前日譚
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今日は騎士団支部の警備当番だ。
クレドは疲れてきた足腰を解しながらため息を吐いた。
本来なら適当な理由をつけてサボっているところだが、友人のユオンが垂れ目を釣り上げてしつこく釘を刺してくるものだから仕方なく配置についた午後だった。
春過ぎの日差しは暖かいというよりも微かに夏を感じさせるくらいには暑く鎧の下が僅かに汗ばむ。風がそよぎ訓練広場で催されている団長直々の稽古に励む声が流れてきて、その熱心さに自分もひと暴れしたい欲が湧いてくる。
幸いクレドの配置からも広場が見て取れ、稽古の様子を伺える。
今夜の獲物を物色するのに良い機会だと思い、猛々しい雄叫びと共に力一杯剣を振るう団員達を見回し観察していく。
ふとクレドの視線が木陰に佇む女性の姿を視界に捉えた。
まずこの騎士団管理区に女性が存在している珍しさが目を引いた。出立ちは騎士団には似つかわしく無い可憐さを感じさせた。薄桃色の髪がゆったりと風に靡く。そしてそんな珍しい姿が他の騎士団員達と同じような闘志に燃えた熱い眼差しで稽古風景を見つめているのが、ひどく不思議な光景だとクレドは思った。
その小柄な身体で剣を振るう様子はとても想像できないが、彼女の髪色と同じ薄桃色の瞳が持つ気迫は手合わせ願いたいほどに惹かれるものがあり、思いがけずクレドの心が躍る。
やがて彼女の元に男が近づく。星刻騎士団長シャトラールだ。どうやら知り合いらしい。何か親しげに話しているようだが、流石に内容は風に乗ってはこないようだ。
「おい、クレド小休憩の時間だ。」
クレドがここに立っている元凶がゆっくりと近づいてくる。手元のボトルを放り投げて寄越すと、近くのベンチを顎で指し、やや尖った声色で言う。
「私の目の届く範囲にいてくれ。」
「はいはい、ユオンサンは俺がそんなにお好きっと…」
貴様がサボるからだろう!という彼の怒号を背に、もらったボトルを呷る。
了解の意を込めて後ろ手を振ると、深いため息が聞こえて会話にピリオドが打たれた。
指定されたベンチに腰掛け深く息をつく。
風が訓練広場を吹き抜け、少しだけ青臭い匂いが鼻腔をくすぐる。
空は晴れ渡り僅かに霞がかってはいたが、その奥にはっきりとした青空が広がり春の終わりを告げているようだった。
やがて一際大きな歓声が湧き上がり視線を移すと訓練は試合形式に変わっており、その一角が特に賑わっているようだった。
目を惹く薄ピンクが風に舞い、騎士団員を斬り伏せる。
「これで2人抜きだ!」
誰かが興奮気味に捲し立てた。
賞賛と野次とが乱れて飛び交いボルテージを上げる。その身の半寸ほどありそうな不恰好な剣を構えた華奢な女性を円状に囲い、次は我ぞと意気込む騎士達。それらを押し退け、円に入場したのはある小隊長の男。彼女を舐めるように見る目付きはあからさまな揶揄が読めて取れ、男が女を屈服させたいという欲望のようなものも垣間見える。
「…ッチ…胸糞わりーやつだ」
瞬時に生理的な嫌悪感を覚え、無意識のうちにクレドは舌打ちを漏らした。しかし、当の本人の女は僅かばかりに目を細めただけで感情を読み取ることはできず、このまま受け流すのかと思われたが、それは思い違いだったと気付かされる。
試合開始の声を合図に吊り上がる女の口端。
そして、あからさまに変わる空気感。
鈍感なやつは気づかないかもしれない。それほど研ぎ澄まされた殺気がぞくりと背筋を冷やした。クレドに向けられているわけでもないのに、まるで首筋を撫でられたかのようだった。
何度かの競り合い。金属のぶつかり合う小気味良い音が空に響く。
さすがは小隊長格。始めこそ向けられる気迫に戸惑いはしたが持ち直し、迷いなく剣技を振るっている。体格や性別の差から徐々に圧しているようだった。そのうちに高く空を裂くような音が鳴り渡り、弾き飛んだ剣がキラキラと太陽を反射した。
「ここまでのようだな…っ!」
誰かが息を呑む音が聞こえた。
それは、剣を弾き飛ばされ丸腰の女にとどめを刺そうと男が剣を大きく天に振り上げたことに対してだったのだろうか。それとも、背後から男のその無防備な首筋にナイフを当てている丸腰だったはずの女に対してだったのだろうか。
小隊長の男も突然の信じられない状況に思考が追いつかないようだった、そして何より首筋で鈍く光るナイフから視線が外せない。
「わたしの勝ち」
やがて女がにこりと笑い小さく言う。
訓練場は水を打ったように静まり返り風一つ吹かない。その場にいる全員が、その言葉の続きを聞き漏らさまいと息を潜めているようだった。
「大きな隙でしたね。止めを指すその最後の瞬間まで気を抜いてはだめですよ。」
後半は哀れみとも嘲笑とも取れるような声色だった。しかし言っていることはただの事実。戦場だったらこの男はもう死んでいるのだ。
「っ…この!言わせておけば!くそアマ!」
顔を真っ赤にした男は、悔しさと怒りとをぶちまけるかのように、身を翻して振り上げたままの剣を力任せに背後の女目がけて振り下ろした。
しかし、そんな大ぶりな攻撃が当たるはずもなく軽く身を引くだけで女がかわし、素早く持ち替えたナイフの柄で男の手の甲を強打した。
「あっ」
ぐわんぐわんと音を立て無力にも地に伏した剣。そして、目にも止まらぬ身のこなしで男の足を引っ掛け、剣と同様に地に横たわらせた。状況が掴めず天を仰ぎ茫然としている男の視界に見覚えのある鈍い光が差し、顔の真横にナイフが付き刺さった。
「ヒッ…!」
男の戦意喪失した顔を女は満足そうに見下ろしていた。
流れるような一連の出来事に観衆は一瞬遅れて賑わいを取り戻す。一体どれだけの騎士が彼女の動きを正しく認知できただろうか。
クレドは興奮が抑えきれなかった。
今すぐに彼女と剣を交えたい。そんな殺気のようなものが湧き上がって仕方がなかった。無意識に口元は緩み、手元のボトルはもはやペシャンコだった。しかし、なんとか気を落ち着かせ闘気を鎮める。
お楽しみは今夜に取っておくんだ。
ターゲットは彼女に決まりだ。
そう思った瞬間、薄桃色の瞳がクレドを捉えドキリと心臓が跳ねる。
あまりに露骨すぎただろうかと今更ながら気配を薄くするが、すぐに視線は逸れ彼女はシャトラールに連れられ建物内に消えていってしまった。
「クレド、もう休憩終了の時間だぞ。」
ユオンが声を尖らせる。
「なあ、さっきの女って誰だ?」
「アリア嬢のことか?確かシャトラール団長のお知り合いだったかなんだか。」
アリア、というのか。
風に靡く薄桃色を思い返す。
「先の戦いも見事だったよな。中央区に家があるらしく、押し掛ける不届き者もいて困ってるって言う噂も聞いたな。」
「ほう。護身にしては異常な強さだな…」
身のこなしが一般人のそれではなかったが、剣に流儀があるように思えなかったとクレドは先ほどの試合を思い返す。どちらかといえば傭兵やハンターのような我流の戦い方をする感じ。そもそも試合で手にしていた長剣も扱えこそしたが得物ではないようだった。恐らく真の得物はナイフだろう。
さまざまな思考に耽っていると、交代の時間だしっかり働けと姑のように小言を言うユオンに強制連行され、再び退屈な警備任務に就くクレド。
広場の稽古は終了してしまったようで、退屈で極まりない。
しかし、この任務が終わればお楽しみの時間が待っている。込み上がってきた欠伸を噛み殺し、久々に手応えのあるであろう辻斬への期待にクレドは胸を膨らませるのであった。
◆
剣以外の武器を使うだなんて卑怯である。
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