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卓越した統率力とその落ち着きから「高校生に見えない」「二度目の17歳」などと周囲から言われることも多い金城だが、年相応にはしゃぐこともある。この日金城は付き合い始めたばかりの恋人──トレーナーの名前を初めて自室に誘うことに成功した。金城の控えめだが力強いガッツポーズを野次馬ふたり──巻島と田所は柱の影から見ていた。
ことの始まりは数日前。合宿中、恋人同士ふたりきりで過ごせるシチュエーションはほとんどない。なんとかしてふたりきりになれないだろうかと頭を悩ませる金城に巻島が言った。
「部屋に呼ぶしかないッショ」
そうか、部屋か……!!部屋に呼ぶしかないか……!!金城はなるべく下心を感じさせない誘い方をしようとして、結局グランツール観戦を言い訳にした。勿論下心だけでなく、勉強熱心な名前の手助けをしたいという純粋な親切心と好意もあった。決行は休養日の前日に決まった。翌朝練習がないから、いつもよりも夜更かしできる。
名前はいつも消灯時間ギリギリに風呂に入ることで、選手たちにすっぴんを晒すことを回避していた。しかし金城の部屋でレースを見るとなると、ゴールは日付が変わった後になるだろうし、その頃には浴場の湯も抜かれてしまう。どうしても先に風呂に入ってから金城の部屋に行くことになる。名前はすっぴんを晒すことと、いつになく一生懸命誘う恋人を天秤にかけて、かなり悩んで、悩んで……最後は金城の誘いに乗った。
逢瀬の約束が成立したことは、野次馬ふたりによって速やかに寒咲さんに伝わった。そうか、お部屋デートか……寒咲さんはあたたかく見守る気持ちもあったが念のため「『やらかす』んじゃねーぞ」と釘を刺し、金城は勿論ですといつも通りの涼しい顔で答えた。金城はポーカーフェイスの裏で、部屋でふたりきりの状況ならキスできるかもしれないと考えていた。金城が浮かれていることを寒咲さんだけが見抜いていた。
そしてお部屋デート当日。休養日の前夜、約束の時間ぴったりに名前は金城の部屋を訪れた。金城は名前を招き入れようとして、化粧してないその顔をじっと見て、嬉しくなってちょっと笑った。
「こら!」
「いてっ」
決して嫌な感じの笑いじゃなかったけど何を見て笑ったのかは明らかだったので、名前は大きい背中をどついた。金城はしどろもどろになって「いや、すみません、その」と色々言い訳した。「化粧してない顔が幼く見えた」のだと。男はみんなそう言うけど、どこで覚えてくるんだと名前が文句を言ったので、金城は沈黙した。言われてみれば、確かに。どこでそんな文句を覚えたんだろう。
ふたりはそれぞれクッションに座って、ベッドに寄りかかる。肝心のレースは中盤で、ゴールはまだ遠く、大きな動きもない。先頭の逃げ集団が吸収されてからが本番だろうということは名前にもわかった。ひたすらのどかな景色と、集団を映すカメラ。羊、川、地域の名産品、色とりどりのジャージに身を包んだ選手たち。仮に先頭が今の速さで走り続けたとして、ゴールするのにはあと2時間弱かかることに名前は気がついた。既におやつもアイスも食べ尽くしてしまった。正直眠たい。金城に色々教えてもらうにしても、選手に動きがなければ、解説することもない。名前はせっかくの勉強会、もう少し動きのあるレースの日にしてもらえば良かったと思った。
名前だけでなく金城も、若干の眠気に襲われていた。今日も朝からチーム練習、ミーティング、それから個別面談、筋トレ、勉強、その後個人練……連日の暑さもあって、疲労が溜まっている。最近は日付が変わる前に寝てしまうことも多い。
金城は川遊びする現地の人たちの映像をぼんやり眺め、それから左半身だけ暑いなと思った。風呂上がりの名前の体温だった。そっと隣を伺うと、名前は眠たそうな眼でテレビを見ている。最初は姿勢よく見ていたが、あんまり動きのないレースだから緊張が解けたのかもしれない。名前の右半身は金城の左半身にぺったりとくっついている。金城の脳裏を怖い顔の寒咲さんがよぎり、消えた。寒咲さんが懸念していたような事はまだ何も起こっていない。まだ。
残り距離が減る一方で、レースは動かない。テレビ画面に映るのは広大な畑。金城の左半身だけが鮮明な刺激を感じていた。柔らかくて暑い。思考がどんどん鈍くなっていく。それでうっかり金城の口も滑って、少し上擦ったような、問い詰めるような声が出た。が、止まれなかった。
「……他の人にも言われたことがあるんですか」
「何が」
「素顔が、どうとかって」
「……ああ」
金城の心臓はバクバク鳴ったが、名前は眠たそうな瞳のままだった。名前が一度瞬きしたのを、金城は焦らされているようだと感じた。金城はこの人 のことを何も知らない。この人は金城のことを事細かに知っているのに。名前は自分のことをほとんど金城に話さない。金城だけでない、福富も他の選手も、多分彼女のことを詳しく知らない。だから、聞きたくないのに聞いてしまった。どんな答えが返ってくるかは薄々察しがついていた。どんな顔をするのか見てみたいという少しの好奇心があった。
「むかし」
名前の声で、俯いていた顔を上げる。バッと音がしそうなくらい勢いよく、しかし名前は気にした様子もない。名前がまた、ゆっくりと瞬く。
眠たい名前の口からは、一言だけ。
「付き合ってたひと」
そうして再び、名前はゆっくり目を閉じた。その男を懐かしんでいるのかもしれない。聞く前からわかりきっていた答えを聞いて、金城の腹の底に湧き上がったのは多分嫉妬だった。わかっていたのに!どんな男だったんですか、どうして別れたんですか、その男とは、どこまで……聞こうとして、口を開いて、やめた。名前が次に何をいうのか伺う。名前は何も言わない。名前は目を閉じて、口が半開きで……明らかに寝ていた。今度こそ遠慮なく金城に寄りかかっている。金城の喉から「は、」と情けない声が漏れた。
「名前さん?寝ました?……寝たな」
返事はない。寝たふりではなく、力の抜けた体は本当に寝ている人のそれだった。
さっきまでの荒ぶる感情は波のようにすうっと引いた。それどころか金城の脳裏に再び怖い顔の寒咲さんが現れる。まずい。今日のレースを見た後、名前を部屋まで送り届けるつもりだったのに。
金城は名前を揺さぶった。が、目を閉じたまま不快そうに唸っただけだった。ダメか。今日の暑さ、練習の過酷さ、それからあんまり動きのないレース……仕方ない事かもしれない。
金城は少し悩んで、名前を部屋に送り届けることに決めた。名前の背中に腕を回して抱き起こす。背中があたたかいままだから、きっと気持ち良くは眠れていないだろう。名前が持ってきたうちわで少しあおいでみる。起きる気配は、ない。起きてほしいと思った。多少の下心もあって夜更かしに誘ったから、この状況は金城にとってあまり望ましくない。試されている。うちわのそよ風で名前の前髪が揺れる。化粧をしていない肌、いつもより色のない口、熱のこもった体。意思のない手足。名前が身を捩った拍子に柔らかい胸が形を変えた。名前がいつも使っている制汗剤の、果物の香料みたいな匂いがする。ためされている。りせいが。
「……」
これ以上密室にいると、なんだかとんでもないことをしでかしそうな気がする。金城はため息をついて、名前を抱えて立ち上がる。両手が塞がっているから、今日だけは足でドアを開けた。
「うわっ」
廊下に出てすぐ、手嶋と出くわした。金城が力の抜けた人間を抱えているのを見て、手嶋は驚いた。少し心配そうに金城の腕の中を覗き込む。
「ってトレーナー!?どうかしたんですか」
「……」
手嶋は金城と名前が付き合っていることを知らない。金城は少し考えて事実だけを言った。一緒にレース中継を見ていたのだが、途中で眠ってしまった、と。
「あー、今日長いから……」
手嶋はコースを想像したようで微妙な顔をした。やはり初心者が観戦するにはあんまり良い日ではなかったかもしれない。
「手伝います」という手嶋の申し出を金城は笑って断った。よく休むように言って、手嶋と別れる。
くったりした名前を担いだまま、合宿場の廊下を進む。名前の部屋に辿り着いた後には、個室の鍵を開錠する特大ミッションが残っている。名前がいつも個室の鍵をズボンのポケットに入れているのは知っていた。それを自分が取り出していいものかと金城は少し思案する。もう一度揺り起こしたら起きるだろうか。起きるといいのだが。わざと抱え直してみても、名前は眉を寄せてモニョモニョ言っただけだった。
名前が起きる気配はない。名前をベットに寝かせた後、今夜は金城ひとりで夜更かしすることになりそうだ。眠る名前を抱いたまま、金城は深くため息をついた。
ことの始まりは数日前。合宿中、恋人同士ふたりきりで過ごせるシチュエーションはほとんどない。なんとかしてふたりきりになれないだろうかと頭を悩ませる金城に巻島が言った。
「部屋に呼ぶしかないッショ」
そうか、部屋か……!!部屋に呼ぶしかないか……!!金城はなるべく下心を感じさせない誘い方をしようとして、結局グランツール観戦を言い訳にした。勿論下心だけでなく、勉強熱心な名前の手助けをしたいという純粋な親切心と好意もあった。決行は休養日の前日に決まった。翌朝練習がないから、いつもよりも夜更かしできる。
名前はいつも消灯時間ギリギリに風呂に入ることで、選手たちにすっぴんを晒すことを回避していた。しかし金城の部屋でレースを見るとなると、ゴールは日付が変わった後になるだろうし、その頃には浴場の湯も抜かれてしまう。どうしても先に風呂に入ってから金城の部屋に行くことになる。名前はすっぴんを晒すことと、いつになく一生懸命誘う恋人を天秤にかけて、かなり悩んで、悩んで……最後は金城の誘いに乗った。
逢瀬の約束が成立したことは、野次馬ふたりによって速やかに寒咲さんに伝わった。そうか、お部屋デートか……寒咲さんはあたたかく見守る気持ちもあったが念のため「『やらかす』んじゃねーぞ」と釘を刺し、金城は勿論ですといつも通りの涼しい顔で答えた。金城はポーカーフェイスの裏で、部屋でふたりきりの状況ならキスできるかもしれないと考えていた。金城が浮かれていることを寒咲さんだけが見抜いていた。
そしてお部屋デート当日。休養日の前夜、約束の時間ぴったりに名前は金城の部屋を訪れた。金城は名前を招き入れようとして、化粧してないその顔をじっと見て、嬉しくなってちょっと笑った。
「こら!」
「いてっ」
決して嫌な感じの笑いじゃなかったけど何を見て笑ったのかは明らかだったので、名前は大きい背中をどついた。金城はしどろもどろになって「いや、すみません、その」と色々言い訳した。「化粧してない顔が幼く見えた」のだと。男はみんなそう言うけど、どこで覚えてくるんだと名前が文句を言ったので、金城は沈黙した。言われてみれば、確かに。どこでそんな文句を覚えたんだろう。
ふたりはそれぞれクッションに座って、ベッドに寄りかかる。肝心のレースは中盤で、ゴールはまだ遠く、大きな動きもない。先頭の逃げ集団が吸収されてからが本番だろうということは名前にもわかった。ひたすらのどかな景色と、集団を映すカメラ。羊、川、地域の名産品、色とりどりのジャージに身を包んだ選手たち。仮に先頭が今の速さで走り続けたとして、ゴールするのにはあと2時間弱かかることに名前は気がついた。既におやつもアイスも食べ尽くしてしまった。正直眠たい。金城に色々教えてもらうにしても、選手に動きがなければ、解説することもない。名前はせっかくの勉強会、もう少し動きのあるレースの日にしてもらえば良かったと思った。
名前だけでなく金城も、若干の眠気に襲われていた。今日も朝からチーム練習、ミーティング、それから個別面談、筋トレ、勉強、その後個人練……連日の暑さもあって、疲労が溜まっている。最近は日付が変わる前に寝てしまうことも多い。
金城は川遊びする現地の人たちの映像をぼんやり眺め、それから左半身だけ暑いなと思った。風呂上がりの名前の体温だった。そっと隣を伺うと、名前は眠たそうな眼でテレビを見ている。最初は姿勢よく見ていたが、あんまり動きのないレースだから緊張が解けたのかもしれない。名前の右半身は金城の左半身にぺったりとくっついている。金城の脳裏を怖い顔の寒咲さんがよぎり、消えた。寒咲さんが懸念していたような事はまだ何も起こっていない。まだ。
残り距離が減る一方で、レースは動かない。テレビ画面に映るのは広大な畑。金城の左半身だけが鮮明な刺激を感じていた。柔らかくて暑い。思考がどんどん鈍くなっていく。それでうっかり金城の口も滑って、少し上擦ったような、問い詰めるような声が出た。が、止まれなかった。
「……他の人にも言われたことがあるんですか」
「何が」
「素顔が、どうとかって」
「……ああ」
金城の心臓はバクバク鳴ったが、名前は眠たそうな瞳のままだった。名前が一度瞬きしたのを、金城は焦らされているようだと感じた。金城は
「むかし」
名前の声で、俯いていた顔を上げる。バッと音がしそうなくらい勢いよく、しかし名前は気にした様子もない。名前がまた、ゆっくりと瞬く。
眠たい名前の口からは、一言だけ。
「付き合ってたひと」
そうして再び、名前はゆっくり目を閉じた。その男を懐かしんでいるのかもしれない。聞く前からわかりきっていた答えを聞いて、金城の腹の底に湧き上がったのは多分嫉妬だった。わかっていたのに!どんな男だったんですか、どうして別れたんですか、その男とは、どこまで……聞こうとして、口を開いて、やめた。名前が次に何をいうのか伺う。名前は何も言わない。名前は目を閉じて、口が半開きで……明らかに寝ていた。今度こそ遠慮なく金城に寄りかかっている。金城の喉から「は、」と情けない声が漏れた。
「名前さん?寝ました?……寝たな」
返事はない。寝たふりではなく、力の抜けた体は本当に寝ている人のそれだった。
さっきまでの荒ぶる感情は波のようにすうっと引いた。それどころか金城の脳裏に再び怖い顔の寒咲さんが現れる。まずい。今日のレースを見た後、名前を部屋まで送り届けるつもりだったのに。
金城は名前を揺さぶった。が、目を閉じたまま不快そうに唸っただけだった。ダメか。今日の暑さ、練習の過酷さ、それからあんまり動きのないレース……仕方ない事かもしれない。
金城は少し悩んで、名前を部屋に送り届けることに決めた。名前の背中に腕を回して抱き起こす。背中があたたかいままだから、きっと気持ち良くは眠れていないだろう。名前が持ってきたうちわで少しあおいでみる。起きる気配は、ない。起きてほしいと思った。多少の下心もあって夜更かしに誘ったから、この状況は金城にとってあまり望ましくない。試されている。うちわのそよ風で名前の前髪が揺れる。化粧をしていない肌、いつもより色のない口、熱のこもった体。意思のない手足。名前が身を捩った拍子に柔らかい胸が形を変えた。名前がいつも使っている制汗剤の、果物の香料みたいな匂いがする。ためされている。りせいが。
「……」
これ以上密室にいると、なんだかとんでもないことをしでかしそうな気がする。金城はため息をついて、名前を抱えて立ち上がる。両手が塞がっているから、今日だけは足でドアを開けた。
「うわっ」
廊下に出てすぐ、手嶋と出くわした。金城が力の抜けた人間を抱えているのを見て、手嶋は驚いた。少し心配そうに金城の腕の中を覗き込む。
「ってトレーナー!?どうかしたんですか」
「……」
手嶋は金城と名前が付き合っていることを知らない。金城は少し考えて事実だけを言った。一緒にレース中継を見ていたのだが、途中で眠ってしまった、と。
「あー、今日長いから……」
手嶋はコースを想像したようで微妙な顔をした。やはり初心者が観戦するにはあんまり良い日ではなかったかもしれない。
「手伝います」という手嶋の申し出を金城は笑って断った。よく休むように言って、手嶋と別れる。
くったりした名前を担いだまま、合宿場の廊下を進む。名前の部屋に辿り着いた後には、個室の鍵を開錠する特大ミッションが残っている。名前がいつも個室の鍵をズボンのポケットに入れているのは知っていた。それを自分が取り出していいものかと金城は少し思案する。もう一度揺り起こしたら起きるだろうか。起きるといいのだが。わざと抱え直してみても、名前は眉を寄せてモニョモニョ言っただけだった。
名前が起きる気配はない。名前をベットに寝かせた後、今夜は金城ひとりで夜更かしすることになりそうだ。眠る名前を抱いたまま、金城は深くため息をついた。
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