ムラサキソウの雨宿り/aga.10
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どこから話せばいいかしら。遠くを見るような眼差しでそう呟き、風呂敷包みを優しく撫でるヤトちゃん。やがて顔を上げて俺とウヅを交互に見やる。
「ヤトウモリの生息地は知ってる?」
「うん。ヴェラ火山、シェードジャングル、8番道路だよな」
「ええ。アタシはヴェラ火山で生まれたの」
ウヅがちんぷんかんぷんって顔してるからタブレットにアーカラ島の地図を映して渡してやる。「おーなるほど」と大きく頷いたのを見て、再びピンクの唇が動いた。
***
ヤトウモリは本来群れで暮らすポケモンだけど、アタシはうまく群れに馴染めなくて。狩りも上手にできなかったからいつも独りでいたわ。
ある時ヒノヤコマに襲われて、必死で逃げているうちに全然知らない場所に迷い込んでしまって。おまけに雨も降ってきてね。怪我とか空腹で動けなくて、このまま死ぬんだろうな、ってぼんやり考えてた。
そんなアタシを助けてくれたのが、ユカリおばあさま。アタシに家と、名前と、家族をくれた人。あたたかくて優しくて、陽だまりみたいな人だった。
ヴェラ火山の左下、ちょうど島の真ん中あたりにオハナタウンってあるでしょう。そこがアタシとおばあさまが暮らしてた場所。
近くに広い牧場があって、おばあさまはいつもそこから買ったモーモーミルクでエネココアを作ってくれたわ。うすもものミツをひと匙加えて。おばあさまが作ってくれたものは何でもおいしかったけれど……あれが一番、おいしかった。
エネココアを飲みながらいろんな話を聞かせてくれた。若い頃に訪れた町や地方で見たもの、触れたもの、感じたもの。何が綺麗で、何がおいしくて、何にドキドキしたか。一緒に旅した仲間のこと。たくさん……たくさん。
話してくれる度に「私がもっと若ければあなたをいろんな所に連れて行ってあげられたのに」って、口癖のように言ってたっけ。
故郷のことも話してくれたわ。ホウエン地方っていう温暖で自然豊かで海が綺麗なところだそうよ。自然に囲まれて育ったから、もっといろんなものを見たい、知りたいと思って旅に出たんだって。
あちこち旅したそうだけど、最後はアローラに落ち着いたって言ってたわ。以前は……ルネシティだったかしら、海の上の町に住んでいたから内陸のオハナタウンを選んだのに、やっぱり海が恋しくて、度々ハノハノビーチへ遊びに行っていたわね。
朝も、昼も、夕方も、夜も。おばあさまと見た空と海は、どれもとっても綺麗だった。星の名前もたくさん教えてもらったわ。
そうそう、おばあさまは星も好きで。特にホクラニ岳は旦那様にプロポーズされた思い出の場所なんですって。……だから最期は、そこで眠りたいって……そう、言ってたの。
***
懐かしそうに、楽しげに、愛おしそうに。鍵のついた宝箱から宝石を1つ1つ取り出すみたいに思い出を語っていく。……本当に、心の底から、大好きなんだな。目の奥と喉から込み上がってくるものをズボンを握りしめて耐える。
宿す色をくるくる変えながら煌めいていた紫の瞳が、ふっと翳った。閉じられた唇が、風呂敷包みを抱く腕が、震えている。
「……おばあさまね。亡くなる前からお葬式とか散骨のこととか、いろいろ準備していて。後でアタシが困らないようにって……自分が死んだらどうすればいいか、全部手紙に書いてくれた。なのにアタシ、ライチさんを呼ぶことしかできなくて……他のことは全部、ライチさんがやってくれたの」
途切れ途切れに押し出された声も震えていた。じっと黙って耳を傾けていたウヅがふと口を開く。
「ライチさんっつーと、アーカラ島の島クイーンだっけ。ばあちゃんと仲良かったのか」
「ええ。何度もうちに遊びに来てくれたし、おばあさまがお元気だった頃はライチさんのお店へお買い物に行ったわ。亡くなる前も、亡くなってからも、本当に良くしてくれた。ライチさんだけじゃない、アマラさんも、シブさんも、カキくんも、ホシちゃんも、牧場のみんなも……アナタたちも」
そう言ったヤトちゃんが浮かべた笑顔はひどくやわらかで。いちばん悲しくて、つらくて、泣きたいはずなのに。実際泣き出しそうな顔してるのに。なんでそんな顔で笑うんだよ。
ぼろ、堪え切れなかった雫が膝に落ちる。一度溢れたらもうだめだった。直らない雨漏りみたいにどんどん膝の上にしみを増やしていく。頭の中はぐちゃぐちゃで、どうして涙が出てくるのか自分でもわからない。
「お前って結構泣き虫だよなァ」
「う、るせえっ」
からかうような声と一緒に頭に乗せられたあたたかい手が涙腺に更なる追い打ちをかける。ちくしょう、早く止まれ、止まれってば。
奥歯を噛みしめながらぐいぐい目元を拭ってたら――いきなり褐色の腕に包み込まれた。びっくりして涙が少し引っ込む。
「ありがとう。アタシたちのために泣いてくれて」
なんだそれ。お礼言われるようなことなんかしてないだろ。
言いたいことはいろいろあったけど、鼓膜と肌から伝わる温もりにまた涙が溢れた。
***
「ったく、しょーがねェなァこいつは」
膝の上で寝息を立てる桔梗色の頭をそっと撫でる。いっぱい擦ったから目の周り赤くなってら。最近は前にも増してマセた口利くようになったけど、泣き疲れて寝落ちとかまだまだガキだなァ。
「わりィな、せっかくいろいろ話してくれたのによォ」
「いいの。アタシの方こそ、聞いてくれてありがとう。……少しだけ、気持ちの整理ができたわ」
穏やかに首を振るヤトちゃん。その目元も微かに赤くなっている。そりゃそうだ、しんどい時にしんどい話させちまったんだから。……その分、いろいろ合点がいった。
「……あのな。俺も、3年前に親父を亡くしたんだ」
唐突な発言にヤトちゃんの目が大きく見開かれる。誰かにこのことを話すのは初めてで、無意識に喉が鳴った。
「だからどうってわけじゃねェんだけど……えっと、なんつーか……」
言葉を探してスッカスカの脳みそを引っかき回す。どうにか何か伝えようとして、はたと気付いた。
3年前に今の俺みてェな立場の奴から知ったようなこと言われたら、めちゃくちゃムカつかねェか?……めちゃくちゃムカつくな。
それにあの時ルヒカの言葉が響いたのは、あいつの言葉だからってのと、あいつがぶつけてくれたものが言葉だけじゃなかったからだ。
「ごめん。上手く出てこねェや」
へらりと笑っておどけてみせる。なら、俺が尽くすべきは言葉じゃなく。
ヤトちゃんは何か言いたげだったけど、特に追及はしてこなかった。
グラスに残っていたサイコソーダを飲み干し、膝の上のルヒカをソファに転がす。あんなにうるさかった窓の外はいつの間にかすっかり静かになっている。
「雨止んだなァ。これなら明日のバスは通常運行だろ」
「あら本当。よかった」
メシの後にみんなでいろいろ相談した結果、バスが動いたら始発便で、動かなかったらゴーシュさんの影移動でホクラニ岳まで送るってことでまとまった。おてんと様が急にご機嫌ナナメになったりしなけりゃ、ヤトちゃんはバスに揺られ行くことになる。
「ちょっと早ェけどそろそろ寝るかァ?ヤトちゃんも船旅で疲れたろ」
「そうね。そうさせていただくわ」
グラスをさっと濯いで水切りかごに乗せ、客室(ほんとは客室じゃないらしいけど)の2階へ案内した。ルヒカ?あいつは俺さんと部屋隣だから戻ったら回収する。
ホウヤさんの「階段の両隣はギナとゴーシュの部屋だ。そこ以外は好きに使ってくれ」という言葉を受け、ヤトちゃんが選んだ場所はギナさんの向かい側。階段の近くがよかったんだと。
階段を降りる途中、ヤトちゃんが不意にぽつりと呟いた。
「1つ、聞いてもいいかしら」
「どーぞォ」
「さっきの話だけれど。……アナタはもう、平気なの?」
「んー……100パー平気ってわけじゃねェけど、前よりいろいろ折り合い付けれるようになったよ。あいつもいてくれるし」
「……そう」
先に階段を降りきったヤトちゃんはくるりと振り向き、やわらかく微笑んだ。
「変なこと聞いてごめんなさい。今日は本当にありがとう」
「いいってことよ。んじゃ、おやすみィ。また明日なァ」
「ええ。おやすみなさい、また明日」
ひらひら左手を振ってお見送り。ドアが閉まるのを見届けて、ずっと握りしめていた右手をそっと開けば、真っ赤な爪跡がくっきり残っている。
自分を救ってくれた大好きなひととの思い出と、永遠の別れ。思い出さないわけがなかった。
「……じっちゃん」
刻まれた赤は、まだじんわりと熱を帯びていた。
「ヤトウモリの生息地は知ってる?」
「うん。ヴェラ火山、シェードジャングル、8番道路だよな」
「ええ。アタシはヴェラ火山で生まれたの」
ウヅがちんぷんかんぷんって顔してるからタブレットにアーカラ島の地図を映して渡してやる。「おーなるほど」と大きく頷いたのを見て、再びピンクの唇が動いた。
***
ヤトウモリは本来群れで暮らすポケモンだけど、アタシはうまく群れに馴染めなくて。狩りも上手にできなかったからいつも独りでいたわ。
ある時ヒノヤコマに襲われて、必死で逃げているうちに全然知らない場所に迷い込んでしまって。おまけに雨も降ってきてね。怪我とか空腹で動けなくて、このまま死ぬんだろうな、ってぼんやり考えてた。
そんなアタシを助けてくれたのが、ユカリおばあさま。アタシに家と、名前と、家族をくれた人。あたたかくて優しくて、陽だまりみたいな人だった。
ヴェラ火山の左下、ちょうど島の真ん中あたりにオハナタウンってあるでしょう。そこがアタシとおばあさまが暮らしてた場所。
近くに広い牧場があって、おばあさまはいつもそこから買ったモーモーミルクでエネココアを作ってくれたわ。うすもものミツをひと匙加えて。おばあさまが作ってくれたものは何でもおいしかったけれど……あれが一番、おいしかった。
エネココアを飲みながらいろんな話を聞かせてくれた。若い頃に訪れた町や地方で見たもの、触れたもの、感じたもの。何が綺麗で、何がおいしくて、何にドキドキしたか。一緒に旅した仲間のこと。たくさん……たくさん。
話してくれる度に「私がもっと若ければあなたをいろんな所に連れて行ってあげられたのに」って、口癖のように言ってたっけ。
故郷のことも話してくれたわ。ホウエン地方っていう温暖で自然豊かで海が綺麗なところだそうよ。自然に囲まれて育ったから、もっといろんなものを見たい、知りたいと思って旅に出たんだって。
あちこち旅したそうだけど、最後はアローラに落ち着いたって言ってたわ。以前は……ルネシティだったかしら、海の上の町に住んでいたから内陸のオハナタウンを選んだのに、やっぱり海が恋しくて、度々ハノハノビーチへ遊びに行っていたわね。
朝も、昼も、夕方も、夜も。おばあさまと見た空と海は、どれもとっても綺麗だった。星の名前もたくさん教えてもらったわ。
そうそう、おばあさまは星も好きで。特にホクラニ岳は旦那様にプロポーズされた思い出の場所なんですって。……だから最期は、そこで眠りたいって……そう、言ってたの。
***
懐かしそうに、楽しげに、愛おしそうに。鍵のついた宝箱から宝石を1つ1つ取り出すみたいに思い出を語っていく。……本当に、心の底から、大好きなんだな。目の奥と喉から込み上がってくるものをズボンを握りしめて耐える。
宿す色をくるくる変えながら煌めいていた紫の瞳が、ふっと翳った。閉じられた唇が、風呂敷包みを抱く腕が、震えている。
「……おばあさまね。亡くなる前からお葬式とか散骨のこととか、いろいろ準備していて。後でアタシが困らないようにって……自分が死んだらどうすればいいか、全部手紙に書いてくれた。なのにアタシ、ライチさんを呼ぶことしかできなくて……他のことは全部、ライチさんがやってくれたの」
途切れ途切れに押し出された声も震えていた。じっと黙って耳を傾けていたウヅがふと口を開く。
「ライチさんっつーと、アーカラ島の島クイーンだっけ。ばあちゃんと仲良かったのか」
「ええ。何度もうちに遊びに来てくれたし、おばあさまがお元気だった頃はライチさんのお店へお買い物に行ったわ。亡くなる前も、亡くなってからも、本当に良くしてくれた。ライチさんだけじゃない、アマラさんも、シブさんも、カキくんも、ホシちゃんも、牧場のみんなも……アナタたちも」
そう言ったヤトちゃんが浮かべた笑顔はひどくやわらかで。いちばん悲しくて、つらくて、泣きたいはずなのに。実際泣き出しそうな顔してるのに。なんでそんな顔で笑うんだよ。
ぼろ、堪え切れなかった雫が膝に落ちる。一度溢れたらもうだめだった。直らない雨漏りみたいにどんどん膝の上にしみを増やしていく。頭の中はぐちゃぐちゃで、どうして涙が出てくるのか自分でもわからない。
「お前って結構泣き虫だよなァ」
「う、るせえっ」
からかうような声と一緒に頭に乗せられたあたたかい手が涙腺に更なる追い打ちをかける。ちくしょう、早く止まれ、止まれってば。
奥歯を噛みしめながらぐいぐい目元を拭ってたら――いきなり褐色の腕に包み込まれた。びっくりして涙が少し引っ込む。
「ありがとう。アタシたちのために泣いてくれて」
なんだそれ。お礼言われるようなことなんかしてないだろ。
言いたいことはいろいろあったけど、鼓膜と肌から伝わる温もりにまた涙が溢れた。
***
「ったく、しょーがねェなァこいつは」
膝の上で寝息を立てる桔梗色の頭をそっと撫でる。いっぱい擦ったから目の周り赤くなってら。最近は前にも増してマセた口利くようになったけど、泣き疲れて寝落ちとかまだまだガキだなァ。
「わりィな、せっかくいろいろ話してくれたのによォ」
「いいの。アタシの方こそ、聞いてくれてありがとう。……少しだけ、気持ちの整理ができたわ」
穏やかに首を振るヤトちゃん。その目元も微かに赤くなっている。そりゃそうだ、しんどい時にしんどい話させちまったんだから。……その分、いろいろ合点がいった。
「……あのな。俺も、3年前に親父を亡くしたんだ」
唐突な発言にヤトちゃんの目が大きく見開かれる。誰かにこのことを話すのは初めてで、無意識に喉が鳴った。
「だからどうってわけじゃねェんだけど……えっと、なんつーか……」
言葉を探してスッカスカの脳みそを引っかき回す。どうにか何か伝えようとして、はたと気付いた。
3年前に今の俺みてェな立場の奴から知ったようなこと言われたら、めちゃくちゃムカつかねェか?……めちゃくちゃムカつくな。
それにあの時ルヒカの言葉が響いたのは、あいつの言葉だからってのと、あいつがぶつけてくれたものが言葉だけじゃなかったからだ。
「ごめん。上手く出てこねェや」
へらりと笑っておどけてみせる。なら、俺が尽くすべきは言葉じゃなく。
ヤトちゃんは何か言いたげだったけど、特に追及はしてこなかった。
グラスに残っていたサイコソーダを飲み干し、膝の上のルヒカをソファに転がす。あんなにうるさかった窓の外はいつの間にかすっかり静かになっている。
「雨止んだなァ。これなら明日のバスは通常運行だろ」
「あら本当。よかった」
メシの後にみんなでいろいろ相談した結果、バスが動いたら始発便で、動かなかったらゴーシュさんの影移動でホクラニ岳まで送るってことでまとまった。おてんと様が急にご機嫌ナナメになったりしなけりゃ、ヤトちゃんはバスに揺られ行くことになる。
「ちょっと早ェけどそろそろ寝るかァ?ヤトちゃんも船旅で疲れたろ」
「そうね。そうさせていただくわ」
グラスをさっと濯いで水切りかごに乗せ、客室(ほんとは客室じゃないらしいけど)の2階へ案内した。ルヒカ?あいつは俺さんと部屋隣だから戻ったら回収する。
ホウヤさんの「階段の両隣はギナとゴーシュの部屋だ。そこ以外は好きに使ってくれ」という言葉を受け、ヤトちゃんが選んだ場所はギナさんの向かい側。階段の近くがよかったんだと。
階段を降りる途中、ヤトちゃんが不意にぽつりと呟いた。
「1つ、聞いてもいいかしら」
「どーぞォ」
「さっきの話だけれど。……アナタはもう、平気なの?」
「んー……100パー平気ってわけじゃねェけど、前よりいろいろ折り合い付けれるようになったよ。あいつもいてくれるし」
「……そう」
先に階段を降りきったヤトちゃんはくるりと振り向き、やわらかく微笑んだ。
「変なこと聞いてごめんなさい。今日は本当にありがとう」
「いいってことよ。んじゃ、おやすみィ。また明日なァ」
「ええ。おやすみなさい、また明日」
ひらひら左手を振ってお見送り。ドアが閉まるのを見届けて、ずっと握りしめていた右手をそっと開けば、真っ赤な爪跡がくっきり残っている。
自分を救ってくれた大好きなひととの思い出と、永遠の別れ。思い出さないわけがなかった。
「……じっちゃん」
刻まれた赤は、まだじんわりと熱を帯びていた。