Ⅰ 静寂の祈りと騎士の誓い

「今のところ実害はありませんし、静観されては?」
 自室に戻ったリゼットにシラスが言った。
「……あのおっさん、あれでも派閥は無駄に大きいのですわ。雑魚揃いでも、それだけ騎士団長様をよく思ってない奴らがいるということでしょう」
 リゼットは、お忍び中の身代わりに寝台に入れていた熊のぬいぐるみを抱えるとそのまま寝転がった。
「たいした身分のない若輩者が騎士団長と王太女殿下の護衛というのは、侯爵のように格式を重んじる貴族には納得がいかないのでしょう」
「……身分と力は関係ないと思うのですわ。シラス君が今の地位にあるのは実力だと、皆が御前試合で見ていましたわ」 
 騎士団の精鋭たちを次々と倒し、決勝戦で師に勝ち団長の座を譲られた。貴族だけでなく国民も見ていた正々堂々とした試合だった。
「まあ、嫉みもあるのでしょうね」
 他人事のように言うシラスに、リゼットは納得がいかないようで両足をパタパ夕させている。
「……リゼット様」
 淑女とは言い難い所作だが、自分の為に怒ってくれているのが解るだけに窘めにくい。 ただ、ドロワーズが見えてしまっているのは困る。
 自分にしか見せない姿に一瞬だけ目を細め、シラスは寝台に腰かけた。
「失礼」
「んにゃっ!?」
 軽々とリゼットの腰を抱えあげると、さりげなくドレスの裾を直し、自分の膝の上に向かい合うようにして座らせた。
「……シラス君?」
 リゼットの目の前には、まるで神に造られたかと思わせるほどの美貌。彫刻のように整った顔の右目と左頬には痛々しい傷痕。
「――リゼット様は、お優しく正義感も強い。そこは尊敬しております」
 翠玉エメラルドに金の散った瞳が、リゼットを優しく見つめている。
「ですが、御身はいずれ国を背負う立場。感情を制御することも必要です」
「シラス君」
「それに……リゼット様が僕を信じてくださっているのなら、それで十分です」
 やや低めの穏やかで甘い声。普段から寡黙なシラスの言葉は少なめだが、波立っていたリゼットの心は落ち着いていく。
「そうですわね」
 機嫌を直したリゼットは、両手でシラスの頬を包む。
 細い指先が優しく傷痕をなぞった。右目は過去の守れなかった傷だと聞いている。
 左頬の傷は、五年前にリゼットを竜から護り勲章となったものだ。
「……騎士団の紋章と同じ傷ね」
 リゼットは、シラスの胸元のペンダントを見た。王立騎士団の紋章は、初代の騎士団長シルワノが修道騎士であったことから十字に、更に国を護り戦死した彼の頬に二重十字の傷があり、この英雄のように誇り高き騎士であることを忘れないように二重十字にされたと、本当かどうかわからない由来を聞いたことがある。
「シラス君が団長になったのは、もちろん実力だけど……何か不思議な縁というか……なるべくしてなった気がしますわね」
「誰もが畏れる騎士団長に、ですか?」
「シラス君は怖くありませんわよ?」 
 シラスの言葉にリゼットは、大きな瞳を瞬かせ可愛らしく首を傾げた。
「……それはリゼット様だからですね」
 寡黙で冷徹、孤高。人を寄せ付けない空気を纏っているシラスだが、この少女とふたりきりの時だけは素の自分が出てしまうのだ。
「シラス君は、強くて優しくて、綺麗な騎士様なのですわ」
 そう言うと、リゼットはシラスの左頬の傷痕にそっと口づけた。陽だまりのように温かく林檎のような甘い香りがシラスの鼻を掠める。
「……そろそろ紅茶を淹れますね」
 シラスは困ったように微笑し、愛しげにリゼットの頭を撫でた。
「あ、そうでしたわ。ピティヴィエ・フィユテ!」
 衝立の向こうで、バスケットを持ったアンヌが待機していた。
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