C.FIRST
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百々人は8歳になった。かつて夢想した10歳にはまだ早いが、思いの外手がかからなくなった。あの頃ノイローゼ寸前にまで追い込まれたのがなんだったかというように、いつのまにか正常範囲内の身長体重になった。風邪を引いたら死んでしまいそうなくらい苦しんでいたのに、保育園で病気をもらいこそしたが特別大きな病気もしなかった。別に野菜を食べなくても幼児は育った。あんなに頼りにしていた育児書は全部捨てた。
しかし小学生になってからは学校で食育なんかもやるようになって、ウインナーたまご生活は流石にまずいとバレ始めた。百々人が異様に賢いせいで気づくのが早かった。こういうところは夫に似たに違いない……
正直なところ私は子供を産んでから、何を食べても美味しいと思ったことがない。正確には、百々人の離乳食に苦しむうちに何を食べてもまずいと思うようになった。最初は自分の料理が不味いのだと思ったけど、仕事復帰祝いの食事に連れて行ってもらって気がついた。何を食べても美味しくない。特に自分の料理は一際まずくて、砂を噛むように感じる。
百々人に手をかけすぎて、自分の栄養が足りてない?精神的に病んでいる?最初の医者にしばらく通ってその後2回ほど医者を変えたが、症状は改善しない。仕事、育児、それに加えて通院は忙しすぎる。1日が24時間では足りない。
元々私はメシマズで、それは薄々自分でもわかっていたけど、子供を産んでやっとはっきり自覚したのかも。夫もメシマズを我慢してたのかも。結婚前後に料理教室通いも経験して多少改善したつもりでいたけど、全て生来のメシマズ素養の前には無駄。自覚してからの食事作りは一層辛い。早く百々人も自分の食事は自分で用意するようになってくれたら……夫はずっと単身赴任をしている。元々多忙さを言い訳に自分の食事は自分で調達していたし、家事はそれなりにできるから、あまり困らずにやっているようだ。いいな、3食外食暮らし……羨ましい……ダメダメ、夏休みの前に食事調査が学校であるって言ってたから、それだけは乗り越えなければ……
「花園さん、もう時間じゃないですか?」
「本当だ、すみません!お先に失礼します」
時短とはいえ、小学生の下校時間には間に合わない。慌てて退勤、会社を飛び出して迎え。
百々人は小学校に入ってから徐々に習い事を増やして、最近の放課後は毎日何かしらの予定を入れている。昔は会社の託児を使っていたが、小学生になってからはそうも行かない。習い事で時間を潰させる案は会社の先輩に教わって、まずは先輩に勧められた英会話から始めた。学習塾の空き時間に宿題を済ませて、授業は勉強だけでなく思考学習や電子工作もさせてくれて良い暇つぶしになっているようだ。勉強なんていやだと言われるかと思ったけど、特に反発は今のところなし。スイミングにも通わせて、塾週2・英会話・スイミングで平日に空きが1日できた。
「木曜日が空いてるけど、他に何か習う?お休みの日にする?」
と尋ねたら絵を習いたいと。絵、絵か……塾の電子工作でよくないか?と思ったが夫曰く「完全に別物なのでどこか絵画教室を探してやって」とのこと。結局私が探すんじゃないか。私は夫と違って美術は見るのもやるのも興味がなく、教室探しには苦労した。聞き込みして見つけた初心者向け絵画教室(教えてくれた人は私が始めるものだと勘違いしたらしい)は、大人ばかりで失敗したかと思ったが、楽しそうに通っている。子供ばかりの環境にいるから、親より年上の人と交流するのが新鮮なのだろう。たぶん。
そして今日は木曜日、絵画教室の日であった。
「お世話になっております。花園です」
「ああ、百々人くんまだ部屋にいますよ」
「すみません、すぐ支度させます……」
「いやあ急がなくていいですよ、大作挑戦中ですから」
百々人は塾も英会話もスイミングも迎えに行くといつも玄関で待っている。しかし絵画教室の日だけは、迎えに行ってもまだ作業室にいたり先生や他の受講者と絵の話をしていたり。受付の人の言うとおり、少し前から書いている絵は「大作」らしくなかなか完成しない。時間かかるねえとなんとなく口にしたら、「うん。時間がかかっているから、スイミングやめて絵画教室の時間増やしたい」「塾減らすのでもいい?」と。そ、そこまで……スイミングは溺れない程度に最低限必要な気がするし、塾は中学受験するならこのままのペースか増やす方向でやってほしいし……習い事も飽きるから日替わりで選んでいる節があったが、まさか絵画に落ち着くとは。結果塾を週一にするので落ち着いた。中学受験するなら5年生くらいから本気で頑張らせようという夫の方針である。
「百々人、迎えに来たよ。帰りましょう」
「母さん」
大作と言っても、いつもの画用紙より少し大きいくらいだ。何か大きな風景画とか人物画をやるのかと思ったら、静物画だし。しかし振り返った百々人は自慢げに私に未完成の大作を見せる。
「今日はここやったの?」
「そう、後はこっちを先生がね、描いてるんだけどね。全然違うでしょ」
同時に先生が描いているものを見せられたが、先生は上手い百々人は下手、以外の感想が出てこない。母がなんとか前回からの進捗を見出そうと毎回必死に絵を見ていることを百々人は知らない。こういうのは私じゃなくて夫に言ってくれ。夫は最近単身赴任先から帰ってくると百々人と美術館に行ったりして楽しそうにしている。美術館に一緒に行ける相手ができて嬉しそうなのは百々人も一緒。私には荷が重いのでその点は助かってる。外出するとそのまま食事を外ですることも多いし……百々人の解説が終わったようだ。
「ね?」
「うんうん」
母に同意を求める顔はかわいい。年相応に幼く見える。
「母さん、全然わかってない」
「もっと詳しい話したいなら父さんって言ってるでしょ」
「だって父さんいないし……」
むくれた顔もかわいいと思う。丸い頬を膨らませて、「こっちとかこれとか……全然違うでしょ。よく見て」と指差して教えてくれる。なるほど、そういうところを見るのか。書きかけの絵の写真を撮って、メモをとる。次回また迎えの時にコメントを求められるだろうから。
「母さん……」
「勉強になったよ。さ、帰りましょう」
百々人に支度をさせて、絵を片付ける。教室内には他の受講者の書きかけの絵がたくさん並べてある。目を惹くのはやはり上手な人の絵だ。上手い下手以上の感想はないが、それくらいはわかる。写実的な絵の方が上手い下手はわかりやすく、抽象画はもう何がなんだかわからない。
「僕もこういうの描いてみたいなあ」
百々人が見上げるのは抽象画だ。百々人が描いているのより作品自体が大きく、百々人の身長では見上げるほどに大きい。この身長でこの大きさの絵を描くのは難しいだろう。
「そうだね、百々人が大きくなったらね」
今から家帰って夕飯作るの嫌だな。絵画教室は自宅から地味に遠くて、仕事帰りに迎えに行くのも疲れる。バスの乗り方を教えて、自分で帰ってきてもらうのはどうだろう。4年生になったら、バスの路線と乗り方を教えよう。よし。
「母さん?」
「よし、駅で弁当買って帰ろうか」
自分で作った食事を食べる気分にはなれない。弁当の方が多少マシだ。百々人もそうだろう。
「うん」
軽いランドセルを預かって、空いた手を繋ぐ。にっこり笑って見上げる様子はやはり可愛らしい。反抗期のはの字もない。やっぱり生まれて1年以内のあの頃がいちばん酷かった。まだ思い出しても笑えないけど、10年後には笑えるのかもしれない。小さな手、何年生までこうして手を繋いで歩くのだろう。
しかし小学生になってからは学校で食育なんかもやるようになって、ウインナーたまご生活は流石にまずいとバレ始めた。百々人が異様に賢いせいで気づくのが早かった。こういうところは夫に似たに違いない……
正直なところ私は子供を産んでから、何を食べても美味しいと思ったことがない。正確には、百々人の離乳食に苦しむうちに何を食べてもまずいと思うようになった。最初は自分の料理が不味いのだと思ったけど、仕事復帰祝いの食事に連れて行ってもらって気がついた。何を食べても美味しくない。特に自分の料理は一際まずくて、砂を噛むように感じる。
百々人に手をかけすぎて、自分の栄養が足りてない?精神的に病んでいる?最初の医者にしばらく通ってその後2回ほど医者を変えたが、症状は改善しない。仕事、育児、それに加えて通院は忙しすぎる。1日が24時間では足りない。
元々私はメシマズで、それは薄々自分でもわかっていたけど、子供を産んでやっとはっきり自覚したのかも。夫もメシマズを我慢してたのかも。結婚前後に料理教室通いも経験して多少改善したつもりでいたけど、全て生来のメシマズ素養の前には無駄。自覚してからの食事作りは一層辛い。早く百々人も自分の食事は自分で用意するようになってくれたら……夫はずっと単身赴任をしている。元々多忙さを言い訳に自分の食事は自分で調達していたし、家事はそれなりにできるから、あまり困らずにやっているようだ。いいな、3食外食暮らし……羨ましい……ダメダメ、夏休みの前に食事調査が学校であるって言ってたから、それだけは乗り越えなければ……
「花園さん、もう時間じゃないですか?」
「本当だ、すみません!お先に失礼します」
時短とはいえ、小学生の下校時間には間に合わない。慌てて退勤、会社を飛び出して迎え。
百々人は小学校に入ってから徐々に習い事を増やして、最近の放課後は毎日何かしらの予定を入れている。昔は会社の託児を使っていたが、小学生になってからはそうも行かない。習い事で時間を潰させる案は会社の先輩に教わって、まずは先輩に勧められた英会話から始めた。学習塾の空き時間に宿題を済ませて、授業は勉強だけでなく思考学習や電子工作もさせてくれて良い暇つぶしになっているようだ。勉強なんていやだと言われるかと思ったけど、特に反発は今のところなし。スイミングにも通わせて、塾週2・英会話・スイミングで平日に空きが1日できた。
「木曜日が空いてるけど、他に何か習う?お休みの日にする?」
と尋ねたら絵を習いたいと。絵、絵か……塾の電子工作でよくないか?と思ったが夫曰く「完全に別物なのでどこか絵画教室を探してやって」とのこと。結局私が探すんじゃないか。私は夫と違って美術は見るのもやるのも興味がなく、教室探しには苦労した。聞き込みして見つけた初心者向け絵画教室(教えてくれた人は私が始めるものだと勘違いしたらしい)は、大人ばかりで失敗したかと思ったが、楽しそうに通っている。子供ばかりの環境にいるから、親より年上の人と交流するのが新鮮なのだろう。たぶん。
そして今日は木曜日、絵画教室の日であった。
「お世話になっております。花園です」
「ああ、百々人くんまだ部屋にいますよ」
「すみません、すぐ支度させます……」
「いやあ急がなくていいですよ、大作挑戦中ですから」
百々人は塾も英会話もスイミングも迎えに行くといつも玄関で待っている。しかし絵画教室の日だけは、迎えに行ってもまだ作業室にいたり先生や他の受講者と絵の話をしていたり。受付の人の言うとおり、少し前から書いている絵は「大作」らしくなかなか完成しない。時間かかるねえとなんとなく口にしたら、「うん。時間がかかっているから、スイミングやめて絵画教室の時間増やしたい」「塾減らすのでもいい?」と。そ、そこまで……スイミングは溺れない程度に最低限必要な気がするし、塾は中学受験するならこのままのペースか増やす方向でやってほしいし……習い事も飽きるから日替わりで選んでいる節があったが、まさか絵画に落ち着くとは。結果塾を週一にするので落ち着いた。中学受験するなら5年生くらいから本気で頑張らせようという夫の方針である。
「百々人、迎えに来たよ。帰りましょう」
「母さん」
大作と言っても、いつもの画用紙より少し大きいくらいだ。何か大きな風景画とか人物画をやるのかと思ったら、静物画だし。しかし振り返った百々人は自慢げに私に未完成の大作を見せる。
「今日はここやったの?」
「そう、後はこっちを先生がね、描いてるんだけどね。全然違うでしょ」
同時に先生が描いているものを見せられたが、先生は上手い百々人は下手、以外の感想が出てこない。母がなんとか前回からの進捗を見出そうと毎回必死に絵を見ていることを百々人は知らない。こういうのは私じゃなくて夫に言ってくれ。夫は最近単身赴任先から帰ってくると百々人と美術館に行ったりして楽しそうにしている。美術館に一緒に行ける相手ができて嬉しそうなのは百々人も一緒。私には荷が重いのでその点は助かってる。外出するとそのまま食事を外ですることも多いし……百々人の解説が終わったようだ。
「ね?」
「うんうん」
母に同意を求める顔はかわいい。年相応に幼く見える。
「母さん、全然わかってない」
「もっと詳しい話したいなら父さんって言ってるでしょ」
「だって父さんいないし……」
むくれた顔もかわいいと思う。丸い頬を膨らませて、「こっちとかこれとか……全然違うでしょ。よく見て」と指差して教えてくれる。なるほど、そういうところを見るのか。書きかけの絵の写真を撮って、メモをとる。次回また迎えの時にコメントを求められるだろうから。
「母さん……」
「勉強になったよ。さ、帰りましょう」
百々人に支度をさせて、絵を片付ける。教室内には他の受講者の書きかけの絵がたくさん並べてある。目を惹くのはやはり上手な人の絵だ。上手い下手以上の感想はないが、それくらいはわかる。写実的な絵の方が上手い下手はわかりやすく、抽象画はもう何がなんだかわからない。
「僕もこういうの描いてみたいなあ」
百々人が見上げるのは抽象画だ。百々人が描いているのより作品自体が大きく、百々人の身長では見上げるほどに大きい。この身長でこの大きさの絵を描くのは難しいだろう。
「そうだね、百々人が大きくなったらね」
今から家帰って夕飯作るの嫌だな。絵画教室は自宅から地味に遠くて、仕事帰りに迎えに行くのも疲れる。バスの乗り方を教えて、自分で帰ってきてもらうのはどうだろう。4年生になったら、バスの路線と乗り方を教えよう。よし。
「母さん?」
「よし、駅で弁当買って帰ろうか」
自分で作った食事を食べる気分にはなれない。弁当の方が多少マシだ。百々人もそうだろう。
「うん」
軽いランドセルを預かって、空いた手を繋ぐ。にっこり笑って見上げる様子はやはり可愛らしい。反抗期のはの字もない。やっぱり生まれて1年以内のあの頃がいちばん酷かった。まだ思い出しても笑えないけど、10年後には笑えるのかもしれない。小さな手、何年生までこうして手を繋いで歩くのだろう。
