Ⅰ 静寂の祈りと騎士の誓い
建国二百年目を迎えるアストリア王国。
西の大陸にある五大国のひとつであり、領土は小さめではあるが、自然に恵まれ、王宮や街並みの美しさから『小さな宝石箱』と謳われている。
かつての大陸戦争の終結に、和平の証として亡国の王女エリサベトを王とし興されたのが始まりである。修道騎士であったシルワノが騎士団長となり、女王の傍らにあったという――。
マロニエの若葉が陽光に透け、柔らかな風が花の香りを運ぶ春の昼下がり。
城下街を歩くひとりの青年。翠玉 に金が散った切れ長の瞳、彫刻のように整った冷たさを感じさせる美貌の右目と左頬には傷痕があった。紅茶色の髪はやや横でひとつに結われ、反対側の肩に流している。均整の取れた長身にマントを左肩に掛け、胸や腕を革や金属の鎧で軽装備している。首から下げた盾型に二重十字が刻まれたペンダントは、彼が二年前に王立騎士団団長となったシルワノ・ローラン・エドゥアール・ド・トゥルニエであることを示している。
彼が、屋台や大道芸で賑わう教会広場を通り抜けようとした時だ。
「いつもの可愛いお嬢さん! 今日は焼き菓子がおすすめだよ!」
菓子が並んだ屋台の女将の声にそちらを見遣ると、腰まで届くローズブロンドを耳の高さでふたつに結った、タブリエドレス姿の少女が目に入った。
「……リゼット様」
青年が背後からそっと声を掛けると、少女が振り返った。
真珠のような白い肌、菫や青灰と角度によって色を変える菫青石 のような大きな瞳。猫のような口が特徴的な、愛らしくも美しい顔立ちは天使や妖精を思わせた。
「あら、騎士団長様。お仕事は終わりましたの?」
鈴を転がすような可憐な声。見つかることがわかっていたのか、動じることなく優雅に微笑むこの少女こそ、この国の王太女エリサベト・ロゼール・ポーリーヌ・ド・サンクレールである。
「ええ。また お忍びですか」
「うふふ。お役目大儀なのですわ」
王太女は本来なら午睡の時間なのだが、抜け出して城下をうろつくことが日常になってしまっている。それくらい街中は平穏なのだが。
「建国祭が近く人出が増えております。御身に何かありましたら」
「もー、シラス君ったら心配性なのですわ」
文句とは逆にリゼットは嬉しそうな笑顔を見せ、彼をいつもの愛称で呼んだ。
その時だった。優しい陽だまりと焼き菓子の甘い匂いに混ざる、沈香の重い残り香。
「――」
シラスの一瞬の鋭い眼差しをリゼットは見逃さなかった。
「……シラス君、どうかしましたの?」
大きな瞳で見上げてくるリゼットの頭を、シラスは軽く撫でた。
「いえ、何でもありません」
「そう? まあ何があっても、わたくしの騎士が護ってくださいますわよね。それこそ、盾となり剣となり……護国の英雄聖シルワノのように」
うっとりとしながら言うリゼット。大人顔負けの聡明さを持つが、やや夢見がちなところがある少女なのだ。
「……」
「あ、そうそう」
シラスが何か言う前に、リゼットは持っていたバスケットの中を見せた。自作の小さな熊のぬいぐるみと、先程買ったピティヴィエ・フィユテとクッキーが入っている。
「疲れた時は甘い物。もちろんシラス君の分もありますわ」
キラキラとした笑顔に、シラスは困ったように微笑んだ。
「……帰ったら林檎の紅茶でも淹れましょうか」
西の大陸にある五大国のひとつであり、領土は小さめではあるが、自然に恵まれ、王宮や街並みの美しさから『小さな宝石箱』と謳われている。
かつての大陸戦争の終結に、和平の証として亡国の王女エリサベトを王とし興されたのが始まりである。修道騎士であったシルワノが騎士団長となり、女王の傍らにあったという――。
マロニエの若葉が陽光に透け、柔らかな風が花の香りを運ぶ春の昼下がり。
城下街を歩くひとりの青年。
彼が、屋台や大道芸で賑わう教会広場を通り抜けようとした時だ。
「いつもの可愛いお嬢さん! 今日は焼き菓子がおすすめだよ!」
菓子が並んだ屋台の女将の声にそちらを見遣ると、腰まで届くローズブロンドを耳の高さでふたつに結った、タブリエドレス姿の少女が目に入った。
「……リゼット様」
青年が背後からそっと声を掛けると、少女が振り返った。
真珠のような白い肌、菫や青灰と角度によって色を変える
「あら、騎士団長様。お仕事は終わりましたの?」
鈴を転がすような可憐な声。見つかることがわかっていたのか、動じることなく優雅に微笑むこの少女こそ、この国の王太女エリサベト・ロゼール・ポーリーヌ・ド・サンクレールである。
「ええ。
「うふふ。お役目大儀なのですわ」
王太女は本来なら午睡の時間なのだが、抜け出して城下をうろつくことが日常になってしまっている。それくらい街中は平穏なのだが。
「建国祭が近く人出が増えております。御身に何かありましたら」
「もー、シラス君ったら心配性なのですわ」
文句とは逆にリゼットは嬉しそうな笑顔を見せ、彼をいつもの愛称で呼んだ。
その時だった。優しい陽だまりと焼き菓子の甘い匂いに混ざる、沈香の重い残り香。
「――」
シラスの一瞬の鋭い眼差しをリゼットは見逃さなかった。
「……シラス君、どうかしましたの?」
大きな瞳で見上げてくるリゼットの頭を、シラスは軽く撫でた。
「いえ、何でもありません」
「そう? まあ何があっても、わたくしの騎士が護ってくださいますわよね。それこそ、盾となり剣となり……護国の英雄聖シルワノのように」
うっとりとしながら言うリゼット。大人顔負けの聡明さを持つが、やや夢見がちなところがある少女なのだ。
「……」
「あ、そうそう」
シラスが何か言う前に、リゼットは持っていたバスケットの中を見せた。自作の小さな熊のぬいぐるみと、先程買ったピティヴィエ・フィユテとクッキーが入っている。
「疲れた時は甘い物。もちろんシラス君の分もありますわ」
キラキラとした笑顔に、シラスは困ったように微笑んだ。
「……帰ったら林檎の紅茶でも淹れましょうか」