前日譚
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それからほとんど毎朝ブランシェに来てくれるクレドとアリアは着実に時間を重ねていった。まだまだ断片的ではあるが彼のことを知ることもできた。孤児院育ちであること、昔から見ただけで物事を体得してしまう素質があること、周囲に馴染めなかったクレドを気にかけてくれたシスターがいた事。
皮肉混じりに教えてくれる彼自身のことをアリアは宝物のように心に刻みつけていったのであった。
「……」
今日は来ない日だ。アリアは空っぽの向かいの席を見てため息を吐いた。
まあ昨晩は呑みに行くと言っていたので、深酒でもしてまだ寝ているのだろう。クレドが来なかったり遅れてくる理由の大半はこれだ。
「アリア、おはよ。今日は彼来ないね」
ブランシュの店員、マリオンがミルクティーのマグをテーブルに置き、アリアに笑いかけた。クレドがいる時は見守ってくれていて、来ない時は気さくに話しかけてくれる。マリオンの気遣いと居心地の良さにアリアは辛かった気持ちが軽くなってくるようだった。
「今朝はお酒が抜けてないんだと思う。今日は1人で食べちゃわなきゃね」
「そう…今日はアリアの好きなスペシャルパンケーキにする?」
「わあ、それがいい!」
「わかった、まってて!」
クレドが来ないのは悲しいが、ブランシュのパンケーキを食べられるのなら悪いだけではないなとアリアは少しだけ気分が明るくなってくる。
まあお昼時間に顔を合わせられるだろうと気軽に考え、アリアは特製のパンケーキを思う存分堪能すると騎士団支部へと向かったのであった。
毎日の昼食は支部のキッチンを借りているアリア。今日は何にしようと考えて向かっていると、廊下の向かいから鬼の形相のシャトラールがやってきてアリアは何事かと目を瞬いた。
鬼の形相と言っても、アリアがそう形容する彼の表情は美しい笑みである。美しい氷のような笑み。アリアにとっては鬼だった。
「しゃ、シャトラール…?」
「今日は逃さないからな、アリア。」
「へ……」
引きずられるように空き部屋に連れていかれ、椅子に押し付けられると、ドンとある書類がデスクに置かれた。
「先週は見事にすっぽかしてくれたな。」
「…?あ……!」
書き途中のそれはシャトラールに出された課題だった。
赤いナイフを持ち出しクレドに勝ちに行ったあの日、そっちのけた課題。そんなことすっかり忘れていたアリアは恐る恐るシャトラールを窺い見る。吹雪吹き荒ぶ薄い笑みが見つめていてアリアは恐れ慄いた。
「あ、あの……」
ドンと再び置かれる書類。
何事かと見ると今度は無解答の課題用紙にアリアは冷や汗が吹き出した。
(に、2枚目だ…!)
「今日は終わるまで私も支部に居よう」
「え、あっ…」
「いいね、アリア?」
有無を言わさないシャトラールの語気にアリアは観念して泣く泣く課題と向き合うのだった。朝もお昼もクレドに会えず、しかもそのことを伝えることもできていない。テレパシーでも使えれば良いのにと悶々と考えていると、シャトラールの咳払いが飛んできて、集中するように遠回しに注意される。
(しかも難しい…!)
アリアは頭を抱えた。これじゃあお昼どころか夜になっても終わるかどうかも怪しい。チラリとシャトラールを見てどうにか付け入る隙を探すが、視線に気がついていながらもこちらを見ようともしない彼にアリアは無理だと落胆する。
目の前の課題を終わらせない限りシャトラールが解放してくれることはなさそうなので、兎にも角にもペンを進めないととアリアは全神経を集中させ課題に取り組むのであった。
――
すっかり日の暮れたバルドゥーク。アリアは疲労感に苛まれながらも家路についていた。脳みそフル回転で臨んだ課題だったが、結局明日の早起きもできるか不安なほどに掛かってしまった。正直晩御飯を作るのも億劫なほど疲れていて、アリアは今すぐにベッドに横になるか、温泉にでも浸かりたい気分だった。
「……?」
目の前に人影。
先日の鷹に続き、滅多に人の姿を見ない帰り道に人影があることにアリアは警戒心を強める。街灯の届かぬ薄闇の中佇む人。知らぬ気配でクレドが来たわけではないことだけは確かな様子にアリアは脚のホスルターへと指を滑らせた。
「アリア・ラプランカ、先の鷹との戦闘、見事であった」
音もなく闇から現れたのは黒い装束を纏った細身の女性。目深に被ったフードから少しだけ覗く青の瞳が妖しく光る。
何故あの戦いを知っているのだろうか?
あの場には誰もいなかったはず。
得体の知れない目の前の女がまた一歩近づいてくるのにアリアの全身の神経が警鐘を鳴らしはじめる。よく見れば女の左の手足はまるで機械のような義手義足で、只者ではない様子に冷や汗が背を伝う。
「その力、グリムワルドの夜に役立ててもらおう」
カチャリと無機質な音がして女が銃をこちらに向け構えた。
避けなきゃ。ナイフを構えて斬り掛からなきゃ。
アリアの脳みそは必死にそう訴えているのに、どうしてかアリアは一歩も動けないでいた。ただただ浅い呼吸を繰り返し、目の前の女が引き金を引く様子を唖然と見ていたのだった。
空を割く銃声が響き渡り、銃弾が胸を貫く。
「……あ…あっ?!」
痛みというより、圧迫感や不快感に近い胸の衝撃にアリアは銃傷を押さえ見下ろした。全てがあまりに突然でアリアは理解が追いついていなかったが、銃傷から眩い光が溢れると共に全身の血流が加速し、身体の隅々まで異物が駆け回るような不快感にアリアの思考の全てが吹っ飛んでいった。
「な、なに……?!やだっ……!」
チカチカと光が明滅する視界にアリアは一瞬意識を手放した。
次の瞬間には一切の不快感が消え、何事もなく戻ってくる意識にアリアは混乱した。
「ほう……これは…《妖精》か?」
女の声で視界の端に映る見慣れぬ色の髪の毛を知覚する。
淡い緑、白緑色の横髪に目を疑い、慌てて全身を見下ろす。
ふわふわとした色とりどりの緑色の生地が何層にも重なったスカート、胸元に大きなグリーンベリルの宝石をあしらったホルダーネックのキャミソール。手には白いメッシュ生地のロンググローブ。
アリアは記憶にある自分の服装とは全く異なったそれに、今の一瞬で全く違う誰かになってしまった心地だった。
それでも意識そのものはアリア・ラプランカ、自分のままであり、混乱のままに答えを求めて目の前の女を見る。
「さて《妖精》武器を出してみろ」
武器、と聞いて無意識に太ももに手が伸びる。しかしそこにホルスターやナイフの感覚はなく、ただ自分の足を撫でただけなのにアリアはもう何度目かわからない驚きを覚える。
「な、ない……」
「…その手に念じてみろ」
やれやれ、と言ったように呆れた声を出す女。
もう今の現象について教えてくれるのはこの女しかいないので、アリアは言われた通りに武器が顕現するよう意識を集中する。
「……」
「……」
しかし何も現れぬ手のひら。静寂だけが続いた。
「もしやそなた、ナイフを思い浮かべてないか?」
「え?それは……そうです」
当然アリアの中では武器=ナイフである。しかし女の口ぶりではそうではいけないらしい。視線で促され次は漠然と武器、と念じながら手のひらに意識を集中させると気がつけば手ひらの上にグリーンベリルの宝石を中心とした法器が浮いていた。
「わ、きれい」
一体どういう原理で宝石や周りの金属の輪っかのようなものが浮いているのかは謎だが、その法器が放つ神聖な雰囲気や淡く光を放つ様にアリアの視線は釘付けとなった。
「ふむ、それがそなたの武器か。」
興味深げに法器を眺めていた女はやがて満足したのか、肩に掛けた羽のマントを翻しアリアに背を向ける。
「私の名前はアプリリス。《妖精》…次のグリムワルドの夜での活躍期待しているぞ」
「え?!ちょ!どういうこと……?!」
アリアの質問に答えることなくアプリリスと名乗った女は暗闇に姿を消してしまう。慌てて後を追うが気配すら追えずアリアは落胆した。
兎にも角にも状況を把握しなければならない。アリアは落ち着いて考えられる場所、自宅へと駆け足で向かい、鍵とカーテンを閉め切り今あったことを思い返しながら状況を整理するのであった。
まずアリアを困らせたのは元の姿への戻り方だった。
改めて家に帰るなり鏡台で自分の姿を確認するとすっかり変わってしまっているのに茫然自失としたあと、この状態は一過性のものなのか、はたまた永久的に変わってしまったのか、一体どちらなのだろうかと疑問に思うアリア。
髪色どころか瞳の色まで薄桃色から金色に変わってしまってアリアは鏡に写る自分を見るたびに夢であってほしいと願った。
そして何より本能的にわかる身体の構造の変化にアリアは嫌な予感がしていた。恐る恐る半信半疑で“浮くイメージ”を思い浮かべると、なんと驚くことにアリアの身体は宙に浮いているのであった。
「ひえ……本当に《妖精》ってこと…?」
確かに浮くとワンピースの背中の装飾が薄羽のようにひらひらとする様は御伽噺の妖精のようである。アプリリスに“武器”だと言われた宝石も浮いているしで、何かと物理法則やこの世のルールを無視したかのような身体の変化にアリアは頭を悩ませた。
いやしかし、この空中に浮く妙な感覚は癖になりそうだと、空中に座ってみたり寝転がってみたりと少しの間この謎の能力を堪能していたアリアだったが、不意にクレドも似たようなことを言っていたことを思い出す。
彼は怪人になった時突然“滑空能力”を手に入れたと言っていた。あまり詳しくは教えてもらっていないし、実際にみたことはなかったが、《鷹》である彼の背には鳥のような翼が生えるらしい。
「……《鷹》と《妖精》…あと《白猫》に《猛牛》…」
白猫は軽い身のこなしで壁を駆け上り、猛牛は人ならざる破壊力で武器を振るうそうだ。アリアは騎士団支部や街中に貼られた《怪人》たちの手配書を思い浮かべた。
似ている。どことなく自分に近い感じがする。
クレドの通り怪人は元は人である。
もしアリアも彼らと同じように怪人となってしまったのであれば、あのアプリリスという女は人を怪人にして回っているのだろうか。
そもそも怪人とはなんなのだろうか、一体何を目的として生まれた存在なのだろうか。クレドとは怪人の話は全くと言っていいほどしてこなかったので当然アリアに事前知識はない。
アプリリスは何も教えてくれなかったが唯一口にした手がかりがある。『グリムワルドの夜』とやらがあり、それに参加をしなくてはいけないようである。武器の出し方だけは教えてくれたので、きっと戦いなのだろう。
そのあたりクレドに話を聞いてみても良いが、話をするには自分が怪人になってしまったことを打ち明けなければならない。
「……」
彼が同じ境遇なのは心強いが、誰かに話したことによって正体が漏洩してしまうことは避けたい。記憶のないアリアは騎士団の庇護を失うわけにはいかないのだ。今、衣食住や仕事の保証をしてくれているのは騎士団で、それを失っては今のアリアが生活を続けるのは骨が折れるだろう。
怪人になってしまったことは誰にも言えない。
アリアはこの事実を隠し通すことを決めた。
クレドとは色々な物事を分かち合っていきたいと思っていたが、アリアにまだその勇気はなかった。
そうとなれば一刻も早く元の姿に戻るやり方を体得しなければならない。クレドを思い返す限り特別な道具や手順などは必要なさそうなので、武器と同じく念じる力なのだと思い当たる。
他にもたくさん怪人としての身体について知ったり、この先の身の振り方についても考えなければならない。
時計を見ると深夜を差していた。
とんでもない疲労感を感じていたアリアは、もうなるようにしかならないかと一種の諦めのもと、何も考えずベッドへダイブしたのだった。
――
それから誰にも会うことなく数日が経ち、アリアはだいたいの今の状況や自分の身体についての理解、把握をしたのだった。
まず、翌朝目覚めると勝手に元の姿に戻っていたアリアは全てが夢だったのかと喜んだが、自分の怪人の姿を思い浮かべて変化するよう念じると身体は簡単に薄緑のひらひらとした《妖精》へと変わってしまって朝から盛大にため息を吐いたのだった。
しかしその逆も然りで、元の薄桃色の姿を思い浮かべると簡単に戻ることが出来たので、そこだけは唯一安堵した点であった。
次に行動範囲が極小範囲に限られてしまったことである。
翌朝兎にも角にもクレドの顔を見たかったアリアは、一旦考えることをやめブランシュへと急いだ。しかし、噴水前広場に出る手前、武器屋ほどまで行くと謎の障壁が現れていてアリアは進行を阻まれてしまったのであった。もちろん、その障壁はアリアにしか見えていないし、アリアだけを阻んだ。
慌てて他の方面を見に行くとどうやら正門通りと中央区の自宅周りのエリアのみしか行動ができないらしく、その先は同じく障壁が張られていてアリアは改めてアプリリスに恨みを募らせるのであった。
困った。これではクレドに会うどころか騎士団支部にも行けない。
途方に暮れたアリアは行ける範囲をもう一度回り、他に変化がないか探しに行ったのであった。
そして、その途中見つけたのだ。
ひと気のない道にぼんやりと浮かぶ黒点。アリアは目を擦ってもう一度見た。
(暗黒だわ。)
まるで夜の闇を凝縮したような球体が浮いていてアリアは引き寄せられるように近づいていた。禍々しい空気が漏れ出て、周りはひんやりと冷気が漂っていて肌寒い。恐る恐るそれに手を伸ばすと、突然周りの景色が色褪せ、時が止まったかのように風や音が止んだ。
「な、なに」
周りを見回すと世界が白黒になってしまいアリアは目を疑ったが、自分だけは変わらず色を放っていて、目がおかしくなったわけではないことに安堵する。しかし、物音ひとつ聞こえぬ世界。アリアは世界から全てが消えてしまいひとりぼっちになってしまった心地がしてだんだんと鼓動が早くなっていった。
「……ッ!」
気配に慌てて振り向くと、今までの人生で見たことのない様相の何かが居て、アリアの思考が停止した。それは街の外で見たことのあるモンスターとはまた違った、生気を感じぬ傀儡のような何か。
しかしまるで生き物のように動き、こちらに向かってくるのにアリアは咄嗟にナイフで切り掛かった。
「うつけかそなたは。
突然天から降ってくる聞き覚えのある声。その声の言う通りナイフは謎の生き物の表面を傷つけることなく弾かれてしまい、アリアは飛び退き体制を立て直すと、声の主を見上げ睨みつけた。
「ちょっと!アプリリスさん!全部説明して!」
「話は後だ、来るぞ」
アプリリスが顎でラルヴァとやらを指すのに、アリアは苛立ちを隠さず舌打ちすると、癪ながら怪人化してラルヴァに攻撃を仕掛けた。
「《鷹》の悪い癖がうつっているぞ」
高みの見物を決め込んでいるアプリリスを無視しながら、アリアは法器で出現させた風の刃でラルヴァを切り裂いていく。
怪人《妖精》の戦闘スタイルを見たアプリリスが目を見開く。
《妖精》の武器は法器。当然遠距離攻撃だと思うだろう。
しかしアリアはそんなちまちまとしたことをできるほど器用ではなかったのだった。
手元に出現させた風の刃をナイフのように持ち接近戦を仕掛ける。まるで生身の時の戦い方と変わらない姿にアプリリスは呆れたようにため息を吐いた。時にはナイフのように切り付け、時には投擲のように放つ。自由自在に風の魔法を操り、空中を舞うように戦う様も、それもまあ…ある一種の《妖精》のようかと、アプリリスは考えることをやめたのだった。
やがて全てのラルヴァが討たれ、世界が色と時を取り戻す。
「これを続けるが良い。さすれば道は拓かれよう」
「あ!ちょっと!」
また雑な助言だけ残し姿をくらましてしまうアプリリスにアリアの苛立ちは募ったが、今回は雑だが有用な助言であった。あの暗黒を見つけるまでは途方に暮れかけていたが、今は明確な目標ができた。何がどうなって道が拓かれるのかは謎だが、とりあえずはラルヴァとやらを倒しまくれば良さそうである。
兎にも角にも騎士団支部に行けるようにならないと今後の体裁や生活が危ぶまれるのでアリアは元の姿に戻ると、先ほどの暗黒を探しに路地裏を駆け回ったのだった。