カミサマの玩具箱
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ホウオウ編
【乞へや祈れや】
痛い。体が動かない。
ここはどこなのか。何が起こったのか。どうしてこうなったのか。まったくわからない。頭の中は霞を詰めこまれたみたいにふわふわで、あやふやだ。
1つだけわかるのは、自分が今、死にかけていること。
今にも消えそうな蝋燭がどんどん短くなっていく。気を抜くと意識ごと刈り取られそうになるから、痛みにしがみつくことでどうにか繋ぎ止めた。
どうして。なんで。私が。
いやだいやだいやだいやだ。死にたくない、死にたくない、死にたくない!まだやりたいこといっぱいあるのに!!こんなの絶対いや!!
誰か……誰か、助けて――――!!
からん。ころん。
からん。ころん。からん。
ふと、どこかから鈴を転がすような音した。軽やかなその音はゆっくりこちらに近付いてくる。
「あらまあ、随分えらいことになってはるねえ?」
甘く透き通った声と共に緋色の長い髪がなびく。いつの間にか、朝日の眩しさと夕日の鮮やかさを併せ持った少女が私を見下ろしていて――数秒、世界が止まった。ああ……綺麗。
少女はくすりと微笑み、かがんで私の顔を覗き込んだ。その拍子にしゃらり、ハスの花の帯飾りが揺れる。ひとつひとつの動作があまりにも可憐でいちいち目を奪われる。花びらのような唇が持ち上がり、甘い音色が耳を撫でた。
「うち、あんさんの〝助けて〟いう声に呼ばれてきたんよ。あんさんはどないしたい ?」
「わ……たし、は……」
死にたくない。
真っ先に零れ落ちた言葉に、長いまつ毛と赤いラインに縁どられた唐紅の瞳が緩やかな弧を描く。
「ええよ。その祈り 、うちが聞いたる」
その微笑みは女神のように麗しく、聖母のように慈愛に満ちていた。溢れた雫が頬を伝う。このまま何もかも委ねてしまいたい。
ほっそりした手が伸ばされて、私の右手をそっと握った。少女のやわらかな体温が流れ込んでくる。
「ほな、行こか」
ゆっくり頷くと少女は微かに笑みを深めた。しゃらん――澄んだ鈴の音が響いたかと思えば、目が焼かれそうなほど眩しく、けれど優しい光に包まれる。
あたたかで鮮烈な光の中、右手をぎゅっと握りしめ、眠るように意識を手放した。
☆
次に目が覚めた時、私は知らない女の人に抱かれていた。曖昧な意識が穏やかな歌声を拾う。
雨はやがてあがるもの 雲はいつか切れるもの
顔をあげてごらん 君を呼ぶ声きこえるはず
この歌はよく知っている。小さい頃、子守歌としてお母さんが歌ってくれたっけ。
懐かしさに浸りかけてハッと我に返る。私、あれからどうなったの?ここはどこ?この人は誰?今どういう状況?
「おはようさん。気分はどない?」
不意に響いた低く艶のある声の方へ視線を向けると――この世のものとは思えないほど美しい緋色が映り、束の間、呼吸を忘れた。
ぼうっとしている私を怪訝に思ったのか、そのひとは小さく首を傾げる。その拍子に高い位置で結われた緋色の髪と、そこに刺されたハスの花の簪が揺れた。……あれ、この色、この花、どこかで。
「ああ、青年 の姿で会うんは初めてやったね」
そう言うなりぱっとそのひとは消え失せ、代わりにあの時の少女が現れた。突然の摩訶不思議現象に脳の処理が追い付かない。けれど、あでやかに微笑む少女の「うちのこと、覚えてはる?」という問いかけにはどうにか頷きを返せた。少女は「そらよかった」と目を細め、再び青年の姿を取る。
「何から話そかなあ、まずは自己紹介やろか。うちはホウオウ。あんじょうよろしゅう」
はんなり告げられた言葉にオーバーヒート気味だった脳が完全に処理落ちする。……今、なんて?ホウオウ??
えええええ!?という絶叫――ではなく、「あうあー」と拙い音が私の口から溢れた。
「ふふ、ご機嫌ね。何見てるの~?」
上から優しい声が振ってきて、そっと頬をつつかれる。愛おしくてたまらないと言うように。
ツッコミどころが山ほどあるせいで再び脳が処理落ちする。目を白黒させる私に、虹の翼を持つ神様はゆったりと語り始めた。
1つめ。ホウオウの力で私は赤ちゃんとして新たに生まれ変わったらしい。最初は生き返ったのかと思ったけど、「お願いがそれ やったらそうしたけどなあ」と言われたのでどうやら違うみたい。
記憶は前 のを引き継いでいるものの身体機能とかは全て肉体と同じレベルに逆行している。現在はテレパシーで私の思考を読み取ることで会話が成立しているんだとか。私を抱いている人は今 の私のお母さん。
2つめ。彼(あるいは彼女)の声と姿を認識できるのは私だけ。曰く「うち、目立つやろ?見つかって騒がれたら面倒やさかい、許可した相手以外はうちを認識できひんようにしとるんよ。まあカクレオンみたいなもんやと思って」。いや、騒がれるの絶対目立つからだけじゃないでしょ。
一通り説明を終えたのか、つややかな唇が一旦閉じられる。
「……とまあ、こんな感じや。どうどす?まだわからへんこと、他に聞きたいことある?」
「うん。ええと……いっぱいあるんだけど……」
「ふふふ、ゆっくりでええよ。全部答えたるさかいな」
ゆるりと唐紅が弧を描く。ちなみに、ホウオウが「堅苦しいのは苦手なんよ」と言うのでタメ口で話すことにした。呼び捨ては本人の希望。様付けばっかりされるから呼ばれてみたいんだって。
閑話休題。……うん、まずはやっぱりこれだ。
「どうして私を、助けてくれたの?」
神様であるホウオウにとって、私は取るに足らないちっぽけな存在だろう。なのに、目に留まるどころか直々に手を差し伸べてもらえるなんて。
ホウオウはゆっくり瞬きして「そないなことが気にならはるん?」と小さく笑みを零した。長い指に毛先を絡めて弄びながら続きを口にする。
「うちなあ、暇やの。長いこと生きとるけど他の同胞 らと違て趣味とかあらへん。ならお使命 やろか、思て」
「おしごと?」
私のオウム返しに「そうや」と頷き、こちらに視線をよこした。艶めかしい流し目の奥に強烈な圧を感じ取り、ドクンと心臓が跳ね上がる。このまま目を合わせていたらぺしゃんこに押し潰されてしまいそうなのに、唐紅の宝石に吸い寄せられて動けない。
「うちら……あんさんらの言う〝カミサマ〟は、創られた 時にお父さんから使命 と権能 を与えられるんよ。うちの場合、困ってはる子、助けを必要としてはる子らに手ぇ貸したり、いうやつ」
軽やかな口ぶりだけど、声や仕草の端々から厳かさが滲み出ている。ドクン、ドクン、ドクン。警鐘のように鳴り響く心臓が破裂しそうなくらい激しくなった時――ふと、目の奥の圧が薄まった。
「ほんで……ううん、口で説明するのややこしいなあ。要するに、あの時あんさんの〝助けて〟いう声がうちに聞こえた。それが理由や」
春の日差しのようなやわらかな微笑み。さっきの圧で強ばりきった心と体がじんわりほどけていき、ほうと息を吐いた。こわい。でも、きれいで、あったかい。それが、私の声を聞いてくれて、私を助けてくれた神様。そのことを嚙みしめれば、優しいぬくもりとなって胸の内を満たしていく。
突然強い眠気に襲われる。ああ、今の私、赤ちゃんだもんね。
ほな、また。ひらりと手を振って姿を消したホウオウの鮮やかな緋色が、すっかり閉じたまぶたの裏にいつまでも焼き付いていた。
☆
あの言葉どおり、ホウオウは再び私に会いに来てくれた。まさか5年後になるとは思いもしなかったけど。
口を尖らせてそう訴えれば「堪忍え。あんさんらはあっという間に大きゅうならはること、忘れとったわ」と謝られた。大きな背を丸めてすまなそうに眉を下げる姿がなんだかかわいくて、予定より早く許してあげることにする。
お気に入りのヒメグマぬいぐるみと遊んでいるフリをしつつ、二度目の人生でどんな日々を過ごしているのか、1つ1つ話していく。今の名前に慣れてきたこと。新しい家族もみんな優しくて仲良しなこと。友達ができたこと。村ではみんなが色んな野菜やきのみを育てていて、お裾分けし合っていること。
一頻り話し終えたら、頷きや小さく笑みを零すことで相槌を打っていたホウオウの手をそっと握った。あたたかなその手を両手で包み込む。
「今の私があるのはあなたのおかげ。……あの時助けてくれて、本当にありがとう」
唐紅の瞳をまっすぐ見つめ、ずっとずっと伝えたかった言葉をようやく口にする。彼は少しだけ目を見開いて、緩やかに三日月をつくった。
「そう言われると、お願い聞いた甲斐があるわぁ」
その微笑みは初めて出会った時と同じように麗しく、慈愛に満ちていて。とくん、小さく心臓が高鳴る。ホウオウは、私の神様は、なんて美しいんだろう。
蕩けかけた思考を「ご飯できたわよー」というお母さんの呼ぶ声が現実に引き戻す。楽しい時間はいつだってあっという間だ。
離れ難くてぎゅっとホウオウの手を握りしめたら、自由な方の手が頭に乗せられた。ぽんぽん、と優しく跳ねる。
「また来るさかい、はよ行ったり」
「ほんとに?5年もほったらかしたりしない?」
「ほんまほんま。……あ、ええこと思いついた」
手ぇ出して、と促されるままゆっくり広げた手の上に丸いものが乗せられた。すべすべで透き通った色をしている。そっと摘まみ上げれば、しゃん、と澄んだ音色が響く。
「これはとうめいなスズ。いつやったか……ニンゲンがうちにくれるて言わはるさかい、貰ったんどす。ええ音やろ」
「うん。すごく綺麗……」
しゃん、もう一度鳴らしてみる。雲一つない青空みたいに清らかだ。そういえば、あの時聞こえた鈴の音に似てるような。
「あんさんにあげるわ。うちと話したいなあて思わはったら、それ鳴らし。聞こえたら会いにきたる」
「えっ!……でも、大事なものなんじゃ……」
「かまへんかまへん。音は気に入っとるけど、なんとなーく持っとっただけでないと困るもんやあらへんの」
どない?と首を傾げるホウオウ。そんなの決まってる。鈴をぎゅっと抱きしめ、力いっぱい頷いた。
「ありがとう!これ、大事にするから!」
ホウオウはふわりと微笑み、緋色の髪とコートを翻す。瞬きの間に見えなくなってしまったけど、彼の置き土産はちゃんと届いた。
ほな、また。鈴の音が鳴った時に。
☆
次の日、早速鈴を鳴らす……なんて無粋な真似はしない。いや、正直昨日は浮かれて「明日鳴らしてみよう」とか思ってたけど。
ホウオウは私の神様だ。でも、私だけの神様じゃない。本人は暇だなんて言っていたけど、「困ってる人やポケモンを助けるのが使命 」なら多忙を極めているはずだ。頻繁に呼び出して彼の邪魔をしたくない。……あと、しつこい奴だって嫌われたくない。
でも、本当に来てくれるのかな。そんな不安が拭えなくて、結局10日後、家に誰もいない時を見計らってそっと鳴らした。しゃらん――透明な音色が静かに響く。
きっと来てくれる。来てくれないかもしれない。胸の内で期待と不安がシーソーゲームをくり広げている。どきどきうるさい心臓の前でぎゅっと鈴を握りしめた。
「だーれや」
突然、視界が真っ暗になる。驚いて飛び跳ねた心臓がすぐさま違う意味で跳ね回りだす。この声は、この温度は。
ホウオウ!そう叫んで振り向けば、世界で一番美しい緋色がゆったりと笑みを湛えていた。今日は女の子の方だ。
「あたり。元気してはった?」
「うん。ホウオウは?」
「ぼちぼち」
言いながら口元に袖を持って行く仕草はあどけないのに色っぽい。そういうちょっとした所や雰囲気、身に着けているものから「彼」と「彼女」が同一人物なのだとしみじみ実感する。
「ねえ、なんでホウオウは擬人化した姿が2つあるの?伝説ポケモンだから?」
「できる 理由はそれやな。他の同胞 らは知らへんけど、うちにとっては着替えみたいなもんやろか。ずうっとおんなじべべやったら飽きてまうさかい」
綺麗なお兄さんと可憐な女の子、交互に姿を変えながら「どうどす?あんさんはどっちがええ?」と微笑んでみせる。そんなの、選ぶまでもない。
「どっちも好き。だってどっちもホウオウだもの」
「あらお上手。どこで覚えてきはったんやろか」
ころころ笑うホウオウはいつの間にか女の子の姿に戻っていた。今日の気分はこっちなのだろう。彼女の動きに合わせて少しウェーブした緋色の髪がやわらかく揺れる。
思い切って触らせて、とお願いしたら快く了承してくれた。おそるおそる手を滑らせれば、ふわふわ・すべすべ・さらさらの三拍子。ほんのりぬくもりを帯びたそれはずっと触ってたいくらい肌ざわりがいい。ほのおタイプの鳥ポケモンだからかな。
うっとりしている私を見て、ほなうちも、とホウオウの手が伸びてくる。細い指が髪を通る感触が少しくすぐったい。次第にその動きがゆっくり、ゆっくりになり――私のまぶたも、ゆっくり重たくなっていった。
目を覚ましたのは布団の上で、時計の針が随分進んでいた。ホウオウだってもういない。でも、右手の中にはとうめいなスズがきちんと収まっていた。
途中で寝ちゃったのは残念だけど、鳴らせば来てくれるってわかったからよしとしよう。鈴に唇を近づけてそっと囁く。
またね。
☆
家族や友達に隠れてこっそり鈴を鳴らし、やってきたホウオウと他愛のない話をする。来れない時はテレパシーでやり取り。そんな日々が何年も続いた、ある夏の日。
鈴の音と共に現れたホウオウ(お兄さんのすがた)は、私を見るなりゆっくり瞬きした。
「あんさん、なんや知らへん間に随分大きゅうならはったねえ」
「まあね。もう13だし」
自分で言うのもなんだけど、私はすくすく元気に成長していた。体もどんどん精神の年齢に近くなっていく。前に死んだのは19の時だから、あと6年で2倍生きたことになる。そのわりに精神的に大人になってる気がしないのはなんでだろう。人間って歳を重ねても中身はあんまり変わらないのかな。それとも赤ちゃんから再開したからとか?
「たった13年でこないに変わるやなんて、ほんま生きもんは不思議やなあ。お父さんもおもろいことしはるわ」
ふふ、と目を細めて私の頭を撫でる。こうやって時々覗く「神様」の顔にどうしようもなく惹きつけられてしまう。勿論いつもの顔も大好きだけど、それとは少し違う「好き」だ。
「そういえば、お父さんって誰のこと?ホウオウが一番偉いんじゃないの?」
「おかしなこと聞かはるねえ。お父さんはお父さんやろ」
「えー、わかんないよ」
思いつく限りそれらしいポケモンを挙げてみたけど、全部「さあて」とはぐらかされる。ジョウトにいるポケモンじゃないのかな。おじいちゃんが持ってる古い本とかに色々書いてあるかもしれない。
不意にホウオウが空を見上げた。つられて一緒に見上げれば、澄んだ清々しい青にメリープみたいなふわふわの雲が漂っている。燦々と降り注ぐ日の光が眩しくて手をかざした。
「明日のお天気、大荒れどすなあ」
今日の晩ご飯何かなあ、みたいに何気ない調子で言うものだからうっかり聞き逃しかけた。
「なんでわかるの?」
「見えた……聞こえた?どっちでもええけど、たまにあるんよ。雨も風もえげつないことになるさかい、あんさんもうちで大人しゅうしとき」
ほな、また。ふわり、緋色が消える。強さに個人差はあるけど神様たちは未来を予知する力がある、って前にホウオウが言ってたっけ。雨も風もひどい大荒れの天気……まさか、台風?
居ても立っても居られなくて、転がるように家へ走っていく。私の言葉じゃ信じてもらえないかもしれないけど、でも、伝えなくちゃ。
「おじいちゃん!今いい!?」
「おお、おまえか。そんなに慌ててどうした」
リングマやウソッキーと一緒に畑の手入れをしていたおじいちゃんは、道具を置いてゆっくりこちらへやってきた。帽子の下で優しい笑顔を浮かべている。
おじいちゃんはいつだって私の味方をしてくれた。一番に話すならこの人だ。乱れた息を整え、震える唇をそっと開く。
「……あの、ね。明日、台風が来るんだって。準備しておかない?」
「誰から聞いたんだい?村長のネイティオか?」
「ううん、そうじゃないけど……でも、とにかく来るの。そう聞いたの」
おじいちゃんの笑顔が戸惑いと困惑で曇る。孫が突然わけのわからないことを言い出したら誰だってそうだろう。ここでさらに「ホウオウから聞いた」なんて言えば頭がおかしくなったと思われるに違いない。でも、このままじゃ畑がみんなめちゃくちゃになってしまう。どうしよう。どうしたらいんだろう。手のひらにどんどん嫌な汗が滲んでいく。
するり、握りしめていたとうめいなスズが汗で滑り、手の中から飛び出した。――しゃん、しゃらん。澄んだ音色と共に地面に落ちる。鈴を見た途端、おじいちゃんの目がカッと見開かれた。
「これは……とうめいなスズ!!どうしておまえが持っとる!?」
「も、貰ったの。前に、あるひとに。綺麗な音だから、ずっと持ってて……」
いつも穏やかでにこにこしているおじいちゃんの鬼気迫る勢いに気圧され、しどろもどろに答える。おじいちゃんは「なんと……」と低く呟き、眉間を押さえて動かなくなった。やがてゆっくり手を下ろし、壊れ物を扱うような手つきでそっと鈴を拾い上げて私に握らせてくれた。真剣な眼差しで私を見つめ、私の名を呼ぶ。
「おまえにこれをくだすったのは、ホウオウ様じゃな?」
「……うん」
「この鈴はな、ずっとずうっと昔、この村の人間がこしらえてホウオウ様に捧げたものなんじゃ。まさか巡り巡ってまたこの村に、おまえのもとにやってくるとは……」
おじいちゃんは目尻を拭い、再び私をしっかり見た。
「台風が来るというのも、ホウオウ様のお言葉か?」
「うん」
「そうか。わしはリングマたちとうちの畑を守る。おまえは村の者たちにも教えてやっとくれ。信じない者にはこの鈴を見せてやればいい」
「うん!お父さんたちもすぐ呼んでくるから、無理しないでね」
手を振り合って、おじいちゃんは畑へ、私は村へ。家々を回ってホウオウの言葉を伝えていく。はじめはみんな胡乱な目をしていたけれど、とうめいなスズを見せれば誰もがすぐさま畑へ急いだ。
作物に支柱を立て、被覆資材をかぶせ、排水路を掃除する。畑だけじゃなく家の方も、雨戸を閉めたり、飛ばされそうなものを片付けたり。
村中の大人も子どももポケモンも総動員で作業したお陰で、日が暮れる頃にはすっかり台風対策が整った。
☆
「それで、ホウオウ様はなんと……?」
「今年は豊作だそうです。雨もよく降り、水不足になることはないとおっしゃっています」
「おお……!!ホウオウ様、虹の巫女様、ありがとうございます……!!」
村長を筆頭に村の老人たちが床に頭をすりつけた。どの顔にも満開の笑顔が浮かんでいる。
「では、私は執務に戻ります。何かあればお呼びください」
「はい。巫女様、お勤めご苦労様でございます」
微笑みと共にお辞儀して、しずしず自分の部屋へ戻る。ぱたんと襖を閉めてから深く息を吐いた。
「お疲れさんどした、〝虹の巫女〟様」
「もう、からかわないでよ」
「ふふふ、堪忍堪忍。にしても、けったいなあだ名つけられてしもうたなあ?」
文机に腰を下ろした緋色の少女がころころ笑う。村長たちは認識することが許されていない けれど、ホウオウはずっと私の隣にいたのだ。かつて村の子どものひとりだった私に平伏してありがたがる彼らを愉快そうに眺めていた。
6年前、13歳の夏。台風は本当にやってきた。大型な上に突如発生したもので、対策が遅れた地域は甚大な被害にあったそうだ。一方、私の村は負傷者ゼロで、畑の被害も最小限に抑えられた。
かくして、とうめいなスズを持って村中に「台風が来る」と言って回った私は、その日を境にみんなから「ホウオウ様の声が聞こえる特別な子」として扱われるようになる。今年の実りはどうか、雨は降るか、子どもが原因不明の病に倒れた、うちのミルタンクがいなくなった……エトセトラ。「ホウオウ様にお伺いしてください」という言葉と共に様々な心配事・悩み事が次から次へと舞い込んできた。
みんなの役に立ちたくて、笑ってほしくて、乞われるままにホウオウの言葉を伝え続けた。そしたらいつの間にか「虹の巫女」と呼ばれ始め――今に至る。
気さくに話しかけてくれたおじさんも、悪戯してこっぴどく叱られたおばあさんも、家族以外の大人は私に敬語を使うようになった。ちょっと過剰なくらい丁重に扱われている。友達とも全然遊べない。時々村で見かけるけど、目が合うとさっと会釈してパッと行ってしまう。
おじいちゃんたちだって変わってしまった。食事はうんと豪華になって、いっぱい甘やかしてくれるけど、「大事な体に何かあっては大変だ」「おまえはそんなことしなくていいんだよ」と何もさせてもらえず、ほとんど家から出してもらえない。
「あんさんもようやらはるなあ。いろんなもんが変わって、いろんなもんおっかぶせられて。嫌になったりしないん?」
ちょうど考えていたことを指摘されてぎくりとする。……でも。
「不満がないわけじゃないよ。私をありがたがるのとか、今すぐやめて欲しいもん。実際に予知でみんなを助けてくれてるのはホウオウで、私は何もしてないのに」
「あら、殊勝なこと。……ほんで?」
「投げ出したいときも、逃げ出したい時もある。……でもね。私、みんなの笑顔を見るのが大好きなの。私が〝虹の巫女〟をやることでみんなが喜んでくれるなら、このままでいいかなって」
えへへ、と頬をかく。寂しい。しんどい。嬉しい。誇らしい。どれも本当で、同じ重さを持っている。時折天秤が傾きそうになるけれど、それでも前を向けるのは。
表情をひきしめて居住まいを正し、永遠の少女の前に膝をついた。いつかのように、あたたかなその手を両手で包み込む。
「ホウオウ。いつも支え、助け、導いてくれるあなたに、私もみんなも心から感謝しています。……本当に、ありがとう」
唐紅をまっすぐ見つめ、深く頭を下げ――られない。それどころか指先ひとつすら動かせない。あ、あれ?
「言うたやろ。堅苦しいのは苦手や」
サイコキネシスで私の体の主導権を奪ったホウオウは、口を尖らせながら私の鼻をつんと突いた。途端に体に自由が戻る。……うん、そうだね。そうだったよね。
「いつもありがとう!だいすき!!」
「うんうん、そっちの方がよっぽどええ」
小さな体をぎゅっと抱きしめれば、細い手がご機嫌に背中を行き来する。ああ、あったかい。
「あんさんの好きなように、やりたいようにやり。うちもそうしとる」
「うん」
ほな、また。腕の中から緋色が消える。けれど、彼女がくれたぬくもりはじんわりと残っていた。
☆
ドンドンドン!ドンドンドンドンドン!
扉を激しく叩く音が昼夜問わず響き渡る。その合間に「魔女め!早く出てこい!」「よくも俺たちを騙したな!」という怒鳴り声も聞こえ、ぎゅうっと鈴を握りしめた。
どうして。どうしてこんなことに。
今年は豊作だって、雨もたくさん降るって言ったじゃない。
雨なんか1滴も降らなかった。ひどい日照りが続いて井戸も川も干からびてしまった。みんな渇いて苦しんでる。
水がないから作物だって全く育たなかった。蓄えもすぐに尽き、奪い合いが始まった。みんな飢えて苦しんでる。
おばあちゃんが死んだ。リングマが死んだ。お父さんが死んだ。お母さんが死んだ。おじいちゃんが死んだ。村の人も大半が死んだ。飢えて、渇いて、食べられて。
たすけて、たすけて、たすけて!!
なんで答えてくれないの!?どうして何も言ってくれないの!?
どんなに呼んでも鈴を鳴らしても、あの日以来ホウオウは一度も姿を現さなかった。テレパシーだって聞こえない。
困っているひとがたくさんいるのに。みんなあなたに助けて欲しいのに。今まで助けてくれていたのに。
どうして。どうして。どうして。
ドオオオン!一際大きな音がして、扉を押さえていたウソッキーが吹き飛ばされた。大きく開いた穴からは太くたくましい一本角が覗いている。――ヘラクロスだ。そのまま彼が扉をあっけなく粉砕すると、怒号と荒々しい靴音が一気になだれ込んできた。抵抗空しく、腕や髪を掴まれて表へ無理矢理引きずり出される。痛い。痛い。それでも、鈴だけは決して離さない。
「何が虹の巫女だ、このアバズレ!ホウオウ様から鈴をいただいたからって調子に乗りやがって!」
――ありがとうございます、巫女様。お陰様で助かりました。ホウオウ様にもよくよくお礼をお伝えくださいませ。
「うちの妻と子どもはお前が予知を外したせいで死んだんだ!お前も早く死ね!!」
――巫女様、今度妻が出産するんです。どうか言祝いでいただけませんか。あなたの祝福があれば私も妻も安心です。
罵声を浴びながら鎖で縛りあげられ、乱暴に引き立てられていった先には――火刑台。ザアッと全身から血の気が引いた。前 の最期の記憶が押し寄せて、心が恐怖一色に塗り潰される。あの痛みが、苦しみが、またやってくる。前よりもっとひどい形で。
「いッ、いやあああああああああ――――!!なんで私が、いや、こんな、いやだ、だ、だって私、私……何もしてないのに!!」
ただホウオウの言葉を伝えただけ!ただみんなに笑って欲しかっただけ!みんなだって喜んでくれたじゃない!!
泣こうが喚こうが誰も助けてくれない。台の上へ括りつけられ――ついに、薪に火が放たれた。
パチパチパチ、元気よく火の粉が跳ね回る。自分の喉から獣の咆哮のようなものがほとばしった。渇いて渇いて仕方ないのに涙も鼻水もとめどなく溢れてくる。こんな……こんなのってないよお……!!
「ホウオウ様、ホウオウ様!あなたが鈴を授けた女を捧げます!どうか我らに今一度お恵みを!!」
火刑台を中心に残った村人が円を作り、かわるがわる頭を垂れる。同じ言葉をくりかえしながら。
ホウオウ様。ホウオウ様。ホウオウ様。ホウオウ様。
「ほ、う……おう……」
黒い煙を吸って勢いよく咳き込んだ。苦しい。熱い。痛い。ぐらぐらする。
「ほうおう……ほぅ、おぉ……」
炎の舌が足を舐め始める。肉の焦げるにおいが鼻を刺す。残った力をかき集め、とうめいなスズを握りしめた。
「たすけて……!!死にたく、ない……ッ!!」
かつん。こつん。
かつん。こつん。かつん。
「あらまあ、なんやまた随分えらいことになってはるねえ?」
霞んで滲んだ視界の中、太陽のまばゆさと炎のきらめきを持った私の神様――ホウオウが、そこにいた。胸の内で渦巻く様々なものが、雫として、言葉になり損ねた嗚咽として、怒涛の勢いで溢れ出す。
「ふ、う、うぇ、あううぅ……」
「堪忍なあ。ちょっと遠くまで行っとったさかい、気付くの遅くなってもうたわ。けど、間に合うてよかった」
長い指が濡れた目尻を優しく拭う。その拍子にしゃらり、高い位置で結われた緋色の髪と、そこに刺されたハスの花の簪が揺れた。せっかく拭ってもらったのに後から後から溢れてくる。
「よしよし、心配あらへん。すぐにまた〝次〟が始まるさかいな」
……え?
安堵で緩み切った脳が動きを止めた。ど、う、いう……?
「ほんまはなあ、生まれ変わる時に前世の記憶 をまっさらにするのが決まりなんよ。そやけどあんさんのお願い叶えるために、それ、うちの権能 で無しにしたんどす」
ホウオウはいつもの他愛のない話、何気ない会話と全く同じ軽やかさで言葉を紡いでいく。
「そのかわり、前のあんさんが死んだのと同じ19にならはったら肉体は滅んでまうんやけど、まあ、どっちものうなることに比べれば些細なもんや。魂は何度も何度でも、永遠に生きられるさかい」
苦手な野菜も好きなお肉と一緒なら食べられるよね、とでも言うかのように、甘い声に包まれた絶望を突きつけられる。
まって……まって、まってまってまってまって。
ちが、わたし、そういういみじゃ、
「よかったなあ。死にたくない んやろ?」
その微笑みは、仏のような慈悲深さと、悪魔のような恐ろしさを同じだけ持っていた。
泥沼へ沈むように目の前が真っ暗になる。
「ほな、いってらっしゃい」
***
火刑台の足元に降り積もった灰の山。それを村人たちは枯れた川へ、ひび割れた土地へ撒いていく。雨が降るように。畑が蘇るように。神の恵みが得られるように。そんな祈り を込めて。
山はどんどん小さくなり、やがて中から透き通った丸いものが現れた。村人たちが気付く前に長い指がひょいと摘まみ上げる。
「あらあら。あの子、これ置いて行きはったんやね。もういらんならうちがまた貰っとこか」
しゃん。しゃん。しゃらん。
澄んだ音色の鈴を弄びながら、ホウオウはいずこかへ歩き出した。
「相も変わらず、みんな困ってはるなあ。どれにしようかな、天の神様の言う通り……ふふ、なあんて」
鈴に合わせてわらべ歌を口ずさむ。何度か村人とすれ違ったけれど、どちらも振り向きはしない。
やがて鈴の音もその姿も、赤々と燃える夕日の向こうへ溶けて消えた。
Fin.
【乞へや祈れや】
痛い。体が動かない。
ここはどこなのか。何が起こったのか。どうしてこうなったのか。まったくわからない。頭の中は霞を詰めこまれたみたいにふわふわで、あやふやだ。
1つだけわかるのは、自分が今、死にかけていること。
今にも消えそうな蝋燭がどんどん短くなっていく。気を抜くと意識ごと刈り取られそうになるから、痛みにしがみつくことでどうにか繋ぎ止めた。
どうして。なんで。私が。
いやだいやだいやだいやだ。死にたくない、死にたくない、死にたくない!まだやりたいこといっぱいあるのに!!こんなの絶対いや!!
誰か……誰か、助けて――――!!
からん。ころん。
からん。ころん。からん。
ふと、どこかから鈴を転がすような音した。軽やかなその音はゆっくりこちらに近付いてくる。
「あらまあ、随分えらいことになってはるねえ?」
甘く透き通った声と共に緋色の長い髪がなびく。いつの間にか、朝日の眩しさと夕日の鮮やかさを併せ持った少女が私を見下ろしていて――数秒、世界が止まった。ああ……綺麗。
少女はくすりと微笑み、かがんで私の顔を覗き込んだ。その拍子にしゃらり、ハスの花の帯飾りが揺れる。ひとつひとつの動作があまりにも可憐でいちいち目を奪われる。花びらのような唇が持ち上がり、甘い音色が耳を撫でた。
「うち、あんさんの〝助けて〟いう声に呼ばれてきたんよ。あんさんは
「わ……たし、は……」
死にたくない。
真っ先に零れ落ちた言葉に、長いまつ毛と赤いラインに縁どられた唐紅の瞳が緩やかな弧を描く。
「ええよ。その
その微笑みは女神のように麗しく、聖母のように慈愛に満ちていた。溢れた雫が頬を伝う。このまま何もかも委ねてしまいたい。
ほっそりした手が伸ばされて、私の右手をそっと握った。少女のやわらかな体温が流れ込んでくる。
「ほな、行こか」
ゆっくり頷くと少女は微かに笑みを深めた。しゃらん――澄んだ鈴の音が響いたかと思えば、目が焼かれそうなほど眩しく、けれど優しい光に包まれる。
あたたかで鮮烈な光の中、右手をぎゅっと握りしめ、眠るように意識を手放した。
☆
次に目が覚めた時、私は知らない女の人に抱かれていた。曖昧な意識が穏やかな歌声を拾う。
雨はやがてあがるもの 雲はいつか切れるもの
顔をあげてごらん 君を呼ぶ声きこえるはず
この歌はよく知っている。小さい頃、子守歌としてお母さんが歌ってくれたっけ。
懐かしさに浸りかけてハッと我に返る。私、あれからどうなったの?ここはどこ?この人は誰?今どういう状況?
「おはようさん。気分はどない?」
不意に響いた低く艶のある声の方へ視線を向けると――この世のものとは思えないほど美しい緋色が映り、束の間、呼吸を忘れた。
ぼうっとしている私を怪訝に思ったのか、そのひとは小さく首を傾げる。その拍子に高い位置で結われた緋色の髪と、そこに刺されたハスの花の簪が揺れた。……あれ、この色、この花、どこかで。
「ああ、
そう言うなりぱっとそのひとは消え失せ、代わりにあの時の少女が現れた。突然の摩訶不思議現象に脳の処理が追い付かない。けれど、あでやかに微笑む少女の「うちのこと、覚えてはる?」という問いかけにはどうにか頷きを返せた。少女は「そらよかった」と目を細め、再び青年の姿を取る。
「何から話そかなあ、まずは自己紹介やろか。うちはホウオウ。あんじょうよろしゅう」
はんなり告げられた言葉にオーバーヒート気味だった脳が完全に処理落ちする。……今、なんて?ホウオウ??
えええええ!?という絶叫――ではなく、「あうあー」と拙い音が私の口から溢れた。
「ふふ、ご機嫌ね。何見てるの~?」
上から優しい声が振ってきて、そっと頬をつつかれる。愛おしくてたまらないと言うように。
ツッコミどころが山ほどあるせいで再び脳が処理落ちする。目を白黒させる私に、虹の翼を持つ神様はゆったりと語り始めた。
1つめ。ホウオウの力で私は赤ちゃんとして新たに生まれ変わったらしい。最初は生き返ったのかと思ったけど、「お願いが
記憶は
2つめ。彼(あるいは彼女)の声と姿を認識できるのは私だけ。曰く「うち、目立つやろ?見つかって騒がれたら面倒やさかい、許可した相手以外はうちを認識できひんようにしとるんよ。まあカクレオンみたいなもんやと思って」。いや、騒がれるの絶対目立つからだけじゃないでしょ。
一通り説明を終えたのか、つややかな唇が一旦閉じられる。
「……とまあ、こんな感じや。どうどす?まだわからへんこと、他に聞きたいことある?」
「うん。ええと……いっぱいあるんだけど……」
「ふふふ、ゆっくりでええよ。全部答えたるさかいな」
ゆるりと唐紅が弧を描く。ちなみに、ホウオウが「堅苦しいのは苦手なんよ」と言うのでタメ口で話すことにした。呼び捨ては本人の希望。様付けばっかりされるから呼ばれてみたいんだって。
閑話休題。……うん、まずはやっぱりこれだ。
「どうして私を、助けてくれたの?」
神様であるホウオウにとって、私は取るに足らないちっぽけな存在だろう。なのに、目に留まるどころか直々に手を差し伸べてもらえるなんて。
ホウオウはゆっくり瞬きして「そないなことが気にならはるん?」と小さく笑みを零した。長い指に毛先を絡めて弄びながら続きを口にする。
「うちなあ、暇やの。長いこと生きとるけど他の
「おしごと?」
私のオウム返しに「そうや」と頷き、こちらに視線をよこした。艶めかしい流し目の奥に強烈な圧を感じ取り、ドクンと心臓が跳ね上がる。このまま目を合わせていたらぺしゃんこに押し潰されてしまいそうなのに、唐紅の宝石に吸い寄せられて動けない。
「うちら……あんさんらの言う〝カミサマ〟は、
軽やかな口ぶりだけど、声や仕草の端々から厳かさが滲み出ている。ドクン、ドクン、ドクン。警鐘のように鳴り響く心臓が破裂しそうなくらい激しくなった時――ふと、目の奥の圧が薄まった。
「ほんで……ううん、口で説明するのややこしいなあ。要するに、あの時あんさんの〝助けて〟いう声がうちに聞こえた。それが理由や」
春の日差しのようなやわらかな微笑み。さっきの圧で強ばりきった心と体がじんわりほどけていき、ほうと息を吐いた。こわい。でも、きれいで、あったかい。それが、私の声を聞いてくれて、私を助けてくれた神様。そのことを嚙みしめれば、優しいぬくもりとなって胸の内を満たしていく。
突然強い眠気に襲われる。ああ、今の私、赤ちゃんだもんね。
ほな、また。ひらりと手を振って姿を消したホウオウの鮮やかな緋色が、すっかり閉じたまぶたの裏にいつまでも焼き付いていた。
☆
あの言葉どおり、ホウオウは再び私に会いに来てくれた。まさか5年後になるとは思いもしなかったけど。
口を尖らせてそう訴えれば「堪忍え。あんさんらはあっという間に大きゅうならはること、忘れとったわ」と謝られた。大きな背を丸めてすまなそうに眉を下げる姿がなんだかかわいくて、予定より早く許してあげることにする。
お気に入りのヒメグマぬいぐるみと遊んでいるフリをしつつ、二度目の人生でどんな日々を過ごしているのか、1つ1つ話していく。今の名前に慣れてきたこと。新しい家族もみんな優しくて仲良しなこと。友達ができたこと。村ではみんなが色んな野菜やきのみを育てていて、お裾分けし合っていること。
一頻り話し終えたら、頷きや小さく笑みを零すことで相槌を打っていたホウオウの手をそっと握った。あたたかなその手を両手で包み込む。
「今の私があるのはあなたのおかげ。……あの時助けてくれて、本当にありがとう」
唐紅の瞳をまっすぐ見つめ、ずっとずっと伝えたかった言葉をようやく口にする。彼は少しだけ目を見開いて、緩やかに三日月をつくった。
「そう言われると、お願い聞いた甲斐があるわぁ」
その微笑みは初めて出会った時と同じように麗しく、慈愛に満ちていて。とくん、小さく心臓が高鳴る。ホウオウは、私の神様は、なんて美しいんだろう。
蕩けかけた思考を「ご飯できたわよー」というお母さんの呼ぶ声が現実に引き戻す。楽しい時間はいつだってあっという間だ。
離れ難くてぎゅっとホウオウの手を握りしめたら、自由な方の手が頭に乗せられた。ぽんぽん、と優しく跳ねる。
「また来るさかい、はよ行ったり」
「ほんとに?5年もほったらかしたりしない?」
「ほんまほんま。……あ、ええこと思いついた」
手ぇ出して、と促されるままゆっくり広げた手の上に丸いものが乗せられた。すべすべで透き通った色をしている。そっと摘まみ上げれば、しゃん、と澄んだ音色が響く。
「これはとうめいなスズ。いつやったか……ニンゲンがうちにくれるて言わはるさかい、貰ったんどす。ええ音やろ」
「うん。すごく綺麗……」
しゃん、もう一度鳴らしてみる。雲一つない青空みたいに清らかだ。そういえば、あの時聞こえた鈴の音に似てるような。
「あんさんにあげるわ。うちと話したいなあて思わはったら、それ鳴らし。聞こえたら会いにきたる」
「えっ!……でも、大事なものなんじゃ……」
「かまへんかまへん。音は気に入っとるけど、なんとなーく持っとっただけでないと困るもんやあらへんの」
どない?と首を傾げるホウオウ。そんなの決まってる。鈴をぎゅっと抱きしめ、力いっぱい頷いた。
「ありがとう!これ、大事にするから!」
ホウオウはふわりと微笑み、緋色の髪とコートを翻す。瞬きの間に見えなくなってしまったけど、彼の置き土産はちゃんと届いた。
ほな、また。鈴の音が鳴った時に。
☆
次の日、早速鈴を鳴らす……なんて無粋な真似はしない。いや、正直昨日は浮かれて「明日鳴らしてみよう」とか思ってたけど。
ホウオウは私の神様だ。でも、私だけの神様じゃない。本人は暇だなんて言っていたけど、「困ってる人やポケモンを助けるのが
でも、本当に来てくれるのかな。そんな不安が拭えなくて、結局10日後、家に誰もいない時を見計らってそっと鳴らした。しゃらん――透明な音色が静かに響く。
きっと来てくれる。来てくれないかもしれない。胸の内で期待と不安がシーソーゲームをくり広げている。どきどきうるさい心臓の前でぎゅっと鈴を握りしめた。
「だーれや」
突然、視界が真っ暗になる。驚いて飛び跳ねた心臓がすぐさま違う意味で跳ね回りだす。この声は、この温度は。
ホウオウ!そう叫んで振り向けば、世界で一番美しい緋色がゆったりと笑みを湛えていた。今日は女の子の方だ。
「あたり。元気してはった?」
「うん。ホウオウは?」
「ぼちぼち」
言いながら口元に袖を持って行く仕草はあどけないのに色っぽい。そういうちょっとした所や雰囲気、身に着けているものから「彼」と「彼女」が同一人物なのだとしみじみ実感する。
「ねえ、なんでホウオウは擬人化した姿が2つあるの?伝説ポケモンだから?」
「
綺麗なお兄さんと可憐な女の子、交互に姿を変えながら「どうどす?あんさんはどっちがええ?」と微笑んでみせる。そんなの、選ぶまでもない。
「どっちも好き。だってどっちもホウオウだもの」
「あらお上手。どこで覚えてきはったんやろか」
ころころ笑うホウオウはいつの間にか女の子の姿に戻っていた。今日の気分はこっちなのだろう。彼女の動きに合わせて少しウェーブした緋色の髪がやわらかく揺れる。
思い切って触らせて、とお願いしたら快く了承してくれた。おそるおそる手を滑らせれば、ふわふわ・すべすべ・さらさらの三拍子。ほんのりぬくもりを帯びたそれはずっと触ってたいくらい肌ざわりがいい。ほのおタイプの鳥ポケモンだからかな。
うっとりしている私を見て、ほなうちも、とホウオウの手が伸びてくる。細い指が髪を通る感触が少しくすぐったい。次第にその動きがゆっくり、ゆっくりになり――私のまぶたも、ゆっくり重たくなっていった。
目を覚ましたのは布団の上で、時計の針が随分進んでいた。ホウオウだってもういない。でも、右手の中にはとうめいなスズがきちんと収まっていた。
途中で寝ちゃったのは残念だけど、鳴らせば来てくれるってわかったからよしとしよう。鈴に唇を近づけてそっと囁く。
またね。
☆
家族や友達に隠れてこっそり鈴を鳴らし、やってきたホウオウと他愛のない話をする。来れない時はテレパシーでやり取り。そんな日々が何年も続いた、ある夏の日。
鈴の音と共に現れたホウオウ(お兄さんのすがた)は、私を見るなりゆっくり瞬きした。
「あんさん、なんや知らへん間に随分大きゅうならはったねえ」
「まあね。もう13だし」
自分で言うのもなんだけど、私はすくすく元気に成長していた。体もどんどん精神の年齢に近くなっていく。前に死んだのは19の時だから、あと6年で2倍生きたことになる。そのわりに精神的に大人になってる気がしないのはなんでだろう。人間って歳を重ねても中身はあんまり変わらないのかな。それとも赤ちゃんから再開したからとか?
「たった13年でこないに変わるやなんて、ほんま生きもんは不思議やなあ。お父さんもおもろいことしはるわ」
ふふ、と目を細めて私の頭を撫でる。こうやって時々覗く「神様」の顔にどうしようもなく惹きつけられてしまう。勿論いつもの顔も大好きだけど、それとは少し違う「好き」だ。
「そういえば、お父さんって誰のこと?ホウオウが一番偉いんじゃないの?」
「おかしなこと聞かはるねえ。お父さんはお父さんやろ」
「えー、わかんないよ」
思いつく限りそれらしいポケモンを挙げてみたけど、全部「さあて」とはぐらかされる。ジョウトにいるポケモンじゃないのかな。おじいちゃんが持ってる古い本とかに色々書いてあるかもしれない。
不意にホウオウが空を見上げた。つられて一緒に見上げれば、澄んだ清々しい青にメリープみたいなふわふわの雲が漂っている。燦々と降り注ぐ日の光が眩しくて手をかざした。
「明日のお天気、大荒れどすなあ」
今日の晩ご飯何かなあ、みたいに何気ない調子で言うものだからうっかり聞き逃しかけた。
「なんでわかるの?」
「見えた……聞こえた?どっちでもええけど、たまにあるんよ。雨も風もえげつないことになるさかい、あんさんもうちで大人しゅうしとき」
ほな、また。ふわり、緋色が消える。強さに個人差はあるけど神様たちは未来を予知する力がある、って前にホウオウが言ってたっけ。雨も風もひどい大荒れの天気……まさか、台風?
居ても立っても居られなくて、転がるように家へ走っていく。私の言葉じゃ信じてもらえないかもしれないけど、でも、伝えなくちゃ。
「おじいちゃん!今いい!?」
「おお、おまえか。そんなに慌ててどうした」
リングマやウソッキーと一緒に畑の手入れをしていたおじいちゃんは、道具を置いてゆっくりこちらへやってきた。帽子の下で優しい笑顔を浮かべている。
おじいちゃんはいつだって私の味方をしてくれた。一番に話すならこの人だ。乱れた息を整え、震える唇をそっと開く。
「……あの、ね。明日、台風が来るんだって。準備しておかない?」
「誰から聞いたんだい?村長のネイティオか?」
「ううん、そうじゃないけど……でも、とにかく来るの。そう聞いたの」
おじいちゃんの笑顔が戸惑いと困惑で曇る。孫が突然わけのわからないことを言い出したら誰だってそうだろう。ここでさらに「ホウオウから聞いた」なんて言えば頭がおかしくなったと思われるに違いない。でも、このままじゃ畑がみんなめちゃくちゃになってしまう。どうしよう。どうしたらいんだろう。手のひらにどんどん嫌な汗が滲んでいく。
するり、握りしめていたとうめいなスズが汗で滑り、手の中から飛び出した。――しゃん、しゃらん。澄んだ音色と共に地面に落ちる。鈴を見た途端、おじいちゃんの目がカッと見開かれた。
「これは……とうめいなスズ!!どうしておまえが持っとる!?」
「も、貰ったの。前に、あるひとに。綺麗な音だから、ずっと持ってて……」
いつも穏やかでにこにこしているおじいちゃんの鬼気迫る勢いに気圧され、しどろもどろに答える。おじいちゃんは「なんと……」と低く呟き、眉間を押さえて動かなくなった。やがてゆっくり手を下ろし、壊れ物を扱うような手つきでそっと鈴を拾い上げて私に握らせてくれた。真剣な眼差しで私を見つめ、私の名を呼ぶ。
「おまえにこれをくだすったのは、ホウオウ様じゃな?」
「……うん」
「この鈴はな、ずっとずうっと昔、この村の人間がこしらえてホウオウ様に捧げたものなんじゃ。まさか巡り巡ってまたこの村に、おまえのもとにやってくるとは……」
おじいちゃんは目尻を拭い、再び私をしっかり見た。
「台風が来るというのも、ホウオウ様のお言葉か?」
「うん」
「そうか。わしはリングマたちとうちの畑を守る。おまえは村の者たちにも教えてやっとくれ。信じない者にはこの鈴を見せてやればいい」
「うん!お父さんたちもすぐ呼んでくるから、無理しないでね」
手を振り合って、おじいちゃんは畑へ、私は村へ。家々を回ってホウオウの言葉を伝えていく。はじめはみんな胡乱な目をしていたけれど、とうめいなスズを見せれば誰もがすぐさま畑へ急いだ。
作物に支柱を立て、被覆資材をかぶせ、排水路を掃除する。畑だけじゃなく家の方も、雨戸を閉めたり、飛ばされそうなものを片付けたり。
村中の大人も子どももポケモンも総動員で作業したお陰で、日が暮れる頃にはすっかり台風対策が整った。
☆
「それで、ホウオウ様はなんと……?」
「今年は豊作だそうです。雨もよく降り、水不足になることはないとおっしゃっています」
「おお……!!ホウオウ様、虹の巫女様、ありがとうございます……!!」
村長を筆頭に村の老人たちが床に頭をすりつけた。どの顔にも満開の笑顔が浮かんでいる。
「では、私は執務に戻ります。何かあればお呼びください」
「はい。巫女様、お勤めご苦労様でございます」
微笑みと共にお辞儀して、しずしず自分の部屋へ戻る。ぱたんと襖を閉めてから深く息を吐いた。
「お疲れさんどした、〝虹の巫女〟様」
「もう、からかわないでよ」
「ふふふ、堪忍堪忍。にしても、けったいなあだ名つけられてしもうたなあ?」
文机に腰を下ろした緋色の少女がころころ笑う。村長たちは
6年前、13歳の夏。台風は本当にやってきた。大型な上に突如発生したもので、対策が遅れた地域は甚大な被害にあったそうだ。一方、私の村は負傷者ゼロで、畑の被害も最小限に抑えられた。
かくして、とうめいなスズを持って村中に「台風が来る」と言って回った私は、その日を境にみんなから「ホウオウ様の声が聞こえる特別な子」として扱われるようになる。今年の実りはどうか、雨は降るか、子どもが原因不明の病に倒れた、うちのミルタンクがいなくなった……エトセトラ。「ホウオウ様にお伺いしてください」という言葉と共に様々な心配事・悩み事が次から次へと舞い込んできた。
みんなの役に立ちたくて、笑ってほしくて、乞われるままにホウオウの言葉を伝え続けた。そしたらいつの間にか「虹の巫女」と呼ばれ始め――今に至る。
気さくに話しかけてくれたおじさんも、悪戯してこっぴどく叱られたおばあさんも、家族以外の大人は私に敬語を使うようになった。ちょっと過剰なくらい丁重に扱われている。友達とも全然遊べない。時々村で見かけるけど、目が合うとさっと会釈してパッと行ってしまう。
おじいちゃんたちだって変わってしまった。食事はうんと豪華になって、いっぱい甘やかしてくれるけど、「大事な体に何かあっては大変だ」「おまえはそんなことしなくていいんだよ」と何もさせてもらえず、ほとんど家から出してもらえない。
「あんさんもようやらはるなあ。いろんなもんが変わって、いろんなもんおっかぶせられて。嫌になったりしないん?」
ちょうど考えていたことを指摘されてぎくりとする。……でも。
「不満がないわけじゃないよ。私をありがたがるのとか、今すぐやめて欲しいもん。実際に予知でみんなを助けてくれてるのはホウオウで、私は何もしてないのに」
「あら、殊勝なこと。……ほんで?」
「投げ出したいときも、逃げ出したい時もある。……でもね。私、みんなの笑顔を見るのが大好きなの。私が〝虹の巫女〟をやることでみんなが喜んでくれるなら、このままでいいかなって」
えへへ、と頬をかく。寂しい。しんどい。嬉しい。誇らしい。どれも本当で、同じ重さを持っている。時折天秤が傾きそうになるけれど、それでも前を向けるのは。
表情をひきしめて居住まいを正し、永遠の少女の前に膝をついた。いつかのように、あたたかなその手を両手で包み込む。
「ホウオウ。いつも支え、助け、導いてくれるあなたに、私もみんなも心から感謝しています。……本当に、ありがとう」
唐紅をまっすぐ見つめ、深く頭を下げ――られない。それどころか指先ひとつすら動かせない。あ、あれ?
「言うたやろ。堅苦しいのは苦手や」
サイコキネシスで私の体の主導権を奪ったホウオウは、口を尖らせながら私の鼻をつんと突いた。途端に体に自由が戻る。……うん、そうだね。そうだったよね。
「いつもありがとう!だいすき!!」
「うんうん、そっちの方がよっぽどええ」
小さな体をぎゅっと抱きしめれば、細い手がご機嫌に背中を行き来する。ああ、あったかい。
「あんさんの好きなように、やりたいようにやり。うちもそうしとる」
「うん」
ほな、また。腕の中から緋色が消える。けれど、彼女がくれたぬくもりはじんわりと残っていた。
☆
ドンドンドン!ドンドンドンドンドン!
扉を激しく叩く音が昼夜問わず響き渡る。その合間に「魔女め!早く出てこい!」「よくも俺たちを騙したな!」という怒鳴り声も聞こえ、ぎゅうっと鈴を握りしめた。
どうして。どうしてこんなことに。
今年は豊作だって、雨もたくさん降るって言ったじゃない。
雨なんか1滴も降らなかった。ひどい日照りが続いて井戸も川も干からびてしまった。みんな渇いて苦しんでる。
水がないから作物だって全く育たなかった。蓄えもすぐに尽き、奪い合いが始まった。みんな飢えて苦しんでる。
おばあちゃんが死んだ。リングマが死んだ。お父さんが死んだ。お母さんが死んだ。おじいちゃんが死んだ。村の人も大半が死んだ。飢えて、渇いて、食べられて。
たすけて、たすけて、たすけて!!
なんで答えてくれないの!?どうして何も言ってくれないの!?
どんなに呼んでも鈴を鳴らしても、あの日以来ホウオウは一度も姿を現さなかった。テレパシーだって聞こえない。
困っているひとがたくさんいるのに。みんなあなたに助けて欲しいのに。今まで助けてくれていたのに。
どうして。どうして。どうして。
ドオオオン!一際大きな音がして、扉を押さえていたウソッキーが吹き飛ばされた。大きく開いた穴からは太くたくましい一本角が覗いている。――ヘラクロスだ。そのまま彼が扉をあっけなく粉砕すると、怒号と荒々しい靴音が一気になだれ込んできた。抵抗空しく、腕や髪を掴まれて表へ無理矢理引きずり出される。痛い。痛い。それでも、鈴だけは決して離さない。
「何が虹の巫女だ、このアバズレ!ホウオウ様から鈴をいただいたからって調子に乗りやがって!」
――ありがとうございます、巫女様。お陰様で助かりました。ホウオウ様にもよくよくお礼をお伝えくださいませ。
「うちの妻と子どもはお前が予知を外したせいで死んだんだ!お前も早く死ね!!」
――巫女様、今度妻が出産するんです。どうか言祝いでいただけませんか。あなたの祝福があれば私も妻も安心です。
罵声を浴びながら鎖で縛りあげられ、乱暴に引き立てられていった先には――火刑台。ザアッと全身から血の気が引いた。
「いッ、いやあああああああああ――――!!なんで私が、いや、こんな、いやだ、だ、だって私、私……何もしてないのに!!」
ただホウオウの言葉を伝えただけ!ただみんなに笑って欲しかっただけ!みんなだって喜んでくれたじゃない!!
泣こうが喚こうが誰も助けてくれない。台の上へ括りつけられ――ついに、薪に火が放たれた。
パチパチパチ、元気よく火の粉が跳ね回る。自分の喉から獣の咆哮のようなものがほとばしった。渇いて渇いて仕方ないのに涙も鼻水もとめどなく溢れてくる。こんな……こんなのってないよお……!!
「ホウオウ様、ホウオウ様!あなたが鈴を授けた女を捧げます!どうか我らに今一度お恵みを!!」
火刑台を中心に残った村人が円を作り、かわるがわる頭を垂れる。同じ言葉をくりかえしながら。
ホウオウ様。ホウオウ様。ホウオウ様。ホウオウ様。
「ほ、う……おう……」
黒い煙を吸って勢いよく咳き込んだ。苦しい。熱い。痛い。ぐらぐらする。
「ほうおう……ほぅ、おぉ……」
炎の舌が足を舐め始める。肉の焦げるにおいが鼻を刺す。残った力をかき集め、とうめいなスズを握りしめた。
「たすけて……!!死にたく、ない……ッ!!」
かつん。こつん。
かつん。こつん。かつん。
「あらまあ、なんやまた随分えらいことになってはるねえ?」
霞んで滲んだ視界の中、太陽のまばゆさと炎のきらめきを持った私の神様――ホウオウが、そこにいた。胸の内で渦巻く様々なものが、雫として、言葉になり損ねた嗚咽として、怒涛の勢いで溢れ出す。
「ふ、う、うぇ、あううぅ……」
「堪忍なあ。ちょっと遠くまで行っとったさかい、気付くの遅くなってもうたわ。けど、間に合うてよかった」
長い指が濡れた目尻を優しく拭う。その拍子にしゃらり、高い位置で結われた緋色の髪と、そこに刺されたハスの花の簪が揺れた。せっかく拭ってもらったのに後から後から溢れてくる。
「よしよし、心配あらへん。すぐにまた〝次〟が始まるさかいな」
……え?
安堵で緩み切った脳が動きを止めた。ど、う、いう……?
「ほんまはなあ、生まれ変わる時に
ホウオウはいつもの他愛のない話、何気ない会話と全く同じ軽やかさで言葉を紡いでいく。
「そのかわり、前のあんさんが死んだのと同じ19にならはったら肉体は滅んでまうんやけど、まあ、どっちものうなることに比べれば些細なもんや。魂は何度も何度でも、永遠に生きられるさかい」
苦手な野菜も好きなお肉と一緒なら食べられるよね、とでも言うかのように、甘い声に包まれた絶望を突きつけられる。
まって……まって、まってまってまってまって。
ちが、わたし、そういういみじゃ、
「よかったなあ。
その微笑みは、仏のような慈悲深さと、悪魔のような恐ろしさを同じだけ持っていた。
泥沼へ沈むように目の前が真っ暗になる。
「ほな、いってらっしゃい」
***
火刑台の足元に降り積もった灰の山。それを村人たちは枯れた川へ、ひび割れた土地へ撒いていく。雨が降るように。畑が蘇るように。神の恵みが得られるように。そんな
山はどんどん小さくなり、やがて中から透き通った丸いものが現れた。村人たちが気付く前に長い指がひょいと摘まみ上げる。
「あらあら。あの子、これ置いて行きはったんやね。もういらんならうちがまた貰っとこか」
しゃん。しゃん。しゃらん。
澄んだ音色の鈴を弄びながら、ホウオウはいずこかへ歩き出した。
「相も変わらず、みんな困ってはるなあ。どれにしようかな、天の神様の言う通り……ふふ、なあんて」
鈴に合わせてわらべ歌を口ずさむ。何度か村人とすれ違ったけれど、どちらも振り向きはしない。
やがて鈴の音もその姿も、赤々と燃える夕日の向こうへ溶けて消えた。
Fin.
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