短いお話
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帝都ヘイムダル、ヴェスタ通り。
街路の花壇に満開を迎える向日葵が照りつける夏の日差しを浴びて燦々としているのを横目に見ながらアリアはパン屋の店先に貼られたポスターに釘付けになっていた。
(夏祭り……花火大会……!)
黒い背景に赤、緑、青と描かれる花火と、ポスターの4分の1ほどを占める大きさで書かれた【祭】の単語。下の方に小さく書かれた概要には屋台などの出店ともある。
「花火楽しみだね!」
「私、浴衣新調しちゃった!」
道行く女の子たちの楽しげなおしゃべりが自然と耳に入ってくる。
浴衣。
アリアはその単語を聞いて暫し考え込んだ。そうかみんなは夏ならではのおしゃれとして浴衣を着るのか。考えてみればあまり馴染みがなく、一体どういった装いになるのか想像もつかなかった。
この催し物には是非参加してみたい。
参加するならその浴衣なるもので着飾ってみたい。
アリアは早くも胸をワクワクさせながら帝都のブティックへと足を運んだのだった。
――
「ねぇっ、これとこれどっちがいいかな?」
帝都のブティック《ル・サージュ》で貰ってきた浴衣のカタログを広げ見せながら、アリアはユーシスに尋ねる。指さすのは白色にピンクの花模様の可愛らしい浴衣と、紺色に赤やピンクの花模様の落ち着いた浴衣との2種類。
眉間に皺を寄せその2つを交互に見たユーシスはやがて小さく呟くように答える。
「……知らん」
「知らんって!どっちが似合うと思うって聞いてるの!」
「どちらも似合うと思うが。」
なんとも適当である。
アリアも同じように眉間に皺をぐっと寄せユーシスをジトと睨む。しかし、ユーシスは少しも気にしていないようでアリアが一緒に持ってきた夏祭りのチラシを手にとると納得したように何度か頷いた。
「これに行きたいのか。」
「うん、そう。行こう?」
「そうだな……」
手帳を取り出し日付を確認したユーシス。
「今の所空いていそうだ。」
「わあっ、やったー!」
夏祭りデートだとアリアは嬉しくて笑みを漏らすと、それを見たユーシスがフッと口元を緩めて笑い、手帳に『夏祭り』と予定を書き込んでくれるのにさらに嬉しくてたまらなくなる。
「ねえ、ユーシスも浴衣着ていこう?」
「いや、俺は遠慮しておこう」
「ええっ、お揃いがいいのに」
「ふむ……」
ユーシスは少し考えるように黙り込むと、再びブティックのカタログに目を落としパラパラと何ページか捲った。
「結局アリアはどれにするんだ?」
「ん?んっと…どっちが好き…?白と紺」
改めて同じ質問をするとユーシスは意味ありげに笑みを見せ「楽しみにしているといい」と何故だかカタログを閉じてしまう。
「ええ?どういうこと?」
「俺の好みをアルノーに伝えて揃いのものを用意させておくと言う事だ」
「えっ!!」
目をまんまるくして驚くとユーシスがふわりと髪を撫でてくる。
「近頃は領地の仕事で忙しくさせていたからな。お前の望む通りにしよう。」
降り注ぐ甘い眼差しと額への口付けを受けながら、確かに最近は領地内と帝都の行き来が多く多忙な日が多かったと思い返す。
「ふふ、ご褒美ってこと?」
「まぁ、そういうことになるな。」
初めての夏祭りにユーシスと浴衣を着てお出かけできるだなんて、なんで素敵なご褒美だろうか。頑張った甲斐があったものだ。
「ありがと、ユーシス」
「ああ…なんだ、明日からも…お前に頼ることになりそうだからな」
「へ。」
先ほどの甘い眼差しはどこへやら、打って変わってバツが悪そうに逸らされる視線にアリアは思わず顔が引き攣った。
今日漸く大きな案件がひと段落したと思ったところだったのに。まだまだ忙しい日々が続くのかとアリアはうんざりしたが、まあ領地に領民がいる限り何もない日が来る事はないのであろう。夏祭りデートというご褒美を楽しみに明日からも頑張るかとアリアは意気込んだのであった。
あれよあれよと時はすぎ、今度は領地内を忙しく駆け回っていると夏祭りの日がいよいよ近づいてきた。専属侍女のリロからもう明日にも浴衣が完成しそうだと伝えられ、お披露目を心待ちにしながらなんとか夏祭りの日に暇ができるように仕事を調整したり終わらせていったのだった。
翌る日。
早速のユーシスからの呼び出しにアリアはついに浴衣が完成したのかと軽い足取りで廊下を進む。部屋の前につきノックを一つ。入室許可の声色がどこか暗く、アリアは首を傾げながらも部屋に入ると声の暗さが気のせいでなかったと分かるくらいに雰囲気が重く、アリアはさらに首を捻った。
「ああ、アリア……」
「ゆ、ユーシス?どうしたの……?」
執務室のデスクに座るユーシスのまるで深海の底の底から這い出てきたかのような沈鬱な様子に思わず声が上ずる。確かに忙しかったがここまで困憊するほどだっただろうか?それとも何かトラブルだろうか?
様々な考えを巡らせているとユーシスが重いため息と共に呟くように言葉を漏らした。
「すまない…夏祭りへ行けなくなってしまった」
「……え?」
その言葉をアリアは一瞬うまく聞き取れなかった。
行けなくなった?夏祭りに?行けなく?
「行けない…?!」
ユーシスに飛びかからん勢いでデスクに手をつき身を乗り出すアリア。
「どっ、どうして?!」
ユーシスの申し訳なさそうに揺れる瞳に責め立てる風になってしまったことを後悔して、アリアは気持ちを収めるよう深く息を吐いた。
「急な仕事で都合がつかなくなってしまった」
「うんっと…本当に急だね…」
「招待に応じる必要があってな…州のある地域を任せている貴族が生誕パーティを開くらしく、そちらに顔を出さねばならん」
ついパーティという単語に眉を顰めるとユーシスが「父の代から深い交流がある」と素早く補足を入れてくるのにアリアは何もいえなくなる。
わかる。領主として何を優先すべきなのか頭ではしっかりわかっている。大人として、ユーシスの補佐として、私情など挟むべきではないとアリアは必死に自分で言い聞かせた。
けれど心はどうしても釈然とせず、あんなに楽しみにしていた予定が目前にして霧散してしまうだなんて、なんてやるせないんだろうか。
なんで、どうして。
ただこの言葉が頭を巡った。こんなこと聞いたってユーシスを困らせるだけなことはわかりきっていたのでなんとか飲み込んで、吐き出ないようにもう一度大きく深く息を吐いた。
「…そっか、残念だな」
「本当にすまない。ミリアムかアリサを誘って…」
「そうするね。ところで何か手伝う事はある?」
もう夏祭りのことなど考えたくなかったアリアはユーシスの言葉を遮りにこりと笑いかけた。何も他のことを考えられないくらいに忙しくしていられるに越した事はないので追加の仕事はいくらでも歓迎だった。無論夏祭りに行く気は失せた。
「あ…いや、特には」
「そう。じゃあこの間話していた案件を進めておくね。」
「ッ…アリア!」
「ん?」
努めて明るく。アリアは笑顔を崩さず首を傾けた。
戸惑いの眼差しを向けてくるユーシスには申し訳ないと思いながらとりあえず1人になりたかったアリアは「じゃあ行くね」と強引に話を切り上げて執務室を飛び出した。
部屋へ帰る途中、まだ事情を知らないリロに完成した浴衣の確認をするかと声をかけられたが、浴衣なんて見てしまったら未練に溺れてしまいそうだったので適当な理由をつけて断り、アリアは部屋へ閉じこもり何も考えないように書類の書き込みや整理に没頭したのだった。
◆
数日後。
ユーシスは何処か重い足取りで城館の玄関をくぐった。
アリアとの約束を直前キャンセルしてしまった上に、生誕パーティの出席のついでにその地域の視察巡回で数日も家を空けることになったのでアリアと顔を合わせるのが気まずい。
まあそれでもミリアムかアリサを誘うと言っていたので、オーダーメイドの浴衣できっと祭りを楽しんだのだろうとユーシスは考えていた。浴衣についてはユーシスはまだ完成品を見ていなかったのでアリアに改めて着てもらおうかと少しずつアリアに会う気持ちが前向きになってくる。
荷物を置いて一息ついたら彼女の部屋を訪ねようと廊下を進んでいると、ふとある一室の扉が薄らと開いているのが気になり足を止める。確かここは呉服屋を通した客間だ。
なんともなしにユーシスはその部屋を覗き込んだ。
2体のトルソーが浴衣を着て佇んでいる。
(…浴衣)
白色に鮮やかな桃色の花が咲き乱れる女性物の浴衣と、それに合わせた色柄の男性用の浴衣。
自分がオーダーメイドしたものでユーシスは眉を顰めた。
「あ、ユーシス様、おかえりなさいませ。」
「リロか。」
掃除途中のリロが声を掛けてきて、ちょうど良いとユーシスは彼女に浴衣について尋ねる。
「この部屋の浴衣は何故このままなんだ?アリアは着なかったのか?」
するとリロが悲しそうに眉を寄せ言いづらそうに口籠った。
「えっと、それはですね…」
「なんだ、はっきり言え。」
「は、はい…!その、浴衣があのままなのは、どなたもご覧になっていないので片付けるわけにもいかず…」
「誰も見ていない?アリアもか?」
「はい…」
ユーシスは耳を疑った。
アリアが浴衣を見てすらもいないとは俄かに信じがたかった。だって、ミリアムかアリサを誘うと――
いや、そう勧めたのは自分で、アリアはそれに対し簡素な返事しかしてなかったと記憶が蘇ってくる。あの時浮かべた笑顔もあまりに自然で、今思い返すと自分の気持ちを抑え込んでいる時のアリアの笑顔だったと頭を抱えたくなる。未だあの笑顔に誤魔化され続けていて、一向に見抜けない自分が情けなくなる。
「……アリアは…今どこに…?」
「…お部屋に。」
すっかり消沈して表情を暗くするユーシスを見てリロは戸惑いながらもアリアの部屋の方を指差した。
ユーシスはなんと返事をしたのか記憶が無いほどに焦燥感に苛まれながらアリアの部屋へと急いだ。一息なんてついていられない。
アリアの部屋の周りは静まり返っていた。それはただメイドたちが仕事を終えた後という至って普通のことだったが、ユーシスはまるで彼女が静かな悲しみに暮れているかのようだと思った。
「アリア?いるだろうか」
ノックをしながら問いかけると、思いの外軽い様子で扉が開きユーシスはドキリと心臓が跳ねた。
「あれ、ユーシス?おかえりなさい!」
にこりと笑顔が一つ。
よかった元気そうではないか。ユーシスはホッと安堵し掛けた。
いやいや待て待て。また誤魔化されるつもりかと気を取り直して注意深くアリアを観察する。
「帰ってすぐ来てくれたの?紅茶淹れる?」
ふにゃふにゃとした気の抜けた笑顔。腕に絡みついてきて部屋へと誘導してくる様子はどこからどう見てもいつも通りだった。
「ああ、頼む。」
「昨日作ったクッキーもあるの。待っててね。」
給湯室へと向かったアリアが部屋を出ていく。
杞憂だったかと思いながら部屋をなんともなしに見回すと、やたらと彼女のデスクが資料に埋もれていて何事かと目を見張った。
夏祭りに行く予定だったので比較的仕事は終わらせたつもりだったし、アリアも同様であるはずなのに一体何をこんなにも忙しそうにしているのだろうか。
やはり夏祭りには行かずに1人で仕事に没頭していた様子にユーシスは罪悪感で胃の辺りが重くなってくる。
「お待たせ〜。レモングラスを貰ってたからハーブティーにしちゃった…ってどうしたのユーシス…具合悪い?」
ユーシスの沈痛な面持ちにアリアが眉を顰めて近づいてくる。
顔を覗き込み、額に手を当ててくるが、当然熱などなくアリアは首を捻り不思議そうな顔をした。
「いや…何故夏祭りに行かなかったんだ?」
「え…?」
気がつけばユーシスの口からは疑問が飛び出していっていた。
もう少し様子を見て、言葉を選ぶべきだったと言葉を発してからユーシスは内心頭を抑えた。
「何故って…ユーシスと行きたかったんだもの…」
口を尖らせて拗ねたように呟くアリアをユーシスはたまらず抱きしめた。
「わ、わっ、どうしたの?」
「俺もお前と夏祭りに行きたかった…」
「ふふ……あははっ、何ユーシス、落ち込んでるの?」
笑っているアリアの肩が揺れる。
「確かに行けなかったのは残念だけど、また来年行けばいいかなって」
後ろに回された手が背中を優しく撫でた。
アリアは気にしていないようだったし、彼女のいう通り確かに今年限りのイベントということもない。
けれど、アリアの理想の浴衣を誂えて、2人で急いで仕事を終わらせて、初めての夏祭りを心待ちにしていたこの夏に抱いた気持ちは今年だけの想いだ。
ユーシスはそんなかけがえの無い想いを来年に持ち越してしまうだなんて勿体無いと思ったのだった。
「アリア、俺に考えがある。楽しみにしているといい。」
「ん…?うん?」
不思議そうに首を傾げるアリアの額に口付けを落としたユーシスはアリアの淹れてくれたハーブティーでようやく一息ついたのだった。
街路の花壇に満開を迎える向日葵が照りつける夏の日差しを浴びて燦々としているのを横目に見ながらアリアはパン屋の店先に貼られたポスターに釘付けになっていた。
(夏祭り……花火大会……!)
黒い背景に赤、緑、青と描かれる花火と、ポスターの4分の1ほどを占める大きさで書かれた【祭】の単語。下の方に小さく書かれた概要には屋台などの出店ともある。
「花火楽しみだね!」
「私、浴衣新調しちゃった!」
道行く女の子たちの楽しげなおしゃべりが自然と耳に入ってくる。
浴衣。
アリアはその単語を聞いて暫し考え込んだ。そうかみんなは夏ならではのおしゃれとして浴衣を着るのか。考えてみればあまり馴染みがなく、一体どういった装いになるのか想像もつかなかった。
この催し物には是非参加してみたい。
参加するならその浴衣なるもので着飾ってみたい。
アリアは早くも胸をワクワクさせながら帝都のブティックへと足を運んだのだった。
――
「ねぇっ、これとこれどっちがいいかな?」
帝都のブティック《ル・サージュ》で貰ってきた浴衣のカタログを広げ見せながら、アリアはユーシスに尋ねる。指さすのは白色にピンクの花模様の可愛らしい浴衣と、紺色に赤やピンクの花模様の落ち着いた浴衣との2種類。
眉間に皺を寄せその2つを交互に見たユーシスはやがて小さく呟くように答える。
「……知らん」
「知らんって!どっちが似合うと思うって聞いてるの!」
「どちらも似合うと思うが。」
なんとも適当である。
アリアも同じように眉間に皺をぐっと寄せユーシスをジトと睨む。しかし、ユーシスは少しも気にしていないようでアリアが一緒に持ってきた夏祭りのチラシを手にとると納得したように何度か頷いた。
「これに行きたいのか。」
「うん、そう。行こう?」
「そうだな……」
手帳を取り出し日付を確認したユーシス。
「今の所空いていそうだ。」
「わあっ、やったー!」
夏祭りデートだとアリアは嬉しくて笑みを漏らすと、それを見たユーシスがフッと口元を緩めて笑い、手帳に『夏祭り』と予定を書き込んでくれるのにさらに嬉しくてたまらなくなる。
「ねえ、ユーシスも浴衣着ていこう?」
「いや、俺は遠慮しておこう」
「ええっ、お揃いがいいのに」
「ふむ……」
ユーシスは少し考えるように黙り込むと、再びブティックのカタログに目を落としパラパラと何ページか捲った。
「結局アリアはどれにするんだ?」
「ん?んっと…どっちが好き…?白と紺」
改めて同じ質問をするとユーシスは意味ありげに笑みを見せ「楽しみにしているといい」と何故だかカタログを閉じてしまう。
「ええ?どういうこと?」
「俺の好みをアルノーに伝えて揃いのものを用意させておくと言う事だ」
「えっ!!」
目をまんまるくして驚くとユーシスがふわりと髪を撫でてくる。
「近頃は領地の仕事で忙しくさせていたからな。お前の望む通りにしよう。」
降り注ぐ甘い眼差しと額への口付けを受けながら、確かに最近は領地内と帝都の行き来が多く多忙な日が多かったと思い返す。
「ふふ、ご褒美ってこと?」
「まぁ、そういうことになるな。」
初めての夏祭りにユーシスと浴衣を着てお出かけできるだなんて、なんで素敵なご褒美だろうか。頑張った甲斐があったものだ。
「ありがと、ユーシス」
「ああ…なんだ、明日からも…お前に頼ることになりそうだからな」
「へ。」
先ほどの甘い眼差しはどこへやら、打って変わってバツが悪そうに逸らされる視線にアリアは思わず顔が引き攣った。
今日漸く大きな案件がひと段落したと思ったところだったのに。まだまだ忙しい日々が続くのかとアリアはうんざりしたが、まあ領地に領民がいる限り何もない日が来る事はないのであろう。夏祭りデートというご褒美を楽しみに明日からも頑張るかとアリアは意気込んだのであった。
あれよあれよと時はすぎ、今度は領地内を忙しく駆け回っていると夏祭りの日がいよいよ近づいてきた。専属侍女のリロからもう明日にも浴衣が完成しそうだと伝えられ、お披露目を心待ちにしながらなんとか夏祭りの日に暇ができるように仕事を調整したり終わらせていったのだった。
翌る日。
早速のユーシスからの呼び出しにアリアはついに浴衣が完成したのかと軽い足取りで廊下を進む。部屋の前につきノックを一つ。入室許可の声色がどこか暗く、アリアは首を傾げながらも部屋に入ると声の暗さが気のせいでなかったと分かるくらいに雰囲気が重く、アリアはさらに首を捻った。
「ああ、アリア……」
「ゆ、ユーシス?どうしたの……?」
執務室のデスクに座るユーシスのまるで深海の底の底から這い出てきたかのような沈鬱な様子に思わず声が上ずる。確かに忙しかったがここまで困憊するほどだっただろうか?それとも何かトラブルだろうか?
様々な考えを巡らせているとユーシスが重いため息と共に呟くように言葉を漏らした。
「すまない…夏祭りへ行けなくなってしまった」
「……え?」
その言葉をアリアは一瞬うまく聞き取れなかった。
行けなくなった?夏祭りに?行けなく?
「行けない…?!」
ユーシスに飛びかからん勢いでデスクに手をつき身を乗り出すアリア。
「どっ、どうして?!」
ユーシスの申し訳なさそうに揺れる瞳に責め立てる風になってしまったことを後悔して、アリアは気持ちを収めるよう深く息を吐いた。
「急な仕事で都合がつかなくなってしまった」
「うんっと…本当に急だね…」
「招待に応じる必要があってな…州のある地域を任せている貴族が生誕パーティを開くらしく、そちらに顔を出さねばならん」
ついパーティという単語に眉を顰めるとユーシスが「父の代から深い交流がある」と素早く補足を入れてくるのにアリアは何もいえなくなる。
わかる。領主として何を優先すべきなのか頭ではしっかりわかっている。大人として、ユーシスの補佐として、私情など挟むべきではないとアリアは必死に自分で言い聞かせた。
けれど心はどうしても釈然とせず、あんなに楽しみにしていた予定が目前にして霧散してしまうだなんて、なんてやるせないんだろうか。
なんで、どうして。
ただこの言葉が頭を巡った。こんなこと聞いたってユーシスを困らせるだけなことはわかりきっていたのでなんとか飲み込んで、吐き出ないようにもう一度大きく深く息を吐いた。
「…そっか、残念だな」
「本当にすまない。ミリアムかアリサを誘って…」
「そうするね。ところで何か手伝う事はある?」
もう夏祭りのことなど考えたくなかったアリアはユーシスの言葉を遮りにこりと笑いかけた。何も他のことを考えられないくらいに忙しくしていられるに越した事はないので追加の仕事はいくらでも歓迎だった。無論夏祭りに行く気は失せた。
「あ…いや、特には」
「そう。じゃあこの間話していた案件を進めておくね。」
「ッ…アリア!」
「ん?」
努めて明るく。アリアは笑顔を崩さず首を傾けた。
戸惑いの眼差しを向けてくるユーシスには申し訳ないと思いながらとりあえず1人になりたかったアリアは「じゃあ行くね」と強引に話を切り上げて執務室を飛び出した。
部屋へ帰る途中、まだ事情を知らないリロに完成した浴衣の確認をするかと声をかけられたが、浴衣なんて見てしまったら未練に溺れてしまいそうだったので適当な理由をつけて断り、アリアは部屋へ閉じこもり何も考えないように書類の書き込みや整理に没頭したのだった。
◆
数日後。
ユーシスは何処か重い足取りで城館の玄関をくぐった。
アリアとの約束を直前キャンセルしてしまった上に、生誕パーティの出席のついでにその地域の視察巡回で数日も家を空けることになったのでアリアと顔を合わせるのが気まずい。
まあそれでもミリアムかアリサを誘うと言っていたので、オーダーメイドの浴衣できっと祭りを楽しんだのだろうとユーシスは考えていた。浴衣についてはユーシスはまだ完成品を見ていなかったのでアリアに改めて着てもらおうかと少しずつアリアに会う気持ちが前向きになってくる。
荷物を置いて一息ついたら彼女の部屋を訪ねようと廊下を進んでいると、ふとある一室の扉が薄らと開いているのが気になり足を止める。確かここは呉服屋を通した客間だ。
なんともなしにユーシスはその部屋を覗き込んだ。
2体のトルソーが浴衣を着て佇んでいる。
(…浴衣)
白色に鮮やかな桃色の花が咲き乱れる女性物の浴衣と、それに合わせた色柄の男性用の浴衣。
自分がオーダーメイドしたものでユーシスは眉を顰めた。
「あ、ユーシス様、おかえりなさいませ。」
「リロか。」
掃除途中のリロが声を掛けてきて、ちょうど良いとユーシスは彼女に浴衣について尋ねる。
「この部屋の浴衣は何故このままなんだ?アリアは着なかったのか?」
するとリロが悲しそうに眉を寄せ言いづらそうに口籠った。
「えっと、それはですね…」
「なんだ、はっきり言え。」
「は、はい…!その、浴衣があのままなのは、どなたもご覧になっていないので片付けるわけにもいかず…」
「誰も見ていない?アリアもか?」
「はい…」
ユーシスは耳を疑った。
アリアが浴衣を見てすらもいないとは俄かに信じがたかった。だって、ミリアムかアリサを誘うと――
いや、そう勧めたのは自分で、アリアはそれに対し簡素な返事しかしてなかったと記憶が蘇ってくる。あの時浮かべた笑顔もあまりに自然で、今思い返すと自分の気持ちを抑え込んでいる時のアリアの笑顔だったと頭を抱えたくなる。未だあの笑顔に誤魔化され続けていて、一向に見抜けない自分が情けなくなる。
「……アリアは…今どこに…?」
「…お部屋に。」
すっかり消沈して表情を暗くするユーシスを見てリロは戸惑いながらもアリアの部屋の方を指差した。
ユーシスはなんと返事をしたのか記憶が無いほどに焦燥感に苛まれながらアリアの部屋へと急いだ。一息なんてついていられない。
アリアの部屋の周りは静まり返っていた。それはただメイドたちが仕事を終えた後という至って普通のことだったが、ユーシスはまるで彼女が静かな悲しみに暮れているかのようだと思った。
「アリア?いるだろうか」
ノックをしながら問いかけると、思いの外軽い様子で扉が開きユーシスはドキリと心臓が跳ねた。
「あれ、ユーシス?おかえりなさい!」
にこりと笑顔が一つ。
よかった元気そうではないか。ユーシスはホッと安堵し掛けた。
いやいや待て待て。また誤魔化されるつもりかと気を取り直して注意深くアリアを観察する。
「帰ってすぐ来てくれたの?紅茶淹れる?」
ふにゃふにゃとした気の抜けた笑顔。腕に絡みついてきて部屋へと誘導してくる様子はどこからどう見てもいつも通りだった。
「ああ、頼む。」
「昨日作ったクッキーもあるの。待っててね。」
給湯室へと向かったアリアが部屋を出ていく。
杞憂だったかと思いながら部屋をなんともなしに見回すと、やたらと彼女のデスクが資料に埋もれていて何事かと目を見張った。
夏祭りに行く予定だったので比較的仕事は終わらせたつもりだったし、アリアも同様であるはずなのに一体何をこんなにも忙しそうにしているのだろうか。
やはり夏祭りには行かずに1人で仕事に没頭していた様子にユーシスは罪悪感で胃の辺りが重くなってくる。
「お待たせ〜。レモングラスを貰ってたからハーブティーにしちゃった…ってどうしたのユーシス…具合悪い?」
ユーシスの沈痛な面持ちにアリアが眉を顰めて近づいてくる。
顔を覗き込み、額に手を当ててくるが、当然熱などなくアリアは首を捻り不思議そうな顔をした。
「いや…何故夏祭りに行かなかったんだ?」
「え…?」
気がつけばユーシスの口からは疑問が飛び出していっていた。
もう少し様子を見て、言葉を選ぶべきだったと言葉を発してからユーシスは内心頭を抑えた。
「何故って…ユーシスと行きたかったんだもの…」
口を尖らせて拗ねたように呟くアリアをユーシスはたまらず抱きしめた。
「わ、わっ、どうしたの?」
「俺もお前と夏祭りに行きたかった…」
「ふふ……あははっ、何ユーシス、落ち込んでるの?」
笑っているアリアの肩が揺れる。
「確かに行けなかったのは残念だけど、また来年行けばいいかなって」
後ろに回された手が背中を優しく撫でた。
アリアは気にしていないようだったし、彼女のいう通り確かに今年限りのイベントということもない。
けれど、アリアの理想の浴衣を誂えて、2人で急いで仕事を終わらせて、初めての夏祭りを心待ちにしていたこの夏に抱いた気持ちは今年だけの想いだ。
ユーシスはそんなかけがえの無い想いを来年に持ち越してしまうだなんて勿体無いと思ったのだった。
「アリア、俺に考えがある。楽しみにしているといい。」
「ん…?うん?」
不思議そうに首を傾げるアリアの額に口付けを落としたユーシスはアリアの淹れてくれたハーブティーでようやく一息ついたのだった。