去る春、君の声だけが在るIF
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目が覚めたらオレは猫だった。毛むくじゃらの前足。短い後ろ足。体を覆う、ちょっと癖のある黒い毛。家主に失礼して、机の上の鏡を勝手に覗きこむ。確かに猫だった。
人間のはずのオレが猫になった理由は明らかだ。箱根の山神(東堂さんじゃない方)はいたずらが好きで、たまにこうして自転車部の部員を猫の姿に変えてしまうのだという。自転車部の部員に限られるのは、日々山を元気良く登っていく姿を見ているから……らしい。信じがたい非科学的事象だが、先輩方も巻き込まれたことがあり、オレも新キャプテンに就任した真波から8月、「猫になることも、猫を呼び出すこともあるだろうから」とある程度の事情を聞いてはいる。しかしいざなってみるとこれは……困るな。
机の上には生物の教科書、鏡……デスクライトの電源コードが妙に興味を誘って、爪に引っ掛け引っ張りたい気持ちに駆られたが、首を振って断念する。机の上をめちゃくちゃにしたら、家主が困るだろう。
それからたくさん飾られた正清の写真。二人が部屋に写真を置くことで言い争ったのは見ていたから知っていたが、実物を見るのは初めてだ。こちらを射抜く瞳、こんなの部屋に置いといたらリラックスできないだろうが、オレが口を出すことではない。
これだけ見れば家主はもう、わかっている。よりによって女子寮に呼び出されるとは……机から飛び降りて、再びベッドに着地する。家主は静かに眠っている。制服で寝落ちしたらしく、掛け布団の上に倒れ伏している。名前。
オレ一匹ではこの事象は解決しないので容赦なく起こす。えいっ、猫パンチ。
「う……あれ、猫……」
寝ぼけたまま手を伸ばしてくるので、それを避ける。オレは同級生に撫で回される趣味はない。早くオレに気付け、それで部屋に帰してくれ。非難の言葉は「にゃーにゃー」になった。絶対名前は正しく意味を受け取れないだろう。
「美にゃんだねえ、ツヤツヤだねえ。 いつもの子 とは違う黒猫ちゃんだね?」
……頼むから、可愛らしいものを見る目で見ないでくれ。いつもお前に頼られる「当代参謀」のプライドが傷つくから。名前の語彙では、「美人」の猫バージョンが「美にゃん」なのは、少し前に「猫を呼び出した」時の話で聞いている。名前は「誰を呼び出したか」明かさなかったが、あの時の被害者は葦木場さんだったらしい。次は黒田さんあたりだと踏んでいたが、まさかオレが呼ばれるとは。
撫でようとする手があまりにしつこいので、ベッドから飛び降り、ふいっと顔を背けて見せると名前の動きが止まった。
「……え、レイさん?」
察しが良いようで何より!この仕草のどこで高田城礼 だと確信したのか、気になるところだが。ともかくさっさと満足して、オレを人間に戻してくれ……しかし、オレの口から出たのはやっぱり「にゃあ」と猫の声だけ。
「やっぱりレイさんだ。っていうか、また自転車部の関係者が猫に……」
名前も前回の騒動を受けて「人間が猫になっている」ある程度の事情を知っているようだ。突然現れた猫を同級生だと断じる声に迷いはない。
「そうだ。レイさん、ストップウォッチみたいなのなかった?」
ストップウォッチ?短い首をぐるりと回す。
机の上の教科書、写真、鏡……それから床の上の脱ぎ捨てられた制服。ベッドから降りて、名前が制服を拾う。
「なぜかみんなこの部屋で脱ぐんだよなあ」
待て、それはオレの制服か?名前が胸ポケットの学生証を確認して「……本当にレイさんだ」と呟く。
「あ、メーターあった」
名前は制服の山からそれを拾い上げる。足にまとわりついて「見せろ」と主張すれば、名前はオレの脇を持って持ち上げ、再びベッドに乗せた。ストップウォッチではなかった。どちらかというと、車のアナログスピードメーターのような。
「たぶん、このメーターが「max」になると戻れる仕組み。今8割だし、すぐに戻れるんじゃないかな」
「にゃあ」
そうだといいんだがな。名前は「大丈夫だよ」と言ってオレの頭を撫でた。おい、やめろ。
「で、人間に戻ると同時に自動的に部屋に戻るシステムらしいの。ただ……今のところ成功例1だから、もし全裸でその辺に放り出されたらごめんね?」
勘弁してくれ!何が「大丈夫」だ!不満の声はシャーという情けない威嚇にしかならない。名前は「ネコシャーだ!」と全然堪えていない様子。
「お部屋戻ったら電話してね。制服は明日の朝名前が持ってくけど、それまでどうにかしてね……あ、朝練来るか。じゃあその時に渡すね」
「んにゃあ」
「朝食の時にネクタイなしの変なカッコしてると絶対黒田さんに『朝帰りか?』て言われるから気をつけてね……」
……最早ツッコミどころしかない。勘弁してくれ。オレが悪いのか?オレが黒田さんのような百戦百勝の作戦隊長になれないから、こんな目に……そもそも名前の手綱を握るのはオレには荷が重くて……
うんうん悩んでいる間に名前の手が伸びてきて、逃げそびれた。優しく顎の下を撫でられて悲鳴が出た。恐ろしいのはそれが不快じゃなかったことだ。ね、猫の体恐るべし。
「んにゃあっ」
「いいでしょう?明日制服持ってってあげるからその分撫でさせて。あ、大丈夫。パンツは見ないようにするから」
いい訳あるか!!なにが「大丈夫」だっ!ちょっと待て!聞きたいことが山ほどっ
「ツヤツヤだね、美人さんだね」
「んにゃーーーーー」
やめろ!自分より大きい人間に襲い掛かられる恐怖、同級生女子に撫で回される羞恥で悲鳴が出たが、残念ながら情けない猫の声だった。
かわいいと撫で回されるうちに何にも考えられなくなって、仰向けに転がされて、ろくな抵抗もできないまま最後は腹まで吸われる始末。「やめろ」と言おうとしても、喉から漏れるのは「にゃあにゃあ」とかいう甘えた鳴き声ばかりで絶望する。調子に乗った名前は「美にゃん美にゃん」とオレを褒めながら全身撫で回す。あ、足やめろ、腹も嫌だ。よせ、よせってば……
「んにゃんにゃんん……」
「気持ちよさそうなのにすごく不満な顔してる……お気に召さなかった?」
な、なんでオレがこんな目に……猫やばすぎるだろ、著しく知能指数が低下しているのを嫌でも突きつけられ、困惑すると同時に恐怖すら感じる。
だってオレは、此度の代替わりで幹部に選んでもらったのは……実力も経験も悔しいことにまだまだ真波と銅橋 に及ばず、だからこそ真波と銅橋 を助けるための頭脳とならねばならず、なのにオレは、先日の峰ヶ山のレースでも、オレは…………あっこら名前邪魔するな、そこ嫌だ、そこ触るなって!そう、触るならそっち……あーーー、あ、そこ……耳のとこ……そっちが好き……ぐるるるるr……
◼︎
アラームと違う、ライン通話の音で目が覚めた。名前だ。一瞬にして昨日のことを思い出し血の気が引いた。オレは、ど、同級生に撫でまわされあろうことか腹まで吸われて、にゃんにゃん喘いで。
そういえばメガネどこだ。メガネメガネ……。視界がはっきりすると些か冷静さを取り戻したような気がした。電話に出る。
「レイさん無事?起きてる?部屋戻れた?……記憶ある?」
「……ああ。朝練の時に制服もらっていいか?」
「うん。体調悪かったら無理しないでね」
「問題ないよ」
果たして「無事」とは何を持って無事と看做すのだろう。精神的には全く無事ではない。ていうかあの部屋、正清の写真が多いからああいう目に遭わされるの、普通に嫌だな……視線が……っていうか友達を裏切ってる気分になる……
「猫になる部屋」についてはもちろん知識があった。しかしいざ猫になってみると全然平常心ではいられなくて、それからいつものように思考ができないことも想定外だった。箱根学園の参謀のくせにまだまだだな、オレは……暖房もつけずに全裸で寝ていたせいで、くしゃみが出た。箱根の朝は寒い。しかしもうひと眠りしたら、朝練に行かなければ……とりあえず、パンツ履こう。
人間のはずのオレが猫になった理由は明らかだ。箱根の山神(東堂さんじゃない方)はいたずらが好きで、たまにこうして自転車部の部員を猫の姿に変えてしまうのだという。自転車部の部員に限られるのは、日々山を元気良く登っていく姿を見ているから……らしい。信じがたい非科学的事象だが、先輩方も巻き込まれたことがあり、オレも新キャプテンに就任した真波から8月、「猫になることも、猫を呼び出すこともあるだろうから」とある程度の事情を聞いてはいる。しかしいざなってみるとこれは……困るな。
机の上には生物の教科書、鏡……デスクライトの電源コードが妙に興味を誘って、爪に引っ掛け引っ張りたい気持ちに駆られたが、首を振って断念する。机の上をめちゃくちゃにしたら、家主が困るだろう。
それからたくさん飾られた正清の写真。二人が部屋に写真を置くことで言い争ったのは見ていたから知っていたが、実物を見るのは初めてだ。こちらを射抜く瞳、こんなの部屋に置いといたらリラックスできないだろうが、オレが口を出すことではない。
これだけ見れば家主はもう、わかっている。よりによって女子寮に呼び出されるとは……机から飛び降りて、再びベッドに着地する。家主は静かに眠っている。制服で寝落ちしたらしく、掛け布団の上に倒れ伏している。名前。
オレ一匹ではこの事象は解決しないので容赦なく起こす。えいっ、猫パンチ。
「う……あれ、猫……」
寝ぼけたまま手を伸ばしてくるので、それを避ける。オレは同級生に撫で回される趣味はない。早くオレに気付け、それで部屋に帰してくれ。非難の言葉は「にゃーにゃー」になった。絶対名前は正しく意味を受け取れないだろう。
「美にゃんだねえ、ツヤツヤだねえ。
……頼むから、可愛らしいものを見る目で見ないでくれ。いつもお前に頼られる「当代参謀」のプライドが傷つくから。名前の語彙では、「美人」の猫バージョンが「美にゃん」なのは、少し前に「猫を呼び出した」時の話で聞いている。名前は「誰を呼び出したか」明かさなかったが、あの時の被害者は葦木場さんだったらしい。次は黒田さんあたりだと踏んでいたが、まさかオレが呼ばれるとは。
撫でようとする手があまりにしつこいので、ベッドから飛び降り、ふいっと顔を背けて見せると名前の動きが止まった。
「……え、レイさん?」
察しが良いようで何より!この仕草のどこで
「やっぱりレイさんだ。っていうか、また自転車部の関係者が猫に……」
名前も前回の騒動を受けて「人間が猫になっている」ある程度の事情を知っているようだ。突然現れた猫を同級生だと断じる声に迷いはない。
「そうだ。レイさん、ストップウォッチみたいなのなかった?」
ストップウォッチ?短い首をぐるりと回す。
机の上の教科書、写真、鏡……それから床の上の脱ぎ捨てられた制服。ベッドから降りて、名前が制服を拾う。
「なぜかみんなこの部屋で脱ぐんだよなあ」
待て、それはオレの制服か?名前が胸ポケットの学生証を確認して「……本当にレイさんだ」と呟く。
「あ、メーターあった」
名前は制服の山からそれを拾い上げる。足にまとわりついて「見せろ」と主張すれば、名前はオレの脇を持って持ち上げ、再びベッドに乗せた。ストップウォッチではなかった。どちらかというと、車のアナログスピードメーターのような。
「たぶん、このメーターが「max」になると戻れる仕組み。今8割だし、すぐに戻れるんじゃないかな」
「にゃあ」
そうだといいんだがな。名前は「大丈夫だよ」と言ってオレの頭を撫でた。おい、やめろ。
「で、人間に戻ると同時に自動的に部屋に戻るシステムらしいの。ただ……今のところ成功例1だから、もし全裸でその辺に放り出されたらごめんね?」
勘弁してくれ!何が「大丈夫」だ!不満の声はシャーという情けない威嚇にしかならない。名前は「ネコシャーだ!」と全然堪えていない様子。
「お部屋戻ったら電話してね。制服は明日の朝名前が持ってくけど、それまでどうにかしてね……あ、朝練来るか。じゃあその時に渡すね」
「んにゃあ」
「朝食の時にネクタイなしの変なカッコしてると絶対黒田さんに『朝帰りか?』て言われるから気をつけてね……」
……最早ツッコミどころしかない。勘弁してくれ。オレが悪いのか?オレが黒田さんのような百戦百勝の作戦隊長になれないから、こんな目に……そもそも名前の手綱を握るのはオレには荷が重くて……
うんうん悩んでいる間に名前の手が伸びてきて、逃げそびれた。優しく顎の下を撫でられて悲鳴が出た。恐ろしいのはそれが不快じゃなかったことだ。ね、猫の体恐るべし。
「んにゃあっ」
「いいでしょう?明日制服持ってってあげるからその分撫でさせて。あ、大丈夫。パンツは見ないようにするから」
いい訳あるか!!なにが「大丈夫」だっ!ちょっと待て!聞きたいことが山ほどっ
「ツヤツヤだね、美人さんだね」
「んにゃーーーーー」
やめろ!自分より大きい人間に襲い掛かられる恐怖、同級生女子に撫で回される羞恥で悲鳴が出たが、残念ながら情けない猫の声だった。
かわいいと撫で回されるうちに何にも考えられなくなって、仰向けに転がされて、ろくな抵抗もできないまま最後は腹まで吸われる始末。「やめろ」と言おうとしても、喉から漏れるのは「にゃあにゃあ」とかいう甘えた鳴き声ばかりで絶望する。調子に乗った名前は「美にゃん美にゃん」とオレを褒めながら全身撫で回す。あ、足やめろ、腹も嫌だ。よせ、よせってば……
「んにゃんにゃんん……」
「気持ちよさそうなのにすごく不満な顔してる……お気に召さなかった?」
な、なんでオレがこんな目に……猫やばすぎるだろ、著しく知能指数が低下しているのを嫌でも突きつけられ、困惑すると同時に恐怖すら感じる。
だってオレは、此度の代替わりで幹部に選んでもらったのは……実力も経験も悔しいことにまだまだ
◼︎
アラームと違う、ライン通話の音で目が覚めた。名前だ。一瞬にして昨日のことを思い出し血の気が引いた。オレは、ど、同級生に撫でまわされあろうことか腹まで吸われて、にゃんにゃん喘いで。
そういえばメガネどこだ。メガネメガネ……。視界がはっきりすると些か冷静さを取り戻したような気がした。電話に出る。
「レイさん無事?起きてる?部屋戻れた?……記憶ある?」
「……ああ。朝練の時に制服もらっていいか?」
「うん。体調悪かったら無理しないでね」
「問題ないよ」
果たして「無事」とは何を持って無事と看做すのだろう。精神的には全く無事ではない。ていうかあの部屋、正清の写真が多いからああいう目に遭わされるの、普通に嫌だな……視線が……っていうか友達を裏切ってる気分になる……
「猫になる部屋」についてはもちろん知識があった。しかしいざ猫になってみると全然平常心ではいられなくて、それからいつものように思考ができないことも想定外だった。箱根学園の参謀のくせにまだまだだな、オレは……暖房もつけずに全裸で寝ていたせいで、くしゃみが出た。箱根の朝は寒い。しかしもうひと眠りしたら、朝練に行かなければ……とりあえず、パンツ履こう。
