去る春、君の声だけが在る2
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ここまでのレースを振り返って、コースの要所要所に部員を置いて中継させる方法はなかなか上手く行ったのではないだろうか。土地柄山に強い携帯回線を契約してる部員が多いことが功を奏した。部員の多さは情報量に直結し、大きなアドバンテージになる。いや、なった。あとは選手が頑張るだけだ。
私は本日3日目、ゴール目前の路上待機。最後の登り、残り3キロのボード付近に位置取った。ゴールに向けて残り距離を確認し、ペースを上げる。そういう意味では選手たちの目印になるポイントではある。どんな状況で選手がやってくるかはわからないが、念入りにコースシミュレーションをしたレイさんがここだというなら私はここで待つしかない。私をあえてここに配置したその意図は、まだ掴めていない。最前線の独走、それを総北が3人がかりで捉え、箱根学園はそこからやや遅れをとって追いかける形。巻き返すだけの距離はまだ十分あり、やっぱり私をここに据えたのは、ゴールを目指す最後の応援をさせてやろうというレイさんの気遣いか……あるいはここでレースが動くか。どちらか。
荒北さんの激励を受けて気合いを入れ直したその時。空を見上げて気づく。急速に雲が湧き、冷たい空気が肌を撫でる。天気が怪しい。
「うわっ雨だ」
「やっぱり山の天気だな〜すぐ止むといいんだけど」
急に雨が降り出して、観客も慌て出す。私も急いでカッパを着た。蒸れるとか暑いとか言ってる場合ではない。
……嫌な予感がする。起きてから朝からずっと、ムカムカするような、胃の痛いような、不快感を感じている。昨日夜更かししたせいか、それとも連日の疲れが溜まっているのだろうか。貧血を起こす前みたいなザワザワした不快な感覚。いやだな、ここでぶっ倒れてる場合じゃないのに。喉の支えを誤魔化そうと給水してもその感覚が消えない。
うちの選手が来るのはまだだっていうのに、心臓はすでに早鐘を打っている。幾度となく確認した戦況を再び確認する。京伏の独走、その後方では鳴子の落車……おそらくリタイア。そこから戦況は変わったらしい。最新の情報では、今泉と御堂筋が先頭を争い、それを小野田が追い、その更に後ろを箱学が走っている。真波と、黒田さん。ライバル達のアタック次第だが、ここまでふたりで来たと言うなら、ギリギリまで温存したい考えだろう。最後にどちらが出るのか、私には確証がない。
雨が強い。選手の事故や怪我がないことを祈る。精神も体力も限界状態での降雨、スリップやブレーキミスが起こりかねない……ただでさえレースの終盤の疲労、それからここより少し手前には大きなダウンヒルとカーブのセットがある。慎重に走りたいだろうけど、ライバルに遅れをとるわけにはいかない。
真波も黒田さんも多分大丈夫だと思う。そう信じている。選手は皆、雨天の練習はかなり積んでいるし、私はこの1年、雨が降り風が吹けば「チャンスだ!」とばかりに外練に出ていく部員たちをハラハラ見守ってきた。箱根は地理的にも大雨や大風に見舞われやすい。それと比べたら、こんなの小雨だ。だから、大丈夫。そう信じたいのに、このタイミングでの雨は「もっている」としか言いようがない。先頭を走る誰かがきっと雨男なんだと思う。……それにしても参ったな。結構大降りだ。
そして、ついに、道の向こうに人影が見えた。雨でけぶる視界の中、飛び出してきた先頭。私はタイム差を見ようとスマホを握る力を強める。これが箱根学園の青いジャージじゃないことはわかっていた。
「先頭来たぞ!総北だっ!」
今泉、それからそれを追う御堂筋。どっちも友達だ。私は名前を呼ぼうか、「がんばれ」って言おうか、一瞬悩んだ。今泉はゴールに向けて踏み続ける。
レースはいつだって一瞬で勝負が決まる。御堂筋が、踏むのをやめた。数度ふらつく。ハンドルと額が触れるような前傾姿勢に、心臓が跳ねる。加速体勢ではない。イヤな予感は、当たる。
「あっ」
目の前で111番が落ちた。本当に一瞬だった。落車だ。
「御堂筋!!」
なんで、そんな。頭が真っ白になった。111番、力を失った京都伏見のジャージがひっくり返る。盛大な音を立てて落車、した。さっきまであんなに走ってたのに、突然力が抜けて、そのまま落ちた。嘘でしょ。く、首、今の落ち方って、首大丈夫なの?
「御堂筋!」
喉が引き攣って、悲鳴みたいな声しか出ない。う、嘘だ。死んでないよね?うまく草のところに転がったけど、怪我をしてないとも限らない。立ち上がる気配もない。流石の私も、もうこの男が再び自転車に跨って走り出すことがないとわかった。リタイアだ。
御堂筋のレース理論には常に、勝つか負けるかしかない。それが、ここで落ちた。ゴールまで届かなかった。仮に意識を取り戻しても彼はゴールを目指さない。1年と少し、自転車競技をする仲間を見てきて、その判断はついた。なのに私は聞かずにはいられなかった。
「もういい?いいのね?」
御堂筋はぴくりとも動かない。意識があるのかないのか、うっすらと開いた目はこちらを見ていなかったし、耳を貸そうともしなかった。「もういい」んだ。今日は、今年は「もういい」んだ。私は振り返って、周囲の観客に向けて叫ぶ。
「すみません、どなたか、タオル貸してください!」
腹から声が出せるようになったことは、自転車部に入って良かったことのひとつだ。それから、いざって時の度胸がついたこと。観戦に慣れていそうな雰囲気のおじさんたちが「大丈夫か」「頭は打ってなさそうだ」と近寄ってきた。
私はそれに返事をせず、指先は迷いなく発信ボタンを押していた。押すことの無いよう願っていた、救護車の電話番号。
肩でスマホを挟んだまま、救護に当たる。ゼッケンを一応目視で確認して。それから、死んでないかどうかも……息はある。少なくとも死体の温度ではない。だが、完全に気絶してる。気絶してるだけならいいけど、これが大きな怪我だったらどうしよう。電話が繋がるまでが、ものすごく長く感じた。
呼び出し音が終わって、相手に繋がった瞬間の安堵。血が一気に引くような感覚がして、他人事みたいに静かな声が出た。
「京伏111番リタイアです、救護車お願いします」
辺りには他にもこちらを心配そうに伺う人達がいた。そりゃあんな派手な落ち方したらね、と冷静な私が周囲を観察する。私はその人達に「救護の方は手足りてますので!他の方は選手の応援お願いします!」と声をかける。後ろ髪引かれる様子でこちらをチラチラ伺う人の姿もあるが、「路上のおじさん」だけで手は足りる。
そもそも「路上のおじさん」含め、彼らは「レースを見にきた人」で、「サポートしにきた人」は私だけだ。相手が大人だろうと、救護車が来るまでは私が率先して面倒を見てやらなければならない。この緊張と動揺でフワフワした頭で、適切な対処を。私はひとりじゃない、この妙に慣れてそうなおじさんたちと協力して、とりあえず救護車に引き渡すところまで……
「ごめん!御堂筋くん!!」
「……ッ」
確かに、その声に御堂筋は反応した。生きてる、意識も朦朧としているけど、確かにある。私も思わず顔を上げたが、小野田は振り切るように走り去り、その背中しか見えなかった。
私は本日3日目、ゴール目前の路上待機。最後の登り、残り3キロのボード付近に位置取った。ゴールに向けて残り距離を確認し、ペースを上げる。そういう意味では選手たちの目印になるポイントではある。どんな状況で選手がやってくるかはわからないが、念入りにコースシミュレーションをしたレイさんがここだというなら私はここで待つしかない。私をあえてここに配置したその意図は、まだ掴めていない。最前線の独走、それを総北が3人がかりで捉え、箱根学園はそこからやや遅れをとって追いかける形。巻き返すだけの距離はまだ十分あり、やっぱり私をここに据えたのは、ゴールを目指す最後の応援をさせてやろうというレイさんの気遣いか……あるいはここでレースが動くか。どちらか。
荒北さんの激励を受けて気合いを入れ直したその時。空を見上げて気づく。急速に雲が湧き、冷たい空気が肌を撫でる。天気が怪しい。
「うわっ雨だ」
「やっぱり山の天気だな〜すぐ止むといいんだけど」
急に雨が降り出して、観客も慌て出す。私も急いでカッパを着た。蒸れるとか暑いとか言ってる場合ではない。
……嫌な予感がする。起きてから朝からずっと、ムカムカするような、胃の痛いような、不快感を感じている。昨日夜更かししたせいか、それとも連日の疲れが溜まっているのだろうか。貧血を起こす前みたいなザワザワした不快な感覚。いやだな、ここでぶっ倒れてる場合じゃないのに。喉の支えを誤魔化そうと給水してもその感覚が消えない。
うちの選手が来るのはまだだっていうのに、心臓はすでに早鐘を打っている。幾度となく確認した戦況を再び確認する。京伏の独走、その後方では鳴子の落車……おそらくリタイア。そこから戦況は変わったらしい。最新の情報では、今泉と御堂筋が先頭を争い、それを小野田が追い、その更に後ろを箱学が走っている。真波と、黒田さん。ライバル達のアタック次第だが、ここまでふたりで来たと言うなら、ギリギリまで温存したい考えだろう。最後にどちらが出るのか、私には確証がない。
雨が強い。選手の事故や怪我がないことを祈る。精神も体力も限界状態での降雨、スリップやブレーキミスが起こりかねない……ただでさえレースの終盤の疲労、それからここより少し手前には大きなダウンヒルとカーブのセットがある。慎重に走りたいだろうけど、ライバルに遅れをとるわけにはいかない。
真波も黒田さんも多分大丈夫だと思う。そう信じている。選手は皆、雨天の練習はかなり積んでいるし、私はこの1年、雨が降り風が吹けば「チャンスだ!」とばかりに外練に出ていく部員たちをハラハラ見守ってきた。箱根は地理的にも大雨や大風に見舞われやすい。それと比べたら、こんなの小雨だ。だから、大丈夫。そう信じたいのに、このタイミングでの雨は「もっている」としか言いようがない。先頭を走る誰かがきっと雨男なんだと思う。……それにしても参ったな。結構大降りだ。
そして、ついに、道の向こうに人影が見えた。雨でけぶる視界の中、飛び出してきた先頭。私はタイム差を見ようとスマホを握る力を強める。これが箱根学園の青いジャージじゃないことはわかっていた。
「先頭来たぞ!総北だっ!」
今泉、それからそれを追う御堂筋。どっちも友達だ。私は名前を呼ぼうか、「がんばれ」って言おうか、一瞬悩んだ。今泉はゴールに向けて踏み続ける。
レースはいつだって一瞬で勝負が決まる。御堂筋が、踏むのをやめた。数度ふらつく。ハンドルと額が触れるような前傾姿勢に、心臓が跳ねる。加速体勢ではない。イヤな予感は、当たる。
「あっ」
目の前で111番が落ちた。本当に一瞬だった。落車だ。
「御堂筋!!」
なんで、そんな。頭が真っ白になった。111番、力を失った京都伏見のジャージがひっくり返る。盛大な音を立てて落車、した。さっきまであんなに走ってたのに、突然力が抜けて、そのまま落ちた。嘘でしょ。く、首、今の落ち方って、首大丈夫なの?
「御堂筋!」
喉が引き攣って、悲鳴みたいな声しか出ない。う、嘘だ。死んでないよね?うまく草のところに転がったけど、怪我をしてないとも限らない。立ち上がる気配もない。流石の私も、もうこの男が再び自転車に跨って走り出すことがないとわかった。リタイアだ。
御堂筋のレース理論には常に、勝つか負けるかしかない。それが、ここで落ちた。ゴールまで届かなかった。仮に意識を取り戻しても彼はゴールを目指さない。1年と少し、自転車競技をする仲間を見てきて、その判断はついた。なのに私は聞かずにはいられなかった。
「もういい?いいのね?」
御堂筋はぴくりとも動かない。意識があるのかないのか、うっすらと開いた目はこちらを見ていなかったし、耳を貸そうともしなかった。「もういい」んだ。今日は、今年は「もういい」んだ。私は振り返って、周囲の観客に向けて叫ぶ。
「すみません、どなたか、タオル貸してください!」
腹から声が出せるようになったことは、自転車部に入って良かったことのひとつだ。それから、いざって時の度胸がついたこと。観戦に慣れていそうな雰囲気のおじさんたちが「大丈夫か」「頭は打ってなさそうだ」と近寄ってきた。
私はそれに返事をせず、指先は迷いなく発信ボタンを押していた。押すことの無いよう願っていた、救護車の電話番号。
肩でスマホを挟んだまま、救護に当たる。ゼッケンを一応目視で確認して。それから、死んでないかどうかも……息はある。少なくとも死体の温度ではない。だが、完全に気絶してる。気絶してるだけならいいけど、これが大きな怪我だったらどうしよう。電話が繋がるまでが、ものすごく長く感じた。
呼び出し音が終わって、相手に繋がった瞬間の安堵。血が一気に引くような感覚がして、他人事みたいに静かな声が出た。
「京伏111番リタイアです、救護車お願いします」
辺りには他にもこちらを心配そうに伺う人達がいた。そりゃあんな派手な落ち方したらね、と冷静な私が周囲を観察する。私はその人達に「救護の方は手足りてますので!他の方は選手の応援お願いします!」と声をかける。後ろ髪引かれる様子でこちらをチラチラ伺う人の姿もあるが、「路上のおじさん」だけで手は足りる。
そもそも「路上のおじさん」含め、彼らは「レースを見にきた人」で、「サポートしにきた人」は私だけだ。相手が大人だろうと、救護車が来るまでは私が率先して面倒を見てやらなければならない。この緊張と動揺でフワフワした頭で、適切な対処を。私はひとりじゃない、この妙に慣れてそうなおじさんたちと協力して、とりあえず救護車に引き渡すところまで……
「ごめん!御堂筋くん!!」
「……ッ」
確かに、その声に御堂筋は反応した。生きてる、意識も朦朧としているけど、確かにある。私も思わず顔を上げたが、小野田は振り切るように走り去り、その背中しか見えなかった。
