カミサマの玩具箱
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ライコウ編
【柘榴畑で踊りましょう】
カツン、カツン、カツン。床を叩くブーツの音が少しずつ近付いてくる。それに伴い、心臓の跳ねる音が大きくなる。なるべく健康に見えるよう正座に座り直してピンと背筋を伸ばせば、首枷から伸びる鎖がガシャリと揺れた。
怯え、恐怖、諦め、憎しみ。それぞれの感情を宿してあのお方を待つ。やがて錠前の外れる音がして重々しく扉が開いた。現れたのは、きらめく黄金の髪に柘榴石の瞳を持つ目も眩むような美しいひと──ライコウ様。後ろにはメイド服をまとった金髪の女性、もといデンリュウさんが控えている。
ライコウ様は品定めするように私たちをざっと見渡し、1人の女の子に目を留めた。歳は私の少し下くらいだろうか。ライコウ様と視線が交わった瞬間、その子はびくりと肩を跳ねさせガタガタ震え出す。ライコウ様はつかつか歩み寄り、その子の顎をガッと掴んで持ち上げた。頬や顎の肉の付き具合を確かめるように長い指を滑らせていく。震える彼女の目に涙が浮かび、溢れた雫が幾つも頬を伝う。それを見るや、その子の近くに繋がれていた青年が鎖を揺らして叫んだ。
「この野郎、妹を離せ!!」
恐怖を必死に抑え込んだ眼差しで鎖をガチャガチャ鳴らしながら拳を振りかぶる彼に、ライコウ様は煩わしげな視線を送る。途端、青年は大きく痙攣して糸が切れた操り人形のようにばったり倒れた。ひっ、と誰かが小さく悲鳴を上げる。彼の妹は大きく目を見開き、またぽろぽろ涙を零した。
ライコウ様は何事も無かったかのように二の腕、お腹、太もも、ふくらはぎ、と上から順々に全身の肉付きを確かめていく。やがて目を細めて満足気に頷き、後ろに控えるデンリュウさんへ声をかけた。
「これに与えていた餌は何だ?」
デンリュウさんはにこりと微笑み、淀みなく答える。
「モコシの実でございます」
「やはりモコシの実で育てたものは肉付きが良いな。今後は全ての肉にモコシの実を食わせろ。配合はひとまず3割、4割、5割でいくか。どの肉にどの餌を与えるかは貴様に任せる」
「かしこまりました。此度のお肉はどのように調理致しますか?」
思案するように顎を撫でたライコウ様は、数拍置いてフッと口角を持ち上げた。
「興が乗った。乃公 が厨房に立つ」
「では、私 はサポート致します」
「ああ」
頷きながら女の子の首枷にライコウ様が触れると、呆気なく外れてガシャンと床に落ちた。すっかり怯えきったその子を軽々と俵担ぎして踵を返す。一瞬呆然とした表情がすぐさま恐怖と絶望に塗り潰される。
「い、いや……!いやだ、死にたくない、こんなのやだっ、助けて兄さん、兄さああああんッ!!」
バタン。ガシャリ。彼女の泣きじゃくる声を無慈悲にシャットアウトするように扉と鍵が閉められた。ふたり分の足音が完全に聞こえなくなった頃、それぞれ深く息を吐く。みんなは「自分じゃなくてよかった」という安堵の息を。私は「また選ばれなかった」というため息を。
☆
ここはジョウト地方、ライコウ様の住まうお屋敷。私たちはライコウ様のためにジョウトの各地から集められた肉だ。
人肉がお好きなライコウ様は、目についた人間をこの屋敷に連れてきてはたらふく食べさせて太らせ、好みの肉に育てているんだとか。言うなれば人間牧場だ。まあ、全員が食べてもらえるわけもなく、痩せたままだったりライコウ様のご機嫌を損ねたりした人は、屋敷から放り出されて外の森に住むヤミカラスたちの餌になることもあるけれど。
ライコウ様のお食事が終わるとデンリュウさんが私たちの食事を運んできてくれる。お椀いっぱいに盛り付けられたきのみはライコウ様が自ら品種改良したもので、天然ものより遥かに栄養豊富だ。きのみの他に、ライコウ様特製フーズも混ぜられている。ブロック型のこれはきのみで補いきれない栄養をたっぷりカバーしてくれる優れものだ。
私たちのためにここまでしてくださるなんて、ライコウ様はなんて慈悲深いお方なんだろう。ライコウ様のためにおいしいお肉にならなくちゃ。はりきって、いつもより多く盛られたモコシの実をせっせと口に運んだ。
ライコウ様は1日3回、朝昼晩に1人ずつ召し上がる。けれどお忙しいお方だから、スケジュールによっては昼に1人と夜に2人だったり、朝に3人だったりと不規則になることもある。
今日は不規則な日だったらしく、朝になってもライコウ様はいらっしゃらなかった。部屋に唯一設置された鉄格子の窓から月明かりが差し込む頃になって、ようやくライコウ様の足音が聞こえてくる。今日こそ選んで欲しい。いつものように背筋を伸ばして待つ。
ライコウ様が部屋に足を踏み入れた瞬間、激しい怒声が響き渡った。
「よくも妹を!!殺してやるッ!!」
声の主は昨晩食べられた子の兄だった。憤怒と憎悪に満ちた形相でライコウ様を睨みつけ、首枷と鎖を引きちぎらんばかりに暴れている。
彼はライコウ様の視線を浴びたことでまひ状態になっており、あの後私たちの夕食時にデンリュウさんがクラボの実を食べさせるまで、指1本も動かせないようだった。まひが治った彼の嘆きようは凄まじく、一晩中泣き喚いていたから気になってあまり眠れなかった。
殺してやる、と青年がもう一度吠えた直後、ばちりと小さな電撃が彼を襲った。びくっと痙攣して膝から崩れ落ちる。症状が似ているけれど昨日よりは軽度のようだ。でんじは、だろうか。
わざを放った張本人であるデンリュウさんは、すぐさまライコウ様に跪いて深く頭を下げた。
「申し訳ございません、ライコウ様。私 の監督不行届でございます。また、勝手を働いたこと、どうかお許しくださいませ」
ライコウ様はデンリュウさんを一瞥し、鷹揚に答える。
「よい。貴様がやらなければ乃公 が殺していた。他の肉も巻き添えにしてな。美味い肉を無駄にするのは不本意だ」
「寛大なお言葉、痛み入ります」
再度頭を下げたデンリュウさんの言葉を遮るように、ダンッ!と青年が拳を床に打ち付ける。床に這いつくばったままライコウ様を睨み上げた。
「この、化け物め……!!妹を……食った、お前なんかに、食われる……くらいなら、ヤミカラスの……餌に、なった方が、マシだ!!」
青年の絶叫にライコウ様は僅かに眉を動かす。表情は変えないままつかつかと青年に歩み寄り、首枷から伸びる鎖を掴んで彼の体ごと引きずり上げた。ぐっ、と低い呻き声が漏れる。
「今、乃公 は空腹で非常に機嫌が良い 。その上で乃公 よりもヤミカラスどもに食われたい、などと抜かすか」
淡々と温度のない声で告げるライコウ様。ズシン──と体が重くなる。苦しい。息ができない。ライコウ様と至近距離で顔を合わせている彼は、真っ青を通り越した真っ白な顔で歯をガチガチ鳴らし、呼吸すらまともにできなくなっていた。それでも、ライコウ様を睨むことはやめない。
ライコウ様は無表情のまま青年の憎悪の眼差しを受け止め、やがて緩やかに口端を吊り上げた。
「よかろう、興が乗った。望み通りにしてやる。デンリュウ、釘を持ってこい」
「かしこまりました」
ライコウ様は青年の首を鷲掴み、首枷が外れるのも待たずに部屋の外へ引きずっていく。青年は抵抗しようともがいていたけれど、首を掴まれて苦しいのか、痺れているからか、足を少しばたつかせるのが精一杯のようだった。
ライコウ様が部屋を出るのを見届けてからデンリュウさんも退室し、しっかり扉と鍵を閉めた。ライコウ様の足音とそれより軽い足音がそれぞれ遠ざかる。そこでようやく体にのしかかっていた重さが薄れた。
やがて窓から、ガァン──重く鈍い音が4回、それをかき消すような絶叫が響き渡った。この屋敷は森に囲まれている。彼が何をされているのか、これからどうなるのか、想像に難くない。
「ヤミカラスどもよ。これは貴様らにくれてやる。好きに貪るがいい」
朗々と響くライコウ様の声に応じるような、ガアガア、バサバサ、という大勢のヤミカラスの鳴き声と羽音で夜の静けさが一気に埋め尽くされた。ガアアァー、と一際大きな歓喜の声を合図にヤミカラスたちの羽音が激しさを増す。
「ぎッ、うぅ、あぐっ、あ゛、やめ、あ゛あッ、うあああああ゛あ゛あ゛あ゛────ッ!!」
ヤミカラスの声と羽音に紛れて、ブチブチ肉を引き裂く音や青年の断末魔の叫びが漏れてくる。何人もが耳を塞ぎ、身をよせ合ったり、すすり泣いたり、抱えた膝に顔を埋めたりして、彼の末路から必死に目を背けようとした。
しばらくして、聞き慣れた足音が近付いてきたから急いで居住まいを正す。ライコウ様に楯突くばかりかお腹に入ることを拒むなんて信じられない。そんな人はヤミカラスの餌になるのがお似合いだ。
扉を開けたライコウ様は私たちを見下ろして淡々と言い放った。
「この乃公 の舌に乗るよりも、ヤミカラスどもの餌となることを望む酔狂者がいれば名乗り出ろ。気が向けば叶えてやる」
その言葉に部屋中が水を打ったように静まり返る。外の喧騒とは真逆の静寂の中、5人が選ばれた。よっぽどお腹が空いていらしたのだろう。いいなあ。私も早くライコウ様の舌に乗りたい、乗せて欲しい。
ため息を吐いてお腹の肉をつまむ。今日からおかわりを2回に増やしたのに。流石に食べてすぐ脂肪になるなんてことはないにしても、来たばかりの頃よりは随分ふくよかになったんだけど。
デンリュウさんが言うには、ライコウ様は十代後半から三十手前の、程よい歯応えと食べ応えのあるむっちりした肉がお好みなんだとか。柔らかすぎたり脂が乗りすぎたりするものや、痩せて可食部が少ないものはお嫌いらしい。まだ足りないのかな。もっと頑張らなきゃ。
☆
ある日のお昼時。姿を見せたライコウ様は何かを部屋へ放り込んだ。女の人だ。お腹が大きく膨らんでいる。
食べるばかりじゃ減る一方だから、こんな風にちょくちょく新しい肉が補充される。一気に10人以上補充されたこともあったっけ。私もこうやって連れてきていただいたんだよね。懐かしい。
床に倒れ伏した女の人にデンリュウさんが手早く首枷を嵌める。その人はお腹を守るように抱え、震えながらライコウ様を見上げた。
「あっ、あなた、一体何なの!?急に現れて、こ、こんなところに連れてきてっ、わた、私、これからどうなるの……!?」
「胎児も赤子も散々食ったが、そういえば産まれた直後は食ったことがなくてな。肉は鮮度が重要だろう。最も新鮮な状態の肉はどんな味か、試すほかあるまい」
「……は……?まさか……食べるってこと……?この子を……!?」
楽しげに口端を舐めるライコウ様に女の人はひどく戦き、お腹を強く抱きしめた。
「何を驚く。食料に食う以外の使い道などない」
「ふざけないでッ!!そんなことさせな、」
血よりも鮮やかな赤が冷たく鋭く女の人を突き刺す。ズシン──部屋中の重力が増した。前にもあった、この感じ。重くて、苦しくて、息ができない。
「喚くな。貴様の仕事はふたつ。ひとつ、腹の中の赤子 に栄養 を蓄えろ。ふたつ、ゆめゆめ流すな 」
冷淡に告げられた言葉に、女の人は血の気の引いた頬を涙で濡らし、お腹を抱きしめながらがっくり項垂れた。ライコウ様から直々にお言葉とお仕事をいただいたのに何がそんなに悲しいんだろう。意味がわからない。
すすり泣く女の人に目もくれず、ライコウ様は2人の男の子を連れて行った。ああ、また駄目かあ。
デンリュウさんからおかわりをもらって食べていると、すぐ隣に繋がれている女の子が「ねえ」と囁いた。
「あなた、どうしてそんなに食べるの?ライコウが怖くないの?」
私は目を瞬かせ、ゆっくり首を傾げる。
「ライコウ様は怖いけど、怖くなんかないよ。だって、私を救ってくれたんだもの」
今度は彼女が目をぱちくりさせる番だった。私よりも全体的にふっくらしている。いいなあ、と心の内で呟いてモコシの実を頬張った。
「私、外では年中飢えと寒さに震えてた。でも、ここでは毎日3回ご飯をお腹いっぱい食べられて、屋根と壁がある所で眠れるでしょ。来たばかりの頃はとうとう死んで天国に着いたのかと思った」
親の顔なんて覚えてない。飢えと寒さだけが物心つく前から一緒だった。生きている意味も理由もわからないまま、雨水を舐め、食べられそうなものはなんでも口にし、無我夢中で生にしがみついていた。そんな私をライコウ様は拾い上げ──満腹、温もり、熟睡、幸福、生きる意味──両手で抱えきれないくらい沢山のものを与えてくれた。
「満腹になることが、暖かい所で眠れることが、こんなに幸せだって知らなかった。私は私に幸福をくださったライコウ様に恩返ししたいの。だから沢山食べて、おいしいお肉になるんだ」
そう言ってにっこり微笑むと、彼女は奇妙なものを見たかのような眼差しを私に向けた。救われたから恩返しがしたいの、そんなに変かな。オボンの実を齧りながら「あなたは?」と聞いてみる。
「私は……怖い。死にたくない、食べられたくなんかない」
目を伏せる彼女の言葉が全然理解できなかったから、多分私も、さっきの彼女と同じ目をしていた。
☆
あれから私はせっせとモコシの実を食べ続け、栄養豊富なオボンの実やラムの実も沢山食べた。鏡がないから見て確かめることはできないけれど、触った感じ以前よりも肉が付いたような気がする。食事以外に、できる範囲のストレッチも欠かさなかった。脂肪ばかりじゃなく程よく筋肉もある方がおいしいって、ライコウ様が仰っていたから。
選ばれなくて、落胆して、食べて、運動して、寝て、選ばれなくて、落胆して、食べて、を幾度となく繰り返し。
ある晩、ついにライコウ様と目が合った。赤い瞳に射抜かれて心臓が痛いくらい踊り狂う。やっと、やっとこの時が来た。ライコウ様に食べてもらえる。
他の人と同じように顎を掴まれ、肉の付き具合を確かめられる。ライコウ様のお顔がすぐ近くにあって、ライコウ様の指に触れられているから、このまま破裂するんじゃないかってくらいドキドキした。ああ、ライコウ様、ライコウ様!!どうぞ私を召し上がってください!!
けれど、ライコウ様は私に微笑みかけてはくださらなかった。あっさり私から手を離し、平らな声でデンリュウさんを呼ぶ。
「これを捕らえたのはいつだ」
「13ヶ月前でございます」
「肉の付きが悪い。餌はきちんと摂っているのか?」
「はい。そのように記録しております」
「痩せた肉はいらん。廃棄しろ」
「かしこまりました」
頭上で淡々と交わされる言葉の意味がまるで理解できなかった。暖かい暖炉の前からいきなり氷水の中へ放り込まれたように、全身の熱が消えていく。嘘、だって、そんな。私、沢山食べて、沢山太って、おいしくなろうって、なんで、待って、どうして、嘘、やだ、
ガシャン。ぐちゃぐちゃの思考を遮るように首枷が床に落ちた。ライコウ様はもう、私を見ていない。
「まって、」
思わず伸ばした私の手を掴んだのはデンリュウさんだった。にこり、いつものように微笑む。
「こちらでございます」
物凄い力で腕を引っ張られ、あっという間に部屋から引きずり出された。ショックで呆然としていた頭が唐突に現実を受け止める。
「まって、やだ、うそ、ごめんなさい、やだ、なんで、やだやだやだぁッ!!」
今は細身の女の人の姿をしているとはいえ、彼女もポケモンだ。どんなに暴れてもビクともしない。どんどん廊下を引きずられていき、あっさり玄関から放り出された。
「ねえっ、まって、こんなのいやああああああああ!!」
バタン。ガシャリ。私の泣き喚く声を無慈悲にシャットアウトするように扉と鍵が閉められる。涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら無我夢中で扉に縋り付き、両の拳をドンドン叩きつけた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!もっと沢山食べます、ちゃんとしっかり太ります、必ずおいしいお肉になるからッ、だから中に入れて!!お願いしますライコウ様ッ、ライコウ様ああああ!!!!」
どんなに呼んでも叫んでも、扉は固く閉ざされたまま。足音だって聞こえない。それでも諦められなくて、諦めたくなくて、何度も何度も何度も何度も叩き続けた。
「ガア」
突如聞こえた声に背筋が凍りつく。ゆっくり振り返れば、夜の闇の中に真っ赤な瞳がふたつ。それは緩やかに弧を描き、高らかに声を上げた。
ガア、ガア、ガア、ガア。無数の黒い翼が私を取り囲み、無数の赤が私を見ている。思わず一歩後ずさると、背中に扉がぶつかった。膝の力が抜けてその場にへたり込む。
呆然と涙を流す私を嘲笑うように最初のヤミカラスがにんまり笑った。ガアアァー、と一際大きな声を合図に一斉に飛びかかる。
「────────ッ!!!!」
私の絶叫はヤミカラスたちの歓声にかき消され、羽ばたきに呑まれた。
***
翌朝。朝食を済ませたライコウが扉を押し開ければ、屋敷の前にボロボロの布切れと骨の破片が乱雑に散らばっていた。地面には赤黒い染みもこびり付いている。彼は何の感情も宿っていない眼差しでそれを見下ろし、後ろに控えるデンリュウに「掃除しておけ」と命じた。
「かしこまりました。行ってらっしゃいませ」
デンリュウの返事を背中で聞きながらすたすた歩き出す。昼は屋敷に戻れないから夕食時に2匹食べよう。どれにしようか。どう調理しようか。今朝の余韻を楽しむようにぺろりと唇を舐める。
靴の裏からパキ、と音がしたけれど、ライコウは気にも留めなかった。
Fin.
【柘榴畑で踊りましょう】
カツン、カツン、カツン。床を叩くブーツの音が少しずつ近付いてくる。それに伴い、心臓の跳ねる音が大きくなる。なるべく健康に見えるよう正座に座り直してピンと背筋を伸ばせば、首枷から伸びる鎖がガシャリと揺れた。
怯え、恐怖、諦め、憎しみ。それぞれの感情を宿してあのお方を待つ。やがて錠前の外れる音がして重々しく扉が開いた。現れたのは、きらめく黄金の髪に柘榴石の瞳を持つ目も眩むような美しいひと──ライコウ様。後ろにはメイド服をまとった金髪の女性、もといデンリュウさんが控えている。
ライコウ様は品定めするように私たちをざっと見渡し、1人の女の子に目を留めた。歳は私の少し下くらいだろうか。ライコウ様と視線が交わった瞬間、その子はびくりと肩を跳ねさせガタガタ震え出す。ライコウ様はつかつか歩み寄り、その子の顎をガッと掴んで持ち上げた。頬や顎の肉の付き具合を確かめるように長い指を滑らせていく。震える彼女の目に涙が浮かび、溢れた雫が幾つも頬を伝う。それを見るや、その子の近くに繋がれていた青年が鎖を揺らして叫んだ。
「この野郎、妹を離せ!!」
恐怖を必死に抑え込んだ眼差しで鎖をガチャガチャ鳴らしながら拳を振りかぶる彼に、ライコウ様は煩わしげな視線を送る。途端、青年は大きく痙攣して糸が切れた操り人形のようにばったり倒れた。ひっ、と誰かが小さく悲鳴を上げる。彼の妹は大きく目を見開き、またぽろぽろ涙を零した。
ライコウ様は何事も無かったかのように二の腕、お腹、太もも、ふくらはぎ、と上から順々に全身の肉付きを確かめていく。やがて目を細めて満足気に頷き、後ろに控えるデンリュウさんへ声をかけた。
「これに与えていた餌は何だ?」
デンリュウさんはにこりと微笑み、淀みなく答える。
「モコシの実でございます」
「やはりモコシの実で育てたものは肉付きが良いな。今後は全ての肉にモコシの実を食わせろ。配合はひとまず3割、4割、5割でいくか。どの肉にどの餌を与えるかは貴様に任せる」
「かしこまりました。此度のお肉はどのように調理致しますか?」
思案するように顎を撫でたライコウ様は、数拍置いてフッと口角を持ち上げた。
「興が乗った。
「では、
「ああ」
頷きながら女の子の首枷にライコウ様が触れると、呆気なく外れてガシャンと床に落ちた。すっかり怯えきったその子を軽々と俵担ぎして踵を返す。一瞬呆然とした表情がすぐさま恐怖と絶望に塗り潰される。
「い、いや……!いやだ、死にたくない、こんなのやだっ、助けて兄さん、兄さああああんッ!!」
バタン。ガシャリ。彼女の泣きじゃくる声を無慈悲にシャットアウトするように扉と鍵が閉められた。ふたり分の足音が完全に聞こえなくなった頃、それぞれ深く息を吐く。みんなは「自分じゃなくてよかった」という安堵の息を。私は「また選ばれなかった」というため息を。
☆
ここはジョウト地方、ライコウ様の住まうお屋敷。私たちはライコウ様のためにジョウトの各地から集められた肉だ。
人肉がお好きなライコウ様は、目についた人間をこの屋敷に連れてきてはたらふく食べさせて太らせ、好みの肉に育てているんだとか。言うなれば人間牧場だ。まあ、全員が食べてもらえるわけもなく、痩せたままだったりライコウ様のご機嫌を損ねたりした人は、屋敷から放り出されて外の森に住むヤミカラスたちの餌になることもあるけれど。
ライコウ様のお食事が終わるとデンリュウさんが私たちの食事を運んできてくれる。お椀いっぱいに盛り付けられたきのみはライコウ様が自ら品種改良したもので、天然ものより遥かに栄養豊富だ。きのみの他に、ライコウ様特製フーズも混ぜられている。ブロック型のこれはきのみで補いきれない栄養をたっぷりカバーしてくれる優れものだ。
私たちのためにここまでしてくださるなんて、ライコウ様はなんて慈悲深いお方なんだろう。ライコウ様のためにおいしいお肉にならなくちゃ。はりきって、いつもより多く盛られたモコシの実をせっせと口に運んだ。
ライコウ様は1日3回、朝昼晩に1人ずつ召し上がる。けれどお忙しいお方だから、スケジュールによっては昼に1人と夜に2人だったり、朝に3人だったりと不規則になることもある。
今日は不規則な日だったらしく、朝になってもライコウ様はいらっしゃらなかった。部屋に唯一設置された鉄格子の窓から月明かりが差し込む頃になって、ようやくライコウ様の足音が聞こえてくる。今日こそ選んで欲しい。いつものように背筋を伸ばして待つ。
ライコウ様が部屋に足を踏み入れた瞬間、激しい怒声が響き渡った。
「よくも妹を!!殺してやるッ!!」
声の主は昨晩食べられた子の兄だった。憤怒と憎悪に満ちた形相でライコウ様を睨みつけ、首枷と鎖を引きちぎらんばかりに暴れている。
彼はライコウ様の視線を浴びたことでまひ状態になっており、あの後私たちの夕食時にデンリュウさんがクラボの実を食べさせるまで、指1本も動かせないようだった。まひが治った彼の嘆きようは凄まじく、一晩中泣き喚いていたから気になってあまり眠れなかった。
殺してやる、と青年がもう一度吠えた直後、ばちりと小さな電撃が彼を襲った。びくっと痙攣して膝から崩れ落ちる。症状が似ているけれど昨日よりは軽度のようだ。でんじは、だろうか。
わざを放った張本人であるデンリュウさんは、すぐさまライコウ様に跪いて深く頭を下げた。
「申し訳ございません、ライコウ様。
ライコウ様はデンリュウさんを一瞥し、鷹揚に答える。
「よい。貴様がやらなければ
「寛大なお言葉、痛み入ります」
再度頭を下げたデンリュウさんの言葉を遮るように、ダンッ!と青年が拳を床に打ち付ける。床に這いつくばったままライコウ様を睨み上げた。
「この、化け物め……!!妹を……食った、お前なんかに、食われる……くらいなら、ヤミカラスの……餌に、なった方が、マシだ!!」
青年の絶叫にライコウ様は僅かに眉を動かす。表情は変えないままつかつかと青年に歩み寄り、首枷から伸びる鎖を掴んで彼の体ごと引きずり上げた。ぐっ、と低い呻き声が漏れる。
「今、
淡々と温度のない声で告げるライコウ様。ズシン──と体が重くなる。苦しい。息ができない。ライコウ様と至近距離で顔を合わせている彼は、真っ青を通り越した真っ白な顔で歯をガチガチ鳴らし、呼吸すらまともにできなくなっていた。それでも、ライコウ様を睨むことはやめない。
ライコウ様は無表情のまま青年の憎悪の眼差しを受け止め、やがて緩やかに口端を吊り上げた。
「よかろう、興が乗った。望み通りにしてやる。デンリュウ、釘を持ってこい」
「かしこまりました」
ライコウ様は青年の首を鷲掴み、首枷が外れるのも待たずに部屋の外へ引きずっていく。青年は抵抗しようともがいていたけれど、首を掴まれて苦しいのか、痺れているからか、足を少しばたつかせるのが精一杯のようだった。
ライコウ様が部屋を出るのを見届けてからデンリュウさんも退室し、しっかり扉と鍵を閉めた。ライコウ様の足音とそれより軽い足音がそれぞれ遠ざかる。そこでようやく体にのしかかっていた重さが薄れた。
やがて窓から、ガァン──重く鈍い音が4回、それをかき消すような絶叫が響き渡った。この屋敷は森に囲まれている。彼が何をされているのか、これからどうなるのか、想像に難くない。
「ヤミカラスどもよ。これは貴様らにくれてやる。好きに貪るがいい」
朗々と響くライコウ様の声に応じるような、ガアガア、バサバサ、という大勢のヤミカラスの鳴き声と羽音で夜の静けさが一気に埋め尽くされた。ガアアァー、と一際大きな歓喜の声を合図にヤミカラスたちの羽音が激しさを増す。
「ぎッ、うぅ、あぐっ、あ゛、やめ、あ゛あッ、うあああああ゛あ゛あ゛あ゛────ッ!!」
ヤミカラスの声と羽音に紛れて、ブチブチ肉を引き裂く音や青年の断末魔の叫びが漏れてくる。何人もが耳を塞ぎ、身をよせ合ったり、すすり泣いたり、抱えた膝に顔を埋めたりして、彼の末路から必死に目を背けようとした。
しばらくして、聞き慣れた足音が近付いてきたから急いで居住まいを正す。ライコウ様に楯突くばかりかお腹に入ることを拒むなんて信じられない。そんな人はヤミカラスの餌になるのがお似合いだ。
扉を開けたライコウ様は私たちを見下ろして淡々と言い放った。
「この
その言葉に部屋中が水を打ったように静まり返る。外の喧騒とは真逆の静寂の中、5人が選ばれた。よっぽどお腹が空いていらしたのだろう。いいなあ。私も早くライコウ様の舌に乗りたい、乗せて欲しい。
ため息を吐いてお腹の肉をつまむ。今日からおかわりを2回に増やしたのに。流石に食べてすぐ脂肪になるなんてことはないにしても、来たばかりの頃よりは随分ふくよかになったんだけど。
デンリュウさんが言うには、ライコウ様は十代後半から三十手前の、程よい歯応えと食べ応えのあるむっちりした肉がお好みなんだとか。柔らかすぎたり脂が乗りすぎたりするものや、痩せて可食部が少ないものはお嫌いらしい。まだ足りないのかな。もっと頑張らなきゃ。
☆
ある日のお昼時。姿を見せたライコウ様は何かを部屋へ放り込んだ。女の人だ。お腹が大きく膨らんでいる。
食べるばかりじゃ減る一方だから、こんな風にちょくちょく新しい肉が補充される。一気に10人以上補充されたこともあったっけ。私もこうやって連れてきていただいたんだよね。懐かしい。
床に倒れ伏した女の人にデンリュウさんが手早く首枷を嵌める。その人はお腹を守るように抱え、震えながらライコウ様を見上げた。
「あっ、あなた、一体何なの!?急に現れて、こ、こんなところに連れてきてっ、わた、私、これからどうなるの……!?」
「胎児も赤子も散々食ったが、そういえば産まれた直後は食ったことがなくてな。肉は鮮度が重要だろう。最も新鮮な状態の肉はどんな味か、試すほかあるまい」
「……は……?まさか……食べるってこと……?この子を……!?」
楽しげに口端を舐めるライコウ様に女の人はひどく戦き、お腹を強く抱きしめた。
「何を驚く。食料に食う以外の使い道などない」
「ふざけないでッ!!そんなことさせな、」
血よりも鮮やかな赤が冷たく鋭く女の人を突き刺す。ズシン──部屋中の重力が増した。前にもあった、この感じ。重くて、苦しくて、息ができない。
「喚くな。貴様の仕事はふたつ。ひとつ、腹の中の
冷淡に告げられた言葉に、女の人は血の気の引いた頬を涙で濡らし、お腹を抱きしめながらがっくり項垂れた。ライコウ様から直々にお言葉とお仕事をいただいたのに何がそんなに悲しいんだろう。意味がわからない。
すすり泣く女の人に目もくれず、ライコウ様は2人の男の子を連れて行った。ああ、また駄目かあ。
デンリュウさんからおかわりをもらって食べていると、すぐ隣に繋がれている女の子が「ねえ」と囁いた。
「あなた、どうしてそんなに食べるの?ライコウが怖くないの?」
私は目を瞬かせ、ゆっくり首を傾げる。
「ライコウ様は怖いけど、怖くなんかないよ。だって、私を救ってくれたんだもの」
今度は彼女が目をぱちくりさせる番だった。私よりも全体的にふっくらしている。いいなあ、と心の内で呟いてモコシの実を頬張った。
「私、外では年中飢えと寒さに震えてた。でも、ここでは毎日3回ご飯をお腹いっぱい食べられて、屋根と壁がある所で眠れるでしょ。来たばかりの頃はとうとう死んで天国に着いたのかと思った」
親の顔なんて覚えてない。飢えと寒さだけが物心つく前から一緒だった。生きている意味も理由もわからないまま、雨水を舐め、食べられそうなものはなんでも口にし、無我夢中で生にしがみついていた。そんな私をライコウ様は拾い上げ──満腹、温もり、熟睡、幸福、生きる意味──両手で抱えきれないくらい沢山のものを与えてくれた。
「満腹になることが、暖かい所で眠れることが、こんなに幸せだって知らなかった。私は私に幸福をくださったライコウ様に恩返ししたいの。だから沢山食べて、おいしいお肉になるんだ」
そう言ってにっこり微笑むと、彼女は奇妙なものを見たかのような眼差しを私に向けた。救われたから恩返しがしたいの、そんなに変かな。オボンの実を齧りながら「あなたは?」と聞いてみる。
「私は……怖い。死にたくない、食べられたくなんかない」
目を伏せる彼女の言葉が全然理解できなかったから、多分私も、さっきの彼女と同じ目をしていた。
☆
あれから私はせっせとモコシの実を食べ続け、栄養豊富なオボンの実やラムの実も沢山食べた。鏡がないから見て確かめることはできないけれど、触った感じ以前よりも肉が付いたような気がする。食事以外に、できる範囲のストレッチも欠かさなかった。脂肪ばかりじゃなく程よく筋肉もある方がおいしいって、ライコウ様が仰っていたから。
選ばれなくて、落胆して、食べて、運動して、寝て、選ばれなくて、落胆して、食べて、を幾度となく繰り返し。
ある晩、ついにライコウ様と目が合った。赤い瞳に射抜かれて心臓が痛いくらい踊り狂う。やっと、やっとこの時が来た。ライコウ様に食べてもらえる。
他の人と同じように顎を掴まれ、肉の付き具合を確かめられる。ライコウ様のお顔がすぐ近くにあって、ライコウ様の指に触れられているから、このまま破裂するんじゃないかってくらいドキドキした。ああ、ライコウ様、ライコウ様!!どうぞ私を召し上がってください!!
けれど、ライコウ様は私に微笑みかけてはくださらなかった。あっさり私から手を離し、平らな声でデンリュウさんを呼ぶ。
「これを捕らえたのはいつだ」
「13ヶ月前でございます」
「肉の付きが悪い。餌はきちんと摂っているのか?」
「はい。そのように記録しております」
「痩せた肉はいらん。廃棄しろ」
「かしこまりました」
頭上で淡々と交わされる言葉の意味がまるで理解できなかった。暖かい暖炉の前からいきなり氷水の中へ放り込まれたように、全身の熱が消えていく。嘘、だって、そんな。私、沢山食べて、沢山太って、おいしくなろうって、なんで、待って、どうして、嘘、やだ、
ガシャン。ぐちゃぐちゃの思考を遮るように首枷が床に落ちた。ライコウ様はもう、私を見ていない。
「まって、」
思わず伸ばした私の手を掴んだのはデンリュウさんだった。にこり、いつものように微笑む。
「こちらでございます」
物凄い力で腕を引っ張られ、あっという間に部屋から引きずり出された。ショックで呆然としていた頭が唐突に現実を受け止める。
「まって、やだ、うそ、ごめんなさい、やだ、なんで、やだやだやだぁッ!!」
今は細身の女の人の姿をしているとはいえ、彼女もポケモンだ。どんなに暴れてもビクともしない。どんどん廊下を引きずられていき、あっさり玄関から放り出された。
「ねえっ、まって、こんなのいやああああああああ!!」
バタン。ガシャリ。私の泣き喚く声を無慈悲にシャットアウトするように扉と鍵が閉められる。涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら無我夢中で扉に縋り付き、両の拳をドンドン叩きつけた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!もっと沢山食べます、ちゃんとしっかり太ります、必ずおいしいお肉になるからッ、だから中に入れて!!お願いしますライコウ様ッ、ライコウ様ああああ!!!!」
どんなに呼んでも叫んでも、扉は固く閉ざされたまま。足音だって聞こえない。それでも諦められなくて、諦めたくなくて、何度も何度も何度も何度も叩き続けた。
「ガア」
突如聞こえた声に背筋が凍りつく。ゆっくり振り返れば、夜の闇の中に真っ赤な瞳がふたつ。それは緩やかに弧を描き、高らかに声を上げた。
ガア、ガア、ガア、ガア。無数の黒い翼が私を取り囲み、無数の赤が私を見ている。思わず一歩後ずさると、背中に扉がぶつかった。膝の力が抜けてその場にへたり込む。
呆然と涙を流す私を嘲笑うように最初のヤミカラスがにんまり笑った。ガアアァー、と一際大きな声を合図に一斉に飛びかかる。
「────────ッ!!!!」
私の絶叫はヤミカラスたちの歓声にかき消され、羽ばたきに呑まれた。
***
翌朝。朝食を済ませたライコウが扉を押し開ければ、屋敷の前にボロボロの布切れと骨の破片が乱雑に散らばっていた。地面には赤黒い染みもこびり付いている。彼は何の感情も宿っていない眼差しでそれを見下ろし、後ろに控えるデンリュウに「掃除しておけ」と命じた。
「かしこまりました。行ってらっしゃいませ」
デンリュウの返事を背中で聞きながらすたすた歩き出す。昼は屋敷に戻れないから夕食時に2匹食べよう。どれにしようか。どう調理しようか。今朝の余韻を楽しむようにぺろりと唇を舐める。
靴の裏からパキ、と音がしたけれど、ライコウは気にも留めなかった。
Fin.
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