去る春、君の声だけが在る2
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聞いた話によると、私の離脱は思っていたより大事になっていたらしい。マネメカチャットに報告はしたんだけどな……しかし泉田さんより「顔を見せて安心させてやれ」とのことで。どうやらゴール地点では結構情報が錯綜し、部員を混乱させたようだ。はい。
学校テントを覗くと、すでにゴールした人たちがいた。真波、黒田さん、葦木場さん。真波が私たちに真っ先に気づき、声を上げた。
「名前!」
「真波!葦木場さん!黒田さん!」
「よかった……倒れたりしてないかって、ユキちゃんと心配してたんだ」
「すみません、ご心配おかけしました」
「人命優先したんだろ。気にすんな」
「はい……」
話は通ってるらしく、黒田さんが「元気そうで何より」と私の肩を叩く。素直に頷けないのはその黒田さんの方が重症そうだから。いつも通り、顔にはガーゼが当てられている。残り3キロ地点で私はそこまで確認する余裕がなかったが、やっぱり流血沙汰になったらしい。
テント内で作業してた部員が居心地悪そうにそっと身じろぎした。こちらを伺い、部員同士顔を見合わせる。
「ここ人多いし、オレら出ますよ」
ギクっ!余計な気を使われてる!私なんて、明らか泣いた顔だもんな……一応冷やしたけどその後泣いたのが良くなかった。私は気配を消そうと身を縮こまらせる。
「ハッ!オレがデカいし場所取るから……」
「エッ!アッ!?オレらそんなつもりでは!」
「お前が今大会最高身長なのは今更の話だろ!気ぃ使われてんだよ!」
葦木場さんのド天然爆弾を安全にリターンできるのはやっぱり黒田さんしかない。朝ぶりの再会なのに、ものすごく長い間会ってなかったような気がする。
さて、部員が席を外してしまったので、片付けなりクールダウンなり、手伝わなければ。表彰式まで1時間を切っている。終わったらすぐバスを出す予定だし、私はテントの中でできる範囲の仕事をしなければ。
「名前」
まずコンテナを持ち上げようとして、葦木場さんの声で止まった。振り向くと、レースの気迫が嘘のように穏やかにこちらを見下ろしている。
「……3キロのところ、すごかったよ」
「え?」
「部員誰もいないのに、沿道すごい大きい声でハコガクーって叫んでた。あれ、名前でしょ」
「あ、と……」
「ちゃんと聞こえてたよ、名前がいなくても、応援ちゃんと届いたよ」
「わ、私……」
やるべきことをやったと、今は思っている。ただ唯一の心残りがあるとすれば、持ち場を離れたこと。ゴールを目指す選手の力になれなかったこと。ここにはいない悠人を思う。始めてインハイに出た1年生にもっとしてやれることがあったんじゃないかと、悔やんでいる。唇を噛む。
「オレが読み間違えた。お前らのせいじゃない」
沈黙を破り、黒田さんが静かに呟く。私と真波と、順に視線を合わせる。今なんて……黒田さんが読み間違えた?
「黒田さんのせいじゃない!」
「そうです、違います!私が!うまく立ち回れなかったから!」
真波がこんなふうに声を荒げることなんて珍しい。終盤の局面を正確に言い当てることはかなり困難で。レース最終盤でのライバルの急成長を織り込むなんてことが出来るとしたら、それはもはや神の領域である。それがわかってるから、真波は黒田さんが自分のせいだというのが許せない。
「オレがやってやる」という1年前の宣言を思い出す。黒田さんはこの1年無茶を重ねて、それでも宣言通りに「綺麗な戦績のまま夏を迎える」という偉業をやってのけた。総北は3日間、この人の策に振り回されっぱなしの苦しい戦いを強いられた。作戦を立てるキャプテン自ら捨て身の策を取るしかなくて、手嶋は3日間ギリギリの状態で走り、最後はリタイアした。頭脳を失った総北は最後は各自の判断で走るしかなく、初日も2日目も苦戦を強いられた。ハコガクも御堂筋の策で足止めを喰らったりしたけど、振り返ってみれば全部黒田さんの手のひらの上。その鮮やかな作戦を褒め称えることこそすれ、最後の最後の読み間違い……間違いですら無いそれを、責めるつもりは微塵もなかった。現に真波がいちばん怒っている。
「反省会は後にしよう。敗因の分析は全員揃ってからだ」
泉田さんの声に私たちはハッとする。そう、インハイメンバーはまだ全員が揃っていない。九十九折りより手前の救護テントにいるバシさん。それから、悠人。反省は後……その言葉が余計に胃を重くする。
「ロードレースは紳士のスポーツであり、王者箱根学園はその座にふさわしい行動をとらねばならない」
「はい」
「ボクもユキもそう君に教えてきた。この1年」
「……はい」
この1年散々聞かされた言葉だ。改めて聞くと、重たい宣告だった。私はこれまでの日々を思う。泉田さんも黒田さんもいつもそう言うけど、ハコガクだって外には出せないようなトラブルと不祥事ばっかり。
私の納得いかない顔を見ても、泉田さんは表情を崩さない。
「だから君はあそこで倒れたのが総北でも、他の学校の選手でも同じことをしただろう」
「なんでそんなこと言うんですか!」
傷口を抉るような言い方にカッとなって、大きな声が出た。友達だから、強い選手だから、その勝利に賭ける思いを少しだけ知っているから。御堂筋を助けた理由なんてそんな程度だ。
「わ、わたし、私……あそこで倒れたのが総北だったら!」
総北だったら、きっと助けなかった。あそこで倒れのたのが今泉だったら、多分助けなかった。救護を指示して、自分はさっさと応援に戻り、タイム差を測り、追い上げてくる真波を待った。
「苗字」
みんな、私がきっと何が言いたいかわかっていた。だから泉田さんは名前を呼んで止めた。わかっている、そんなこと言っていいはずないって。涙がぼろぼろ溢れて、黙って葦木場さんがタオルで私の顔を拭いた。
誰も、その言葉の続きを言ってくれるなと思っていただろうけど、幸い私は嗚咽を堪えるのに必死で、それどころじゃなかった。私は助ける人間を選択した上で、持ち場を離れた。この1年散々説かれたスポーツマンシップを私は結局のところ、本当の意味で身につけてはいない。恥ずかしかった。
「……偉かったね」
え?顔を上げる。だから、偉くない。先輩達はわかっているはず。黒田さんなんてもう、烈火の如く怒るだろうと思っていた。葦木場さんが「何が悪かったかわかるな?」って説教するだろうと思っていた。しかし穏やかに、静かに、こちらを見ていた。泉田さんが口を開く。
「君は、この1年で身につけた箱根学園にふさわしい振る舞いを、今日この場で貫いた。箱根学園を代表する人間として、ボクやユキがいなくても正しい行動をした。誇りに思うよ。……よく頑張ったね」
「……は」
体から力が抜ける。泉田さんは悠然とこちらを見て微笑んでいる。ああ、これは多分、泉田キャプテンからの労いの言葉だ。丸ごと全て泉田さんの本心としてではない。本心の上から幾重にも覆って包んで、取り繕った、当代の箱根学園のキャプテンの言葉だ。箱根学園のキャプテンは、こう言うしかなかった。この人は箱根学園のキャプテンだから、こう言うしかなかった。私が言わせた。
崩れ落ちそうになる体を真波が支えた。聞きたくないと首を振っても、真波は許さない。
「名前」
私の隣でまっすぐ前を向いて。学校テントは、選手のための空間だが、半分開かれた場である。テントの前面は通路に面し、選手の出入りのために解放され、覗こうと思えば誰でも見ることができる。一歩外に出たら、完全にバプリックだ。
今もきっと、選手に話を聞きたくて記者の人がいる。交流を求めて他校の選手がいる。だから寿一くんは泣くなら救護テントでと言ったのだ。
私が、先輩の、真波の、努力の成果を台無しにしないために。
情けなく泣き崩れ、弱音を吐くことは許さないと、泉田さんはそう言っている。それがわかっているから真波は顔を上げている。泉田さんの視線は私を貫く。葦木場さんがこちらを見下ろし、黒田さんが睨め付ける。強者然とした、先輩達の姿。
「礼を言うよ。箱根学園のキャプテンとして……本当によくやってくれた」
「ああ、1年かけて仕込んだ甲斐があった」
「……頑張ったね、名前」
本当に、「最上級の褒め言葉」だ。もし記者の人が見ているとしたらさぞ感動的な場面だろう。3日間の過酷なレースに帯同し、チームの補助だけでなく大会運営にも奔走し、今日は他校の選手の救護活動にあたった。そして総合優勝を惜しくも二度も同じ局面で逃し、泣き崩れる。そんなシーン。
先輩方の強い視線は問いかける。そんなシーンを見せてやるべきだと思うか?泉田さんはそう言っている。黒田さんと葦木場さんもそうだ。お前はこの1年、オレ達の何を見てきた?と、言葉にしなくともわかるだろうと、私に問う。
私は泉田さんが差し伸べた手を握り、崩れ落ちた体を立て直す。笑え、余裕を見せろと、言葉はなくても視線が求める。
先輩達が私に求めるものに応えたい。そして、この1年血の滲むような努力をして、これだけの結果を出した先輩方にふさわしくありたいと思う。私は顔を上げる。真波が小さく息をつき、背中を支える手を離した。
「私の方こそ、」
私はずっと先輩達に褒めて欲しかった。先輩達が憧れの先輩方の正しさを証明したかったように、私はこの人たちが正しいって間違ってないって言いたかった。ゼッケンを独占、個人表彰台の2位3位、「見たか、これが今年の箱根学園だ」って誇らしく、大はしゃぎしたかった。先輩たちはストイックで褒められることを求めなくて、それがずっと不満だった。
「私、ずっと先輩たちがすごいって強いって、言いたかったのに」
「うん」
葦木場さんがよいしょとかがんで私と視線を合わせる。涙の溢れないことを確かめるように。
「なのに、なのに……泉田さんがだめって言うから……」
黒田さんが大きなため息ついて膝をつく。もう怖い顔はしていなくて、いつもボケの多いレギュラー陣に振り回される、ツッコミ職人の顔だった。
「よし、塔一郎のせいだな」
「そうだね塔ちゃんが悪いよ」
「本人に言えないからって、この1年オレたちが代わりに聞かされたんですよ。責任とってくださいよ」
「……はあ」
黒田さん葦木場さんに続いて真波まで文句を言ったので、泉田さんはすごく嫌そうにしたけれど、反論しなかった。真波に厳しく、そして何より己に厳しく在った1年だった。
「まったく、君達は……」
「だから!言えなかったけど、ずっと思ってたんです。私の先輩がいちばん強くて、いちばん速くて……それで、私の先輩がこの世でいっちばん!かっこいいんです」
先輩たちの顔を見る。視線が合う。横顔と後ろ姿ばかり見てきた、憧れの先輩たち。黒田さん。葦木場さん。泉田さん。
「……仕方ないな」
「仕方ないのか?仕方ないで済ませていいのかよ、塔一郎!」
「そうだよ!折角だからもっと褒められといた方がいいんじゃない?」
泉田さんがため息をついて、テントの中は穏やかな空気になった。黒田さんが積極的に面白がってくれたおかげだ。それと葦木場さんのド天然。このあと表彰式が控えていると思えないほど平和で、私はここがいつもの部室なんじゃないかと錯覚してしまうほどだった。
学校テントを覗くと、すでにゴールした人たちがいた。真波、黒田さん、葦木場さん。真波が私たちに真っ先に気づき、声を上げた。
「名前!」
「真波!葦木場さん!黒田さん!」
「よかった……倒れたりしてないかって、ユキちゃんと心配してたんだ」
「すみません、ご心配おかけしました」
「人命優先したんだろ。気にすんな」
「はい……」
話は通ってるらしく、黒田さんが「元気そうで何より」と私の肩を叩く。素直に頷けないのはその黒田さんの方が重症そうだから。いつも通り、顔にはガーゼが当てられている。残り3キロ地点で私はそこまで確認する余裕がなかったが、やっぱり流血沙汰になったらしい。
テント内で作業してた部員が居心地悪そうにそっと身じろぎした。こちらを伺い、部員同士顔を見合わせる。
「ここ人多いし、オレら出ますよ」
ギクっ!余計な気を使われてる!私なんて、明らか泣いた顔だもんな……一応冷やしたけどその後泣いたのが良くなかった。私は気配を消そうと身を縮こまらせる。
「ハッ!オレがデカいし場所取るから……」
「エッ!アッ!?オレらそんなつもりでは!」
「お前が今大会最高身長なのは今更の話だろ!気ぃ使われてんだよ!」
葦木場さんのド天然爆弾を安全にリターンできるのはやっぱり黒田さんしかない。朝ぶりの再会なのに、ものすごく長い間会ってなかったような気がする。
さて、部員が席を外してしまったので、片付けなりクールダウンなり、手伝わなければ。表彰式まで1時間を切っている。終わったらすぐバスを出す予定だし、私はテントの中でできる範囲の仕事をしなければ。
「名前」
まずコンテナを持ち上げようとして、葦木場さんの声で止まった。振り向くと、レースの気迫が嘘のように穏やかにこちらを見下ろしている。
「……3キロのところ、すごかったよ」
「え?」
「部員誰もいないのに、沿道すごい大きい声でハコガクーって叫んでた。あれ、名前でしょ」
「あ、と……」
「ちゃんと聞こえてたよ、名前がいなくても、応援ちゃんと届いたよ」
「わ、私……」
やるべきことをやったと、今は思っている。ただ唯一の心残りがあるとすれば、持ち場を離れたこと。ゴールを目指す選手の力になれなかったこと。ここにはいない悠人を思う。始めてインハイに出た1年生にもっとしてやれることがあったんじゃないかと、悔やんでいる。唇を噛む。
「オレが読み間違えた。お前らのせいじゃない」
沈黙を破り、黒田さんが静かに呟く。私と真波と、順に視線を合わせる。今なんて……黒田さんが読み間違えた?
「黒田さんのせいじゃない!」
「そうです、違います!私が!うまく立ち回れなかったから!」
真波がこんなふうに声を荒げることなんて珍しい。終盤の局面を正確に言い当てることはかなり困難で。レース最終盤でのライバルの急成長を織り込むなんてことが出来るとしたら、それはもはや神の領域である。それがわかってるから、真波は黒田さんが自分のせいだというのが許せない。
「オレがやってやる」という1年前の宣言を思い出す。黒田さんはこの1年無茶を重ねて、それでも宣言通りに「綺麗な戦績のまま夏を迎える」という偉業をやってのけた。総北は3日間、この人の策に振り回されっぱなしの苦しい戦いを強いられた。作戦を立てるキャプテン自ら捨て身の策を取るしかなくて、手嶋は3日間ギリギリの状態で走り、最後はリタイアした。頭脳を失った総北は最後は各自の判断で走るしかなく、初日も2日目も苦戦を強いられた。ハコガクも御堂筋の策で足止めを喰らったりしたけど、振り返ってみれば全部黒田さんの手のひらの上。その鮮やかな作戦を褒め称えることこそすれ、最後の最後の読み間違い……間違いですら無いそれを、責めるつもりは微塵もなかった。現に真波がいちばん怒っている。
「反省会は後にしよう。敗因の分析は全員揃ってからだ」
泉田さんの声に私たちはハッとする。そう、インハイメンバーはまだ全員が揃っていない。九十九折りより手前の救護テントにいるバシさん。それから、悠人。反省は後……その言葉が余計に胃を重くする。
「ロードレースは紳士のスポーツであり、王者箱根学園はその座にふさわしい行動をとらねばならない」
「はい」
「ボクもユキもそう君に教えてきた。この1年」
「……はい」
この1年散々聞かされた言葉だ。改めて聞くと、重たい宣告だった。私はこれまでの日々を思う。泉田さんも黒田さんもいつもそう言うけど、ハコガクだって外には出せないようなトラブルと不祥事ばっかり。
私の納得いかない顔を見ても、泉田さんは表情を崩さない。
「だから君はあそこで倒れたのが総北でも、他の学校の選手でも同じことをしただろう」
「なんでそんなこと言うんですか!」
傷口を抉るような言い方にカッとなって、大きな声が出た。友達だから、強い選手だから、その勝利に賭ける思いを少しだけ知っているから。御堂筋を助けた理由なんてそんな程度だ。
「わ、わたし、私……あそこで倒れたのが総北だったら!」
総北だったら、きっと助けなかった。あそこで倒れのたのが今泉だったら、多分助けなかった。救護を指示して、自分はさっさと応援に戻り、タイム差を測り、追い上げてくる真波を待った。
「苗字」
みんな、私がきっと何が言いたいかわかっていた。だから泉田さんは名前を呼んで止めた。わかっている、そんなこと言っていいはずないって。涙がぼろぼろ溢れて、黙って葦木場さんがタオルで私の顔を拭いた。
誰も、その言葉の続きを言ってくれるなと思っていただろうけど、幸い私は嗚咽を堪えるのに必死で、それどころじゃなかった。私は助ける人間を選択した上で、持ち場を離れた。この1年散々説かれたスポーツマンシップを私は結局のところ、本当の意味で身につけてはいない。恥ずかしかった。
「……偉かったね」
え?顔を上げる。だから、偉くない。先輩達はわかっているはず。黒田さんなんてもう、烈火の如く怒るだろうと思っていた。葦木場さんが「何が悪かったかわかるな?」って説教するだろうと思っていた。しかし穏やかに、静かに、こちらを見ていた。泉田さんが口を開く。
「君は、この1年で身につけた箱根学園にふさわしい振る舞いを、今日この場で貫いた。箱根学園を代表する人間として、ボクやユキがいなくても正しい行動をした。誇りに思うよ。……よく頑張ったね」
「……は」
体から力が抜ける。泉田さんは悠然とこちらを見て微笑んでいる。ああ、これは多分、泉田キャプテンからの労いの言葉だ。丸ごと全て泉田さんの本心としてではない。本心の上から幾重にも覆って包んで、取り繕った、当代の箱根学園のキャプテンの言葉だ。箱根学園のキャプテンは、こう言うしかなかった。この人は箱根学園のキャプテンだから、こう言うしかなかった。私が言わせた。
崩れ落ちそうになる体を真波が支えた。聞きたくないと首を振っても、真波は許さない。
「名前」
私の隣でまっすぐ前を向いて。学校テントは、選手のための空間だが、半分開かれた場である。テントの前面は通路に面し、選手の出入りのために解放され、覗こうと思えば誰でも見ることができる。一歩外に出たら、完全にバプリックだ。
今もきっと、選手に話を聞きたくて記者の人がいる。交流を求めて他校の選手がいる。だから寿一くんは泣くなら救護テントでと言ったのだ。
私が、先輩の、真波の、努力の成果を台無しにしないために。
情けなく泣き崩れ、弱音を吐くことは許さないと、泉田さんはそう言っている。それがわかっているから真波は顔を上げている。泉田さんの視線は私を貫く。葦木場さんがこちらを見下ろし、黒田さんが睨め付ける。強者然とした、先輩達の姿。
「礼を言うよ。箱根学園のキャプテンとして……本当によくやってくれた」
「ああ、1年かけて仕込んだ甲斐があった」
「……頑張ったね、名前」
本当に、「最上級の褒め言葉」だ。もし記者の人が見ているとしたらさぞ感動的な場面だろう。3日間の過酷なレースに帯同し、チームの補助だけでなく大会運営にも奔走し、今日は他校の選手の救護活動にあたった。そして総合優勝を惜しくも二度も同じ局面で逃し、泣き崩れる。そんなシーン。
先輩方の強い視線は問いかける。そんなシーンを見せてやるべきだと思うか?泉田さんはそう言っている。黒田さんと葦木場さんもそうだ。お前はこの1年、オレ達の何を見てきた?と、言葉にしなくともわかるだろうと、私に問う。
私は泉田さんが差し伸べた手を握り、崩れ落ちた体を立て直す。笑え、余裕を見せろと、言葉はなくても視線が求める。
先輩達が私に求めるものに応えたい。そして、この1年血の滲むような努力をして、これだけの結果を出した先輩方にふさわしくありたいと思う。私は顔を上げる。真波が小さく息をつき、背中を支える手を離した。
「私の方こそ、」
私はずっと先輩達に褒めて欲しかった。先輩達が憧れの先輩方の正しさを証明したかったように、私はこの人たちが正しいって間違ってないって言いたかった。ゼッケンを独占、個人表彰台の2位3位、「見たか、これが今年の箱根学園だ」って誇らしく、大はしゃぎしたかった。先輩たちはストイックで褒められることを求めなくて、それがずっと不満だった。
「私、ずっと先輩たちがすごいって強いって、言いたかったのに」
「うん」
葦木場さんがよいしょとかがんで私と視線を合わせる。涙の溢れないことを確かめるように。
「なのに、なのに……泉田さんがだめって言うから……」
黒田さんが大きなため息ついて膝をつく。もう怖い顔はしていなくて、いつもボケの多いレギュラー陣に振り回される、ツッコミ職人の顔だった。
「よし、塔一郎のせいだな」
「そうだね塔ちゃんが悪いよ」
「本人に言えないからって、この1年オレたちが代わりに聞かされたんですよ。責任とってくださいよ」
「……はあ」
黒田さん葦木場さんに続いて真波まで文句を言ったので、泉田さんはすごく嫌そうにしたけれど、反論しなかった。真波に厳しく、そして何より己に厳しく在った1年だった。
「まったく、君達は……」
「だから!言えなかったけど、ずっと思ってたんです。私の先輩がいちばん強くて、いちばん速くて……それで、私の先輩がこの世でいっちばん!かっこいいんです」
先輩たちの顔を見る。視線が合う。横顔と後ろ姿ばかり見てきた、憧れの先輩たち。黒田さん。葦木場さん。泉田さん。
「……仕方ないな」
「仕方ないのか?仕方ないで済ませていいのかよ、塔一郎!」
「そうだよ!折角だからもっと褒められといた方がいいんじゃない?」
泉田さんがため息をついて、テントの中は穏やかな空気になった。黒田さんが積極的に面白がってくれたおかげだ。それと葦木場さんのド天然。このあと表彰式が控えていると思えないほど平和で、私はここがいつもの部室なんじゃないかと錯覚してしまうほどだった。
