ハロー・アコニタム/age.7
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***
本気で殺す気はなかったけど、別に殺したって構わなかった。手持ちも持たないニンゲンのガキ1人殺すのなんて、造作もない。下手に騒いで他のニンゲン呼ばれる方が面倒だ。ちょっと脅かせばすぐ逃げ出すだろうし、妙な真似するようなら殺せばいい。それだけだ。
……それだけの、はずだったんだけどなァ。
食われる寸前のヤブクロンみてェに怯えてるくせに、自分の命を棚に上げて、他人の命の心配なんかしやがるから。
じっちゃんがいつも言ってる「ロクデナシの大馬鹿野郎」ってのはこういう奴なんだって、何となくわかったから。
もう少し、話してみてェと思ったんだ。
☆
結局、あの後散々笑い転げたベトベターから「脅かしちまったお詫びだ。好きにしてくれや」という承諾を得た。怪我人のくせに元気過ぎねえか。ポケモンだからタフなのか?
手当(と言っていいのか自信はない)のためにベトベターの左側に座ると、ツンと鉄の匂いが鼻を刺す。ぎゅっと唇を噛み締めてリュックサックの中を漁った。大丈夫、教わった通りにやれば、きっと大丈夫。
父ちゃんの言葉と手付きを反芻しながら、ハンカチと、きのみが入ったビニール袋を引っ張り出す。そうだ、オボンの実があった。オボンの実やオレンの実には、HPを回復させる以外にも疲労回復や痛み止めの効果もあるって、前にギナが教えてくれた。
「なあ、これ、食えるか?」
オボンの実を2つ差し出すと、ベトベターは目を細めて大きく頷き、瞬く間にぺろりと平らげた。よかった、食欲はあるみたいだ。
「ごちそォさん。ちっと楽になったぜェ」
そう言って笑うベトベターの顔色は少しだけど良くなっていて、思わず緩みかけた気を慌てて引き締める。勝手に気を抜くな、本番はこれからだろ。
弁当箱を包んでいた風呂敷を解いて三角形になるように斜めに折りたたみ、そのまま帯状になるようにたたんでいく。それが終わったら残ったきのみをリュックサックに放り込み、ビニール袋を右手に被せてハンカチを持った。
左腕の傷を改めて観察する。二の腕に斜めに刻まれた傷口からは未だじわじわと血が滲み出し、裂けた袖に赤黒い染みをつくっている。思わず目を逸らしたくなるけれど、頭を振って雑念を追い出す。
「……じゃあ、触るぞ」
「どーぞォ」
傷口にハンカチを当てて膝立ちになり、左手は血に触らないように気をつけながら、右手の上に重ねて強く圧迫する。ちゃんと抑えられているかわからないけど、途中で緩めちゃいけないからぐっと体重をかけて堪える。
ベトベターはしばらく物珍しげに俺のやることを眺めていたけれど、黙っていることに飽きたのか、徐に口を開いた。
「なァ、こういうの、ニンゲンは皆知ってんのか?」
「みんなかどうかは知らねえけど、知ってる奴はいるよ。医者とかジョーイさんとか」
「ふゥん。お前さんもイシャってヤツなのかい?」
「ちがう。けど、父ちゃんが医者だから、色々教えてもらってる」
じっとしているのが嫌いなのか、それとも喋るのが好きなのか。ベトベターは次々に質問を投げかけてきた。
「ビニール被せるのはどういう意味があるんだ?」
「カンセンショウの予防。血に直接触っちゃダメなんだって」
「へェ。プラスチックって歯応えねェから面白くねェんだよなァ」
よくわからないコメント。そういえば、マリエシティの北、はずれの岬にあるリサイクルプラントでは、沢山のベトベター・ベトベトンがアローラ中のゴミを食べてくれてるって話だけど。もしかしてこいつもその一員なのか?それを尋ねると、「よく知ってんなァ」とへらりと笑った。
「俺さんの種族はまァ何でも食うし何でも食えるけど、やっぱ好みは個体差あってさァ。紙が好きなヤツ、段ボールが好きなヤツ、ペットボトルが好きなヤツ、色々いるぜェ」
本ではわからない、実際の野性ポケモンの暮らし。止血に集中しなきゃいけないのに、つい好奇心がうずいてしまう。
「あんたは何が好きなんだ?」
「缶と瓶だなァ。歯応えあるモンが好きでよォ、スチール缶とか美味ェのなんの」
ガリガリした食感が最高なんだ、と舌なめずりしならが嬉しそうに笑う。アローラのベトベターは年中腹空かしてるっていうけど、やっぱ食うこと自体好きなのかな。ジンコと気が合いそうだ。
「今日は仕事、いいのか?」
「え、あー……アレだ、今日の午後は休みなんだよ」
妙な歯切れの悪さは気になるけれど、まあ、いくら食事と同義だからって年中仕事してるわけじゃねえか。ゴミ以外のものも食いたくなるだろうし。
「休みの日は何してるんだ?」
「じっちゃんと稽古したり、マリエ庭園とか探検したり、近くに住んでるポケモンとバトルしたり。トレーナー見かけたら、腕試しも兼ねてバトルふっかけることもあるなァ」
「バトル、好きなんだな」
「おう。楽しィし、強くなれるし。じっちゃんより強くなるのが俺さんの目標なんだ。……まァ、まだ一回も勝てたことねェけどさ」
たはは、なんて笑って頬を引っかいた。こいつは〝じっちゃん〟の話をする時、すごく嬉しそうな顔をする。俺よりずっと年上だろうけど、子どもみたいな表情を見ていると、なんとなく親しみが湧いた。
話している内に血が止まっていた。ハンカチは被せたまま手をどかしてビニール袋を外し、帯状にたたんだ風呂敷を包帯代わりに巻き付けていく。
「これでよし……と」
最後に端と端を結んで、大きく息を吐く。ベトベターは感心したように「器用なモンだなァ」と呟き、左腕を軽く持ち上げた。
「あんまり動かすなよ」
「はいよォ」
あの赤黒い染みはすっかり見えなくなっている。風呂敷にも染みている様子はない。ちゃんと、止まってる。
「ありがとな。助かった」
その笑顔が、声が、あんまりにもやわらかいから、肩の力が抜けてその場にへたり込んだ。ついでに余計なものまで緩んで、視界がじわじわ滲んでいく。……よかった、俺、助けられたんだ。俺でも、俺にも、できたんだ。
その時、ぐうう、と奇妙な音が響き渡った。発信源は俺。ぶわっと顔中が熱くなる。そういえば弁当食うのすっかり忘れてた。どうせニヤついてるであろうベトベターの方は極力見ないようにして、風呂敷を解いたきり草の上に放りっぱなしにしていた弁当箱を引き寄せる。蓋を開けると、マラサダが2つ入っていた。
早速、同梱されていたサバーラップごと掴んだマラサダにかぶりつこうとして、好奇心に満ちた視線が手元に注がれていることに気が付いた。
「食うか?マラサダっていうんだけど」
弁当箱に残っていたマラサダを差し出す。ベトベターは嬉しそうに「ありがとさん」と受け取り、興味津々に匂いを嗅いでから豪快にかぶりついた。いくら何でも食えるからって警戒しなすぎじゃねえかとか、色々頭を過ぎったけれど、美味そうに頬張るこいつを見ていると「まあ、いいか」と思えてしまう。
一口齧れば、しっとりもちもちの生地と一緒にカスタードクリームのやさしい甘みが口に広がった。熱々の揚げたては勿論美味いけど、冷めたやつもこれはこれで美味い。
「そういえばあんた、何でこんな所にいたんだ?」
もう一口齧って、先程から抱いていた疑問を口にする。ベトベターの生息地も、リサイクルプラントがあるのも、マリエシティより奥のはずれの岬だ。物陰に傷だらけで倒れてたんだから、何かあったのは間違いない。けれどそれをそのまま問いかけるのは何となく憚られた。ベトベターはマラサダの最後の一欠片を口に放り込み、もぐもぐやりながらこう言った。
「さっき、逃げてるっつったろォ。たまにな、バトルじゃなくて痛めつけて遊ぶのが目的のヤツらがいるんだ。バトルは好きだから歓迎するけどよ、オモチャにされるのはごめんだ」
何でもなさそうな口調だけれど、その声は確かに苛立ちを含んでいる。父ちゃんも、ダメージと怪我は別物だって言ってた。思わず「……なんか、ごめん」と呟いたら、「別にお前さんがやったわけじゃァねェだろ」と笑い飛ばされた。それは、そうだけど。でも、だって。ぎゅっと唇を噛む俺に、ベトベターは軽く肩を竦め、大して気に留めた様子もなく話を続けた。
「いつもは返り討ちにしてやるんだけど、今日は多勢に無勢だわ、まひになるわで流石にヤバくてさァ。毒ガスで目潰しして逃げてきた。んで、見つからなそうなここに逃げ込んだはいいものの、体中痛くて痺れて意識保ってられなくなって……後はお前さんが見た通りィ」
「まひって、あんた、まひもしてたのか!?」
「デケェ声出すなよ。上はもう動くようになったんだから、そろそろ回復するだろォぜ」
呆れたように片眉を上げるベトベターの全身をもう一度隈なく見てみると、下半身は軽く痙攣しており、小さな黄色い電磁波のようなものが時折爆ぜていた。そいうえばこいつは、一度も下半身を動かしていない。腕の傷に気を取られて今の今まで気付かなかった。くそ、馬鹿だろ、馬鹿じゃねえの俺。
心の中で盛大に自分を罵りながらリュックサックに右手を突っ込む。ゴーシュから貰ったのはオボンの実とラムの実。探り当てた緑を2つ、半ば投げつけるように押し付けた。
「これも食っとけ」
「……何か悪ィな、色々世話焼かせちまって」
「いいよ。俺がしたくてしてるんだから」
そうかい、とへらりと笑ってぽんとラムの実を口に放り込んだ。こいつの口、でけえっつーかよく開くな。ゴルバットかよ。まあ原形がああだから納得だけど。
右手をグーパーさせたり、足を左右に揺らしてみたりと体の動きを確かめていたベトベターの碧眼が、ふいにこちらに向けられる。
「つーか、お前さんこそ何してたんだァ?」
「図書館に来てたんだよ。ここではいつも昼飯食ってたんだ。静かで眺め良いし、館内は飲食禁止だから」
「なるほどなァ。トショカンってーと、ホンとかいう紙束が沢山あるとこだっけか」
「うん。いろんなこと書いてあって面白えよ。知ってるか?アローラのベトベターと他の地方のベトベターは、姿もタイプも違うんだ」
緑色と紫色。どく・あくタイプとどくタイプ。毒の結晶の有無。主な生息地。生態。本から学んだことを諳んじる。他の地方では工場とかの廃液が主食なんだ、と言うと、ベトベターの眉がピクリと動いた。
「なァ、そういう……よその地方のヤツらはよ、ゴミ食っても平気なのかァ?」
「主食ではねえけど副食みたいな感じで結構食べてるって話だから、平気なんだと思う。ほら、例えばツツケラだって、きのみが主食だけどアマカジとかキャタピーも食うだろ。つーか、平気じゃねえならそもそも食わねえんじゃね」
「そりゃァそうだわな。……体に悪いわけじゃねェなら、よかった」
何かに納得したらしく、しきりにうんうんと頷いた。どういう意味か聞く前に「他のポケモンはどうなんだ」と尋ねられて、頭の中の本棚を引っかき回す。
ポケモンが住む地方の環境に適応した姿のことを、人間は〝リージョンフォーム〟と呼んでいること。姿やタイプ以外にも、特性、進化条件、進化系も変化する場合があること。ベトベターやコラッタ、ロコンみたいに進化系ごと変化したポケモンもいれば、ライチュウやナッシーみたいに進化系だけ変化したポケモンもいること。ガラル地方ではまた違った変化をするらしいこと。
ベトベターが楽しそうに聞いてくれるのが嬉しくて、脳に刻んだ知識をどんどん引っ張り出して舌に乗せる。リージョンフォーム図鑑、持ってくればよかったな。そしたら絵も見せてやれたのに。ガラル版リージョンフォーム図鑑の発売日はそろそろだったっけ。
ふと腕時計を見れば、5時5分前。げっ、門限直前じゃん。どんだけ喋ってたんだよ。慌てて散らかしていた荷物をリュックサックに詰めていく。
「ごめん、ずっと喋ってて。夢中になると止まらなくて」
「構わねェさ。面白かったぜェ」
「そっか。なら、よかった」
今度会ったら、お前の話聞かせてくれよ。喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、かわりに「俺、そろそろ帰んなきゃ」と吐き出す。
「今日は……ありがとな、色々。お大事に」
「こちらこそ、だ。お前さんも気ィ付けてなァ」
陽気に笑うベトベターに手を振って駆け出す。きっとあいつとはこれっきりだ。なんだか体がふわふわして、それからちょっとだけすーすーして、いつもより速く走れているような気がした。
***
遠ざかる足音を聞きながら、さて俺さんも帰るかと立ち上がろうとして、左手に何か硬いものが当たった。右手で拾い上げたそれは、小さくて長方形の薄っぺらいモンだった。何やら奇怪な記号がいくつも並んでいる。
これ、確かカードとかいうヤツだ。コジンジョウホウってのが書いてあって、なんか店とかポケモンセンターとかで使うヤツ。十中八九あいつが落としていったんだろう。……なくしたら困るよなァ。今から追いかける……のは無理か。
しゃァねェ、手当してもらった恩もあるし、明日返しに来てやるかァ。どうせならあいつより先に来てまた脅かしてやろう。あいつがビックリした時の反応、面白かったし。
しっかしまァ、大人しいヤツかと思ったら案外賑やかなヤツだったなァ。小せェナリして色々知ってるもんだ。知らねェことがぽこぽこ出てくるから、ついつい聞き入っちまった。
カードをズボンのポケットにつっこんで帰路につく。あーあ、午後の仕事サボっちまった。じっちゃんにドヤされるなァ。腕の怪我のことも聞かれるだろォし、拳骨覚悟しとこ。社長さんたちにも謝んねェと。終業までにもう少し時間あるから、少しでもサボった分挽回しなきゃァな。
そういや、色々聞いたけど、あいつの名前は聞いてねェや。……明日、聞いてみようかな。
本気で殺す気はなかったけど、別に殺したって構わなかった。手持ちも持たないニンゲンのガキ1人殺すのなんて、造作もない。下手に騒いで他のニンゲン呼ばれる方が面倒だ。ちょっと脅かせばすぐ逃げ出すだろうし、妙な真似するようなら殺せばいい。それだけだ。
……それだけの、はずだったんだけどなァ。
食われる寸前のヤブクロンみてェに怯えてるくせに、自分の命を棚に上げて、他人の命の心配なんかしやがるから。
じっちゃんがいつも言ってる「ロクデナシの大馬鹿野郎」ってのはこういう奴なんだって、何となくわかったから。
もう少し、話してみてェと思ったんだ。
☆
結局、あの後散々笑い転げたベトベターから「脅かしちまったお詫びだ。好きにしてくれや」という承諾を得た。怪我人のくせに元気過ぎねえか。ポケモンだからタフなのか?
手当(と言っていいのか自信はない)のためにベトベターの左側に座ると、ツンと鉄の匂いが鼻を刺す。ぎゅっと唇を噛み締めてリュックサックの中を漁った。大丈夫、教わった通りにやれば、きっと大丈夫。
父ちゃんの言葉と手付きを反芻しながら、ハンカチと、きのみが入ったビニール袋を引っ張り出す。そうだ、オボンの実があった。オボンの実やオレンの実には、HPを回復させる以外にも疲労回復や痛み止めの効果もあるって、前にギナが教えてくれた。
「なあ、これ、食えるか?」
オボンの実を2つ差し出すと、ベトベターは目を細めて大きく頷き、瞬く間にぺろりと平らげた。よかった、食欲はあるみたいだ。
「ごちそォさん。ちっと楽になったぜェ」
そう言って笑うベトベターの顔色は少しだけど良くなっていて、思わず緩みかけた気を慌てて引き締める。勝手に気を抜くな、本番はこれからだろ。
弁当箱を包んでいた風呂敷を解いて三角形になるように斜めに折りたたみ、そのまま帯状になるようにたたんでいく。それが終わったら残ったきのみをリュックサックに放り込み、ビニール袋を右手に被せてハンカチを持った。
左腕の傷を改めて観察する。二の腕に斜めに刻まれた傷口からは未だじわじわと血が滲み出し、裂けた袖に赤黒い染みをつくっている。思わず目を逸らしたくなるけれど、頭を振って雑念を追い出す。
「……じゃあ、触るぞ」
「どーぞォ」
傷口にハンカチを当てて膝立ちになり、左手は血に触らないように気をつけながら、右手の上に重ねて強く圧迫する。ちゃんと抑えられているかわからないけど、途中で緩めちゃいけないからぐっと体重をかけて堪える。
ベトベターはしばらく物珍しげに俺のやることを眺めていたけれど、黙っていることに飽きたのか、徐に口を開いた。
「なァ、こういうの、ニンゲンは皆知ってんのか?」
「みんなかどうかは知らねえけど、知ってる奴はいるよ。医者とかジョーイさんとか」
「ふゥん。お前さんもイシャってヤツなのかい?」
「ちがう。けど、父ちゃんが医者だから、色々教えてもらってる」
じっとしているのが嫌いなのか、それとも喋るのが好きなのか。ベトベターは次々に質問を投げかけてきた。
「ビニール被せるのはどういう意味があるんだ?」
「カンセンショウの予防。血に直接触っちゃダメなんだって」
「へェ。プラスチックって歯応えねェから面白くねェんだよなァ」
よくわからないコメント。そういえば、マリエシティの北、はずれの岬にあるリサイクルプラントでは、沢山のベトベター・ベトベトンがアローラ中のゴミを食べてくれてるって話だけど。もしかしてこいつもその一員なのか?それを尋ねると、「よく知ってんなァ」とへらりと笑った。
「俺さんの種族はまァ何でも食うし何でも食えるけど、やっぱ好みは個体差あってさァ。紙が好きなヤツ、段ボールが好きなヤツ、ペットボトルが好きなヤツ、色々いるぜェ」
本ではわからない、実際の野性ポケモンの暮らし。止血に集中しなきゃいけないのに、つい好奇心がうずいてしまう。
「あんたは何が好きなんだ?」
「缶と瓶だなァ。歯応えあるモンが好きでよォ、スチール缶とか美味ェのなんの」
ガリガリした食感が最高なんだ、と舌なめずりしならが嬉しそうに笑う。アローラのベトベターは年中腹空かしてるっていうけど、やっぱ食うこと自体好きなのかな。ジンコと気が合いそうだ。
「今日は仕事、いいのか?」
「え、あー……アレだ、今日の午後は休みなんだよ」
妙な歯切れの悪さは気になるけれど、まあ、いくら食事と同義だからって年中仕事してるわけじゃねえか。ゴミ以外のものも食いたくなるだろうし。
「休みの日は何してるんだ?」
「じっちゃんと稽古したり、マリエ庭園とか探検したり、近くに住んでるポケモンとバトルしたり。トレーナー見かけたら、腕試しも兼ねてバトルふっかけることもあるなァ」
「バトル、好きなんだな」
「おう。楽しィし、強くなれるし。じっちゃんより強くなるのが俺さんの目標なんだ。……まァ、まだ一回も勝てたことねェけどさ」
たはは、なんて笑って頬を引っかいた。こいつは〝じっちゃん〟の話をする時、すごく嬉しそうな顔をする。俺よりずっと年上だろうけど、子どもみたいな表情を見ていると、なんとなく親しみが湧いた。
話している内に血が止まっていた。ハンカチは被せたまま手をどかしてビニール袋を外し、帯状にたたんだ風呂敷を包帯代わりに巻き付けていく。
「これでよし……と」
最後に端と端を結んで、大きく息を吐く。ベトベターは感心したように「器用なモンだなァ」と呟き、左腕を軽く持ち上げた。
「あんまり動かすなよ」
「はいよォ」
あの赤黒い染みはすっかり見えなくなっている。風呂敷にも染みている様子はない。ちゃんと、止まってる。
「ありがとな。助かった」
その笑顔が、声が、あんまりにもやわらかいから、肩の力が抜けてその場にへたり込んだ。ついでに余計なものまで緩んで、視界がじわじわ滲んでいく。……よかった、俺、助けられたんだ。俺でも、俺にも、できたんだ。
その時、ぐうう、と奇妙な音が響き渡った。発信源は俺。ぶわっと顔中が熱くなる。そういえば弁当食うのすっかり忘れてた。どうせニヤついてるであろうベトベターの方は極力見ないようにして、風呂敷を解いたきり草の上に放りっぱなしにしていた弁当箱を引き寄せる。蓋を開けると、マラサダが2つ入っていた。
早速、同梱されていたサバーラップごと掴んだマラサダにかぶりつこうとして、好奇心に満ちた視線が手元に注がれていることに気が付いた。
「食うか?マラサダっていうんだけど」
弁当箱に残っていたマラサダを差し出す。ベトベターは嬉しそうに「ありがとさん」と受け取り、興味津々に匂いを嗅いでから豪快にかぶりついた。いくら何でも食えるからって警戒しなすぎじゃねえかとか、色々頭を過ぎったけれど、美味そうに頬張るこいつを見ていると「まあ、いいか」と思えてしまう。
一口齧れば、しっとりもちもちの生地と一緒にカスタードクリームのやさしい甘みが口に広がった。熱々の揚げたては勿論美味いけど、冷めたやつもこれはこれで美味い。
「そういえばあんた、何でこんな所にいたんだ?」
もう一口齧って、先程から抱いていた疑問を口にする。ベトベターの生息地も、リサイクルプラントがあるのも、マリエシティより奥のはずれの岬だ。物陰に傷だらけで倒れてたんだから、何かあったのは間違いない。けれどそれをそのまま問いかけるのは何となく憚られた。ベトベターはマラサダの最後の一欠片を口に放り込み、もぐもぐやりながらこう言った。
「さっき、逃げてるっつったろォ。たまにな、バトルじゃなくて痛めつけて遊ぶのが目的のヤツらがいるんだ。バトルは好きだから歓迎するけどよ、オモチャにされるのはごめんだ」
何でもなさそうな口調だけれど、その声は確かに苛立ちを含んでいる。父ちゃんも、ダメージと怪我は別物だって言ってた。思わず「……なんか、ごめん」と呟いたら、「別にお前さんがやったわけじゃァねェだろ」と笑い飛ばされた。それは、そうだけど。でも、だって。ぎゅっと唇を噛む俺に、ベトベターは軽く肩を竦め、大して気に留めた様子もなく話を続けた。
「いつもは返り討ちにしてやるんだけど、今日は多勢に無勢だわ、まひになるわで流石にヤバくてさァ。毒ガスで目潰しして逃げてきた。んで、見つからなそうなここに逃げ込んだはいいものの、体中痛くて痺れて意識保ってられなくなって……後はお前さんが見た通りィ」
「まひって、あんた、まひもしてたのか!?」
「デケェ声出すなよ。上はもう動くようになったんだから、そろそろ回復するだろォぜ」
呆れたように片眉を上げるベトベターの全身をもう一度隈なく見てみると、下半身は軽く痙攣しており、小さな黄色い電磁波のようなものが時折爆ぜていた。そいうえばこいつは、一度も下半身を動かしていない。腕の傷に気を取られて今の今まで気付かなかった。くそ、馬鹿だろ、馬鹿じゃねえの俺。
心の中で盛大に自分を罵りながらリュックサックに右手を突っ込む。ゴーシュから貰ったのはオボンの実とラムの実。探り当てた緑を2つ、半ば投げつけるように押し付けた。
「これも食っとけ」
「……何か悪ィな、色々世話焼かせちまって」
「いいよ。俺がしたくてしてるんだから」
そうかい、とへらりと笑ってぽんとラムの実を口に放り込んだ。こいつの口、でけえっつーかよく開くな。ゴルバットかよ。まあ原形がああだから納得だけど。
右手をグーパーさせたり、足を左右に揺らしてみたりと体の動きを確かめていたベトベターの碧眼が、ふいにこちらに向けられる。
「つーか、お前さんこそ何してたんだァ?」
「図書館に来てたんだよ。ここではいつも昼飯食ってたんだ。静かで眺め良いし、館内は飲食禁止だから」
「なるほどなァ。トショカンってーと、ホンとかいう紙束が沢山あるとこだっけか」
「うん。いろんなこと書いてあって面白えよ。知ってるか?アローラのベトベターと他の地方のベトベターは、姿もタイプも違うんだ」
緑色と紫色。どく・あくタイプとどくタイプ。毒の結晶の有無。主な生息地。生態。本から学んだことを諳んじる。他の地方では工場とかの廃液が主食なんだ、と言うと、ベトベターの眉がピクリと動いた。
「なァ、そういう……よその地方のヤツらはよ、ゴミ食っても平気なのかァ?」
「主食ではねえけど副食みたいな感じで結構食べてるって話だから、平気なんだと思う。ほら、例えばツツケラだって、きのみが主食だけどアマカジとかキャタピーも食うだろ。つーか、平気じゃねえならそもそも食わねえんじゃね」
「そりゃァそうだわな。……体に悪いわけじゃねェなら、よかった」
何かに納得したらしく、しきりにうんうんと頷いた。どういう意味か聞く前に「他のポケモンはどうなんだ」と尋ねられて、頭の中の本棚を引っかき回す。
ポケモンが住む地方の環境に適応した姿のことを、人間は〝リージョンフォーム〟と呼んでいること。姿やタイプ以外にも、特性、進化条件、進化系も変化する場合があること。ベトベターやコラッタ、ロコンみたいに進化系ごと変化したポケモンもいれば、ライチュウやナッシーみたいに進化系だけ変化したポケモンもいること。ガラル地方ではまた違った変化をするらしいこと。
ベトベターが楽しそうに聞いてくれるのが嬉しくて、脳に刻んだ知識をどんどん引っ張り出して舌に乗せる。リージョンフォーム図鑑、持ってくればよかったな。そしたら絵も見せてやれたのに。ガラル版リージョンフォーム図鑑の発売日はそろそろだったっけ。
ふと腕時計を見れば、5時5分前。げっ、門限直前じゃん。どんだけ喋ってたんだよ。慌てて散らかしていた荷物をリュックサックに詰めていく。
「ごめん、ずっと喋ってて。夢中になると止まらなくて」
「構わねェさ。面白かったぜェ」
「そっか。なら、よかった」
今度会ったら、お前の話聞かせてくれよ。喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、かわりに「俺、そろそろ帰んなきゃ」と吐き出す。
「今日は……ありがとな、色々。お大事に」
「こちらこそ、だ。お前さんも気ィ付けてなァ」
陽気に笑うベトベターに手を振って駆け出す。きっとあいつとはこれっきりだ。なんだか体がふわふわして、それからちょっとだけすーすーして、いつもより速く走れているような気がした。
***
遠ざかる足音を聞きながら、さて俺さんも帰るかと立ち上がろうとして、左手に何か硬いものが当たった。右手で拾い上げたそれは、小さくて長方形の薄っぺらいモンだった。何やら奇怪な記号がいくつも並んでいる。
これ、確かカードとかいうヤツだ。コジンジョウホウってのが書いてあって、なんか店とかポケモンセンターとかで使うヤツ。十中八九あいつが落としていったんだろう。……なくしたら困るよなァ。今から追いかける……のは無理か。
しゃァねェ、手当してもらった恩もあるし、明日返しに来てやるかァ。どうせならあいつより先に来てまた脅かしてやろう。あいつがビックリした時の反応、面白かったし。
しっかしまァ、大人しいヤツかと思ったら案外賑やかなヤツだったなァ。小せェナリして色々知ってるもんだ。知らねェことがぽこぽこ出てくるから、ついつい聞き入っちまった。
カードをズボンのポケットにつっこんで帰路につく。あーあ、午後の仕事サボっちまった。じっちゃんにドヤされるなァ。腕の怪我のことも聞かれるだろォし、拳骨覚悟しとこ。社長さんたちにも謝んねェと。終業までにもう少し時間あるから、少しでもサボった分挽回しなきゃァな。
そういや、色々聞いたけど、あいつの名前は聞いてねェや。……明日、聞いてみようかな。