去る春、君の声だけが在るIF
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目を覚ましたらオレは猫だった。
大きなベッドの上、体を起こして違和感に気づく。いつもより遥かに視線が低い。手を確認したら、毛むくじゃらの前足になっていたのですぐ気がついた。オレ、猫になってる!
辺りを観察すると、ベッドの下に全部まとめて脱ぎ捨てたような形で制服が落ちていた。見慣れたネクタイのほつれ、あのサイズ……自分のもので間違いないだろう。
それからベッドの上の人間が目を覚ます。こちらはしっかりと制服を着ている。男子制服のスラックスを履いた足がシーツをかいて。大きな目がぼんやりとこちらを見ている。名前。
「あ……」
「にゃー」
オレだよ。名前気づいて。そう思って喉を震わせても、出てきたのは猫の鳴き声。名前はゆっくり身を起こし(急に起き上がると眩暈がするからだ)、その間視線をオレから逸さなかった。首を傾げる。
「ね、こ……にしてはデカくない?」
「にゃ?」
猫だよ!オレ、猫になったんだよ!オレと名前は40センチ近く身長差があるから、見下ろされるのは珍しい。名前はゆっくり手を伸ばしてきた。寝起きのせいかぼんやりとした様子で、ふにゃりと笑う。
「どこから来たの?ベランダのとこ、閉めて寝たはずなんだけどな」
「にゃあ」
名前、オレだよ。お前の先輩の葦木場拓斗!
「なでなでしてもいい?……ありがとう」
いや別にいいとは、言ってなくて。名前は勝手に同意を得たつもりになって、毛をすかすように背中を撫でる。寝起きのせいで暖かい体温がたまらない。抵抗しようにも、名前が優しい手つきで頭を撫でると何も考えられなくなる。
「毛艶がいいね。家猫ちゃんかな。脱走してきちゃったの?やんちゃさんね」
脱走したんじゃなくて、起きたらここにいたんだ。そうだ、名前ここはどこ?男子寮とは明らかに違う内装、名前の手から逃れようと身を捩ったら、バッシーと目があった。写真?そうだ、名前はレース中のバッシーの写真を部屋に飾ってるって…じゃあここは名前の部屋?まずい。男子学生は女子寮に侵入すると最悪停学で。
この大事な時期に停学はまずい。それに猫の体のままじゃ、自転車に乗れない……どうしよう!「早く戻せ」と訴えるつもりで名前に飛びつくと、名前は呑気に「えー甘えてくれるの?かわいいね」と微笑んだ。名前が自転車部の先輩であるオレにこういう風に話しかけることは滅多になくて……なんだかすごく居心地が悪い。いや、今はオレだって分かってないから仕方ないんだけど……
「にゃー!」
名前!早く気づいて!オレを人間に戻して、この体じゃ自転車に乗れないんだよ。さっさと人間の体に戻って、誰にも見つからないように、こっそり部屋を出て、自室まで帰る……こういう時体が大きいというのは不便なんだ。
「猫ちゃん、よく見たら、『くるん』があるね。葦木場さんとお揃いだね。長毛さんは『くるん』になりやすいのかな」
「にゃー!」
だからオレだって!名前はお構いなしに「くるん」を指先で撫でた。毛並みを整えるようにそっと。
「ほっぺのマークもお揃いだね。ふふ、本当にそっくりだ……」
あ、ちょっと。名前、そこ触られると……喉がグルグル鳴ってしまう。それにほっぺのところ、優しくぐりぐりされるとすごく気持ちいい。名前は普段(普段っていうのはオレが人間で、名前の先輩をしている時)絶対オレにこういう触り方をしてこない。それどころか、名前の同級生の間で「葦木場先輩のハートのほくろに触ると願いがかなう」みたいなジンクスが流行った時は心の底から嫌そうにしていた。オレが名前に触ったのは怪我の手当、つまずいて転びそうになった時、それから名前が泣いてないか確認する時……同じ部活に2年弱いたとはいえ、選手とマネージャー、男女の隔たりは大きい。これまで名前から触ってくるようなことはほとんどなかった。はずだ。
「……もしかして、本当に葦木場さんなの?」
名前!
「そんなわけないか〜ほんとにそっくりさんだね〜」
名前ー!
「私の先輩もね、君と同じでおっきくて、『くるん』とハートがあるんだよ。茶色くてふわふわなところも似てるかも。触ったことないけど……先輩もね、髪長いんだ」
そんなに似てるのに、なんでわからないんだろう……オレは名前の膝から脱走した。そしてそのまま意を決してえいやっとベッドから降りる。
「わ、すっごい伸びた……さすが猫……」
いつもは大したことない高さなのに、猫の体では勇気のいる。でも、ここにいたら名前に朝まで撫で回されて「ダメ」になる。とりあえず男子寮まで戻って……人間への戻り方はそれから考えよう。
ここで名前は床に落ちた男子制服に気がついた。脱ぎ散らかした衣類に眉を顰め。
「私のじゃない……よね?サイズ大きいし……」
名前もベッドを降りて、床に脱ぎ捨てられた服をそっと拾い上げる。手に取ったのはいちばん上にあったブレザー。その袖の中にはシャツが着ていた時の形のまま残されていて、オレがこの部屋で猫になったことは明らかだった。決定的証拠だ。名前は胸ポケットの生徒手帳を「失礼します」と言って開いた。4月に撮った証明写真は半目で、まじまじ見られるとちょっと恥ずかしい。
「あ、葦木場さん……!」
そうだよオレだよ!やっと気づいてくれた?名前の顔は一気に青ざめる。
「ま、まさか全裸で外に……?もしくはこの部屋に……?」
……もしかして、これ人間に戻れてもやばい?
名前は慌てて床に這いつくばる。オレと視線を合わせようとして。
「もしかして、本当に葦木場さん……ですか」
「にゃー」
そうだよ、の鳴き声は今度こそ伝わったようだ。ごちんと音がして、名前のおでこが勢いよく床にぶつかった。痛そう!
「すみません!あ、葦木場さんと知らず……思いっきり撫で回してしまいました……本当に、遠慮なく……」
「にゃー」
「ごめんなさい……」
「にゃあ」
いいよ。気にしないで。しかし出てくるのは猫の鳴き声のみ。おかしいな、正体を見破られたら元の姿に戻れるのが昔話の定番だと思ったんだけど……?
床に伏せていた名前が顔を上げて「ん?ストップウォッチ持って帰ってきちゃったかな」と呟いた。視線の先を振り返れば確かにそれらしきものが制服と一緒に落ちていた。
「これ、葦木場さんのですか?」
「にゃー」
「違うんですか?……なんだこれ」
名前が拾い上げたそれは、タイム測る用のストップウォッチじゃなかった。アナログ表示で「min」「max」の文字が両端に、針は「max」に向かってじわじわとふれていく。進捗度、およそ70パーセントといったところ。見たことのない機械だ。
「……もしかして、これが満タンになったら戻るの?」
名前の声は恐怖に震えた。……いや違う。ちょっと嬉しそう?勢いよく頭を振って、伸ばしかけの髪がぐしゃぐしゃになった。
「じゃ、じゃあ待つしかないのかも?葦木場さんもそれでいいですか?他に何か方法を探しましょうか」
いいよ。針はゆっくりとしかし確かに、「max」に向かっている。これが「max」に到達した時に戻れなかったらまた別の方法を考えればいい。オレが頷いて見せると名前の表情はぱあっと明るくなった。
「あ、あの……葦木場さん」
何?
「その……戻るまで、なでなでしてもいいですか」
オレは名前の顔をじっくり眺めた。代替わりを経て、真波がキャプテンになり、名前も選手以外の部員をまとめる立場になった。きっと苦労していると思う。オレらがそうだったように、何もかも順調とはいかないだろう。寮生なのをいいことに遅くまで作業をしていることも多いようだ。そして、去年福富さん達3年生にそうしたように、引退したオレらに甘えてくる気配はない。
……仕方ないなあ。そういう顔でゴロンと転がると名前は勝手に同意を得たつもりになって「わあ!嬉しいですありがとうございますっ!」と弾けんばかりの笑顔を浮かべた。先輩相手とは思えない遠慮のなさで、腹を触られる。かわいい後輩の気分転換になるなら、猫の体を撫で回されるくらい……な、撫で回されるくら、い……あ、そこ気持ちいい、そこもっと……あ〜そこ、グルグルグル……
◼︎
目が覚めたら、オレは寮の部屋に戻っていた。服は着てなかった。え?オレ全裸で女子寮から帰ってきたの?通報されちゃう!手錠をかけられて神奈川県警のパトカーに乗せられるビジョンが見える。しかしパニックの脳内劇場は、携帯の着信音で中断した。名前。
「もしもし」
「あ葦木場さん!無事ですかっ今どちらに!」
半泣きの後輩の声、自然と頭の中が切り替わる。
「落ちついて。オレは寮の自分の部屋にいるよ」
「よ、よかった……!よかったです!」
「名前、昨日のことは覚えてる?あの機械……メーターは確認した?」
「わ、私途中で寝落ちしちゃって……メーターも起きたらなくて!それより葦木場さん体調は大丈夫なんですか?具合悪かったりしないですか?」
「大丈夫だよ。人間に戻れたから、何も心配いらない」
「あ、あと、その……」
「どうした?」
大混乱中の名前を宥めるために、なるべく落ち着いた、クールな先輩の声を心掛ける。意図せずとも寝起きの声は低く、名前が慕う「憧れのエース」らしさを演出した。
「葦木場さんの制服も、ぱ、パンツも……!部屋にあるんですけど、これどうしたらいいですかぁ!?!?」
朝4時、隣室に配慮したのか、恥ずかしかったのか……名前の押し殺した悲鳴を聞いてため息が出そうになる。取りに戻ろうにも当然ながら男子生徒は女子寮に入れない。昨晩は入っちゃったけど。あれは事故だ……ということにしておこう。
制服は名前に持ってきてもらうことにして。シャツ、スラックスの替えはあるけどブレザーとネクタイはない。上からセーターを着て、ネクタイがないのは誤魔化すしかない。それでも目ざといユキちゃんはきっと何か言ってくるだろう。制服の回収とそれからユキちゃん達への言い訳。朝からやることは山積みだ……とりあえずパンツ履こう。
大きなベッドの上、体を起こして違和感に気づく。いつもより遥かに視線が低い。手を確認したら、毛むくじゃらの前足になっていたのですぐ気がついた。オレ、猫になってる!
辺りを観察すると、ベッドの下に全部まとめて脱ぎ捨てたような形で制服が落ちていた。見慣れたネクタイのほつれ、あのサイズ……自分のもので間違いないだろう。
それからベッドの上の人間が目を覚ます。こちらはしっかりと制服を着ている。男子制服のスラックスを履いた足がシーツをかいて。大きな目がぼんやりとこちらを見ている。名前。
「あ……」
「にゃー」
オレだよ。名前気づいて。そう思って喉を震わせても、出てきたのは猫の鳴き声。名前はゆっくり身を起こし(急に起き上がると眩暈がするからだ)、その間視線をオレから逸さなかった。首を傾げる。
「ね、こ……にしてはデカくない?」
「にゃ?」
猫だよ!オレ、猫になったんだよ!オレと名前は40センチ近く身長差があるから、見下ろされるのは珍しい。名前はゆっくり手を伸ばしてきた。寝起きのせいかぼんやりとした様子で、ふにゃりと笑う。
「どこから来たの?ベランダのとこ、閉めて寝たはずなんだけどな」
「にゃあ」
名前、オレだよ。お前の先輩の葦木場拓斗!
「なでなでしてもいい?……ありがとう」
いや別にいいとは、言ってなくて。名前は勝手に同意を得たつもりになって、毛をすかすように背中を撫でる。寝起きのせいで暖かい体温がたまらない。抵抗しようにも、名前が優しい手つきで頭を撫でると何も考えられなくなる。
「毛艶がいいね。家猫ちゃんかな。脱走してきちゃったの?やんちゃさんね」
脱走したんじゃなくて、起きたらここにいたんだ。そうだ、名前ここはどこ?男子寮とは明らかに違う内装、名前の手から逃れようと身を捩ったら、バッシーと目があった。写真?そうだ、名前はレース中のバッシーの写真を部屋に飾ってるって…じゃあここは名前の部屋?まずい。男子学生は女子寮に侵入すると最悪停学で。
この大事な時期に停学はまずい。それに猫の体のままじゃ、自転車に乗れない……どうしよう!「早く戻せ」と訴えるつもりで名前に飛びつくと、名前は呑気に「えー甘えてくれるの?かわいいね」と微笑んだ。名前が自転車部の先輩であるオレにこういう風に話しかけることは滅多になくて……なんだかすごく居心地が悪い。いや、今はオレだって分かってないから仕方ないんだけど……
「にゃー!」
名前!早く気づいて!オレを人間に戻して、この体じゃ自転車に乗れないんだよ。さっさと人間の体に戻って、誰にも見つからないように、こっそり部屋を出て、自室まで帰る……こういう時体が大きいというのは不便なんだ。
「猫ちゃん、よく見たら、『くるん』があるね。葦木場さんとお揃いだね。長毛さんは『くるん』になりやすいのかな」
「にゃー!」
だからオレだって!名前はお構いなしに「くるん」を指先で撫でた。毛並みを整えるようにそっと。
「ほっぺのマークもお揃いだね。ふふ、本当にそっくりだ……」
あ、ちょっと。名前、そこ触られると……喉がグルグル鳴ってしまう。それにほっぺのところ、優しくぐりぐりされるとすごく気持ちいい。名前は普段(普段っていうのはオレが人間で、名前の先輩をしている時)絶対オレにこういう触り方をしてこない。それどころか、名前の同級生の間で「葦木場先輩のハートのほくろに触ると願いがかなう」みたいなジンクスが流行った時は心の底から嫌そうにしていた。オレが名前に触ったのは怪我の手当、つまずいて転びそうになった時、それから名前が泣いてないか確認する時……同じ部活に2年弱いたとはいえ、選手とマネージャー、男女の隔たりは大きい。これまで名前から触ってくるようなことはほとんどなかった。はずだ。
「……もしかして、本当に葦木場さんなの?」
名前!
「そんなわけないか〜ほんとにそっくりさんだね〜」
名前ー!
「私の先輩もね、君と同じでおっきくて、『くるん』とハートがあるんだよ。茶色くてふわふわなところも似てるかも。触ったことないけど……先輩もね、髪長いんだ」
そんなに似てるのに、なんでわからないんだろう……オレは名前の膝から脱走した。そしてそのまま意を決してえいやっとベッドから降りる。
「わ、すっごい伸びた……さすが猫……」
いつもは大したことない高さなのに、猫の体では勇気のいる。でも、ここにいたら名前に朝まで撫で回されて「ダメ」になる。とりあえず男子寮まで戻って……人間への戻り方はそれから考えよう。
ここで名前は床に落ちた男子制服に気がついた。脱ぎ散らかした衣類に眉を顰め。
「私のじゃない……よね?サイズ大きいし……」
名前もベッドを降りて、床に脱ぎ捨てられた服をそっと拾い上げる。手に取ったのはいちばん上にあったブレザー。その袖の中にはシャツが着ていた時の形のまま残されていて、オレがこの部屋で猫になったことは明らかだった。決定的証拠だ。名前は胸ポケットの生徒手帳を「失礼します」と言って開いた。4月に撮った証明写真は半目で、まじまじ見られるとちょっと恥ずかしい。
「あ、葦木場さん……!」
そうだよオレだよ!やっと気づいてくれた?名前の顔は一気に青ざめる。
「ま、まさか全裸で外に……?もしくはこの部屋に……?」
……もしかして、これ人間に戻れてもやばい?
名前は慌てて床に這いつくばる。オレと視線を合わせようとして。
「もしかして、本当に葦木場さん……ですか」
「にゃー」
そうだよ、の鳴き声は今度こそ伝わったようだ。ごちんと音がして、名前のおでこが勢いよく床にぶつかった。痛そう!
「すみません!あ、葦木場さんと知らず……思いっきり撫で回してしまいました……本当に、遠慮なく……」
「にゃー」
「ごめんなさい……」
「にゃあ」
いいよ。気にしないで。しかし出てくるのは猫の鳴き声のみ。おかしいな、正体を見破られたら元の姿に戻れるのが昔話の定番だと思ったんだけど……?
床に伏せていた名前が顔を上げて「ん?ストップウォッチ持って帰ってきちゃったかな」と呟いた。視線の先を振り返れば確かにそれらしきものが制服と一緒に落ちていた。
「これ、葦木場さんのですか?」
「にゃー」
「違うんですか?……なんだこれ」
名前が拾い上げたそれは、タイム測る用のストップウォッチじゃなかった。アナログ表示で「min」「max」の文字が両端に、針は「max」に向かってじわじわとふれていく。進捗度、およそ70パーセントといったところ。見たことのない機械だ。
「……もしかして、これが満タンになったら戻るの?」
名前の声は恐怖に震えた。……いや違う。ちょっと嬉しそう?勢いよく頭を振って、伸ばしかけの髪がぐしゃぐしゃになった。
「じゃ、じゃあ待つしかないのかも?葦木場さんもそれでいいですか?他に何か方法を探しましょうか」
いいよ。針はゆっくりとしかし確かに、「max」に向かっている。これが「max」に到達した時に戻れなかったらまた別の方法を考えればいい。オレが頷いて見せると名前の表情はぱあっと明るくなった。
「あ、あの……葦木場さん」
何?
「その……戻るまで、なでなでしてもいいですか」
オレは名前の顔をじっくり眺めた。代替わりを経て、真波がキャプテンになり、名前も選手以外の部員をまとめる立場になった。きっと苦労していると思う。オレらがそうだったように、何もかも順調とはいかないだろう。寮生なのをいいことに遅くまで作業をしていることも多いようだ。そして、去年福富さん達3年生にそうしたように、引退したオレらに甘えてくる気配はない。
……仕方ないなあ。そういう顔でゴロンと転がると名前は勝手に同意を得たつもりになって「わあ!嬉しいですありがとうございますっ!」と弾けんばかりの笑顔を浮かべた。先輩相手とは思えない遠慮のなさで、腹を触られる。かわいい後輩の気分転換になるなら、猫の体を撫で回されるくらい……な、撫で回されるくら、い……あ、そこ気持ちいい、そこもっと……あ〜そこ、グルグルグル……
◼︎
目が覚めたら、オレは寮の部屋に戻っていた。服は着てなかった。え?オレ全裸で女子寮から帰ってきたの?通報されちゃう!手錠をかけられて神奈川県警のパトカーに乗せられるビジョンが見える。しかしパニックの脳内劇場は、携帯の着信音で中断した。名前。
「もしもし」
「あ葦木場さん!無事ですかっ今どちらに!」
半泣きの後輩の声、自然と頭の中が切り替わる。
「落ちついて。オレは寮の自分の部屋にいるよ」
「よ、よかった……!よかったです!」
「名前、昨日のことは覚えてる?あの機械……メーターは確認した?」
「わ、私途中で寝落ちしちゃって……メーターも起きたらなくて!それより葦木場さん体調は大丈夫なんですか?具合悪かったりしないですか?」
「大丈夫だよ。人間に戻れたから、何も心配いらない」
「あ、あと、その……」
「どうした?」
大混乱中の名前を宥めるために、なるべく落ち着いた、クールな先輩の声を心掛ける。意図せずとも寝起きの声は低く、名前が慕う「憧れのエース」らしさを演出した。
「葦木場さんの制服も、ぱ、パンツも……!部屋にあるんですけど、これどうしたらいいですかぁ!?!?」
朝4時、隣室に配慮したのか、恥ずかしかったのか……名前の押し殺した悲鳴を聞いてため息が出そうになる。取りに戻ろうにも当然ながら男子生徒は女子寮に入れない。昨晩は入っちゃったけど。あれは事故だ……ということにしておこう。
制服は名前に持ってきてもらうことにして。シャツ、スラックスの替えはあるけどブレザーとネクタイはない。上からセーターを着て、ネクタイがないのは誤魔化すしかない。それでも目ざといユキちゃんはきっと何か言ってくるだろう。制服の回収とそれからユキちゃん達への言い訳。朝からやることは山積みだ……とりあえずパンツ履こう。
