去る春、君の声だけが在るIF
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「熊本レース、ですか?」
部室でのパソコン作業中のこと。福富キャプテン、東堂さん、荒北さん……今年のインハイメンバーの半分が急に訪ねてきてどんな深刻な話かと思ったら。熊本で開催されるレースに出るらしい。へー、九州……遠いな。
「えーと……いつでしたっけ」
「9月」
「すぐじゃないですか!!」
大声が出たけど、福富さんは眉をひそめて「そうだ」と言っただけだった。き、聞いてないよ……!
私は慌てて今井さんから送られてきたばかりの9月の予定表を見る。その週は取材と、レース……はあるけど3年が例年出ないやつ……ねじ込めなくはない。それから手帳を開く。マネの先輩たちが教えてくれた全国各地で開催されるレースのリストのページ。例年ハコガクが参加するレースの中に9月の熊本はない……第1回開催というわけではなさそうだが。いいのかな?こんな急に……出ます!って言って出ていいものなのかな?私のところに来たってことは手続きの関係だろうけど、1年マネージャーにはその辺りの判断が難しい。ううう……唸っても答えは出ない。
首を傾けた拍子に短く切った髪が頬にかかる。この長さには、まだ慣れない。
「一回今井さんに確認していいですか」
「やめろやめろ!」
「取材の日程、熊本と被るんですけど、どうしようかなって」
「今井には!オレから確認しておく!」
「そうですか」
東堂さんは「全く……隼人がいないからこんなことに……」とブツブツ言いながら折りたたみの携帯を開く。今井さんには東堂さんから話をつけてくれるようだ。やっぱり今井さんには相談してなかったんだな……
ここで隼人くんの名前が出るのも私には少し理解し難いのだけど、3年生の……というか、隼人くんと今井さん・あるいは福富さんと今井さんの関係性は言葉にし難い距離感というか複雑さというか……がある。別に特別仲が悪いとかそういうわけではないはずだ。
どんな事情か詳しくは知らないが、あんなに人当たりのいい隼人くんがなぜか今井さんに対しては妙に塩なのは恐ろしく複雑な事情があるように思えて、私はその辺り詳しく聞かないようにしている。藪蛇の予感がするから。
「レースの概要だ」
「ありがとうございます」
熊台激推しのチラシを福富さんから受け取る。あ、井瀬さんいる。今年の熊台はこの写真のど真ん中に映る吉本さんを欠いた状態でのインハイ出場だった。ど真ん中にいるけど、出るんだろうか。
エース欠場ということもあり、今年のインハイでは熊台はあんまり重視していなかったはずだ。ますます謎で、私は首を傾げる。
「今年の熊台フルメンバーがどんなものだったか気になるんですか?」
「総北が出場する」
「え」
私はチラシから顔を上げ、福富さんの顔を見た。いつもの顔。荒北さんはヤレヤレみたいな顔で、東堂さんの表情は……読めなかった。いつもなら総北と聞けば大はしゃぎするだろうに、冷静そのもの。いや違う、無理矢理に押し込めて冷静をとり繕っている。今、東堂さんの気持ちは全くレースに向いていない。何か、懸念が。どんな感情か読み取ろうと私は東堂さんの顔をじっと見たが、よくわからない。
「総北……」
「ウチは例年参加していないが、総北が来るというのなら行かない理由はあるまい」
「そうでしょう、ね……」
その通りだけど……その通りなんだけど。一旦違和感は飲み込んで、東堂さんの言葉に頷く。負けっぱなしではいられない、という意味だろう。
と、なるとメンバーは……私は膝の上で握っていた拳を解いてマウスに乗せると、とあるフォルダを開いた。いつも騒がしい先輩方がお喋りをしないでいるから、静かな部室にはダブルクリックする音だけが響く。焦ったくなるほどの時間をかけて見慣れた画面になる。これは箱根学園歴代部員による叡智の結晶、簡単な入力だけで遠征関係の書類を作成できるようになっているエクセルファイル。
まずは参加する選手の6枠、それからサポート参加の枠を埋めるところから。このファイルの勝手を知っている福富さんはパソコンを覗き込むこともなく、腕組みしたまま宣言する。
「当然、フルメンバーだ」
「ですよね……」
その言葉の通りに別シートから6人選択してコピペ。フルメンバーか……夏前だったら「容赦ないですね」って笑えたかもしれないけど、今は少し不安だ。真波、大丈夫だろうか。現在絶不調だけど、総北も同じくフルメンバーで来るなら小野田がいる。1年生クライマー同士、戦況次第でぶつけられるようなことも十分考えられる。それから個人的には泉田さんの件も心配で……
私が思い悩むのを断ち切るように、福富さんは言葉を、続ける。
「サポートだが、部会に掛け合った結果ひとりのみということになった」
「……えっ」
「インターハイでの成績云々より、まあ公欠の関係だな。参加すると、金月火の3日間休むことになる」
「はい」
東堂さんの淡々とした声音に嘘はない。そうか、それなら良かった。インハイで成績を残せないと部費や臨時の予算に関わるという話はマネの先輩方から聞かされていた。
2位だって十分素晴らしい成績なのに、それが今後の部費に多少影響する可能性を3年生の先輩方は心配している。今井さんは次代のチームに注目してもらおうと以前にもまして取材を積極的に受け入れ、福富さんと東堂さんは代替わりの直後から理事会やOB会に話をしに行ってくれた。敗北からスタートした新チームは前途多難だ。
「気にすることはない、去年だって最初から万事順調にとは行かなかった……そうだろう?」
東堂さんはちらりと福富さんに視線をやり、荒北さんはまたしても舌打ちしたが、福富さんの表情は変わらない。1年前も「色々大変だった」とは聞いているが、その辺りのことを我々1年生はあまり詳しくは知らない。ほらチャリ部って隠蔽体質だから。
しかしフルメンバーのサポートなら気心知れた3年生か、それか次代を引っ張る2年生……1年には少し荷が勝ちすぎるかも。2日間の短いレースとはいえ、フルメンをひとりでサポートするのは大仕事だ。福富さんが口を開く。
「今回のサポートには苗字、お前が入れ」
「わ、私ですか……!」
予想を裏切る、まさかの指名。私は動揺を隠せないまま、福富さんを見上げた。何を考えているかちっともわからない、いつもの顔。先輩達や優秀な同期を差し置いて、私が……なんで私?普通に考えたら、いちばん最初に候補から外れるだろうに。
「……私は行きません。2年3年の先輩方じゃ都合が悪いっていうなら、レイさん……高田城を連れてってください」
掠れた声、ビビってるのはバレバレだった。その証に荒北さんは舌打ちしたし、東堂さんは険しい顔でこちらを見下ろす。
「遠慮しているのか?それとも箱根学園が二度も負けると恐れているのか?」
東堂さんは私の態度が気に障ったようで、冷たい声で吐き捨てた。
「いえ、気になることがあるので……少し調べておきたくて。その期間はちょっと」
嘘じゃない、調べておきたいことはいくつもある。東堂さんも知っているはずだ。私が部内の選手のデータを刷新するべく日々パソコンに齧り付いていること。県内どころか全国の有力選手を見て回るために毎週末忙しくしていること。咄嗟の言い訳だけど、全部嘘というわけでもない。
荒北さんは3回目の舌打ちをして、流石に耐えかねたのか東堂さんが「荒北!ついてくるなら静かにしていろと言ったはずだ!」と咎める。福富さんはそれも無視して私の名前を呼ぶ。
「苗字」
「……」
沈黙したままでいると、すかさず東堂さんのお叱りが飛んでくる。
「返事」
「はい」
福富体制は副主将の東堂さんが細かいところによく気がついて、今みたいに福富さんに先回って部員を叱って……という強豪運動部のお手本のようなスタイルだった。新体制は黒田さんがよく気づき後輩指導が上手い、でも泉田さんもアレコレ言う方だからこういう風には行かないだろうな……現実逃避中の思考は福富さんの発言で現実に引き戻された。
「お前は新開のスプリントを見なくていいのか」
福富さんの……寿一くんの表情は本当にいつも通りだった。彼にとって、当たり前の事実を確認しただけのようで。「新開のスプリント」、それは箱根学園のエーススプリンターの誇りで、私が憧れた隼人くんの走り。インターハイでは見れなかった。2日目、私はその場にいなくて、結果を速報で聞いただけだった。
「今回のレースだが、今年のインターハイに出場した主要校の参加が予定されている。全国トップクラスの選手と競うことになるだろう」
「……そうなんですね」
「新開は勝つつもりでいる。オレもそう確信している。お前はどうだ」
「……」
福富さんは一度言葉を切る。どうって。そんな……隼人くんは強いけど、勝てるかどうかなんて、そんなのわからないじゃないか。
私の心臓はドキドキ鳴っていて、次に何を言われるのかと怯えていた。東堂さんも荒北さんも黙っていて、つまりそれは福富さんと同じ意見だからで、この場において私が頼れる人はいなかった。
「お前は、見なくていいのか。見たくないのか」
福富さんが繰り返す。息が止まる。箱根学園のエーススプリンターとしての隼人くんの走り。とにかく速くて他人を圧倒し突き放す、箱根の直線鬼。
1日目、橋の上に設けられたスプリントライン。真っ白の鉄橋、風を切って走って、一番に通過する、その姿。そんなの……
「……見たい」
静かな部室に、私の声は響いた。そんなの見たいに決まってる……しかし拗ねたような声音が恥ずかしくて今すぐ撤回したいと思った。
「そうか」
寿一くんは口を緩めて、フと小さく息を漏らした。いつも騒がしい東堂さんも荒北さんも笑わなかった。こうして私の熊本レース帯同が決まった。
部室でのパソコン作業中のこと。福富キャプテン、東堂さん、荒北さん……今年のインハイメンバーの半分が急に訪ねてきてどんな深刻な話かと思ったら。熊本で開催されるレースに出るらしい。へー、九州……遠いな。
「えーと……いつでしたっけ」
「9月」
「すぐじゃないですか!!」
大声が出たけど、福富さんは眉をひそめて「そうだ」と言っただけだった。き、聞いてないよ……!
私は慌てて今井さんから送られてきたばかりの9月の予定表を見る。その週は取材と、レース……はあるけど3年が例年出ないやつ……ねじ込めなくはない。それから手帳を開く。マネの先輩たちが教えてくれた全国各地で開催されるレースのリストのページ。例年ハコガクが参加するレースの中に9月の熊本はない……第1回開催というわけではなさそうだが。いいのかな?こんな急に……出ます!って言って出ていいものなのかな?私のところに来たってことは手続きの関係だろうけど、1年マネージャーにはその辺りの判断が難しい。ううう……唸っても答えは出ない。
首を傾けた拍子に短く切った髪が頬にかかる。この長さには、まだ慣れない。
「一回今井さんに確認していいですか」
「やめろやめろ!」
「取材の日程、熊本と被るんですけど、どうしようかなって」
「今井には!オレから確認しておく!」
「そうですか」
東堂さんは「全く……隼人がいないからこんなことに……」とブツブツ言いながら折りたたみの携帯を開く。今井さんには東堂さんから話をつけてくれるようだ。やっぱり今井さんには相談してなかったんだな……
ここで隼人くんの名前が出るのも私には少し理解し難いのだけど、3年生の……というか、隼人くんと今井さん・あるいは福富さんと今井さんの関係性は言葉にし難い距離感というか複雑さというか……がある。別に特別仲が悪いとかそういうわけではないはずだ。
どんな事情か詳しくは知らないが、あんなに人当たりのいい隼人くんがなぜか今井さんに対しては妙に塩なのは恐ろしく複雑な事情があるように思えて、私はその辺り詳しく聞かないようにしている。藪蛇の予感がするから。
「レースの概要だ」
「ありがとうございます」
熊台激推しのチラシを福富さんから受け取る。あ、井瀬さんいる。今年の熊台はこの写真のど真ん中に映る吉本さんを欠いた状態でのインハイ出場だった。ど真ん中にいるけど、出るんだろうか。
エース欠場ということもあり、今年のインハイでは熊台はあんまり重視していなかったはずだ。ますます謎で、私は首を傾げる。
「今年の熊台フルメンバーがどんなものだったか気になるんですか?」
「総北が出場する」
「え」
私はチラシから顔を上げ、福富さんの顔を見た。いつもの顔。荒北さんはヤレヤレみたいな顔で、東堂さんの表情は……読めなかった。いつもなら総北と聞けば大はしゃぎするだろうに、冷静そのもの。いや違う、無理矢理に押し込めて冷静をとり繕っている。今、東堂さんの気持ちは全くレースに向いていない。何か、懸念が。どんな感情か読み取ろうと私は東堂さんの顔をじっと見たが、よくわからない。
「総北……」
「ウチは例年参加していないが、総北が来るというのなら行かない理由はあるまい」
「そうでしょう、ね……」
その通りだけど……その通りなんだけど。一旦違和感は飲み込んで、東堂さんの言葉に頷く。負けっぱなしではいられない、という意味だろう。
と、なるとメンバーは……私は膝の上で握っていた拳を解いてマウスに乗せると、とあるフォルダを開いた。いつも騒がしい先輩方がお喋りをしないでいるから、静かな部室にはダブルクリックする音だけが響く。焦ったくなるほどの時間をかけて見慣れた画面になる。これは箱根学園歴代部員による叡智の結晶、簡単な入力だけで遠征関係の書類を作成できるようになっているエクセルファイル。
まずは参加する選手の6枠、それからサポート参加の枠を埋めるところから。このファイルの勝手を知っている福富さんはパソコンを覗き込むこともなく、腕組みしたまま宣言する。
「当然、フルメンバーだ」
「ですよね……」
その言葉の通りに別シートから6人選択してコピペ。フルメンバーか……夏前だったら「容赦ないですね」って笑えたかもしれないけど、今は少し不安だ。真波、大丈夫だろうか。現在絶不調だけど、総北も同じくフルメンバーで来るなら小野田がいる。1年生クライマー同士、戦況次第でぶつけられるようなことも十分考えられる。それから個人的には泉田さんの件も心配で……
私が思い悩むのを断ち切るように、福富さんは言葉を、続ける。
「サポートだが、部会に掛け合った結果ひとりのみということになった」
「……えっ」
「インターハイでの成績云々より、まあ公欠の関係だな。参加すると、金月火の3日間休むことになる」
「はい」
東堂さんの淡々とした声音に嘘はない。そうか、それなら良かった。インハイで成績を残せないと部費や臨時の予算に関わるという話はマネの先輩方から聞かされていた。
2位だって十分素晴らしい成績なのに、それが今後の部費に多少影響する可能性を3年生の先輩方は心配している。今井さんは次代のチームに注目してもらおうと以前にもまして取材を積極的に受け入れ、福富さんと東堂さんは代替わりの直後から理事会やOB会に話をしに行ってくれた。敗北からスタートした新チームは前途多難だ。
「気にすることはない、去年だって最初から万事順調にとは行かなかった……そうだろう?」
東堂さんはちらりと福富さんに視線をやり、荒北さんはまたしても舌打ちしたが、福富さんの表情は変わらない。1年前も「色々大変だった」とは聞いているが、その辺りのことを我々1年生はあまり詳しくは知らない。ほらチャリ部って隠蔽体質だから。
しかしフルメンバーのサポートなら気心知れた3年生か、それか次代を引っ張る2年生……1年には少し荷が勝ちすぎるかも。2日間の短いレースとはいえ、フルメンをひとりでサポートするのは大仕事だ。福富さんが口を開く。
「今回のサポートには苗字、お前が入れ」
「わ、私ですか……!」
予想を裏切る、まさかの指名。私は動揺を隠せないまま、福富さんを見上げた。何を考えているかちっともわからない、いつもの顔。先輩達や優秀な同期を差し置いて、私が……なんで私?普通に考えたら、いちばん最初に候補から外れるだろうに。
「……私は行きません。2年3年の先輩方じゃ都合が悪いっていうなら、レイさん……高田城を連れてってください」
掠れた声、ビビってるのはバレバレだった。その証に荒北さんは舌打ちしたし、東堂さんは険しい顔でこちらを見下ろす。
「遠慮しているのか?それとも箱根学園が二度も負けると恐れているのか?」
東堂さんは私の態度が気に障ったようで、冷たい声で吐き捨てた。
「いえ、気になることがあるので……少し調べておきたくて。その期間はちょっと」
嘘じゃない、調べておきたいことはいくつもある。東堂さんも知っているはずだ。私が部内の選手のデータを刷新するべく日々パソコンに齧り付いていること。県内どころか全国の有力選手を見て回るために毎週末忙しくしていること。咄嗟の言い訳だけど、全部嘘というわけでもない。
荒北さんは3回目の舌打ちをして、流石に耐えかねたのか東堂さんが「荒北!ついてくるなら静かにしていろと言ったはずだ!」と咎める。福富さんはそれも無視して私の名前を呼ぶ。
「苗字」
「……」
沈黙したままでいると、すかさず東堂さんのお叱りが飛んでくる。
「返事」
「はい」
福富体制は副主将の東堂さんが細かいところによく気がついて、今みたいに福富さんに先回って部員を叱って……という強豪運動部のお手本のようなスタイルだった。新体制は黒田さんがよく気づき後輩指導が上手い、でも泉田さんもアレコレ言う方だからこういう風には行かないだろうな……現実逃避中の思考は福富さんの発言で現実に引き戻された。
「お前は新開のスプリントを見なくていいのか」
福富さんの……寿一くんの表情は本当にいつも通りだった。彼にとって、当たり前の事実を確認しただけのようで。「新開のスプリント」、それは箱根学園のエーススプリンターの誇りで、私が憧れた隼人くんの走り。インターハイでは見れなかった。2日目、私はその場にいなくて、結果を速報で聞いただけだった。
「今回のレースだが、今年のインターハイに出場した主要校の参加が予定されている。全国トップクラスの選手と競うことになるだろう」
「……そうなんですね」
「新開は勝つつもりでいる。オレもそう確信している。お前はどうだ」
「……」
福富さんは一度言葉を切る。どうって。そんな……隼人くんは強いけど、勝てるかどうかなんて、そんなのわからないじゃないか。
私の心臓はドキドキ鳴っていて、次に何を言われるのかと怯えていた。東堂さんも荒北さんも黙っていて、つまりそれは福富さんと同じ意見だからで、この場において私が頼れる人はいなかった。
「お前は、見なくていいのか。見たくないのか」
福富さんが繰り返す。息が止まる。箱根学園のエーススプリンターとしての隼人くんの走り。とにかく速くて他人を圧倒し突き放す、箱根の直線鬼。
1日目、橋の上に設けられたスプリントライン。真っ白の鉄橋、風を切って走って、一番に通過する、その姿。そんなの……
「……見たい」
静かな部室に、私の声は響いた。そんなの見たいに決まってる……しかし拗ねたような声音が恥ずかしくて今すぐ撤回したいと思った。
「そうか」
寿一くんは口を緩めて、フと小さく息を漏らした。いつも騒がしい東堂さんも荒北さんも笑わなかった。こうして私の熊本レース帯同が決まった。
