カミサマの玩具箱
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スイクン編
【がらんどう明鏡止水】
ちゅんちゅん、ぴちちち。鳥ポケモンの鳴き声で目を覚ました。がらんとした家の中、無性に泣き出したくなるのをぐっと堪えて朝食の支度をする。卵をジュウジュウ炒める音や、やかんのしゅわしゅわ立てる音が、やけに大きく響いた。
スクランブルエッグを乗せたトーストを機械的に齧っては熱い紅茶で流し込む。やっとの思いで空にした器をすすぎ、水を注いだバケツへ柄杓と雑巾、スポンジを放り込んだ。
「行ってきます」
返事はないなんてわかりきっているくせについ口にしてしまう。勝手に言って、勝手に傷ついて。不毛すぎる。やめればいいのに。いいでしょ別に。そう簡単にやめられたら苦労しないし。脳内ひとり言大会は今日も白熱。
家の裏手、少し開けた場所には墓石が4つ。1つ1つを丁寧に磨きあげながら、ぽつぽつと取り留めのない話をする。お花、萎れてきたからそろそろ換えようか。食材ももうすぐ底を突くし、明日あたりにフスベシティで買い物してくるよ。イブキさんにも、改めて葬儀を手伝ってもらったお礼をしないとね。
掃除が一通り済めば、4つの墓石の前で膝を折り、手を合わせてまぶたを閉じる。ざわざわとさざめく心が凪いでから、ゆっくり目を開けて立ち上がった。「じゃあ、また明日」と墓石を順に撫でる。
道具を片付け、家から南に下っていくと、澄み切った湖が広がっている。そのほとりに腰を下ろし、膝を抱えてぼんやり景色を眺めた。ここを見ている時だけは何も考えずにいられるから楽だ。受け入れられない現実から目を背けて、耳を塞いで、きらめく水面だけを視界に映す。
「どないしはったん?」
不意にたおやかな声がして驚いて顔を上げる。視線の先では、息が止まってしまいそうなほど美しいひとが、水縹 の羽織と菖蒲色の髪をなびかせながら湖面に立っていた。精巧な彫刻のような顔立ちにルビーが2つ嵌め込まれている。
どこから現れたのか、どうして水の上で沈まずにいられるのか。そんな疑問を抱く前に、ただ目を奪われた。
「突然声かけて堪忍え。どうにも気になってしもて」
そのひとは大地を歩くのと同じように静かに波紋を広げながらすいすい近付いてくる。状況が飲み込めず呆然としたままの私の頬に、するりと白魚のような手が伸びてきた。
「あらまあ、こないに隈作って。可哀想に」
艶やかな赤い瞳に見つめられ、とくんと心臓が跳ねる。ああ、きれい。初対面の相手にこんなに距離を詰められているというのに、不思議と恐怖も不快感もなかった。
「あんさん、最近ここでずうっと、暗ぁい顔して蹲ってはるやろ。なんやえらい悲しいことでもあったん?うちが聞いたる」
真綿のような優しい声に、久しぶりの誰かの体温に、目頭の奥で蛇口が弾け飛ぶ。そのひとの胸に縋り付き、子どもみたいに大声でわあわあ泣きじゃくった。
祖父母と母とエーフィと暮らしていたこと。5年前に祖父が、2年に祖母が亡くなったこと。病に倒れた母が、先月ついにこの世を去ったこと。母の死後、後を追うようにエーフィが息を引き取り、ひとりになってしまったこと。
悲しみ、喪失感、寂しさ、やるせなさ。心の奥で押し固めていたそれらを、涙と一緒に思いっきりぶちまけた。
「辛いなあ、悲しいなあ。そないな中、ひとりで気張っとったんやねえ。よしよし、ええ子ええ子」
ゆっくり背中を行き来する手があたたかい。泣いて、泣いて、泣いて――そのまま、いつの間にか眠りに落ちていた。
ふっと意識が浮上する。ぼやけた視界に映る湖はすっかりオレンジ色に染まっていた。慌てて飛び起きた拍子に、肩からぱさりと何かが滑り落ちる。水縹の羽織……これ、って。
「おはようさん。よう寝てはったねえ」
声の方へ視線を向けると、さっきのひとがゆったり微笑んだ。もしかして、ずっと側にいてくれたのだろうか。それを尋ねればゆるりと首肯が返ってくる。
「ご、ごめんなさい!私ったら、いきなり泣いたり寝落ちしたり、羽織までお借りしてしまって……。本当に、ご迷惑をおかけしました……!!」
「ふふ、ええよええよ。少しはすっきりしはった?」
「……はい。なんだか、心が軽くなりました。ありがとうございます」
そらよかった、と赤が三日月を作る。ちょっとした仕草がいちいち絵になるひとだなあ。羽織についた砂を丁寧に払い、お返ししながら名を名乗る。今更ではあるけれど、名乗らない方が失礼だし。
「そういえば、うちもまだ名乗ってへんかったね。スイクンどすえ。あんじょうよろしゅう」
「すっ、スイクン様!?あなたが!?」
ううう噓でしょ!?私、神様相手に醜態晒しまくったってこと!?度肝を抜かれて狼狽えていると、スイクン様ははんなり頬に手を当てた。
「いややわぁ、〝様〟やなんて大袈裟な。ちょっと珍しいだけの、ただのポケモンや」
「何を仰るんですか!スイクン様といえば、かのホウオウ様と共にジョウトをお守りくださってる伝説ポケモンの一角で、」
途中でふに、と長い人差し指が押し当てられる。困ったような笑顔で「堅苦しいのは苦手なんよ。せめて〝さん〟がええな」と言われてしまえば、頷くしかなかった。
「ええと、じゃあ……スイクン、さん」
「なあに?」
「いろいろとご迷惑をおかけしてしまったので、お詫びをさせて欲しいのですが……何か、ご希望とかありますか?」
そうやねえ、と顎をつまんだスイクンさんは、くるりと視線を巡らせる。
「何でもええのん?」
「何でも、は難しいですけど……私にできる範囲であれば」
「ほな……うちのお願い、1つ聞いてくれへん?」
ついとこちらに向けられた赤い瞳が寂しそうに細められた。
「……うちな。心いうもんが、わからへんのや」
え、と思わず声が漏れる。スイクンさんは物憂げに眉を寄せたまま、くすりと微笑んだ。
「そうは見えへんかった?」
「は、はい。むしろ、感情豊かな方だなあと……」
「心がないなんて気味悪いやろ。嫌われとうのうて、真似っこしとるだけ。話し方も、笑い方も、全部誰かの真似っこ。偽もんや」
ひどく苦しげな目をしているのに、唇は穏やかに弧を描いている。その歪さすら美しくて、どうしても目が離せない。
「嬉しいとか悲しいとか、そういうのがあるんは知っとる。そやけど、うち自身はなあんも感じひん。ザルが水通すみたいにするっと通り抜けるだけや。大勢おる同胞 の中で、空っぽなんはうちだけ。……可哀想に、なんて言うて堪忍え。ほんまはうち、なんもわかってへんのに」
そう言って俯いたスイクンさんは、迷子の子どものような顔をしていた。
「うちも皆みたいに、心から笑ったり泣いたりしたい。あんさんのことも、ちゃんとわかってあげたい。……そやからうちに、心を教えてくれへんやろか」
憂いを帯びた赤い宝石がじっと覗き込んでくる。……ああ、このひとも、悲しいのだ。苦しいのだ。ひとりぼっちで寂しいのだ。今はそれを自覚できていないだけで。
たまらなくなって、そっとスイクンさんの手を取った。微かにひんやりしたその手を両手で包み込む。私が持つ温度を、少しでも分けてあげられるように。
「私で、よかったら」
「……おおきに。ありがとう」
ふにゃりと笑ったスイクンさんは、優しく私の手を握り返してくれた。
☆
そうは言ったものの。心を教えるって、いったい何をどうすればいいのか。スイクンさんに尋ねれば、んー、としばらく首を傾げてからこう答えた。
「あんさんが何を嬉しいと思って、何を悲しいと思ってはるか。まずはその辺から知りたいわ」
嬉しいこと。悲しいこと。
おばあちゃん特製のモモンジャムをたっぷり乗せた、焼きたてのトーストにかぶりついた時。エーフィを膝に抱き、ストーブの前で一緒にうとうとしている時。毛布にくるまり、熱いコーヒーを飲みながら皆で星を眺めた時。「おはよう」や「おやすみ」を言い合える時。
大切に育てていた花が、大雨で流されてしまった時。おじいちゃんと喧嘩して、1週間も口を利かなかった時。冷たくなったお母さんたちを埋めた時。誰もいない家に帰った時。
ぽつりぽつり、思い出と共に私の〝心〟を語る。言葉にすることで記憶が鮮明に蘇ってきて、目頭がじわりと熱くなる。私が目元を擦る度、スイクンさんはそっと頭を撫でてくれた。これも誰かの「真似っこ」だとしても、彼が寄り添おうとしてくれているのは伝わる。
「スイクンさんは、何が好きですか?好きまでいかなくても、いいなあとか、嫌じゃないと思えるものとか」
「そやねえ。やっぱりみずタイプやし、水があるとこは落ち着くわ。そやけど、海はルギアはんやカイオーガはんの領域やさかい、川とか湖の方がええなあ」
さらりとビッグネームを出されて思わず肩が跳ねた。やっぱりこのひと、神様なんだよね……。初めて会った時、水面に立っていたのも神様パワーに由来するのだろうか。
興味本位で聞いてみたら、スイクンさんは徐に立ち上がった。そのまま湖の縁まで手を引かれていく。いやいやいや、ちょっと待って!
「ちょ、あの、無理です……!」
「大丈夫、大丈夫。手ぇ離したりせえへんよ」
ひょいと湖面に足を乗せたスイクンさんがくるりと振り向き、及び腰な私へ優美な微笑みを浮かべた。
「おいで」
きゅっと口を引き結び、ぎゅっとスイクンさんの手を握った。大丈夫。大丈夫。震える足で一歩、踏み出す。
ぴちょん。やわらかな音と共に、足の裏で波紋が広がった。もう一歩。両足を水の上に乗せてみても、私の体は沈んだりしなかった。
ゆっくり後ろ向きに歩き始めたスイクンさんに合わせて、私も一歩、また一歩と前進する。なんだか不思議な感覚だ。何かを蹴っている感触はあるのに、足の裏がふわふわしている。
少しずつコツが掴めてきたから心に余裕が生まれて、ふと足元に視線を向けた。目に飛び込んできた光景に思わず歓声を上げる。
「わ、わ、すごい……!」
青く澄み渡る世界の中で、みずポケモンたちが自由に泳ぎ回っていた。ニョロモにニョロゾ、マリル、ウパー、トサキント。浅い所でエーフィと水遊びをしたことは何度かあるけれど、こんなに沢山のポケモンが暮らしていたなんて。はしゃぐ私を見て、スイクンさんが首を傾ける。
「〝楽しい〟?」
「はい!〝楽しい〟です!」
「ふうん。これがそうなんやね」
そう言って目を細めたスイクンさんも、〝楽しそう〟に見えた。
☆
毎日毎日、どうにかスイクンに心を伝えようとあれこれやってみた。一方的にただ話して聞かせるだけじゃなく、本を読み聞かせたり、料理をしてみたり。思いつく限りのことを一緒に体験した。その甲斐あって……かはわからないけれど、スイクンは出会った当初より表情が豊かになった、ような気がする。
目まぐるしい日々に、私の心に重く沈んでいた悲しみも、少しずつ和らいでいった。
彼と出会って初めての夏。今日はヤゴの実とビスナの実、竹串をザルに入れて持っていった。スイクンは興味津々といった風に覗き込んでくる。
「どないしたん、それ?」
「もうすぐお盆だから、精霊馬を作ろうと思って」
「オボン?ショウリョウウマ?」
聞き慣れないのか目をぱちぱちさせる。一緒に過ごすようになってわかったことだけれど、スイクンは人間の文化に疎い。神様だし、相当長く生きているから、てっきり何でも知っているものと思っていた。それを言えば「そら、知る機会がなかったさかい。うちがこないに深く関わったニンゲンは、あんさんが初めてや」と微笑まれた。
……心がわからないっていうの、ちょっと意味がわかったかも。勘違いしそうになっちゃうじゃない。こういう発言をちょくちょくしてくるから心臓に悪い。
閑話休題。摘まみ上げたビスナの実をしげしげと眺めるスイクンに、昔おばあちゃんから教わったことを説明する。
「お盆っていうのは、年に一度、ご先祖様たちの魂があの世から帰ってくる時期のこと。ご先祖様の魂をお迎えして、死後の世界でも幸せに暮らせますようにってお祈りするの。きのみと竹串でね、魂を送り迎えするための乗り物を作るんだよ。ヤゴの実は魂が早くあの世から帰ってこれるようギャロップに、ビスナの実はゆっくり帰ってもらうためにバッフロンに見立てるんだって」
話しながら、ヤゴの実に竹串を4つ刺してみせる。スイクンも同じようにビスナの実にぶすっと竹串を突き立てた。直後、甲高い悲鳴が上がる。勢い余って貫通してしまったのか、手のひらに串が突き刺さっていた。目尻に涙を浮かべながら抜いてあげれば、恨みがましそうな視線を向けられる。ああ、あの時のお母さんが大笑いしていた理由、やっとわかった。
ふたりで大騒ぎしながらギャロップとバッフロンを4匹ずつこしらえ、ザルに収めた。右手にザルを、左手に花を抱えてスイクンを案内する。バケツはスイクンが持ってくれた。
テッカニンたちの大合唱が響き渡る中、私の家族が眠る場所へ初めてスイクンを連れてきた。花とザルは一旦木陰に置いておき、バケツから取り出したスポンジをスイクンに渡す。簡単にやり方を説明して、左端のおじいちゃんの墓石から一緒に洗っていく。
いつも以上に丁寧に磨きながらゆっくり話し始めた。家族や友人など身近な誰かが亡くなったら、その遺体を土に埋めたり、焼いて灰にしたり、川や海に流したりして弔うこと。遺体を埋めた場所にはそのひとの名前を刻んだ木や石の標を立てること。年に何度かそこに訪れて、花や線香、そのひとの好きなものをお供えして、お祈りすること。……大切なひとが死ぬと、全身がばらばらになりそうなくらい悲しいこと。ほんの少しでも伝わるように、届くように、丁寧に。
黙って耳を傾けていたスイクンがふと口を開いた。
「あんさんも死んだら、土の下に入らはるん?」
「そうだね。入りたいけど……埋めてくれるひとがいないとなあ」
「うちが埋めたる。そんで、毎日来て、墓磨いて、花備えたるよ」
真剣な赤い眼差しにまっすぐ射抜かれ、心臓がどきりと跳ねる。勘違いしちゃいけないのに、彼の目があんまり綺麗だから、自然と涙が溢れていた。
真っ白な手が伸びてきて、親指でそっと私の目尻を拭う。そのままするりと頬に添えられた。
「あんな。あんさんとおると、なんや胸の辺りがあったこうなるんや。……これが〝好き〟いうやつなんかな」
頬を薄紅色に染め、はにかんだ笑みを浮かべるスイクンが、愛しくて、愛しくて。気付けば彼の胸に飛び込み、初めて会った時のようにわあわあ泣きじゃくっていた。
「すき!わたしもあなたがすき、だいすき!!」
力一杯そう叫んで彼の背中に腕を回すと、なめらかな水縹に包み込まれた。そのぬくもりが涙腺に追い打ちをかけ、涙がとめどなく頬を伝う。私が泣き止むまでスイクンはずっと抱きしめてくれた。
その日から、共に過ごす時間が増えていくごとに、スイクンは彫刻のような微笑ではなく、ふんわりしたあたたかな笑顔を浮かべるようになっていった。
☆
あれから何十年経っただろう。スイクンは出会った頃と変わらない姿なのに、私はすっかり老いさらばえた。あちこちに皺ができ、髪は白く染まり、手を引いてもらわなければ歩けないほど衰えた。
そのうちベッドから起き上がれなくなった私に、スイクンは毎日花を摘んできてくれた。私が祖父に、祖母に、母に、エーフィに、そうしていたように。
変わらない彼の美貌や若さを羨ましいと何度も思った。けれど、決して口には出さない。神様にも神様なりの苦悩があるのだともうわかっている。同じ時を歩むことはできなくても、最期を見届けてもらえるならそれで十分だ。
左手から伝わるぬくもりに口元が緩む。楽しかった。幸せだった。置いていって、ひとりにしてごめんね。ごちゃまぜの感情を乗せた雫が頬を伝う。
ぽたり、左手に何かが落ちる。顔を動かせば、滲んだ視界の中でスイクンが赤い瞳からはらはらと涙を溢れさせていた。
「……やっと、泣けたね」
はっとして自分の頬に触れたスイクンは「ほんまや」と呟き、くしゃりと顔を歪めた。
「うち、おかしいわ……。痛くて悲しゅうてたまらんのに……あんさんのために泣けたことが、もっと嬉しゅうて……。こんなん、もう、ぐちゃぐちゃや……っ!」
「おかしくないよ。それが心。ぐちゃぐちゃで、思い通りにならなくて、わけがわからないもの。……そういうのは、嫌?」
スイクンは何度も何度も首を大きく横に振る。私よりずっと長く生きている彼の、時折見せる幼い子どものような仕草が心底愛おしい。抱きしめる力はもう残っていないから、そっと左手に力を込めた。ぎゅう、と少し痛いくらいの強さで握り返される。
「うち、あんさんのことも、あんさんが教えてくれたことも、絶対忘れへん。……うちに心を教えてくれて、おおきに。ありがとう」
私の方こそ、ありがとう。愛してる。
泣きながら微笑むスイクンを目に焼き付け、静かにまぶたを閉じた。
***
握っていた女の手が、だらりと力を失う。名を呼んでみるがピクリとしない。そっと左胸に耳を近付けてみても、微かな振動さえ拾えなかった。
「……ああ、死にはった」
ぽつんと呟いたスイクンの瞳には何の感情も宿っていない。つい先程までその頬を濡らしていた涙すら、影も形もなかった。
ぽいと女の腕を放る。戯れにエンテイやライコウを真似てニンゲンを飼ってみたが、こんなものか。いつものように何一つ響かなかった。木の葉を散らす風のように、ただ吹き抜けていくだけ。
いったい彼らは何をどのように〝楽しんで〟いるのか、皆目見当がつかない。まあ別に、理解する気もないけれど。
スイクンは女の死体を放置したまま小屋を後にする。風の向くままふらふらと、あてもなくひらひらと。女のことも、女と過ごした日々も、既に彼の記憶の器から零れ落ちていた。
誰も彼も、ただ表面をなぞった だけであっさりすんなり信じ込む。「白々しい」だの「気色が悪い」だのと言ってくるのは同胞くらいなものだ。いったい何を基準に〝心〟を量っているのやら。〝優しく〟〝微笑めば〟それらしく見えるというなら、存外、単純なつくりをしているのかもしれない。
「ええなあ皆。うちも心、欲しいわぁ」
そう嘯いた言葉は、吹けば飛ぶような軽さだった。
Fin.
【がらんどう明鏡止水】
ちゅんちゅん、ぴちちち。鳥ポケモンの鳴き声で目を覚ました。がらんとした家の中、無性に泣き出したくなるのをぐっと堪えて朝食の支度をする。卵をジュウジュウ炒める音や、やかんのしゅわしゅわ立てる音が、やけに大きく響いた。
スクランブルエッグを乗せたトーストを機械的に齧っては熱い紅茶で流し込む。やっとの思いで空にした器をすすぎ、水を注いだバケツへ柄杓と雑巾、スポンジを放り込んだ。
「行ってきます」
返事はないなんてわかりきっているくせについ口にしてしまう。勝手に言って、勝手に傷ついて。不毛すぎる。やめればいいのに。いいでしょ別に。そう簡単にやめられたら苦労しないし。脳内ひとり言大会は今日も白熱。
家の裏手、少し開けた場所には墓石が4つ。1つ1つを丁寧に磨きあげながら、ぽつぽつと取り留めのない話をする。お花、萎れてきたからそろそろ換えようか。食材ももうすぐ底を突くし、明日あたりにフスベシティで買い物してくるよ。イブキさんにも、改めて葬儀を手伝ってもらったお礼をしないとね。
掃除が一通り済めば、4つの墓石の前で膝を折り、手を合わせてまぶたを閉じる。ざわざわとさざめく心が凪いでから、ゆっくり目を開けて立ち上がった。「じゃあ、また明日」と墓石を順に撫でる。
道具を片付け、家から南に下っていくと、澄み切った湖が広がっている。そのほとりに腰を下ろし、膝を抱えてぼんやり景色を眺めた。ここを見ている時だけは何も考えずにいられるから楽だ。受け入れられない現実から目を背けて、耳を塞いで、きらめく水面だけを視界に映す。
「どないしはったん?」
不意にたおやかな声がして驚いて顔を上げる。視線の先では、息が止まってしまいそうなほど美しいひとが、
どこから現れたのか、どうして水の上で沈まずにいられるのか。そんな疑問を抱く前に、ただ目を奪われた。
「突然声かけて堪忍え。どうにも気になってしもて」
そのひとは大地を歩くのと同じように静かに波紋を広げながらすいすい近付いてくる。状況が飲み込めず呆然としたままの私の頬に、するりと白魚のような手が伸びてきた。
「あらまあ、こないに隈作って。可哀想に」
艶やかな赤い瞳に見つめられ、とくんと心臓が跳ねる。ああ、きれい。初対面の相手にこんなに距離を詰められているというのに、不思議と恐怖も不快感もなかった。
「あんさん、最近ここでずうっと、暗ぁい顔して蹲ってはるやろ。なんやえらい悲しいことでもあったん?うちが聞いたる」
真綿のような優しい声に、久しぶりの誰かの体温に、目頭の奥で蛇口が弾け飛ぶ。そのひとの胸に縋り付き、子どもみたいに大声でわあわあ泣きじゃくった。
祖父母と母とエーフィと暮らしていたこと。5年前に祖父が、2年に祖母が亡くなったこと。病に倒れた母が、先月ついにこの世を去ったこと。母の死後、後を追うようにエーフィが息を引き取り、ひとりになってしまったこと。
悲しみ、喪失感、寂しさ、やるせなさ。心の奥で押し固めていたそれらを、涙と一緒に思いっきりぶちまけた。
「辛いなあ、悲しいなあ。そないな中、ひとりで気張っとったんやねえ。よしよし、ええ子ええ子」
ゆっくり背中を行き来する手があたたかい。泣いて、泣いて、泣いて――そのまま、いつの間にか眠りに落ちていた。
ふっと意識が浮上する。ぼやけた視界に映る湖はすっかりオレンジ色に染まっていた。慌てて飛び起きた拍子に、肩からぱさりと何かが滑り落ちる。水縹の羽織……これ、って。
「おはようさん。よう寝てはったねえ」
声の方へ視線を向けると、さっきのひとがゆったり微笑んだ。もしかして、ずっと側にいてくれたのだろうか。それを尋ねればゆるりと首肯が返ってくる。
「ご、ごめんなさい!私ったら、いきなり泣いたり寝落ちしたり、羽織までお借りしてしまって……。本当に、ご迷惑をおかけしました……!!」
「ふふ、ええよええよ。少しはすっきりしはった?」
「……はい。なんだか、心が軽くなりました。ありがとうございます」
そらよかった、と赤が三日月を作る。ちょっとした仕草がいちいち絵になるひとだなあ。羽織についた砂を丁寧に払い、お返ししながら名を名乗る。今更ではあるけれど、名乗らない方が失礼だし。
「そういえば、うちもまだ名乗ってへんかったね。スイクンどすえ。あんじょうよろしゅう」
「すっ、スイクン様!?あなたが!?」
ううう噓でしょ!?私、神様相手に醜態晒しまくったってこと!?度肝を抜かれて狼狽えていると、スイクン様ははんなり頬に手を当てた。
「いややわぁ、〝様〟やなんて大袈裟な。ちょっと珍しいだけの、ただのポケモンや」
「何を仰るんですか!スイクン様といえば、かのホウオウ様と共にジョウトをお守りくださってる伝説ポケモンの一角で、」
途中でふに、と長い人差し指が押し当てられる。困ったような笑顔で「堅苦しいのは苦手なんよ。せめて〝さん〟がええな」と言われてしまえば、頷くしかなかった。
「ええと、じゃあ……スイクン、さん」
「なあに?」
「いろいろとご迷惑をおかけしてしまったので、お詫びをさせて欲しいのですが……何か、ご希望とかありますか?」
そうやねえ、と顎をつまんだスイクンさんは、くるりと視線を巡らせる。
「何でもええのん?」
「何でも、は難しいですけど……私にできる範囲であれば」
「ほな……うちのお願い、1つ聞いてくれへん?」
ついとこちらに向けられた赤い瞳が寂しそうに細められた。
「……うちな。心いうもんが、わからへんのや」
え、と思わず声が漏れる。スイクンさんは物憂げに眉を寄せたまま、くすりと微笑んだ。
「そうは見えへんかった?」
「は、はい。むしろ、感情豊かな方だなあと……」
「心がないなんて気味悪いやろ。嫌われとうのうて、真似っこしとるだけ。話し方も、笑い方も、全部誰かの真似っこ。偽もんや」
ひどく苦しげな目をしているのに、唇は穏やかに弧を描いている。その歪さすら美しくて、どうしても目が離せない。
「嬉しいとか悲しいとか、そういうのがあるんは知っとる。そやけど、うち自身はなあんも感じひん。ザルが水通すみたいにするっと通り抜けるだけや。大勢おる
そう言って俯いたスイクンさんは、迷子の子どものような顔をしていた。
「うちも皆みたいに、心から笑ったり泣いたりしたい。あんさんのことも、ちゃんとわかってあげたい。……そやからうちに、心を教えてくれへんやろか」
憂いを帯びた赤い宝石がじっと覗き込んでくる。……ああ、このひとも、悲しいのだ。苦しいのだ。ひとりぼっちで寂しいのだ。今はそれを自覚できていないだけで。
たまらなくなって、そっとスイクンさんの手を取った。微かにひんやりしたその手を両手で包み込む。私が持つ温度を、少しでも分けてあげられるように。
「私で、よかったら」
「……おおきに。ありがとう」
ふにゃりと笑ったスイクンさんは、優しく私の手を握り返してくれた。
☆
そうは言ったものの。心を教えるって、いったい何をどうすればいいのか。スイクンさんに尋ねれば、んー、としばらく首を傾げてからこう答えた。
「あんさんが何を嬉しいと思って、何を悲しいと思ってはるか。まずはその辺から知りたいわ」
嬉しいこと。悲しいこと。
おばあちゃん特製のモモンジャムをたっぷり乗せた、焼きたてのトーストにかぶりついた時。エーフィを膝に抱き、ストーブの前で一緒にうとうとしている時。毛布にくるまり、熱いコーヒーを飲みながら皆で星を眺めた時。「おはよう」や「おやすみ」を言い合える時。
大切に育てていた花が、大雨で流されてしまった時。おじいちゃんと喧嘩して、1週間も口を利かなかった時。冷たくなったお母さんたちを埋めた時。誰もいない家に帰った時。
ぽつりぽつり、思い出と共に私の〝心〟を語る。言葉にすることで記憶が鮮明に蘇ってきて、目頭がじわりと熱くなる。私が目元を擦る度、スイクンさんはそっと頭を撫でてくれた。これも誰かの「真似っこ」だとしても、彼が寄り添おうとしてくれているのは伝わる。
「スイクンさんは、何が好きですか?好きまでいかなくても、いいなあとか、嫌じゃないと思えるものとか」
「そやねえ。やっぱりみずタイプやし、水があるとこは落ち着くわ。そやけど、海はルギアはんやカイオーガはんの領域やさかい、川とか湖の方がええなあ」
さらりとビッグネームを出されて思わず肩が跳ねた。やっぱりこのひと、神様なんだよね……。初めて会った時、水面に立っていたのも神様パワーに由来するのだろうか。
興味本位で聞いてみたら、スイクンさんは徐に立ち上がった。そのまま湖の縁まで手を引かれていく。いやいやいや、ちょっと待って!
「ちょ、あの、無理です……!」
「大丈夫、大丈夫。手ぇ離したりせえへんよ」
ひょいと湖面に足を乗せたスイクンさんがくるりと振り向き、及び腰な私へ優美な微笑みを浮かべた。
「おいで」
きゅっと口を引き結び、ぎゅっとスイクンさんの手を握った。大丈夫。大丈夫。震える足で一歩、踏み出す。
ぴちょん。やわらかな音と共に、足の裏で波紋が広がった。もう一歩。両足を水の上に乗せてみても、私の体は沈んだりしなかった。
ゆっくり後ろ向きに歩き始めたスイクンさんに合わせて、私も一歩、また一歩と前進する。なんだか不思議な感覚だ。何かを蹴っている感触はあるのに、足の裏がふわふわしている。
少しずつコツが掴めてきたから心に余裕が生まれて、ふと足元に視線を向けた。目に飛び込んできた光景に思わず歓声を上げる。
「わ、わ、すごい……!」
青く澄み渡る世界の中で、みずポケモンたちが自由に泳ぎ回っていた。ニョロモにニョロゾ、マリル、ウパー、トサキント。浅い所でエーフィと水遊びをしたことは何度かあるけれど、こんなに沢山のポケモンが暮らしていたなんて。はしゃぐ私を見て、スイクンさんが首を傾ける。
「〝楽しい〟?」
「はい!〝楽しい〟です!」
「ふうん。これがそうなんやね」
そう言って目を細めたスイクンさんも、〝楽しそう〟に見えた。
☆
毎日毎日、どうにかスイクンに心を伝えようとあれこれやってみた。一方的にただ話して聞かせるだけじゃなく、本を読み聞かせたり、料理をしてみたり。思いつく限りのことを一緒に体験した。その甲斐あって……かはわからないけれど、スイクンは出会った当初より表情が豊かになった、ような気がする。
目まぐるしい日々に、私の心に重く沈んでいた悲しみも、少しずつ和らいでいった。
彼と出会って初めての夏。今日はヤゴの実とビスナの実、竹串をザルに入れて持っていった。スイクンは興味津々といった風に覗き込んでくる。
「どないしたん、それ?」
「もうすぐお盆だから、精霊馬を作ろうと思って」
「オボン?ショウリョウウマ?」
聞き慣れないのか目をぱちぱちさせる。一緒に過ごすようになってわかったことだけれど、スイクンは人間の文化に疎い。神様だし、相当長く生きているから、てっきり何でも知っているものと思っていた。それを言えば「そら、知る機会がなかったさかい。うちがこないに深く関わったニンゲンは、あんさんが初めてや」と微笑まれた。
……心がわからないっていうの、ちょっと意味がわかったかも。勘違いしそうになっちゃうじゃない。こういう発言をちょくちょくしてくるから心臓に悪い。
閑話休題。摘まみ上げたビスナの実をしげしげと眺めるスイクンに、昔おばあちゃんから教わったことを説明する。
「お盆っていうのは、年に一度、ご先祖様たちの魂があの世から帰ってくる時期のこと。ご先祖様の魂をお迎えして、死後の世界でも幸せに暮らせますようにってお祈りするの。きのみと竹串でね、魂を送り迎えするための乗り物を作るんだよ。ヤゴの実は魂が早くあの世から帰ってこれるようギャロップに、ビスナの実はゆっくり帰ってもらうためにバッフロンに見立てるんだって」
話しながら、ヤゴの実に竹串を4つ刺してみせる。スイクンも同じようにビスナの実にぶすっと竹串を突き立てた。直後、甲高い悲鳴が上がる。勢い余って貫通してしまったのか、手のひらに串が突き刺さっていた。目尻に涙を浮かべながら抜いてあげれば、恨みがましそうな視線を向けられる。ああ、あの時のお母さんが大笑いしていた理由、やっとわかった。
ふたりで大騒ぎしながらギャロップとバッフロンを4匹ずつこしらえ、ザルに収めた。右手にザルを、左手に花を抱えてスイクンを案内する。バケツはスイクンが持ってくれた。
テッカニンたちの大合唱が響き渡る中、私の家族が眠る場所へ初めてスイクンを連れてきた。花とザルは一旦木陰に置いておき、バケツから取り出したスポンジをスイクンに渡す。簡単にやり方を説明して、左端のおじいちゃんの墓石から一緒に洗っていく。
いつも以上に丁寧に磨きながらゆっくり話し始めた。家族や友人など身近な誰かが亡くなったら、その遺体を土に埋めたり、焼いて灰にしたり、川や海に流したりして弔うこと。遺体を埋めた場所にはそのひとの名前を刻んだ木や石の標を立てること。年に何度かそこに訪れて、花や線香、そのひとの好きなものをお供えして、お祈りすること。……大切なひとが死ぬと、全身がばらばらになりそうなくらい悲しいこと。ほんの少しでも伝わるように、届くように、丁寧に。
黙って耳を傾けていたスイクンがふと口を開いた。
「あんさんも死んだら、土の下に入らはるん?」
「そうだね。入りたいけど……埋めてくれるひとがいないとなあ」
「うちが埋めたる。そんで、毎日来て、墓磨いて、花備えたるよ」
真剣な赤い眼差しにまっすぐ射抜かれ、心臓がどきりと跳ねる。勘違いしちゃいけないのに、彼の目があんまり綺麗だから、自然と涙が溢れていた。
真っ白な手が伸びてきて、親指でそっと私の目尻を拭う。そのままするりと頬に添えられた。
「あんな。あんさんとおると、なんや胸の辺りがあったこうなるんや。……これが〝好き〟いうやつなんかな」
頬を薄紅色に染め、はにかんだ笑みを浮かべるスイクンが、愛しくて、愛しくて。気付けば彼の胸に飛び込み、初めて会った時のようにわあわあ泣きじゃくっていた。
「すき!わたしもあなたがすき、だいすき!!」
力一杯そう叫んで彼の背中に腕を回すと、なめらかな水縹に包み込まれた。そのぬくもりが涙腺に追い打ちをかけ、涙がとめどなく頬を伝う。私が泣き止むまでスイクンはずっと抱きしめてくれた。
その日から、共に過ごす時間が増えていくごとに、スイクンは彫刻のような微笑ではなく、ふんわりしたあたたかな笑顔を浮かべるようになっていった。
☆
あれから何十年経っただろう。スイクンは出会った頃と変わらない姿なのに、私はすっかり老いさらばえた。あちこちに皺ができ、髪は白く染まり、手を引いてもらわなければ歩けないほど衰えた。
そのうちベッドから起き上がれなくなった私に、スイクンは毎日花を摘んできてくれた。私が祖父に、祖母に、母に、エーフィに、そうしていたように。
変わらない彼の美貌や若さを羨ましいと何度も思った。けれど、決して口には出さない。神様にも神様なりの苦悩があるのだともうわかっている。同じ時を歩むことはできなくても、最期を見届けてもらえるならそれで十分だ。
左手から伝わるぬくもりに口元が緩む。楽しかった。幸せだった。置いていって、ひとりにしてごめんね。ごちゃまぜの感情を乗せた雫が頬を伝う。
ぽたり、左手に何かが落ちる。顔を動かせば、滲んだ視界の中でスイクンが赤い瞳からはらはらと涙を溢れさせていた。
「……やっと、泣けたね」
はっとして自分の頬に触れたスイクンは「ほんまや」と呟き、くしゃりと顔を歪めた。
「うち、おかしいわ……。痛くて悲しゅうてたまらんのに……あんさんのために泣けたことが、もっと嬉しゅうて……。こんなん、もう、ぐちゃぐちゃや……っ!」
「おかしくないよ。それが心。ぐちゃぐちゃで、思い通りにならなくて、わけがわからないもの。……そういうのは、嫌?」
スイクンは何度も何度も首を大きく横に振る。私よりずっと長く生きている彼の、時折見せる幼い子どものような仕草が心底愛おしい。抱きしめる力はもう残っていないから、そっと左手に力を込めた。ぎゅう、と少し痛いくらいの強さで握り返される。
「うち、あんさんのことも、あんさんが教えてくれたことも、絶対忘れへん。……うちに心を教えてくれて、おおきに。ありがとう」
私の方こそ、ありがとう。愛してる。
泣きながら微笑むスイクンを目に焼き付け、静かにまぶたを閉じた。
***
握っていた女の手が、だらりと力を失う。名を呼んでみるがピクリとしない。そっと左胸に耳を近付けてみても、微かな振動さえ拾えなかった。
「……ああ、死にはった」
ぽつんと呟いたスイクンの瞳には何の感情も宿っていない。つい先程までその頬を濡らしていた涙すら、影も形もなかった。
ぽいと女の腕を放る。戯れにエンテイやライコウを真似てニンゲンを飼ってみたが、こんなものか。いつものように何一つ響かなかった。木の葉を散らす風のように、ただ吹き抜けていくだけ。
いったい彼らは何をどのように〝楽しんで〟いるのか、皆目見当がつかない。まあ別に、理解する気もないけれど。
スイクンは女の死体を放置したまま小屋を後にする。風の向くままふらふらと、あてもなくひらひらと。女のことも、女と過ごした日々も、既に彼の記憶の器から零れ落ちていた。
誰も彼も、ただ
「ええなあ皆。うちも心、欲しいわぁ」
そう嘯いた言葉は、吹けば飛ぶような軽さだった。
Fin.
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