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こんなに月が明るくては伝説の大泥棒だって今夜は仕事を諦めるだろう。それほどまでに丸くて大きくて少しだけ欠けた月が東の空から南に登るころ、家の最寄駅で電車を降りた途端に風の冷たさに身がすくむ。あまり寒さに耐えかねて駅を出たところのコンビニで肉まんを買ってしまった。コンビニから出たらホームに降りた時より寒くてコートの襟を立てるようにしてともかく家路を急ぐ。周りの人も皆早足で、つられて早足になり、どんどん人気のない住宅街を突き進む。
姿は見えないのにやたらと香って主張していた金木犀はいつのまにか花を落とし、夜道に咲くのは薔薇ばかりだった。薔薇は二度三度と咲くんですよ、秋の薔薇は夏よりも色が濃くて香りも強くて……と花に詳しいアイドルがテレビで熱く語っていたのを思い出す。そう、テレビで見た秋の薔薇はこんな風に深い赤色をして……ん?
「今何か……視界をよぎったような……」
スマホを握りしめて恐る恐る周りを見渡す。変質者か?注意深くあたりを見ても一瞬見えた深い赤色の天鵞絨はどこにもない。知らない家の庭先に赤い薔薇がさくばかり。薔薇と見間違えたかな、疲れ目かな。そうだ、家に帰ったら目薬さそう。ホットアイマスクもしよう。
「なんだ、せっかく姿を現してやったってのに無視か」
幻聴まで聞こえてきた。やっぱり疲れてるんだなあ。週末は遊びに行く予定をやめて家で休もうかな。
「おい、無視すんな!」
「ウワッ」
咄嗟にバックライトを点灯し、エマージェンシーコールの画面を開いて、発信を押そうとした指が思わず固まった。無視すんじゃねえといらいらした様子で目の前に回り込んできたのは時代錯誤な格好のイケメンだった。ひらひらのシャツにリボンタイに仰々しいコート、赤い尖った羽とアクセサリーで耳のあたりがジャラジャラしている。なんだ、コスプレハロウィンか。
「ハロウィンならもうちょっと栄えた駅前の方がいいんじゃないですか。ほら渋谷とか今年もすごいらしいですよ」
「は?」
「わざわざこんな住宅街でやったら通報されますよ、変質者って……きゃっ!」
「シブヤだかなんだか知らねえけど、あんたこんだけ”ニオイ”振りまいといて知らねえっていうのは無理があるんじゃねえか?」
突然腕を乱暴に掴まれて思わず悲鳴が出た。なんだ、この人突然ニオイとか言い出して……ん?ニオイ、振りまいて……?私は左手に下げたコンビ二袋を見た。
「……肉まん、そんなに臭かったですか……?すみません……」
「は?」
このどこか噛み合わない会話にイライラした様子でその人はつま先をコンクリートに打ち付けた。逃げるように視線を足元に落とせば、その人があまりかかとの高くないハイヒールを履いているのがわかった。変な人。やっぱりコスプレか俳優かな。
「あんた、まさかとは思うが今の状況がわかってねえな」
「はあ、そうなのかもしれないです……」
要領を得ない私の言葉に苛立ちを露わにした彼は腕を組む。爪が長くて黒くて私はまじまじとその指先を見てしまった。生活するにも不便そうな長さだ。
「俺は吸血鬼、人間どもの血を糧に永遠の命を得る始祖の最後の生き残り。選りに選って始祖に遭うとはあんた運が良かったな」
彼はバサッと長いマントを翻し不遜に笑い、唇を舐めた。明るい月を背負ってそう言われるとなんだか芝居掛かった仕草も相まって呆気にとられてしまう。やっぱり俳優希望かな、中二病拗らせ系かな、現実逃避を始めた私の首元に冷たい指が触れ、愛おしそうに撫で回す。恋人をいとおしむのではなく、明らかにエサを歓迎するその手つきと私を見つめる熱のこもった瞳にようやく私は理解した。ああ、本物か。これはコスプレなんかじゃない、ほんものの吸血鬼だ。
勢いよく突き立てられた八重歯、いや吸血鬼なのだから牙か、それによって血が吹き出し、熱くて寒くて体が震えて、血を舐め啜る彼にもたれかかった。彼は私のことなど気にもとめず糧を得る歓喜にその目は輝きその目を見たのを最後に私の視界は狭く暗くなっていく。力の入らなくなった左手からすっかり熱を失ったコンビニ袋が落ちて、私はこの身に宿る新しい生命の熱さを静かに受け止めていた。
姿は見えないのにやたらと香って主張していた金木犀はいつのまにか花を落とし、夜道に咲くのは薔薇ばかりだった。薔薇は二度三度と咲くんですよ、秋の薔薇は夏よりも色が濃くて香りも強くて……と花に詳しいアイドルがテレビで熱く語っていたのを思い出す。そう、テレビで見た秋の薔薇はこんな風に深い赤色をして……ん?
「今何か……視界をよぎったような……」
スマホを握りしめて恐る恐る周りを見渡す。変質者か?注意深くあたりを見ても一瞬見えた深い赤色の天鵞絨はどこにもない。知らない家の庭先に赤い薔薇がさくばかり。薔薇と見間違えたかな、疲れ目かな。そうだ、家に帰ったら目薬さそう。ホットアイマスクもしよう。
「なんだ、せっかく姿を現してやったってのに無視か」
幻聴まで聞こえてきた。やっぱり疲れてるんだなあ。週末は遊びに行く予定をやめて家で休もうかな。
「おい、無視すんな!」
「ウワッ」
咄嗟にバックライトを点灯し、エマージェンシーコールの画面を開いて、発信を押そうとした指が思わず固まった。無視すんじゃねえといらいらした様子で目の前に回り込んできたのは時代錯誤な格好のイケメンだった。ひらひらのシャツにリボンタイに仰々しいコート、赤い尖った羽とアクセサリーで耳のあたりがジャラジャラしている。なんだ、コスプレハロウィンか。
「ハロウィンならもうちょっと栄えた駅前の方がいいんじゃないですか。ほら渋谷とか今年もすごいらしいですよ」
「は?」
「わざわざこんな住宅街でやったら通報されますよ、変質者って……きゃっ!」
「シブヤだかなんだか知らねえけど、あんたこんだけ”ニオイ”振りまいといて知らねえっていうのは無理があるんじゃねえか?」
突然腕を乱暴に掴まれて思わず悲鳴が出た。なんだ、この人突然ニオイとか言い出して……ん?ニオイ、振りまいて……?私は左手に下げたコンビ二袋を見た。
「……肉まん、そんなに臭かったですか……?すみません……」
「は?」
このどこか噛み合わない会話にイライラした様子でその人はつま先をコンクリートに打ち付けた。逃げるように視線を足元に落とせば、その人があまりかかとの高くないハイヒールを履いているのがわかった。変な人。やっぱりコスプレか俳優かな。
「あんた、まさかとは思うが今の状況がわかってねえな」
「はあ、そうなのかもしれないです……」
要領を得ない私の言葉に苛立ちを露わにした彼は腕を組む。爪が長くて黒くて私はまじまじとその指先を見てしまった。生活するにも不便そうな長さだ。
「俺は吸血鬼、人間どもの血を糧に永遠の命を得る始祖の最後の生き残り。選りに選って始祖に遭うとはあんた運が良かったな」
彼はバサッと長いマントを翻し不遜に笑い、唇を舐めた。明るい月を背負ってそう言われるとなんだか芝居掛かった仕草も相まって呆気にとられてしまう。やっぱり俳優希望かな、中二病拗らせ系かな、現実逃避を始めた私の首元に冷たい指が触れ、愛おしそうに撫で回す。恋人をいとおしむのではなく、明らかにエサを歓迎するその手つきと私を見つめる熱のこもった瞳にようやく私は理解した。ああ、本物か。これはコスプレなんかじゃない、ほんものの吸血鬼だ。
勢いよく突き立てられた八重歯、いや吸血鬼なのだから牙か、それによって血が吹き出し、熱くて寒くて体が震えて、血を舐め啜る彼にもたれかかった。彼は私のことなど気にもとめず糧を得る歓喜にその目は輝きその目を見たのを最後に私の視界は狭く暗くなっていく。力の入らなくなった左手からすっかり熱を失ったコンビニ袋が落ちて、私はこの身に宿る新しい生命の熱さを静かに受け止めていた。
