ムラサキソウの雨宿り/aga.10
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不意にふわりと体が浮上する。内臓が持ち上がるような感覚の後、突然視界が明るくなった。足の裏はいつの間にか硬い地面を踏みしめていて、後ろには青く塗られたホクラニ天文台の外壁。ついた、のか。
辺りを見渡せば近くに赤いトラックが2台停められていたけど、俺たち以外の人影は見当たらない。
握っていた白い手がそっと離れ、頭の上に乗せられた。俺とウヅの顔を交互に見ながら優しく撫でる。
「到着だよ、お疲れ様。おじさん帰るけどいつ頃迎えに来ようか」
「いや、帰りはバス使うよ。連れてきてくれてありがとォございました!」
「どういたしまして。それじゃあね」
ゆったり微笑んだゴーシュが手を振りながら影に沈んでいくのを見送る。紫色の毛先が完全に見えなくなってから横目でウヅを見上げた。
「帰りはバスって、財布持ってきてねえんだけど」
「ヘーキヘーキ。俺さん持ってきたから」
二ッと歯を見せてズボンのポケットをぽんぽん叩く。さっきのキレの悪さはどこへやら……って思わせたいんだろうけど、俺には通用しねえぞ。
「ウヅ、」
「なァ、バスの停留所ってどこだァ?」
「……あそこ」
こっちが言葉をかける前に質問が飛んできたから仕方なくオレンジ色の標柱を指差す。ホクラニ天文台の入り口が中央だとすると、俺たちがいるのは左側、バス停があるのは右側だ。
「お、じゃァちょうどいいな」
そう言ってそのまま天文台の物陰に腰を下ろした。いわゆるヤンキー座りだ。
「ヤトちゃん来るまでここで待つぞ。でも、降りてきてもバレちゃダメだぜ」
「……なんで?」
なんでヤトちゃんを見送ってから天文台に先回りしたのか。なんでウヅとゴーシュが気付いたことを教えてくれないのか。小さな青をまっすぐ見つめ、いろんな意味を込めた「なんで?」をもう一度口にする。……ふ、と青が逸らされた。
「……ごめん。後でちゃんと話すから」
困ったような苦しそうな表情から、言外に〝今は聞くな〟とひしひし伝わってきて。……しょうがねえなあ。
大きくため息を吐き、隣にどっかり座り込んだ。そのままどん、とウヅの肩へ強めに寄りかかる。
「ちゃんと話せよ、後で」
「……うん」
緑の頭が縦に動いたのをしっかり見届け、澄み切った空に視線を移した。
☆
――ブオオオオン。大きなエンジン音にハッと目を見開く。いけね、ぼーっと空眺めてるうちにうとうとしてた。
停車したナッシーバスから降りてきたのは、乗った時と同じでヤトちゃんだけ。坂を下りていくバスのしっぽが見えなくなると、紫の瞳はゆっくり周囲を見渡した。気付かれないよう慌てて物陰に身を潜め、ついでに息も潜める。
しばらくして恐る恐る首を覗かせれば、ヤトちゃんはこっちに背中を向けていた。崖べりに設置されたガードレールの前に静かに佇み――ひらり、それを乗り越えた。え、と冷たいものが背中を滑り落ちる。だって、そっちは、
白い柵の向こう側、肩の上で黒髪がさらさら揺れている。ゆっくりと、ヤトちゃんの体は前へ 傾いた。
***
バスに揺られながら流れていく景色をぼんやり眺める。窓の外に寄り添い合うように咲いている黄色と青の花を見つけ、ふっと唇が綻んだ。
優しい子たちだったな。他の方たちも、みんな優しくてあたたかかで。声を出して笑ったのも、ごはんをおいしいと感じたのも、いつぶりかしら。
嘘じゃないわ。本当よ。本当に、本当に楽しかったの。……だからこそ、最後に向けられた言葉と笑顔がちくりと胸を刺す。
ごめんなさい。こんなアタシに良くしてくれてありがとう。どうかこのことが優しいあのひとたちの耳に届きませんように。
走馬灯のように今朝までのことが浮かんでは消えていく。いろんなひとにお世話になった。いろんなひとが支えてくれた。……だけど、もう引き返せない。
最後に脳裏を過ったのは、楽しそうに笑い合うルヒカくんとウヅくん。心の底から互いを思い合っているニンゲンとポケモン。
瞼を閉じて、後ろめたさと醜い嫉妬に気付かないふりをした。
*
ここまで連れてきてくれた運転手さんにお礼を言い、バスを降りた。見えなくなるまで見送ってからゆっくり周囲を見渡し、誰もいないことにひっそり胸を撫で下ろす。
ガードレールにそっと手を添え、思いきって乗り越える。吹き付ける風と地面が見えない高さに思わず足が竦んだ。……いいえ、怖くなんかないわ。
ぎゅっと風呂敷包みを抱きしめる。
メスがオスを誘惑して支配する種族に生まれたけれど、アタシは女の子も男の子も好きだった。どちらにも同じだけ惹かれて、他のポケモンの番みたいに互いを慈しみ合う関係に憧れた。
ある日、一番仲良しの女の子にこっそり打ち明けたら「そんなのヘンだよ」って。女の子はライバルで男の子はドレイ。それが〝普通〟なんだって。その言葉がひどく悲しかったのを今でも覚えている。
段々群れに馴染めなくなって、いつもひとりぼっち。餌だって全然集められないからとうとうリーダーのエンニュートに群れを追い出されてしまった。あてもなく彷徨ってボロボロになったアタシを、アナタは優しく抱き上げてくれたわね。
「……おばあさま」
――どうしたの、私のかわいいお砂糖ちゃん。
やわらかなあの声が返ってくることは、もう、ない。あたたかい腕も、陽だまりのような笑顔も、どこにもない。どこにもいない。
おばあさま。大好きなユカリおばあさま。アナタは怒るかしら、悲しむかしら。
悪い子でごめんなさい。でも、でもね、アナタも悪いのよ。アタシをおいていったりするから。アタシに温もりをくれたくせに、アタシを独りになんてするから。アナタのせいでアタシは悪い子になったのよ。
風呂敷包みを抱え直し、ゆっくり体を傾ける。
どれだけ怒られてもいい。どんなに悲しませてしまってもいい。
ただ、もう一度、アナタに会いたい。
辺りを見渡せば近くに赤いトラックが2台停められていたけど、俺たち以外の人影は見当たらない。
握っていた白い手がそっと離れ、頭の上に乗せられた。俺とウヅの顔を交互に見ながら優しく撫でる。
「到着だよ、お疲れ様。おじさん帰るけどいつ頃迎えに来ようか」
「いや、帰りはバス使うよ。連れてきてくれてありがとォございました!」
「どういたしまして。それじゃあね」
ゆったり微笑んだゴーシュが手を振りながら影に沈んでいくのを見送る。紫色の毛先が完全に見えなくなってから横目でウヅを見上げた。
「帰りはバスって、財布持ってきてねえんだけど」
「ヘーキヘーキ。俺さん持ってきたから」
二ッと歯を見せてズボンのポケットをぽんぽん叩く。さっきのキレの悪さはどこへやら……って思わせたいんだろうけど、俺には通用しねえぞ。
「ウヅ、」
「なァ、バスの停留所ってどこだァ?」
「……あそこ」
こっちが言葉をかける前に質問が飛んできたから仕方なくオレンジ色の標柱を指差す。ホクラニ天文台の入り口が中央だとすると、俺たちがいるのは左側、バス停があるのは右側だ。
「お、じゃァちょうどいいな」
そう言ってそのまま天文台の物陰に腰を下ろした。いわゆるヤンキー座りだ。
「ヤトちゃん来るまでここで待つぞ。でも、降りてきてもバレちゃダメだぜ」
「……なんで?」
なんでヤトちゃんを見送ってから天文台に先回りしたのか。なんでウヅとゴーシュが気付いたことを教えてくれないのか。小さな青をまっすぐ見つめ、いろんな意味を込めた「なんで?」をもう一度口にする。……ふ、と青が逸らされた。
「……ごめん。後でちゃんと話すから」
困ったような苦しそうな表情から、言外に〝今は聞くな〟とひしひし伝わってきて。……しょうがねえなあ。
大きくため息を吐き、隣にどっかり座り込んだ。そのままどん、とウヅの肩へ強めに寄りかかる。
「ちゃんと話せよ、後で」
「……うん」
緑の頭が縦に動いたのをしっかり見届け、澄み切った空に視線を移した。
☆
――ブオオオオン。大きなエンジン音にハッと目を見開く。いけね、ぼーっと空眺めてるうちにうとうとしてた。
停車したナッシーバスから降りてきたのは、乗った時と同じでヤトちゃんだけ。坂を下りていくバスのしっぽが見えなくなると、紫の瞳はゆっくり周囲を見渡した。気付かれないよう慌てて物陰に身を潜め、ついでに息も潜める。
しばらくして恐る恐る首を覗かせれば、ヤトちゃんはこっちに背中を向けていた。崖べりに設置されたガードレールの前に静かに佇み――ひらり、それを乗り越えた。え、と冷たいものが背中を滑り落ちる。だって、そっちは、
白い柵の向こう側、肩の上で黒髪がさらさら揺れている。ゆっくりと、ヤトちゃんの体は
***
バスに揺られながら流れていく景色をぼんやり眺める。窓の外に寄り添い合うように咲いている黄色と青の花を見つけ、ふっと唇が綻んだ。
優しい子たちだったな。他の方たちも、みんな優しくてあたたかかで。声を出して笑ったのも、ごはんをおいしいと感じたのも、いつぶりかしら。
嘘じゃないわ。本当よ。本当に、本当に楽しかったの。……だからこそ、最後に向けられた言葉と笑顔がちくりと胸を刺す。
ごめんなさい。こんなアタシに良くしてくれてありがとう。どうかこのことが優しいあのひとたちの耳に届きませんように。
走馬灯のように今朝までのことが浮かんでは消えていく。いろんなひとにお世話になった。いろんなひとが支えてくれた。……だけど、もう引き返せない。
最後に脳裏を過ったのは、楽しそうに笑い合うルヒカくんとウヅくん。心の底から互いを思い合っているニンゲンとポケモン。
瞼を閉じて、後ろめたさと醜い嫉妬に気付かないふりをした。
*
ここまで連れてきてくれた運転手さんにお礼を言い、バスを降りた。見えなくなるまで見送ってからゆっくり周囲を見渡し、誰もいないことにひっそり胸を撫で下ろす。
ガードレールにそっと手を添え、思いきって乗り越える。吹き付ける風と地面が見えない高さに思わず足が竦んだ。……いいえ、怖くなんかないわ。
ぎゅっと風呂敷包みを抱きしめる。
メスがオスを誘惑して支配する種族に生まれたけれど、アタシは女の子も男の子も好きだった。どちらにも同じだけ惹かれて、他のポケモンの番みたいに互いを慈しみ合う関係に憧れた。
ある日、一番仲良しの女の子にこっそり打ち明けたら「そんなのヘンだよ」って。女の子はライバルで男の子はドレイ。それが〝普通〟なんだって。その言葉がひどく悲しかったのを今でも覚えている。
段々群れに馴染めなくなって、いつもひとりぼっち。餌だって全然集められないからとうとうリーダーのエンニュートに群れを追い出されてしまった。あてもなく彷徨ってボロボロになったアタシを、アナタは優しく抱き上げてくれたわね。
「……おばあさま」
――どうしたの、私のかわいいお砂糖ちゃん。
やわらかなあの声が返ってくることは、もう、ない。あたたかい腕も、陽だまりのような笑顔も、どこにもない。どこにもいない。
おばあさま。大好きなユカリおばあさま。アナタは怒るかしら、悲しむかしら。
悪い子でごめんなさい。でも、でもね、アナタも悪いのよ。アタシをおいていったりするから。アタシに温もりをくれたくせに、アタシを独りになんてするから。アナタのせいでアタシは悪い子になったのよ。
風呂敷包みを抱え直し、ゆっくり体を傾ける。
どれだけ怒られてもいい。どんなに悲しませてしまってもいい。
ただ、もう一度、アナタに会いたい。