イヌサフランの芽吹き/age.5
Name Change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
沈降するような、浮上するような不思議な感覚に包まれながら、ルヒカは今日も真っ白な空間に訪れた。
上も下も右も左もわからない、とにかく広くて白いその空間の中央。10歳前後の、抜けるような青空と真っ赤なスピネルを一緒に閉じ込めたような瞳を持つ少年が、桃色のおさげ髪をなびかせてふんぞり返っていた。ルヒカに気付いた青い目が細められる。
「来たか小僧。随分と遅かったな」
「ごめん。ひるねしすぎてなかなか寝れなかった」
「そんなくだらん理由で俺様を待たせるとは、無礼者めが。もう二度と来てやらん」
「や、やだ!ごめん、ごめんってば!もうしないから!」
つんとそっぽを向かれたルヒカは血相を変え、必死になって拝み倒した。少年は目もくれず、眉一つ動かさない。途方に暮れ、半泣きになりながら何度目かわからない「ごめん」を言おうとした時、少年の唇が歪んだ。
「ふ、くく、ははははは!まさかここまで本気にするとは思わなんだ!」
突然の高笑いにルヒカはぽかんと立ち尽くす。数秒経って、やっとからかわれたことに気が付き、カアッと全身の血液が顔に集まる。
「お、おまえ、この、バカ!!」
「くくく、その間抜けぶりに免じて、此度は見逃してやる」
漸く笑いを収めた少年はおさげ髪を払い、子供らしさからかけ離れた艶っぽい仕草で首を傾けた。
「さて、今日はどの話を聞かせてやろう」
彼はビティス。この空間でだけ会える不思議な少年だ。初めて出会ったのは物心着いた頃のはずだが、もっとずっと昔から知っているような気もする。
摩訶不思議なこの場所は、眠りにつきさえすればいつでも行けるが、行かないこともできた。ルヒカは毎日来ていたけれどビティスは気紛れで、1週間続けて現れることもあったし、1日おきだったり3日おきだったり、数ヶ月顔を出さないこともあった。ビティスは必ずルヒカより先に来ているから、彼がいない日はその場に寝転んでメリープを数えた。151まで数えると決まって意識が途切れ、気が付くとベッドの上で朝を迎えていた。
ビティスのことは自分だけの秘密だ。話したところで信じてもらえるかわからなかったし、頭が変になったと思われるかもしれない。それに、誰かに話したら、本当に二度と会えなくなってしまうような気がしていた。
もしかすると彼は、イマジナリーフレンド、というやつなのかもしれない。夢の中のような所でしか会えないし、出会ってから数年経つのに一向に外見に変化がないのだ。しかし、例えそうだとしてもルヒカは構わなかった。できるだけ長く彼と会っていたかった。恐らく歳上とはいえ、子供のような見た目のくせにやたらと偉そうで、おちょくられて腹が立つこともよくあるけれど。ビティスと過ごす時間は楽しくて、彼の話はとても面白いのだ。難しい話だと途中で寝てしまうこともあるけれど。
ビティスの足元に体育座りをしたルヒカは、しばらく考えて「はじまりの話」と告げた。
「またそれか。飽きん奴だ」
ビティスは鼻を鳴らすも、拒絶の言葉は口にしなかった。軽く息を吸い、変声期前の甘く透き通った声音で朗々と語り出す。
***
むかしむかし、世界が世界であるよりずっと昔。
何も無い場所にひとつのタマゴが生まれた。その中から現れた命は、後の世の人々に〝アルセウス〟と呼ばれる存在だった。アルセウスが誕生したことによって、今まで〝無〟だったものは〝自然〟へと形を変えた。
アルセウスは己の使命と存在意義を理解していた。〝創造〟である。
はじめに創られたのは世界だった。それを守り、維持するための命が幾つか生み出された。彼らはそれぞれ〝使命〟と〝権能〟を与えられた。ある者は時間を司る使命と、時間を操る権能を。ある者は空間を司る使命と、空間を行き来する権能を。彼らは父なる神によって世界に遣わされた。
彼らがアルセウスに祈りを捧げると、かの創造主の体からひとつの命が生まれた。その存在は遠い未来、己のが子孫によって〝ミュウ〟と名付けられた。ミュウの使命は〝繁栄〟だったので、〝変化 の権能〟を用いて、少しずつゆっくりと子孫を増やしていった。ミュウの子孫たちは長い長い時の中で徐々に様々なかたちに変化し、いつしか〝人間〟と〝ポケモン〟と呼ばれる種族へ、それぞれ進化していった。
アルセウスは余りにも強大な存在だったため、世界や、彼を除いた全ての命と釣り合いが取れなかった。
〝自然〟は言わばアルセウスの抜け殻だったので、アルセウスは均衡を保つために〝自然〟と世界を混ぜ合わせた。その過程で〝物〟が生まれたが、天秤は水平にならなかった。
そこで〝自然〟は〝創造の対〟として〝破壊〟を産み落とし、その欠片を幾つかの命に植え付けた。〝破壊〟を植え付けられたものは、ありとあらゆるアルセウスの創造物を破壊し始めた。アルセウスと万物の天秤は水平になったが、今度は世界の内側の均衡が崩れてしまった。
アルセウスは〝破壊〟の半分を〝救済〟に創り直し、〝破壊〟を食い止める使命を与えた。〝破壊〟と〝救済〟のサイクルによって、漸く世界の内側の均衡は取り戻された。それら全ての在り方を良しとしたアルセウスは、世界の全貌を見渡せる場所に玉座を設け、そこに腰を下ろした。
アルセウスは今も尚、世界の頂で創造物 たちを見守り続けている。
***
ゆっくりとビティスの唇が閉じられていく。ルヒカは息をするのも忘れて、彼の語る物語に聞き入っていた。何度も聞いた話だけれど、何度聞いても胸が高鳴る。心が踊る。
次の話をねだろうと口を開きかけた時、くるりとビティスが背を向けた。
「今日はこれで終いだ」
それだけ言って、瞬きの間に姿を消してしまった。いつもはもう2つ3つ聞かせてくれるか、ルヒカが寝てしまうまで話してくれるのに、時折こういうことがある。今日はもっと聞きたかったけれど、ビティスにはビティスの都合があるし、消えてしまった相手に文句を言っても仕方がない。物足りなさを抱えたまま、ルヒカはその場に寝転び、メリープを数え始めた。
1、2、3、4。次に会えるのはいつだろう。明日か、3日後か、来月か。すぐだといいな。42、43、44。今度はどんな話を聞こうか。また聞きたいのが幾つかあるけれど、まだ聞いたことのないやつがいい。88、89。それとも、いつもビティスに話してもらっているから、たまにはおれが話そうか。どんな話なら喜んでくれるかな。笑ってくれるかな。151。
また、新しい朝が始まる。
上も下も右も左もわからない、とにかく広くて白いその空間の中央。10歳前後の、抜けるような青空と真っ赤なスピネルを一緒に閉じ込めたような瞳を持つ少年が、桃色のおさげ髪をなびかせてふんぞり返っていた。ルヒカに気付いた青い目が細められる。
「来たか小僧。随分と遅かったな」
「ごめん。ひるねしすぎてなかなか寝れなかった」
「そんなくだらん理由で俺様を待たせるとは、無礼者めが。もう二度と来てやらん」
「や、やだ!ごめん、ごめんってば!もうしないから!」
つんとそっぽを向かれたルヒカは血相を変え、必死になって拝み倒した。少年は目もくれず、眉一つ動かさない。途方に暮れ、半泣きになりながら何度目かわからない「ごめん」を言おうとした時、少年の唇が歪んだ。
「ふ、くく、ははははは!まさかここまで本気にするとは思わなんだ!」
突然の高笑いにルヒカはぽかんと立ち尽くす。数秒経って、やっとからかわれたことに気が付き、カアッと全身の血液が顔に集まる。
「お、おまえ、この、バカ!!」
「くくく、その間抜けぶりに免じて、此度は見逃してやる」
漸く笑いを収めた少年はおさげ髪を払い、子供らしさからかけ離れた艶っぽい仕草で首を傾けた。
「さて、今日はどの話を聞かせてやろう」
彼はビティス。この空間でだけ会える不思議な少年だ。初めて出会ったのは物心着いた頃のはずだが、もっとずっと昔から知っているような気もする。
摩訶不思議なこの場所は、眠りにつきさえすればいつでも行けるが、行かないこともできた。ルヒカは毎日来ていたけれどビティスは気紛れで、1週間続けて現れることもあったし、1日おきだったり3日おきだったり、数ヶ月顔を出さないこともあった。ビティスは必ずルヒカより先に来ているから、彼がいない日はその場に寝転んでメリープを数えた。151まで数えると決まって意識が途切れ、気が付くとベッドの上で朝を迎えていた。
ビティスのことは自分だけの秘密だ。話したところで信じてもらえるかわからなかったし、頭が変になったと思われるかもしれない。それに、誰かに話したら、本当に二度と会えなくなってしまうような気がしていた。
もしかすると彼は、イマジナリーフレンド、というやつなのかもしれない。夢の中のような所でしか会えないし、出会ってから数年経つのに一向に外見に変化がないのだ。しかし、例えそうだとしてもルヒカは構わなかった。できるだけ長く彼と会っていたかった。恐らく歳上とはいえ、子供のような見た目のくせにやたらと偉そうで、おちょくられて腹が立つこともよくあるけれど。ビティスと過ごす時間は楽しくて、彼の話はとても面白いのだ。難しい話だと途中で寝てしまうこともあるけれど。
ビティスの足元に体育座りをしたルヒカは、しばらく考えて「はじまりの話」と告げた。
「またそれか。飽きん奴だ」
ビティスは鼻を鳴らすも、拒絶の言葉は口にしなかった。軽く息を吸い、変声期前の甘く透き通った声音で朗々と語り出す。
***
むかしむかし、世界が世界であるよりずっと昔。
何も無い場所にひとつのタマゴが生まれた。その中から現れた命は、後の世の人々に〝アルセウス〟と呼ばれる存在だった。アルセウスが誕生したことによって、今まで〝無〟だったものは〝自然〟へと形を変えた。
アルセウスは己の使命と存在意義を理解していた。〝創造〟である。
はじめに創られたのは世界だった。それを守り、維持するための命が幾つか生み出された。彼らはそれぞれ〝使命〟と〝権能〟を与えられた。ある者は時間を司る使命と、時間を操る権能を。ある者は空間を司る使命と、空間を行き来する権能を。彼らは父なる神によって世界に遣わされた。
彼らがアルセウスに祈りを捧げると、かの創造主の体からひとつの命が生まれた。その存在は遠い未来、己のが子孫によって〝ミュウ〟と名付けられた。ミュウの使命は〝繁栄〟だったので、〝
アルセウスは余りにも強大な存在だったため、世界や、彼を除いた全ての命と釣り合いが取れなかった。
〝自然〟は言わばアルセウスの抜け殻だったので、アルセウスは均衡を保つために〝自然〟と世界を混ぜ合わせた。その過程で〝物〟が生まれたが、天秤は水平にならなかった。
そこで〝自然〟は〝創造の対〟として〝破壊〟を産み落とし、その欠片を幾つかの命に植え付けた。〝破壊〟を植え付けられたものは、ありとあらゆるアルセウスの創造物を破壊し始めた。アルセウスと万物の天秤は水平になったが、今度は世界の内側の均衡が崩れてしまった。
アルセウスは〝破壊〟の半分を〝救済〟に創り直し、〝破壊〟を食い止める使命を与えた。〝破壊〟と〝救済〟のサイクルによって、漸く世界の内側の均衡は取り戻された。それら全ての在り方を良しとしたアルセウスは、世界の全貌を見渡せる場所に玉座を設け、そこに腰を下ろした。
アルセウスは今も尚、世界の頂で
***
ゆっくりとビティスの唇が閉じられていく。ルヒカは息をするのも忘れて、彼の語る物語に聞き入っていた。何度も聞いた話だけれど、何度聞いても胸が高鳴る。心が踊る。
次の話をねだろうと口を開きかけた時、くるりとビティスが背を向けた。
「今日はこれで終いだ」
それだけ言って、瞬きの間に姿を消してしまった。いつもはもう2つ3つ聞かせてくれるか、ルヒカが寝てしまうまで話してくれるのに、時折こういうことがある。今日はもっと聞きたかったけれど、ビティスにはビティスの都合があるし、消えてしまった相手に文句を言っても仕方がない。物足りなさを抱えたまま、ルヒカはその場に寝転び、メリープを数え始めた。
1、2、3、4。次に会えるのはいつだろう。明日か、3日後か、来月か。すぐだといいな。42、43、44。今度はどんな話を聞こうか。また聞きたいのが幾つかあるけれど、まだ聞いたことのないやつがいい。88、89。それとも、いつもビティスに話してもらっているから、たまにはおれが話そうか。どんな話なら喜んでくれるかな。笑ってくれるかな。151。
また、新しい朝が始まる。
5/5ページ