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雪が降ったりなんだりで大変だったけど、無事に受けてかえってこれてよかったね、で終わらないのが受験である。翌日も何年振りの大雪だというニュースを横目に自己採点のため登校した。学校に着いた途端雪がやんだのさえ忌々しい。そして忌々しいのはもうひとつ。
「どーしよ、これ……」
すごい点を取ってしまった。高ければ問題ない。そう、低かったのだ。練習や模試より一科目だけが20点以上低い。
「ほんとにやらかしたよ……どうしよう」
他の科目は問題なかった。寧ろよくできていた。ただ、化学で稀代の大コケをしてしまっただけで。幸い、他の平均点が低い科目で高得点をマークしたことで英語や数学なんかは偏差値が高かったのでなんとか志望校は変えなくてもどうにか済みそうだった。ただ、1つだけ気まずい点がある。
(山下先生にいっぱい面倒みてもらったのに、化学だけ全然できなかったなんて言えない!!!)
元々化学は苦手だった。先生にわからないところを教えてもらったり、プリントをもらったりして最近調子が良くなったので行けると思ったけどやっぱりだめだった。調査票のグラフは一科目だけが大きくへこんでいる。
「苗字?」
ドキッとして心臓が口から出るかと思った。大好きな声、でも今1番聞きたくなかった声。
「や、山下せんせえすみませんけどわたくし硲先生に用事があるので失礼しますね!!!!」
「……待ちなさいって。そして数学科の先生方は2次試験向け記述採点の担当振り分け会議中でーす」
「うっ」
まあまあついてきなさいと先生は私の自己採点シートと判定結果を奪って歩いていく。ぺたぺたと間抜けな足音がしたけど、今の私にとっては死神が鎌を振り下ろす音に等しい。昨日の夜から言い訳は散々考えたけど、真っ白な頭は数式と古典単語の意味と地理の問題のできなかったところくらいしか吐き出さなかった。
取り敢えず座りなさい、とコロコロイスを出されて私は失礼しますと声を絞り出して座った。予想以上に泣きそうな声で、山下先生はぎょっとしていた。必死に保っていたけど案外メンタルはやられまくってたらしい。
先生があったかいお茶を出してくれてお礼を言った以外はしばらく無言だった。ものがいっぱい机の横に積まれていて、ポットのかわりにお茶の入った大きい魔法瓶があるのがなんとなくおかしかった。棚には先生に質問した時に使った参考書が入っていた。開きぐせがついてうまく自立していない。私が何度も開いて、先生が私以外の他の子のために何度も開いたからだ。
「それで、昨日はどうだった?教室、寒くなかった?」
先生はさらっと聞いた。さらっと聞いたけど、めちゃめちゃ気を使ったんだろうなと思った。でも、簡単な質問だったから悩まなくてよかった。
「先生たちが寒い寒いって言うからカイロ二個も貼ってったのに教室暖房ガンガンきいててすっごく暑かった!」
「はは、皆そう言ってた」
先生はさりげなく視線を自己採点の紙に落として総合点を読み上げた。私に聞かせるんじゃなくてなんとなく言ってみただけですよという程を装って。
「志望校の判定もらった?」
「はい」
見せて、と言われてそのまま渡した。
「このまま第一志望のとこ受けるの?」
「いや、ちょっと悩んでて……」
「B判だったから?それとも女の子はやっぱり遠くに進学は難しいか」
「それは問題ないんですけど、受かる気がしなくて……」
「Bなのに!?たしかに苗字はいつもA判だったけど」
「だって、化学が……」
山下先生もあえて直接言わなかった化学のことについに自分から言及してしまい、私の涙腺は崩壊した。今更やり直すには浪人くらいしかないのだけど、ビビりなのでそれすら言い出せずぼたぼたと涙をあふれさせた。
「あー化学ね……」
でもよく頑張ったよ、他でカバーできたから元々の志望校の判定がよかったわけだし……と先生は困った顔で笑った。
「苗字の志望校は二次の比重が大きいから、あまり引きずることはないとは思うけど……」
「でも、こんな点取っちゃったから、二次で巻き返せる気がしないんです!」
「巻き返せると思うよ」
「……」
とりあえず鼻かみなさい、とちょっと潰れた箱ティッシュを渡される。二枚とって、後ろを向いて思いっきり鼻をかんだ。
「……私、学部変えようと思うんです」
「え?」
「それか、ランク下げて第三志望のとこに変えようと思います」
「……それはどうして?」
「化学、もともと苦手なんです。今の学部はいっぱい有機使うし、生物よりの学部にしようと思ってます。それかレベル下げたとこはそこまで化学の点いらないから、そこにしようかなって」
「……そっか」
先生に背中を向けたままなので顔は見えなかった。あれだけ手間かけて面倒みてもらってて今更化学をやめますって言ったから失望されたかな。
私は山下先生が好きで、憧れてたからそれはちょっと悲しい。でも春がきたら私は卒業して、そうしたらきっと先生にとっては卒業していった何百人もの生徒のうちの1人になって忘れられていくのだからそんなことは考えるだけ不毛だ。あのさ、と遠慮がちに声をかけられた。低くてちょっと色気があって、大好きな先生の声。
「あくまで個人の意見だけど、1つの試験の点をそんなに気にやむことはないと思うよ。苗字にとっては志望校を決める大事な試験の1つだった訳だけど、そのチャンスは今年に限ってはまだあと1回残ってる。……それに大学に入ってからも卒業してからもそういう未来を決める大事な機会はまだまだたくさんあるんじゃない?」
2人とも黙ったまま、視界の隅でお茶の湯気だけが揺れていた。私はゆっくり先生の言ったことを考えて、先生はただ黙って私を待っていた。先生も二次で化学をする子の採点や指導があるし2年生や1年生の授業に呼ばれれば行かないといけないのに、ただ今だけは私のためだけに待っていてくれた。
「苗字がずっと頑張ってきたのは知ってる。だから、まだ頑張れるなら、頑張ろうと思えるなら、二次試験までまた、一緒に頑張ってみない?……先生は大歓迎だよ」
追い討ちの一言に一旦収まった涙がぶわっとあふれた。頑張りたい、先生と一緒にいたいのはもちろん、諦められない。志望校はもちろんだけど、先生と一緒に頑張った化学を諦めたくない。
「わたし、まだ」
諦めたくないです。そう言おうとした矢先にガラッとドアが開いた。思わず肩が跳ねて、山下先生が腰を浮かせたらしく椅子が大きな音を立てた。
「山下くん、卒業式の進行についてだが」
「は、硲せんせえ」
「苗字」
指導中だったようだ、私は出直してこよう。と硲先生が静かにドアを閉めようとしたので私はとっさに半分脱げた上履きを蹴り飛ばしてドアに挟んだ。
「あ、」
やばっ、という山下先生の声。それから硲先生の綺麗なお顔が少しばかり曇り、「苗字、上履きは履くものであってつっかえ棒にするものではない」とお説教が。すみませんすみませんとなぜか山下先生まで小さくなっている。
硲先生は以後気をつけるように、と上履きを私に返した。それから引きとめようとしたのだろう、と私に用件を聞いてくれた。怖そうな人だけど(実際授業や生活態度に関してはなかなか厳しい)こういうところはすごく優しい。真面目でおとなしい子の中には硲先生の隠れファンがいるというのも納得できる。
「あの、私帰ります。どうぞお話続けてください。山下先生、あの、ありがとうございました。2次までもう少し頑張ってみます」
「うん、記述指導は継続だからよろしくね」
「はい、硲先生もお世話になります」
「そうだ、苗字。センター試験のことだが」
山下先生と私の間では終わった話題だったので変な緊張感が生まれた。センターの得点は学年で共有されている。化学の話はもうやめてほしい。私はセンターのxx点という結果は忘れて2次で挽回する気になったところなので。
「IIB98点、今年は平均点が低い中でよく頑張ったと思う。学年3位だった」
「えっ」
2次試験はセンターと異なり記述だ。満点は当然難しいが、期待している。優しい言葉に思わず硲先生の顔を見る。山下先生も安心した顔をしていた。あ、ありがとうございますと真っ赤になった顔を隠すようにお辞儀をした。慌てて山下先生から自己採点と判定結果を返してもらい、挨拶をする。
「先生、今日はありがとうございました。過去問の採点もよろしくお願いします」
「はい、また明日」
明日からまた、頑張るんだよって先生が笑う。
明日も来ていいんだ。センターが終わって自由登校が始まった。毎日学校に来ていた時は毎日聞いていたまた明日、の言葉が嬉しくて顔が緩んでしまう。
「はい、頑張ります!」
「はは、いい返事だ」
山下先生、硲先生、失礼します。勢いよくお辞儀をしてつっかけた上履きを履き直し、教室を出た途端廊下を走り出した。2年以下は普通に授業をしているから足音は極力たてないように。
硲先生に怒られるかしらと振り向いたら先生方は廊下に頭だけ出して笑っていた。
この時私は、私たちの学年が先生方が卒業を見送った最後の学年になるなんて知りもしなくて、ただ自分の未来のことだけ考えていた。
@@@
「毎年、いろんなことを考える子が出ますね」
「生徒は一人一人目標も思考も、抱えている事情も違う。我々の役目はできるだけそれを尊重しながらも正しい方向に導くことだ」
家の都合で進路を変更した生徒も、ギリギリまで頑張っても学力が足りなくて志望校を変えざるをえなかった生徒もやけになって全然違う進路へ進む生徒もいる。反対に、予定通りの進路へ進む生徒やセンターや推薦でうまくいって予定よりランクをあげた生徒もいれば、先ほどの苗字のようにたった1つの失敗にとらわれて手に入るはずのものを諦めかける生徒もいる。
「できるだけ、生徒が望むようにしてやりたいんですけどね」
硲が小さな声でそれに同意して、山下は卒業式の資料をめくるふりをしながらぼんやり苗字の事を考えた。この先何度も、進路を選ぶチャンスはあるのだから、と言ったものの、これから自分にその機会は巡ってくるのだろうか。
きっと来年もまた同じように受験生の指導をして春には送り出していくのだろう。もしかしたら、自分にも全く違う進路に進むためのチャンスがあるのかもしれないけれど、教師になってから何年も同じ生活を繰り返している身には全く縁のない話だと山下はその考えを振り払った。
来年で30になるというのに時折若い学生に引きずられてしまうのがなんとなく恥ずかしくて山下も硲に倣い資料に没頭した。卒業の春にはまだ遠く、外ではまた雪が降り始めた。
「どーしよ、これ……」
すごい点を取ってしまった。高ければ問題ない。そう、低かったのだ。練習や模試より一科目だけが20点以上低い。
「ほんとにやらかしたよ……どうしよう」
他の科目は問題なかった。寧ろよくできていた。ただ、化学で稀代の大コケをしてしまっただけで。幸い、他の平均点が低い科目で高得点をマークしたことで英語や数学なんかは偏差値が高かったのでなんとか志望校は変えなくてもどうにか済みそうだった。ただ、1つだけ気まずい点がある。
(山下先生にいっぱい面倒みてもらったのに、化学だけ全然できなかったなんて言えない!!!)
元々化学は苦手だった。先生にわからないところを教えてもらったり、プリントをもらったりして最近調子が良くなったので行けると思ったけどやっぱりだめだった。調査票のグラフは一科目だけが大きくへこんでいる。
「苗字?」
ドキッとして心臓が口から出るかと思った。大好きな声、でも今1番聞きたくなかった声。
「や、山下せんせえすみませんけどわたくし硲先生に用事があるので失礼しますね!!!!」
「……待ちなさいって。そして数学科の先生方は2次試験向け記述採点の担当振り分け会議中でーす」
「うっ」
まあまあついてきなさいと先生は私の自己採点シートと判定結果を奪って歩いていく。ぺたぺたと間抜けな足音がしたけど、今の私にとっては死神が鎌を振り下ろす音に等しい。昨日の夜から言い訳は散々考えたけど、真っ白な頭は数式と古典単語の意味と地理の問題のできなかったところくらいしか吐き出さなかった。
取り敢えず座りなさい、とコロコロイスを出されて私は失礼しますと声を絞り出して座った。予想以上に泣きそうな声で、山下先生はぎょっとしていた。必死に保っていたけど案外メンタルはやられまくってたらしい。
先生があったかいお茶を出してくれてお礼を言った以外はしばらく無言だった。ものがいっぱい机の横に積まれていて、ポットのかわりにお茶の入った大きい魔法瓶があるのがなんとなくおかしかった。棚には先生に質問した時に使った参考書が入っていた。開きぐせがついてうまく自立していない。私が何度も開いて、先生が私以外の他の子のために何度も開いたからだ。
「それで、昨日はどうだった?教室、寒くなかった?」
先生はさらっと聞いた。さらっと聞いたけど、めちゃめちゃ気を使ったんだろうなと思った。でも、簡単な質問だったから悩まなくてよかった。
「先生たちが寒い寒いって言うからカイロ二個も貼ってったのに教室暖房ガンガンきいててすっごく暑かった!」
「はは、皆そう言ってた」
先生はさりげなく視線を自己採点の紙に落として総合点を読み上げた。私に聞かせるんじゃなくてなんとなく言ってみただけですよという程を装って。
「志望校の判定もらった?」
「はい」
見せて、と言われてそのまま渡した。
「このまま第一志望のとこ受けるの?」
「いや、ちょっと悩んでて……」
「B判だったから?それとも女の子はやっぱり遠くに進学は難しいか」
「それは問題ないんですけど、受かる気がしなくて……」
「Bなのに!?たしかに苗字はいつもA判だったけど」
「だって、化学が……」
山下先生もあえて直接言わなかった化学のことについに自分から言及してしまい、私の涙腺は崩壊した。今更やり直すには浪人くらいしかないのだけど、ビビりなのでそれすら言い出せずぼたぼたと涙をあふれさせた。
「あー化学ね……」
でもよく頑張ったよ、他でカバーできたから元々の志望校の判定がよかったわけだし……と先生は困った顔で笑った。
「苗字の志望校は二次の比重が大きいから、あまり引きずることはないとは思うけど……」
「でも、こんな点取っちゃったから、二次で巻き返せる気がしないんです!」
「巻き返せると思うよ」
「……」
とりあえず鼻かみなさい、とちょっと潰れた箱ティッシュを渡される。二枚とって、後ろを向いて思いっきり鼻をかんだ。
「……私、学部変えようと思うんです」
「え?」
「それか、ランク下げて第三志望のとこに変えようと思います」
「……それはどうして?」
「化学、もともと苦手なんです。今の学部はいっぱい有機使うし、生物よりの学部にしようと思ってます。それかレベル下げたとこはそこまで化学の点いらないから、そこにしようかなって」
「……そっか」
先生に背中を向けたままなので顔は見えなかった。あれだけ手間かけて面倒みてもらってて今更化学をやめますって言ったから失望されたかな。
私は山下先生が好きで、憧れてたからそれはちょっと悲しい。でも春がきたら私は卒業して、そうしたらきっと先生にとっては卒業していった何百人もの生徒のうちの1人になって忘れられていくのだからそんなことは考えるだけ不毛だ。あのさ、と遠慮がちに声をかけられた。低くてちょっと色気があって、大好きな先生の声。
「あくまで個人の意見だけど、1つの試験の点をそんなに気にやむことはないと思うよ。苗字にとっては志望校を決める大事な試験の1つだった訳だけど、そのチャンスは今年に限ってはまだあと1回残ってる。……それに大学に入ってからも卒業してからもそういう未来を決める大事な機会はまだまだたくさんあるんじゃない?」
2人とも黙ったまま、視界の隅でお茶の湯気だけが揺れていた。私はゆっくり先生の言ったことを考えて、先生はただ黙って私を待っていた。先生も二次で化学をする子の採点や指導があるし2年生や1年生の授業に呼ばれれば行かないといけないのに、ただ今だけは私のためだけに待っていてくれた。
「苗字がずっと頑張ってきたのは知ってる。だから、まだ頑張れるなら、頑張ろうと思えるなら、二次試験までまた、一緒に頑張ってみない?……先生は大歓迎だよ」
追い討ちの一言に一旦収まった涙がぶわっとあふれた。頑張りたい、先生と一緒にいたいのはもちろん、諦められない。志望校はもちろんだけど、先生と一緒に頑張った化学を諦めたくない。
「わたし、まだ」
諦めたくないです。そう言おうとした矢先にガラッとドアが開いた。思わず肩が跳ねて、山下先生が腰を浮かせたらしく椅子が大きな音を立てた。
「山下くん、卒業式の進行についてだが」
「は、硲せんせえ」
「苗字」
指導中だったようだ、私は出直してこよう。と硲先生が静かにドアを閉めようとしたので私はとっさに半分脱げた上履きを蹴り飛ばしてドアに挟んだ。
「あ、」
やばっ、という山下先生の声。それから硲先生の綺麗なお顔が少しばかり曇り、「苗字、上履きは履くものであってつっかえ棒にするものではない」とお説教が。すみませんすみませんとなぜか山下先生まで小さくなっている。
硲先生は以後気をつけるように、と上履きを私に返した。それから引きとめようとしたのだろう、と私に用件を聞いてくれた。怖そうな人だけど(実際授業や生活態度に関してはなかなか厳しい)こういうところはすごく優しい。真面目でおとなしい子の中には硲先生の隠れファンがいるというのも納得できる。
「あの、私帰ります。どうぞお話続けてください。山下先生、あの、ありがとうございました。2次までもう少し頑張ってみます」
「うん、記述指導は継続だからよろしくね」
「はい、硲先生もお世話になります」
「そうだ、苗字。センター試験のことだが」
山下先生と私の間では終わった話題だったので変な緊張感が生まれた。センターの得点は学年で共有されている。化学の話はもうやめてほしい。私はセンターのxx点という結果は忘れて2次で挽回する気になったところなので。
「IIB98点、今年は平均点が低い中でよく頑張ったと思う。学年3位だった」
「えっ」
2次試験はセンターと異なり記述だ。満点は当然難しいが、期待している。優しい言葉に思わず硲先生の顔を見る。山下先生も安心した顔をしていた。あ、ありがとうございますと真っ赤になった顔を隠すようにお辞儀をした。慌てて山下先生から自己採点と判定結果を返してもらい、挨拶をする。
「先生、今日はありがとうございました。過去問の採点もよろしくお願いします」
「はい、また明日」
明日からまた、頑張るんだよって先生が笑う。
明日も来ていいんだ。センターが終わって自由登校が始まった。毎日学校に来ていた時は毎日聞いていたまた明日、の言葉が嬉しくて顔が緩んでしまう。
「はい、頑張ります!」
「はは、いい返事だ」
山下先生、硲先生、失礼します。勢いよくお辞儀をしてつっかけた上履きを履き直し、教室を出た途端廊下を走り出した。2年以下は普通に授業をしているから足音は極力たてないように。
硲先生に怒られるかしらと振り向いたら先生方は廊下に頭だけ出して笑っていた。
この時私は、私たちの学年が先生方が卒業を見送った最後の学年になるなんて知りもしなくて、ただ自分の未来のことだけ考えていた。
@@@
「毎年、いろんなことを考える子が出ますね」
「生徒は一人一人目標も思考も、抱えている事情も違う。我々の役目はできるだけそれを尊重しながらも正しい方向に導くことだ」
家の都合で進路を変更した生徒も、ギリギリまで頑張っても学力が足りなくて志望校を変えざるをえなかった生徒もやけになって全然違う進路へ進む生徒もいる。反対に、予定通りの進路へ進む生徒やセンターや推薦でうまくいって予定よりランクをあげた生徒もいれば、先ほどの苗字のようにたった1つの失敗にとらわれて手に入るはずのものを諦めかける生徒もいる。
「できるだけ、生徒が望むようにしてやりたいんですけどね」
硲が小さな声でそれに同意して、山下は卒業式の資料をめくるふりをしながらぼんやり苗字の事を考えた。この先何度も、進路を選ぶチャンスはあるのだから、と言ったものの、これから自分にその機会は巡ってくるのだろうか。
きっと来年もまた同じように受験生の指導をして春には送り出していくのだろう。もしかしたら、自分にも全く違う進路に進むためのチャンスがあるのかもしれないけれど、教師になってから何年も同じ生活を繰り返している身には全く縁のない話だと山下はその考えを振り払った。
来年で30になるというのに時折若い学生に引きずられてしまうのがなんとなく恥ずかしくて山下も硲に倣い資料に没頭した。卒業の春にはまだ遠く、外ではまた雪が降り始めた。
