DRAMATIC STARS
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小さくアラームがなって、すぐに止まった。まだ早いんだろうなってシーツを手繰り寄せて眠たい目をそっと開けると、すでに起き上がった輝の姿があった。ベッドに横になったまま見るとその背中はすごく大きく見えて私は静かに息をついた。
未だベッドから起き上がらない私と対照的に輝はするりと抜け出して、ベッドサイドの携帯を開き(彼は、未だに二つ折りの携帯を使っているので久しく輝の手元以外で聞かなくなったぱたんっという音がした)、ベッドサイドから手帳を取り上げ予定を確認した。
それから両方とも再びベッドサイドに戻し、これまたテーブルから香水の瓶を取り上げて腰と首筋に一吹きした。ムスクとペッパー、それからシナモンくらいしか嗅ぎ分けられないけれど、いつもの輝の匂いだ。毎日つけているからきっと体に馴染んでしまったのだと思うくらいに慣れた香りで、いつも泊まりに来ると寝るこの私のベッドにも染み付いている。
香水を戻すとそのまま手早くシャツやスラックスを身につけて、ジャケットとネクタイを腕に引っ掛けた。ようやくここで、ベッドから出ない私を振り返って「朝メシ、用意するから早く出てこいよな」って私の大好きな笑顔で頬をつついた。
のろのろと自分の香水を吹き付け、下着や服を身につけてそれから昨日輝が投げ捨て、出て行く前にまとめておいたのだろう私の上下揃った下着を拾って、ダイニングに顔を出す。輝は私がのろのろ着替えてるうちにとっくに朝食を用意したらしくて、コーヒーを飲んでいた。
下着を洗濯カゴに投げ入れてそれからテーブルに戻ると同時に、いつものようにカフェラテが出されて輝も席に着く。このタイミングで出すと、猫舌の私に合わせて食後にちょうど冷めるのだ。
向かい合って、手を合わせていただきますをしてからも輝は私にほうれん草も食べろだとか、卵うまく焼けたから食べてみろよだとか味噌汁濃くなかったか?とか世話を焼いた。私はそれにいちいち煮え切らない返事をして、輝は名前は低血圧だから仕方ないなって苦笑した。
食事を終えると輝は洗面所に髪を直しに行って、その間に私は食器を食洗機にかける。すぐに輝が戻ってくるから交代で私も化粧をして髪を整える。
「輝、ワックス洗面台にあった」
「あー忘れてた」
スウェットとまとめておいてくれるか?と仕事鞄から目を離さずに言うので私は黙って寝室に戻る。輝の携帯が鳴って、応対をする声が聞こえる。これは、出勤時間が少々早まりそうだ。
電気の点いていない寝室を見渡すと、そこにはベッドの上の紙袋に入ったスウェット以外何ひとつ輝のものはなかった。携帯は今使っているし、手帳は仕事鞄へ、香水は鞄なりスーツなりのどこかへ収納され、スーツの一式は身にまとい、お泊まり用の衣類が入っていたスペースはがらんとしていた。
最後に輝の愛用しているスタイリング剤をぽとんと紙袋へ落とせば終了だ。
「輝、他に忘れ物ない?」
「ワックス入れたし、他は特に……」
玄関で使い込まれた革靴を履く背中に声をかけると輝は顔だけ振り向いてそう答えた。
「はい、スウェットとワックス」
「おう」
スーツをまとった輝を、改めてじっくり見た。仕事鞄と、スウェットとワックスの入ったクロエの紙袋だけ手にして他は何も持っていなかった。
「いってきます」
「うん、いってらっしゃい」
輝は私の挨拶にいつものお泊りの後と変わらない笑顔で答えた。ふわりと馴染んだ香水の匂いを振りまいて、ドアを開けて部屋を出て行った。振り向かず。ガチャンとドアがなったのだけがやたら大きく響いた。
駆け足の靴音が遠ざかっていって、それからエレベーターの到着音がして、そうして何の音もしなくなった。
昨晩、「別れようぜ、俺たち」と寂しい目で言ったのが嘘のようにいつもと変わらず輝は私の部屋を出て行った。その言葉も、その後にひどく優しい顔で私を抱いたのも嘘だったのではないかと疑うくらいに何ひとついつもと変わらず起きて身支度をして、食事をして出勤して。
嘘だと疑う気持ちは輝の物の分だけがらんと空いた部屋を見れば消えていった。輝が数週間前から私の家に置いていたものを引き上げていたのは知っていたし少しずつなんとなく察してはいた。別れたいのかなって。
のろのろと玄関から寝室に戻って、ベッドの上の仕事鞄を取った。その拍子にベッドに染み付いたあの香水がかすかに香って、私はどうしようもなく泣きたくなった。何度シーツを洗濯しても、この匂いを忘れられないだろう。落ち着こうと息を吸えばより深く匂いを感じて涙が溢れた。我慢できなかった。
いい彼氏だった。本当に。すごく素敵な人だった。大好きでこの人と結婚できたらいいなって思っていた。向こうもそう思っていたのはなんとなく感じていて、私は輝がお仕事にとてつもなく一生懸命なのも知っていた。最近疲れているのも、悩んでいるのも、もちろん。それでも一緒に乗り越えていけるんじゃないかって思っていた。
ギリギリで切り捨てられたのは、間違いなく輝が優しいからで、それがわかるからこそ悲しかった。私じゃダメだったと突きつけられるような気持ちだった。
今部屋を出て走れば、輝に追いつけるかもしれない。後ろ姿くらいは見られるかもしれないと思いつつ、私は寝室に立ったまま一歩も動けなかった。
出勤までまだ時間があるからまずはシーツを洗濯して、それから化粧を直さなくては。乱暴にシーツを剥ぐと、シナモンとムスクとペッパーとそれから名前もわからない何かが香る。嗚咽が止まらなくてしゃがみこんでそのまま泣いた。
これからどんな人と出会って付き合っても、街角で彼と同じ香水を嗅ぐたびに振り向いてしまう。部屋には何も残さなかったのに、こんなにも大きな感情を残していった彼を私はきっと忘れられない。
誰と居ても、時が経っても思い出すたびにきっと苦しくなるから一生私の前に現れないで欲しいと願った。けれど彼と別れた以上、よほどのことでない限り顔を見ることなんてないのだからそれは全く意味のない仮定だった。
未だベッドから起き上がらない私と対照的に輝はするりと抜け出して、ベッドサイドの携帯を開き(彼は、未だに二つ折りの携帯を使っているので久しく輝の手元以外で聞かなくなったぱたんっという音がした)、ベッドサイドから手帳を取り上げ予定を確認した。
それから両方とも再びベッドサイドに戻し、これまたテーブルから香水の瓶を取り上げて腰と首筋に一吹きした。ムスクとペッパー、それからシナモンくらいしか嗅ぎ分けられないけれど、いつもの輝の匂いだ。毎日つけているからきっと体に馴染んでしまったのだと思うくらいに慣れた香りで、いつも泊まりに来ると寝るこの私のベッドにも染み付いている。
香水を戻すとそのまま手早くシャツやスラックスを身につけて、ジャケットとネクタイを腕に引っ掛けた。ようやくここで、ベッドから出ない私を振り返って「朝メシ、用意するから早く出てこいよな」って私の大好きな笑顔で頬をつついた。
のろのろと自分の香水を吹き付け、下着や服を身につけてそれから昨日輝が投げ捨て、出て行く前にまとめておいたのだろう私の上下揃った下着を拾って、ダイニングに顔を出す。輝は私がのろのろ着替えてるうちにとっくに朝食を用意したらしくて、コーヒーを飲んでいた。
下着を洗濯カゴに投げ入れてそれからテーブルに戻ると同時に、いつものようにカフェラテが出されて輝も席に着く。このタイミングで出すと、猫舌の私に合わせて食後にちょうど冷めるのだ。
向かい合って、手を合わせていただきますをしてからも輝は私にほうれん草も食べろだとか、卵うまく焼けたから食べてみろよだとか味噌汁濃くなかったか?とか世話を焼いた。私はそれにいちいち煮え切らない返事をして、輝は名前は低血圧だから仕方ないなって苦笑した。
食事を終えると輝は洗面所に髪を直しに行って、その間に私は食器を食洗機にかける。すぐに輝が戻ってくるから交代で私も化粧をして髪を整える。
「輝、ワックス洗面台にあった」
「あー忘れてた」
スウェットとまとめておいてくれるか?と仕事鞄から目を離さずに言うので私は黙って寝室に戻る。輝の携帯が鳴って、応対をする声が聞こえる。これは、出勤時間が少々早まりそうだ。
電気の点いていない寝室を見渡すと、そこにはベッドの上の紙袋に入ったスウェット以外何ひとつ輝のものはなかった。携帯は今使っているし、手帳は仕事鞄へ、香水は鞄なりスーツなりのどこかへ収納され、スーツの一式は身にまとい、お泊まり用の衣類が入っていたスペースはがらんとしていた。
最後に輝の愛用しているスタイリング剤をぽとんと紙袋へ落とせば終了だ。
「輝、他に忘れ物ない?」
「ワックス入れたし、他は特に……」
玄関で使い込まれた革靴を履く背中に声をかけると輝は顔だけ振り向いてそう答えた。
「はい、スウェットとワックス」
「おう」
スーツをまとった輝を、改めてじっくり見た。仕事鞄と、スウェットとワックスの入ったクロエの紙袋だけ手にして他は何も持っていなかった。
「いってきます」
「うん、いってらっしゃい」
輝は私の挨拶にいつものお泊りの後と変わらない笑顔で答えた。ふわりと馴染んだ香水の匂いを振りまいて、ドアを開けて部屋を出て行った。振り向かず。ガチャンとドアがなったのだけがやたら大きく響いた。
駆け足の靴音が遠ざかっていって、それからエレベーターの到着音がして、そうして何の音もしなくなった。
昨晩、「別れようぜ、俺たち」と寂しい目で言ったのが嘘のようにいつもと変わらず輝は私の部屋を出て行った。その言葉も、その後にひどく優しい顔で私を抱いたのも嘘だったのではないかと疑うくらいに何ひとついつもと変わらず起きて身支度をして、食事をして出勤して。
嘘だと疑う気持ちは輝の物の分だけがらんと空いた部屋を見れば消えていった。輝が数週間前から私の家に置いていたものを引き上げていたのは知っていたし少しずつなんとなく察してはいた。別れたいのかなって。
のろのろと玄関から寝室に戻って、ベッドの上の仕事鞄を取った。その拍子にベッドに染み付いたあの香水がかすかに香って、私はどうしようもなく泣きたくなった。何度シーツを洗濯しても、この匂いを忘れられないだろう。落ち着こうと息を吸えばより深く匂いを感じて涙が溢れた。我慢できなかった。
いい彼氏だった。本当に。すごく素敵な人だった。大好きでこの人と結婚できたらいいなって思っていた。向こうもそう思っていたのはなんとなく感じていて、私は輝がお仕事にとてつもなく一生懸命なのも知っていた。最近疲れているのも、悩んでいるのも、もちろん。それでも一緒に乗り越えていけるんじゃないかって思っていた。
ギリギリで切り捨てられたのは、間違いなく輝が優しいからで、それがわかるからこそ悲しかった。私じゃダメだったと突きつけられるような気持ちだった。
今部屋を出て走れば、輝に追いつけるかもしれない。後ろ姿くらいは見られるかもしれないと思いつつ、私は寝室に立ったまま一歩も動けなかった。
出勤までまだ時間があるからまずはシーツを洗濯して、それから化粧を直さなくては。乱暴にシーツを剥ぐと、シナモンとムスクとペッパーとそれから名前もわからない何かが香る。嗚咽が止まらなくてしゃがみこんでそのまま泣いた。
これからどんな人と出会って付き合っても、街角で彼と同じ香水を嗅ぐたびに振り向いてしまう。部屋には何も残さなかったのに、こんなにも大きな感情を残していった彼を私はきっと忘れられない。
誰と居ても、時が経っても思い出すたびにきっと苦しくなるから一生私の前に現れないで欲しいと願った。けれど彼と別れた以上、よほどのことでない限り顔を見ることなんてないのだからそれは全く意味のない仮定だった。
