2 - ルーレ
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翌朝
まだまだ眠たげなクロウが大きな欠伸を漏らした。それにつられたマキアスが口の中で噛み殺し、彼の目尻にうっすらと涙が溜まるのを見ながらアリアはこうしてみれば普通の男子学生だなとぼんやりと思う朝だった。
「うーん、空気が美味しい。山間部にあるから、結構空気も澄んでるよね。」
エリオットのその言葉の通り市街にいても感じる山間部の澄んだ空気は、街の様相が似通っているクロスベルとルーレの明確な相違であった。クロスベルよりもずっと澄んだ爽やかな空気をアリアもこっそりと肺へと流す。悪くない気分である。
昨晩はリィンとフィーの外出に気がついたアリサを結局宥めきることができなかったが、彼氏の浮気発覚に激昂した彼女よろしくリィンに通信をかける姿を見てアリアは2人の間柄を微笑ましく思った。しかし、クロウに2人の関係を聞くと『友達』というもんだから驚くと同時にアリサの見え見えの恋心に一層微笑ましさが深まったのだった。
その話の延長でまた盛り上がっている一行。
クレア大尉の私服にリィンが見惚れていたとかいなかったとか、年相応の会話にアリアは静かに耳を傾けていた。
ふむ、マキアスは年上のお姉さんがタイプと。アリアは自分もそうであるはずなのに何故仲良くなれないのかと首を捻った。
さて一行は実習2日目の依頼をこなしながら貴族派だという第一開発部の情報を探ることにするようだ。母に恩を着せようと意気込むアリサはなんとか悪い風に考えないように取り繕っているようにしか見えずにアリアは少し心配になる。
「さて、今日の依頼は…」
シャロンから受け取ったという依頼書。中には3項目ほど書かれている。
ノルティア街道の手配魔獣にガンユニットテスト、そして迷い猫の捜索だ。アリアはそれを見てふむなるほど、と思った。まるで特務支援課で受けていた依頼のようである。そしてつまりそれは遊撃士の依頼とも似通っているということになる。
ここ帝国では遊撃士ギルドの活動に圧力が掛けられ遊撃士の姿を全く見ない。本来こういった民間の雑務をこなすのがそれぞれの領の領邦軍となるが、実際はまあ想像に易い。
そんな国内の実態を憂いたのか、はたまたもっと先を見越してなのか、このⅦ組の設立を決定したのがあのオリヴァルト皇子だというのだから更に納得である。
「アリアもそれでいいかしら?」
成り行きを見守っていると突然アリサが振り返り問いかけてくる。アリアとしては実習自体に深く関与するつもりはなかったので正直あまり聞いておらず慌てて首肯すると、真紅の瞳がジトっと細められた。
「本当に聞いていたのかしら…?」
「えっ、とそれは…」
「護衛なのかもしれないけど、仲間になった以上実習にはちゃーんと参加してもらうわよ!」
逃がさないぞという意思表明なのかがっしりと腕を組んでくるアリサ。そして反対側には完全に揶揄い便乗のフィーが腕に絡みついた。
「おっと、これは逃げられないな」
「あはは…でも正直参加してくれたら頼もしいよね」
エリオットの言葉にマキアスがすぐに頷くのに信用はされているのかとアリアは意外に思った。
それにしてもアリサの強引さには驚いてしまうが、これもアリアがあまり実習に乗り気でないのを見透かしての行動なのだろう。面倒だなという気持ちは拭えないが、それよりもマキアスのように敬遠されるよりは遥かにマシだとアリアは女子2人の拘束を甘んじて受け入れるのであった。
「うーん降参。ちゃんと参加する」
「はは…そうしてもらえると助かるよ」
「っしゃ、楽できそうだぜ」
頭の後ろで手を組んだクロウが嬉々として漏らすのにアリサとマキアスの鋭い視線がクロウを突き刺した。
「おいおい…冗談だって…」
「まあいいわ、ともかくまずはガンユニットの話を聞きに武器屋へと行きましょう。すぐそこよ。」
みんなそれぞれに頷き、ぞろぞろと移動を始める。アリアも両腕を解放されると思いきや何故か2人が引っ付いたままで、まるで連行されているかのようである。
RF本社ビル前のホテルを通り過ぎたすぐ先にルーレ武器屋の《RFアームズ》はあった。中に入ると2人の店員がおり、棚を整理していた男性の方が振り返りにこやかに近づいてきた。
「皆さんは士官学院の…これはこれは、よくきてくださいました。」
なんだか穏和そうな雰囲気で馴染みやすく、アリアは初めての依頼ということでどんなもんかと少し緊張していたが、特務支援課で経験した雰囲気とさほど変わらずホッと静かに肩の力を抜く。
おそらくこの男性が依頼主のサンディとやらだろうが、リィンが代表して確認の質問をする。
「あなたが俺たちに依頼をくれたサンディさんですね。」
「ええ、そうなります。しかし、まさかアリサお嬢さんがご一緒とは。何度かお見かけはしていますが…こうしてお会いできて光栄です。」
「あはは、どうもありがとうございます。」
アリアはアリサの控えめな笑顔を見ながら社交辞令の面倒さを目の当たりにしている気分になったのであった。
「ふむ、では改めて自己紹介を。私は『第二製作所』に属する銃器開発部門の主任を務めているサンディと申します。今後ともどうか一つよろしくお願いします。」
サンディは全員の顔をサッと見回した後、アリサに一際深い笑みを向けて軽く一礼した。まあRF社の社員だ。自分の会社の会長令嬢を贔屓するのは当然だろう。今回の依頼が昇進などのきっかけになってもおかしくないので媚は売っておくに越したことはない。
どこの世界にもそういった媚びたり諂ったりというのが存在していて面倒極まりないなとアリアは会話から逃げるように一歩引く。すると、距離の近くなったクロウが小声で話しかけてくる。
(…ああいうのだりぃよな)
(ね。わたし苦手だわ。)
肩をすくめて見せるとクロウが顎で前方を差すのにそちらに視線を向ける。エリオットとリィンが小声で話していて、どうやら同じくアリサの大変さについての話題のようだった。
みんな同じことを感じるか、とアリアは同じ価値観に安堵すると同時に未だサンディのゴマすりを受けるアリサを手助けると言う意味でもさっさと話を進めた方がいいだろうと口を開いた。あまり関与しないつもりだったが致し方ない。
「ところで今回のご依頼について話を伺っても?」
サンディは虚を突かれたかのようにハタとアリアを見たが、すぐににこりと笑みを取り戻し「ああ、そうでしたね」と話し始めた。
アリサが小さく一息吐くのを横目に見ながら、アリアも同じように笑みを浮かべてサンディに小さく頷く。
「今回お願いしたいのは、新型導力銃の実戦テストとなります。なので、皆さんというより導力銃を扱える方にお願いする形になりますが……どうでしょう、引き受けていただけますか?」
導力銃のテストということはアリアでは全く貢献できないということになる。導力銃というと真っ先にエリィが思い浮かんだが、このⅦ組A班の中では誰が扱えるのだろうか。フィーが該当することは分かるが…とみんなを見るとそれぞれの視線が該当者に無意識に向けられていて、フィー、マキアス、そして意外にもクロウということを察するアリア。
勝手な印象ではあるがクロウの体格から彼が近接武器を扱うと思っていたアリア。大きめの肩にしっかりしていそうな胸板は制服越しでも見て取れるが、確かにホルスターに2丁の拳銃が収まっており、彼の得物が導力銃だということを物語っている。
俄かに信じがたい思いを抱きながらクロウの全身を見ていると、真紅の瞳が怪訝そうに細められ「んだよ」と肘で小突かれる。
まぁ、あんまりジロジロ見ていても失礼だし、何よりクロウの得物がなんであろうとアリアには関係ない。例え銃が変形して誰よりも前線で戦っていたとしても、従来通り後方で弾丸を放っていたとしてもアリアのすることは変わらない。それに、趣味で体を鍛えているだけかもしれないし、とアリアは深く考えるのをやめたのであった。
気がつけば依頼の話は承諾後の具体的な内容についての話に移っており、オーバルユニットなるものの説明がされている。
オーバルユニットは導力銃が弾丸を発射するのに必要なエネルギーを発生させる内部機構だ。クロスベルでティオやエリィがそんなことを言っていた気がするとぼんやりと思い返す。
「……はぁ」
事あるごとに彼らの思い出が心を揺るがす。
それはこんな短期間では色褪せるはずはなく、むしろ手の届かぬ憧憬として鮮やかに胸を焦がした。
決して割り切れたわけではないことを痛感する。
無意識にため息が漏れ、慌てて周りを確認するとリィンたちは変わらずサンディ主任と依頼の話を進めており胸を撫で下ろすが、横から視線を感じ、そちらを向く。
「……なにかしら」
今度はクロウがこちらを見ていた。
「いんや、なんでも。」
あの感情の読めぬ薄い笑みを浮かべかぶりを振ると頭の後ろで手を組む。そして、視線が外れ依頼の方に意識を向けたようだった。
恐らく彼にはため息が気づかれただろう。それでも言及してこないことには感謝すべきか。
アリアはクロウのあの笑みを苦手だと思った。
「場所はザクセン山道ね。」
「早速向かうでいいか?」
リィンの全体への問いかけに慌てて首肯する。
どうやらすっかり依頼の話がまとまり移動をするようだ。あまり話を聞いていなかったが自分には直接的には関係がないテストのようだし一先ず後をついていくだけでいいか、と軽く考えていると近くにアリサが寄ってきてがっしりと腕を掴まれる。
「…ん?」
「アリア?これからどこに向かうか分かるかしら」
「…えっと……ザクセン山道、だよね」
「じゃあ導力銃のテストをするのは?」
「えと…」
そのあたりは全く話を聞いていなかったので口篭るとアリサが満面の笑みでアリアの腕を掴む力を強める。こんなにも愛らしい笑顔なのになんて恐ろしいのかと戦慄してしまう。
「テストの討伐対象は?何体討伐する必要があるかしら」
矢継ぎ早にアリアの聞いていなかった部分をピンポイントで質問攻めにしてくるのにアリアはたじろぎ、大人しく己の非を認めるのであった。
「…ごめんなさい、全然聞いてませんでした。」
「っもう!ちゃんと参加してって言ったでしょう。」
「アリア、嘘はよくない。」
フィーにも窘められてしまい、素直に申し訳ないと頭を下げる。ついさっき『参加する』と自分の口で宣言したばかりなのに。信頼関係を築くという意味でも以降真面目に実習に参加しなければと気を引き締める。
「分かってくれたならいいわ。行きすがら説明してあげる。」
「ありがとう、アリサ」
今度はやわらかい笑みが返ってきて先程のような威圧感は無く一安心するが、腕が絡みつき再び連行されるのにデジャブかとアリアは苦笑いを漏らす。
ザクセン山道へ向かうのにしばらく市街を進んでいると、ぽそりとアリサが話しかけてきた。
「…さっきは助かったわ」
「うん?」
「あの、依頼の話を進めてくれて」
「ああ…まあ、大変そうだなって思って」
見れば頬を染めたアリサが気恥ずかしそうに視線を泳がせながら、アリアにしか聞こえないくらいの小さな声で呟く。
「…ありがとう」
恥じらう美少女をこんなに間近に拝めるとは。
アリアは返事も忘れ、その少し潤んだルビーのように美しい赤い瞳を見つめていた。
「…な、なによ」
「えっ、あ、いや、可愛いなと思って」
「へっ?!」
頬がさらに赤く染まり、果実のようにまんまるに瞳が見開かれる。
パッと腕が離され、アリサが遠のいていくのにアリアは何か悪いことを言ったかと不安になる。思ったことをただ言っただけなのに、同性だが都合が悪かっただろうか。
「ば、ばかっ!」
勢いよく体を翻し、足音荒く先へ進んでしまうアリサの背中をアリアは凝然と見つめた。
「あはは…アリアって随分大胆なんだね」
「あれは照れても仕方ないですよ」
エリオットとマキアスの言葉にリィンも大きく頷く。
恥ずかしがらせてしまったなら申し訳ないし、確かによく考えればアリアも逆の立場だったらとても驚くだろうなと思うのであった。
「でも、アリサ、あれは喜んでるよ」
「口ではああ言ってたが、少なくとも怒ってはなさそうだな」
「ほらー!みんな早くいくわよ!」
2人の言う通り、少し遠くで声をかけてくるアリサの調子はもう元に戻っている、というかむしろ元気そうである。
小走りで追いつくとすぐに隣に来て改めて依頼内容について説明してくれるアリサ。美少女に親切にしてもらえるだなんて新しい仕事も悪くない、と少しだけ思えたのであった。
――
市街を出てしばらく進むと切り立った岩壁が多くなりザクセン山道に出たのだと思わせた。マインツ方面と似た雰囲気で、ここも同じく砂利が多く歩きにくいと思っていると、頭上に影が過り、隣を歩くオレンジ色が驚いてよろめき転びそうになるのをアリアは咄嗟に手を伸ばして支えた。
「うわわっ!」
「おっと、大丈夫?」
「び、びっくりしたぁ…!」
オレンジ色、もといエリオットがぱちくりと瞬きを繰り返す。
「あ、ダンシングオゥル」
「さっそくお出ましか」
標的の鳥型魔獣のダンシングオゥルが行手を阻んだ。
テスト担当者であるフィーが支給された双銃剣『ブラックレイド』を構え、標的を含む魔獣の一群と対峙する。リィンとマキアスがフォローに入るのを横目に見ながら、アリアはエリオットが体制を整えるのに手を貸した。
「平気?」
「う、うん!突然飛び出してくるから僕驚いちゃったよ…」
「でも怪我がなくてよかったわ」
「支えてくれてありがとう、アリア」
返事の代わりに笑みを返すとエリオットもニコニコと懐っこい笑みを浮かべる。女子顔負けのくりくりの瞳の愛らしい顔立ちに小柄な体型のエリオット。ただ黙って座っていればボーイッシュな女の子だと見間違うほどである。
ついうっかりまた「可愛いね」だなんて漏らしそうになりアリアは言葉を飲み込み、脚のホルスターからナイフを抜いてあたりを見回した。
女の子のアリサに言っただけであんな反応をされたのだから、男の子のエリオットにそんな感想を漏らしたら軽蔑されてしまうかもしれない。
「わたし、標的以外を倒してくるわね」
「えっ」
件のダンシングオゥル以外にも魔獣の姿が多く見受けられ、スムーズに依頼をこなすためにも一時の別行動は無くはない選択肢だと思い、戸惑うエリオットに笑いかけると山道の先へと足を踏み出した。
「アリア!私もいくわ!」
「ん?そう?」
「単独行動は良くないぜってなったばっかだろ?」
アリサとクロウが武器を手に同行を提案してくれる。しかも、拒否しても無理矢理にでもついてきそうな勢いである。
幸いにも2人とも遠距離武器だ。クロウは言わずもがな、アリサは導力弓だ。先導と特攻はアリアが担当して、2人には適当に後方から支援してもらえたら良いかとアリアは二つ返事で2人の同行を承諾した。
ひらひらと踊るように宙を舞うダンシングオゥルを避けながら足場の悪い山道を進む。虫型魔獣はどうにも気持ちが悪く、長く視界に映らないように優先的に殲滅していく。
クロスベルでのあの事件以来、クロイツェン州連邦軍の訓練に数度参加したくらいで久々の戦闘だったが問題なく動けるようで一安心する。結構な傷を負った気がしたが、連れ去られた時よほど良い治療をしてもらえたのか、はたまた公爵家の事後処置が良かったのか、治った今となってはどちらでもよかった。
遜色なく動く身体に気分が良くなり、つい後方にアリサとクロウが控えていることを失念して次々に魔獣にとどめを指していく。この辺りの魔獣はさほど強くは無く、テンポ良く戦闘が進むのも拍車をかけていたようで、気がつけば見晴らしの良い中腹あたりまで来てしまったようだ。
「ちょ…ちょっと、アリア!」
「いやー、ついていくので精一杯とは」
声にハッとして振り返ると、息を切らしたアリサと苦笑いのクロウが小走りで追いついてくる。
「ご、ごめん…なんか夢中になっちゃって…」
「ものすごい速さで進んでっちゃって驚いたわ…」
「しかし、Ⅶ組の護衛ってのは伊達じゃないようだな」
「あら、実力疑ってたの?」
「まあ…アリアが護衛される方って言われても不思議ではないものね」
「だなぁ。実際に見るまでちょい疑ってたのはホントだな」
クロウとアリサが顔を見合わせて苦笑いするのにアリアは変に納得してしまう。お世辞にも屈強な見た目ではないし、年もそれほどまで重ねていないので疑いたくなる気持ちもわからないでもない。
「ムキムキのマッチョになれば様になるかな…」
「ええっ、それはどうかしら…」
冗談なのにアリサが本気で心配しているのにアリアは笑いを漏らした。
見たてではここまでの道のりでダンシングオゥルの討伐数は達成できるだろうと3人は一息入れ、残りのメンバーの到着を待つことにする。
アリアは眼前に広がる鉱山地帯を見渡し、その圧巻の景色にため息を漏らした。マインツ山道よりも緑が多く、より荘厳さを感じさせる気がした。
「…確か、クロスベルにも似たような場所があったよな」
気がつけばクロウが横に来て、同じように景色を見渡していた。
「マインツ山道ね。今ちょうど考えてたよ」
「懐かしいか?」
懐かしいかどうか――
アリアはふと考えた。
帝国に来てから日は浅く、ましてやクロスベル市街で連れ去られる直前にはマインツ方面にいたこともあって、この鉱山地帯の景色はむしろ近しい記憶であるはずなのに。
「――そうね。とても。」
今のアリアにとっては、遥か遠い記憶のように思えたのだった。
「……ふぅん。」
クロウはそう相槌を打ち景色ではなくアリアの横顔をじっと見つめていたが、後方から賑やかな話し声が聞こえてきてリィン達後方組が追いついてきたことを知るとそちらへと合流していく。
アリアはその背中を見送りながらそっとため息をつく。自分をよく見てくるクロウの視線に居心地の悪さを感じながらも、その瞳が孕む仄暗い闇に親近感のような何かを感じ始めていたのだった。
まだまだ眠たげなクロウが大きな欠伸を漏らした。それにつられたマキアスが口の中で噛み殺し、彼の目尻にうっすらと涙が溜まるのを見ながらアリアはこうしてみれば普通の男子学生だなとぼんやりと思う朝だった。
「うーん、空気が美味しい。山間部にあるから、結構空気も澄んでるよね。」
エリオットのその言葉の通り市街にいても感じる山間部の澄んだ空気は、街の様相が似通っているクロスベルとルーレの明確な相違であった。クロスベルよりもずっと澄んだ爽やかな空気をアリアもこっそりと肺へと流す。悪くない気分である。
昨晩はリィンとフィーの外出に気がついたアリサを結局宥めきることができなかったが、彼氏の浮気発覚に激昂した彼女よろしくリィンに通信をかける姿を見てアリアは2人の間柄を微笑ましく思った。しかし、クロウに2人の関係を聞くと『友達』というもんだから驚くと同時にアリサの見え見えの恋心に一層微笑ましさが深まったのだった。
その話の延長でまた盛り上がっている一行。
クレア大尉の私服にリィンが見惚れていたとかいなかったとか、年相応の会話にアリアは静かに耳を傾けていた。
ふむ、マキアスは年上のお姉さんがタイプと。アリアは自分もそうであるはずなのに何故仲良くなれないのかと首を捻った。
さて一行は実習2日目の依頼をこなしながら貴族派だという第一開発部の情報を探ることにするようだ。母に恩を着せようと意気込むアリサはなんとか悪い風に考えないように取り繕っているようにしか見えずにアリアは少し心配になる。
「さて、今日の依頼は…」
シャロンから受け取ったという依頼書。中には3項目ほど書かれている。
ノルティア街道の手配魔獣にガンユニットテスト、そして迷い猫の捜索だ。アリアはそれを見てふむなるほど、と思った。まるで特務支援課で受けていた依頼のようである。そしてつまりそれは遊撃士の依頼とも似通っているということになる。
ここ帝国では遊撃士ギルドの活動に圧力が掛けられ遊撃士の姿を全く見ない。本来こういった民間の雑務をこなすのがそれぞれの領の領邦軍となるが、実際はまあ想像に易い。
そんな国内の実態を憂いたのか、はたまたもっと先を見越してなのか、このⅦ組の設立を決定したのがあのオリヴァルト皇子だというのだから更に納得である。
「アリアもそれでいいかしら?」
成り行きを見守っていると突然アリサが振り返り問いかけてくる。アリアとしては実習自体に深く関与するつもりはなかったので正直あまり聞いておらず慌てて首肯すると、真紅の瞳がジトっと細められた。
「本当に聞いていたのかしら…?」
「えっ、とそれは…」
「護衛なのかもしれないけど、仲間になった以上実習にはちゃーんと参加してもらうわよ!」
逃がさないぞという意思表明なのかがっしりと腕を組んでくるアリサ。そして反対側には完全に揶揄い便乗のフィーが腕に絡みついた。
「おっと、これは逃げられないな」
「あはは…でも正直参加してくれたら頼もしいよね」
エリオットの言葉にマキアスがすぐに頷くのに信用はされているのかとアリアは意外に思った。
それにしてもアリサの強引さには驚いてしまうが、これもアリアがあまり実習に乗り気でないのを見透かしての行動なのだろう。面倒だなという気持ちは拭えないが、それよりもマキアスのように敬遠されるよりは遥かにマシだとアリアは女子2人の拘束を甘んじて受け入れるのであった。
「うーん降参。ちゃんと参加する」
「はは…そうしてもらえると助かるよ」
「っしゃ、楽できそうだぜ」
頭の後ろで手を組んだクロウが嬉々として漏らすのにアリサとマキアスの鋭い視線がクロウを突き刺した。
「おいおい…冗談だって…」
「まあいいわ、ともかくまずはガンユニットの話を聞きに武器屋へと行きましょう。すぐそこよ。」
みんなそれぞれに頷き、ぞろぞろと移動を始める。アリアも両腕を解放されると思いきや何故か2人が引っ付いたままで、まるで連行されているかのようである。
RF本社ビル前のホテルを通り過ぎたすぐ先にルーレ武器屋の《RFアームズ》はあった。中に入ると2人の店員がおり、棚を整理していた男性の方が振り返りにこやかに近づいてきた。
「皆さんは士官学院の…これはこれは、よくきてくださいました。」
なんだか穏和そうな雰囲気で馴染みやすく、アリアは初めての依頼ということでどんなもんかと少し緊張していたが、特務支援課で経験した雰囲気とさほど変わらずホッと静かに肩の力を抜く。
おそらくこの男性が依頼主のサンディとやらだろうが、リィンが代表して確認の質問をする。
「あなたが俺たちに依頼をくれたサンディさんですね。」
「ええ、そうなります。しかし、まさかアリサお嬢さんがご一緒とは。何度かお見かけはしていますが…こうしてお会いできて光栄です。」
「あはは、どうもありがとうございます。」
アリアはアリサの控えめな笑顔を見ながら社交辞令の面倒さを目の当たりにしている気分になったのであった。
「ふむ、では改めて自己紹介を。私は『第二製作所』に属する銃器開発部門の主任を務めているサンディと申します。今後ともどうか一つよろしくお願いします。」
サンディは全員の顔をサッと見回した後、アリサに一際深い笑みを向けて軽く一礼した。まあRF社の社員だ。自分の会社の会長令嬢を贔屓するのは当然だろう。今回の依頼が昇進などのきっかけになってもおかしくないので媚は売っておくに越したことはない。
どこの世界にもそういった媚びたり諂ったりというのが存在していて面倒極まりないなとアリアは会話から逃げるように一歩引く。すると、距離の近くなったクロウが小声で話しかけてくる。
(…ああいうのだりぃよな)
(ね。わたし苦手だわ。)
肩をすくめて見せるとクロウが顎で前方を差すのにそちらに視線を向ける。エリオットとリィンが小声で話していて、どうやら同じくアリサの大変さについての話題のようだった。
みんな同じことを感じるか、とアリアは同じ価値観に安堵すると同時に未だサンディのゴマすりを受けるアリサを手助けると言う意味でもさっさと話を進めた方がいいだろうと口を開いた。あまり関与しないつもりだったが致し方ない。
「ところで今回のご依頼について話を伺っても?」
サンディは虚を突かれたかのようにハタとアリアを見たが、すぐににこりと笑みを取り戻し「ああ、そうでしたね」と話し始めた。
アリサが小さく一息吐くのを横目に見ながら、アリアも同じように笑みを浮かべてサンディに小さく頷く。
「今回お願いしたいのは、新型導力銃の実戦テストとなります。なので、皆さんというより導力銃を扱える方にお願いする形になりますが……どうでしょう、引き受けていただけますか?」
導力銃のテストということはアリアでは全く貢献できないということになる。導力銃というと真っ先にエリィが思い浮かんだが、このⅦ組A班の中では誰が扱えるのだろうか。フィーが該当することは分かるが…とみんなを見るとそれぞれの視線が該当者に無意識に向けられていて、フィー、マキアス、そして意外にもクロウということを察するアリア。
勝手な印象ではあるがクロウの体格から彼が近接武器を扱うと思っていたアリア。大きめの肩にしっかりしていそうな胸板は制服越しでも見て取れるが、確かにホルスターに2丁の拳銃が収まっており、彼の得物が導力銃だということを物語っている。
俄かに信じがたい思いを抱きながらクロウの全身を見ていると、真紅の瞳が怪訝そうに細められ「んだよ」と肘で小突かれる。
まぁ、あんまりジロジロ見ていても失礼だし、何よりクロウの得物がなんであろうとアリアには関係ない。例え銃が変形して誰よりも前線で戦っていたとしても、従来通り後方で弾丸を放っていたとしてもアリアのすることは変わらない。それに、趣味で体を鍛えているだけかもしれないし、とアリアは深く考えるのをやめたのであった。
気がつけば依頼の話は承諾後の具体的な内容についての話に移っており、オーバルユニットなるものの説明がされている。
オーバルユニットは導力銃が弾丸を発射するのに必要なエネルギーを発生させる内部機構だ。クロスベルでティオやエリィがそんなことを言っていた気がするとぼんやりと思い返す。
「……はぁ」
事あるごとに彼らの思い出が心を揺るがす。
それはこんな短期間では色褪せるはずはなく、むしろ手の届かぬ憧憬として鮮やかに胸を焦がした。
決して割り切れたわけではないことを痛感する。
無意識にため息が漏れ、慌てて周りを確認するとリィンたちは変わらずサンディ主任と依頼の話を進めており胸を撫で下ろすが、横から視線を感じ、そちらを向く。
「……なにかしら」
今度はクロウがこちらを見ていた。
「いんや、なんでも。」
あの感情の読めぬ薄い笑みを浮かべかぶりを振ると頭の後ろで手を組む。そして、視線が外れ依頼の方に意識を向けたようだった。
恐らく彼にはため息が気づかれただろう。それでも言及してこないことには感謝すべきか。
アリアはクロウのあの笑みを苦手だと思った。
「場所はザクセン山道ね。」
「早速向かうでいいか?」
リィンの全体への問いかけに慌てて首肯する。
どうやらすっかり依頼の話がまとまり移動をするようだ。あまり話を聞いていなかったが自分には直接的には関係がないテストのようだし一先ず後をついていくだけでいいか、と軽く考えていると近くにアリサが寄ってきてがっしりと腕を掴まれる。
「…ん?」
「アリア?これからどこに向かうか分かるかしら」
「…えっと……ザクセン山道、だよね」
「じゃあ導力銃のテストをするのは?」
「えと…」
そのあたりは全く話を聞いていなかったので口篭るとアリサが満面の笑みでアリアの腕を掴む力を強める。こんなにも愛らしい笑顔なのになんて恐ろしいのかと戦慄してしまう。
「テストの討伐対象は?何体討伐する必要があるかしら」
矢継ぎ早にアリアの聞いていなかった部分をピンポイントで質問攻めにしてくるのにアリアはたじろぎ、大人しく己の非を認めるのであった。
「…ごめんなさい、全然聞いてませんでした。」
「っもう!ちゃんと参加してって言ったでしょう。」
「アリア、嘘はよくない。」
フィーにも窘められてしまい、素直に申し訳ないと頭を下げる。ついさっき『参加する』と自分の口で宣言したばかりなのに。信頼関係を築くという意味でも以降真面目に実習に参加しなければと気を引き締める。
「分かってくれたならいいわ。行きすがら説明してあげる。」
「ありがとう、アリサ」
今度はやわらかい笑みが返ってきて先程のような威圧感は無く一安心するが、腕が絡みつき再び連行されるのにデジャブかとアリアは苦笑いを漏らす。
ザクセン山道へ向かうのにしばらく市街を進んでいると、ぽそりとアリサが話しかけてきた。
「…さっきは助かったわ」
「うん?」
「あの、依頼の話を進めてくれて」
「ああ…まあ、大変そうだなって思って」
見れば頬を染めたアリサが気恥ずかしそうに視線を泳がせながら、アリアにしか聞こえないくらいの小さな声で呟く。
「…ありがとう」
恥じらう美少女をこんなに間近に拝めるとは。
アリアは返事も忘れ、その少し潤んだルビーのように美しい赤い瞳を見つめていた。
「…な、なによ」
「えっ、あ、いや、可愛いなと思って」
「へっ?!」
頬がさらに赤く染まり、果実のようにまんまるに瞳が見開かれる。
パッと腕が離され、アリサが遠のいていくのにアリアは何か悪いことを言ったかと不安になる。思ったことをただ言っただけなのに、同性だが都合が悪かっただろうか。
「ば、ばかっ!」
勢いよく体を翻し、足音荒く先へ進んでしまうアリサの背中をアリアは凝然と見つめた。
「あはは…アリアって随分大胆なんだね」
「あれは照れても仕方ないですよ」
エリオットとマキアスの言葉にリィンも大きく頷く。
恥ずかしがらせてしまったなら申し訳ないし、確かによく考えればアリアも逆の立場だったらとても驚くだろうなと思うのであった。
「でも、アリサ、あれは喜んでるよ」
「口ではああ言ってたが、少なくとも怒ってはなさそうだな」
「ほらー!みんな早くいくわよ!」
2人の言う通り、少し遠くで声をかけてくるアリサの調子はもう元に戻っている、というかむしろ元気そうである。
小走りで追いつくとすぐに隣に来て改めて依頼内容について説明してくれるアリサ。美少女に親切にしてもらえるだなんて新しい仕事も悪くない、と少しだけ思えたのであった。
――
市街を出てしばらく進むと切り立った岩壁が多くなりザクセン山道に出たのだと思わせた。マインツ方面と似た雰囲気で、ここも同じく砂利が多く歩きにくいと思っていると、頭上に影が過り、隣を歩くオレンジ色が驚いてよろめき転びそうになるのをアリアは咄嗟に手を伸ばして支えた。
「うわわっ!」
「おっと、大丈夫?」
「び、びっくりしたぁ…!」
オレンジ色、もといエリオットがぱちくりと瞬きを繰り返す。
「あ、ダンシングオゥル」
「さっそくお出ましか」
標的の鳥型魔獣のダンシングオゥルが行手を阻んだ。
テスト担当者であるフィーが支給された双銃剣『ブラックレイド』を構え、標的を含む魔獣の一群と対峙する。リィンとマキアスがフォローに入るのを横目に見ながら、アリアはエリオットが体制を整えるのに手を貸した。
「平気?」
「う、うん!突然飛び出してくるから僕驚いちゃったよ…」
「でも怪我がなくてよかったわ」
「支えてくれてありがとう、アリア」
返事の代わりに笑みを返すとエリオットもニコニコと懐っこい笑みを浮かべる。女子顔負けのくりくりの瞳の愛らしい顔立ちに小柄な体型のエリオット。ただ黙って座っていればボーイッシュな女の子だと見間違うほどである。
ついうっかりまた「可愛いね」だなんて漏らしそうになりアリアは言葉を飲み込み、脚のホルスターからナイフを抜いてあたりを見回した。
女の子のアリサに言っただけであんな反応をされたのだから、男の子のエリオットにそんな感想を漏らしたら軽蔑されてしまうかもしれない。
「わたし、標的以外を倒してくるわね」
「えっ」
件のダンシングオゥル以外にも魔獣の姿が多く見受けられ、スムーズに依頼をこなすためにも一時の別行動は無くはない選択肢だと思い、戸惑うエリオットに笑いかけると山道の先へと足を踏み出した。
「アリア!私もいくわ!」
「ん?そう?」
「単独行動は良くないぜってなったばっかだろ?」
アリサとクロウが武器を手に同行を提案してくれる。しかも、拒否しても無理矢理にでもついてきそうな勢いである。
幸いにも2人とも遠距離武器だ。クロウは言わずもがな、アリサは導力弓だ。先導と特攻はアリアが担当して、2人には適当に後方から支援してもらえたら良いかとアリアは二つ返事で2人の同行を承諾した。
ひらひらと踊るように宙を舞うダンシングオゥルを避けながら足場の悪い山道を進む。虫型魔獣はどうにも気持ちが悪く、長く視界に映らないように優先的に殲滅していく。
クロスベルでのあの事件以来、クロイツェン州連邦軍の訓練に数度参加したくらいで久々の戦闘だったが問題なく動けるようで一安心する。結構な傷を負った気がしたが、連れ去られた時よほど良い治療をしてもらえたのか、はたまた公爵家の事後処置が良かったのか、治った今となってはどちらでもよかった。
遜色なく動く身体に気分が良くなり、つい後方にアリサとクロウが控えていることを失念して次々に魔獣にとどめを指していく。この辺りの魔獣はさほど強くは無く、テンポ良く戦闘が進むのも拍車をかけていたようで、気がつけば見晴らしの良い中腹あたりまで来てしまったようだ。
「ちょ…ちょっと、アリア!」
「いやー、ついていくので精一杯とは」
声にハッとして振り返ると、息を切らしたアリサと苦笑いのクロウが小走りで追いついてくる。
「ご、ごめん…なんか夢中になっちゃって…」
「ものすごい速さで進んでっちゃって驚いたわ…」
「しかし、Ⅶ組の護衛ってのは伊達じゃないようだな」
「あら、実力疑ってたの?」
「まあ…アリアが護衛される方って言われても不思議ではないものね」
「だなぁ。実際に見るまでちょい疑ってたのはホントだな」
クロウとアリサが顔を見合わせて苦笑いするのにアリアは変に納得してしまう。お世辞にも屈強な見た目ではないし、年もそれほどまで重ねていないので疑いたくなる気持ちもわからないでもない。
「ムキムキのマッチョになれば様になるかな…」
「ええっ、それはどうかしら…」
冗談なのにアリサが本気で心配しているのにアリアは笑いを漏らした。
見たてではここまでの道のりでダンシングオゥルの討伐数は達成できるだろうと3人は一息入れ、残りのメンバーの到着を待つことにする。
アリアは眼前に広がる鉱山地帯を見渡し、その圧巻の景色にため息を漏らした。マインツ山道よりも緑が多く、より荘厳さを感じさせる気がした。
「…確か、クロスベルにも似たような場所があったよな」
気がつけばクロウが横に来て、同じように景色を見渡していた。
「マインツ山道ね。今ちょうど考えてたよ」
「懐かしいか?」
懐かしいかどうか――
アリアはふと考えた。
帝国に来てから日は浅く、ましてやクロスベル市街で連れ去られる直前にはマインツ方面にいたこともあって、この鉱山地帯の景色はむしろ近しい記憶であるはずなのに。
「――そうね。とても。」
今のアリアにとっては、遥か遠い記憶のように思えたのだった。
「……ふぅん。」
クロウはそう相槌を打ち景色ではなくアリアの横顔をじっと見つめていたが、後方から賑やかな話し声が聞こえてきてリィン達後方組が追いついてきたことを知るとそちらへと合流していく。
アリアはその背中を見送りながらそっとため息をつく。自分をよく見てくるクロウの視線に居心地の悪さを感じながらも、その瞳が孕む仄暗い闇に親近感のような何かを感じ始めていたのだった。