2 - ルーレ
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レポートをなんとかまとめあげたリィンたちは、残りの時間を自由行動にするらしく、それぞれ思い思いの場所に散っていった。
アリアはマキアスの行く図書室もいってみたかったし、クロウとエリオットの話す学院祭とやらの話も大層気になったが、とりあえずは同性の子達と仲良くなることから始めた方がいいだろうと、部屋に向かうアリサとフィーの後をついていくのだった。
「ここが私の部屋よ。」
「おお、豪華」
「すごい、広い!それにすごくおしゃれね」
2人の素直な感想にアリサは少し嬉しそうに口元を緩めたが、すぐにフンっと鼻を鳴らすとなんでもないことのように振る舞う。そんな素直じゃない様子にアリアとフィーが顔を見合わせて笑い合ってしまうのを、アリサが恥ずかしそうに眉を寄せた。
「ちょ、ちょっとなに笑ってるのよ!」
「アリサ、かわいい」
「ふふ、少し不器用なのかしら」
「もう!好き勝手言ってないで、荷物の整理でもしたら?」
これ以上アリサを揶揄っても仕方がないので言われた通りに当てがわれたベッドに置かれた少ない荷物を見る。
そういえば、この荷物はいつの間にラインフォルト邸へとやってきたのだろうか。バリアハートの発着場へ向かう導力車のトランクに入れたところで記憶が止まっている。まあ大方ルーファスが使用人か領邦軍にでも言って届けさせたのだろう。手回しの早さにアリアは恐縮してしまうが、たとえこの荷物がここに無かったとしてもなに一つとして困らないだろうな、とも思うのであった。
なにせアリアの私物は胸元の真紅のナイフ一本である。
トランクケースの中に入っているのは公爵家で用意されたものであり、アリアのものではない。
「わあ!すごくかわいいネグリジェね!」
「お姫様みたい」
「アリアによく似合いそうだわ。」
取り出したネグリジェを見た2人が感嘆の声を上げる。
ミルキーホワイトのそれは柔らかな触り心地で華美すぎないレースやリボンの装飾が清楚で上品な仕上がりだった。
男ばかりの公爵家でわざわざ用意してくれたのだろう。
確かにトランクの中にはアリアのものは存在しなかったが、このネグリジェは間違いなくアリアのためのものだった。
胸が少しだけ暖かくなる感覚を覚える。
「そだ、パジャマパーティする?」
「パジャマパーティ?楽しそうだね」
「ふふ、夜更かししない程度に少しだけならいいかもね」
同年代の友達同士のするような会話にアリアはむず痒さを感じながら、ネグリジェをたたみ、少しだけ丁重にベッドの上に置いた。
「2人は寛いでてちょうだい。」
アリサはそう言い残し部屋を出ていってしまう。なんだか物憂げな様子なのはきっと母親のことを気にしているのだろう。
ラインフォルト家の家庭事情は知らないが、公爵家で学んだことや、今日見聞きしたことを踏まえると、今ルーレでは貴族の保守派と、庶民の革新派の諍いが少しずつ明るみになっていっているようだ。先ほどの駅前広場での騒動が良い例だ。そしてそこにRF社会長のアリサの母も少なからず関わっている。
娘からしたら気がかりだろう。父親はもう他界しているようで兄弟もいないアリサにとって、母は少ない残された家族だ。
文句ばかり口にしていたが、それも心配の裏返しだろう。
「本当に素直じゃない子なのね」
「アリサはツンデレだから。」
「少しいいか?」
ノックの音が響き、扉の外から男子の声が聞こえる。声の主は恐らくリィンだろう。フィーが二つ返事で入室を許可すると、黒髪の少年がおずおずと言ったように入ってくる。やはり年頃の女子の部屋に入るのは気が引けるのか。
「2人に提案があるんだが…」
リィンはすぐに話を切り出すと、明日から実習の合間を縫って革新派と保守派の動きや、ルーレでなにが起ころうとしているのかを調べようということを提案してくる。
それは、この帝国に生きる一国民として、士官学院生として、そして、仲間であるアリサの憂慮を少しでも和らげるためだという。
「私はいいよ」
さっぱりと返事をするフィーにリィンが安堵の表情を浮かべるが、すぐに不安げな視線がアリアに注がれる。
「アリア、君は公爵家のことがあるなら…」
「私も大丈夫だよ」
「え…っと?」
アリアの即答にフィーまでもが懐疑的な視線を向けてくる。
まあ突然大貴族も大貴族のアルバレア公爵家から来たと言う護衛を不審がるのは道理である。
下手をすればスパイであり、そうでなくとも保守派の何かしらの思惑あってのものだと考えるだろう。
当然、アリアはそんな命令は受けていない、しかしそれを否定する材料もなにも持っていないのであった。
「私、みんなが思っているより公爵家のこと知らないの。帝国の内政が揉めているのも対外的なことしか知らないわ。」
リィンのパープルの瞳がじっとこちらを見据える。あからさまに見定められているのは正直気分は良くないが、スパイだと疑われる方がよっぽど困る。
「私がルーファスさんから受けた仕事はみんなの護衛。だから、みんなのしたいようにすればいいわ。私は危なければ声をかけるし、必要であれば武器を振るうだけだよ。」
左胸の真紅のナイフに手を添え言う。
クロスベルを守るために唯一出来ることは黙って従うことだとアリアは思っていて、今以上に出来ることが存在するのかどうかもわかっていなかった。だから、余計なことはしないし、言われた通り護衛業に徹するのだ。なにも嘘偽りはない。
「…そうか、わかった。ありがとう」
そう頷いたリィンが信頼してくれたどうかはわからなかったが、少なくとも納得はしてくれただろう。
「アリサのこと励ましに行くの?」
「ああ、そのつもりだ。」
「リィンは面倒見がいいのね。さすがリーダー」
「よっ、リーダー」
「リーダーじゃないんだけどな…」
頬を掻き苦言を呈するリィンが部屋を出ていき、改めてフィーと2人きりになる。マスカット色の少し眠たげな双眸がこちらを見ていて、アリアは何かと首を傾げた。
「アリアはなんの武器使うの?やっぱりそれ?」
視線が胸元の赤いナイフへと行く。
1番取り出しやすい位置にある武器が主力だと考えるのは当然のことだろう。実際そうなのであるが、アリアはどうしてもこのナイフを帝国で振るうことに抵抗があったのだ。
「これはお守りみたいなものなの。使うのはこっち」
太もものホルスターから別のナイフを抜き、フィーに見せる。
装飾品にしては実用的な装着の仕方をしているのが不思議らしくフィーはほんの少し首を捻ったが、すぐに自分の武器を取り出してアリアに見せてくる。
「これ、私の。少し似てるね。」
「これは銃剣ね。しかも双剣」
「私、元々猟兵だったの」
フィーがぽつりとそう呟いた。
表情に変化はなかったが小さな声量が、以前元猟兵という経歴によって誰かと軋轢が生まれたのかと思わせた。
「……知ってるよ《西風の妖精》」
フィーの頭にぽんと手を乗せ笑いかける。
これはルーファスの資料を見て知ったことだったが、《西風の妖精》という異名については以前から認知していた。
アリアは猟兵と聞いただけで、心に黒いモヤが渦巻くが、目の前の年端もいかぬ少女は件の猟兵団ではないうえに、もう猟兵でもない。なにも関係はないのだ。
アリアは邪念を振り払うように、フィーの頭を意識をして優しく撫でる
「なんだ、知ってたの」
「それなりにね、でもまさかこんな小さい子だったなんて」
「クラスには私より小さい子もいるよ、ってそれも知ってるか」
「ええ。」
もっと撫でろと言わんばかりに頭を手に擦り付けてくるフィー。懐っこい猫のような仕草の愛らしさにアリアの心のモヤが一気に吹き飛んでいく。
「アリア、撫でるのじょうず」
「ええ?そうかしら」
「うん、いい感じ」
思いの外懐かれているようで、この調子で他の子達とも打ち解けられると良いとアリアは思った。
「私何か飲んでこようかな」
「じゃあ私は他の人と話してくるわね」
2人揃って部屋を出るとちょうどリィンが玄関を出ていくところを見かける。こんな夜遅くの外出とは、アリアはフィーと顔を見合わせた。
特に報告も受けていないし、夜遊びをする性格にも見えない。
フィーにもリィンの密やかな外出の理由はわからないようで、心配そうにそわそわとし始めるのをアリアは微笑ましいと思ったのだった。
「行って来なよ、アリサたちはうまく誤魔化しといてあげる」
「え…アリアはこないの?」
「番号教えとくから、街の外に出るとか危なくなったらすぐ教えて?」
「らじゃ」
手早くARCUSの番号の交換を済ませ、リィンの後を忍足で追いかけていくフィーの背中を見送る。護衛という立場で言えばアリアもリィンの後を追うべきなのだろうが、まあ聡そうな彼が考えなしに危険なことはしないだろうという予測だ。おまけにフィーもいるのだから市街にいる限りは滅多なことは起こらないだろう。
通信にだけ気をつけてアリアはずっと気になっていた学院祭とやらの話を聞きに男子の部屋を訪ねにいく。
ノックをすると「どうぞ〜」という柔らかな声が入室を許可してくれる。エリオットの声だ。部屋に入るとデスクを囲み資料に書き込みながら話し合っている様子のクロウとエリオット、マキアスの姿はなく随分と長い間図書室にいるようだ。
「お、アリアじゃん。」
「ちょうど良いところに!」
ちょいちょいと手招きされ近くに寄るとエリオットがにこりと笑い無邪気に問いかけてくる。
「アリアは何か楽器とかできる?」
「楽器?」
――ピアノとギター
と言いかけて慌てて言葉を飲み込む。素直に答えては面倒なことに巻き込まれかねない。みんなとはある程度は仲良くしたいが、学生のじゃれ合いには加わる予定はない。
彼らは学生が本業だが、アリアはそうではない。副業というべきか、副産物というべきか、何はともあれやむを得ず学生業をやっているわけだ。アリアが制服を着ることに抵抗があった理由である。
「…ごめんなさい」
「そっかあ、って謝ることじゃないよ!」
「……ってことは、アリアはどうすっか」
ただ濁すように謝っただけだったが、2人はそれを否ととってくれたようで再び資料に目を落とすのにアリアは慌てて声をかけた。
「学院祭で何をするのかはわからないけれど、今更構成を変えるのは面倒でしょうし、私裏方をやるよ。看板持ちでも呼び込みでもサクラでも、そういうやつ。」
「え……でも…」
「みんなのための学院祭だもの、私は雑用に徹するわ」
そう言うと2人は困ったように顔を見合わせていたが、クロウが諦めたように肩をすくめるとエリオットも渋々といったように了承の返事をする。
「んじゃ俺の手伝いってことだな」
「そう。ご指示はよろしく。ところで何をするの?」
「演奏のステージだよ!」
「歌って踊っての会場全体でノれるやつだぜ」
「へえ……演奏ね」
アリアは先ほど勢い余って楽器が弾けると言わないでよかったと心から思うのであった。
それにしても歌って踊るとは、ミュージカルか。クロスベルのアルカンシェルで演じられていたのは踊りが主体の劇だったのでそれもまた違うのだろう。
「まあ詳しい話は今詰めてるところだから楽しみに待ってろな」
「絶対ワクワクしてくる内容だから!特に配役は…ふふっ」
含みを持たせたエリオットの笑い。まだ全員と知り合ったわけでもないアリアにも何か感じさせる内容らしくエリオットの楽しそうな笑顔にアリアも笑みを返しておく。
「楽しみにしておくわね。話し合い、頑張ってね」
特に反応を待たずに2人の元を離れる。それぞれの返事を背中に聞きながら次は何をしようかと考え図書室も気になっていたことを思い出す。しかし場所がわからず勝手に人様の家を探し回るのも気が引け、とりあえずぐるっと視線を巡らせてみると計らったかのようにシャロンが音もなく現れぺこりとお辞儀をした。
「何かお困りでしょうか」
「ええ、図書室を見せていただきたくて…」
「あら、驚かないのですね。」
アリアとしては予想の範囲内のシャロンの行動であったので驚きは皆無だった。
むしろ困っている風を装えばシャロンが出て来て図書室を探す手間を省くことができると言う目算だった。
「…シャロンさんなら来てくださると思って」
「ふふ、わたくしを買い被りすぎですわ。偶然お見かけできたと言うだけですのに……」
慎ましく微笑むシャロンが身体を横に逸らし、アリアを図書室へと案内してくれる。アリアはその相変わらず洗練された気配を不思議に思いながら素直に後をついていき、目的の図書室へと辿り着くのであった。
「中はご自由にご覧になってください」
「ありがとうございます」
「…もっと気楽になさって頂いて構いませんのに」
気遣いの微笑みを残して去っていくシャロン。
細まった青緑の瞳が同族を見るような視線に変わっている気がしたが、アリアはあまり深くは考えないようにした。
さて、気を取り直してアリアはラインフォルト邸図書室を見回した。たくさんの書籍と資料。ただの住居にあるにはスケールが大きく、流石大企業会長の住居だと感心する。
こちらの入室に気がつく様子もなく熱心に読書をしている緑髪の青年を虜にするには十分すぎる蔵書量のようである。
アリアは足音を殺し集中し切っているマキアスに近づくと、そっとその本の中を覗き込んだ。
……?
見慣れない文字列にアリアの目が点になりかけた。なんて難しい本を読んでいるのだろうか。アリアにはこれっぽっちも理解できそうにない。経済とか経営とかそういった本なのだろうか。「すごい…」と無意識のうちに漏れてしまった声にマキアスが身体をビクリと反応させ驚いた。
「うわぁ?!アリアさん?!」
「ひゃ?!ご、ごめんなさい、驚かせちゃったね」
マキアスの大きな声につられて驚いてしまうアリア。眼鏡のレンズの奥の髪色と同じ深緑の瞳が大きく見開かれ、すぐに逸らされてしまう。どこかわだかまりを感じさせる反応にアリアは首を捻ったが、すぐに彼が貴族を目の敵にしているという情報を思い出す。
妙な沈黙が流れ、マキアスが居心地が悪そうに身体を揺らす。
今からこんな調子だと先が思いやられると、アリアはため息を吐きたくなった。アリアは貴族に雇われているといえど貴族ではない、むしろ庶民寄りであるのでマキアスの抱いているアリアへの印象は払拭できるはずなのだ。
「難しい本を読んでいるのね、すごーく成績優秀って聞いたわ」
「えっ、いや、そんなことは。エマ君には一歩届かずですし…」
エマ、というのは委員長を務めている眼鏡の女子のことだったか。明るく話しかけたが、相変わらず合うことのない視線にアリアはどうしたもんかと頭を悩ませた。
「それでも優秀なことには変わりないわ、もっと自信持たなきゃ」
「そ、うですね…」
「もし授業で困ったら教えて欲しいな」
「えっ」
ようやく合った視線は不思議がるような訝しがるような瞳をしていた。年上が年下に教えを乞う事はないとでも思っているのだろうか。「ね?」と押すように笑いかけるとマキアスは戸惑いの色を隠さないままに頷いたのであった。
再び妙な沈黙が流れる。
まあいきなり彼の壁を取っ払って良好な人間関係を築こうだなんて難しいとわかり切っていたのでマキアスに向けられる態度に思う事はなかったが、何か次への布石を打った方がいいだろうとアリアは考えた。
「真っ先に図書室の場所を聞くんだもの、相当に本が好きなのね」
「そうですね、自分が学ぶべき事はまだまだありますから」
「謙虚なのね。よかったらおすすめの本でも今度紹介してよ」
「えっ」
「よろしくねぇ」
アリアはそう笑みを残し、髪を翻すと図書室をあとにする。
マキアス・レーグニッツという人間は実直な男だ。それはこの短時間でも十分把握できる人となりだった。だから同窓生となったアリアの願いを無碍にする事はないだろうという予測での行動だ。
クロウやフィーのようにこちらが何もせずとも友好的になってくれる人ばかりではなく、1人2人くらいはこちらに懐疑心を抱いてくるであろうことも想像の通りだった。マキアスはその記念すべき1人目ということになる。
さて、まだ見ぬメイン護衛対象は果たしてどちらか。
アリアは是非前者であってほしいと願いながらリィン達の不在に気がついた様子のアリサを宥めにリビングへと向かうのであった。
アリアはマキアスの行く図書室もいってみたかったし、クロウとエリオットの話す学院祭とやらの話も大層気になったが、とりあえずは同性の子達と仲良くなることから始めた方がいいだろうと、部屋に向かうアリサとフィーの後をついていくのだった。
「ここが私の部屋よ。」
「おお、豪華」
「すごい、広い!それにすごくおしゃれね」
2人の素直な感想にアリサは少し嬉しそうに口元を緩めたが、すぐにフンっと鼻を鳴らすとなんでもないことのように振る舞う。そんな素直じゃない様子にアリアとフィーが顔を見合わせて笑い合ってしまうのを、アリサが恥ずかしそうに眉を寄せた。
「ちょ、ちょっとなに笑ってるのよ!」
「アリサ、かわいい」
「ふふ、少し不器用なのかしら」
「もう!好き勝手言ってないで、荷物の整理でもしたら?」
これ以上アリサを揶揄っても仕方がないので言われた通りに当てがわれたベッドに置かれた少ない荷物を見る。
そういえば、この荷物はいつの間にラインフォルト邸へとやってきたのだろうか。バリアハートの発着場へ向かう導力車のトランクに入れたところで記憶が止まっている。まあ大方ルーファスが使用人か領邦軍にでも言って届けさせたのだろう。手回しの早さにアリアは恐縮してしまうが、たとえこの荷物がここに無かったとしてもなに一つとして困らないだろうな、とも思うのであった。
なにせアリアの私物は胸元の真紅のナイフ一本である。
トランクケースの中に入っているのは公爵家で用意されたものであり、アリアのものではない。
「わあ!すごくかわいいネグリジェね!」
「お姫様みたい」
「アリアによく似合いそうだわ。」
取り出したネグリジェを見た2人が感嘆の声を上げる。
ミルキーホワイトのそれは柔らかな触り心地で華美すぎないレースやリボンの装飾が清楚で上品な仕上がりだった。
男ばかりの公爵家でわざわざ用意してくれたのだろう。
確かにトランクの中にはアリアのものは存在しなかったが、このネグリジェは間違いなくアリアのためのものだった。
胸が少しだけ暖かくなる感覚を覚える。
「そだ、パジャマパーティする?」
「パジャマパーティ?楽しそうだね」
「ふふ、夜更かししない程度に少しだけならいいかもね」
同年代の友達同士のするような会話にアリアはむず痒さを感じながら、ネグリジェをたたみ、少しだけ丁重にベッドの上に置いた。
「2人は寛いでてちょうだい。」
アリサはそう言い残し部屋を出ていってしまう。なんだか物憂げな様子なのはきっと母親のことを気にしているのだろう。
ラインフォルト家の家庭事情は知らないが、公爵家で学んだことや、今日見聞きしたことを踏まえると、今ルーレでは貴族の保守派と、庶民の革新派の諍いが少しずつ明るみになっていっているようだ。先ほどの駅前広場での騒動が良い例だ。そしてそこにRF社会長のアリサの母も少なからず関わっている。
娘からしたら気がかりだろう。父親はもう他界しているようで兄弟もいないアリサにとって、母は少ない残された家族だ。
文句ばかり口にしていたが、それも心配の裏返しだろう。
「本当に素直じゃない子なのね」
「アリサはツンデレだから。」
「少しいいか?」
ノックの音が響き、扉の外から男子の声が聞こえる。声の主は恐らくリィンだろう。フィーが二つ返事で入室を許可すると、黒髪の少年がおずおずと言ったように入ってくる。やはり年頃の女子の部屋に入るのは気が引けるのか。
「2人に提案があるんだが…」
リィンはすぐに話を切り出すと、明日から実習の合間を縫って革新派と保守派の動きや、ルーレでなにが起ころうとしているのかを調べようということを提案してくる。
それは、この帝国に生きる一国民として、士官学院生として、そして、仲間であるアリサの憂慮を少しでも和らげるためだという。
「私はいいよ」
さっぱりと返事をするフィーにリィンが安堵の表情を浮かべるが、すぐに不安げな視線がアリアに注がれる。
「アリア、君は公爵家のことがあるなら…」
「私も大丈夫だよ」
「え…っと?」
アリアの即答にフィーまでもが懐疑的な視線を向けてくる。
まあ突然大貴族も大貴族のアルバレア公爵家から来たと言う護衛を不審がるのは道理である。
下手をすればスパイであり、そうでなくとも保守派の何かしらの思惑あってのものだと考えるだろう。
当然、アリアはそんな命令は受けていない、しかしそれを否定する材料もなにも持っていないのであった。
「私、みんなが思っているより公爵家のこと知らないの。帝国の内政が揉めているのも対外的なことしか知らないわ。」
リィンのパープルの瞳がじっとこちらを見据える。あからさまに見定められているのは正直気分は良くないが、スパイだと疑われる方がよっぽど困る。
「私がルーファスさんから受けた仕事はみんなの護衛。だから、みんなのしたいようにすればいいわ。私は危なければ声をかけるし、必要であれば武器を振るうだけだよ。」
左胸の真紅のナイフに手を添え言う。
クロスベルを守るために唯一出来ることは黙って従うことだとアリアは思っていて、今以上に出来ることが存在するのかどうかもわかっていなかった。だから、余計なことはしないし、言われた通り護衛業に徹するのだ。なにも嘘偽りはない。
「…そうか、わかった。ありがとう」
そう頷いたリィンが信頼してくれたどうかはわからなかったが、少なくとも納得はしてくれただろう。
「アリサのこと励ましに行くの?」
「ああ、そのつもりだ。」
「リィンは面倒見がいいのね。さすがリーダー」
「よっ、リーダー」
「リーダーじゃないんだけどな…」
頬を掻き苦言を呈するリィンが部屋を出ていき、改めてフィーと2人きりになる。マスカット色の少し眠たげな双眸がこちらを見ていて、アリアは何かと首を傾げた。
「アリアはなんの武器使うの?やっぱりそれ?」
視線が胸元の赤いナイフへと行く。
1番取り出しやすい位置にある武器が主力だと考えるのは当然のことだろう。実際そうなのであるが、アリアはどうしてもこのナイフを帝国で振るうことに抵抗があったのだ。
「これはお守りみたいなものなの。使うのはこっち」
太もものホルスターから別のナイフを抜き、フィーに見せる。
装飾品にしては実用的な装着の仕方をしているのが不思議らしくフィーはほんの少し首を捻ったが、すぐに自分の武器を取り出してアリアに見せてくる。
「これ、私の。少し似てるね。」
「これは銃剣ね。しかも双剣」
「私、元々猟兵だったの」
フィーがぽつりとそう呟いた。
表情に変化はなかったが小さな声量が、以前元猟兵という経歴によって誰かと軋轢が生まれたのかと思わせた。
「……知ってるよ《西風の妖精》」
フィーの頭にぽんと手を乗せ笑いかける。
これはルーファスの資料を見て知ったことだったが、《西風の妖精》という異名については以前から認知していた。
アリアは猟兵と聞いただけで、心に黒いモヤが渦巻くが、目の前の年端もいかぬ少女は件の猟兵団ではないうえに、もう猟兵でもない。なにも関係はないのだ。
アリアは邪念を振り払うように、フィーの頭を意識をして優しく撫でる
「なんだ、知ってたの」
「それなりにね、でもまさかこんな小さい子だったなんて」
「クラスには私より小さい子もいるよ、ってそれも知ってるか」
「ええ。」
もっと撫でろと言わんばかりに頭を手に擦り付けてくるフィー。懐っこい猫のような仕草の愛らしさにアリアの心のモヤが一気に吹き飛んでいく。
「アリア、撫でるのじょうず」
「ええ?そうかしら」
「うん、いい感じ」
思いの外懐かれているようで、この調子で他の子達とも打ち解けられると良いとアリアは思った。
「私何か飲んでこようかな」
「じゃあ私は他の人と話してくるわね」
2人揃って部屋を出るとちょうどリィンが玄関を出ていくところを見かける。こんな夜遅くの外出とは、アリアはフィーと顔を見合わせた。
特に報告も受けていないし、夜遊びをする性格にも見えない。
フィーにもリィンの密やかな外出の理由はわからないようで、心配そうにそわそわとし始めるのをアリアは微笑ましいと思ったのだった。
「行って来なよ、アリサたちはうまく誤魔化しといてあげる」
「え…アリアはこないの?」
「番号教えとくから、街の外に出るとか危なくなったらすぐ教えて?」
「らじゃ」
手早くARCUSの番号の交換を済ませ、リィンの後を忍足で追いかけていくフィーの背中を見送る。護衛という立場で言えばアリアもリィンの後を追うべきなのだろうが、まあ聡そうな彼が考えなしに危険なことはしないだろうという予測だ。おまけにフィーもいるのだから市街にいる限りは滅多なことは起こらないだろう。
通信にだけ気をつけてアリアはずっと気になっていた学院祭とやらの話を聞きに男子の部屋を訪ねにいく。
ノックをすると「どうぞ〜」という柔らかな声が入室を許可してくれる。エリオットの声だ。部屋に入るとデスクを囲み資料に書き込みながら話し合っている様子のクロウとエリオット、マキアスの姿はなく随分と長い間図書室にいるようだ。
「お、アリアじゃん。」
「ちょうど良いところに!」
ちょいちょいと手招きされ近くに寄るとエリオットがにこりと笑い無邪気に問いかけてくる。
「アリアは何か楽器とかできる?」
「楽器?」
――ピアノとギター
と言いかけて慌てて言葉を飲み込む。素直に答えては面倒なことに巻き込まれかねない。みんなとはある程度は仲良くしたいが、学生のじゃれ合いには加わる予定はない。
彼らは学生が本業だが、アリアはそうではない。副業というべきか、副産物というべきか、何はともあれやむを得ず学生業をやっているわけだ。アリアが制服を着ることに抵抗があった理由である。
「…ごめんなさい」
「そっかあ、って謝ることじゃないよ!」
「……ってことは、アリアはどうすっか」
ただ濁すように謝っただけだったが、2人はそれを否ととってくれたようで再び資料に目を落とすのにアリアは慌てて声をかけた。
「学院祭で何をするのかはわからないけれど、今更構成を変えるのは面倒でしょうし、私裏方をやるよ。看板持ちでも呼び込みでもサクラでも、そういうやつ。」
「え……でも…」
「みんなのための学院祭だもの、私は雑用に徹するわ」
そう言うと2人は困ったように顔を見合わせていたが、クロウが諦めたように肩をすくめるとエリオットも渋々といったように了承の返事をする。
「んじゃ俺の手伝いってことだな」
「そう。ご指示はよろしく。ところで何をするの?」
「演奏のステージだよ!」
「歌って踊っての会場全体でノれるやつだぜ」
「へえ……演奏ね」
アリアは先ほど勢い余って楽器が弾けると言わないでよかったと心から思うのであった。
それにしても歌って踊るとは、ミュージカルか。クロスベルのアルカンシェルで演じられていたのは踊りが主体の劇だったのでそれもまた違うのだろう。
「まあ詳しい話は今詰めてるところだから楽しみに待ってろな」
「絶対ワクワクしてくる内容だから!特に配役は…ふふっ」
含みを持たせたエリオットの笑い。まだ全員と知り合ったわけでもないアリアにも何か感じさせる内容らしくエリオットの楽しそうな笑顔にアリアも笑みを返しておく。
「楽しみにしておくわね。話し合い、頑張ってね」
特に反応を待たずに2人の元を離れる。それぞれの返事を背中に聞きながら次は何をしようかと考え図書室も気になっていたことを思い出す。しかし場所がわからず勝手に人様の家を探し回るのも気が引け、とりあえずぐるっと視線を巡らせてみると計らったかのようにシャロンが音もなく現れぺこりとお辞儀をした。
「何かお困りでしょうか」
「ええ、図書室を見せていただきたくて…」
「あら、驚かないのですね。」
アリアとしては予想の範囲内のシャロンの行動であったので驚きは皆無だった。
むしろ困っている風を装えばシャロンが出て来て図書室を探す手間を省くことができると言う目算だった。
「…シャロンさんなら来てくださると思って」
「ふふ、わたくしを買い被りすぎですわ。偶然お見かけできたと言うだけですのに……」
慎ましく微笑むシャロンが身体を横に逸らし、アリアを図書室へと案内してくれる。アリアはその相変わらず洗練された気配を不思議に思いながら素直に後をついていき、目的の図書室へと辿り着くのであった。
「中はご自由にご覧になってください」
「ありがとうございます」
「…もっと気楽になさって頂いて構いませんのに」
気遣いの微笑みを残して去っていくシャロン。
細まった青緑の瞳が同族を見るような視線に変わっている気がしたが、アリアはあまり深くは考えないようにした。
さて、気を取り直してアリアはラインフォルト邸図書室を見回した。たくさんの書籍と資料。ただの住居にあるにはスケールが大きく、流石大企業会長の住居だと感心する。
こちらの入室に気がつく様子もなく熱心に読書をしている緑髪の青年を虜にするには十分すぎる蔵書量のようである。
アリアは足音を殺し集中し切っているマキアスに近づくと、そっとその本の中を覗き込んだ。
……?
見慣れない文字列にアリアの目が点になりかけた。なんて難しい本を読んでいるのだろうか。アリアにはこれっぽっちも理解できそうにない。経済とか経営とかそういった本なのだろうか。「すごい…」と無意識のうちに漏れてしまった声にマキアスが身体をビクリと反応させ驚いた。
「うわぁ?!アリアさん?!」
「ひゃ?!ご、ごめんなさい、驚かせちゃったね」
マキアスの大きな声につられて驚いてしまうアリア。眼鏡のレンズの奥の髪色と同じ深緑の瞳が大きく見開かれ、すぐに逸らされてしまう。どこかわだかまりを感じさせる反応にアリアは首を捻ったが、すぐに彼が貴族を目の敵にしているという情報を思い出す。
妙な沈黙が流れ、マキアスが居心地が悪そうに身体を揺らす。
今からこんな調子だと先が思いやられると、アリアはため息を吐きたくなった。アリアは貴族に雇われているといえど貴族ではない、むしろ庶民寄りであるのでマキアスの抱いているアリアへの印象は払拭できるはずなのだ。
「難しい本を読んでいるのね、すごーく成績優秀って聞いたわ」
「えっ、いや、そんなことは。エマ君には一歩届かずですし…」
エマ、というのは委員長を務めている眼鏡の女子のことだったか。明るく話しかけたが、相変わらず合うことのない視線にアリアはどうしたもんかと頭を悩ませた。
「それでも優秀なことには変わりないわ、もっと自信持たなきゃ」
「そ、うですね…」
「もし授業で困ったら教えて欲しいな」
「えっ」
ようやく合った視線は不思議がるような訝しがるような瞳をしていた。年上が年下に教えを乞う事はないとでも思っているのだろうか。「ね?」と押すように笑いかけるとマキアスは戸惑いの色を隠さないままに頷いたのであった。
再び妙な沈黙が流れる。
まあいきなり彼の壁を取っ払って良好な人間関係を築こうだなんて難しいとわかり切っていたのでマキアスに向けられる態度に思う事はなかったが、何か次への布石を打った方がいいだろうとアリアは考えた。
「真っ先に図書室の場所を聞くんだもの、相当に本が好きなのね」
「そうですね、自分が学ぶべき事はまだまだありますから」
「謙虚なのね。よかったらおすすめの本でも今度紹介してよ」
「えっ」
「よろしくねぇ」
アリアはそう笑みを残し、髪を翻すと図書室をあとにする。
マキアス・レーグニッツという人間は実直な男だ。それはこの短時間でも十分把握できる人となりだった。だから同窓生となったアリアの願いを無碍にする事はないだろうという予測での行動だ。
クロウやフィーのようにこちらが何もせずとも友好的になってくれる人ばかりではなく、1人2人くらいはこちらに懐疑心を抱いてくるであろうことも想像の通りだった。マキアスはその記念すべき1人目ということになる。
さて、まだ見ぬメイン護衛対象は果たしてどちらか。
アリアは是非前者であってほしいと願いながらリィン達の不在に気がついた様子のアリサを宥めにリビングへと向かうのであった。