前日譚
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――クレドは納得できない思いに苛まれていた。
というより、自分が他人に振り回されているこの状況に苛立っていた。
「くそ、なんだよあの女…散々好きとか言っといてもう飽きたってか…?」
任務なんてサボって昼間から酒場でエールを呷り、1人小声で悪態をついているわけだが、その理由は最近ぱったりと姿を見せなくなってしまった薄桃色の女にあった。
確かに最初に手を出したのはこちらだが、ここ最近は圧倒的にアリアからのアプローチが多かった。わざわざ手合わせで勝ちをとりにきて、朝食を共にするだなんてくだらない事をねだるほどにだ。
こちらもある程度気を許した矢先に、手のひらを返したように朝食にも昼食にも来ないアリア。確かに姿を見なくなってしまった日の朝食の席は見事に寝坊してすっぽかした訳ではあるが、それで愛想を尽かしてしまったということだろうか。
クレドはあんなに自分を熱っぽく見つめていた薄桃色の瞳を思い返しながら不思議でたまらなかった。
まあ女心は秋の空ともいうし、他に夢中になれる男でも見つけたのだろうと無理やり自分を納得させ、やはりこうして裏切られるのであれば始めから馴れ合いなどしないに越したことはないと強く思い直すのであった。
しかし、クレドも人間である。少しでも親しくなり且つ自分に好意を寄せていた人のことが全く気にならないと言えば嘘であり、何かのっぴきならない事情や不慮の事故でもあったのではないかと心配するくらいにはアリアに気を許していて、自分のことながら一驚してしまう。
それとなく騎士団支部内でアリアの姿を探してみたり、情報を収集してみると、これまた驚いたことに騎士団にも顔を出していないようで、誰もアリアの行方を知らないようだった。
クレドはこのままアリアを忘れてしまおうと思った。
突然きて突然いなくなる。そう、まるで嵐のようだったと思おうとしたのだった。それでもあの朝、自分のことを真剣に恥ずかしげもなく好きだと言った薄桃色の瞳が脳裏に付きまとうのが煩わしく、クレドは忘れるために酒を頼っていた。
「……おい、もう一杯」
「はいよ、あんた飲み過ぎじゃないの?」
「んなこたねえよ。」
酒場の女将に呆れられながらも運ばれてきたエールを勢いよく呷った。するとドクリと覚えのある鼓動がして、世界が変わる。
「……チッ」
世界が色を失い、手元のエールも無くなった。
場所だって謎の荒野な上、姿も勝手に怪人に変わっている。クレドはいつもの“夜”が始まるのかと、舌打ちを漏らしたが、正直今この鬱憤を晴らすにはちょうど良いタイミングだったと双剣を出しラルヴァの出現を今かと待った。
「あれ?なんか可愛い子いる?!」
「何?新顔?お気の毒様だね」
いつの間にやらいたらしい猛牛と背教者の声がして、そちらに視線を向けると確かに初めて見る緑の浮遊物がいた。
「わ、わあ、もしかして怪人…?初めてみた……」
「うーん、キミもボクたちと同じだけどね」
どう言うわけかふわふわと宙に漂う薄緑の女は他の怪人たちを見回していた。白猫の言うように自分も全く同じだと言うのに珍しいものを見るように頭のてっぺんから爪先までまじまじと眺めている。白猫、人形、猛牛、背教者と順にきて鷹であるクレドに視線が移る。
はた、と合う視線。金色の大きな双眸が薄らと見開かれた気がして、クレドは眉を吊り上げた。
「ふふ、なんだかサーカスみたい。」
「お喋りはほどほどにしてもらおう。」
厳粛な声がして黒装束の女が現れる。アプリリスだ。
この女が現れたと言うことはもう“夜”が始まると言うことなのだろう。意味もわからずラルヴァという異形のモンスターと戦う“夜”だったが、クレドにとっては意味など些末なことで、無条件に剣を振るい暴れることのできるこの戦いを心から楽しんでいた。
「今日から《妖精》が加わる」
簡素な説明で新顔の紹介が終わる。名前以外の情報は皆無だったがいつものことなので誰も何も言うことは無い。《妖精》はにこにこふわふわとしていて、まるで緊張感のない様子に猛牛と白猫が不安そうに顔を見合わせる。
「えっと…妖精ちゃん、これから戦いってわかってる…?」
「ええ、もちろん。わたし、皆様のサポートしますね。」
みな一様に頭に疑問符だったが、クレドはそのそよ風のような微笑みに既視感を感じていたのであった。
しかし深く考える猶予なくアプリリスの宣誓がされラルヴァが次々と現れる。それぞれの得物を出し構える中、妖精の手に淡いグリーンの宝石がふわりと現れ、周囲を浮く金属達が宝石の周りをくるくると旋回し光を放った。
なにやら暖かな光が怪人一同の身体を包み込み、体の内から力が溢れてくるような感覚を覚える。
「なになに?!」
「いつもより早く動けそうです」
人形の言葉に猛牛と白猫がラルヴァに向かって駆け出すと、確かにいつもより何割か増しでのスピードで動いている。ただでさえ素早い白猫は残像が見えそうだ。
「ふうん、支援魔法か。無難に有難いね。」
「おもしれぇ、いつもに増して暴れ甲斐がありそうだぜ」
「…それが本来の使い方か」
攻撃を仕掛けようと飛び出す間際、なにやらアプリリスが訳知りのように妖精に話しかけるのにクレドは無意識に耳を傾けた。しかし、妖精はただニッコリと笑みを浮かべるだけで何も答えないので、興味を削がれラルヴァへと集中する。
「はあ〜、速いって快適!」
「いつもより疲労も感じないね」
「妖精ちゃんがヒールも飛ばしてくれてるみたいね」
妖精のあの法器は有難い支援を撒き散らすだけの武器なのだろうか。クレドはふと疑問に思った。彼女がラルヴァから身を守る術はあるのだろうか。ふわふわと浮いて攻撃範囲からうまく外れているようではあるが。
クレドがそう思っているとちょうど飛行型ラルヴァが妖精めがけて飛んで行った。庇い守れないこともない距離だが、クレドは興味本位で敢えてみていることにしたのだった。
気がついた妖精の法器が光に包まれ、手に風の刃が現れた。あのなりで近接型もいけるのかと、妖精の真の実力にクレドは興味がそそられたが、ラルヴァが妖精に到達する前に蛇掃剣がしなやかな剣筋で滑り込んできて敵を排除した。
「妖精さん、私の後ろにどうぞ」
「わあ、ありがとう」
人形の割り込みにクレドは余計なことしやがってと、舌打ちを漏らしたが押し寄せるボスエネミー軍団に妖精のことなんて気にする余裕は無くなってしまった。しかし、今回の“夜”は妖精の後方支援のおかげで快勝といっても差し支えないほどの戦績を収めたのであった。
「すっごい!妖精ちゃんのおかげで楽だったわね」
「本当、すっごいです」
怪人の女子達が囃し立てるのにも、妖精はにこりと笑みを浮かべるだけでその人柄もふわふわと掴みどころがない。口元に湛える美しい笑みがどこか見覚えがあり、心が騒めき始めたクレドはその煩わしさから逃げるように喧嘩腰に声をかける。
「妖精、てめぇ自分の身は自分で守れんだろうな?まさか姫ちゃんプレイでずっと誰かの後ろにいるつもりじゃねえだろうな」
「……」
「ちょっと!支援だけでも充分…」
「でも実際いつでも誰でも庇えるわけじゃない。そこのところどうなの?妖精」
全員の視線が妖精に向く。
相変わらず笑みを崩さぬ妖精からは何の感情も汲み取れない。しかし、ふわふわと浮いていた足を地面につけ、己の足で地面に立った妖精は先ほど一瞬だけ垣間見た風の刃を手に握ると静かに言ったのだった。
「私は強いので、ご心配なく」
――――
「……ッ」
“夜”が明け、色と喧騒が戻ってくる。
場所は酒場、手元には飲みかけのエール。
何事もなかったかのように戻る日常にクレドは辟易とした。
今回の“夜”は新顔の支援によっていつもより爽快感に溢れていたはずなのに、気持ちは重いままである。
酒に溺れることもできず、ラルヴァで発散しきることもできない。
むしろ、何かと既視感を与えてきた《妖精》の出現に胸のモヤモヤは増すばかりである。あの妖精はクレドを悩ませている薄桃色の女とは何の関係もないはずなのに。
クレドは適当に辻斬りをするやつを見繕って街中で発散するかと思い立ち、金を払うと酒場を後にする。
快晴の天気にさえ苛立ちを感じながら繁華街へと向かう。巡回中のロムン兵でも星刻騎士でもどちらでも良いので腕の立ちそうなやつを探していると、路地裏に薄ピンクを見た。
「……!」
反射的にそのピンクを追いかけたクレド。
追いかけて何を言おうかとかどうしようか、とかそんなまどろっこしい感情ではなく、あの真っ直ぐな薄桃色の瞳を久々に見たいと率直に思ったのだった。そうすればこの鬱屈した気分が晴れる気がしたのだ。
「……いねぇ」
裏路地には誰もおらず、見間違いを疑ってしまうほどに気配さえもない。けれど、風が吹き運ばれてきた花の香りが確かに彼女がいたことを感じさせ、クレドは彼女がまだバルドゥークにいることを確信したのであった。
翌日、やはりアリアは無事だったようで、数日ぶりに支部に顔を出した彼女を囲う騎士団員どもの群れができていたとユオンが言っていたのを聞き、クレドは素直に面白くないと思った。人目を引く外見をしているのでそうやってチヤホヤされた結果、他の男に目移りしたのだろうと無理やり己を納得させ、アリアとの関わりを断とうしたのだった。
なのに、どうして。
サボり場所へと赴くと見覚えのあるランチボックスと簡素なメモが置いてあり、クレドは隠すことなく舌打ちをした。
「……何考えてんだか」
ランチボックスを開けるとサンドイッチが2つ。メモには今日の日付と『クレドへ』と書かれている。差出人の名前はないがこんなことをするのは間違いなくアリアしかいない。
クレドは再び納得できない思いに苛まれていた。
数日ぶりのサンドイッチは変わらず美味だったが、何故本人はこの場に現れないのだろうか。他の男に目移りしたり、自分に愛想を尽かしたのであれば、わざわざ来るかもわからないクレドに昼食の準備をしたりするだろうか。
「……」
様々な疑問が脳内を行き交い、クレドはその煩わしさにある決心をしたのだった。
――
比較的満月に近い月夜だ。
明るい月の光さえ届かないような薄暗い路地裏、こんなところにアリアの自宅はある。辻斬りを仕掛けるにはちょうど良い立地ではあるが、年頃の女が住むには何かと物騒だと流石のクレドも思ってしまうほどだ。その薄闇に気配を消し潜むクレドは怪人《鷹》となりアリアを待っていた。
ここ数日自分を苛む無用の感情に決着をつけるためにアリアに会いにきたのだった。
もう深夜近い。あまりの帰宅の遅さに痺れを切らす頃ようやくアリアが姿を現した。路地裏に小走りで駆けてくる影。気配は限りなく薄く、足音は全くしない。ただの若い女では考えられないような身のこなしにクレドは脱帽してしまうが、何故こんなにも人目を避け隠れるように帰宅するのか不思議でならなかった。
まあ、そのあたりの理由も今夜全て解消してやろうとクレドは意気込み、双剣を構えるとアリアに対峙する。
「よお、随分お急ぎのようだな」
「……え」
鷹の姿を知覚したアリアが足を止め、身体を硬直させた。薄桃色の双眸が大きく見開かれ、顔が強張り緊張しているのが伝わった。初めてされる表情にクレドはどうしてか苛立ち、もうさっさと終わらせてしまおうと思った。
「今日はテメェに勝ちにきた、覚悟しろや!」
「え、ちょっ!」
大きく踏み込み距離を詰め、双剣で斬りかかる。クレドがものすごい勢いで近づいてくるのにアリアは戸惑いながらもナイフを構え迎撃の姿勢を取った。
けれど、クレドは正々堂々とした決闘の末の勝利を取りに来たわけではなかった。短期決着。もうまどろっこしい憂慮なんて斬り捨てて全てを掴みに行ったのだ。
飛び掛かるようにアリアの目の前に行くと怪人化を解き“クレド”として対峙する。すると、意表をつかれたアリアが目を見開きまんまるの薄桃色の瞳がはっきりとクレドを写した。
けれど、これではまだ彼女を組み伏せるには隙が足りない。
クレドはにんまりと笑みを浮かべ、勝ち誇ったように宣言した。
「――アリア」
クレドが初めて奏でた彼女の名前に、アリアがわかり易く息を呑んだ。
「…ッ!?な、名前ッ! わ、きゃあ!」
彼女の一瞬の油断をクレドは見逃さず、いつかの手合わせの時にされたように足を掬い、いつかのように天を仰いだ彼女に覆い被さった。
「俺の勝ちだ」
そう高らかに宣言したのは初めてのことだったが、やはり悪い気分ではないとクレドはすでに充足した気分だった。しかし、今日の目的はこれだけではない。
「く、クレド…」
「勝利の報酬、なんでもいいんだよな」
「……」
アリアは静かに抵抗を続けていたが、押さえつけた両手首が完全に動かないことを確認すると諦めたのか静かに頷いたのだった。
「な、にが…欲しいの?」
頬を染め、緊張なのか恥じらいなのか潤んだ瞳がおずおずと見つめ自分だけを写すのにクレドは大いに満足だった。
「んー…あんた?」
「…え」
ぽかんと呆けた口に触れるだけの口付けを落とす。
すぐに唇を離すと、しばらくはそのまま呆けていたアリアだったが、だんだんと見る見るうちに顔を真っ赤にさせ、震える声を絞り出した。
「なっ、なっ…!い、ま…!ど、して……!」
「どうって、俺はあんたの驚いた顔が拝みたかっただけだぜ」
「……ひえ」
別に驚いた顔なんて見慣れていたが、これは仕返しだった。初めてアリアに負けた日彼女に言われた言葉をそのままそっくりお返ししたわけだ。
「いいねェ、その顔」
突然の口付けにもこの状況にも理解が追いついていなさそうなアリアは眉を寄せ困惑し切ったような表情をしていて、クレドは本当に揶揄い甲斐があると笑いを漏らす。
地面に寝かせたままなのも悪いと思いアリアの身体を解放し、手を貸し身体を起こさせる。文句の一つや二つ、あるいは羞恥の反応があると思っていたが、予想に反してアリアは押し黙り、地面に座ったままだった。何処か思い詰めたような表情をしていてクレドは不思議におもったが、もしかしたらアリアはクレドが本当に仕返しのためだけに彼女に口付けをしたのだと勘違いしているのかもしれないと思い当たったのだった。
「…あんたが欲しいのは本当だぜ」
前にしゃがみ込んで目線の高さを合わせ言うと、ゆっくりとアリアの視線が上がる。
「え…え……?」
「言い換えた方がいいか?あんたのカレシになってやるよ」
「……え…?」
まるで理解の追いついていない様子のアリア。
あんなに露骨に好意を示しておきながら、想いが通じ合う想定をしていなかったのかと苦笑いしてしまう。
ちゅっと態とらしく音を立てて再び口付けをする。
「ッ!!クレドッ…?!」
「ククッ、いいよな?」
アリアは顔を真っ赤にして慌てふためいていて、返事をする余裕もない様子にクレドは圧をかけるように至近距離でアリアの瞳を覗き込んだ。
「わ、あっ、あ……!」
「あんたも俺が欲しいんだろ?」
「……ほ、ほしい…」
今度はすんなりと返ってくる返事。
やはり心移りなどしていなかった様子にクレドは自身も知らぬ間に安堵したのであった。
「わ、わたしも…クレドが欲しい…」
それにしても、聞いたのは自分だが随分直球な言葉だと気恥ずかしくなってしまう。その上、上目遣いに震える声でそう言われると、違う意味に聞こえてしまう邪念をクレドは慌てて振り払った。
「せいぜい尽くしてくれや」
「うん……」
アリアはしばらく夢見心地のようにぼうっとしていたが、だんだんと現実を実感して来たようで、嬉しそうに頬が綻び始めるのをクレドは面白いと眺めていた。
「えへ…えへへ…」
「んだよ、気持ち悪りぃな」
「なによ…!」
蕩けた笑顔を揶揄うと、あっという間に不服そうに顰められる顔。調子が戻ってきてわかりやすくコロコロと変わる表情を見ていてクレドはフッと笑いを漏らした。
「あ…」
今度はストンと感情が抜け落ちたように呆然した表情。
じいっと見つめられるのにクレドは眉を吊り上げた。
「どした」
「あ、えと……笑顔…嬉しくて……」
「……ああ?」
もじもじと嬉しそうに呟くアリアにクレドは困惑した。
全く調子が狂う。ただ笑っただけでこんなに嬉しそうにされては反応に困る。
ここ数日感じていた胸のざわめきを解消するために恋人関係になることにしたが、それは一生を誓い合うだなんて大それたものでは当然なく、クレドにとっては心の安寧以上の深い意味のあるものではなかったからだ。
ただ世間一般の言う恋人。同じ時を過ごし、唇を合わせ、必要であれば身体を重ねる、彼女ならそういう存在にしても良いと思ったのだ。
飯は美味いし、気軽に手合わせもできる、怪人という厄介な事情も知っていて変な偏見もない。この先様々な欲求を満たすのに都合が良い。それだけだった。
けれど、見つめてくるピンクダイヤの瞳のどうしようもなく甘い色は自分しか知らないということに優越感を見出しているのも真実で、こんなにも想いを寄せてくれる彼女に自分も同じように想いを重ねてしまいそうになるのだった。
というより、自分が他人に振り回されているこの状況に苛立っていた。
「くそ、なんだよあの女…散々好きとか言っといてもう飽きたってか…?」
任務なんてサボって昼間から酒場でエールを呷り、1人小声で悪態をついているわけだが、その理由は最近ぱったりと姿を見せなくなってしまった薄桃色の女にあった。
確かに最初に手を出したのはこちらだが、ここ最近は圧倒的にアリアからのアプローチが多かった。わざわざ手合わせで勝ちをとりにきて、朝食を共にするだなんてくだらない事をねだるほどにだ。
こちらもある程度気を許した矢先に、手のひらを返したように朝食にも昼食にも来ないアリア。確かに姿を見なくなってしまった日の朝食の席は見事に寝坊してすっぽかした訳ではあるが、それで愛想を尽かしてしまったということだろうか。
クレドはあんなに自分を熱っぽく見つめていた薄桃色の瞳を思い返しながら不思議でたまらなかった。
まあ女心は秋の空ともいうし、他に夢中になれる男でも見つけたのだろうと無理やり自分を納得させ、やはりこうして裏切られるのであれば始めから馴れ合いなどしないに越したことはないと強く思い直すのであった。
しかし、クレドも人間である。少しでも親しくなり且つ自分に好意を寄せていた人のことが全く気にならないと言えば嘘であり、何かのっぴきならない事情や不慮の事故でもあったのではないかと心配するくらいにはアリアに気を許していて、自分のことながら一驚してしまう。
それとなく騎士団支部内でアリアの姿を探してみたり、情報を収集してみると、これまた驚いたことに騎士団にも顔を出していないようで、誰もアリアの行方を知らないようだった。
クレドはこのままアリアを忘れてしまおうと思った。
突然きて突然いなくなる。そう、まるで嵐のようだったと思おうとしたのだった。それでもあの朝、自分のことを真剣に恥ずかしげもなく好きだと言った薄桃色の瞳が脳裏に付きまとうのが煩わしく、クレドは忘れるために酒を頼っていた。
「……おい、もう一杯」
「はいよ、あんた飲み過ぎじゃないの?」
「んなこたねえよ。」
酒場の女将に呆れられながらも運ばれてきたエールを勢いよく呷った。するとドクリと覚えのある鼓動がして、世界が変わる。
「……チッ」
世界が色を失い、手元のエールも無くなった。
場所だって謎の荒野な上、姿も勝手に怪人に変わっている。クレドはいつもの“夜”が始まるのかと、舌打ちを漏らしたが、正直今この鬱憤を晴らすにはちょうど良いタイミングだったと双剣を出しラルヴァの出現を今かと待った。
「あれ?なんか可愛い子いる?!」
「何?新顔?お気の毒様だね」
いつの間にやらいたらしい猛牛と背教者の声がして、そちらに視線を向けると確かに初めて見る緑の浮遊物がいた。
「わ、わあ、もしかして怪人…?初めてみた……」
「うーん、キミもボクたちと同じだけどね」
どう言うわけかふわふわと宙に漂う薄緑の女は他の怪人たちを見回していた。白猫の言うように自分も全く同じだと言うのに珍しいものを見るように頭のてっぺんから爪先までまじまじと眺めている。白猫、人形、猛牛、背教者と順にきて鷹であるクレドに視線が移る。
はた、と合う視線。金色の大きな双眸が薄らと見開かれた気がして、クレドは眉を吊り上げた。
「ふふ、なんだかサーカスみたい。」
「お喋りはほどほどにしてもらおう。」
厳粛な声がして黒装束の女が現れる。アプリリスだ。
この女が現れたと言うことはもう“夜”が始まると言うことなのだろう。意味もわからずラルヴァという異形のモンスターと戦う“夜”だったが、クレドにとっては意味など些末なことで、無条件に剣を振るい暴れることのできるこの戦いを心から楽しんでいた。
「今日から《妖精》が加わる」
簡素な説明で新顔の紹介が終わる。名前以外の情報は皆無だったがいつものことなので誰も何も言うことは無い。《妖精》はにこにこふわふわとしていて、まるで緊張感のない様子に猛牛と白猫が不安そうに顔を見合わせる。
「えっと…妖精ちゃん、これから戦いってわかってる…?」
「ええ、もちろん。わたし、皆様のサポートしますね。」
みな一様に頭に疑問符だったが、クレドはそのそよ風のような微笑みに既視感を感じていたのであった。
しかし深く考える猶予なくアプリリスの宣誓がされラルヴァが次々と現れる。それぞれの得物を出し構える中、妖精の手に淡いグリーンの宝石がふわりと現れ、周囲を浮く金属達が宝石の周りをくるくると旋回し光を放った。
なにやら暖かな光が怪人一同の身体を包み込み、体の内から力が溢れてくるような感覚を覚える。
「なになに?!」
「いつもより早く動けそうです」
人形の言葉に猛牛と白猫がラルヴァに向かって駆け出すと、確かにいつもより何割か増しでのスピードで動いている。ただでさえ素早い白猫は残像が見えそうだ。
「ふうん、支援魔法か。無難に有難いね。」
「おもしれぇ、いつもに増して暴れ甲斐がありそうだぜ」
「…それが本来の使い方か」
攻撃を仕掛けようと飛び出す間際、なにやらアプリリスが訳知りのように妖精に話しかけるのにクレドは無意識に耳を傾けた。しかし、妖精はただニッコリと笑みを浮かべるだけで何も答えないので、興味を削がれラルヴァへと集中する。
「はあ〜、速いって快適!」
「いつもより疲労も感じないね」
「妖精ちゃんがヒールも飛ばしてくれてるみたいね」
妖精のあの法器は有難い支援を撒き散らすだけの武器なのだろうか。クレドはふと疑問に思った。彼女がラルヴァから身を守る術はあるのだろうか。ふわふわと浮いて攻撃範囲からうまく外れているようではあるが。
クレドがそう思っているとちょうど飛行型ラルヴァが妖精めがけて飛んで行った。庇い守れないこともない距離だが、クレドは興味本位で敢えてみていることにしたのだった。
気がついた妖精の法器が光に包まれ、手に風の刃が現れた。あのなりで近接型もいけるのかと、妖精の真の実力にクレドは興味がそそられたが、ラルヴァが妖精に到達する前に蛇掃剣がしなやかな剣筋で滑り込んできて敵を排除した。
「妖精さん、私の後ろにどうぞ」
「わあ、ありがとう」
人形の割り込みにクレドは余計なことしやがってと、舌打ちを漏らしたが押し寄せるボスエネミー軍団に妖精のことなんて気にする余裕は無くなってしまった。しかし、今回の“夜”は妖精の後方支援のおかげで快勝といっても差し支えないほどの戦績を収めたのであった。
「すっごい!妖精ちゃんのおかげで楽だったわね」
「本当、すっごいです」
怪人の女子達が囃し立てるのにも、妖精はにこりと笑みを浮かべるだけでその人柄もふわふわと掴みどころがない。口元に湛える美しい笑みがどこか見覚えがあり、心が騒めき始めたクレドはその煩わしさから逃げるように喧嘩腰に声をかける。
「妖精、てめぇ自分の身は自分で守れんだろうな?まさか姫ちゃんプレイでずっと誰かの後ろにいるつもりじゃねえだろうな」
「……」
「ちょっと!支援だけでも充分…」
「でも実際いつでも誰でも庇えるわけじゃない。そこのところどうなの?妖精」
全員の視線が妖精に向く。
相変わらず笑みを崩さぬ妖精からは何の感情も汲み取れない。しかし、ふわふわと浮いていた足を地面につけ、己の足で地面に立った妖精は先ほど一瞬だけ垣間見た風の刃を手に握ると静かに言ったのだった。
「私は強いので、ご心配なく」
――――
「……ッ」
“夜”が明け、色と喧騒が戻ってくる。
場所は酒場、手元には飲みかけのエール。
何事もなかったかのように戻る日常にクレドは辟易とした。
今回の“夜”は新顔の支援によっていつもより爽快感に溢れていたはずなのに、気持ちは重いままである。
酒に溺れることもできず、ラルヴァで発散しきることもできない。
むしろ、何かと既視感を与えてきた《妖精》の出現に胸のモヤモヤは増すばかりである。あの妖精はクレドを悩ませている薄桃色の女とは何の関係もないはずなのに。
クレドは適当に辻斬りをするやつを見繕って街中で発散するかと思い立ち、金を払うと酒場を後にする。
快晴の天気にさえ苛立ちを感じながら繁華街へと向かう。巡回中のロムン兵でも星刻騎士でもどちらでも良いので腕の立ちそうなやつを探していると、路地裏に薄ピンクを見た。
「……!」
反射的にそのピンクを追いかけたクレド。
追いかけて何を言おうかとかどうしようか、とかそんなまどろっこしい感情ではなく、あの真っ直ぐな薄桃色の瞳を久々に見たいと率直に思ったのだった。そうすればこの鬱屈した気分が晴れる気がしたのだ。
「……いねぇ」
裏路地には誰もおらず、見間違いを疑ってしまうほどに気配さえもない。けれど、風が吹き運ばれてきた花の香りが確かに彼女がいたことを感じさせ、クレドは彼女がまだバルドゥークにいることを確信したのであった。
翌日、やはりアリアは無事だったようで、数日ぶりに支部に顔を出した彼女を囲う騎士団員どもの群れができていたとユオンが言っていたのを聞き、クレドは素直に面白くないと思った。人目を引く外見をしているのでそうやってチヤホヤされた結果、他の男に目移りしたのだろうと無理やり己を納得させ、アリアとの関わりを断とうしたのだった。
なのに、どうして。
サボり場所へと赴くと見覚えのあるランチボックスと簡素なメモが置いてあり、クレドは隠すことなく舌打ちをした。
「……何考えてんだか」
ランチボックスを開けるとサンドイッチが2つ。メモには今日の日付と『クレドへ』と書かれている。差出人の名前はないがこんなことをするのは間違いなくアリアしかいない。
クレドは再び納得できない思いに苛まれていた。
数日ぶりのサンドイッチは変わらず美味だったが、何故本人はこの場に現れないのだろうか。他の男に目移りしたり、自分に愛想を尽かしたのであれば、わざわざ来るかもわからないクレドに昼食の準備をしたりするだろうか。
「……」
様々な疑問が脳内を行き交い、クレドはその煩わしさにある決心をしたのだった。
――
比較的満月に近い月夜だ。
明るい月の光さえ届かないような薄暗い路地裏、こんなところにアリアの自宅はある。辻斬りを仕掛けるにはちょうど良い立地ではあるが、年頃の女が住むには何かと物騒だと流石のクレドも思ってしまうほどだ。その薄闇に気配を消し潜むクレドは怪人《鷹》となりアリアを待っていた。
ここ数日自分を苛む無用の感情に決着をつけるためにアリアに会いにきたのだった。
もう深夜近い。あまりの帰宅の遅さに痺れを切らす頃ようやくアリアが姿を現した。路地裏に小走りで駆けてくる影。気配は限りなく薄く、足音は全くしない。ただの若い女では考えられないような身のこなしにクレドは脱帽してしまうが、何故こんなにも人目を避け隠れるように帰宅するのか不思議でならなかった。
まあ、そのあたりの理由も今夜全て解消してやろうとクレドは意気込み、双剣を構えるとアリアに対峙する。
「よお、随分お急ぎのようだな」
「……え」
鷹の姿を知覚したアリアが足を止め、身体を硬直させた。薄桃色の双眸が大きく見開かれ、顔が強張り緊張しているのが伝わった。初めてされる表情にクレドはどうしてか苛立ち、もうさっさと終わらせてしまおうと思った。
「今日はテメェに勝ちにきた、覚悟しろや!」
「え、ちょっ!」
大きく踏み込み距離を詰め、双剣で斬りかかる。クレドがものすごい勢いで近づいてくるのにアリアは戸惑いながらもナイフを構え迎撃の姿勢を取った。
けれど、クレドは正々堂々とした決闘の末の勝利を取りに来たわけではなかった。短期決着。もうまどろっこしい憂慮なんて斬り捨てて全てを掴みに行ったのだ。
飛び掛かるようにアリアの目の前に行くと怪人化を解き“クレド”として対峙する。すると、意表をつかれたアリアが目を見開きまんまるの薄桃色の瞳がはっきりとクレドを写した。
けれど、これではまだ彼女を組み伏せるには隙が足りない。
クレドはにんまりと笑みを浮かべ、勝ち誇ったように宣言した。
「――アリア」
クレドが初めて奏でた彼女の名前に、アリアがわかり易く息を呑んだ。
「…ッ!?な、名前ッ! わ、きゃあ!」
彼女の一瞬の油断をクレドは見逃さず、いつかの手合わせの時にされたように足を掬い、いつかのように天を仰いだ彼女に覆い被さった。
「俺の勝ちだ」
そう高らかに宣言したのは初めてのことだったが、やはり悪い気分ではないとクレドはすでに充足した気分だった。しかし、今日の目的はこれだけではない。
「く、クレド…」
「勝利の報酬、なんでもいいんだよな」
「……」
アリアは静かに抵抗を続けていたが、押さえつけた両手首が完全に動かないことを確認すると諦めたのか静かに頷いたのだった。
「な、にが…欲しいの?」
頬を染め、緊張なのか恥じらいなのか潤んだ瞳がおずおずと見つめ自分だけを写すのにクレドは大いに満足だった。
「んー…あんた?」
「…え」
ぽかんと呆けた口に触れるだけの口付けを落とす。
すぐに唇を離すと、しばらくはそのまま呆けていたアリアだったが、だんだんと見る見るうちに顔を真っ赤にさせ、震える声を絞り出した。
「なっ、なっ…!い、ま…!ど、して……!」
「どうって、俺はあんたの驚いた顔が拝みたかっただけだぜ」
「……ひえ」
別に驚いた顔なんて見慣れていたが、これは仕返しだった。初めてアリアに負けた日彼女に言われた言葉をそのままそっくりお返ししたわけだ。
「いいねェ、その顔」
突然の口付けにもこの状況にも理解が追いついていなさそうなアリアは眉を寄せ困惑し切ったような表情をしていて、クレドは本当に揶揄い甲斐があると笑いを漏らす。
地面に寝かせたままなのも悪いと思いアリアの身体を解放し、手を貸し身体を起こさせる。文句の一つや二つ、あるいは羞恥の反応があると思っていたが、予想に反してアリアは押し黙り、地面に座ったままだった。何処か思い詰めたような表情をしていてクレドは不思議におもったが、もしかしたらアリアはクレドが本当に仕返しのためだけに彼女に口付けをしたのだと勘違いしているのかもしれないと思い当たったのだった。
「…あんたが欲しいのは本当だぜ」
前にしゃがみ込んで目線の高さを合わせ言うと、ゆっくりとアリアの視線が上がる。
「え…え……?」
「言い換えた方がいいか?あんたのカレシになってやるよ」
「……え…?」
まるで理解の追いついていない様子のアリア。
あんなに露骨に好意を示しておきながら、想いが通じ合う想定をしていなかったのかと苦笑いしてしまう。
ちゅっと態とらしく音を立てて再び口付けをする。
「ッ!!クレドッ…?!」
「ククッ、いいよな?」
アリアは顔を真っ赤にして慌てふためいていて、返事をする余裕もない様子にクレドは圧をかけるように至近距離でアリアの瞳を覗き込んだ。
「わ、あっ、あ……!」
「あんたも俺が欲しいんだろ?」
「……ほ、ほしい…」
今度はすんなりと返ってくる返事。
やはり心移りなどしていなかった様子にクレドは自身も知らぬ間に安堵したのであった。
「わ、わたしも…クレドが欲しい…」
それにしても、聞いたのは自分だが随分直球な言葉だと気恥ずかしくなってしまう。その上、上目遣いに震える声でそう言われると、違う意味に聞こえてしまう邪念をクレドは慌てて振り払った。
「せいぜい尽くしてくれや」
「うん……」
アリアはしばらく夢見心地のようにぼうっとしていたが、だんだんと現実を実感して来たようで、嬉しそうに頬が綻び始めるのをクレドは面白いと眺めていた。
「えへ…えへへ…」
「んだよ、気持ち悪りぃな」
「なによ…!」
蕩けた笑顔を揶揄うと、あっという間に不服そうに顰められる顔。調子が戻ってきてわかりやすくコロコロと変わる表情を見ていてクレドはフッと笑いを漏らした。
「あ…」
今度はストンと感情が抜け落ちたように呆然した表情。
じいっと見つめられるのにクレドは眉を吊り上げた。
「どした」
「あ、えと……笑顔…嬉しくて……」
「……ああ?」
もじもじと嬉しそうに呟くアリアにクレドは困惑した。
全く調子が狂う。ただ笑っただけでこんなに嬉しそうにされては反応に困る。
ここ数日感じていた胸のざわめきを解消するために恋人関係になることにしたが、それは一生を誓い合うだなんて大それたものでは当然なく、クレドにとっては心の安寧以上の深い意味のあるものではなかったからだ。
ただ世間一般の言う恋人。同じ時を過ごし、唇を合わせ、必要であれば身体を重ねる、彼女ならそういう存在にしても良いと思ったのだ。
飯は美味いし、気軽に手合わせもできる、怪人という厄介な事情も知っていて変な偏見もない。この先様々な欲求を満たすのに都合が良い。それだけだった。
けれど、見つめてくるピンクダイヤの瞳のどうしようもなく甘い色は自分しか知らないということに優越感を見出しているのも真実で、こんなにも想いを寄せてくれる彼女に自分も同じように想いを重ねてしまいそうになるのだった。
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