ムラサキソウの雨宿り/aga.10
Name Change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
***
ルヒカたちと暮らす日々はすげェ楽しい。楽しいことも面白ェこともうまいものも沢山あって、沢山笑えて。
だけど時々、どうしようもなく打ちのめされた。無性に虚しくなることがあった。その虚しさが、苦しい。
ホウヤさんがルヒカに向ける眼差しは、手のひらは、かつて親父が俺にくれたのものとひどく似ていた。
俺も、俺にも、俺だって。
自分の内側をどす黒いものがぐるぐる蠢いている。苦い。苦い。こんなので腹が満たされるわけがない。今すぐ吐き出したいのに、べっとり張り付いてきもちわるい。
ある時どうしても耐えられなくて、気付けば家を飛び出していた。がむしゃらに走り続けてたどり着いたのははずれの岬。濃紺の空にも海にもきらめく銀の粒が散りばめられている。前にみんなで星を見たっけな。……あの頃は、まだ。
ふらり、足を踏み出す。1歩、もう1歩。進む度に暗い海が近付いていく。
会いたい。会いたい。親父 に会いたい。
なァ、俺も、そっちに、
――どん、背中にあたたかいものがぶつかった。思わず振り返ればふくれっ面の蜂蜜色が見上げてくる。
「急にいなくなんなよ、ばか」
悪態をついてくるくせに俺の腰に回した腕を緩めようとしない。素直でわかりやすい「俺は怒ってるぞ」アピールがおかしくて、ふっと腹の中が軽くなった。
……ああ、そうだな、そうだよな。
悲しませたくねェ奴を悲しませねェ生き方で、お前と一緒に、いっぱい長生きしねェと。
「わりィわりィ!なァんか急にここの星が見たくなっちまってさァ」
「だったら誰かに一言言ってけよな。心配させやがって」
しょうがねえなあ、と言わんばかりのため息をついて背中から温もりが離れていく。くるりとポニーテールを翻し、小さな白い手が差し出された。
「ほら、帰ろうぜ」
「おう」
俺よりずっと細くて弱くて、力加減を間違えれば簡単に折れてしまいそうな手。あのひととは似ても似つかない。それでも、そこから伝わるあたたかさが俺を繋ぎ止めてくれた。
だから今度は、俺が。俺も。
☆
「ロックカット!!」
ウヅの鋭い声が響く。目にも止まらぬ速さで駆け出したあいつの腕が傾きかけたヤトちゃんの腰をがっしり捕まえた。振り向いた紫色が大きく見開かれる。
「どう……して」
「昨日は言えなかったけど、あんたの気持ち、ちょっとだけわかるぜ。俺もそう だった。……でも」
一旦言葉を切ったあいつは、ヤトちゃんを風呂敷包みごと白い柵のこちら側へ引っ張り上げた。細い体からそっと手を離し、まっすぐ彼女を見つめる。
「目の前で誰かに死なれるのは、もう嫌なんだよ」
その声も、表情も、眼差しも、痛いくらいまっすぐで。駆け寄る途中の足が思わず止まった。今すぐ駆け寄って抱きしめたいのに何でか足が動かなくて、ぎゅっと拳を握りしめる。
「……だって、じゃあ、どうすればいいの?」
掠れた声が鼓膜を揺らす。力なくへたり込んだヤトちゃんの膝の上にぽつりと雨が降る。
「今更野生でなんか生きられない。家族だってもういない。おばあさまのいない世界で生きる意味なんかないじゃない!!」
悲愴な絶叫が胸の真ん中を突き刺した。痛くて、熱くて、苦しい。……けど。
いつの間にか強ばりが解けていた足を動かし、伸ばした両手でヤトちゃんのほっぺたをむぎゅっと挟んだ。濡れた紫の瞳に俺の蜂蜜色が映っている。
「意味がないと生きてちゃだめなのかよ」
よくわかんねえけど、なんかすげえムカついた。だって、だってさ。
「生きる意味とかあってもなくてもどっちでもいい。どっちだろうとヤトちゃんはヤトちゃんだろ。例えヤトちゃん自身でも、俺の友達のこと〝生きてちゃだめ〟みたいに言うな!」
昨日会ったばかりだから、過ごした時間が短いからなんだ。俺たちはもう友達で、もっともっと仲良くなりたいんだ。ここで終わりなんて絶対いやだ。
「俺……俺もウヅも、ヤトちゃんが死んじゃうの、やだよ」
ぽろ、と零れた涙を親指でそっと拭うけど、拭った先から溢れて止まらない。ほのおタイプだから水苦手だろ、そんなに泣くなよ。
「全面的に同意だけどよォ、女のコのカオ勝手にべたべた触んのはどォかと思うぜェ」
からかうような声にはたと我に返り、慌てて手を離す。ウヅはあわあわしている俺の頭をくしゃりと撫で、しゃがんでヤトちゃんと視線を合わせた。小さな青が優しく細まる。
「意味とか理由がなくたって、生きてりゃいつかどっかで〝生きててよかった〟って思えるかもだろ。ここで死んじゃったらその〝いつか〟に辿り着かねェじゃん。そんなの勿体なくねェ?」
そう言いながら差し出したのは、綺麗に畳まれた藤色のハンカチ。昨日ヤトちゃんがウヅに貸してくれたやつだ。見開かれた紫色にウヅはニヤッと歯を見せた。
「気にしなくていい、って言ったのに」
「俺も言ったろォ、洗って返すって。それと、〝また遊ぼうぜ〟ってな」
次の約束、取り付けに来たぜ。
気軽に、あっさり、何でもない顔で笑うウヅ。あまりにもいつも通りだからさっきまで生きるとか死ぬとか話してたのが嘘みたいだ。ヤトちゃんも同じことを思ったのか、ピンクの唇がじわじわ緩んでいく。
「……ふふ。ふふふ、ふふふふふ」
笑いながら泣いてるような、泣きながら笑ってるような顔で一頻りくすくす笑った後、細い指が目尻に滲んだ涙を拭う。
「そっか。アタシ、ほんとは止めて欲しかったのね」
ぽつんと呟いた声も表情も、憑き物が落ちたようにすっきりと晴れやかだった。それを見て昨日から密かに温めていた決意が固まる。ぎゅっと拳を握りしめ、紫色をまっすぐ見つめた。
「あのさ。俺たち、あと半年経ったら旅に出るんだ。……ヤトちゃんがよければ、一緒に行こう」
ヤトちゃんの目が大きく大きく見開かれた。隣のウヅが「やっぱお前もそう思ってた?以心伝心じゃ~ん!」とじゃれついてくる。
「アローラ全部ぐるっと巡って、綺麗なものとか見たことないもの、いろんなもの見るんだ。いろんなとこに行って、いろんなことして……そしたら、いつかそのうち、〝生きててよかった〟って思える日がきっと見つかる。いや、見つけよう。一緒に」
「一緒ならゼッテェ楽しくなるぜェ。なァ、行こうぜ一緒に」
俺の右手とウヅの左手、差し出されたそれらと俺たちの顔を順に見比べ――ふわり、やわらかな笑顔の花が咲く。
「ええ。アタシも連れてって。アナタたちと一緒なら……ううん、アナタたちと一緒に〝いつか〟を見つけたい」
そっと重ねられた褐色の手から優しい温もりが伝わってきて、そのまま心臓に流れ込んできた。体中ぜんぶぽかぽかする。
ちらりと横目で見たウヅの口元がどうしようもなく緩んでるけど、たぶん俺も同じ顔してる。
「ねえ、早速お願いがあるのだけど、聞いてくれる?」
「なに?」
「アナタのポケモンになる証として、アナタに名前を付けて欲しいの」
どう?と小首を傾げた拍子に黒髪がさらりと揺れた。さっきとは違う温度の熱が胸の中をじんわり広がっていく。嬉しいとはちょっと違う、くすぐったいようなむずがゆいような、変な感じだ。
大きな頷きを返して記憶の本棚をひっくり返す。何がいいかな。どんなのが似合うかな。
「――ムラサキソウって知ってるか?」
散々唸って考えて、ようやく絞り出した言葉にヤトちゃんはゆっくり首を振る。
「切り傷とか止血によく効く薬草で、名前の通り染め物にも使われてるんだ。東の方の地方だとこういう字を書くんだって」
近くに転がっていた小石を拾い上げ、地面をガリガリ削った。ふたりとも興味深そうに手元を覗き込んでくる。
「この字な。〝ユカリ〟とも読むんだ」
ばっとヤトちゃんが顔を上げた。驚きでいっぱいの紫色を覗き込んでニッと笑う。
「縁のある色、ゆかりのある色――紫 。……は、どうかな」
俺たちの出会いも友達になったことも、意味なんてない。結んだ縁と手を繋いで、これから一緒に見つけていくんだ。
まん丸だった紫色の宝石がゆっくり三日月形になっていく。薄桃色に頬を染め、ほんのり潤んだ声が耳を撫でる。
「とっても素敵な名前をありがとう。アタシはムラサキ。改めて、どうぞよろしくね」
「うん!よろしくな、ムラサキ!」
差し出されたモンスターボールを両手で受け取ってぎゅっと抱きしめた。……ああ、あったかい。
「なァ。俺さんはヤトちゃんって呼んでもいいか?」
ウヅの言葉に緩んでいた顔が思わず引きつる。や、やっぱり安直だったかな。
「あ、や、違ェって!ダーリンが付けた名前に文句あるんじゃァねェんだ。すげェいい名前だと思う。……ただよォ、そっちもあんたにとっちゃ大事な名前だろ。誰かひとりでも呼ぶ奴がいてもいいんじゃねェかな、って」
前半はわたわたしながら、後半はしんみりと言葉を紡ぐ。ムラサキは穏やかに微笑んで「そうね。どっちも大事にしたいから両方で呼んでくれると嬉しいわ」と頷いた。
「アナタも他の呼び名はある?よかったらそれで呼びたいのだけど」
思わぬ提案に今度は青がまん丸になる。あーだのうーだの唸りながら彷徨っていた視線がやがてゆっくり持ち上がった。
「ベーやん、って呼んでくれ。俺の親父がそう呼ばれてた」
どこか泣きそうな、でも底抜けに明るい笑顔。たった4文字に込められたありったけの温もりに目の奥がちょっぴり熱くなった。
交わった青と紫が同じタイミングで弧を描く。
「よろしくね、ベーやん」
「よろしくなァ、ヤトちゃん」
なんだか妙にこのふたりの距離が縮まった気がする。それがずるくて悔しくて、「俺も混ぜろ!」と飛びついた。
***
さらさらと、白い灰が風に乗って流れていく。
空っぽになった壺を風呂敷で丁寧に包み、そっと褐色の両手を合わせた。
やがて少女はゆっくり瞼を持ち上げた。現れた紫色の瞳は明るいきらめきを宿している。
「いってきます」
微笑みと共に呟いて、広大な青空と白い柵に背を向けた。そのまま一度も振り返ることなくふたりの少年のもとへ歩いていく。
ふわり、あたたかな風が少女の背中を押した。
ルヒカたちと暮らす日々はすげェ楽しい。楽しいことも面白ェこともうまいものも沢山あって、沢山笑えて。
だけど時々、どうしようもなく打ちのめされた。無性に虚しくなることがあった。その虚しさが、苦しい。
ホウヤさんがルヒカに向ける眼差しは、手のひらは、かつて親父が俺にくれたのものとひどく似ていた。
俺も、俺にも、俺だって。
自分の内側をどす黒いものがぐるぐる蠢いている。苦い。苦い。こんなので腹が満たされるわけがない。今すぐ吐き出したいのに、べっとり張り付いてきもちわるい。
ある時どうしても耐えられなくて、気付けば家を飛び出していた。がむしゃらに走り続けてたどり着いたのははずれの岬。濃紺の空にも海にもきらめく銀の粒が散りばめられている。前にみんなで星を見たっけな。……あの頃は、まだ。
ふらり、足を踏み出す。1歩、もう1歩。進む度に暗い海が近付いていく。
会いたい。会いたい。
なァ、俺も、そっちに、
――どん、背中にあたたかいものがぶつかった。思わず振り返ればふくれっ面の蜂蜜色が見上げてくる。
「急にいなくなんなよ、ばか」
悪態をついてくるくせに俺の腰に回した腕を緩めようとしない。素直でわかりやすい「俺は怒ってるぞ」アピールがおかしくて、ふっと腹の中が軽くなった。
……ああ、そうだな、そうだよな。
悲しませたくねェ奴を悲しませねェ生き方で、お前と一緒に、いっぱい長生きしねェと。
「わりィわりィ!なァんか急にここの星が見たくなっちまってさァ」
「だったら誰かに一言言ってけよな。心配させやがって」
しょうがねえなあ、と言わんばかりのため息をついて背中から温もりが離れていく。くるりとポニーテールを翻し、小さな白い手が差し出された。
「ほら、帰ろうぜ」
「おう」
俺よりずっと細くて弱くて、力加減を間違えれば簡単に折れてしまいそうな手。あのひととは似ても似つかない。それでも、そこから伝わるあたたかさが俺を繋ぎ止めてくれた。
だから今度は、俺が。俺も。
☆
「ロックカット!!」
ウヅの鋭い声が響く。目にも止まらぬ速さで駆け出したあいつの腕が傾きかけたヤトちゃんの腰をがっしり捕まえた。振り向いた紫色が大きく見開かれる。
「どう……して」
「昨日は言えなかったけど、あんたの気持ち、ちょっとだけわかるぜ。俺も
一旦言葉を切ったあいつは、ヤトちゃんを風呂敷包みごと白い柵のこちら側へ引っ張り上げた。細い体からそっと手を離し、まっすぐ彼女を見つめる。
「目の前で誰かに死なれるのは、もう嫌なんだよ」
その声も、表情も、眼差しも、痛いくらいまっすぐで。駆け寄る途中の足が思わず止まった。今すぐ駆け寄って抱きしめたいのに何でか足が動かなくて、ぎゅっと拳を握りしめる。
「……だって、じゃあ、どうすればいいの?」
掠れた声が鼓膜を揺らす。力なくへたり込んだヤトちゃんの膝の上にぽつりと雨が降る。
「今更野生でなんか生きられない。家族だってもういない。おばあさまのいない世界で生きる意味なんかないじゃない!!」
悲愴な絶叫が胸の真ん中を突き刺した。痛くて、熱くて、苦しい。……けど。
いつの間にか強ばりが解けていた足を動かし、伸ばした両手でヤトちゃんのほっぺたをむぎゅっと挟んだ。濡れた紫の瞳に俺の蜂蜜色が映っている。
「意味がないと生きてちゃだめなのかよ」
よくわかんねえけど、なんかすげえムカついた。だって、だってさ。
「生きる意味とかあってもなくてもどっちでもいい。どっちだろうとヤトちゃんはヤトちゃんだろ。例えヤトちゃん自身でも、俺の友達のこと〝生きてちゃだめ〟みたいに言うな!」
昨日会ったばかりだから、過ごした時間が短いからなんだ。俺たちはもう友達で、もっともっと仲良くなりたいんだ。ここで終わりなんて絶対いやだ。
「俺……俺もウヅも、ヤトちゃんが死んじゃうの、やだよ」
ぽろ、と零れた涙を親指でそっと拭うけど、拭った先から溢れて止まらない。ほのおタイプだから水苦手だろ、そんなに泣くなよ。
「全面的に同意だけどよォ、女のコのカオ勝手にべたべた触んのはどォかと思うぜェ」
からかうような声にはたと我に返り、慌てて手を離す。ウヅはあわあわしている俺の頭をくしゃりと撫で、しゃがんでヤトちゃんと視線を合わせた。小さな青が優しく細まる。
「意味とか理由がなくたって、生きてりゃいつかどっかで〝生きててよかった〟って思えるかもだろ。ここで死んじゃったらその〝いつか〟に辿り着かねェじゃん。そんなの勿体なくねェ?」
そう言いながら差し出したのは、綺麗に畳まれた藤色のハンカチ。昨日ヤトちゃんがウヅに貸してくれたやつだ。見開かれた紫色にウヅはニヤッと歯を見せた。
「気にしなくていい、って言ったのに」
「俺も言ったろォ、洗って返すって。それと、〝また遊ぼうぜ〟ってな」
次の約束、取り付けに来たぜ。
気軽に、あっさり、何でもない顔で笑うウヅ。あまりにもいつも通りだからさっきまで生きるとか死ぬとか話してたのが嘘みたいだ。ヤトちゃんも同じことを思ったのか、ピンクの唇がじわじわ緩んでいく。
「……ふふ。ふふふ、ふふふふふ」
笑いながら泣いてるような、泣きながら笑ってるような顔で一頻りくすくす笑った後、細い指が目尻に滲んだ涙を拭う。
「そっか。アタシ、ほんとは止めて欲しかったのね」
ぽつんと呟いた声も表情も、憑き物が落ちたようにすっきりと晴れやかだった。それを見て昨日から密かに温めていた決意が固まる。ぎゅっと拳を握りしめ、紫色をまっすぐ見つめた。
「あのさ。俺たち、あと半年経ったら旅に出るんだ。……ヤトちゃんがよければ、一緒に行こう」
ヤトちゃんの目が大きく大きく見開かれた。隣のウヅが「やっぱお前もそう思ってた?以心伝心じゃ~ん!」とじゃれついてくる。
「アローラ全部ぐるっと巡って、綺麗なものとか見たことないもの、いろんなもの見るんだ。いろんなとこに行って、いろんなことして……そしたら、いつかそのうち、〝生きててよかった〟って思える日がきっと見つかる。いや、見つけよう。一緒に」
「一緒ならゼッテェ楽しくなるぜェ。なァ、行こうぜ一緒に」
俺の右手とウヅの左手、差し出されたそれらと俺たちの顔を順に見比べ――ふわり、やわらかな笑顔の花が咲く。
「ええ。アタシも連れてって。アナタたちと一緒なら……ううん、アナタたちと一緒に〝いつか〟を見つけたい」
そっと重ねられた褐色の手から優しい温もりが伝わってきて、そのまま心臓に流れ込んできた。体中ぜんぶぽかぽかする。
ちらりと横目で見たウヅの口元がどうしようもなく緩んでるけど、たぶん俺も同じ顔してる。
「ねえ、早速お願いがあるのだけど、聞いてくれる?」
「なに?」
「アナタのポケモンになる証として、アナタに名前を付けて欲しいの」
どう?と小首を傾げた拍子に黒髪がさらりと揺れた。さっきとは違う温度の熱が胸の中をじんわり広がっていく。嬉しいとはちょっと違う、くすぐったいようなむずがゆいような、変な感じだ。
大きな頷きを返して記憶の本棚をひっくり返す。何がいいかな。どんなのが似合うかな。
「――ムラサキソウって知ってるか?」
散々唸って考えて、ようやく絞り出した言葉にヤトちゃんはゆっくり首を振る。
「切り傷とか止血によく効く薬草で、名前の通り染め物にも使われてるんだ。東の方の地方だとこういう字を書くんだって」
近くに転がっていた小石を拾い上げ、地面をガリガリ削った。ふたりとも興味深そうに手元を覗き込んでくる。
「この字な。〝ユカリ〟とも読むんだ」
ばっとヤトちゃんが顔を上げた。驚きでいっぱいの紫色を覗き込んでニッと笑う。
「縁のある色、ゆかりのある色――
俺たちの出会いも友達になったことも、意味なんてない。結んだ縁と手を繋いで、これから一緒に見つけていくんだ。
まん丸だった紫色の宝石がゆっくり三日月形になっていく。薄桃色に頬を染め、ほんのり潤んだ声が耳を撫でる。
「とっても素敵な名前をありがとう。アタシはムラサキ。改めて、どうぞよろしくね」
「うん!よろしくな、ムラサキ!」
差し出されたモンスターボールを両手で受け取ってぎゅっと抱きしめた。……ああ、あったかい。
「なァ。俺さんはヤトちゃんって呼んでもいいか?」
ウヅの言葉に緩んでいた顔が思わず引きつる。や、やっぱり安直だったかな。
「あ、や、違ェって!ダーリンが付けた名前に文句あるんじゃァねェんだ。すげェいい名前だと思う。……ただよォ、そっちもあんたにとっちゃ大事な名前だろ。誰かひとりでも呼ぶ奴がいてもいいんじゃねェかな、って」
前半はわたわたしながら、後半はしんみりと言葉を紡ぐ。ムラサキは穏やかに微笑んで「そうね。どっちも大事にしたいから両方で呼んでくれると嬉しいわ」と頷いた。
「アナタも他の呼び名はある?よかったらそれで呼びたいのだけど」
思わぬ提案に今度は青がまん丸になる。あーだのうーだの唸りながら彷徨っていた視線がやがてゆっくり持ち上がった。
「ベーやん、って呼んでくれ。俺の親父がそう呼ばれてた」
どこか泣きそうな、でも底抜けに明るい笑顔。たった4文字に込められたありったけの温もりに目の奥がちょっぴり熱くなった。
交わった青と紫が同じタイミングで弧を描く。
「よろしくね、ベーやん」
「よろしくなァ、ヤトちゃん」
なんだか妙にこのふたりの距離が縮まった気がする。それがずるくて悔しくて、「俺も混ぜろ!」と飛びついた。
***
さらさらと、白い灰が風に乗って流れていく。
空っぽになった壺を風呂敷で丁寧に包み、そっと褐色の両手を合わせた。
やがて少女はゆっくり瞼を持ち上げた。現れた紫色の瞳は明るいきらめきを宿している。
「いってきます」
微笑みと共に呟いて、広大な青空と白い柵に背を向けた。そのまま一度も振り返ることなくふたりの少年のもとへ歩いていく。
ふわり、あたたかな風が少女の背中を押した。
8/8ページ