短いお話
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アリアはまだ応接室に飾られたままの二着の浴衣を見ていた。
夏祭りに着ることのできなかったものだが、どうしてだか仕舞われることなく応接室に鎮座し続けている。
正直行けなくなったと言われた時は失望や憤りといった負の感情が渦巻き、仕方がないと頭ではわかっていてもその行き場のない感情の矛先をユーシスに向けてしまいそうになったのをぼんやりと思い返す。
――俺に考えがある。楽しみにしているといい。
ユーシスには何か考えがあるようで先日こう告げた彼のアクアマリンの瞳はどこか楽しげだった。けれど、あれから数日経ったが特別変わったことは無く、また忙しい日々に戻りつつあり、アリアはそっとため息を吐いた。
白地に花柄の可愛らしい様相の浴衣とそれに併せてデザインされたであろう同じく白を基調としたシックな男性物の浴衣。
アリアはユーシスと2人でこの浴衣を着て中庭を散歩するくらいの些細なことでも十分に幸せだと思っていたが、楽しみにしているといいと言われてしまったら期待せざるを得ない。
つい昨日、ケルディックの大市でこの浴衣に合うヘアアクセサリーを見つけて買ってきてしまうほどに楽しみにしている。
ただ、どんなことを考えているかはわからないし、もしかしたら浴衣に袖を通すことはないのかもしれない。それでもアリアはユーシスが自分のために何かを考えてくれているということが嬉しくて楽しみでたまらなかったのだった。
「あっ、アリアちゃん、こちらにいらっしゃったんですね。」
「うん、どうしたの?お仕事のこと?」
「いえいえ!お仕事なんて今日は終わりですよ!」
台車を引いて応接室に入ってきたリロはニコニコとそういうとトルソーを台車に乗せていく。どうやらどこかに移動させるようだった。言っている意味がわからずどういうことかと首を傾げていると、作業を終えたリロが一層笑みを深くしてアリアについてくるように促した。
移動させているトルソーは女性物の浴衣。
上機嫌なリロの背中を見ながら少しずつ、着実にアリアは期待に胸を膨らませていった。
到着したのはアリアの自室。
「さあっ、お着替えしましょう!」
「え、お着替え…?」
「やっとこの浴衣をお召しになる時が来ましたよ!ユーシス様が今夜アリアちゃんを中庭にご招待したいそうです。」
「ユーシスが…?」
リロにそう伝えられ、アリアは改めて浴衣を見る。
膨らんでいた期待が花弁を散らすように一気に破裂した。アクセサリーボックスから昨日購入したヘアアクセサリーを取り出し、着替えの準備をしているリロに駆け寄った。
「髪飾りはっ…これがいいっ」
「あら!素敵ですね!さあさあ、まず入浴から済ませちゃいましょう」
思いがけないサプライズにドキドキと胸の鼓動が早くなる。やっと憧れの浴衣に袖を通すことができ、ユーシスと季節感を共有できる。中庭とはいえアリアにとっては浴衣を着てユーシスと過ごすことは特別なことに変わりはなかった。、
リロにされるがままに準備を済ませ、いよいよ浴衣の着付けに入る。ほとんど初めての和装なので似合うかどうか不安ではあったが手際よく着付けてくれるその最中、鏡に映る自分の姿にアリアの心はますますときめいていった。
「お似合いです!アリアちゃん!」
リロの賛辞に礼を言い、改めて自分の姿を見る。
ユーシスの仕立ててくれた浴衣は自分で言うのもなんだが、とても似合っていると感じた。ガラスでできたピンクの花のヘアアクセサリーも浴衣に見事に合い、リロが丁寧にサイドで緩めのお団子にしてくれた髪型ともマッチしている。首を振るとアクセサリーに吊り下げられたガラス玉がキラキラと光を反射してとても涼しげだとアリアは満足だった。
「まるで私じゃないみたい…!ありがとうリロ!」
「いえいえ、素敵な浴衣と素敵なアクセサリーがあってこそです。さあ、いきましょう!」
ピンクの鼻緒の下駄が用意され、歩き慣れるまでリロが手を貸してくれる。
「痛みませんか?」
「うーん、今の所は大丈夫よ」
「ご無理はなさらないでくださいね」
確かに歩きづらいし、指の股のところがしばらくしたら痛くなりそうだと感じる。まあ中庭を少し歩く程度だろうから大したことは無いだろうと、改めてリロに礼を言いユーシスの待つ中庭へと向かう。
東屋でユーシスは待っていた。
初夏は満開の薔薇が見事だった東屋。
「アリア」
「ユーシス……ッ!」
振り返ったユーシスの様相にアリアは息を呑んだ。
清楚な白色の浴衣をダークグレーの帯がキリッと雰囲気を締め、爽やかで落ち着いた出立ちだった。そしてその淡さの中でより一層輝いて見えるアクアマリンの瞳からアリアは目を離せなかった。
今は青々と草木の茂るこの東屋もたくさんのおしゃれな導力ランプが置かれ夜闇を幻想的に照らしていて、まるで別の世界に誘われたかのようだった。
ついついぼうっと場の雰囲気に浸り、美しいユーシスに見惚れてしまいアリアは慌てて笑顔を浮かべてユーシスに話しかける。
「す、すごい素敵な会場ね…!」
「……」
しかし返ってこぬ反応。
身じろぎ一つないユーシスと見つめ合いアリアは首を傾げたが、やや惚けた表情にまさかまさか、自分と同じで浴衣姿に見惚れてくれているのではないかと思い至ってブワッと胸がざわめいた。
「…あ、ああ。アリア、よく来てくれたな。」
ハッと意識を戻したユーシスはアリアに手を差し伸べセッティングされたガーデンテーブルへと誘ってくれる。
その手を取り椅子に腰掛けるとテーブルにはキャンドルが焚かれ、夏の鮮やかな花々で彩られているのにアリアはまた目を輝かせた。
「わあ、素敵」
「そうか。」
椅子の後ろに立っているユーシスを振り返り笑いかけると、恥ずかしそうに視線が逸らされ軽く咳払いをするユーシス。そしてほんのり朱に染まった頬がそっと近づいてきて耳元で優しい声音で囁かれる。
「その…とても可憐だ。よく似合っている。」
「ひえ」
シトラスの整髪料の香りがふわりとしてユーシスの顔が離れた。
よく似合っているのはユーシスも全くもってそうだ。アリアも同じように伝えたかったがどうにもドキドキとうるさい心臓の音が口から飛び出してしまいそうで、アリアは照れ隠しに唇を噛むしかできない。
そんな恥じらいを見透かされたかのようにユーシスのアクアマリンが優しく細まり、諌めるように唇に指が軽く触れる。
「あぅ…」
「フッ、飲み物を用意させよう」
そういうとユーシスは向かいの席に座り、近くに待機していたリロに合図を送る。程なくして運ばれてきたのはワイングラスに注がれた薄緑色のドリンク。ミントが添えられ見た目から爽やかなカクテルだった。
「サマークイーンというカクテルらしい」
「夏の女王…でもとっても爽やかな見た目ね。綺麗。」
「…今日という日に。」
ユーシスがグラスを持ち上げ近づけてくる。同じようにグラスを近づけるとチンという小さな音が東屋に響いた。
グラスを持ち上げ明かりに透かす。淡い緑色が美しく香りを嗅ぐと柑橘やボタニカルの爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。口に含むとフルーティーで爽やかな味わいが口いっぱいに広がった。
「おいしいっ」
「ジンなど普段飲まないが、なかなか甘すぎず悪くない」
ユーシスの言う通り甘すぎず、アルコールも強すぎずスイスイと飲めてしまう。グラスの底に沈んでいるグリーンチェリーのミントの清涼感も手伝ったさっぱりとした余韻に、アリアはカクテルをうっかり飲み干してしまわないように気をつけた。
「えへへ、ロマンチックね」
「中庭ですまないが、気に入ったようで何よりだ」
「うん、とっても素敵。」
改めて東屋を彩るランプたちを見回す。
昼間の姿からは想像もつかないくらい幻想的で、その仄明るい中の一際美しいユーシスの様相にアリアは何度でも見惚れてしまいそうになるのだった。
「この間は本当にすまなかったな」
「んーん、全然平気。こんなに素敵なところに招待してくれたんだもの、夏祭りよりいいかも。」
「そうか。」
「それにね、私ユーシスとお揃いの浴衣を着るだけでも十分だったのよ。だから、本当に幸せ。」
何よりユーシスがアリアのために考えてくれたことだ。それがたとえどんな内容だったとしてもこの上なく幸福に感じただろう。
アリアが笑いかけるとユーシスは嬉しさを噛み締めるようにゆっくりと「そうか」ともう一度呟いた。
「そうだっ、私もカクテル作ってきてもいい?」
「それは構わないが…」
「じゃあ、ちょっとまってて?」
頷くユーシスを確認して厨房へと急ぐ。
先ほどのカクテルにジンを使っていたしジンベースにしよう、綺麗な赤色のザクロシロップをこの間街で見かけて買っておいたんだった、と色々考えながらシェイカーに材料を入れていく。
大きなグラスと氷を用意して出来上がったカクテルを注ぎ、仕上げにレモンとミントを添える。出来上がった美しいピンクのカクテルはクロスベルのバーで教えてもらったもののうちの一つだ。
「おまたせっ」
「ほお、見事な色だな。」
「ジンデイジーっていうカクテルだよ」
ユーシスはグラスを受け取ると明かりへ透かしその色を堪能しているようだった。やがてそのグラスが動き、アリアにかざされる。2杯目も乾杯するのかとアリアもグラスを手に取ったがどうにも距離が遠く思え首を傾げた。
「どうしたの?」
「フッ…いや。」
どこか満足そうに笑ったユーシス。やはり乾杯はしないようで、カクテルに口をつけると「美味い」と短く零した。
なんだかはぐらかされたようでアリアも同じように明かりに透かしてグラスを確認したが、特別おかしなところはない。味も普通のジンデイジー。ザクロの甘酸っぱさにレモンの酸味が加わりさっぱりと美味な一杯である。
もう一度ユーシスを見るとユーシスもこちらを見ていてアリアは再び首を傾げた。
「お前の瞳のほうが美しいな」
「……」
アリアは驚愕の声が飛び出さないようにグッとお腹に力を入れる。
あのグラスをかざす行為は瞳の色とカクテルの色とを見比べていたのかと気がつき、アリアはときめきに悶えそうになるのを必死に堪えた。
「なんだ、照れているのか?」
「そりゃっ…!照れもしますよ…!」
「殊勝な事だ。」
「もうっ…!」
東屋に2人の笑い声が溢れた。
夏の夜風はちょっぴり冷たく、アルコールで火照り始めた体を涼しく撫でる。
こんな日は仕事の話なんてせずに帝都で見かけたおしゃれなカフェや、ソルシエラの限定ランチの話。リィンやミリアムたちから聞いた近況の話など、たくさんの他愛もない話を2人は取り留めもなく交わし合った。
「こんなゆっくりとした時間、なんだか久々。」
「本当にな。領土内各地を駆け巡らせてしまってすまなかったな」
「んーん、プチ旅行みたいで楽しかったよ。」
「この時期のレグラムは過ごしやすかっただろう」
「ええ!夏の湖畔も綺麗だったけどエベル街道の渓流はとても涼しかったよ」
森林部の川の流れる橋のところでは透明な水の中を魚が泳いでいるのを見ることもでき視覚的にも涼しかったことをアリアは思い出した。
「今度時間があったらユーシスとも行きたいな」
「ああ…そうだな」
ユーシスの曖昧な笑みにしばらくは無理そうだとこっそりとため息を吐く。まああんまりに根を詰めすぎているようだったら無理矢理にでも連れて行こうと心に決めるアリア。秋になったら渓流で釣れるサモーナが旬を迎えて大層美味な料理も味わえるだろう。少し先にはなるが遠出の計画を立てようと考えていると徐にユーシスが立ち上がりアリアに手を差し伸べた。
「少し歩こう。」
アリアは頷きユーシスの手を取る。
腕に手を添えエスコートを受けるのではなく、指と指を絡ませ手を繋ぐ。今日は浴衣デートなのだ。いつもの中庭の散歩道も今日は特別な花道のようにアリアは思えた。
見上げると降り注ぐ甘い笑みと、履き慣れぬ下駄への気遣い、何より離れる事などないのだろうと思わせるほどに密接に絡む指がまるでユーシスへの気持ちを自覚した時のようにアリアの胸を高鳴らせた。
「幸せそうだな」
「ええ、とても…ってそんなに顔緩んでる?」
「まあそうだな、見てわかるくらいには」
「でも本当に幸せなんだもの、仕方ないよ…」
「ふむ、ではお前の顔が完全に崩れるかもしれないな」
「ええ?」
中庭の少し開けたところに出ると、ユーシスがいたずらっ子のような笑みを見せた。あらかじめ用意されていたらしい簡易テーブルの上の包みを手に取りアリアに見せつけてくる。
「これをしよう、アリア。」
細い棒状のものがたくさん入ったそれは――
「は、花火だ!!」
「本来より小規模だが…」
「でも自分の手で花火ができるなんて素敵ね、初めてやるし楽しみ!」
包みから取り出した手持ち花火を一本手渡され、それをついまじまじと眺めてしまうアリア。なんの特徴のないその棒から火花が出てくるだなんて俄かには信じられないし、一体どういう手順を踏むのかも分からずユーシスに視線を向けた。
「先端に火を付けるんだ」
ユーシスが蝋燭を用意してくれ、促されるままに恐る恐る先端を火に近づける。シュワッという音と共に火花が散り溢れ、その場が一気に明るくなるのにアリアは目を見開いた。
「わ、わっ、すごいっ」
思いの外勢いよく飛び出す火花につい腰が引けてしまうが、ユーシスも自分の花火に火をつけ、アリアの花火とはまた違う色の火花が溢れるのに視線が行く。
「なかなか悪くない。」
「すごい!きれい!あっ、色が変わった!」
赤色だった火花が緑色に変わる。
地面に降り注ぐ雨露のように2人の手元の花火からカラフルな光が溢れるのはまるで魔法のようで、ずっとずっと続いている幸せな時間にアリアは夢見心地になっていた。
「あ……」
そして夢が醒めるかの様にその場が暗くなる。
花火が終わってしまったのだ。アリアはもう光を放つことのない花火の残骸を名残惜しく思いながらバケツへと投げ込んだ。
「ほら」
けれどユーシスはいつでもアリアに夢を与えてくれる。
手渡される次の一本をアリアは満面の笑顔で受け取った。
2人はたくさんの花火をした。
シャワーのように降り注ぐ花火や、ぱちぱちと弾ける様な花火。
赤や緑の色とりどりの花火たちはかけがえのない思い出として2人の心に鮮やかに色づいたのだった。
やがてそんな夢の様な時間も終わりが近づいてくる。すっかり薄くなってしまった包みにアリアは楽しかったと胸をいっぱいにしていたが、ユーシスに差し出される極細の棒…というより、紙を細長くしたようなものを受け取りしげしげとそれを見た。
ゴミでも渡されたのかと思いバケツに放り込もうとするとユーシスが苦笑いをしてそれを止めてくる。
「待て待て、それも花火だ」
「ええっ?これが?」
「そうだ。」
手招きされ近くに寄るとしゃがむように促される。
「線香花火といって、玉が落ちないようにゆっくりと楽しむ花火だ」
「玉…?」
「やってみれば分かる」
ユーシスがひらひらとした紙の方をつまむように持つのを真似、何も特徴のない方の先端を火に近づける。すると、他の花火とは違い静かに火がつき、だんだんとその先端に火の玉が出来上がっていく。
「その玉を落とさないようにするんだ」
「う、うんっ」
2人でしゃがみ込み、じっと大きくなっていく火の玉を見ていた。
やがてぷくりと膨らんだ火の玉から火花が弾け始め、ぱちぱちという小気味良い音が鳴り始める。
「わあ!綺麗!」
「これを落とさないようにして、長く楽しむんだ」
「ほんとだ、ぷるぷるしてる…」
呼吸するだけでも火の玉は不安定に揺れ、アリアはじっと息を顰めて勢いを増す黄金色の火花を楽しんだ。先ほどまでの手持ち花火とはまた違った繊細な火花。落とさないようにするのもそうだが、情緒ある色合いや雰囲気が静かに楽しむ花火だと感じさせた。
「なんだか落ち着く」
「これをやるともう終わりという気分になるな」
「ふふ、確かに…あっ」
音もなく火の玉が地面に落下し突如として線香花火が終わりを迎えた。それを追いかけるようにユーシスの線香花火も地面に落ち、薄闇が2人を包み込む。
「あちゃあ、もう少し見ていたかったな」
「まだもう一回はできるが」
「やろうやろう」
今度はどっちが長く残るか勝負ね、なんて笑い合って2個目の線香花火に火をつける。ぱちぱちと弾ける光を見ながら、アリアはユーシスの言う通り楽しかった時間の終わりを少しずつ感じていた。
本当に、本当に楽しかった。
浴衣姿のユーシスも、2人で楽しんだカクテルも、初めての手持ち花火もアリアの胸をいっぱいにするには十分すぎるほどの出来事だった。
「あっ、落ちちゃった」
「フッ、俺の勝ちだな」
「負けちゃったー、けど楽しかったぁ」
「そうだな」
再び薄闇が2人を包み、しゃがみこんだまま見つめ合う。
薄暗い中でもユーシスのアクアマリンが楽しげに緩んでいるのがわかり、自分と同じ気持ちなのだと嬉しくなる。
「ね、私が作ったカクテル、ジンデイジー。実はちょっとした意味があるの。」
「カクテルに意味がか?」
「うん、そう。ジンデイジーはね『ひと夏の恋』」
そういうとユーシスは少し逡巡したようだがやがて困ったように笑った。
「それはなんとも…軽薄な感じがするが」
「ふふ…私ね。今日という夏の日、貴方にまた恋をしたの」
「…ふむ」
ユーシスがほんの少し首を傾げる。線香花火が落ち、薄暗い中でもちゃんと顔が見える距離。アリアはユーシスの顔を覗き込んだ。
「浴衣姿の貴方はとても素敵ね。それにあんなにロマンチックな場所を用意してくれるなんて本当に嬉しかった。初めての花火も貴方と楽しむことができて幸せよ。」
今日あったことを一つ一つ丁寧に思い出しながら言葉を紡いでいく。その全てが輝かしく何年経っても色褪せない思い出としてアリアの心に刻みつけられているであろうことを実感する。
「ユーシスは…私に恋をしてくれた?」
我ながら恥ずかしい問いである。アリアはつい視線を逸らしてしまいそうになったがじっと見つめ返してくるアクアマリンの瞳がアリアを捉えて離さなかった。
「ああ…何度でも俺はお前に恋をするだろう」
「そっか、よかった」
心がくすぐったくなってゆるゆると笑みが溢れてしまう。見ればユーシスも口許を緩め甘い笑みを浮かべている。そしてその顔がゆっくりと近づいてきて優しく唇が触れ合った。少し離れて顎が撫でられてもう一度。今度はしっかりと重なる唇にアリアはこれもまた幸せな思い出の一つだと胸に刻み込む。
「アリア、好きだ」
「えへへ…私もユーシスが好きだよ。」
この夏、またお互いに恋をしあった。
これまでの愛を確かめ合うような、ひと夏の甘い恋。
「また来年も、そのまた来年も、お互いにまた恋をしてしまうような夏を過ごしたいな」
「俺は夏だけと言わず、秋も冬も春もそうしたいがな」
「あはは、それもそうね!」
今度は秋にレグラムで、ユーシスにまた恋をして、また恋をされるようなひとときを過ごしたいとアリアは願うのだった。
夏祭りに着ることのできなかったものだが、どうしてだか仕舞われることなく応接室に鎮座し続けている。
正直行けなくなったと言われた時は失望や憤りといった負の感情が渦巻き、仕方がないと頭ではわかっていてもその行き場のない感情の矛先をユーシスに向けてしまいそうになったのをぼんやりと思い返す。
――俺に考えがある。楽しみにしているといい。
ユーシスには何か考えがあるようで先日こう告げた彼のアクアマリンの瞳はどこか楽しげだった。けれど、あれから数日経ったが特別変わったことは無く、また忙しい日々に戻りつつあり、アリアはそっとため息を吐いた。
白地に花柄の可愛らしい様相の浴衣とそれに併せてデザインされたであろう同じく白を基調としたシックな男性物の浴衣。
アリアはユーシスと2人でこの浴衣を着て中庭を散歩するくらいの些細なことでも十分に幸せだと思っていたが、楽しみにしているといいと言われてしまったら期待せざるを得ない。
つい昨日、ケルディックの大市でこの浴衣に合うヘアアクセサリーを見つけて買ってきてしまうほどに楽しみにしている。
ただ、どんなことを考えているかはわからないし、もしかしたら浴衣に袖を通すことはないのかもしれない。それでもアリアはユーシスが自分のために何かを考えてくれているということが嬉しくて楽しみでたまらなかったのだった。
「あっ、アリアちゃん、こちらにいらっしゃったんですね。」
「うん、どうしたの?お仕事のこと?」
「いえいえ!お仕事なんて今日は終わりですよ!」
台車を引いて応接室に入ってきたリロはニコニコとそういうとトルソーを台車に乗せていく。どうやらどこかに移動させるようだった。言っている意味がわからずどういうことかと首を傾げていると、作業を終えたリロが一層笑みを深くしてアリアについてくるように促した。
移動させているトルソーは女性物の浴衣。
上機嫌なリロの背中を見ながら少しずつ、着実にアリアは期待に胸を膨らませていった。
到着したのはアリアの自室。
「さあっ、お着替えしましょう!」
「え、お着替え…?」
「やっとこの浴衣をお召しになる時が来ましたよ!ユーシス様が今夜アリアちゃんを中庭にご招待したいそうです。」
「ユーシスが…?」
リロにそう伝えられ、アリアは改めて浴衣を見る。
膨らんでいた期待が花弁を散らすように一気に破裂した。アクセサリーボックスから昨日購入したヘアアクセサリーを取り出し、着替えの準備をしているリロに駆け寄った。
「髪飾りはっ…これがいいっ」
「あら!素敵ですね!さあさあ、まず入浴から済ませちゃいましょう」
思いがけないサプライズにドキドキと胸の鼓動が早くなる。やっと憧れの浴衣に袖を通すことができ、ユーシスと季節感を共有できる。中庭とはいえアリアにとっては浴衣を着てユーシスと過ごすことは特別なことに変わりはなかった。、
リロにされるがままに準備を済ませ、いよいよ浴衣の着付けに入る。ほとんど初めての和装なので似合うかどうか不安ではあったが手際よく着付けてくれるその最中、鏡に映る自分の姿にアリアの心はますますときめいていった。
「お似合いです!アリアちゃん!」
リロの賛辞に礼を言い、改めて自分の姿を見る。
ユーシスの仕立ててくれた浴衣は自分で言うのもなんだが、とても似合っていると感じた。ガラスでできたピンクの花のヘアアクセサリーも浴衣に見事に合い、リロが丁寧にサイドで緩めのお団子にしてくれた髪型ともマッチしている。首を振るとアクセサリーに吊り下げられたガラス玉がキラキラと光を反射してとても涼しげだとアリアは満足だった。
「まるで私じゃないみたい…!ありがとうリロ!」
「いえいえ、素敵な浴衣と素敵なアクセサリーがあってこそです。さあ、いきましょう!」
ピンクの鼻緒の下駄が用意され、歩き慣れるまでリロが手を貸してくれる。
「痛みませんか?」
「うーん、今の所は大丈夫よ」
「ご無理はなさらないでくださいね」
確かに歩きづらいし、指の股のところがしばらくしたら痛くなりそうだと感じる。まあ中庭を少し歩く程度だろうから大したことは無いだろうと、改めてリロに礼を言いユーシスの待つ中庭へと向かう。
東屋でユーシスは待っていた。
初夏は満開の薔薇が見事だった東屋。
「アリア」
「ユーシス……ッ!」
振り返ったユーシスの様相にアリアは息を呑んだ。
清楚な白色の浴衣をダークグレーの帯がキリッと雰囲気を締め、爽やかで落ち着いた出立ちだった。そしてその淡さの中でより一層輝いて見えるアクアマリンの瞳からアリアは目を離せなかった。
今は青々と草木の茂るこの東屋もたくさんのおしゃれな導力ランプが置かれ夜闇を幻想的に照らしていて、まるで別の世界に誘われたかのようだった。
ついついぼうっと場の雰囲気に浸り、美しいユーシスに見惚れてしまいアリアは慌てて笑顔を浮かべてユーシスに話しかける。
「す、すごい素敵な会場ね…!」
「……」
しかし返ってこぬ反応。
身じろぎ一つないユーシスと見つめ合いアリアは首を傾げたが、やや惚けた表情にまさかまさか、自分と同じで浴衣姿に見惚れてくれているのではないかと思い至ってブワッと胸がざわめいた。
「…あ、ああ。アリア、よく来てくれたな。」
ハッと意識を戻したユーシスはアリアに手を差し伸べセッティングされたガーデンテーブルへと誘ってくれる。
その手を取り椅子に腰掛けるとテーブルにはキャンドルが焚かれ、夏の鮮やかな花々で彩られているのにアリアはまた目を輝かせた。
「わあ、素敵」
「そうか。」
椅子の後ろに立っているユーシスを振り返り笑いかけると、恥ずかしそうに視線が逸らされ軽く咳払いをするユーシス。そしてほんのり朱に染まった頬がそっと近づいてきて耳元で優しい声音で囁かれる。
「その…とても可憐だ。よく似合っている。」
「ひえ」
シトラスの整髪料の香りがふわりとしてユーシスの顔が離れた。
よく似合っているのはユーシスも全くもってそうだ。アリアも同じように伝えたかったがどうにもドキドキとうるさい心臓の音が口から飛び出してしまいそうで、アリアは照れ隠しに唇を噛むしかできない。
そんな恥じらいを見透かされたかのようにユーシスのアクアマリンが優しく細まり、諌めるように唇に指が軽く触れる。
「あぅ…」
「フッ、飲み物を用意させよう」
そういうとユーシスは向かいの席に座り、近くに待機していたリロに合図を送る。程なくして運ばれてきたのはワイングラスに注がれた薄緑色のドリンク。ミントが添えられ見た目から爽やかなカクテルだった。
「サマークイーンというカクテルらしい」
「夏の女王…でもとっても爽やかな見た目ね。綺麗。」
「…今日という日に。」
ユーシスがグラスを持ち上げ近づけてくる。同じようにグラスを近づけるとチンという小さな音が東屋に響いた。
グラスを持ち上げ明かりに透かす。淡い緑色が美しく香りを嗅ぐと柑橘やボタニカルの爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。口に含むとフルーティーで爽やかな味わいが口いっぱいに広がった。
「おいしいっ」
「ジンなど普段飲まないが、なかなか甘すぎず悪くない」
ユーシスの言う通り甘すぎず、アルコールも強すぎずスイスイと飲めてしまう。グラスの底に沈んでいるグリーンチェリーのミントの清涼感も手伝ったさっぱりとした余韻に、アリアはカクテルをうっかり飲み干してしまわないように気をつけた。
「えへへ、ロマンチックね」
「中庭ですまないが、気に入ったようで何よりだ」
「うん、とっても素敵。」
改めて東屋を彩るランプたちを見回す。
昼間の姿からは想像もつかないくらい幻想的で、その仄明るい中の一際美しいユーシスの様相にアリアは何度でも見惚れてしまいそうになるのだった。
「この間は本当にすまなかったな」
「んーん、全然平気。こんなに素敵なところに招待してくれたんだもの、夏祭りよりいいかも。」
「そうか。」
「それにね、私ユーシスとお揃いの浴衣を着るだけでも十分だったのよ。だから、本当に幸せ。」
何よりユーシスがアリアのために考えてくれたことだ。それがたとえどんな内容だったとしてもこの上なく幸福に感じただろう。
アリアが笑いかけるとユーシスは嬉しさを噛み締めるようにゆっくりと「そうか」ともう一度呟いた。
「そうだっ、私もカクテル作ってきてもいい?」
「それは構わないが…」
「じゃあ、ちょっとまってて?」
頷くユーシスを確認して厨房へと急ぐ。
先ほどのカクテルにジンを使っていたしジンベースにしよう、綺麗な赤色のザクロシロップをこの間街で見かけて買っておいたんだった、と色々考えながらシェイカーに材料を入れていく。
大きなグラスと氷を用意して出来上がったカクテルを注ぎ、仕上げにレモンとミントを添える。出来上がった美しいピンクのカクテルはクロスベルのバーで教えてもらったもののうちの一つだ。
「おまたせっ」
「ほお、見事な色だな。」
「ジンデイジーっていうカクテルだよ」
ユーシスはグラスを受け取ると明かりへ透かしその色を堪能しているようだった。やがてそのグラスが動き、アリアにかざされる。2杯目も乾杯するのかとアリアもグラスを手に取ったがどうにも距離が遠く思え首を傾げた。
「どうしたの?」
「フッ…いや。」
どこか満足そうに笑ったユーシス。やはり乾杯はしないようで、カクテルに口をつけると「美味い」と短く零した。
なんだかはぐらかされたようでアリアも同じように明かりに透かしてグラスを確認したが、特別おかしなところはない。味も普通のジンデイジー。ザクロの甘酸っぱさにレモンの酸味が加わりさっぱりと美味な一杯である。
もう一度ユーシスを見るとユーシスもこちらを見ていてアリアは再び首を傾げた。
「お前の瞳のほうが美しいな」
「……」
アリアは驚愕の声が飛び出さないようにグッとお腹に力を入れる。
あのグラスをかざす行為は瞳の色とカクテルの色とを見比べていたのかと気がつき、アリアはときめきに悶えそうになるのを必死に堪えた。
「なんだ、照れているのか?」
「そりゃっ…!照れもしますよ…!」
「殊勝な事だ。」
「もうっ…!」
東屋に2人の笑い声が溢れた。
夏の夜風はちょっぴり冷たく、アルコールで火照り始めた体を涼しく撫でる。
こんな日は仕事の話なんてせずに帝都で見かけたおしゃれなカフェや、ソルシエラの限定ランチの話。リィンやミリアムたちから聞いた近況の話など、たくさんの他愛もない話を2人は取り留めもなく交わし合った。
「こんなゆっくりとした時間、なんだか久々。」
「本当にな。領土内各地を駆け巡らせてしまってすまなかったな」
「んーん、プチ旅行みたいで楽しかったよ。」
「この時期のレグラムは過ごしやすかっただろう」
「ええ!夏の湖畔も綺麗だったけどエベル街道の渓流はとても涼しかったよ」
森林部の川の流れる橋のところでは透明な水の中を魚が泳いでいるのを見ることもでき視覚的にも涼しかったことをアリアは思い出した。
「今度時間があったらユーシスとも行きたいな」
「ああ…そうだな」
ユーシスの曖昧な笑みにしばらくは無理そうだとこっそりとため息を吐く。まああんまりに根を詰めすぎているようだったら無理矢理にでも連れて行こうと心に決めるアリア。秋になったら渓流で釣れるサモーナが旬を迎えて大層美味な料理も味わえるだろう。少し先にはなるが遠出の計画を立てようと考えていると徐にユーシスが立ち上がりアリアに手を差し伸べた。
「少し歩こう。」
アリアは頷きユーシスの手を取る。
腕に手を添えエスコートを受けるのではなく、指と指を絡ませ手を繋ぐ。今日は浴衣デートなのだ。いつもの中庭の散歩道も今日は特別な花道のようにアリアは思えた。
見上げると降り注ぐ甘い笑みと、履き慣れぬ下駄への気遣い、何より離れる事などないのだろうと思わせるほどに密接に絡む指がまるでユーシスへの気持ちを自覚した時のようにアリアの胸を高鳴らせた。
「幸せそうだな」
「ええ、とても…ってそんなに顔緩んでる?」
「まあそうだな、見てわかるくらいには」
「でも本当に幸せなんだもの、仕方ないよ…」
「ふむ、ではお前の顔が完全に崩れるかもしれないな」
「ええ?」
中庭の少し開けたところに出ると、ユーシスがいたずらっ子のような笑みを見せた。あらかじめ用意されていたらしい簡易テーブルの上の包みを手に取りアリアに見せつけてくる。
「これをしよう、アリア。」
細い棒状のものがたくさん入ったそれは――
「は、花火だ!!」
「本来より小規模だが…」
「でも自分の手で花火ができるなんて素敵ね、初めてやるし楽しみ!」
包みから取り出した手持ち花火を一本手渡され、それをついまじまじと眺めてしまうアリア。なんの特徴のないその棒から火花が出てくるだなんて俄かには信じられないし、一体どういう手順を踏むのかも分からずユーシスに視線を向けた。
「先端に火を付けるんだ」
ユーシスが蝋燭を用意してくれ、促されるままに恐る恐る先端を火に近づける。シュワッという音と共に火花が散り溢れ、その場が一気に明るくなるのにアリアは目を見開いた。
「わ、わっ、すごいっ」
思いの外勢いよく飛び出す火花につい腰が引けてしまうが、ユーシスも自分の花火に火をつけ、アリアの花火とはまた違う色の火花が溢れるのに視線が行く。
「なかなか悪くない。」
「すごい!きれい!あっ、色が変わった!」
赤色だった火花が緑色に変わる。
地面に降り注ぐ雨露のように2人の手元の花火からカラフルな光が溢れるのはまるで魔法のようで、ずっとずっと続いている幸せな時間にアリアは夢見心地になっていた。
「あ……」
そして夢が醒めるかの様にその場が暗くなる。
花火が終わってしまったのだ。アリアはもう光を放つことのない花火の残骸を名残惜しく思いながらバケツへと投げ込んだ。
「ほら」
けれどユーシスはいつでもアリアに夢を与えてくれる。
手渡される次の一本をアリアは満面の笑顔で受け取った。
2人はたくさんの花火をした。
シャワーのように降り注ぐ花火や、ぱちぱちと弾ける様な花火。
赤や緑の色とりどりの花火たちはかけがえのない思い出として2人の心に鮮やかに色づいたのだった。
やがてそんな夢の様な時間も終わりが近づいてくる。すっかり薄くなってしまった包みにアリアは楽しかったと胸をいっぱいにしていたが、ユーシスに差し出される極細の棒…というより、紙を細長くしたようなものを受け取りしげしげとそれを見た。
ゴミでも渡されたのかと思いバケツに放り込もうとするとユーシスが苦笑いをしてそれを止めてくる。
「待て待て、それも花火だ」
「ええっ?これが?」
「そうだ。」
手招きされ近くに寄るとしゃがむように促される。
「線香花火といって、玉が落ちないようにゆっくりと楽しむ花火だ」
「玉…?」
「やってみれば分かる」
ユーシスがひらひらとした紙の方をつまむように持つのを真似、何も特徴のない方の先端を火に近づける。すると、他の花火とは違い静かに火がつき、だんだんとその先端に火の玉が出来上がっていく。
「その玉を落とさないようにするんだ」
「う、うんっ」
2人でしゃがみ込み、じっと大きくなっていく火の玉を見ていた。
やがてぷくりと膨らんだ火の玉から火花が弾け始め、ぱちぱちという小気味良い音が鳴り始める。
「わあ!綺麗!」
「これを落とさないようにして、長く楽しむんだ」
「ほんとだ、ぷるぷるしてる…」
呼吸するだけでも火の玉は不安定に揺れ、アリアはじっと息を顰めて勢いを増す黄金色の火花を楽しんだ。先ほどまでの手持ち花火とはまた違った繊細な火花。落とさないようにするのもそうだが、情緒ある色合いや雰囲気が静かに楽しむ花火だと感じさせた。
「なんだか落ち着く」
「これをやるともう終わりという気分になるな」
「ふふ、確かに…あっ」
音もなく火の玉が地面に落下し突如として線香花火が終わりを迎えた。それを追いかけるようにユーシスの線香花火も地面に落ち、薄闇が2人を包み込む。
「あちゃあ、もう少し見ていたかったな」
「まだもう一回はできるが」
「やろうやろう」
今度はどっちが長く残るか勝負ね、なんて笑い合って2個目の線香花火に火をつける。ぱちぱちと弾ける光を見ながら、アリアはユーシスの言う通り楽しかった時間の終わりを少しずつ感じていた。
本当に、本当に楽しかった。
浴衣姿のユーシスも、2人で楽しんだカクテルも、初めての手持ち花火もアリアの胸をいっぱいにするには十分すぎるほどの出来事だった。
「あっ、落ちちゃった」
「フッ、俺の勝ちだな」
「負けちゃったー、けど楽しかったぁ」
「そうだな」
再び薄闇が2人を包み、しゃがみこんだまま見つめ合う。
薄暗い中でもユーシスのアクアマリンが楽しげに緩んでいるのがわかり、自分と同じ気持ちなのだと嬉しくなる。
「ね、私が作ったカクテル、ジンデイジー。実はちょっとした意味があるの。」
「カクテルに意味がか?」
「うん、そう。ジンデイジーはね『ひと夏の恋』」
そういうとユーシスは少し逡巡したようだがやがて困ったように笑った。
「それはなんとも…軽薄な感じがするが」
「ふふ…私ね。今日という夏の日、貴方にまた恋をしたの」
「…ふむ」
ユーシスがほんの少し首を傾げる。線香花火が落ち、薄暗い中でもちゃんと顔が見える距離。アリアはユーシスの顔を覗き込んだ。
「浴衣姿の貴方はとても素敵ね。それにあんなにロマンチックな場所を用意してくれるなんて本当に嬉しかった。初めての花火も貴方と楽しむことができて幸せよ。」
今日あったことを一つ一つ丁寧に思い出しながら言葉を紡いでいく。その全てが輝かしく何年経っても色褪せない思い出としてアリアの心に刻みつけられているであろうことを実感する。
「ユーシスは…私に恋をしてくれた?」
我ながら恥ずかしい問いである。アリアはつい視線を逸らしてしまいそうになったがじっと見つめ返してくるアクアマリンの瞳がアリアを捉えて離さなかった。
「ああ…何度でも俺はお前に恋をするだろう」
「そっか、よかった」
心がくすぐったくなってゆるゆると笑みが溢れてしまう。見ればユーシスも口許を緩め甘い笑みを浮かべている。そしてその顔がゆっくりと近づいてきて優しく唇が触れ合った。少し離れて顎が撫でられてもう一度。今度はしっかりと重なる唇にアリアはこれもまた幸せな思い出の一つだと胸に刻み込む。
「アリア、好きだ」
「えへへ…私もユーシスが好きだよ。」
この夏、またお互いに恋をしあった。
これまでの愛を確かめ合うような、ひと夏の甘い恋。
「また来年も、そのまた来年も、お互いにまた恋をしてしまうような夏を過ごしたいな」
「俺は夏だけと言わず、秋も冬も春もそうしたいがな」
「あはは、それもそうね!」
今度は秋にレグラムで、ユーシスにまた恋をして、また恋をされるようなひとときを過ごしたいとアリアは願うのだった。
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