去る春、君の声だけが在るIF
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「名前」
優しく揺り起こされたとて、不快なものは不快。せっかく柔らかいベッドでぐっすり眠っていたのに……
「ん?」
「やっと起きたな。よく眠れたか?」
「え?隼人くん?」
寝ぼけたまま起き上がる。隼人くんは制服姿、私も同じ。状況証拠からして実家じゃない。寮でもない。なんだこの部屋?
「寝起きに悪いけど、アレ」
「アレ?」
隼人くんが指さしたのは壁の張り紙。横長で大きい、武道場に貼られているようなやつ。文言は全然武道場のやつじゃない。「キスしないと出られない部屋」。
「ううううう嘘でしょう!?!?」
「嘘じゃないよ」
「揶揄ってるでしょ!?先輩方のたちの悪い悪戯だよね!?」
「じゃない。ハコガク って昔からあるんだよ、こういうのがさ」
「嘘じゃない、だと……!?」
隼人くんは大声で喚く私をなだめるように言い聞かせる。正面に座ったおかげで顔が良く見える。青い瞳を覗きこんでも嘘をついているようには見えない。
「それに、キスくらい散々しただろ?今更……」
「ちっ小さい頃のことはノーカンでしょ!?」
「ひどいな、名前のファーストキスの相手はオレだろ?」
「絶対絶対それ人に言わないでね……?言ってないよね?」
「寿一は知ってるよ」
「もーもーもーもー!」
隼人くんの言う通り、私のファーストキスは隼人くんに奪わ……言い方が悪いな。捧げた。しっかり写真に撮られた上、綺麗にアルバムに貼られているので今更否定のしようがない事実。小さな子供のやったことだからノーカン。ノーカンだっ!!でもそれを言いふらされるのは非常にまずい。昔から隼人くんは非常に「真剣に」モテるので。隼人くんのことを好きになる子はみんな真剣に隼人くんのことが好きだ。ちょっといいなと思ってる子も多いだろうけど、そのうち底なし沼みたいにズブズブはまる。誰にでもすごく優しくて親切だから、顔だけじゃなくて人柄でもモテている。いわゆる親衛隊的な「ファン」が多い東堂さんみたいな人とはモテ方がちょっと違うのだ……深刻というか、なんていうか、うまく説明できないんだけど。
でも私のファーストキスの相手が隼人くんだって言うなら、悠ちゃんのファーストキスの相手も隼人くんだし、私と悠ちゃんもちゅーくらいしたことある。仲良し兄弟がちゅーしている写真はたくさんアルバムにおさめられていて、今の悠ちゃんは絶対昔のアルバムを見返したりしないけど、事実としてそこに証拠が残っている。仲良し兄弟の写真は可愛くてほのぼのしてて、今のギクシャクした仲を思うと少し切ない。
もしこの部屋に入ったのが悠ちゃんとだったら、きっと悠ちゃんは「ハア!?なにこの部屋ありえないんだけど!」ってたくさん文句言って、「さっさと出よっ」ってぷんぷんしながらほっぺにチューして終わりだ。それで多分「今日のことはノーカンだから!」って言うから、それに乗っかってお互いなかったことにして終了。
しかし隼人くんじゃこうはいかない。「なにこの部屋っ」って文句言うのがまず私ひとりの時点で計画は破綻している。私ばっかりギャーギャー喚いて、なんだか情けない気持ちになる。ため息。
「……悠ちゃんならよかったのに」
「え?」
「隼人くんじゃなくて悠ちゃんだったら、ふたりで文句言って、ササッとすませて、なかったことにして終わりなのに……」
「それはちょっと、聞き捨てならないかな」
「え?」
新開兄弟の複雑な仲を思うセンチメンタルな気分は即座に吹き飛んだ。アラートアラート!何って、直線鬼警報だ。その眼光が赤く鋭く光った時、獲物はすでに退路を断たれている。神奈川の自転車乗りならみんな知っていること、平坦なら新開が最強。いや直線鬼が自転車なしでも発動できるのは知らなかったけど!
「ちょっとちょっと!本気出さないで!」
私は悲鳴をあげてベッドの上で後ずさる。かわいい幼馴染の悲鳴で隼人くんは直線鬼モードを発動直前でキャンセルしたけど、獲物を逃しはしなかった。そもそも逃げようにも身体能力が段違いだ。ベッドに着いた右手が掴まれて、持ち上げられる。
「あ!」
何をしようとしているのか意図はわかった。こっちは片手を掴まれて逃げられないのに、ダメ押しのようにベッドについたもう片方の手を押さえつけられる。見ようによっては、絵本の王子様みたいかもしれない。そう、昔の隼人くんはこんなんじゃなくて、すらっと細くて笑顔のかわいい健康的な美少年で、そこらじゅうで謎の色気を振りまいて無差別に乙女を陥落させたりしなくて……私の意識が逸れた隙に、隼人くんは私の腕を引いた。抵抗できないまま、体が近づく。私は息を呑む。隼人くんは目を伏せて、そのまま厚い唇が私の手の甲に触れた。ちゅ、手の甲にキス。
直後、ブブーっとNG音が鳴った。
「あちゃあ、ダメか」
「ななななんでダメなのよーっ!ちゃんと”した”でしょ!?見えなかったわけ?この、この、ポンコツ監視カメラ!!」
ブブー。
「2回も鳴らさなくてもわかってるよ!」
「はは、結構厄介だな」
「結構じゃなくてかなり!」
ヤケクソで私は隼人くんの手を振り払う。手の甲を一生懸命ゴシゴシ擦って、感触を忘れようとする。大真面目にルールの穴を掻い潜ろうとした隼人くんもやれやれと苦笑する。一瞬本気で喰われる かと身構えてしまったので、私はとにかく恥ずかしくて、見えない監視カメラに猛抗議した。
「アレじゃダメって言うんだから、仕方ないな」
「仕方な……仕方なくなっ」
あ。非難の声もむなしく、隼人くんは再び私の手を掴む。強く引かれて、そのままの勢いで体が近づく。青い目が私を見下ろしている。心臓が暴れ回るのを聞かれたくなくて身を引いたら、それ以上に距離を詰められる。逃げ場がない。
「無理!」
「なにが?」
「子供の頃みたいには無理だよ……」
だって隼人くんがかっこよすぎるから。隼人くんは高校3年ですごく背が伸びて体つきも変わって、知らない男の人みたいだから。私の憧れのかっこよくて優しいお兄ちゃんは多分、もういない。いつまでもずっと本当の兄妹みたいな関係ではいられない。そう思ってるのは私ばかりで、隼人くんは私が4歳の頃からなんにも変わらないって思ってるのかもしれないけど。
「隼人くんは私のこと、妹みたいに思ってるのかもしれないけど……あっ」
肩に触れる手は優しく私を引き寄せ、それでも強く掴んだ右手は私を逃してくれなかった。唇が触れる。隼人くんに触ったところ全部が熱い。肩と手と、それと。唇は触れあって、食まれ、離れて。目を閉じる余裕はなく、隼人くんがどんな顔をしているのか全部見えた。
「……妹だったら、こんなことしないさ」
青い瞳はいつものように優しくこちらを見ている。声は低く静かに、殺風景な部屋によく響く。あの青い瞳が、かっこいいと持て囃される顔が、他の人に向けるのと違う熱を……冷たい温度をはらんで私を見る。私にとっては見慣れた隼人くんだが、この表情 を向けられる人間の少ないことを私は箱根学園に来てから知った。
「えっ……」
「お、合格みたいだな」
背後で扉の鍵が開くガチャンという音がした。
さっきまでの冷たく熱い微笑を一瞬で拭い去り、ここにいるのは憧れの自転車競技部レギュラー、皆が憧れるエーススプリンターの新開先輩だった。呆然とする私を置いてけぼりにして、隼人くんは「さっさと出よう」と握り続けていた私の手を離す。隼人くんの背中に浴びせた「本当ありえない……」という非難は情けなく掠れて上擦っていて、口にしたのを後悔するほどだった。
優しく揺り起こされたとて、不快なものは不快。せっかく柔らかいベッドでぐっすり眠っていたのに……
「ん?」
「やっと起きたな。よく眠れたか?」
「え?隼人くん?」
寝ぼけたまま起き上がる。隼人くんは制服姿、私も同じ。状況証拠からして実家じゃない。寮でもない。なんだこの部屋?
「寝起きに悪いけど、アレ」
「アレ?」
隼人くんが指さしたのは壁の張り紙。横長で大きい、武道場に貼られているようなやつ。文言は全然武道場のやつじゃない。「キスしないと出られない部屋」。
「ううううう嘘でしょう!?!?」
「嘘じゃないよ」
「揶揄ってるでしょ!?先輩方のたちの悪い悪戯だよね!?」
「じゃない。
「嘘じゃない、だと……!?」
隼人くんは大声で喚く私をなだめるように言い聞かせる。正面に座ったおかげで顔が良く見える。青い瞳を覗きこんでも嘘をついているようには見えない。
「それに、キスくらい散々しただろ?今更……」
「ちっ小さい頃のことはノーカンでしょ!?」
「ひどいな、名前のファーストキスの相手はオレだろ?」
「絶対絶対それ人に言わないでね……?言ってないよね?」
「寿一は知ってるよ」
「もーもーもーもー!」
隼人くんの言う通り、私のファーストキスは隼人くんに奪わ……言い方が悪いな。捧げた。しっかり写真に撮られた上、綺麗にアルバムに貼られているので今更否定のしようがない事実。小さな子供のやったことだからノーカン。ノーカンだっ!!でもそれを言いふらされるのは非常にまずい。昔から隼人くんは非常に「真剣に」モテるので。隼人くんのことを好きになる子はみんな真剣に隼人くんのことが好きだ。ちょっといいなと思ってる子も多いだろうけど、そのうち底なし沼みたいにズブズブはまる。誰にでもすごく優しくて親切だから、顔だけじゃなくて人柄でもモテている。いわゆる親衛隊的な「ファン」が多い東堂さんみたいな人とはモテ方がちょっと違うのだ……深刻というか、なんていうか、うまく説明できないんだけど。
でも私のファーストキスの相手が隼人くんだって言うなら、悠ちゃんのファーストキスの相手も隼人くんだし、私と悠ちゃんもちゅーくらいしたことある。仲良し兄弟がちゅーしている写真はたくさんアルバムにおさめられていて、今の悠ちゃんは絶対昔のアルバムを見返したりしないけど、事実としてそこに証拠が残っている。仲良し兄弟の写真は可愛くてほのぼのしてて、今のギクシャクした仲を思うと少し切ない。
もしこの部屋に入ったのが悠ちゃんとだったら、きっと悠ちゃんは「ハア!?なにこの部屋ありえないんだけど!」ってたくさん文句言って、「さっさと出よっ」ってぷんぷんしながらほっぺにチューして終わりだ。それで多分「今日のことはノーカンだから!」って言うから、それに乗っかってお互いなかったことにして終了。
しかし隼人くんじゃこうはいかない。「なにこの部屋っ」って文句言うのがまず私ひとりの時点で計画は破綻している。私ばっかりギャーギャー喚いて、なんだか情けない気持ちになる。ため息。
「……悠ちゃんならよかったのに」
「え?」
「隼人くんじゃなくて悠ちゃんだったら、ふたりで文句言って、ササッとすませて、なかったことにして終わりなのに……」
「それはちょっと、聞き捨てならないかな」
「え?」
新開兄弟の複雑な仲を思うセンチメンタルな気分は即座に吹き飛んだ。アラートアラート!何って、直線鬼警報だ。その眼光が赤く鋭く光った時、獲物はすでに退路を断たれている。神奈川の自転車乗りならみんな知っていること、平坦なら新開が最強。いや直線鬼が自転車なしでも発動できるのは知らなかったけど!
「ちょっとちょっと!本気出さないで!」
私は悲鳴をあげてベッドの上で後ずさる。かわいい幼馴染の悲鳴で隼人くんは直線鬼モードを発動直前でキャンセルしたけど、獲物を逃しはしなかった。そもそも逃げようにも身体能力が段違いだ。ベッドに着いた右手が掴まれて、持ち上げられる。
「あ!」
何をしようとしているのか意図はわかった。こっちは片手を掴まれて逃げられないのに、ダメ押しのようにベッドについたもう片方の手を押さえつけられる。見ようによっては、絵本の王子様みたいかもしれない。そう、昔の隼人くんはこんなんじゃなくて、すらっと細くて笑顔のかわいい健康的な美少年で、そこらじゅうで謎の色気を振りまいて無差別に乙女を陥落させたりしなくて……私の意識が逸れた隙に、隼人くんは私の腕を引いた。抵抗できないまま、体が近づく。私は息を呑む。隼人くんは目を伏せて、そのまま厚い唇が私の手の甲に触れた。ちゅ、手の甲にキス。
直後、ブブーっとNG音が鳴った。
「あちゃあ、ダメか」
「ななななんでダメなのよーっ!ちゃんと”した”でしょ!?見えなかったわけ?この、この、ポンコツ監視カメラ!!」
ブブー。
「2回も鳴らさなくてもわかってるよ!」
「はは、結構厄介だな」
「結構じゃなくてかなり!」
ヤケクソで私は隼人くんの手を振り払う。手の甲を一生懸命ゴシゴシ擦って、感触を忘れようとする。大真面目にルールの穴を掻い潜ろうとした隼人くんもやれやれと苦笑する。一瞬本気で
「アレじゃダメって言うんだから、仕方ないな」
「仕方な……仕方なくなっ」
あ。非難の声もむなしく、隼人くんは再び私の手を掴む。強く引かれて、そのままの勢いで体が近づく。青い目が私を見下ろしている。心臓が暴れ回るのを聞かれたくなくて身を引いたら、それ以上に距離を詰められる。逃げ場がない。
「無理!」
「なにが?」
「子供の頃みたいには無理だよ……」
だって隼人くんがかっこよすぎるから。隼人くんは高校3年ですごく背が伸びて体つきも変わって、知らない男の人みたいだから。私の憧れのかっこよくて優しいお兄ちゃんは多分、もういない。いつまでもずっと本当の兄妹みたいな関係ではいられない。そう思ってるのは私ばかりで、隼人くんは私が4歳の頃からなんにも変わらないって思ってるのかもしれないけど。
「隼人くんは私のこと、妹みたいに思ってるのかもしれないけど……あっ」
肩に触れる手は優しく私を引き寄せ、それでも強く掴んだ右手は私を逃してくれなかった。唇が触れる。隼人くんに触ったところ全部が熱い。肩と手と、それと。唇は触れあって、食まれ、離れて。目を閉じる余裕はなく、隼人くんがどんな顔をしているのか全部見えた。
「……妹だったら、こんなことしないさ」
青い瞳はいつものように優しくこちらを見ている。声は低く静かに、殺風景な部屋によく響く。あの青い瞳が、かっこいいと持て囃される顔が、他の人に向けるのと違う熱を……冷たい温度をはらんで私を見る。私にとっては見慣れた隼人くんだが、この
「えっ……」
「お、合格みたいだな」
背後で扉の鍵が開くガチャンという音がした。
さっきまでの冷たく熱い微笑を一瞬で拭い去り、ここにいるのは憧れの自転車競技部レギュラー、皆が憧れるエーススプリンターの新開先輩だった。呆然とする私を置いてけぼりにして、隼人くんは「さっさと出よう」と握り続けていた私の手を離す。隼人くんの背中に浴びせた「本当ありえない……」という非難は情けなく掠れて上擦っていて、口にしたのを後悔するほどだった。
