーンですくう。それが難しいんだよなあ、と思いながら私は雪成が持って来た紅茶に口をつける。塔一郎の手が止まったままなので、どうしたのかと思って声をかける。
「塔一郎?」
「り、理解のある彼女……」
大ダメージだ……!思ったより失恋の痛手は大きかったらしい。やっぱりアンフラ初対面 、私がわかってる風な反応して裏で解決したのがよくなかったのかもしれない……!あの時は久しぶりに晴れやかな顔してたから、水差したくないと思ったんだよ……!私が自転車乗らないから理解できない世界なのかと思って……はっ!自転車好きな子なら塔一郎の筋肉思想をわかってくれるんじゃないか?私はなるべく軽い感じで聞いた。
「理解があるかどうかはさておき、お付き合いの候補として考えられるのはその……やっぱりロードレースが好きな女の子でしょう。マネージャーとか、応援来てくれるような女の子とか……いない?」
「いない」
簡潔なアンサー。雪成もスプーンが止まった。私は首を傾げた。ハコガク時代は結構派手に応援されていたらしいから、全くゼロってことはないだろう。
「マネージャー、いないの?それに、部のファンクラブみたいな女の子がちょっとはいるんじゃないの?」
「筑士波 は新設だからね……それに、わざわざ会場まで来るような女の子には、大体目当ての選手か応援したい彼氏がいるんだ」
「ご、ごめん……」
「ボクの名前を覚えて応援してくれるのは、ハコガク出身だと知ってる人とか、学生ロードレース観戦が趣味の中高年男性が多い」
「だからごめんってば!!」
現実は残酷だ……!大焦りの私を見て溜飲が下がったのか塔一郎が笑った。やっぱり、幼馴染として一度くらい応援に行ってやった方がいいのかもしれない。でもロードレースって長丁場だし大体会場は山の運動公園でアクセス悪いし、朝早いし……
「思ったんだけどよ」
復活した雪成がスプーンを咥えたまま呟いた。視線は向かいに座っている私と塔一郎を交互に捉える。先程までのハイテンションが嘘みたいに落ち着いている。今日はオールの予感がしてたけど、思いの外解散が早いかもしれないな。カラオケは回避できるかも。カラオケも嫌いじゃないけど、あんまり夜更かしは得意じゃないから。
「お前ら2人が付き合えばいいんじゃね?」
お前ら2人、で行儀悪くスプーンが私たちを指す。お前ら2人。私と、塔一郎。
「それはない!」
即答。私がバッサリ否定したのを見て雪成は不満そうにした。
「なんでだよ。ありだろ」
「なし!まず前提としてロードレースが好きな女の子だって言ったでしょ」
「別に好きじゃなくても、理解があればいいだろ」
「だからって私はないでしょ!」
適当に近くの女で手を打とうとしないの!次の彼女は塔一郎の筋肉とも仲良くしてくれて、レースを見に来ていっぱい応援してくれる子じゃなくちゃ。塔一郎もそう思うでしょ、加勢を求めようとして。隣を見る。アイスのスプーンを手にしたまま、固まっている。
「塔一郎?」
びっくりしすぎて処理落ちしてる?目の前で手を振ってやると塔一郎はぱちりと瞬き、それからぎこちなく、私と視線を合わせる。風が起こせそうなくらい長いまつ毛が揺れる。そして顔を覆ってしまった。大きな手、その隙間に覗く顔が赤い。え?
「塔一郎?」
「アブ……」
「嘘でしょ!?」
今の赤面はなに。今のアブはなに。なに!?私には理解できない。塔一郎って、本当に変だ。何を考えてるか全然わかんない。分かりたく無い。大混乱の私たち2人をニヤニヤ眺めて雪成が笑った。
「乗り気か?塔一郎」
「こら!雪成、煽らないの!塔一郎も否定しなきゃダメでしょ!」
笑ってて役立たずの雪成、真っ赤になったまま否定しない塔一郎。人のいないファミレスにはいくら探しても味方はいない。私はもう一度嘘でしょ、と呟いた。
「明日暇か?」
「雪成」
急に声をかけられて振り返る。雪成のママから「今日帰ってくるのよー」とは聞いていたが。久しぶりの再会だと言うのに、この幼馴染は再会を喜ぶような様子もない。それどころか私を暇と決めつける。
「……暇だけど」
「じゃ18時な。いつもんとこ……長くなるから覚悟しとけ」
嫌な予感がするなあ……その予感は当たったようで、雪成は口元に笑みを浮かべた。すごく悪そうなやつを。
「塔一郎、別れたんだよ。失恋慰め会だ」
「えーーっマジなの!?」
なんでまたそんな。たちの悪い冗談かと思ったけど、雪成はニヤニヤ笑うだけで前言撤回しなかった。つまり、マジらしい。
「っていうかそれなら私いらないでしょ。反省会ならふたりでやりなよ」
「もうやった。2回戦といこうぜ」
「意味ある?それ……」
雪成はアイスを、私はゼリーをそれぞれ会計して。帰り道に詳しい話を聞き出そうとしたけど、雪成は「明日な」と笑うばかりで何もわからなかった。
◻︎
翌日。家庭教師のバイトを終えて、いつものファミレスに向かう。最寄り駅に着く直前、雪から連絡があった。2人とも先に入っているようだ。
雪成が言う「いつもんとこ」は、私と雪成の家から徒歩10分、塔一郎の家からだと15分くらいの所にあるファミレスだ。近場で、いつもそこそこ空いてて、そして雪成のパパがここの優待券を持っている。雪成のパパのおかげで私達は「いつもんとこ」に集まれる。
今朝もゴミ出しの時に雪成のパパに会ったのでそのお礼を言うと、雪成のパパは券をくれたことは「あー、いいよいいよ気にしないで」って感じで、むしろ「雪くん、今日は遅くなるってすごーく張り切ってたよ。名前ちゃん、嫌だったら途中で帰っていいからね……」って私の心配をしていた。塔一郎が彼女と別れたことの何が雪成をそんなに刺激したのか。雪成も少し前に彼女にフラれたばかりだからかな。
駅から少し離れたファミレス。お店は夏休みだというのに、心配になるくらいガラガラ。失恋反省会をするのにはいいのかもしれない。幼馴染2人は奥まった所のソファ席に陣取っているらしい。長くなりそうな予感しかしない……ため息。
幼馴染2人……正確に言うと、塔一郎は雪成の幼馴染なんだけど。雪成は「もう面倒くせえからまとめて幼馴染でいいだろ」と言うけど、それは私と塔一郎的にはイマイチしっくりこない。
雪成と塔一郎は昔から自転車競技をやっている。高校の時は一緒に寮に入って、3年の時は2人でインターハイに出たし、大学生になった今でもずっと仲がいい。
私と雪成は家がすぐ近くで、引っ越して来た時期も同じで母親同士仲がいい。家からいちばん近いコンビニが同じなので、高校の頃から雪成が帰省するといつもそのコンビニで遭遇する。昨日もそう。
私にとって塔一郎は「雪成の幼馴染」だし、塔一郎にとって私は「雪成の幼馴染」だ。雪成にとってはどっちも幼馴染だけど、私と塔一郎はなんか違う。
「名前」
店のドアを開けると、真っ先に塔一郎が気づいて片手を上げた。失恋の直後で荒れ狂ってるかと思ったけど、割といつも通りに見える。ソファ席に近寄って声をかける。表情を伺う。元気そうだ。
「久しぶり。思ったより元気そうだね……」
「久しぶり。
「うんそうなの。雪成、昨日から遠足前の幼稚園児みたいに大はしゃぎ」
「うるせえよ」
塔一郎は私たちのやりとりに苦笑して、雪成は肘ついて不貞腐れていた。いつも通りの2人だ。
広いソファ席。2人が向き合って座ってたのでどっちに座るか少し悩み。まあ……慰め会ってことだし隣でヨシヨシしてやった方がいいだろうと考え、塔一郎を奥に詰めさせて横に座る。奥の席は出入りに不便だから、今日ばかりは塔一郎の分のドリンクも取りに行ってあげることにしよう。
「で、お前そのカッコでバイト行ってんの?」
「うるさいなー」
私がバイト用のブラウスにスカートという真面目な格好をしているのを見て雪成が笑った。コンビニで会う時は適当な格好のことが多いから、化粧してきちんとした格好をしているのは違和感があるのかも。
家庭教師とか塾講って普通スーツなんだろうけど、色々あって私はスーツを着ていない。流石によそさまのお家に上がるわけだから、ある程度ちゃんとした格好を心がけている。見慣れないのか、塔一郎もまじまじと私の格好を見た。家庭教師のバイトを始めた話はしていたけど、そんなに変かな?
「言ったでしょ、一応カテキョだから真面目な格好してるの」
「おー、黙ってればお嬢様っぽく見えるな」
「雪成」
一応、を強調するも雪成は相変わらずの減らず口。私がスマホの画面(ちょうど雪成のママとラインをしていた)を見せつけると、雪成はラインの相手が誰か察して、嫌そうな顔で黙った。私が雪成のママに「雪成にいじめられた!」って泣きつけば、雪成のママはこっちの味方をするって決まっているから。
久しぶりに会ったので、ふたりの大学の話なんかを聞きながらご飯を食べる。2人とも相変わらず自転車に乗ってて、ゴリゴリ運動部だからそれなりに先輩後輩関係で苦労もあるみたいだけど、それも楽しいみたいだった。良かったなと思った。高校の頃、たまに2人の学校生活の話を聞くとなんだかすごく大変そうだったから。
ご飯を食べ終わって、デザートまで頼んだところで私は今日の目的を思い出した。塔一郎の失恋騒動の事情聴取……間違えた、慰めに来たんだった。根掘り葉掘り聞く気満々できたのに!
「そうだ、すっかり忘れてた。塔一郎、なんで振られちゃったの?」
「なんでっていうか……」
「年末に付き合い始めた子でしょ?お似合いだし、いい感じだったのに」
「ぐ……」
先に運ばれてきたアイスをつついていた塔一郎が固まった。軽めのジャブのつもりが普通に喰らっている。どうやら失恋の傷はまだ癒えていないらしい。
塔一郎が同じ大学の子とお付き合いを始めた話はもちろん聞いてた。12月に入った頃、向こうから告白されて付き合い始めたと。
年末に3人で会った時、散々強請って写真を見せてもらった。清楚で穏やかそうでいい子そうだった。あの塔一郎に彼女ができたとあって私と雪成は「塔一郎と彼女の年始のデートはどこに行くべきか」で大盛りあがりした。
大学の近くで買い物デートするならどこがいいとか、付き合いたてでドライブはやめといた方がいいとか、あの辺でイルミネーションはあるのかとか、春だったらレース見に来てもらえたのにとか。付き合うどころかこれまで塔一郎から恋愛のそういう話はあんまり聞いたことがなかったから、私も雪成もかなりテンションが上がった。茨城近辺のデートスポットを検索して大盛り上がりする私達を塔一郎は呆れた顔で見ていた。
あと塔一郎のハジメテのお付き合いを心配して(塔一郎は真面目なんだけど結構変なところあるから)、彼女のことはくれぐれも丁重に扱いなるべく紳士的に振る舞うこと、塔一郎に限ってないと思うがあんまりがっつかないようにというアドバイスをして、塔一郎に嫌な顔をされた。それが、別れただと!!
相手のお嬢さんの顔を思い出そうとする。初デートの時の写真しか見たことないから既にその顔は記憶の中でぼんやりしている。塔一郎のSNSにもあんまり写真は上がっていなかった気がする。
雪成からは塔一郎の初めての交際はなかなか順調だと聞いていた。噂によると年明けはショッピングモールでデート、試験勉強を一緒にして、試験明けには水族館に行ったとか。春以降は自転車の季節だから忙しくしていたみたいだけど、真面目な塔一郎が彼女をずっと放っておいたとも考えにくい。優しそうで穏やかそうだった彼女。そんな人に振られるとなると、考えられるのは……
「……なんかやらかした?」
「……」
「やらかしたんだ……!」
気まずそうに塔一郎は黙り、私は雪成をちらっと見た。先に事情を聞いているからか、雪成の顔は既に笑っている。
「な、なんで?いい感じだったのに……」
「それは……」
塔一郎は言い淀んだ。雪成はいよいよ大声で笑うのを我慢するのに必死で、事情を聞くには不向きだった。幼馴染の失恋を笑うなんて最低だと思ったけど、雪成は私がひどい別れ方をした時も大爆笑したからこれが通常運転だ。私の方も雪成が当時付き合ってた子に「私と自転車どっちが大事なの?」って怒られた時は大笑いしたからお互い様だけど。しかも雪成、その子とはすぐ別れたらしいし。私と雪成は昔から互いの失敗を笑い合うようなそんな感じだが、相手が塔一郎となると話が別だ。真面目な性格だから、「手酷く振られたんだって?」って笑うのも悪いような気がしてしまう。
塔一郎は何か言おうとしてやめた。
「それが……いや、やっぱりやめておくよ。色々すれ違いがあってね、夏学期の終わりにフラれてしまったんだ。名前にもいろいろ協力してもらったのにすまなかったね」
「えーっ!」
以上。話は終わり。みたいな態度に思わず不満の声を上げる。野次馬根性で悪いけど、これだけ引っ張られたら詳細を聞かずには帰れない。私が「なんで!?詳しく教えてよ」と強請り、雪成が「教えてやれよ、塔一郎」とニヤニヤ笑った。塔一郎は渋い顔をした。よっぽど痛い別れ方をしたらしい。
「季節のパフェお持ちしましたー」
私と雪成が頼んだパフェがいいタイミングで来たので話が一時中断する。ブドウと栗のパフェ。デザートまで頼めるのは雪成のパパのお陰だ。また後で御礼をしないと。写真を撮って、スマホをスプーンに持ち替える。1番上のマロングラッセから。私が細長いスプーンでマロングラッセをすくおうと四苦八苦している間、塔一郎と雪成は話す話さないで揉めていた。
「笑い話で済ませてもらった方がお前も気が楽になんだろ」
「笑い話で済むかな……」
「ちょっと待って、何やったの……?」
ドン引きするような話?聞きたいような、聞きたくないような……頑固な塔一郎が首を振って、雪成が「女子の意見聞いといた方が今後の参考になるかもしれねえし」と煽る。私はそうだそうだと頷いた。
ここで初めて塔一郎が躊躇う様子を見せた。いいぞ!ここまで引っ張っておいて「名前には聞かせられない話だから、事実報告だけで帰ってください」なんて言われてはたまらない。
店員さんが遠くに行ったのを確認してから塔一郎が口を開く。
「実は」
雪成は笑みを深め、私はゴクリと息を呑んだ。塔一郎は一体何をやらかしたのか。
「実は、その……ボクの筋肉達のことなんだけど」
「まさか」
「なんていうか……彼女には、すこし受け入れ難かったみたいで」
「えーーっ!」
「うるせっ」
向かいの席から雪成にスパンと頭を叩かれ、そのまま私はテーブルに突っ伏した。
塔一郎の言う「ボクの筋肉達」は……なんて言うか癖がつよい。この一見真面目で誠実で大人しそうな男が、筋肉に名前つけて可愛がってるのを、塔一郎の彼女が受け入れられなかったのもわからなくもない。いや、すごくよくわかる。
でも、なんで半年も経ってからそんな話に?割と塔一郎は普段から「ボクの筋肉達」──私は「やつら」と呼んでいる、しばらく会わないうちにどんどん数が増えていくから──の話をしているはずなのに。事態を飲み込むのに半年かかった?それとも半年筋肉話をされ続け無理だと思った?……なんかしっくり来ない。まさか。私はテーブルから起き上がって塔一郎に詰め寄った。
「まさかとは思うけど、塔一郎、“その話“してなかったの?半年も付き合っておいて?」
「……うん」
雪成は「してなかったんだなあ、これが……!」とニヤニヤした。以前私にアンディフランク以下略の説明をしてくれた時は「同じ自転車乗りとして、塔一郎のことはすごく評価してる」って言ってたけど、今回ばかりは流石に笑いが勝ったみたい。傷心の幼馴染を前にして容赦なく大笑いしている。目立ちたがりモテたがりの雪成は意味もなく塔一郎と張り合う癖があるから、自分が振られた直後に塔一郎も振られて嬉しかったんだろう。
しかしいつもハッキリ喋る塔一郎にしては珍しい声の小ささだ。流石にしくじった自覚があるらしい。
「あのね、言ってなかった塔一郎が悪いよ……」
「ぐ」
「普通の女の子はね、いきなり『ボクの筋肉とも仲良くしてほしいな』とか『紹介するよ、こちら右大胸筋のアンディと左大胸筋のフランク』とか言われてはいそうですかってならないんだよ!」
「うぐ」
「なんで付き合ってすぐ言わなかったの?」
「頃合いを見て言おうとは思ってたんだよ……」
「それで半年もかかったの?本当に一回も言う機会なかったの?塔一郎その辺どう考えてるの」
「だははは」
「雪成うるさい!」
塔一郎は頭を抱えて、雪成はパフェを食べながら満足そうにしていた。これが見たくて態々向かいに座ったとか言うんじゃないだろうな、ってくらい嬉しそうにしている。私は言いたいことは全部言ったので、一旦パフェを一口食べる。アイスクリームが溶け始めていた。
しかし、別れた原因が「急にアンディとフランク以下略の存在を紹介された彼女さんが戸惑ったから」……というのは想定外だったかも。順に整理しよう。
まず大前提。塔一郎は高校の頃から「アンディとフランク」他、自分の筋肉に名前をつけて可愛がっている。私と雪成も知ってる、塔一郎の愉快な仲間達。
付き合った彼女にはタイミングを逃したとかいう情けない理由で言ってなかった。付き合って半年以上も経って、急に登場した筋肉たち。普通に困惑するだろう。「仲良くしてほしい」って?筋肉に名前ってどういうこと?そもそも誰?なんでカタカナの名前なの?理解するには時間がかかるだろうし……いや、時間がかかっても受け入れられなかったから別れたんだろう。気になることが出てきたので追加質問。
「デートの時に言ったの?」
「……うん」
「うわあ……」
うわあ……以外の言葉が出てこない。学業、部活で忙しい彼氏との久しぶりのデート、それを吹き飛ばす衝撃の告白。突然現れたアンディフランク以下略の存在。か、かわいそう……更に疑問が生じたので再び追加質問。
「じゃあその子は塔一郎が筋肉に話しかけてるのをなんだと思ってたの?」
「お前か俺と電話してると思ってたらしいぜ」
「はあ!?巻き込まないでよ!」
「だはははは」
「とにかく、ちゃんと言っとかなかった塔一郎が100パー悪いよ。呼んでもらったところ悪いけど、今回は私慰めらんないな。慰めてもらうなら雪成に頼んでね」
塔一郎が頷き、雪成が肩をすくめたのを見て、私は無言でパフェを食べ進める。知らないところで自分が巻き込まれてたこともあり、野次馬根性は引っ込んでしまった。面白がって根掘り葉掘り聞くのは、なんだか相手の女の子に悪い気がする。
パフェを食べながら、雪成と塔一郎が話すのを聞いていると、どうやら彼女は自転車に乗ってる時の塔一郎を見たことがなかったらしい。もし次に誰かとお付き合いすることになったら一度レース見に来てもらうなりはした方がよさそうという結論に落ち着いたようだった。
私も2人が自転車に乗るところはあんまり見たことがないから詳しくないのだが。ロードレースではレース中に「普段の性格」から「勝負の性格」に切り替わる選手は珍しく無いのだという。幼馴染2人から聞く限りでは、今の学生ロードレース界隈には常識の範疇を超えた自転車超人達がウヨウヨしているらしい。歌いながら坂登るとか、羽が生えるとか、他色々。そういう人達と戦っていた幼馴染2人ももちろん自転車超人なのだろう。塔一郎はさっき言った通りだし、雪成は高校の頃からレース中に流血する悪癖がある。そういうオンとオフのギャップを受け入れられる人こそが自転車乗りの彼女に向いているのではないかと思う。素人の見解だけど。
さて、パフェの上の方を突き終わったことだし飲み物でも取りに行こうかな。そしたらタイミング良く雪成が席を立った。ドリンクバーに行くらしい。塔一郎のグラスはまだ中身が入っている。
「雪成、ついでに私のもお願い」
「自分で行けよ!」
「紅茶がいいな」
呆れた顔の雪成は「ホットでいいんだな?」と言い捨て、さっさとドリンクバーに歩いて行った。それを見た塔一郎が「昔から変わらないね」と苦笑する。雪成が私に甘いと言いたいらしい。
「違うよ、いっつも雪成が私を振り回してるの。たまにはこれくらいしてもらわなくちゃ」
「今日とか?」
「今日とか。見た?あのテンション。この後大人しく帰らせてくれる感じじゃないよ」
塔一郎は神妙に頷いた。いつになくテンションが高い雪成のことだから、デザート食べたら解散とはいかないだろう。2軒目を探しておいた方がいいかもしれない。
「カラオケ行く?パーっと歌って気分転換しちゃう?」
「そうだね」
「……大丈夫?星井美希失恋メドレー歌ってあげよっか?」
塔一郎は小さく笑って首を振った。やっぱりちょっと落ち込んでる……?厳しく言いすぎた?元カノのために、それから次に塔一郎と付き合う子のためにも……私は慰めないし、甘やかさないぞ。と思っていたのに少し揺らぐ。だって、塔一郎のしょんぼりした顔は高校生だった頃を思い出させるから。
あの頃、塔一郎はたまにこっちに帰ってきても暗い顔をしてる時が多かった。そういう時は大体自転車部のせいだというのは事情を知らない私でも察することができた。私は事情がわからないなりに、励ましたり、気づいてないふりしたりした。引退してからは穏やかな顔のことが増えて、塔一郎があんな顔をしていたのはやっぱり箱根の自転車部のせいだと思っている。
「次はちゃんと先に話しておくんだよ」
「次って……随分簡単に言ってくれるね」
「まだ次のことは考えられない?大丈夫、今回失敗しちゃった分、次はもうちょっと上手くやれるって」
なるべく軽く明るく言ったつもりが返事がない。塔一郎はそう思わないということらしい。まあ、そうか。私は割とすぐ次行こう!ってなるタイプだけど、塔一郎って真面目だしな。失敗を真剣に受け止めすぎてるのかも。となるとやっぱり、引きずるより次に行った方がいい気がするんだけどな……
「名前、実は」
「何楽しそうにしてんだよ」
塔一郎が何が言おうとしたその時、雪成が戻ってきて、私の前にカップを置いた。塔一郎が何を言おうとしたのか聞こうとしたが「なんでもないよ」と首を振られる。
「今回のこと反省したら次いこって話」
「塔一郎は嫌そうな顔してっけど」
「うーんすぐには切り替えられないか……」
「そらそうだろ、お前とは違うんだよ」
「うるさいなー」
雪成が言ってるのは、私が彼氏の浮気で別れてすぐ他の人と付き合った時のことだ。大学1年の夏。当時付き合ってた男が免許合宿中浮気した上でヤることヤってたとかいう結構最悪のパターンだったので速攻別れて次に行った。相手のクズっぷりには当時雪成も顔を顰めていた。あのクズと比べるなんて塔一郎に失礼だ。
「塔一郎はクズじゃないし、それどころか真面目だし。大丈夫、次の彼女がすぐ見つかるよ。次の子も、アレさえ乗り越えられれば……!」
「そのアレが問題なんだろうが」
「雪成も名前も、アレアレ言わないでくれるかい」
ごめんごめんと謝って「アンディとフランクね」と言い直す。私は「そのことさえ先に話しておけば次はうまく行くはずだ」と拳を握って力説したが、塔一郎は半信半疑という感じだ。挙句雪成は「アレの件は高校の時にお前がすぐ受け入れたから塔一郎の感覚がおかしくなって云々」と私のせいにし出す。記憶の捏造だ。
「すぐ受け入れてないよ。あの時、わけ分からなくて雪成に電話したんだよ。覚えてないの?」
「忘れた」
「この野郎……」
あれは高校2年生の時、夏前。近所でばったり塔一郎に会った。忙しくなる夏休みの前に実家に顔出したみたいで、少し立ち話をした。塔一郎がインターハイの選手に選ばれたすぐ後のことだった。久しぶりに見た塔一郎は元気そうな顔で、安心した。
「紹介するよ。名前、右大胸筋のアンディと左大胸筋のフランク。アンディ、フランク。名前だよ。初めて会った気がしない?そうだね、名前のことは
元気そうだけど……元気そうだけど、これは何?大混乱の私、でも塔一郎はすごく嬉しそうで。「アンディもフランクも、名前に会えて嬉しいみたいだ」って言われても、私は何がどういうことかよく分からなくて。私は困惑したまま「そうなんだ……よろしくね……?」と言ったが、どうやら「よろしくね」は塔一郎にとって正解だったらしい。塔一郎は満足そうに微笑んだ。
塔一郎に何があった?箱根で何があった?間違いなく、自転車部のせいだ。そうとしか思えない。これは喜んでいいことなんだよね?そうだよね?今すぐにでも聞きたいのに、雪成がいない。判断するのは自分しかいない。
1年の冬にこっちに帰って来た時、塔一郎はすっごく暗い顔してた。箱根で怖いセンパイ達にいじめられてるんじゃないかって、心配になるくらい。随分表情が変わった。自信に溢れている。だから、きっとこれはいい変化で、いい報告なんだと判断した。
塔一郎は彼らのことを色々教えてくれようとしたんだけど、私は無理やりインターハイメンバー入りの件に話題をそらした。筋肉の話はわからないが、あのハコガクでインハイを走るのがすごいということはわかる。しかも2年生で。塔一郎は詳しく語らなかったが、きっとすごく努力したに違いない。だから塔一郎のことをすごく褒めた。筋肉のことは見なかったことにして、塔一郎の努力の成果だねと言った。塔一郎は満足そうに頷いて、箱根に帰って行った。
その晩。事情を知ってそうな雪成に電話をかけた。あの時はインハイメンバー落ちしたとかで雪成の方が病んでて、でも雪成にしか聞けなかったので電話をかけた。
「塔一郎が言ってたナントカとナントカって何……?」という私の疑問、雪成はアンディとフランクのことだとすぐにわかってくれて、私が覚えられなかった彼らの名前と簡単な性格特徴について教えてくれた。次に帰って来た時、塔一郎はまたこの話をするだろうと思って、雪成に教わったことをそのまま書きつけた。
それから帰省する度に塔一郎の愉快な仲間たちは増えていった。私は紹介される事に一体彼らは何匹いるんだと顔を引き攣らせ、よろしくねと挨拶をして、雪成に電話をかけ、聞き取れなかった彼らの名前と特徴をメモした。
ペテルなる新入りを紹介されたその頃になって、雪成はようやく塔一郎が自転車で何をやってるのか教えてくれた。最速の槍。筋肉。アブ。残念ながら聞いてもよくわかんなかった。雪成が「見たらわかるから、一回レース観にこいよ」「インハイは終わったけど、まだ引退前にいくつかあるし」って誘ってくれたけど、私は未だ塔一郎の走りを見たことがない。だって、レース会場は大体アクセス悪いし屋外だし……なので、塔一郎が自転車で何をやってるのかについてはよくわかっていない。とにかく変なやつだなと思っている。正直な所、雪成みたいに無闇に流血するよりはいいなと思ってる。塔一郎の筋肉に関する回想終わり。
「……何の話だい?」
この辺りの話を詳しく知らないから、塔一郎は首を傾げた。なんだかんだ雪成は塔一郎に甘いから。私たちが毎度こうやって新しい筋肉が誕生日する度に内々で解決して誤魔化してきたせいで、今回塔一郎は振られたのかもしれない……
「別に。次は理解のある彼女見つけろよって話」雪成は素っ気なく言って、溶けかけたアイスをスプーンですくう。それが難しいんだよなあ、と思いながら私は雪成が持って来た紅茶に口をつける。塔一郎の手が止まったままなので、どうしたのかと思って声をかける。
「塔一郎?」
「り、理解のある彼女……」
大ダメージだ……!思ったより失恋の痛手は大きかったらしい。やっぱり
「理解があるかどうかはさておき、お付き合いの候補として考えられるのはその……やっぱりロードレースが好きな女の子でしょう。マネージャーとか、応援来てくれるような女の子とか……いない?」
「いない」
簡潔なアンサー。雪成もスプーンが止まった。私は首を傾げた。ハコガク時代は結構派手に応援されていたらしいから、全くゼロってことはないだろう。
「マネージャー、いないの?それに、部のファンクラブみたいな女の子がちょっとはいるんじゃないの?」
「
「ご、ごめん……」
「ボクの名前を覚えて応援してくれるのは、ハコガク出身だと知ってる人とか、学生ロードレース観戦が趣味の中高年男性が多い」
「だからごめんってば!!」
現実は残酷だ……!大焦りの私を見て溜飲が下がったのか塔一郎が笑った。やっぱり、幼馴染として一度くらい応援に行ってやった方がいいのかもしれない。でもロードレースって長丁場だし大体会場は山の運動公園でアクセス悪いし、朝早いし……
「思ったんだけどよ」
復活した雪成がスプーンを咥えたまま呟いた。視線は向かいに座っている私と塔一郎を交互に捉える。先程までのハイテンションが嘘みたいに落ち着いている。今日はオールの予感がしてたけど、思いの外解散が早いかもしれないな。カラオケは回避できるかも。カラオケも嫌いじゃないけど、あんまり夜更かしは得意じゃないから。
「お前ら2人が付き合えばいいんじゃね?」
お前ら2人、で行儀悪くスプーンが私たちを指す。お前ら2人。私と、塔一郎。
「それはない!」
即答。私がバッサリ否定したのを見て雪成は不満そうにした。
「なんでだよ。ありだろ」
「なし!まず前提としてロードレースが好きな女の子だって言ったでしょ」
「別に好きじゃなくても、理解があればいいだろ」
「だからって私はないでしょ!」
適当に近くの女で手を打とうとしないの!次の彼女は塔一郎の筋肉とも仲良くしてくれて、レースを見に来ていっぱい応援してくれる子じゃなくちゃ。塔一郎もそう思うでしょ、加勢を求めようとして。隣を見る。アイスのスプーンを手にしたまま、固まっている。
「塔一郎?」
びっくりしすぎて処理落ちしてる?目の前で手を振ってやると塔一郎はぱちりと瞬き、それからぎこちなく、私と視線を合わせる。風が起こせそうなくらい長いまつ毛が揺れる。そして顔を覆ってしまった。大きな手、その隙間に覗く顔が赤い。え?
「塔一郎?」
「アブ……」
「嘘でしょ!?」
今の赤面はなに。今のアブはなに。なに!?私には理解できない。塔一郎って、本当に変だ。何を考えてるか全然わかんない。分かりたく無い。大混乱の私たち2人をニヤニヤ眺めて雪成が笑った。
「乗り気か?塔一郎」
「こら!雪成、煽らないの!塔一郎も否定しなきゃダメでしょ!」
笑ってて役立たずの雪成、真っ赤になったまま否定しない塔一郎。人のいないファミレスにはいくら探しても味方はいない。私はもう一度嘘でしょ、と呟いた。
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