Ⅱ 陰謀の影と偽物の亡霊

 高い天井にまで届く本棚と、濃いめに淹れた紅茶の湯気。ここは、第二の図書室と呼ばれるシラスの私室だ。
「――リゼット様、統御とは?」
 低く落ち着いた声が響く。
「全体をまとめ、支配すること。また、人の心を動かして、自発的に行動させること」
「では、その法則を覚えておられますか?」
「衆を率いるには、まず自らに何らかの権威や優越が必要。そして、衆を動かす基本条件は何らかの利益を与えること。逆に、生命や生活の危機といった恐怖を与えることも含まれますわ」
 リゼットの答えに、シラスは満足そうに頷く。
「よろしい。この利益と恐怖だけでも衆は動かせます。しかし、これは彼らの理性を支配しているに過ぎません」
「まだ何か必要ということ?」
「ええ。今までのが外的な動機なら、心から行動しようと思わせる内的な動機づけも必要です」
「心から行動……」
「リゼット様が、民を治めるのに必要だと思うものは何ですか?」
 考えるリゼットに、シラスは優しく問いかける。
「えーと……日々の暮らしに困らないことの保証かしら。まずパンは手に入れられないと。働ける人には働き口。子供の教育に治安も……。それをただ実行するのではなくて、民を思いやる心も必要だと思いますわ」
 シラスは軽く両手を打った。
「はい、正解です」 
「ん?」
「思いやる心……愛情や信頼、誠意といったものがなければ、いくら利益があっても人の心は離れてしまうでしょう?」
「なるほど……そうよね。陛下が国民から支持されてるのは、誠意を持ってお仕事されてるからなのですわ!」
 一生懸命に羽ペンを動かすリゼット。
「うふふ。シラス君が騎士団の皆から頼りにされているのも、強いからだけではありませんものね」
「……信頼関係はありますね。前団長のイサーク様の人徳があってのことかと」
 シラスの師であり前団長であったイサークは由緒正しい伯爵家の当主だが、豪快な性格で古い貴族にありがちな堅苦しさを嫌う。貴族も平民も関係なく平等に接する姿は、多くの騎士団員から慕われている。
「もう、シラス君は謙遜が過ぎるのですわ。でもそこがいいのかしら。従うなら、驕る者より謙虚で誠実な者がいいですものね」
 純粋に褒めてくるリゼットに、シラスは照れを隠すように紅茶をひと口飲む。
「それも統御のひとつですね……リゼット様が優秀なので早く進みましたし、午後は早めに散歩に行きましょうか」
 その言葉に、リゼットの瞳が輝く。
「え、いいの!?」
 レオンからは、シラスの裁量に任せると言われている。リゼットが記述した用紙に目を通し、内容を理解していると判断したシラスは書物を閉じた。
「ええ。その前に軽食……スコーンならすぐにご用意できますよ」
「紅茶とスコーン! 大好きなのですわ」
 リゼットの返事にシラスは頷くと、すぐにおかわりの紅茶とスコーンを持ってきた。リゼット用にクロテッドクリームとジャムも添えられいる。
「……今日の講義も、よく頑張りましたね」
 王位継承権を持つ者には必須であろう帝王学。いくら聡明でも、十二歳の少女が学ぶには重すぎる内容だとシラスは思う。このくらい甘やかしても許されるだろう。
「シラス君は優しく教えてくださるから大丈夫よ。それに、シラス君の淹れてくれる紅茶があるから頑張れるのですわ」
 ふんわりとした笑顔を見せるリゼットにシラスは見惚れ、そして小さく笑う。
「ふふっ……クリームがついてますよ」
「え、どこ?」
 シラスはリゼットの口の端についたクリームを指でそっと拭う。
「……ありがとう」
 ふたりのやり取りを、古書の上に座り見守っていたピーちゃんは、窓の外を見た。降り注ぐ陽の光に、揺れる緑。爽やかな風は、散歩をするのにちょうどいいだろう。ただ、森の鳥がいつもより騒がしい気がした――。
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