ムラサキソウの雨宿り/aga.10

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What's your name?
主人公

 桃色が揺れる。
 長い三つ編みが風に弄ばれ、ゆらりゆらりと揺れている。

 少年の足下には乾いた大地が果てしなく広がり、草1本、花1つ生えていない。しかし彼は下には目もくれず、ただ眩いきらめきを放つ太陽を見上げている。
 その背中は全てを拒絶するような冷たさと、全てを焼き尽くさんばかりの熱をまとっていた。……けれど、なんだか寂しげで。

 遠くで誰かの声がして、ふと少年が振り向いた。抜けるような青空と真っ赤なスピネルを一緒に閉じ込めた瞳がこちらを見る。
 その瞳に何を映したのか――ゆるり、弧を描いた碧眼はひどくあたたかだった。



 瞼を持ち上げれば見慣れた光景。床の至る所に本が積み上げられている。……俺の部屋だ。
 もぞもぞ体を起こし、まだぼんやりする頭で時計を探した。2つの針が示すのはいつも起きる時間よりちょっと早い。

 夢を見た。内容はあんまり思い出せないけどビティスが出てきたのは確かだ。それから……それから、なんだっけ。
 何かに妙な既視感を感じたような気がするのに、その肝心の「何か」が思い出せない。うー、もやもやする。

 ……あれ?ていうか俺、何で自分の部屋で寝てるんだ?ベッドに入った記憶ねえんだけど。
 昨日は……ウヅとバトルの練習して、ヤトちゃんと会って、雨宿りに誘って、一緒に夕飯作って食べて、風呂上がりに3人で駄弁って……あ!!

 慌てて布団を跳ねのけ部屋を飛び出す。廊下をばたばた突っ切ってリビングに飛び込めば――向けられた視線は4つ。青、赤、橙、……紫。

「おはよォダーリン。いい朝だなァ」

 ニヤニヤ愉快そうに歯を見せるウヅ。あの時あの場には3人しかいなかったから、俺を運んだのは間違いなくこいつだ。びーびー泣いた挙句に泣き疲れて寝落ちかました俺を見てどう思ったか、このツラが全てを物語っている。
 はずいわムカつくわでわなわなしている俺の前にヤトちゃんがやってきて、「おはよう」と微笑んだ。

「昨日はよく眠れた?」
「……うん。ヤトちゃんは?」
「アタシもよ。誰かの家にお泊まりなんてはじめてだからちょっぴり緊張してたのだけど、ぐっすりだったわ」
「そっか。よかった」

 さりげなく目元を観察すると、赤みや腫れは見当たらなくてほっと胸を撫で下ろす。ウヅもうちに来たばかりの頃は時々うっすら目を腫らしていた。上手に隠してるだけかもしれないけど、そうじゃないといいな。

 ギナとジンコ、ついでにウヅにもおはようを言う。「朝食はまだだから着替えておいで」とギナに言われてから寝間着のままだったことに気がついた。からかい魔どもに何か言われる前にリビングを出ようとして――甲高いドデカバシの鳴き声が鼓膜をつんざき、ヤトちゃんの肩が大きく跳ね上がる。

「な、なにっ?」
「ごめん、言ってなかったな。俺の父ちゃんすげえ寝起き悪くてさ。いつもああしてミバが起こしてるんだ」
「そ、そう……随分力ずくね」
「ああでもしないと起きねえもん。たぶんまた来るから耳塞いだ方がいいぜ」

 さっと褐色の手が耳を覆った直後、二度目のばくおんぱが響き渡った。恐る恐る手を離したヤトちゃんがそっと囁く。

「毎朝こうなの?」
「うん。大体2回だけど多い時は4、5回ばくおんぱぶっ放してる」
「それは……嫌でも朝に強くなるわね」

 しみじみとしたその言葉に、俺たち4人ともそれはそれは大きく頷いたのだった。



 朝ごはんと片付けを済ませ、時刻表を確認したらいざ出発。玄関先でひとりひとりの顔を見たヤトちゃんは深く深く頭を下げた。

「本当に、ありがとうございました。お世話になりました」
「いえいえ~~。こちらこそ、とっても楽しかったわ~~。また遊びに来てね~~」

 にっこり笑ったジンコが褐色の手を握る。ヤトちゃんは困ったような笑みを浮かべ、何も言わずにもう一度頭を下げた。

 大人たちに見送られながら外に飛び出せば、雲一つない快晴。昨日の大雨が嘘みたいだ。点々と広がるでかい水たまりを避けつつ、のんびり喋りながらウラウラ乗船所のバス停を目指す。

「そういえば、ホクラニ岳で用が済んだらその後どうするんだ?」

 会話の流れで何気なく口にすると、一瞬、紫の瞳が揺れた。かと思えばさっきと同じような困った顔で笑う。

「そうね……。後のことなんて、何も考えてなかったわ」

 腕の中の風呂敷包みをぎゅっと抱きしめ、どこか遠くを見るような眼差しでぽつりと呟いた。その横顔が3年前のはずれの岬で蹲っていた頃のウヅと重なり、ぐっと喉が詰まる。

「なら、せっかくウラウラ島まで来たんだからいろいろ観光してけよ。ホクラニ岳は星がすっげえ綺麗だし、マリエシティも図書館とか庭園とかいいとこいっぱいあるぜ。なんなら俺たちが案内するし」

 妙な焦燥感に駆られていろいろ言葉を連ねたけど、ヤトちゃんは「ありがとう。考えておくわね」と微笑むだけだった。

 そうこうしているうちにバス停について、間もなくバスもやってきた。始発便だからか乗客はヤトちゃんひとりだけ。
 昇降ステップを上ったヤトちゃんはくるりと振り返り、やわらかな微笑みを浮かべた。

ルヒカくん、ウヅくん。短い間だったけど、アナタたちと過ごせて本当によかった。ありがとう」
「俺も、すっげえ楽しかった!いつでもまた遊びに来てくれよ!待ってるから!」
「俺さんも!また遊ぼうぜェ、道中気を付けてなァ!」

 急にやってきた寂しさをぐっと堪えて笑顔で手を振る。やがて「ドアが閉まります。ご注意ください」とアナウンスが流れ、お互い1歩ずつ下がった。

「……さよなら」

 閉じたドアの向こう側、零れ落ちた小さな言葉はバスの発進音にかき消された。



 走り出したバスが角を曲がり、見えなくなる。……あーあ、行っちゃった。大きく振っていた腕をゆっくり下ろす。

「おし、行くぞ!」

 言うや否や、ウヅは突然俺を脇に抱えて全力ダッシュ。は!?ちょ、なんだよ!!……って言いたいとこだけど、下手に喋ると舌噛みそうだから大人しくしとこう。でもこの運び方あとでめちゃくちゃ文句言ってやるからな!

 向かった先はやっぱり家で、玄関に飛び込むなりミバに負けず劣らずな大声を出した。

「ゴーシュさァーん!!いるー!?」
「いるよ。なあに?」

 玄関とスタッフルームを隔てる壁をすり抜けてゴーシュが現れる。今日の朝も見なかったけど、いつの間に戻ってきたんだろ。

「急ですまねェけど、影移動で俺さんたちをホクラニ天文台まで連れてってくんねェか?」

 お願いします!この通り!と勢いよく頭を下げるウヅ。抱えられたままの俺はこいつの考えが読めなくて瞬きするしかない。だけどゴーシュは何を察したのかすぐに「いいよ」と微笑んだ。首から上をすり抜けさせ、スタッフルームにいるらしいミバに声をかける。

「ミバくん、今からルヒカくんとウヅくんホクラニ天文台まで送ってくるね。20分で戻ってくる」

 ミバの返事を待たずに顔を出したゴーシュは「行こっか」と玄関のドアを開けた。そのままウヅがついて行こうとするから「いい加減降ろせ」という意味で腹に回された腕をぺしっと叩けば、数分ぶりに地面と再会した。

 先に外へ出ていたゴーシュがおいでおいでと手招きする。あまり血の巡りを感じられない白い右手を俺が、左手をウヅがぎゅっと握った。久しぶりの影移動、ちょっぴりドキドキする。

「おじさんの手、離しちゃダメだよ」

 ゴーシュの念押しにそれぞれ頷く。色の薄い唇がゆるく弧を描き、庭の木の影に足を踏み入れる。直後、どぷんと水中へ潜るように体が沈み、真っ暗な空間に飛び込んだ。
 ぼぼぼ、青紫の炎が点る。ゴーシュのおにびだ。人魂みたいにふよふよ俺たちの周りを漂い、真っ暗闇を仄かに照らしてくれる。

「ふたりとも、ちゃんといるね。明かりはこのくらいでいい?」
「うん」
「おう」
「よかった。10分くらいで着くからね」

 サイコキネシスで空を移動するみたいに、ふよ~っと闇の中を進み始めた。影の中はどこにでも繋がってるから普通に地上の道を使うより早く行けるんだって。暗いし何もないから今どこに居てどこに向かってるのか俺にもウヅにもさっぱりだけど、ゴーシュがちゃんとわかってるから身を任せてふよふよついて行く。
 ……って、そういや俺まだ何でこうなったか聞いてねえぞ。

「なあウヅ」
「ん?」
「なんで今からホクラニ天文台行くんだよ。行くならさっきヤトちゃんと一緒にバス乗ればよかっただろ」
「……一緒に行ったら意味ねェんだよ」

 言いづらそうにぼそりと呟くけど、全然説明になってない。脳内ではてなマークが飛び交う中、ゴーシュはのんびり「ウヅくんも気付いてたんだね」と言い放った。その言葉にウヅの目が大きく見開かれる。

「俺さんも、ってことは」
「うん。犬ポケモンじゃないけど、おじさんそういうの・・・・・に鼻が利くんだ。あの子の目を見た時に〝そう〟なんだろうなって」
「見ただけでわかんのかよ……やべェな」

 ゴーシュはふふ、と笑うと小さく首を傾げた。

「ウヅくんこそよくわかったね」
「いやァ……たまたまっつーか、ちょっと身に覚えがあるっつーか……」

 視線を泳がせモニョモニョ言葉を濁す。さっきからやけに歯切れ悪いな。なんだってんだよ。

「お前ら何の話してんだ?」

 こちらを向いた赤い瞳が数回瞬きし、ウヅを見やる。

ルヒカくんには言わない方がいいかな?」
「そォだな、言わねェでおいてくれ」
「なんだよふたりして!」

 憤慨する俺にゴーシュは「見たらわかると思うよ」とだけ言い、ウヅに至ってはバツが悪そうに顔を背けた。マジでなんなんだよ、もう!
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