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馴染みの、馴染みというにはあまりにも長い付き合いのお店。今日はステージにあがらず、1人がけのソファのその片方で壁を眺めながらグラスを傾けていた。向かいにするりと滑り込んで来た待ち人を半笑いで迎えると、申し訳なさそうに恐縮された。
「遅かったですね」
「すみません、ちょっと帰り際に揉めてたので」
名前さんはいつも通りの高価なスーツ、カバンは高級ブランドが前のシーズンに出していたものだ。あれであちこち回るなんて想像もしたくないほどのハイヒールはしっかり磨かれている。
「大手企業の稼ぎ頭はやっぱり違いますねぇ」
「小鳥さん、何杯飲んだんですか……」
「まだこれだけですよぅ」
細いグラスを揺すって見せたら名前さんも「いいなあ、同じの飲もうかな」なんて表情を崩した。
彼女が言葉通りに同じものを一杯頼んでから料理が運ばれてきて2人でちょっとインスタ用の写真を撮ったりして、それから互いのお仕事の愚痴で盛り上がった。お店は平日の夜ともあってあまり混んでいなくて、私たち2人のことをよく知る店だからオーナーのサービスも手厚く、たまたま居合わせたカウンターの社長たちご一行も微笑ましく私たちを見守っている。
「名前さん、最近どうですか」
「どう、とは。何もありませんねえ」
「嘘……」
お酒も入って美味しいご飯をたらふく食べたところで名前さんに直球で勝負した。名前さんとは私が高校の頃からの付き合いだけど変に回りくどいことをすると全部あっさり払われてしまう。私は今日、最近デビューした話題のアイドル、詩花のことを問い質しに来たのだ。
「最近デビューしたアイドルのこと、チェックしてないとか言わせるつもりはありません」
「ああ、うちの社長の息子さんのことですか?出てってしばらくしてから音沙汰なかったみたいなんですけどびっくりですよね。小鳥さんああいうの好きなんですか?」
「とっ……とぼけないでください!」
目を三角に釣り上げているだろう私に対して名前さんは静かにお酒に口をつけた。しらばっくれて、鷹城恭二の話題にすり替えようとする、名前さんのこういうところが嫌いだ。
「なんで……そういうことするんですか」
「なんでと言われましても、私には養父の考えてること全然わからないのでなんとも」
名前さんは小さい頃にいろいろあって今の親、名前さんのいうところの養父……黒井社長に引き取られた人だ。昔に話を聞いたときもこうやって向かい合っていた。あの時は2人とも高校生と中学生でファーストフード店でのことだった。
「養父は勉強も音楽もスポーツもなんでも与えてくれましたけど」
ただ、アイドルになることだけは良しとしませんでしたね。名前さんはそういってあの日、ジュースのストローに口をつけた。お嬢様学校の制服と似合わないなと思った。
「ダメって言われてるのに、アイドルになりたいんですか」
「知りたいんです、どうしてあんなにアイドルのことに執着するのか。私は知らないから」
名前さんはそのあとお家を出て小さな事務所でアイドルになった。高校生の終わりに名前さんはBランクアイドルとして活動を終えたことをネットで知った。
「アイドルやめたときに知ったんですけど」
今の名前さんは可愛らしい衣装も髪飾りもなしで会社員をしている。アイドル時代に貯めたお金で大学に行き、卒業してからはアイドルをやっていたことなんてありませんとでも言わんばかりに鷹城グループでバリバリ働いている。私も名前さんと初めて会ったあの日からいろいろあって今はアイドル事務所で働いているが、会うたびに「お互い変わらないね」と言いあってはお互いに「そんなことないな」と思っている。 昔の私たちが見たら驚くだろう。
「養父、人を見る目だけはあったんだなと。アイドルの理想が高いんだと思います。とてつもなく。私じゃあの人の望むようなトップアイドルにはなれなくて、私にやらせても無駄ってわかってたんだろうなって」
「そんな言い方ないですよ」
「いや本当ですよ。あれだけいろいろやらせてくれたのに、それだけは許してくれなかったのアイドルに本気だからですよ。養父の名前を借りて、アイドルにならなくて本当に良かった、養父の顔に泥を塗るところでした」
「名前さん……」
名前さんはしれっとした顔でおかわりお願いしまーす、とマスターに手を上げて私の分までおかわりを頼んだ。
「小鳥さん、今日ステージ空いてますし社長たちもきてるし、よかったら1曲聞かせて……ってなんでそんなに泣いてるんですか!」
「だ、だって……」
ぼちゃぼちゃ涙をこぼしひっぐひっぐとしゃくり上げる私を見て名前さんが目を剥いた。慌てて立ててあった紙ナプキンを数枚とって渡してくれる。
「そんなのあんまりですよぉ、名前さんあんなに、アイドル頑張ってたのに」
「どんなに頑張ってもどうにかならない人が多数なのがアイドル業界なの、小鳥さんの方がよくご存じでしょう」
「でもこんなの酷すぎです、なんで名前さんの方が平然としてるんですか!」
「とりあえず鼻かみません?……そうですね」
名前さんがティッシュまでくれて私はちーんと盛大に鼻をかんだ。
「頑張っても頑張ってもトップアイドルには遠く及ばなかったんですけど、頑張って頑張って頑張りまくったら今みたいにお仕事できてますし、人には向き不向きがあったといういい勉強になったと思ってるからですかね……あんまり深刻な問題じゃないですよ、小鳥さんに泣いてもらうほど」
名前さんは「養父とは未だに月一くらいで食事に呼ばれて顔は合わせてるんですよ。いつもお前は家を出るべきじゃなかったって言われますけど……あと、娘さんの話とか、します。へへ」と言ってまたお酒を一口飲んで、私に落ち着きました?と聞いた。それから「今日は歌うの、やめときましょうか」とも。せっかく私の歌を喜んでくれる人たちがカウンターに勢ぞろいしているというのに、名前さんの優しい言葉に私はまだずびずびいう鼻を啜ってそうしますと頷くしかなかった。
散々大騒ぎした後、お会計を済ませようとすれば「お会計はすでにお済みです」と言われてしまって私たちは2人、私たちは取り出したばかりの財布をすごすごとカバンにしまい、カウンターにへこへこお辞儀をするしかなかった。これだから社長達には一生頭が上がらない。
店をでてしばらく歩いたところで名前さんがにっこり笑顔を見せた。間違いなく今日1番の笑顔だ。
「ふふ、あんなに食べたのにタダ!最高です」
「運が良かったですね」
春は遠くてまだまだ寒いので、マフラーに顔を埋めるようにして駅に向かう。早く春にならないかなあ、その前に年度末か……と2人で愚痴りながらのろのろ歩いた。
「あっ」
駅前の街灯モニターでは世界の片隅から今大きな夢を抱いて飛び立ちます!という煽りとともに音楽番組の中継をやっていて、笑顔の少女が歌い踊っていた。詩花だ。
「名前さん……」
名前さんは食い入るようにモニターを見ていて、それからはっとしたみたいにすみませんと言って歩き出した。
「小鳥さん、やっぱりアイドルって才能のある子がなるべきですよ」
名前さんはうっとりと夢みるみたいな声でそう言った。
「やっぱり、養父は人を見る目があるんです。あの人が変わる必要なんてちっともない……」
ちらりと見えた名前さんのスマホのロック画面はオーバーランクアイドルのシルエットが踊り、カバンに引っかかる定期入れには黒と金の蝶飾りがあしらわれ、「次いつ会えます?」と取り出した手帳には超人気男性アイドルユニットの昔のロゴが貼られていた。名前さんは961プロのアイドルになれなくても、961のアイドルたちが大好きなのだ。新しく薄い緑のモチーフが加わる日もそう遠くないのかもしれなかった。
「来週はちょっと。その次なら……そうだ、もつ鍋行きましょう!」
「じゃあ、再来週。次は、歌ってくださいよ。私小鳥さんの歌、大好きなんです」
名前さんはにこっと笑って手帳を閉じた。
