ムラサキソウの雨宿り/aga.10
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今日のカレーはみんなに好評で、あっという間に鍋も炊飯器も空っぽになった。食事に関して滅多にコメントしない父ちゃんすら「うめえ」って言うくらいだ。まごころパワーはマジで実在するのかもしれない。大層ご満悦なジンコが「他の料理にも効果が出るのかしら~~」なんて言ってたけど、冗談なのか本気なのかわかんねえな。
洗い物とか後片付けが終わったらバスタイムだ。大人たちは食後も色々やることがあるから我が家ではなんとなく年少者からシャワーを浴びることになっている。とはいえ今日はヤトちゃんに一番に使ってもらって、その次に俺。ざーっと流して、頭と顔洗って、またざーっと流す。こういうのカントーだと「ヤミカラスの行水」っていうらしい。
髪もろくに乾かさないまま浴室を後にし、リビングのソファでヤトちゃんと駄弁っているウヅを呼ぶ。完全にくつろぎモードのウヅは「えー」と口を尖らせた。
「今日は雨に降られたからよくねェ?」
「よくねえ。せめて3日に1回は入れって。さっと流すだけでいいから」
元々野生育ちで原種ほどではないにせよ不衛生な環境を好む種族柄、ウヅは風呂嫌いというか風呂に入る習慣がなかなか馴染まないらしい。種族的な性質だから無理強いしたくはないけど、病院の上に住んでる以上ある程度は清潔でいてもらわなきゃいけない。ウヅもそれを理解してくれているから、へーいと気の抜けた返事と共にのろのろ腰を上げた。
うーん、難しい。旅に出たらもうちょっと好きにさせてやれたらいいな。ウヅと入れ替わるかたちでヤトちゃんの隣へ。
「あら、髪の毛びしょびしょじゃない。ちゃんと乾かさないと風邪引いちゃうわよ」
「ドライヤー使うのやなんだよ。そのうち乾くから大丈夫だって」
「だーめ。ほら、アタシが乾かしてあげるから」
ヤトちゃんの広げた手のひらからふわっと温風が漂ってくる。ドライヤー代わりの弱めのねっぷう、ミバもよくやってくれるやつだ。お言葉に甘えて頭を預ければあたたかな風が髪や頭皮を撫でた。
「どう?熱くない?」
「うん。きもちいい」
「ふふふ、よかった」
右手から温風を出し、左手でするする整えてくれる。細い指が髪を通る感触がちょっとくすぐったい。
「綺麗な髪ね。せっかくこんなに綺麗なんだからきちんとケアしてあげないと勿体ないわ」
「それギナとジンコにも言われた。伸ばすならちゃんと手入れしなさい、って」
「ごもっともだわ」
うんうんと力強く頷くヤトちゃん。その拍子に肩の上で黒髪がさらりと揺れる。
「ヤトちゃんの髪もさらさらだな。ユキハミの糸みてえ」
「ゆきはみ?」
「主にガラルに生息するむしポケモン。きらきらした糸吐く奴でさ、こいつの糸で作った布はすげえ肌ざわり良いんだって」
ソファの隅に放り出したままだったリュックを引き寄せてタブレットを引っ張り出し、「ユキハミ」と検索する。画面に現れた白くて丸っこいポケモンに「まあ」と目を輝かせた。
「とってもおいしそう!アローラにはいないの?」
まさかの発言にずっこけそうになったけど、よく考えたらどくトカゲポケモンだもんな。むしろ当然の反応だわ。
「今のところガラルでしか見つかってねえな。こおりタイプだし寒い場所が好きなポケモンだからアローラは合わねえと思う」
そう、と残念そうに呟きつつ、褐色の指でそっと画面に触れた。
「アタシ、今までずっとアーカラ島にいたからこんなポケモンがいるなんて知らなかった。アーカラ島のことも、アローラのことも、知らないことが沢山あるんでしょうね」
──世界って広ェんだなァ。俺さんもいつか、色んなとこ行って、色んなモン見て回りてェなァ。
脳裏を過るのは夜空の下、小さなランタンで照らした地図を一緒に眺めた時の言葉。まだ〝ベトベター〟だったウヅの声と眼差しにそっくりだ。……でも、あいつと違って、ひどく悲しい色をしている。
悲しい色を宿したまま視線が膝へ落ちた。そこにあるのは紫色の風呂敷包み。メシの時もずっと膝に抱いていて、シャワーの時もバスルームまで持って行くくらい片時も手放したくないもの。何が入ってるんだろう。
俺が口を開く前にどたどた激しい足音がしてウヅが飛び込んできた。いつもは3分もしないうちに出てくるのに今日はゆっくりだったな。
「7分浴びてきた!あと1週間は入んなくていいよな!」
「え、う、うん」
鬼気迫る勢いに思わず頷けば、よっしゃ!とガッツポーズ。1分×7日分ってことか。わりとムチャクチャな理論だけどこいつなりに折り合い付けようと頑張ってくれてるんだし、アリってことにしよう。早速「さっぱりし過ぎて変な感じだ……。やっぱ3日に1回の方がマシかァ……?」とかぼやいてるけど。
緑色の毛先からぽたぽた垂れる水滴を見てヤトちゃんが眉を持ち上げた。
「もう、アナタも髪の毛びしょびしょなのね」
「俺さん短いからすぐ乾くんだよォ」
「そういう問題じゃないの。乾かしてあげるからこっちへいらっしゃいな」
へーい、と大人しく差し出された頭に褐色の手があてがわれる。水気を含んでしっとりしていた緑色はあっという間にふわふわになった。やっぱ短いとすぐ乾くもんだな。
「はい、おしまい」
「えっ終わり?」
わしゃっと髪をかきあげ、「おー」と感嘆の息を漏らす。
「ねっぷう便利だなァ。俺さんも使いてェ」
「ベトベターは覚えねえよ。にほんばれで頑張れ」
「ちぇー。まァいいや、サンキューヤトちゃん」
「どういたしまして」
なんか飲む?という提案に俺は縦に、ヤトちゃんは横に首を振る。サイコソーダをリクエストすれば「以心伝心じゃん」と白い歯が覗いた。
キッチンへ向かったウヅの背中を見送って、そういえば途中だったわね、と俺の髪に再び褐色の手が伸ばされる。もうほぼ乾いたと思うけど気持ちよかったからやってもらおう。
「さっきの話だけれど。〝ユキハミの糸みたい〟は褒めてくれた、のよね?」
「うん。要するに綺麗だなって」
「ふふ、そう。嬉しいわ、ありがとう」
優しい声と指にじんわり瞼が重くなってくる。直後、いきなりほっぺたに冷たいものを押し当てられて一気に覚醒した。
「ギャヒヒヒ、目ェ覚めたァ?」
「おかげさまでな。ソーダありがと」
起こすにしたってもうちょっと他のやり方あったろ。とはいえこのまま寝落ちしたくなかったし、ジト目で睨むだけにしておく。
氷の浮かんだグラスを傾け、よく冷えたサイコソーダを喉へ送った。やっぱ暑い日と風呂上がりはこれだよな。ウヅもごくごくラッパ飲みして、瓶を半分くらいガリッと齧り取る。ふくらんだ頬とガリョガリョ小気味のいい咀嚼音にヤトちゃんがくすくす笑う。
「夕食の時も思ったけど、いい飲みっぷりに食べっぷりね。見ていて気持ちがいいわ」
「ヘヘッ、まァなァ」
ごくんと喉仏が上下に波打つ。再び大きく開いた口に残りの半分が飲み込まれた。こいつ中身より瓶が目当てなとこあるよなあ。
グラスを傾けながらこっそりヤトちゃんを横目で見た。穏やかな眼差しに悲しい色はもうない、けど。……やっぱり、気になる。
「なあ。さっきから気になってたんだけど、その包み何が入ってるんだ?」
それとなく聞いてみれば、紫の瞳が大きく揺れた。唇を真横にひき結び、膝の上の風呂敷を強く強く抱きしめる。ちがう、そんな顔をさせるつもりじゃ、させたいわけじゃなかったのに。
「アタシを育ててくれたおばあさまの遺灰」
ぽつり、呟かれた言葉にパニックになっていた頭が急激に冷えていく。イハイって……遺灰、だよな。
声が出ない。固い石が詰まったみたいに、喉が、肺が、苦しい。ピンクの唇が力なく微笑んだ。
「ホクラニ岳に散骨して、っていう遺言なの」
「……ご、ごめん、俺、その、」
「いいの。アタシこそごめんなさいね、いきなりこんな話をして」
ぶんぶん首を振る。俺が、不用意に踏み込んだりするから。目の奥からじわじわ押し寄せてくる熱を奥歯を噛みしめて必死に耐えた。泣きたいのは、俺じゃないのに。
不意にぽす、とゴツゴツした手が頭に乗せられた。
「……あのさ。よかったら……あんたのばあちゃんの話、聞かせてくれねェかな」
見上げたウヅの横顔はひどく穏やかで、やわらかで。普段の騒がしい声とは打って変わって低く落ち着いた声が耳を撫でる。
「嫌だったらごめんな。けど、どんな人だったのかなァって」
ヤトちゃんはゆっくり瞬きして、そっと口を開いた。
少し長くなるかもしれないけど、いい?
俺もウヅもこっくり頷けば紫色が緩やかに弧を描く。からん、グラスの中で氷が静かに揺れた。
洗い物とか後片付けが終わったらバスタイムだ。大人たちは食後も色々やることがあるから我が家ではなんとなく年少者からシャワーを浴びることになっている。とはいえ今日はヤトちゃんに一番に使ってもらって、その次に俺。ざーっと流して、頭と顔洗って、またざーっと流す。こういうのカントーだと「ヤミカラスの行水」っていうらしい。
髪もろくに乾かさないまま浴室を後にし、リビングのソファでヤトちゃんと駄弁っているウヅを呼ぶ。完全にくつろぎモードのウヅは「えー」と口を尖らせた。
「今日は雨に降られたからよくねェ?」
「よくねえ。せめて3日に1回は入れって。さっと流すだけでいいから」
元々野生育ちで原種ほどではないにせよ不衛生な環境を好む種族柄、ウヅは風呂嫌いというか風呂に入る習慣がなかなか馴染まないらしい。種族的な性質だから無理強いしたくはないけど、病院の上に住んでる以上ある程度は清潔でいてもらわなきゃいけない。ウヅもそれを理解してくれているから、へーいと気の抜けた返事と共にのろのろ腰を上げた。
うーん、難しい。旅に出たらもうちょっと好きにさせてやれたらいいな。ウヅと入れ替わるかたちでヤトちゃんの隣へ。
「あら、髪の毛びしょびしょじゃない。ちゃんと乾かさないと風邪引いちゃうわよ」
「ドライヤー使うのやなんだよ。そのうち乾くから大丈夫だって」
「だーめ。ほら、アタシが乾かしてあげるから」
ヤトちゃんの広げた手のひらからふわっと温風が漂ってくる。ドライヤー代わりの弱めのねっぷう、ミバもよくやってくれるやつだ。お言葉に甘えて頭を預ければあたたかな風が髪や頭皮を撫でた。
「どう?熱くない?」
「うん。きもちいい」
「ふふふ、よかった」
右手から温風を出し、左手でするする整えてくれる。細い指が髪を通る感触がちょっとくすぐったい。
「綺麗な髪ね。せっかくこんなに綺麗なんだからきちんとケアしてあげないと勿体ないわ」
「それギナとジンコにも言われた。伸ばすならちゃんと手入れしなさい、って」
「ごもっともだわ」
うんうんと力強く頷くヤトちゃん。その拍子に肩の上で黒髪がさらりと揺れる。
「ヤトちゃんの髪もさらさらだな。ユキハミの糸みてえ」
「ゆきはみ?」
「主にガラルに生息するむしポケモン。きらきらした糸吐く奴でさ、こいつの糸で作った布はすげえ肌ざわり良いんだって」
ソファの隅に放り出したままだったリュックを引き寄せてタブレットを引っ張り出し、「ユキハミ」と検索する。画面に現れた白くて丸っこいポケモンに「まあ」と目を輝かせた。
「とってもおいしそう!アローラにはいないの?」
まさかの発言にずっこけそうになったけど、よく考えたらどくトカゲポケモンだもんな。むしろ当然の反応だわ。
「今のところガラルでしか見つかってねえな。こおりタイプだし寒い場所が好きなポケモンだからアローラは合わねえと思う」
そう、と残念そうに呟きつつ、褐色の指でそっと画面に触れた。
「アタシ、今までずっとアーカラ島にいたからこんなポケモンがいるなんて知らなかった。アーカラ島のことも、アローラのことも、知らないことが沢山あるんでしょうね」
──世界って広ェんだなァ。俺さんもいつか、色んなとこ行って、色んなモン見て回りてェなァ。
脳裏を過るのは夜空の下、小さなランタンで照らした地図を一緒に眺めた時の言葉。まだ〝ベトベター〟だったウヅの声と眼差しにそっくりだ。……でも、あいつと違って、ひどく悲しい色をしている。
悲しい色を宿したまま視線が膝へ落ちた。そこにあるのは紫色の風呂敷包み。メシの時もずっと膝に抱いていて、シャワーの時もバスルームまで持って行くくらい片時も手放したくないもの。何が入ってるんだろう。
俺が口を開く前にどたどた激しい足音がしてウヅが飛び込んできた。いつもは3分もしないうちに出てくるのに今日はゆっくりだったな。
「7分浴びてきた!あと1週間は入んなくていいよな!」
「え、う、うん」
鬼気迫る勢いに思わず頷けば、よっしゃ!とガッツポーズ。1分×7日分ってことか。わりとムチャクチャな理論だけどこいつなりに折り合い付けようと頑張ってくれてるんだし、アリってことにしよう。早速「さっぱりし過ぎて変な感じだ……。やっぱ3日に1回の方がマシかァ……?」とかぼやいてるけど。
緑色の毛先からぽたぽた垂れる水滴を見てヤトちゃんが眉を持ち上げた。
「もう、アナタも髪の毛びしょびしょなのね」
「俺さん短いからすぐ乾くんだよォ」
「そういう問題じゃないの。乾かしてあげるからこっちへいらっしゃいな」
へーい、と大人しく差し出された頭に褐色の手があてがわれる。水気を含んでしっとりしていた緑色はあっという間にふわふわになった。やっぱ短いとすぐ乾くもんだな。
「はい、おしまい」
「えっ終わり?」
わしゃっと髪をかきあげ、「おー」と感嘆の息を漏らす。
「ねっぷう便利だなァ。俺さんも使いてェ」
「ベトベターは覚えねえよ。にほんばれで頑張れ」
「ちぇー。まァいいや、サンキューヤトちゃん」
「どういたしまして」
なんか飲む?という提案に俺は縦に、ヤトちゃんは横に首を振る。サイコソーダをリクエストすれば「以心伝心じゃん」と白い歯が覗いた。
キッチンへ向かったウヅの背中を見送って、そういえば途中だったわね、と俺の髪に再び褐色の手が伸ばされる。もうほぼ乾いたと思うけど気持ちよかったからやってもらおう。
「さっきの話だけれど。〝ユキハミの糸みたい〟は褒めてくれた、のよね?」
「うん。要するに綺麗だなって」
「ふふ、そう。嬉しいわ、ありがとう」
優しい声と指にじんわり瞼が重くなってくる。直後、いきなりほっぺたに冷たいものを押し当てられて一気に覚醒した。
「ギャヒヒヒ、目ェ覚めたァ?」
「おかげさまでな。ソーダありがと」
起こすにしたってもうちょっと他のやり方あったろ。とはいえこのまま寝落ちしたくなかったし、ジト目で睨むだけにしておく。
氷の浮かんだグラスを傾け、よく冷えたサイコソーダを喉へ送った。やっぱ暑い日と風呂上がりはこれだよな。ウヅもごくごくラッパ飲みして、瓶を半分くらいガリッと齧り取る。ふくらんだ頬とガリョガリョ小気味のいい咀嚼音にヤトちゃんがくすくす笑う。
「夕食の時も思ったけど、いい飲みっぷりに食べっぷりね。見ていて気持ちがいいわ」
「ヘヘッ、まァなァ」
ごくんと喉仏が上下に波打つ。再び大きく開いた口に残りの半分が飲み込まれた。こいつ中身より瓶が目当てなとこあるよなあ。
グラスを傾けながらこっそりヤトちゃんを横目で見た。穏やかな眼差しに悲しい色はもうない、けど。……やっぱり、気になる。
「なあ。さっきから気になってたんだけど、その包み何が入ってるんだ?」
それとなく聞いてみれば、紫の瞳が大きく揺れた。唇を真横にひき結び、膝の上の風呂敷を強く強く抱きしめる。ちがう、そんな顔をさせるつもりじゃ、させたいわけじゃなかったのに。
「アタシを育ててくれたおばあさまの遺灰」
ぽつり、呟かれた言葉にパニックになっていた頭が急激に冷えていく。イハイって……遺灰、だよな。
声が出ない。固い石が詰まったみたいに、喉が、肺が、苦しい。ピンクの唇が力なく微笑んだ。
「ホクラニ岳に散骨して、っていう遺言なの」
「……ご、ごめん、俺、その、」
「いいの。アタシこそごめんなさいね、いきなりこんな話をして」
ぶんぶん首を振る。俺が、不用意に踏み込んだりするから。目の奥からじわじわ押し寄せてくる熱を奥歯を噛みしめて必死に耐えた。泣きたいのは、俺じゃないのに。
不意にぽす、とゴツゴツした手が頭に乗せられた。
「……あのさ。よかったら……あんたのばあちゃんの話、聞かせてくれねェかな」
見上げたウヅの横顔はひどく穏やかで、やわらかで。普段の騒がしい声とは打って変わって低く落ち着いた声が耳を撫でる。
「嫌だったらごめんな。けど、どんな人だったのかなァって」
ヤトちゃんはゆっくり瞬きして、そっと口を開いた。
少し長くなるかもしれないけど、いい?
俺もウヅもこっくり頷けば紫色が緩やかに弧を描く。からん、グラスの中で氷が静かに揺れた。