カミサマの玩具箱
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エンテイ編 前編
【愛の炎と赤い薔薇】
まぶたを開けると見知らぬ天井が映った。ここは、どこだろう。体が少し重い。頭もぼんやりしている。
ゆっくり身を起こして軽く周囲を見回す。どうやら天蓋付きベッドに寝かされていたらしい。シーツはすべすべで非常に肌触りがよく、掛け布団もふかふかだ。いったい誰がこんなことを?……決まっている、あのひとだ。
ベッドの側に備えてあった靴にそっと足を滑り込ませる。ぴったりと私の足を包み込んだ赤い靴は、爪先に薔薇があしらわれていて、トクンと胸が高鳴った。早く、あのひとに会いたい。
私が立ち上がるのと同時に、部屋のドアが静かに開いた。振り返った先には、世界で一番愛しいひと――エンテイ様が、初めて出会った時と変わらないお姿で佇んでいた。体が震え、魂が揺さぶられ、目頭と胸の内に熱いものがこみ上がる。ああ、エンテイ様、エンテイ様!!溢れた熱が頬を伝い、絨毯にいくつも染みを作る。
エンテイ様はほんの少しだけ目を見開き、穏やかな微笑みと共にゆっくり口を開いた。
「目覚めたか、ローザ。我が愛しき薔薇の花よ」
その微笑みは、声音は、何もかもあの頃のままで。
たまらなくなってエンテイ様の胸に飛び込んだ。エンテイ様のたくましい腕に包まれ、直に彼の温もりに触れることで、これは夢ではないのだと強く実感する。
「エンテイ様……!お久しゅうございます!ずっと、ずっと、お会いしとうございました!!」
「ああ、我輩もだ。この日をどれだけ待ちわびたことか……」
エンテイ様のがっしりした背中に回した腕にぎゅうっと力を込めれば、彼はより一層、苦しいくらいの強さで私を抱きしめた。いつもは程よく加減してくださるのに、それだけこのひとに辛い思いをさせてしまっていたのだろう。今日までのエンテイ様の心中を思うと、切なくて、嬉しくて、愛しい。
「お待たせしてしまって申し訳ありません」
「お前が詫びることなどない。お前と再会を果たし、再び共に過ごすことができるのだ。これ以上の幸福があるものか。待った甲斐がある」
「なんて勿体なきお言葉……光栄に存じます。どうかあの頃のように、私の身も心も全て、あなたのお側に置いてくださいませ」
「無論だ」
エンテイ様の、紅蓮の炎を閉じ込めたような美しい赤い瞳が細められる。私はこの微笑みがたまらなく好きだ。エンテイ様と触れ合う度、言葉を交わす度、見つめられる度、微笑みを向けられる度、体中が甘いぬくもりで満たされていく。
エンテイ様、と囁いて赤眼を見つめ返した。エンテイ様の長い指が優しく私の涙を拭い、そっと頬に触れる。
「ローザ」
甘美な低い声が私の心と鼓膜を震わせた。互いの瞳に互いの姿だけが映っている。トクン、トクン、と心臓の音が速くなる。エンテイ様のお顔がゆっくりと近付いてきて――不意に、意識が途切れた。
ゆっくりまぶたを持ち上げれば、再びベッドの上だった。頭を少し傾けると眉間に深い皺を刻んだエンテイ様と目が合う。彼はほっとしたように表情を和らげ、私の顔を覗き込んだ。
「気分はどうだ。我が愛しき薔薇の花よ」
風邪を引いてしまった時のように、なんだか頭も体もひどく怠い。訥々とそう告げるとエンテイ様のお顔が僅かに曇った。
「あの……私、いったい……?」
「数分前、突然気を失った。目覚めたばかりで体調が優れないのだろう」
ああ、だからそんな顔をさせてしまったのか。せっかく再会できたのに。どうして。お労しい、もどかしい、やるせない。ぐちゃぐちゃの感情が内側でぐるぐる渦巻く。
「申し訳ありません、エンテイ様……。1秒でも長く、お側に居たいのに……」
「よい、無理はするな。今はゆっくり休め」
「……はい」
やわらかな笑みを浮かべたエンテイ様は、労わるように私の頭をゆっくり撫でる。その手つきとぬくもりが心地よくて、怠さとぐちゃぐちゃが少しずつ引いていく。そのお陰か急激に眠気が襲ってくる。エンテイ様の微笑と温度を名残惜しく思いながら、緩やかに意識を手放した。
☆
一晩ぐっすり眠ったからか、翌朝の目覚めは爽快だった。ぐうっと伸びをしてベッドから降りると、部屋の中央に置かれたテーブルに目が留まった。近づいてみれば真っ赤なリボンが巻かれた長方形の白い箱が載っている。リボンにはエンテイ様の字で「我が愛しき薔薇の花へ」と書かれたカードが挟まれていて、思わず頬が緩む。
そっとリボンを解いて開いた箱の中からひざ丈の赤いドレスが現れた。エンテイ様が私に選んでくださったのだと思うと、歓喜と愛しさが胸いっぱいに広がる。早速着替えて身なりを整え、鏡の前で念入りにチェックする。間もなくコンコンと控えめなノックが響いたから、最後にさっと全体を確認して、いそいそと扉を開けた。
「おはようございます、エンテイ様」
「おはよう。よく眠れたか」
「はい。お陰様で」
「そうか。よかった」
ふ、と微笑まれたエンテイ様は私の服装に目を留め、口元を綻ばせた。
「早速着てくれたのか。よく似合っている」
「ありがとうございます」
頬を染めて笑みを返せばエンテイ様の微笑みも深まった。しばしの間見つめ合う。不意にエンテイ様の右手が伸び、私の頬に触れた。
「何度もお前を夢に見た。お前に焦がれない日はなかった。……今、再び我輩の前で笑っているお前は、夢ではないのだな」
しみじみと、噛み締めるように紡がれる言葉が私の心を揺さぶり、じんわり染み渡っていく。溢れそうになる涙を必死に堪えながらエンテイ様の手に自分の手を重ね、そっと握った。
「私は、ここにいます。あなたの前に確かに存在しております。この命ある限り、いいえ、尽きた後でも、ずっとあなたのお側に」
「……ああ」
エンテイ様、エンテイ様。好き。大好き。あなたの痛みが早く癒されますように。そんな思いを込めて、彼の手の甲に口付け、頬を摺り寄せる。続いて手首に唇を落とすと、あっという間に腕の中に閉じ込められた。硬い胸板に押し付けられ、身動きが取れない私の上から心地のいい低音が降ってくる。
「あまりいじらしいことをするな。抑えがきかなくなる」
エンテイ様は照れた時、お顔を隠すか、私の視界を塞ぐ癖があった。可愛いひと、愛しいひと。
きかなくなってもいいのに、と内心呟きながら頷く。エンテイ様はするりと私の髪を撫で、そのまま一房掬い上げた。続いて、ちゅ、というリップ音。ゆっくり腕を解いたエンテイ様は、ブビィのように真っ赤になった私を見て満足げに口角を持ち上げた。
「もう!エンテイ様ったら!」
「やられっぱなしは性に合わんのでな」
少し意地悪な笑い方。普段は優雅で凛々しい方だけれど、この笑い方をする時はどこか年頃の少年らしさを醸し出す。そんな所も愛おしい。
「そろそろ食事にしよう。お前の好物のクラボパイも用意した」
「まあ、嬉しい。ありがとうございます」
そこでようやく自分が空腹であることに気が付いた。そういえば、昨晩から何も食べていない。
エンテイ様のエスコートで食堂へ向かう。テーブルの上にはふたり分の食事が用意されていた。エンテイ様と食卓を囲むのはいつ以来だろう。胸を弾ませながらエッグベネディクトを切り分け、とろりと溢れ出した黄身とソースを絡めて口に運ぶ。まろやかな旨味が口いっぱいに広がり、カリカリのマフィンとベーコンを一緒に噛み締めれば、じゅわりと塩気のある脂が加わった。
「とってもおいしいです!」
「そうか。口に合ってよかった」
「すっかり腕を上げられましたね。初めてお会いした頃は、お料理なんてしたこともなかったのに」
初めて一緒に料理をした時の、卵を殻ごと握り潰してしまったり、鍋を焦がしてしまったりして狼狽えるエンテイ様を思い出し、くすっと笑いが零れる。華麗な手捌きも素敵だけれど、あれもあれで可愛かったな。
「食事など腹に溜まれば何でもいいと思っていたからな。数をこなすうちに面白さがわかるようになったし、何よりお前を喜ばせてやりたかった」
紅茶のカップを傾けながらさらりと告げられ、顔が熱くなる。共に過ごした時間は短くないのに未だに慣れない。久しぶりなのも大きいかもしれない。
「しかしまだまだお前の料理には及ばんな。あれより美味なものを我輩は作れん」
「それは、私がエンテイ様のお料理を一番おいしいと感じるのと、同じではございませんか?」
エンテイ様は一瞬虚を衝かれたような顔をし、目を細めて緩く口角を持ち上げた。
「なるほど。道理で適わんわけだ」
「ええ、お互いに」
ふたりで顔を見合わせて笑い合う。……ああ、幸せだ。
食事を終えた後は、エンテイ様にお屋敷の中を改めて案内していただいた。いくつかの部屋は内装や家具、調度品が変わっていたけれど、訪れる度にエンテイ様との時間を思い出させてくれた。
途中で私はまた意識を失ってしまったそうだけれど、目覚めるまでエンテイ様がお側にいてくださったし、夜は添い寝もしてくださったから、何も怖くなかった。
☆
エンテイ様は多忙な方で、しばしば屋敷を空けることがあった。彼の留守中は屋敷内の掃除をしたり、書庫から借りてきた本を読んだりとのんびり過ごすのだけれど、意識が途切れ途切れになることが度々あった。気が付くと何故か窓が開いていたり、さっきまでいた部屋と違う場所にいたり。玄関の前で突っ立っていたこともあった。
エンテイ様が「じきに治まる」と仰っていたから、あまり心配はしていないけれど。とはいえ、せっかく再会できたのに度々失神して共に過ごせる時間を棒に振ってしまうのは口惜しい。だから、エンテイ様との思い出を形あるものに残すため日記を書くことにした。
日課の掃除を済ませて自室の机に向かい、ノートを開く。昨日の出来事を思い返しながらペンを走らせた。
エンテイ様が毎日私の髪をブラッシングしてくださるから、昨日は「たまには私にもあなたの御髪を整えさせてください」とお願いしたのだ。エンテイ様は優しく微笑まれて「ならば頼むとしよう。どちら がよい」と仰るので「では、此度はあちらのお姿で」とお答えした。
天気がよかったからお庭へ出た。やわらかな草の上に体を横たえたエンテイ様の美しい毛並みにブラシをあてがい、丁寧に動かしていく。時折ぐるる、と気持ちよさそうに喉を鳴らすのが大きな猫のようで可愛いらしい。のんびり言葉を交わしながら、たっぷり時間をかけて全身の毛並みを整えていった。
ブラッシングが終わるとエンテイ様から「せっかくだ、存分に堪能するといい」とお許しが出たので、お言葉に甘えて豊かな毛の海に身を沈めた。エンテイ様はほのおタイプだから体温が高い。おまけに極上のもふもふで、撫でる手が止まらない。
「エンテイ様の毛並みは本当に美しくてやわらかですね。それに、とてもあたたかいです」
『当然だ。お前が整えてくれるのだから』
見事な長い毛並みに頬擦りしながら言えば即座にテレパシーでそう返され、顔に熱が集中する。もう、と呟いてたてがみに顔を埋めた。それにしても、本当に気持ちいい。干したてのお布団よりふかふかだ。穏やかな気温も相まって、緩やかに眠気が漂ってくる。それを察したのか頭の中に優しい声が響いた。
『このまま午睡でもするか』
「よろしいのですか?」
『お前以外の者にこのようなことは言わん』
エンテイ様はふふ、と笑い、体を丸めて私を包み込んでくださった。気持ちよくて、あたたかくて、ますます眠気が強くなる。
「ありがとうございます。いつものお布団より、ずっとずっと気持ちがいいです」
『そうか。些か寝難いだろうが、決して冷えさせん。安心して眠れ』
「はい、エンテイ様」
こと、とペンを置いて書き終えたページを読み返す。自然と頬が緩んでしまう。ああ、エンテイ様のお帰りが待ち遠しい。
☆
今日は朝からエンテイ様が私を背に乗せ、タマムシシティの薔薇園に連れて行ってくださった。お花の専門家の一族が管理しているというそこは、色とりどりの薔薇がたくさん咲き乱れていて、あまりの美しさにすっかり心を奪われた。
夢中になってエンテイ様をあちこち連れ回してしまったことを後で謝罪すると、エンテイ様は微笑んで「お前が楽しんでくれたのならそれでよい」と仰った。いつも貰ってばかりで申し訳なく思いつつ、エンテイ様の愛がたまらなく嬉しい。
ここまで日記を書き終えたら突然強い眠気に襲われた。もう少し書きたいことがあるのにどうしても抗えない。抵抗空しく、そのまま意識は遠のいていった。
不意に心地よいぬくもりに包まれ、ゆっくりまぶたを持ち上げる。ぼんやりした視界の中でエンテイ様のお顔が見えた。
「えんていさま……?」
「む、起こしてしまったか」
エンテイ様はそっと私をベッドに横たえ、優しく布団をかけてくださった。
「今日は遠出をしたから疲れたのだろう。しかし、あんな所でうたた寝をしては体を冷やす。もう休め」
「……はい」
そのまま眠りにつこうとして、はっと書きかけの日記のことを思い出す。
「あっ、日記……!」
まさか、見られてしまったのでは!?どうしよう、どうせ私しか読まないからっていろいろ恥ずかしいこと書いてるのに!ああもう、顔から火が出そう!!
顔を覆って身悶えする私の頭に、ぽんとエンテイ様の手が乗せられる。
「案ずるな。無断で中を読むような無粋な真似などせん」
「……本当ですか?」
「ああ」
ほっと胸を撫で下ろした直後、勝手に勘違いをして見苦しい所をお見せしてしまったことにそれはそれで恥ずかしくなる。すっかり目が冴えてしまって布団の中でもぞもぞしていたら「どうした。眠れないか?」と声をかけられ、さらにいたたまれない。どうにか寝ようとメリープを数え始めるけれど、一向に眠気はやってこなかった。
「ローザ。我が愛しき薔薇の花よ」
「……はい」
優しい声に呼ばれてそろりと顔を出す。穏やかな微笑みと共に左手が差し出された。
「眠れぬのなら我輩の手を握るといい。体があたたまれば眠気もやってこよう」
「ありがとうございます。それでは、しばらくお借りいたしますね」
「ああ」
そっと握るとじんわりぬくもりが伝わってきて、ほうと息を吐いた。エンテイ様は右手でゆっくり私の髪を撫でてくださり、徐々にまぶたが重くなっていく。
「眠れ、我が愛しき薔薇の花よ。よい夢を」
「……はい。おやすみなさい、エンテイ様」
エンテイ様がそう言ってくださったからか、その晩は懐かしい夢を見た。
ベッドに横たわる老いた私の手を握るエンテイ様はひどく悲しい顔をしていて、心臓を鋭い茨で締めあげられたような痛みが走る。もっと、ずっと、お側にいたいのに。私の命の炎は緩やかに、けれど確実に弱まっていく。
エンテイさま、としわがれた声で囁けば、紅蓮の瞳と視線が交わる。エンテイ様は壊れ物を扱うようにそっと私の左手を持ち上げ、何もかも焼き焦がさんばかりの強い意志が込められた声で言葉を紡いだ。
「認めん。例え、我らが父なる大御神の定めし絶対の理であろうとも、我輩とお前を引き裂くことなど断じて許すものか。……我輩は必ず、再びお前に会いに行く。その証として、お前の生まれ変わりにはお前と同じ姿と、左手に薔薇の刻印を与えよう」
皺だらけの手の甲にエンテイ様の唇が触れる。触れた場所から赤が広がり、真紅の薔薇を描いていく。
「しばし眠れ、我が愛しき薔薇の花よ。何度でも愛し合おう」
あの時のあなたの顔も、声も、温度も、今でもはっきり覚えている。決して忘れない。
前の私 の、最期の記憶。
☆
「よし、完成!」
ご馳走で埋め尽くされたテーブルを眺め、大きく頷く。うんうん、味も見た目も飾りつけもばっちり。我ながらいい出来。
最近のエンテイ様は特に忙しくされていて、今日も遠出をなさると仰っていたから、少しでも労いたくて腕によりをかけた。喜んでいただけたらいいな。
いつ頃お戻りになられるだろうかと考えつつエプロンを片付けて――ふつり、意識が途絶えた。
――リィン。玄関から軽やかな鈴の音が鳴り響く。エンテイ様だ。早くお出迎えしなければ。緩く口角を持ち上げ、軽い足取りで玄関へ急いだ。
Fin.
【愛の炎と赤い薔薇】
まぶたを開けると見知らぬ天井が映った。ここは、どこだろう。体が少し重い。頭もぼんやりしている。
ゆっくり身を起こして軽く周囲を見回す。どうやら天蓋付きベッドに寝かされていたらしい。シーツはすべすべで非常に肌触りがよく、掛け布団もふかふかだ。いったい誰がこんなことを?……決まっている、あのひとだ。
ベッドの側に備えてあった靴にそっと足を滑り込ませる。ぴったりと私の足を包み込んだ赤い靴は、爪先に薔薇があしらわれていて、トクンと胸が高鳴った。早く、あのひとに会いたい。
私が立ち上がるのと同時に、部屋のドアが静かに開いた。振り返った先には、世界で一番愛しいひと――エンテイ様が、初めて出会った時と変わらないお姿で佇んでいた。体が震え、魂が揺さぶられ、目頭と胸の内に熱いものがこみ上がる。ああ、エンテイ様、エンテイ様!!溢れた熱が頬を伝い、絨毯にいくつも染みを作る。
エンテイ様はほんの少しだけ目を見開き、穏やかな微笑みと共にゆっくり口を開いた。
「目覚めたか、ローザ。我が愛しき薔薇の花よ」
その微笑みは、声音は、何もかもあの頃のままで。
たまらなくなってエンテイ様の胸に飛び込んだ。エンテイ様のたくましい腕に包まれ、直に彼の温もりに触れることで、これは夢ではないのだと強く実感する。
「エンテイ様……!お久しゅうございます!ずっと、ずっと、お会いしとうございました!!」
「ああ、我輩もだ。この日をどれだけ待ちわびたことか……」
エンテイ様のがっしりした背中に回した腕にぎゅうっと力を込めれば、彼はより一層、苦しいくらいの強さで私を抱きしめた。いつもは程よく加減してくださるのに、それだけこのひとに辛い思いをさせてしまっていたのだろう。今日までのエンテイ様の心中を思うと、切なくて、嬉しくて、愛しい。
「お待たせしてしまって申し訳ありません」
「お前が詫びることなどない。お前と再会を果たし、再び共に過ごすことができるのだ。これ以上の幸福があるものか。待った甲斐がある」
「なんて勿体なきお言葉……光栄に存じます。どうかあの頃のように、私の身も心も全て、あなたのお側に置いてくださいませ」
「無論だ」
エンテイ様の、紅蓮の炎を閉じ込めたような美しい赤い瞳が細められる。私はこの微笑みがたまらなく好きだ。エンテイ様と触れ合う度、言葉を交わす度、見つめられる度、微笑みを向けられる度、体中が甘いぬくもりで満たされていく。
エンテイ様、と囁いて赤眼を見つめ返した。エンテイ様の長い指が優しく私の涙を拭い、そっと頬に触れる。
「ローザ」
甘美な低い声が私の心と鼓膜を震わせた。互いの瞳に互いの姿だけが映っている。トクン、トクン、と心臓の音が速くなる。エンテイ様のお顔がゆっくりと近付いてきて――不意に、意識が途切れた。
ゆっくりまぶたを持ち上げれば、再びベッドの上だった。頭を少し傾けると眉間に深い皺を刻んだエンテイ様と目が合う。彼はほっとしたように表情を和らげ、私の顔を覗き込んだ。
「気分はどうだ。我が愛しき薔薇の花よ」
風邪を引いてしまった時のように、なんだか頭も体もひどく怠い。訥々とそう告げるとエンテイ様のお顔が僅かに曇った。
「あの……私、いったい……?」
「数分前、突然気を失った。目覚めたばかりで体調が優れないのだろう」
ああ、だからそんな顔をさせてしまったのか。せっかく再会できたのに。どうして。お労しい、もどかしい、やるせない。ぐちゃぐちゃの感情が内側でぐるぐる渦巻く。
「申し訳ありません、エンテイ様……。1秒でも長く、お側に居たいのに……」
「よい、無理はするな。今はゆっくり休め」
「……はい」
やわらかな笑みを浮かべたエンテイ様は、労わるように私の頭をゆっくり撫でる。その手つきとぬくもりが心地よくて、怠さとぐちゃぐちゃが少しずつ引いていく。そのお陰か急激に眠気が襲ってくる。エンテイ様の微笑と温度を名残惜しく思いながら、緩やかに意識を手放した。
☆
一晩ぐっすり眠ったからか、翌朝の目覚めは爽快だった。ぐうっと伸びをしてベッドから降りると、部屋の中央に置かれたテーブルに目が留まった。近づいてみれば真っ赤なリボンが巻かれた長方形の白い箱が載っている。リボンにはエンテイ様の字で「我が愛しき薔薇の花へ」と書かれたカードが挟まれていて、思わず頬が緩む。
そっとリボンを解いて開いた箱の中からひざ丈の赤いドレスが現れた。エンテイ様が私に選んでくださったのだと思うと、歓喜と愛しさが胸いっぱいに広がる。早速着替えて身なりを整え、鏡の前で念入りにチェックする。間もなくコンコンと控えめなノックが響いたから、最後にさっと全体を確認して、いそいそと扉を開けた。
「おはようございます、エンテイ様」
「おはよう。よく眠れたか」
「はい。お陰様で」
「そうか。よかった」
ふ、と微笑まれたエンテイ様は私の服装に目を留め、口元を綻ばせた。
「早速着てくれたのか。よく似合っている」
「ありがとうございます」
頬を染めて笑みを返せばエンテイ様の微笑みも深まった。しばしの間見つめ合う。不意にエンテイ様の右手が伸び、私の頬に触れた。
「何度もお前を夢に見た。お前に焦がれない日はなかった。……今、再び我輩の前で笑っているお前は、夢ではないのだな」
しみじみと、噛み締めるように紡がれる言葉が私の心を揺さぶり、じんわり染み渡っていく。溢れそうになる涙を必死に堪えながらエンテイ様の手に自分の手を重ね、そっと握った。
「私は、ここにいます。あなたの前に確かに存在しております。この命ある限り、いいえ、尽きた後でも、ずっとあなたのお側に」
「……ああ」
エンテイ様、エンテイ様。好き。大好き。あなたの痛みが早く癒されますように。そんな思いを込めて、彼の手の甲に口付け、頬を摺り寄せる。続いて手首に唇を落とすと、あっという間に腕の中に閉じ込められた。硬い胸板に押し付けられ、身動きが取れない私の上から心地のいい低音が降ってくる。
「あまりいじらしいことをするな。抑えがきかなくなる」
エンテイ様は照れた時、お顔を隠すか、私の視界を塞ぐ癖があった。可愛いひと、愛しいひと。
きかなくなってもいいのに、と内心呟きながら頷く。エンテイ様はするりと私の髪を撫で、そのまま一房掬い上げた。続いて、ちゅ、というリップ音。ゆっくり腕を解いたエンテイ様は、ブビィのように真っ赤になった私を見て満足げに口角を持ち上げた。
「もう!エンテイ様ったら!」
「やられっぱなしは性に合わんのでな」
少し意地悪な笑い方。普段は優雅で凛々しい方だけれど、この笑い方をする時はどこか年頃の少年らしさを醸し出す。そんな所も愛おしい。
「そろそろ食事にしよう。お前の好物のクラボパイも用意した」
「まあ、嬉しい。ありがとうございます」
そこでようやく自分が空腹であることに気が付いた。そういえば、昨晩から何も食べていない。
エンテイ様のエスコートで食堂へ向かう。テーブルの上にはふたり分の食事が用意されていた。エンテイ様と食卓を囲むのはいつ以来だろう。胸を弾ませながらエッグベネディクトを切り分け、とろりと溢れ出した黄身とソースを絡めて口に運ぶ。まろやかな旨味が口いっぱいに広がり、カリカリのマフィンとベーコンを一緒に噛み締めれば、じゅわりと塩気のある脂が加わった。
「とってもおいしいです!」
「そうか。口に合ってよかった」
「すっかり腕を上げられましたね。初めてお会いした頃は、お料理なんてしたこともなかったのに」
初めて一緒に料理をした時の、卵を殻ごと握り潰してしまったり、鍋を焦がしてしまったりして狼狽えるエンテイ様を思い出し、くすっと笑いが零れる。華麗な手捌きも素敵だけれど、あれもあれで可愛かったな。
「食事など腹に溜まれば何でもいいと思っていたからな。数をこなすうちに面白さがわかるようになったし、何よりお前を喜ばせてやりたかった」
紅茶のカップを傾けながらさらりと告げられ、顔が熱くなる。共に過ごした時間は短くないのに未だに慣れない。久しぶりなのも大きいかもしれない。
「しかしまだまだお前の料理には及ばんな。あれより美味なものを我輩は作れん」
「それは、私がエンテイ様のお料理を一番おいしいと感じるのと、同じではございませんか?」
エンテイ様は一瞬虚を衝かれたような顔をし、目を細めて緩く口角を持ち上げた。
「なるほど。道理で適わんわけだ」
「ええ、お互いに」
ふたりで顔を見合わせて笑い合う。……ああ、幸せだ。
食事を終えた後は、エンテイ様にお屋敷の中を改めて案内していただいた。いくつかの部屋は内装や家具、調度品が変わっていたけれど、訪れる度にエンテイ様との時間を思い出させてくれた。
途中で私はまた意識を失ってしまったそうだけれど、目覚めるまでエンテイ様がお側にいてくださったし、夜は添い寝もしてくださったから、何も怖くなかった。
☆
エンテイ様は多忙な方で、しばしば屋敷を空けることがあった。彼の留守中は屋敷内の掃除をしたり、書庫から借りてきた本を読んだりとのんびり過ごすのだけれど、意識が途切れ途切れになることが度々あった。気が付くと何故か窓が開いていたり、さっきまでいた部屋と違う場所にいたり。玄関の前で突っ立っていたこともあった。
エンテイ様が「じきに治まる」と仰っていたから、あまり心配はしていないけれど。とはいえ、せっかく再会できたのに度々失神して共に過ごせる時間を棒に振ってしまうのは口惜しい。だから、エンテイ様との思い出を形あるものに残すため日記を書くことにした。
日課の掃除を済ませて自室の机に向かい、ノートを開く。昨日の出来事を思い返しながらペンを走らせた。
エンテイ様が毎日私の髪をブラッシングしてくださるから、昨日は「たまには私にもあなたの御髪を整えさせてください」とお願いしたのだ。エンテイ様は優しく微笑まれて「ならば頼むとしよう。
天気がよかったからお庭へ出た。やわらかな草の上に体を横たえたエンテイ様の美しい毛並みにブラシをあてがい、丁寧に動かしていく。時折ぐるる、と気持ちよさそうに喉を鳴らすのが大きな猫のようで可愛いらしい。のんびり言葉を交わしながら、たっぷり時間をかけて全身の毛並みを整えていった。
ブラッシングが終わるとエンテイ様から「せっかくだ、存分に堪能するといい」とお許しが出たので、お言葉に甘えて豊かな毛の海に身を沈めた。エンテイ様はほのおタイプだから体温が高い。おまけに極上のもふもふで、撫でる手が止まらない。
「エンテイ様の毛並みは本当に美しくてやわらかですね。それに、とてもあたたかいです」
『当然だ。お前が整えてくれるのだから』
見事な長い毛並みに頬擦りしながら言えば即座にテレパシーでそう返され、顔に熱が集中する。もう、と呟いてたてがみに顔を埋めた。それにしても、本当に気持ちいい。干したてのお布団よりふかふかだ。穏やかな気温も相まって、緩やかに眠気が漂ってくる。それを察したのか頭の中に優しい声が響いた。
『このまま午睡でもするか』
「よろしいのですか?」
『お前以外の者にこのようなことは言わん』
エンテイ様はふふ、と笑い、体を丸めて私を包み込んでくださった。気持ちよくて、あたたかくて、ますます眠気が強くなる。
「ありがとうございます。いつものお布団より、ずっとずっと気持ちがいいです」
『そうか。些か寝難いだろうが、決して冷えさせん。安心して眠れ』
「はい、エンテイ様」
こと、とペンを置いて書き終えたページを読み返す。自然と頬が緩んでしまう。ああ、エンテイ様のお帰りが待ち遠しい。
☆
今日は朝からエンテイ様が私を背に乗せ、タマムシシティの薔薇園に連れて行ってくださった。お花の専門家の一族が管理しているというそこは、色とりどりの薔薇がたくさん咲き乱れていて、あまりの美しさにすっかり心を奪われた。
夢中になってエンテイ様をあちこち連れ回してしまったことを後で謝罪すると、エンテイ様は微笑んで「お前が楽しんでくれたのならそれでよい」と仰った。いつも貰ってばかりで申し訳なく思いつつ、エンテイ様の愛がたまらなく嬉しい。
ここまで日記を書き終えたら突然強い眠気に襲われた。もう少し書きたいことがあるのにどうしても抗えない。抵抗空しく、そのまま意識は遠のいていった。
不意に心地よいぬくもりに包まれ、ゆっくりまぶたを持ち上げる。ぼんやりした視界の中でエンテイ様のお顔が見えた。
「えんていさま……?」
「む、起こしてしまったか」
エンテイ様はそっと私をベッドに横たえ、優しく布団をかけてくださった。
「今日は遠出をしたから疲れたのだろう。しかし、あんな所でうたた寝をしては体を冷やす。もう休め」
「……はい」
そのまま眠りにつこうとして、はっと書きかけの日記のことを思い出す。
「あっ、日記……!」
まさか、見られてしまったのでは!?どうしよう、どうせ私しか読まないからっていろいろ恥ずかしいこと書いてるのに!ああもう、顔から火が出そう!!
顔を覆って身悶えする私の頭に、ぽんとエンテイ様の手が乗せられる。
「案ずるな。無断で中を読むような無粋な真似などせん」
「……本当ですか?」
「ああ」
ほっと胸を撫で下ろした直後、勝手に勘違いをして見苦しい所をお見せしてしまったことにそれはそれで恥ずかしくなる。すっかり目が冴えてしまって布団の中でもぞもぞしていたら「どうした。眠れないか?」と声をかけられ、さらにいたたまれない。どうにか寝ようとメリープを数え始めるけれど、一向に眠気はやってこなかった。
「ローザ。我が愛しき薔薇の花よ」
「……はい」
優しい声に呼ばれてそろりと顔を出す。穏やかな微笑みと共に左手が差し出された。
「眠れぬのなら我輩の手を握るといい。体があたたまれば眠気もやってこよう」
「ありがとうございます。それでは、しばらくお借りいたしますね」
「ああ」
そっと握るとじんわりぬくもりが伝わってきて、ほうと息を吐いた。エンテイ様は右手でゆっくり私の髪を撫でてくださり、徐々にまぶたが重くなっていく。
「眠れ、我が愛しき薔薇の花よ。よい夢を」
「……はい。おやすみなさい、エンテイ様」
エンテイ様がそう言ってくださったからか、その晩は懐かしい夢を見た。
ベッドに横たわる老いた私の手を握るエンテイ様はひどく悲しい顔をしていて、心臓を鋭い茨で締めあげられたような痛みが走る。もっと、ずっと、お側にいたいのに。私の命の炎は緩やかに、けれど確実に弱まっていく。
エンテイさま、としわがれた声で囁けば、紅蓮の瞳と視線が交わる。エンテイ様は壊れ物を扱うようにそっと私の左手を持ち上げ、何もかも焼き焦がさんばかりの強い意志が込められた声で言葉を紡いだ。
「認めん。例え、我らが父なる大御神の定めし絶対の理であろうとも、我輩とお前を引き裂くことなど断じて許すものか。……我輩は必ず、再びお前に会いに行く。その証として、お前の生まれ変わりにはお前と同じ姿と、左手に薔薇の刻印を与えよう」
皺だらけの手の甲にエンテイ様の唇が触れる。触れた場所から赤が広がり、真紅の薔薇を描いていく。
「しばし眠れ、我が愛しき薔薇の花よ。何度でも愛し合おう」
あの時のあなたの顔も、声も、温度も、今でもはっきり覚えている。決して忘れない。
☆
「よし、完成!」
ご馳走で埋め尽くされたテーブルを眺め、大きく頷く。うんうん、味も見た目も飾りつけもばっちり。我ながらいい出来。
最近のエンテイ様は特に忙しくされていて、今日も遠出をなさると仰っていたから、少しでも労いたくて腕によりをかけた。喜んでいただけたらいいな。
いつ頃お戻りになられるだろうかと考えつつエプロンを片付けて――ふつり、意識が途絶えた。
――リィン。玄関から軽やかな鈴の音が鳴り響く。エンテイ様だ。早くお出迎えしなければ。緩く口角を持ち上げ、軽い足取りで玄関へ急いだ。
Fin.
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