去る春、君の声だけが在る2
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その大歓声に、心臓が跳ねた。
「来るぞ、箱根学園ーー!」
「追いつけ!がんばれー!」
心臓が早鐘を打ち、救護の手が止まる。黒田さんと真波だ。もう来たのか。そうだ、今泉とのタイム差を確認しないと。
「真波くんがんばれー!」
聞こえるのは歓声ばかり、あの慣れ親しんだ自転車の接近音が掻き消されるほど。
息が浅い。真波は今、どんな顔をして走ってるんだろう。急速に視界が狭まる。この1年苦しみ抜き、今日の勝利のために文字通り血の滲むような努力をしてきた。真波。
ヘルメットは外してやった。ジッパーを下げ、あとグローブ、靴も脱がせてやらないといけない。レース中にまたも捲り上げたレーパンは下げていいのか?何か信念があってやってるんだろうけど、その信念がわからない以上無闇に戻してしまうのも……戻してやった方がいい?途中で指先が震えてしまって、他の人に変わってもらった。
誰かが差し掛けてくれた傘のおかげでここだけ雨が止んでいる。手を動かしながらも、頭の中はぐちゃぐちゃだ。箱根学園のジャージがいつ走ってくるか気が気じゃない。
……きもちわるい。吐きそう。拳で鎖骨を殴りつけて、吐き気を誤魔化す。私、今だけ、救護現場 を離れても、いいんじゃないか。
「ハコガクーーーッ!」
道沿いの草むらで、道路に背を向けているんだから、振り向くだけでいい。顔を見たい。そう、顔が見たいと思った。ふたりの顔を見て安心したいと思った。
御堂筋は意識を取り戻すどころか、死体のようにひっくり返ったまま。だらんと投げ出された腕も脚も死体のようだが、胸郭の動きとわずかに震える筋肉で生きてることは確認できる。杞憂であればいいが、もし私にわからないような、たとえば頭の大怪我だったらどうしよう。
私は箱根学園のマネージャーで、京都伏見はここまで散々選手を翻弄したライバルで。ねえ、御堂筋のことなんてほっとけばいいのに。今、黒田さんが、真波が、総合優勝をかけて登ってくる。真波が、先頭を追って走っている。それなのに私は、こんなところで何をやっている?
心臓が逸る。焦りは脳を鈍らせ、判断を誤らせる。寿一くんが言った。焦りに惑わされず、常に正しい選択肢を選び続けろ。そうすれば。私は今「正しい」選択を選び取れているのか?
「……チ」
「あっ!?御堂筋!」
その時、死んだように脱力した口が御堂筋の口が何かを発した。い、きてる!
「生きてる!?救護車来るからね、もうちょっとね!」
私は雨で濡れた手でピタピタと顔を叩いて名前を呼んだが、御堂筋は脱力したまま何の反応も返さなかった。でも確かに、今何か言った。震える指先で、タオルで顔を拭いてやる。生きてる。また走れる。まだ。
耳が自転車の音を捉えた。真波、黒田さん。
私は振り返れなかった。救護の手を止めず、救護車が来るまで精一杯声を張って、指示を出し続ける。2台の自転車が通り過ぎるのは一瞬だった。沿道の歓声は最高潮に達し、走行音をかき消す。感じ慣れた風圧が短い後ろ髪を乱す。歓声はやまない。がんばれ、負けるな、追いつけ、行けるぞ。
すぐに風が止んで、私は震える手を膝に下ろす。ようやく体が自由に動く。私は背後の道路を振り返る。当然、走り去った後の背中しか見えない。見慣れた箱根学園のジャージが頼もしく、そして遠かった。
ふたりの背中はどんどん遠ざかる。私の口から出たのは、結局「獲って」の一言だった。それもへろへろの声で情けなく掠れて、そんな声量じゃ最後の勝負所を駆け上がる選手には聞こえるはずもない。聞こえないからこそ言えたわがまま。その背中にかけるにはあまりにも不誠実で、身勝手な祈りだった。
自分勝手の名前。去年の夏から何にも成長してない。自嘲したってここには力尽きた御堂筋しかいない。
真波も黒田さんも、無我夢中で、前へ前へ、勝利に向かって走ってる。それで、ふたりは走って走って、すぐに見えなくなった。
「来るぞ、箱根学園ーー!」
「追いつけ!がんばれー!」
心臓が早鐘を打ち、救護の手が止まる。黒田さんと真波だ。もう来たのか。そうだ、今泉とのタイム差を確認しないと。
「真波くんがんばれー!」
聞こえるのは歓声ばかり、あの慣れ親しんだ自転車の接近音が掻き消されるほど。
息が浅い。真波は今、どんな顔をして走ってるんだろう。急速に視界が狭まる。この1年苦しみ抜き、今日の勝利のために文字通り血の滲むような努力をしてきた。真波。
ヘルメットは外してやった。ジッパーを下げ、あとグローブ、靴も脱がせてやらないといけない。レース中にまたも捲り上げたレーパンは下げていいのか?何か信念があってやってるんだろうけど、その信念がわからない以上無闇に戻してしまうのも……戻してやった方がいい?途中で指先が震えてしまって、他の人に変わってもらった。
誰かが差し掛けてくれた傘のおかげでここだけ雨が止んでいる。手を動かしながらも、頭の中はぐちゃぐちゃだ。箱根学園のジャージがいつ走ってくるか気が気じゃない。
……きもちわるい。吐きそう。拳で鎖骨を殴りつけて、吐き気を誤魔化す。私、今だけ、
「ハコガクーーーッ!」
道沿いの草むらで、道路に背を向けているんだから、振り向くだけでいい。顔を見たい。そう、顔が見たいと思った。ふたりの顔を見て安心したいと思った。
御堂筋は意識を取り戻すどころか、死体のようにひっくり返ったまま。だらんと投げ出された腕も脚も死体のようだが、胸郭の動きとわずかに震える筋肉で生きてることは確認できる。杞憂であればいいが、もし私にわからないような、たとえば頭の大怪我だったらどうしよう。
私は箱根学園のマネージャーで、京都伏見はここまで散々選手を翻弄したライバルで。ねえ、御堂筋のことなんてほっとけばいいのに。今、黒田さんが、真波が、総合優勝をかけて登ってくる。真波が、先頭を追って走っている。それなのに私は、こんなところで何をやっている?
心臓が逸る。焦りは脳を鈍らせ、判断を誤らせる。寿一くんが言った。焦りに惑わされず、常に正しい選択肢を選び続けろ。そうすれば。私は今「正しい」選択を選び取れているのか?
「……チ」
「あっ!?御堂筋!」
その時、死んだように脱力した口が御堂筋の口が何かを発した。い、きてる!
「生きてる!?救護車来るからね、もうちょっとね!」
私は雨で濡れた手でピタピタと顔を叩いて名前を呼んだが、御堂筋は脱力したまま何の反応も返さなかった。でも確かに、今何か言った。震える指先で、タオルで顔を拭いてやる。生きてる。また走れる。まだ。
耳が自転車の音を捉えた。真波、黒田さん。
私は振り返れなかった。救護の手を止めず、救護車が来るまで精一杯声を張って、指示を出し続ける。2台の自転車が通り過ぎるのは一瞬だった。沿道の歓声は最高潮に達し、走行音をかき消す。感じ慣れた風圧が短い後ろ髪を乱す。歓声はやまない。がんばれ、負けるな、追いつけ、行けるぞ。
すぐに風が止んで、私は震える手を膝に下ろす。ようやく体が自由に動く。私は背後の道路を振り返る。当然、走り去った後の背中しか見えない。見慣れた箱根学園のジャージが頼もしく、そして遠かった。
ふたりの背中はどんどん遠ざかる。私の口から出たのは、結局「獲って」の一言だった。それもへろへろの声で情けなく掠れて、そんな声量じゃ最後の勝負所を駆け上がる選手には聞こえるはずもない。聞こえないからこそ言えたわがまま。その背中にかけるにはあまりにも不誠実で、身勝手な祈りだった。
自分勝手の名前。去年の夏から何にも成長してない。自嘲したってここには力尽きた御堂筋しかいない。
真波も黒田さんも、無我夢中で、前へ前へ、勝利に向かって走ってる。それで、ふたりは走って走って、すぐに見えなくなった。
