去る春、君の声だけが在る2
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翌朝5時。アラームの2秒前に目が覚めた。深夜に2回くらい目が覚めて眠りは浅かったが、まずまずと言えるだろう。
やけに胃が重いのは、緊張のせい。ここ数日、良くなりも悪くなりもせず胃がちょっと痛いけどこれは普通の範囲内。この大舞台で全く緊張せず体調に支障をきたさずピンピンしてるやつの方がおかしいのだ。
顔を洗って着替え、部屋の片付け、それから備品の最終確認。この頃になってようやくご飯が食べられそうなコンディションになった。
朝食会場に行く前に厨房で真波と悠人のおにぎりをもらって、それぞれ同室の人間に預ける。「ギリギリまで寝かせてやれ」と言われているけど、何も食べずに走らせるわけにはいかない。ギリギリまで寝て、よく全開で走れるよな。羨ましいやら、呆れてしまうやら。
昨日のうちにお願いして、作ってもらったのは立派な塩鮭の海苔なしおにぎり。艶々の米が食欲を誘う。いいな、私もこれにしてもらえばよかった……
キリキリするお腹を摩りながら朝食会場に入ると、部員はみんな同じような顔をしていた。寝不足部員達はみんな朝食のトレーにエナジードリンク缶を乗せている。毒々しい色のロング缶を青い顔で煽る姿は涙を禁じ得ない。どいつもこいつも胃をいじめすぎである。
トレーを持って合流してきたレイさんも普通に元気のない顔色をしていた。頼むぜ。
「顔色わる」
「人のこと言えた身か。鏡見てみろ、真っ青だぞ」
「大丈夫、これでも持ち直してきた」
「頼むぞ」
レイさんはバランスの取れた和定食のトレーに、デザートがわりのエナジードリンクを乗せる。ここ数日、レイさんは朝食後のドリンクとしてコレを飲んでいるわけだが……1日1本を守っても3日連続ともなれば、胃が悲鳴をあげて当然である。
朝食と並行してレイさんと仕事の引き継ぎ、連絡事項、今日の流れをさらう。レースの流れと、レース後の撤収の流れだ。泣いても笑っても今日が最後。自分も持ち場でやるべきことをなし、見届けたいと思う。
キリキリする胃をなだめすかし、ご飯だけはなんとか食べた。別に私だけじゃなくて部員はみんなそうだから特段騒ぎ立てることではない。
その証拠に、打ち合わせ部屋に移動する間も、すれ違う部員は皆緊張感と僅かばかりの高揚した雰囲気に満ちていた。
レイさんと話しているうちに泉田さんと黒田さんが途中で合流してきて、昨日までの戦況を踏まえた今日のレース計画を先んじて聞く。
黒田さんが淡々とほぼ確定している序盤のレース展開、要所要所で想定される選択肢、ライバルたちがどう出るかの想定、それから勝負のポイントとなる地点を口にする。
説明を聞く間、私はどんどん顔が上げられなくなっていき、泉田さんから「話は以上」と締めくくられた時点では完全に俯いていた。隣のレイさんは毅然とした態度でいるのに。
わかってはいた。それに黒田さんはここまでレース展開をキッチリ計画し、多少の計算外こそあれど、概ねその通りに展開させてきた。
終盤の局面についてはいくつもの選択を経てどのような展開になるかは私には掴み難いが、先輩たちはもうわかりきっているような顔をしていた。少なくとも、自分がどこで出るべきか、AかBかあるいは……そのくらいまで絞っているようだった。それでも、勝負が決まる最後の最後の局面はハッキリとした形をとってはいない。
その時、音を立てて襖が開いて。
「あれ、お説教?」
ハッとして顔を上げる。寝癖そのままの葦木場さんが襖から顔をのぞかせていた。側から見たら私だけ正座して俯いて、確かに「懲りずにまたやらかして先輩方とレイさんに怒られているところ」に見えるかもしれない。
「いや、レース計画を少しね」
「オレ遅刻した?」
「集合時間はまだだ。苗字が先に出るからな。こいつだけ先に」
「そっか」
黒田さんの視線が私に向く。特別ルールで昨日先頭争いをした3人が最初に走り出すが、その出走時間にはまだ早く、真波や悠人に至ってはまだ布団の中にいる。選手は時間ぴったりに走り出せればいいけど、それ以外の部員は悠長に寝ている暇はない。
ゴールに先回りする者、昨日も使った榛名湖前の大会本部テントで一般客の対応をする者、学校テントでアップの準備をする者……私も本日の待機場所が遠いので早起きした。部員を乗せた車は全体ミーティングより先に出発するから、ここでレース計画を聞くことができてよかった。心の準備ができたから。
カラカラに乾いた喉から言葉を絞り出す。とにかく、この緊張感から逃げ出したい気持ちだった。
「私……もう出ないと。置いてかれちゃう」
「ああ、余裕を持って行ってくれ」
昨日一昨日と選手の走りに影響するような特大のトラブルこそ起きていないが、些細なトラブル、想定外の出来事ならたくさん発生している。今日も必ず発生するだろう多少のトラブルを思ったのか、レイさんはげっそりしてため息をついた。
その手の甲は珍しくマジックペンのメモ書きで汚れている。普段なら絶対しないのに、それだけ忙しいということ。
私の方もいつも持ち歩いている小さいメモは書き殴りがほとんどで、後から読み返せるか定かではない。
これ以上ここにいても、みっともなく暗い顔で場の雰囲気を悪くするだけだ。少し早いが、車はもう回してあるはずだし、先に集合場所に行こう。ついでにバシさんの顔も見れたらいいな。先輩方に向き直る。
「ということなので。先輩方、すみません。お先に失礼します」
「おう、気をつけて行けよ」
「名前」
「はい」
呼び止められて、膝を崩そうとした状態から元に戻す。泉田さんと目が合う。何か、大事な話が。まだ。
嫌な予感しかしない。顔色が悪い、顔が暗いと散々言われたが、胃が締め上げられるように痛み、これではますます顔色が悪くなってしまう。
誰かがごくりと喉を鳴らした。
「……いや、レース前だな。後にしよう」
「塔一郎!!今のめちゃくちゃフラグだぞ!」
「そうだよ!絶対先に言っといた方がいいって!!」
黒田さんがドン引きの表情で叫び、葦木場さんが泉田さんの肩を揺さぶった。
いつも通りの3年生だ。
レイさんは頭痛がするのか額を抑えている。緊張で強張っていた口から、ふと笑い声が漏れる。視線が私に集まった。
「じゃ私から先にひとつお願い、いいですか」
「エッ」
「馬鹿待て待て待てお前早まるなよ」
「別にそんな大したこと言いませんけど……」
「レースの後でもいい大事な話じゃないか!?それは!?」
「後じゃ意味ないんです」
ちょっと生意気言わせてください、と続けたらレイさんが咎めるように私を呼んだ。泉田さんはそれを手で制して。
「いや、構わないよ」
先輩方は少しも表情を変えなかった。私も、言うことは決まっていた。
「今日……ついに最終日ですが。体調なんて考えないで、ガンガン踏んで、全部使い果たしてください。後悔しないで……欲しいんです」
レイさんがもう一度わたしの名前を呼んだ。レース計画を聞いてなお、余計なことを言うのかという声音をしていた。
私は再び俯いて、視界に入るのは畳の目ばかり。ごちゃごちゃの頭の中で言葉をまとめるには、視界から入る情報量が少なくて最適だった。
「続けて」
頭上から降ってきた声に、もう一度顔をあげる。泉田さん。この1年の成果が、今日出揃うとは思えない、穏やかな声だった。
去年、ど新人マネージャーが次々ポカをやらかすのが見ていられなかったのか、部誌以外でもいくつか運動部の基本のところで手解きしてもらった。覚えが悪くて何度か同じ間違いをしても、「苗字、これはね」と、穏やかな声で名前を呼ばれ、丁寧に教えてもらった。呆れられはしたけど、見放されなかった。懐かしいな。
あれからもう、1年も経ってしまった。できることは増えたけど、一体どこが成長したかと聞かれると困ってしまう。
習ったことは、仕事のやり方と、望むように走るのがいちばん強いということ。見て覚えたのは、箱根学園にふさわしい振る舞いと、選ばれた人間の覚悟と、それから……
今度こそ、顔色が悪くてもにっこり笑って。
「大丈夫です、どこでひっくり返って気絶してても……そこがゴールでも、救護テントでも。もちろんコース上でも、ちゃんと拾って帰りますから。そのための我々路上待機です!」
「うん」
「……今日、最終日なんですよ」
「名前」
「先輩達が後悔するところ、見たくないです。だから、よろしくお願いします」
「……わかった」
了承したとは思えない顔で黒田さんが唸る。初日の怪我は泣いたのに、3日目で真逆のことを言うなと怒られるかと思ったけど。
強がりでグッと握った拳を膝に下ろす。言いたいことは全部言った。勝ってとか負けないでとか、そういう言葉をかけられる人はすごい。私は怖くて……言えないから。
「話はそれだけか?」
葦木場さんの言葉に頷く。静かな声音、場を圧倒するエースのオーラ。赤い視線は静かにこちらを射抜いている。怖くはなかった。強がりじゃなくて、本当に。
握った手のひらからゆっくり力を抜く。
「はい」
「……大丈夫だよ」
先輩たちの顔を順番に見る。葦木場さんは大丈夫と口にした通り、ひとつの揺らぎもなく、自然体でそこに座っている。
「オレたち、全員覚悟はできてる。やってやるよ」
「……ありがとうございます」
「礼を言うにはまだ早いだろ」
黒田さんは呆れた声を出したけど、私はそれには笑って答えず、今度こそ正座を崩して立ち上がる。
泉田さんは何も言わなかった。一度の瞬きであの懐かしい優しい声は消え去って、「くれぐれも体調には気をつけるように」と厳しい主将に戻ってしまった。表情だって全っ然崩れない。いいんだ、どうせこの人は聞いてくれないから。
自分の中でああしてこうしてって決まってるから、私が何を言おうと関係ない。話を聞いてくれただけマシ。
起きた時から不快な胸騒ぎがしている。熱はなかった、完全にメンタルのせいだ。でもこれも、今日で終わる。
「それじゃ、先行って待ってますから」
「ああ、現場は任せたよ」
「はい。応援の方はお任せください」
次に先輩方と話せるのは、全て終わってからになるだろう。この3日間のインターハイの結果が出揃った時。この1年の成果がどんな形か、現れた時。
今日まで頑張って獲ったゼッケンが、王者の復活を彩るか。それとも。最後の最後までわからないけれど。でも。
「行ってきます」
箱根学園の一員として、私は、私にできることをする。昨日までと同じように、二度とない今日を。
やけに胃が重いのは、緊張のせい。ここ数日、良くなりも悪くなりもせず胃がちょっと痛いけどこれは普通の範囲内。この大舞台で全く緊張せず体調に支障をきたさずピンピンしてるやつの方がおかしいのだ。
顔を洗って着替え、部屋の片付け、それから備品の最終確認。この頃になってようやくご飯が食べられそうなコンディションになった。
朝食会場に行く前に厨房で真波と悠人のおにぎりをもらって、それぞれ同室の人間に預ける。「ギリギリまで寝かせてやれ」と言われているけど、何も食べずに走らせるわけにはいかない。ギリギリまで寝て、よく全開で走れるよな。羨ましいやら、呆れてしまうやら。
昨日のうちにお願いして、作ってもらったのは立派な塩鮭の海苔なしおにぎり。艶々の米が食欲を誘う。いいな、私もこれにしてもらえばよかった……
キリキリするお腹を摩りながら朝食会場に入ると、部員はみんな同じような顔をしていた。寝不足部員達はみんな朝食のトレーにエナジードリンク缶を乗せている。毒々しい色のロング缶を青い顔で煽る姿は涙を禁じ得ない。どいつもこいつも胃をいじめすぎである。
トレーを持って合流してきたレイさんも普通に元気のない顔色をしていた。頼むぜ。
「顔色わる」
「人のこと言えた身か。鏡見てみろ、真っ青だぞ」
「大丈夫、これでも持ち直してきた」
「頼むぞ」
レイさんはバランスの取れた和定食のトレーに、デザートがわりのエナジードリンクを乗せる。ここ数日、レイさんは朝食後のドリンクとしてコレを飲んでいるわけだが……1日1本を守っても3日連続ともなれば、胃が悲鳴をあげて当然である。
朝食と並行してレイさんと仕事の引き継ぎ、連絡事項、今日の流れをさらう。レースの流れと、レース後の撤収の流れだ。泣いても笑っても今日が最後。自分も持ち場でやるべきことをなし、見届けたいと思う。
キリキリする胃をなだめすかし、ご飯だけはなんとか食べた。別に私だけじゃなくて部員はみんなそうだから特段騒ぎ立てることではない。
その証拠に、打ち合わせ部屋に移動する間も、すれ違う部員は皆緊張感と僅かばかりの高揚した雰囲気に満ちていた。
レイさんと話しているうちに泉田さんと黒田さんが途中で合流してきて、昨日までの戦況を踏まえた今日のレース計画を先んじて聞く。
黒田さんが淡々とほぼ確定している序盤のレース展開、要所要所で想定される選択肢、ライバルたちがどう出るかの想定、それから勝負のポイントとなる地点を口にする。
説明を聞く間、私はどんどん顔が上げられなくなっていき、泉田さんから「話は以上」と締めくくられた時点では完全に俯いていた。隣のレイさんは毅然とした態度でいるのに。
わかってはいた。それに黒田さんはここまでレース展開をキッチリ計画し、多少の計算外こそあれど、概ねその通りに展開させてきた。
終盤の局面についてはいくつもの選択を経てどのような展開になるかは私には掴み難いが、先輩たちはもうわかりきっているような顔をしていた。少なくとも、自分がどこで出るべきか、AかBかあるいは……そのくらいまで絞っているようだった。それでも、勝負が決まる最後の最後の局面はハッキリとした形をとってはいない。
その時、音を立てて襖が開いて。
「あれ、お説教?」
ハッとして顔を上げる。寝癖そのままの葦木場さんが襖から顔をのぞかせていた。側から見たら私だけ正座して俯いて、確かに「懲りずにまたやらかして先輩方とレイさんに怒られているところ」に見えるかもしれない。
「いや、レース計画を少しね」
「オレ遅刻した?」
「集合時間はまだだ。苗字が先に出るからな。こいつだけ先に」
「そっか」
黒田さんの視線が私に向く。特別ルールで昨日先頭争いをした3人が最初に走り出すが、その出走時間にはまだ早く、真波や悠人に至ってはまだ布団の中にいる。選手は時間ぴったりに走り出せればいいけど、それ以外の部員は悠長に寝ている暇はない。
ゴールに先回りする者、昨日も使った榛名湖前の大会本部テントで一般客の対応をする者、学校テントでアップの準備をする者……私も本日の待機場所が遠いので早起きした。部員を乗せた車は全体ミーティングより先に出発するから、ここでレース計画を聞くことができてよかった。心の準備ができたから。
カラカラに乾いた喉から言葉を絞り出す。とにかく、この緊張感から逃げ出したい気持ちだった。
「私……もう出ないと。置いてかれちゃう」
「ああ、余裕を持って行ってくれ」
昨日一昨日と選手の走りに影響するような特大のトラブルこそ起きていないが、些細なトラブル、想定外の出来事ならたくさん発生している。今日も必ず発生するだろう多少のトラブルを思ったのか、レイさんはげっそりしてため息をついた。
その手の甲は珍しくマジックペンのメモ書きで汚れている。普段なら絶対しないのに、それだけ忙しいということ。
私の方もいつも持ち歩いている小さいメモは書き殴りがほとんどで、後から読み返せるか定かではない。
これ以上ここにいても、みっともなく暗い顔で場の雰囲気を悪くするだけだ。少し早いが、車はもう回してあるはずだし、先に集合場所に行こう。ついでにバシさんの顔も見れたらいいな。先輩方に向き直る。
「ということなので。先輩方、すみません。お先に失礼します」
「おう、気をつけて行けよ」
「名前」
「はい」
呼び止められて、膝を崩そうとした状態から元に戻す。泉田さんと目が合う。何か、大事な話が。まだ。
嫌な予感しかしない。顔色が悪い、顔が暗いと散々言われたが、胃が締め上げられるように痛み、これではますます顔色が悪くなってしまう。
誰かがごくりと喉を鳴らした。
「……いや、レース前だな。後にしよう」
「塔一郎!!今のめちゃくちゃフラグだぞ!」
「そうだよ!絶対先に言っといた方がいいって!!」
黒田さんがドン引きの表情で叫び、葦木場さんが泉田さんの肩を揺さぶった。
いつも通りの3年生だ。
レイさんは頭痛がするのか額を抑えている。緊張で強張っていた口から、ふと笑い声が漏れる。視線が私に集まった。
「じゃ私から先にひとつお願い、いいですか」
「エッ」
「馬鹿待て待て待てお前早まるなよ」
「別にそんな大したこと言いませんけど……」
「レースの後でもいい大事な話じゃないか!?それは!?」
「後じゃ意味ないんです」
ちょっと生意気言わせてください、と続けたらレイさんが咎めるように私を呼んだ。泉田さんはそれを手で制して。
「いや、構わないよ」
先輩方は少しも表情を変えなかった。私も、言うことは決まっていた。
「今日……ついに最終日ですが。体調なんて考えないで、ガンガン踏んで、全部使い果たしてください。後悔しないで……欲しいんです」
レイさんがもう一度わたしの名前を呼んだ。レース計画を聞いてなお、余計なことを言うのかという声音をしていた。
私は再び俯いて、視界に入るのは畳の目ばかり。ごちゃごちゃの頭の中で言葉をまとめるには、視界から入る情報量が少なくて最適だった。
「続けて」
頭上から降ってきた声に、もう一度顔をあげる。泉田さん。この1年の成果が、今日出揃うとは思えない、穏やかな声だった。
去年、ど新人マネージャーが次々ポカをやらかすのが見ていられなかったのか、部誌以外でもいくつか運動部の基本のところで手解きしてもらった。覚えが悪くて何度か同じ間違いをしても、「苗字、これはね」と、穏やかな声で名前を呼ばれ、丁寧に教えてもらった。呆れられはしたけど、見放されなかった。懐かしいな。
あれからもう、1年も経ってしまった。できることは増えたけど、一体どこが成長したかと聞かれると困ってしまう。
習ったことは、仕事のやり方と、望むように走るのがいちばん強いということ。見て覚えたのは、箱根学園にふさわしい振る舞いと、選ばれた人間の覚悟と、それから……
今度こそ、顔色が悪くてもにっこり笑って。
「大丈夫です、どこでひっくり返って気絶してても……そこがゴールでも、救護テントでも。もちろんコース上でも、ちゃんと拾って帰りますから。そのための我々路上待機です!」
「うん」
「……今日、最終日なんですよ」
「名前」
「先輩達が後悔するところ、見たくないです。だから、よろしくお願いします」
「……わかった」
了承したとは思えない顔で黒田さんが唸る。初日の怪我は泣いたのに、3日目で真逆のことを言うなと怒られるかと思ったけど。
強がりでグッと握った拳を膝に下ろす。言いたいことは全部言った。勝ってとか負けないでとか、そういう言葉をかけられる人はすごい。私は怖くて……言えないから。
「話はそれだけか?」
葦木場さんの言葉に頷く。静かな声音、場を圧倒するエースのオーラ。赤い視線は静かにこちらを射抜いている。怖くはなかった。強がりじゃなくて、本当に。
握った手のひらからゆっくり力を抜く。
「はい」
「……大丈夫だよ」
先輩たちの顔を順番に見る。葦木場さんは大丈夫と口にした通り、ひとつの揺らぎもなく、自然体でそこに座っている。
「オレたち、全員覚悟はできてる。やってやるよ」
「……ありがとうございます」
「礼を言うにはまだ早いだろ」
黒田さんは呆れた声を出したけど、私はそれには笑って答えず、今度こそ正座を崩して立ち上がる。
泉田さんは何も言わなかった。一度の瞬きであの懐かしい優しい声は消え去って、「くれぐれも体調には気をつけるように」と厳しい主将に戻ってしまった。表情だって全っ然崩れない。いいんだ、どうせこの人は聞いてくれないから。
自分の中でああしてこうしてって決まってるから、私が何を言おうと関係ない。話を聞いてくれただけマシ。
起きた時から不快な胸騒ぎがしている。熱はなかった、完全にメンタルのせいだ。でもこれも、今日で終わる。
「それじゃ、先行って待ってますから」
「ああ、現場は任せたよ」
「はい。応援の方はお任せください」
次に先輩方と話せるのは、全て終わってからになるだろう。この3日間のインターハイの結果が出揃った時。この1年の成果がどんな形か、現れた時。
今日まで頑張って獲ったゼッケンが、王者の復活を彩るか。それとも。最後の最後までわからないけれど。でも。
「行ってきます」
箱根学園の一員として、私は、私にできることをする。昨日までと同じように、二度とない今日を。
