前日譚
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「今日は昨晩ブランシュで買ったフィッシュフライを挟んでみたの」
差し出されたランチボックスの中身から良い匂いが漂い、中の手作りサンドイッチにクレドの腹が条件反射のように減ってくる。
正体を暴かれた日からアリアは宣言通り、クレドのサボり場所へと顔を出すようになった。大体2、3日に一回、時間は昼時が多い。
聞けば記憶が無いらしく、一般常識などの授業を受けながら騎士団の雑務もこなしているらしい。近頃は講師をしている騎士が支部に異動になった関係でアリアも支部に通うことが多くなったそうで、こうしてクレドと昼休憩を共にしているようだ。
何故記憶が無いかとか詳しい事情は知ったことではないが、記憶が無いのに戦う感覚は体に染み付いているものなのかと感心してしまうクレド。
辻斬りは今も続けていて、最早辻斬りというより、深夜の街中での手合わせと言い換えた方が正しいかもしれない。
今の所勝敗がついた日は無く、大体星刻騎士か、守備隊がかけつけてきて有耶無耶なまま終わる。そんな手合わせが続いていた。
アリアの作るサンドイッチの味も舌に馴染んで来て、クレドは今日のフィッシュフライサンドもうまいと味わいながら、うっすらぼんやりと悪く無い日々だと思い始めているのにドキリとした。
夜は己の剣技を競い合い、昼は食事を共にし何でも無い雑談を交わし合う。なんともチグハグな関係だがクレドはこの真新しい関係性に特別を見出し始めてしまっているのに、己を律しようとする。
心を許してはいけない。守りきれないのも、傷つけてしまうのも、喪ってしまうのも、もうごめんなのだ。
「……なに見てんだよ」
「…ううん」
薄い笑みを浮かべたアリアがじっとこちらを見ていることに気がつきクレドは眉を顰めた。宝石のような薄桃色の瞳が真っ直ぐに見つめてくるのがひどく眩しく見えた。
「怪人ってなんなの?」
「んなこた、俺が知りてぇ」
「ふうん…他の怪人とは仲良いの?」
「良いわけねえだろ」
適当に質問をあしらいながら、二つ目のサンドイッチに手を伸ばす。その時点でランチボックスは空になり、いつも通り一つしか食べていないアリアはすでに満腹と言ったように食事を終えようとしていた。随分と少食だが、この小柄な体型のどこからあのナイフを振るう力が出て来ているのか疑問である。
白いワンピースの袖から伸びる、同じくらい白く細い腕。クレドはサンドイッチを食べ終えると徐にその腕に手を伸ばしていた。
「ん?どしたの?」
「貧弱な腕だな。」
「ああら失礼ね」
掴んだままのアリアの腕がナイフを抜き取り、そのまま笑顔で突き立ててくるのを阻止しながらクレドもお返しにと挑発の笑みを浮かべる。
「クカカ、もっと力入れろ」
「生身の貴方で私に勝てるの?」
「…言わせておけば」
確かに怪人の姿でも勝てたことはない、けれどクレドにも男であるという矜持はある。ましてやこの細腕に力比べで負けるわけにはいかないのである。
「わっ」
そのまま力で押し返し、根負けして後ろに倒れた彼女にあの日されたように覆い被さる。抵抗されないように両腕を押さえつけ、彼女の悔しがる顔でも拝んでやろうと思っていると、予想に反してアリアは顔を真っ赤にして硬直してしまっているのにクレドは目を瞬いた。
「な…んだよ」
「…ぁっ……あ…」
いつもは澄ました様子のアリアが困惑しきったように眉を寄せ、視線を泳がせている。クレドはアリアの見たことのない反応に思わずじっとその顔を見つめてしまっていた。
「はっ…離して……」
「お、おう」
消え入りそうな声がそう懇願して来て、クレドは戸惑いのままにアリアを拘束から解放する。すると、解放されるや否やランチボックスを手早く片付けて風のように去っていってしまうアリア。引き止めるどころか、声ひとつ上げられないまま姿を消してしまった彼女にクレドの良すぎる勘が一つの可能性を見出したのだった。
彼女に異性として認識されているのかもしれない。
それも恋慕の類のだ。
クレドは彼女の耳まで真っ赤になった様子を思い返して、ほとんど確信的にそう思ったのだった。
――
(こねぇな)
まあ当然と言えば当然だが、あの日以降アリアがクレドのサボり場所に姿を現すことはなかった。
奇妙な関係だったが、特別親しかったわけでも、ましてや恋仲だったわけでもない。ただ剣を交え、空間を共にしていただけ。
クレドにとってはそれ以上でもそれ以下でもない存在だった。
強くて少し見目の良い、掴みどころのない変な女。
一緒にいても煩わしくないと思ったのは事実だったが、いないならいないで構わない。そう思っていた。
別にアリアを待つでもなく、これまで通り気怠い任務をサボるために屋根上へ訪れていた。視界に薄桃色を探してしまうのも、最近質素になりがちな昼食のせいだろう。
辻斬りは気が乗らず、ここ数日は大人しく星刻騎士として生活している。今彼女と剣を交えても何も得られないだろうと漠然とした予感があったからだ。
そろそろユオンが探しにくる頃だろうとクレドは頃合いを見計らい本来着くはずだった配置場所へと向かう。
(……お)
その途中、視界の端を掠めた薄ピンクをクレドは無意識に視線で追っていた。アリアが本を両手に抱えて歩いている。こちらに気がついてはいないようで、長い髪を靡かせ颯爽と敷地内を横切ってゆく。
凛と澄ました横顔からはあの時の狼狽具合は全く想像ができない。
もう彼女の姿が見えなくなる寸前、浮ついた様子の騎士団員に話しかけられている様子のアリアは口元に美しい笑みを浮かべていて、クレドはなんだかその笑みを“似合わない”と思ったのだった。
なんとかユオンの小言を回避して帰路についた夕方。
何処かで一杯引っ掛けて帰ろうか、それとも家に寝かせているワインを開けようかクレドは考えながら歩いていた。民家から漂う焼きたてのパンの香りが鼻腔を擽り、無性にサンドイッチが食べたくなる。
ふと後を付けられている気配に気がつき、クレドは裏路地へと入った。何が目的かは知らないが来ないなら誘い込んでこちらから歓迎してやろうと十分人気のないところまで進んで振り返ったのだった。
「……お前は…」
「お招きいただき感謝するわ」
夕日を背に立っていたのは、口元に笑みを浮かべたアリア。悠然と佇むその様子はクレドが振り返ることを分かり切っていた。つまり、誘い込まれたのはクレドの方だったということだ。
その手には真紅のナイフ。こつりと一歩、彼女のブーツが石畳を叩いた。
その瞬間、来る、という野生的直感に怪人化して迎撃の構えを取った。
「ねえ、今日は遊びじゃないわ」
背後から吐息混じりの声が鼓膜を撫でる。視界の端に映る赤い閃光をクレドはなんとか双剣で弾き返した。先ほどまで目の前にいたはずの彼女が何故か背後に居て、クレドは信じられない思いだったが、そんなことより笑みを崩さぬ彼女から底知れぬ闘気を感じて、昂る気持ちを抑えられないでいた。
「いいねェ!!存分に楽しもうや!」
返事の代わりのように降り掛かる真紅のナイフ。
見たことのない得物だったが、どこか使い古されたそれは新調されたものではなく、きっとこのナイフがアリアの真の得物なのだとクレドは悟る。つまり、彼女の言うように今までは遊びで、このナイフを持ち出した今日は本気なのだろう。
クレドの胸に言い表しようのない激情が込み上げる。それは憤怒か屈辱かそれとも歓喜か。どれとも言い難い感情に身を任せてクレドは剣技を放った。
今までの戦いが嘘のように劣勢だった。
防戦一方でなかなか反撃に出られない。襲いくる刃は静かに殺気を放ち、集中力を切らせばたちまちクレドは致命傷を追ってしまいそうだった。なんとか隙を見つけて斬りかかっても当然のように躱される。
やがて焦るままに繰り出した大振りな剣技がいなされて、体勢を立て直す間もなく消耗し切った脚がいとも容易く掬われた。
「私の勝ち」
花の香りが漂い、薄桃色の髪先がクレドの頬を撫でる。
地面に崩れたクレドにあの日のようにアリアが馬乗りになって、止めと言わんばかりにクレドの額を指で弾いたのだった。
「……は」
クレドは何も言えないでいた。
羞恥や無念、唖然などさまざまな感情が渦巻いたが、1番強い感情は“高揚”だった。
自分に跨って勝ち誇り愉悦の笑みを浮かべる女にクレドはこの上なく気分が昂ったのであった。
「…久々に会ったと思ったら、とんでもねぇ事してきやがって」
「寂しかった?」
「んなわけねえだろ」
怪人化を解き上半身を起こすと、当然馬乗りになっていたアリアが膝の上に座る形になる。それも向き合ってだ。
「……ッ!」
距離がグッと近くなり、間近に見つめ合うとアリアが頬を染め慌てて視線を逸らした。
「……あぁ?」
クレドはアリアのその反応を一瞬怪訝に思うが、すぐに自分を好いているという可能性を思い出し、いたずら心が芽生えた。
腰に手を添え、より身体を密着させ、恥じらう顔を覗き込む。
「ひゃ……!」
潤んだ薄桃色の瞳が大きく見開かれ、か細い声が漏れる。
すっかり大人しくなってしまったアリアにクレドはさっきの戦闘が嘘みたいだと、いまだに信じられない心地だった。
「おい、ご要望はなんだ?“して”やるよ」
揶揄い調に問いかける。
お互いの息遣いを間近に感じる距離感。アリアの視線がクレドの唇に移り、震える吐息が漏れた。
クレドはアリアが誘導通りに口付けを望むと思い、彼女の後頭部へと手を添えた。
「……ッあの、朝ごはんも一緒に食べたい…!」
「……は?」
「ブランシュでモーニング、したい…」
頬を染め上目遣いでされるお願いに、クレドは目を瞬いた。
思っていた、というかそうなるように仕向けたはずのお願いではなく、全く色気のない願いに静かに頭に添えた手を下ろす。
「色気より食い気…か」
「へ…?」
「なんでもねぇ、俺と飯食いたいだなんて変なやつだな」
なんだか拍子抜けして、頭の後ろを掻き雑に言うと、アリアは少しだけ口を尖らせて不服そうに呟いた。
「あなたと…一緒に居たいんだもの……」
「へえ」
「…だめ?」
そう問われても、負けたクレドには従う他無い。
「拒否権あんのかよ」
「あ!あなたが嫌がることはしないわ!」
そんな緩々な願いのために圧倒的な力で勝ちをとりに来たアリアを怪訝に思ったクレドが顔を顰めると、ショックを受けたように瞳を震わせたアリアは途端に自信を無くしてしまったように俯き、クレドの服をぎゅっとか細く握った。
「ごめんなさい、突然嫌よね」
戦闘時とは全くの別人かと思うほど今目の前にいるアリアは弱々しく、まるで初めて恋をするかのようにウブである。クレドは正直面倒だと思ったが、負けっぱなしは性に合わない。まあ多少の暇つぶしにもなるだろうとアリアをとりあえずは受け入れることにしたのだった。
「んなこと言ってねえだろ、朝にブランシュだな」
「えっ、いいの…?!」
「クク、寝坊するかもしれねえがな」
顔を上げ、ぱあっと笑顔を咲かせるアリア。コロコロ変わる表情が面白く、頭を撫でたりなんかしたら一体どんな反応をするのか気になり、薄桃色の柔らかな髪をクレドは一撫でした。
「わ、あ…!」
ぶわっと顔を赤らめ、目を見開いたアリア。
あまりに初々しすぎる反応にクレドは苦笑いを漏らす。
「ク、レド……」
クレドをじっと見つめる瞳が喜びの色を写し、手で押さえた唇から殆ど独り言のように漏れる声。
「……かっこいい…」
「……」
これはとんでもない女に好かれてしまった。
クレドは未だ膝に座り続け、熱っぽい視線を向けてくるアリアとのこの先の関係を少し楽しみに思うのであった。
差し出されたランチボックスの中身から良い匂いが漂い、中の手作りサンドイッチにクレドの腹が条件反射のように減ってくる。
正体を暴かれた日からアリアは宣言通り、クレドのサボり場所へと顔を出すようになった。大体2、3日に一回、時間は昼時が多い。
聞けば記憶が無いらしく、一般常識などの授業を受けながら騎士団の雑務もこなしているらしい。近頃は講師をしている騎士が支部に異動になった関係でアリアも支部に通うことが多くなったそうで、こうしてクレドと昼休憩を共にしているようだ。
何故記憶が無いかとか詳しい事情は知ったことではないが、記憶が無いのに戦う感覚は体に染み付いているものなのかと感心してしまうクレド。
辻斬りは今も続けていて、最早辻斬りというより、深夜の街中での手合わせと言い換えた方が正しいかもしれない。
今の所勝敗がついた日は無く、大体星刻騎士か、守備隊がかけつけてきて有耶無耶なまま終わる。そんな手合わせが続いていた。
アリアの作るサンドイッチの味も舌に馴染んで来て、クレドは今日のフィッシュフライサンドもうまいと味わいながら、うっすらぼんやりと悪く無い日々だと思い始めているのにドキリとした。
夜は己の剣技を競い合い、昼は食事を共にし何でも無い雑談を交わし合う。なんともチグハグな関係だがクレドはこの真新しい関係性に特別を見出し始めてしまっているのに、己を律しようとする。
心を許してはいけない。守りきれないのも、傷つけてしまうのも、喪ってしまうのも、もうごめんなのだ。
「……なに見てんだよ」
「…ううん」
薄い笑みを浮かべたアリアがじっとこちらを見ていることに気がつきクレドは眉を顰めた。宝石のような薄桃色の瞳が真っ直ぐに見つめてくるのがひどく眩しく見えた。
「怪人ってなんなの?」
「んなこた、俺が知りてぇ」
「ふうん…他の怪人とは仲良いの?」
「良いわけねえだろ」
適当に質問をあしらいながら、二つ目のサンドイッチに手を伸ばす。その時点でランチボックスは空になり、いつも通り一つしか食べていないアリアはすでに満腹と言ったように食事を終えようとしていた。随分と少食だが、この小柄な体型のどこからあのナイフを振るう力が出て来ているのか疑問である。
白いワンピースの袖から伸びる、同じくらい白く細い腕。クレドはサンドイッチを食べ終えると徐にその腕に手を伸ばしていた。
「ん?どしたの?」
「貧弱な腕だな。」
「ああら失礼ね」
掴んだままのアリアの腕がナイフを抜き取り、そのまま笑顔で突き立ててくるのを阻止しながらクレドもお返しにと挑発の笑みを浮かべる。
「クカカ、もっと力入れろ」
「生身の貴方で私に勝てるの?」
「…言わせておけば」
確かに怪人の姿でも勝てたことはない、けれどクレドにも男であるという矜持はある。ましてやこの細腕に力比べで負けるわけにはいかないのである。
「わっ」
そのまま力で押し返し、根負けして後ろに倒れた彼女にあの日されたように覆い被さる。抵抗されないように両腕を押さえつけ、彼女の悔しがる顔でも拝んでやろうと思っていると、予想に反してアリアは顔を真っ赤にして硬直してしまっているのにクレドは目を瞬いた。
「な…んだよ」
「…ぁっ……あ…」
いつもは澄ました様子のアリアが困惑しきったように眉を寄せ、視線を泳がせている。クレドはアリアの見たことのない反応に思わずじっとその顔を見つめてしまっていた。
「はっ…離して……」
「お、おう」
消え入りそうな声がそう懇願して来て、クレドは戸惑いのままにアリアを拘束から解放する。すると、解放されるや否やランチボックスを手早く片付けて風のように去っていってしまうアリア。引き止めるどころか、声ひとつ上げられないまま姿を消してしまった彼女にクレドの良すぎる勘が一つの可能性を見出したのだった。
彼女に異性として認識されているのかもしれない。
それも恋慕の類のだ。
クレドは彼女の耳まで真っ赤になった様子を思い返して、ほとんど確信的にそう思ったのだった。
――
(こねぇな)
まあ当然と言えば当然だが、あの日以降アリアがクレドのサボり場所に姿を現すことはなかった。
奇妙な関係だったが、特別親しかったわけでも、ましてや恋仲だったわけでもない。ただ剣を交え、空間を共にしていただけ。
クレドにとってはそれ以上でもそれ以下でもない存在だった。
強くて少し見目の良い、掴みどころのない変な女。
一緒にいても煩わしくないと思ったのは事実だったが、いないならいないで構わない。そう思っていた。
別にアリアを待つでもなく、これまで通り気怠い任務をサボるために屋根上へ訪れていた。視界に薄桃色を探してしまうのも、最近質素になりがちな昼食のせいだろう。
辻斬りは気が乗らず、ここ数日は大人しく星刻騎士として生活している。今彼女と剣を交えても何も得られないだろうと漠然とした予感があったからだ。
そろそろユオンが探しにくる頃だろうとクレドは頃合いを見計らい本来着くはずだった配置場所へと向かう。
(……お)
その途中、視界の端を掠めた薄ピンクをクレドは無意識に視線で追っていた。アリアが本を両手に抱えて歩いている。こちらに気がついてはいないようで、長い髪を靡かせ颯爽と敷地内を横切ってゆく。
凛と澄ました横顔からはあの時の狼狽具合は全く想像ができない。
もう彼女の姿が見えなくなる寸前、浮ついた様子の騎士団員に話しかけられている様子のアリアは口元に美しい笑みを浮かべていて、クレドはなんだかその笑みを“似合わない”と思ったのだった。
なんとかユオンの小言を回避して帰路についた夕方。
何処かで一杯引っ掛けて帰ろうか、それとも家に寝かせているワインを開けようかクレドは考えながら歩いていた。民家から漂う焼きたてのパンの香りが鼻腔を擽り、無性にサンドイッチが食べたくなる。
ふと後を付けられている気配に気がつき、クレドは裏路地へと入った。何が目的かは知らないが来ないなら誘い込んでこちらから歓迎してやろうと十分人気のないところまで進んで振り返ったのだった。
「……お前は…」
「お招きいただき感謝するわ」
夕日を背に立っていたのは、口元に笑みを浮かべたアリア。悠然と佇むその様子はクレドが振り返ることを分かり切っていた。つまり、誘い込まれたのはクレドの方だったということだ。
その手には真紅のナイフ。こつりと一歩、彼女のブーツが石畳を叩いた。
その瞬間、来る、という野生的直感に怪人化して迎撃の構えを取った。
「ねえ、今日は遊びじゃないわ」
背後から吐息混じりの声が鼓膜を撫でる。視界の端に映る赤い閃光をクレドはなんとか双剣で弾き返した。先ほどまで目の前にいたはずの彼女が何故か背後に居て、クレドは信じられない思いだったが、そんなことより笑みを崩さぬ彼女から底知れぬ闘気を感じて、昂る気持ちを抑えられないでいた。
「いいねェ!!存分に楽しもうや!」
返事の代わりのように降り掛かる真紅のナイフ。
見たことのない得物だったが、どこか使い古されたそれは新調されたものではなく、きっとこのナイフがアリアの真の得物なのだとクレドは悟る。つまり、彼女の言うように今までは遊びで、このナイフを持ち出した今日は本気なのだろう。
クレドの胸に言い表しようのない激情が込み上げる。それは憤怒か屈辱かそれとも歓喜か。どれとも言い難い感情に身を任せてクレドは剣技を放った。
今までの戦いが嘘のように劣勢だった。
防戦一方でなかなか反撃に出られない。襲いくる刃は静かに殺気を放ち、集中力を切らせばたちまちクレドは致命傷を追ってしまいそうだった。なんとか隙を見つけて斬りかかっても当然のように躱される。
やがて焦るままに繰り出した大振りな剣技がいなされて、体勢を立て直す間もなく消耗し切った脚がいとも容易く掬われた。
「私の勝ち」
花の香りが漂い、薄桃色の髪先がクレドの頬を撫でる。
地面に崩れたクレドにあの日のようにアリアが馬乗りになって、止めと言わんばかりにクレドの額を指で弾いたのだった。
「……は」
クレドは何も言えないでいた。
羞恥や無念、唖然などさまざまな感情が渦巻いたが、1番強い感情は“高揚”だった。
自分に跨って勝ち誇り愉悦の笑みを浮かべる女にクレドはこの上なく気分が昂ったのであった。
「…久々に会ったと思ったら、とんでもねぇ事してきやがって」
「寂しかった?」
「んなわけねえだろ」
怪人化を解き上半身を起こすと、当然馬乗りになっていたアリアが膝の上に座る形になる。それも向き合ってだ。
「……ッ!」
距離がグッと近くなり、間近に見つめ合うとアリアが頬を染め慌てて視線を逸らした。
「……あぁ?」
クレドはアリアのその反応を一瞬怪訝に思うが、すぐに自分を好いているという可能性を思い出し、いたずら心が芽生えた。
腰に手を添え、より身体を密着させ、恥じらう顔を覗き込む。
「ひゃ……!」
潤んだ薄桃色の瞳が大きく見開かれ、か細い声が漏れる。
すっかり大人しくなってしまったアリアにクレドはさっきの戦闘が嘘みたいだと、いまだに信じられない心地だった。
「おい、ご要望はなんだ?“して”やるよ」
揶揄い調に問いかける。
お互いの息遣いを間近に感じる距離感。アリアの視線がクレドの唇に移り、震える吐息が漏れた。
クレドはアリアが誘導通りに口付けを望むと思い、彼女の後頭部へと手を添えた。
「……ッあの、朝ごはんも一緒に食べたい…!」
「……は?」
「ブランシュでモーニング、したい…」
頬を染め上目遣いでされるお願いに、クレドは目を瞬いた。
思っていた、というかそうなるように仕向けたはずのお願いではなく、全く色気のない願いに静かに頭に添えた手を下ろす。
「色気より食い気…か」
「へ…?」
「なんでもねぇ、俺と飯食いたいだなんて変なやつだな」
なんだか拍子抜けして、頭の後ろを掻き雑に言うと、アリアは少しだけ口を尖らせて不服そうに呟いた。
「あなたと…一緒に居たいんだもの……」
「へえ」
「…だめ?」
そう問われても、負けたクレドには従う他無い。
「拒否権あんのかよ」
「あ!あなたが嫌がることはしないわ!」
そんな緩々な願いのために圧倒的な力で勝ちをとりに来たアリアを怪訝に思ったクレドが顔を顰めると、ショックを受けたように瞳を震わせたアリアは途端に自信を無くしてしまったように俯き、クレドの服をぎゅっとか細く握った。
「ごめんなさい、突然嫌よね」
戦闘時とは全くの別人かと思うほど今目の前にいるアリアは弱々しく、まるで初めて恋をするかのようにウブである。クレドは正直面倒だと思ったが、負けっぱなしは性に合わない。まあ多少の暇つぶしにもなるだろうとアリアをとりあえずは受け入れることにしたのだった。
「んなこと言ってねえだろ、朝にブランシュだな」
「えっ、いいの…?!」
「クク、寝坊するかもしれねえがな」
顔を上げ、ぱあっと笑顔を咲かせるアリア。コロコロ変わる表情が面白く、頭を撫でたりなんかしたら一体どんな反応をするのか気になり、薄桃色の柔らかな髪をクレドは一撫でした。
「わ、あ…!」
ぶわっと顔を赤らめ、目を見開いたアリア。
あまりに初々しすぎる反応にクレドは苦笑いを漏らす。
「ク、レド……」
クレドをじっと見つめる瞳が喜びの色を写し、手で押さえた唇から殆ど独り言のように漏れる声。
「……かっこいい…」
「……」
これはとんでもない女に好かれてしまった。
クレドは未だ膝に座り続け、熱っぽい視線を向けてくるアリアとのこの先の関係を少し楽しみに思うのであった。