去る春、君の声だけが在るIF
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「そんなに見られると食べづらいんだけど……」
「こっちのことは気にしないで!でもどれが良かったかは教えて!」
「食べづらいよ」
「お・し・え・て!」
今年もバレンタインの調査の後、デパートに繰り出して無事チョコレートを購入。メジャーなブランドのバレンタイン限定品……という定番に走ってしまったけど、まあまあ悪くないと思う。「せっかく渡すなら味に責任を持つべきだよね!」という理由で自分も同じのを買って既に食べた。だから味はわかってるんだけど。
海外レースのデイリーハイライトをチェックしながらおやつ休憩。バレンタイン仕様のツヤツヤきらきらのチョコは小さな紙箱にたったの6粒しか入ってない。
「どれがいちばん美味しかった?」
「真ん中のバニラ!」
「これ?」
「むぐ」
躊躇いなく真ん中のバニラフレーバーを摘んで、自分で食べるかと思いきやこちらに押し付ける。私はめちゃくちゃ油断してたから、そのままバランスを崩してソファに転がった。「絶対要らないと思う」って言われたのをなんとか説得して買ったソファは2人掛けにしてはやや小さい。
「食べたくて言ったんじゃないの、何が美味しかったか聞いて来年の参考にしたいの!」
私はひっくり返った上体をなんとか起こしてから言い返す。私が無い腹筋で一生懸命起き上がったのを塔一郎は微笑ましいものでも見るみたいな顔して見下ろした。
「どれも美味しかったよ」
「さ、参考にならない……」
恋人的には満点回答かもしれないけど、そういうのは全然求めてない。参考にならなすぎる。せっかくおいしいって教えてあげたんだから、食べてほしい。バニラのチョコを口元に押し付け返すと、素直に食べた。それを見て、私は口を開く。
「今までもらった中だとどれが好き?去年の方が良かった?」
やっぱ一昨年の有名デパートのセレクション系の方が良かったかな?毎年真剣にリサーチするのは、大分好みを掴んできたんじゃないかと自負しているんだけど、それでもまだ「大正解」を叩き出せてない気するから。
「どれも美味しかったけど……」
「うんうん」
「あれかな、チョコのケーキ」
「チョコのケーキ」
「何年前だったかな……電車が止まって大変だった時の……」
「て、手作り!?」
結構昔のやつだ。それこそ付き合って2回目とかの。今でも覚えてる、手作りチョコケーキ持参で茨城に行こうとしたら架線トラブルが何かで運転見合わせになったことがあった。午前中に茨城に着く予定が運転再開まで時間を要し、なんとかつくばまで辿り着いたもののデートの予定はほとんどキャンセル。夜中に焼いたチョコケーキは運転再開直後の激混み電車で揉まれて全体的にちょっと潰れていた。すごくショックで、次の年からは手作りやめたいって言った。アレ!?アレがいちばん!?
「絶対うそ、思い出補正入ってる!」
「入ってないよ」
「……名前が半泣きで茨城まで持ってきたから加点が付いたの?」
「そうだね、確かにあれは可愛らしかったけど……」
「変態だ……!」
「何を今更」
何を今更って、カワイイカノジョの涙で喜ぶのは普通に変態でしょう。本人は学生時代から言われ慣れすぎて多分ワード自体には何も感じてないけど。
納得いかない私の顔を見て、塔一郎は箱に残ったチョコをひとつ摘み、私の口に押し込む。今度は黙って受け入れることにして、私はダークチョコを噛み砕いた。具はパンプルムース。柑橘系ってどうなんだろう。個人的には正直微妙だけど、この人はどうだろう、昔からよくわからない。例のチョコケーキだって、どんな顔して食べてたか全く思い出せない。いや、あれはショックすぎて記憶を消し去ったんだろう。仕方ないでしょ、あの頃は遠距離だったし今よりずっと子どもだったから、たまのデートに命かけてた。今はもうちょっと気軽に会える距離だし、そこまで思い詰めたりすることもない。
「最近また色々焼いてるんだろう?うちには全然持ってこないから」
「なんで知ってるの!?」
「秘密」
私は最近オーブンレンジを買い替えたばかりで、ここ最近休みの日にお菓子を焼くのにハマっている。適当に野菜とチーズ入れたケークサレを朝ごはんにしたり、アイスボックスクッキーをたくさん焼いて近くに住んでる友達に押し付けたり、凝ったやつじゃなくて簡単なやつばかりだけど結構楽しい。完全にストレス発散目的、自己満足の趣味だ。映えないから写真も撮ってないし、バレてたとは思わなかった。最近おやつ押し付けた元自転車仲間の顔を順番に思い出す。その辺りの誰かがうっかり漏らしたんだろうけど、全然見当がつかない。
「も、もういいでしょ……散々食べさせられて飽きたでしょ」
顔が熱い。高校の時もたまに何か焼いては部員に押し付けていた。安上がりでストレス解消になっておまけに部員の胃袋掴めて、割といい趣味だったと思う。今思えばどれも高校生のお遊びクオリティだったし、ちょっと走ってコンビニ行けば普通に美味しいおやつが買えた。今となっては自信満々に押し付けてたのか恥ずかしい。大人になってわかったこと、お菓子とパンは絶対手作りより買った方が美味しい。
「あの頃は飢えた男子高校生だったからおいしく感じただけだよ……言ってたでしょ、黒田さんが『飢えは最高のスパイスがナントカ』って、今食べたら絶対コンビニのやつの方が美味しいって感じるって!」
「味に自信がないから嫌……ということ?」
「ううう……どうしてわかってくれないんだ……」
塔一郎は私が渋い顔をするのに、至極不思議そうに首を傾げる。自信?そんなものは今も昔もない。若さと遠慮のなさがあっただけ。黒歴史を思い出して唸ってるうちにするりと腕が伸びてきて、私は逃げる間もなく捕まってしまった。視線が合う。「詳しく説明してくれるね」の意味だ。
視線を逸らす。逃げようにも狭いソファじゃ逃げ場がないが、今更詳しく説明するつもりもない。ソファ、説得してもっと大きいの買うんだったな……現実逃避しても状況は変わらない。
我々がまだ高校生だった時、「泉田さん」は最後のインハイの後、代替わりを境にして雰囲気が変わった。本人は意識して切り替えていたみたいだけど、それはもうガラッと。厳しいキャプテンの顔しか知らなかった1年生などはかなり驚いていた。そして、お誕生日然りバレンタイン然り、その他細々した手作りのお菓子なんかをあげた時の反応というかなんというか、そういうのが変化したことには流石の私も気づいていた。
……結論!何が嫌かというと手作りお菓子をあげてもあの頃みたいな胸の締め付けられるようなドキドキしたりソワソワする感じは戻ってこないどころか、ガッカリさせるのが目に見えてるから、嫌!
あれは若くて何も知らなかった高校生の頃だからできたこと。あと味に関しては、間違いなく「かわいい部活の後輩バフ」がかかっていた。我々はそれぞれ卒業を機に箱根の山を降り、その後それぞれそこそこ大人になったので仮に手作りお菓子をあげてもあの頃の甘酸っぱい感じはもうないどころか、(別に大して美味しくないな……?)みたいな反応が返ってくる可能性がある。とにかく、ふたりでアップルパイが焼けるのを待った日のような、あの感じはもう今の私には無理!
「……焦げたクッキーも膨らんでないケーキも……今更食べたくないでしょ」
「……焦げ……焦げてたことなんてあったかな」
「あったよ、焼きすぎの時……」
「焼きすぎ……?」
本気で思い出そうとしてる姿を見て肩の力が抜ける。そういえばちょーっと焼きすぎたクッキーも大真面目においしいよって食べてたなあ……あれは可愛い後輩の手作りだから多少の焦げも許容してくれたのだと思ってたけど、もしかして、そもそもあんまり気にしてなかったのかも……この人はそんな味にうるさくないし、そもそも変だし。
「……なに?」
「買ってくれたチョコも嬉しかったよ。美味しかった」
「フランスのやつだもん、当たり前でしょ」
「うん」
「でも手作りの方が嬉しいの?」
「どちらが嬉しいとか比べるつもりじゃないけど、そうだね……やっぱり思い出深いのは手作りの方かな」
……ふーん。絶対買った方が写真映えするし、おいしいのに。絶対、そっちのがおいしいのに……!
でも昔から何か作って嫌そうにされたことはなかったと、思う。いやあったかな……?バレンタインにプロテインの粉持参した高校1年生の時は呆れられた。でもとにかく高校生の時、特にインターハイに向けて主将を頑張っていた頃は食べるものにも気を遣っていた。神経質なほどに。その頃の印象が強いせいで泉田さん達が引退した後も、何か作る時はなるべくバターの塊を見せないように気をつけてたし、貴重な糖と脂質を食べるチャンスをここで使っちゃっていいのかなあといつも思ってた。小田原とか降りてもっといいもの……ケンタッキーとかサーティワンとか、食べた方が良くない?って思ってた。何か作った時は冷たく断られても傷つかないようにって、まさか食べませんよね?の期待を込めて「食べますか?」って聞いて、「食べるよ」って言われる度に舞い上がってた。
大学生になって、そういうことしてたのがすごく子どもっぽく思えて、恥ずかしかった。もはや黒歴史に認定してた。でも、もしかしてこの人にとってはずっと、そうじゃなかったのかも。そうだとしたら。
「ホントに手作りでいいって思ってる……?変な気使ってない?」
「使ってないよ」
「そ、そっかあ……」
「うん」
アッサリ頷かれてなんか、拍子抜けって感じだ。別に、高いチョコあげなくても良かったのかなあ。
思い出すのはかつてのバレンタイン、運転再開直後の満員電車で押しつぶされながらケーキ抱えてた日。とにかく遠いし暑いし、せっかくセットした髪もぐちゃぐちゃ、汗だくで、惨めで、デートが丸潰れなのは確定で、電車に乗りながら半泣きだったし、本当は駅で会った途端に大泣きしたかった。
次の年、背伸びしてデパートでチョコを買って、小さい紙袋ひとつで電車に飛び乗った時はすごく大人になった気がした。一個上で、かなり変だけどしっかりしてる年上の恋人にちょっと釣り合った気がしたというか、子どもっぽくないとこ見せられた気がしたというか。あの頃はなんとかして釣り合いたくて、認めて欲しくて。何をするにも気合いが入ってたし必死だったけど、もうそんなことしなくていいのかもしれない。本当に、いいのかなあ。
「今度……何か作ったら持ってくるね。待って、やっぱり料理教室通ってから……」
……とりあえず、お菓子系のコースに通った方がいいかな?と取り出したスマホを没収されて、手の届かないところへ追いやられる。取り返そうとして、指先が触れる。視線が合う。全く仕方ないなという顔をしている。この顔は。
「……そのままでいいって言いたいんでしょ」
「よくわかってるじゃないか」
簡単に頷いてくれるけど、そのままでいいって言うけど、それが難しい。こっちは長い間なんとか釣り合いたくて背伸びしてるのがデフォルトだったから。今更言われましても、っていうか。納得のいかない顔をしていたからか、笑われて、またひとつチョコレートが口に差し出される。最後の一個だ。キャラメルソースの、いちばん甘いやつ。
バレンタインのプレゼントなんだよ、本命なんだよ、仕事の後に買いに行ってね、会場混んでて大変だったの、などなど言いたい気持ちはあるけど、全部やめておいた。私は遠慮せずにそのまま食べる。
「おいしい?」
「おいしいです」
「なんでまた敬語に」
「べ、つに……」
嘘。昔みたいな顔してたから思わず敬語が出ちゃった。「甘えてほしい」って言うけど、結局のところそのやり方がよくわからないんだよな。甘えるって何?とりあえず、身体接触ってことでいいのかなって解釈してそれに逃げがち。体の力を抜いて寄りかかる。
つけたままのテレビ。次は何を見ようか相談しようと思って、寄りかかったまま「リモコン取って」と口にする。一応、甘えてみた……つもり。「退いてくれないと取れない」という回答を期待していたのに、なぜか塔一郎は「よし」と頷いて、脇に手を突っ込んできた。い、嫌な予感がする。身を捩って、どんな顔をしているのか恐々見上げる。何も言わない代わりに嬉しそうな顔をしていた。
「いい、やっぱ自分で取るっ」
それも無視されて、膝裏を引き寄せられる。逃げ出そうとしても力の差で普通に無理。あー!一見プロレス技をかけられてるように見える、これは!
ジタバタ暴れる私を見て笑いが堪えきれなくなったのか、肩が揺れる。合図のように、私を抱える腕に力が加えられ、私は一瞬抵抗を止める。その隙にガッチリ抱え込まれて悪手だったと気づく。これは、まずい。
「アブレディ?」
「いい、いいってば!!」
お姫様抱っこ !こちらの動きが止まったのを好機と見たか、そのままテンポ良く持ち上げられる。ああ、いつもの、回避ならず……!項垂れる私をよそに塔一郎は何事もなかったかのようにそのままリモコン回収、「次は何を見ようか、シクロの世界選手権はもう見たんだろう?」なんてウキウキしている。「なんでもいいから早く下ろして」という私の訴えは聞かなかったことにしたらしい。
これ、最初は「褒めてあげる」の意味だったはすが、あれから何年も経ってこの行為には今やお仕置きというか、見せしめの意味すら含まれている。あれはまだ私たちが大学生の時、お酒が飲めるようになってすぐの頃。自転車部の集まりで悪い飲み方をした結果、帰る時に靴が履けなくなっちゃってコレをやられたことがある。下ろしてもらった後、説教されながら靴履かせてもらって、おんぶで下宿まで帰った。みんなに見られて、普通に大恥だった。あの時のせいで「名前はこれでおとなしくなる」と思われている。最近はそこまで羽目を外した飲み方をしてないというか怒られるようなこともないから、コレも久しぶりだ……待って、これ普通に恥ずかしい。
「お、下ろして……」
「何か言ったかい?」
だめだ、こうなったら早く次に見るやつ決めた方がいい。お互いのためにも!私が次に見るもの決めるのが先か、塔一郎の腕が限界迎えるのが先か……私は叫び出したいのを堪えて一旦冷静になり、空いてた右手も首に回した。
簡単そうに持ち上げてくれるけど、腕の力だけで抱えるのって普通に大変なことで、くっついた方が軽いらしいから。そう、少しでも軽いと思われたい……それくらいの乙女心は今の私にもまだ、残っているのだ。
「こっちのことは気にしないで!でもどれが良かったかは教えて!」
「食べづらいよ」
「お・し・え・て!」
今年もバレンタインの調査の後、デパートに繰り出して無事チョコレートを購入。メジャーなブランドのバレンタイン限定品……という定番に走ってしまったけど、まあまあ悪くないと思う。「せっかく渡すなら味に責任を持つべきだよね!」という理由で自分も同じのを買って既に食べた。だから味はわかってるんだけど。
海外レースのデイリーハイライトをチェックしながらおやつ休憩。バレンタイン仕様のツヤツヤきらきらのチョコは小さな紙箱にたったの6粒しか入ってない。
「どれがいちばん美味しかった?」
「真ん中のバニラ!」
「これ?」
「むぐ」
躊躇いなく真ん中のバニラフレーバーを摘んで、自分で食べるかと思いきやこちらに押し付ける。私はめちゃくちゃ油断してたから、そのままバランスを崩してソファに転がった。「絶対要らないと思う」って言われたのをなんとか説得して買ったソファは2人掛けにしてはやや小さい。
「食べたくて言ったんじゃないの、何が美味しかったか聞いて来年の参考にしたいの!」
私はひっくり返った上体をなんとか起こしてから言い返す。私が無い腹筋で一生懸命起き上がったのを塔一郎は微笑ましいものでも見るみたいな顔して見下ろした。
「どれも美味しかったよ」
「さ、参考にならない……」
恋人的には満点回答かもしれないけど、そういうのは全然求めてない。参考にならなすぎる。せっかくおいしいって教えてあげたんだから、食べてほしい。バニラのチョコを口元に押し付け返すと、素直に食べた。それを見て、私は口を開く。
「今までもらった中だとどれが好き?去年の方が良かった?」
やっぱ一昨年の有名デパートのセレクション系の方が良かったかな?毎年真剣にリサーチするのは、大分好みを掴んできたんじゃないかと自負しているんだけど、それでもまだ「大正解」を叩き出せてない気するから。
「どれも美味しかったけど……」
「うんうん」
「あれかな、チョコのケーキ」
「チョコのケーキ」
「何年前だったかな……電車が止まって大変だった時の……」
「て、手作り!?」
結構昔のやつだ。それこそ付き合って2回目とかの。今でも覚えてる、手作りチョコケーキ持参で茨城に行こうとしたら架線トラブルが何かで運転見合わせになったことがあった。午前中に茨城に着く予定が運転再開まで時間を要し、なんとかつくばまで辿り着いたもののデートの予定はほとんどキャンセル。夜中に焼いたチョコケーキは運転再開直後の激混み電車で揉まれて全体的にちょっと潰れていた。すごくショックで、次の年からは手作りやめたいって言った。アレ!?アレがいちばん!?
「絶対うそ、思い出補正入ってる!」
「入ってないよ」
「……名前が半泣きで茨城まで持ってきたから加点が付いたの?」
「そうだね、確かにあれは可愛らしかったけど……」
「変態だ……!」
「何を今更」
何を今更って、カワイイカノジョの涙で喜ぶのは普通に変態でしょう。本人は学生時代から言われ慣れすぎて多分ワード自体には何も感じてないけど。
納得いかない私の顔を見て、塔一郎は箱に残ったチョコをひとつ摘み、私の口に押し込む。今度は黙って受け入れることにして、私はダークチョコを噛み砕いた。具はパンプルムース。柑橘系ってどうなんだろう。個人的には正直微妙だけど、この人はどうだろう、昔からよくわからない。例のチョコケーキだって、どんな顔して食べてたか全く思い出せない。いや、あれはショックすぎて記憶を消し去ったんだろう。仕方ないでしょ、あの頃は遠距離だったし今よりずっと子どもだったから、たまのデートに命かけてた。今はもうちょっと気軽に会える距離だし、そこまで思い詰めたりすることもない。
「最近また色々焼いてるんだろう?うちには全然持ってこないから」
「なんで知ってるの!?」
「秘密」
私は最近オーブンレンジを買い替えたばかりで、ここ最近休みの日にお菓子を焼くのにハマっている。適当に野菜とチーズ入れたケークサレを朝ごはんにしたり、アイスボックスクッキーをたくさん焼いて近くに住んでる友達に押し付けたり、凝ったやつじゃなくて簡単なやつばかりだけど結構楽しい。完全にストレス発散目的、自己満足の趣味だ。映えないから写真も撮ってないし、バレてたとは思わなかった。最近おやつ押し付けた元自転車仲間の顔を順番に思い出す。その辺りの誰かがうっかり漏らしたんだろうけど、全然見当がつかない。
「も、もういいでしょ……散々食べさせられて飽きたでしょ」
顔が熱い。高校の時もたまに何か焼いては部員に押し付けていた。安上がりでストレス解消になっておまけに部員の胃袋掴めて、割といい趣味だったと思う。今思えばどれも高校生のお遊びクオリティだったし、ちょっと走ってコンビニ行けば普通に美味しいおやつが買えた。今となっては自信満々に押し付けてたのか恥ずかしい。大人になってわかったこと、お菓子とパンは絶対手作りより買った方が美味しい。
「あの頃は飢えた男子高校生だったからおいしく感じただけだよ……言ってたでしょ、黒田さんが『飢えは最高のスパイスがナントカ』って、今食べたら絶対コンビニのやつの方が美味しいって感じるって!」
「味に自信がないから嫌……ということ?」
「ううう……どうしてわかってくれないんだ……」
塔一郎は私が渋い顔をするのに、至極不思議そうに首を傾げる。自信?そんなものは今も昔もない。若さと遠慮のなさがあっただけ。黒歴史を思い出して唸ってるうちにするりと腕が伸びてきて、私は逃げる間もなく捕まってしまった。視線が合う。「詳しく説明してくれるね」の意味だ。
視線を逸らす。逃げようにも狭いソファじゃ逃げ場がないが、今更詳しく説明するつもりもない。ソファ、説得してもっと大きいの買うんだったな……現実逃避しても状況は変わらない。
我々がまだ高校生だった時、「泉田さん」は最後のインハイの後、代替わりを境にして雰囲気が変わった。本人は意識して切り替えていたみたいだけど、それはもうガラッと。厳しいキャプテンの顔しか知らなかった1年生などはかなり驚いていた。そして、お誕生日然りバレンタイン然り、その他細々した手作りのお菓子なんかをあげた時の反応というかなんというか、そういうのが変化したことには流石の私も気づいていた。
……結論!何が嫌かというと手作りお菓子をあげてもあの頃みたいな胸の締め付けられるようなドキドキしたりソワソワする感じは戻ってこないどころか、ガッカリさせるのが目に見えてるから、嫌!
あれは若くて何も知らなかった高校生の頃だからできたこと。あと味に関しては、間違いなく「かわいい部活の後輩バフ」がかかっていた。我々はそれぞれ卒業を機に箱根の山を降り、その後それぞれそこそこ大人になったので仮に手作りお菓子をあげてもあの頃の甘酸っぱい感じはもうないどころか、(別に大して美味しくないな……?)みたいな反応が返ってくる可能性がある。とにかく、ふたりでアップルパイが焼けるのを待った日のような、あの感じはもう今の私には無理!
「……焦げたクッキーも膨らんでないケーキも……今更食べたくないでしょ」
「……焦げ……焦げてたことなんてあったかな」
「あったよ、焼きすぎの時……」
「焼きすぎ……?」
本気で思い出そうとしてる姿を見て肩の力が抜ける。そういえばちょーっと焼きすぎたクッキーも大真面目においしいよって食べてたなあ……あれは可愛い後輩の手作りだから多少の焦げも許容してくれたのだと思ってたけど、もしかして、そもそもあんまり気にしてなかったのかも……この人はそんな味にうるさくないし、そもそも変だし。
「……なに?」
「買ってくれたチョコも嬉しかったよ。美味しかった」
「フランスのやつだもん、当たり前でしょ」
「うん」
「でも手作りの方が嬉しいの?」
「どちらが嬉しいとか比べるつもりじゃないけど、そうだね……やっぱり思い出深いのは手作りの方かな」
……ふーん。絶対買った方が写真映えするし、おいしいのに。絶対、そっちのがおいしいのに……!
でも昔から何か作って嫌そうにされたことはなかったと、思う。いやあったかな……?バレンタインにプロテインの粉持参した高校1年生の時は呆れられた。でもとにかく高校生の時、特にインターハイに向けて主将を頑張っていた頃は食べるものにも気を遣っていた。神経質なほどに。その頃の印象が強いせいで泉田さん達が引退した後も、何か作る時はなるべくバターの塊を見せないように気をつけてたし、貴重な糖と脂質を食べるチャンスをここで使っちゃっていいのかなあといつも思ってた。小田原とか降りてもっといいもの……ケンタッキーとかサーティワンとか、食べた方が良くない?って思ってた。何か作った時は冷たく断られても傷つかないようにって、まさか食べませんよね?の期待を込めて「食べますか?」って聞いて、「食べるよ」って言われる度に舞い上がってた。
大学生になって、そういうことしてたのがすごく子どもっぽく思えて、恥ずかしかった。もはや黒歴史に認定してた。でも、もしかしてこの人にとってはずっと、そうじゃなかったのかも。そうだとしたら。
「ホントに手作りでいいって思ってる……?変な気使ってない?」
「使ってないよ」
「そ、そっかあ……」
「うん」
アッサリ頷かれてなんか、拍子抜けって感じだ。別に、高いチョコあげなくても良かったのかなあ。
思い出すのはかつてのバレンタイン、運転再開直後の満員電車で押しつぶされながらケーキ抱えてた日。とにかく遠いし暑いし、せっかくセットした髪もぐちゃぐちゃ、汗だくで、惨めで、デートが丸潰れなのは確定で、電車に乗りながら半泣きだったし、本当は駅で会った途端に大泣きしたかった。
次の年、背伸びしてデパートでチョコを買って、小さい紙袋ひとつで電車に飛び乗った時はすごく大人になった気がした。一個上で、かなり変だけどしっかりしてる年上の恋人にちょっと釣り合った気がしたというか、子どもっぽくないとこ見せられた気がしたというか。あの頃はなんとかして釣り合いたくて、認めて欲しくて。何をするにも気合いが入ってたし必死だったけど、もうそんなことしなくていいのかもしれない。本当に、いいのかなあ。
「今度……何か作ったら持ってくるね。待って、やっぱり料理教室通ってから……」
……とりあえず、お菓子系のコースに通った方がいいかな?と取り出したスマホを没収されて、手の届かないところへ追いやられる。取り返そうとして、指先が触れる。視線が合う。全く仕方ないなという顔をしている。この顔は。
「……そのままでいいって言いたいんでしょ」
「よくわかってるじゃないか」
簡単に頷いてくれるけど、そのままでいいって言うけど、それが難しい。こっちは長い間なんとか釣り合いたくて背伸びしてるのがデフォルトだったから。今更言われましても、っていうか。納得のいかない顔をしていたからか、笑われて、またひとつチョコレートが口に差し出される。最後の一個だ。キャラメルソースの、いちばん甘いやつ。
バレンタインのプレゼントなんだよ、本命なんだよ、仕事の後に買いに行ってね、会場混んでて大変だったの、などなど言いたい気持ちはあるけど、全部やめておいた。私は遠慮せずにそのまま食べる。
「おいしい?」
「おいしいです」
「なんでまた敬語に」
「べ、つに……」
嘘。昔みたいな顔してたから思わず敬語が出ちゃった。「甘えてほしい」って言うけど、結局のところそのやり方がよくわからないんだよな。甘えるって何?とりあえず、身体接触ってことでいいのかなって解釈してそれに逃げがち。体の力を抜いて寄りかかる。
つけたままのテレビ。次は何を見ようか相談しようと思って、寄りかかったまま「リモコン取って」と口にする。一応、甘えてみた……つもり。「退いてくれないと取れない」という回答を期待していたのに、なぜか塔一郎は「よし」と頷いて、脇に手を突っ込んできた。い、嫌な予感がする。身を捩って、どんな顔をしているのか恐々見上げる。何も言わない代わりに嬉しそうな顔をしていた。
「いい、やっぱ自分で取るっ」
それも無視されて、膝裏を引き寄せられる。逃げ出そうとしても力の差で普通に無理。あー!一見プロレス技をかけられてるように見える、これは!
ジタバタ暴れる私を見て笑いが堪えきれなくなったのか、肩が揺れる。合図のように、私を抱える腕に力が加えられ、私は一瞬抵抗を止める。その隙にガッチリ抱え込まれて悪手だったと気づく。これは、まずい。
「アブレディ?」
「いい、いいってば!!」
これ、最初は「褒めてあげる」の意味だったはすが、あれから何年も経ってこの行為には今やお仕置きというか、見せしめの意味すら含まれている。あれはまだ私たちが大学生の時、お酒が飲めるようになってすぐの頃。自転車部の集まりで悪い飲み方をした結果、帰る時に靴が履けなくなっちゃってコレをやられたことがある。下ろしてもらった後、説教されながら靴履かせてもらって、おんぶで下宿まで帰った。みんなに見られて、普通に大恥だった。あの時のせいで「名前はこれでおとなしくなる」と思われている。最近はそこまで羽目を外した飲み方をしてないというか怒られるようなこともないから、コレも久しぶりだ……待って、これ普通に恥ずかしい。
「お、下ろして……」
「何か言ったかい?」
だめだ、こうなったら早く次に見るやつ決めた方がいい。お互いのためにも!私が次に見るもの決めるのが先か、塔一郎の腕が限界迎えるのが先か……私は叫び出したいのを堪えて一旦冷静になり、空いてた右手も首に回した。
簡単そうに持ち上げてくれるけど、腕の力だけで抱えるのって普通に大変なことで、くっついた方が軽いらしいから。そう、少しでも軽いと思われたい……それくらいの乙女心は今の私にもまだ、残っているのだ。
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