ポケットにナズナを1輪/side:V
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けたたましいサイレンが鳴り響く。「侵入者発生、侵入者発生」と懸命に知らせていたスピーカーはメキメキ音を立てて歪み、ガシャンと床に叩きつけられて沈黙した。
侵入者はどこだ!何が起こっている!早く火を消せ!データは無事なんだろうな!?
悲鳴や怒号が入り交じり、それらを爆発音やガラスの砕ける音が塗り潰す。
「被造物の一端風情が神の真似事など、図に乗るのも大概にしろ」
炎と黒煙の中から現れた少年は、端正な顔に侮蔑を浮かべて吐き捨てた。壁や床を抉り、あらゆる機器を粉砕し、目についたものを片っ端からサイコキネシスで破壊しながら歩を進めていく。飛びかかってくるポケモンを薙ぎ払う度、近くで爆発が起こる度に桃色のおさげ髪が宙を舞ったが、彼の肌にも服にも塵1つ付きはしなかった。
「いたぞ!あそこだ!」
やがてバタバタとやってきた煤まみれの研究員たちにぐるりと囲まれる。彼らは不届きな侵入者を撃退すべく、次々とモンスターボールを放り、あるいは本来の姿に戻る。現れたポケモンの中にフシギバナがいるのを見とめ、少年は微かに眉を寄せた。
胸の前で軽く握った右手を鷹揚に振るう。手のひらから放たれた激しい炎は大の字を象り、フシギバナたちをまとめて焼き払った。同僚たちより数歩分少年から離れていたために唯一灰にならずに済んだ男は、数拍置いてどさりと尻餅をつく。少年がくいっと指を動かせば、男の体はふわりと宙に浮いた。逃げようともがいても体は言うことを聞かない。
「ま、待て!何者だ貴様ッ! 何故我々を襲う!?」
にわかに狼狽しだした男を鼻で笑い、緩く口角を吊り上げた。
「何故?理由などあるものか。……しかしまあ、強いて言うなら。虫の居所 が悪かった」
冷酷な微笑と共にぐっと拳を握る。バシャン、かつて男の形をしていた欠片や雫があたりに飛び散った。壁や床を汚す赤を見下ろし、もう一度鼻で笑う。
鉄の残骸を蹴散らし、肉片を踏みつけ、赤をばら撒きながら奥へ奥へと歩き続ける。道中何度も行く手を阻もうとする者が現れたが、少年はそれら全てを叩き潰した。
研究者も追手も屠り尽くし、やがて鉄格子がずらりと並んだ区画へ足を踏み入れる。狭い檻の中、あらゆる種類のポケモンたちが鎖で縛られ、所狭しと押し込められている。中にはヒトの姿を解けないようにされた者、他より過剰な拘束具を課せられた者もいた。
少年はその光景を静かに見据え、右手を前へかざした。檻の扉を吹き飛ばし、鎖や枷を砕いていく。
「どこへなりとも行け。去る者は追わん」
いきなり現れた謎の少年に警戒心を、あるいは恐怖を抱いていたポケモンたちは、突如与えられた自由に困惑する。そんな中、1匹のピジョットがよたよたと檻から這い出した。ボロボロの翼を引きずりながら懸命に前へ進む。もう一度、自由に大空を飛び回りたい。彼はその思いを支えにこの地獄を耐えてきた。
少年がピジョットに何もしないのを見て、1匹、また1匹と檻を出る。彼らは傷付いた体を支え合い、鉄や肉の焦げる匂いに微かに混じった外の匂い――風、水、草木の匂いをたどって歩き出した。懐かしい故郷、愛しい家族や仲間、トレーナーに思いを馳せながら。
けれど一部のポケモンは低く唸り声を上げ、少年を鋭く睨みつけた。己の本能が「これ は危険だ」と強く叫んでいる。こんな体にされてしまった自分はもう元の居場所へは帰れない。ならばせめて、これ をここで始末しなければ。肌で感じる圧倒的な力の差に竦む手足を鼓舞し、少年へ飛びかかる。
自分に向けられた爪を、牙を、わざを、少年は腕のひと振りで全て弾いた。直後、少年に攻撃したポケモンたちの肉体があっけなく弾け飛ぶ。物言わぬ肉塊と成り果てたそれらを尻目にぽつりと呟いた。
「大人しく外へ出ればよかったものを」
少年は何故彼らが襲いかかってきたのか理解していた。くだらん、と小さく吐き捨てる。どれだけ改造されていようと少年にはどれも〝ポケモン〟に思えた。何故なら彼らは。
哀れだと思わなくはない。だから檻を壊した。しかしその先は――無事に外へ出られるか、故郷へ帰れるか、そんなもの知ったことではない。自分が手を出すのはここまでだ。牙を剥けばへし折るし、逃げようとする意思すら奪われた者をわざわざ介錯してやる義理もない。この施設はもうじき崩れる。逃げないのならどの道死ぬだけだ。
長いおさげ髪を揺らし、少年はひとり、奥を目指した。
*
――ドオン。大きな音と共に全身が揺さぶられ、少女はびくりと目を覚ました。手足の毛を逆立て、身を固くしながら周囲に耳を澄ませる。肌がぴりぴりするし、遠くの方がやけにうるさい。角だって未だ熱を持っている。全身で「いつもと違う」と感じ取れた。他のポケモンたちもそうなのだろう、そわそわ身じろぎしている。
――ドオン。再び轟音。何かとてつもないモノが来る、と少女の血に宿る本能が警鐘を鳴らす。手足が震え、知らず知らずのうちに呼吸が荒くなる。こわい。こわい。こわいのはきらい。……でも。
あれ がここをこわしたら、いたいのも、こわいのも、なくなるかな。
それが胸を過った途端、体の強ばりがすうっと解けていく。ドオン、ドオン、さっきよりも近くから聞こえてきたけれど、少女の震えはもう止まっていた。
炎と煙と血の匂いがどんどん近付いてくる。やがて突然強い風が吹いて、少女たちを囲う鉄格子や手足を縛る鎖が粉々に砕け散った。不意に軽くなった手足を眺め、少女は不思議そうに瞬きする。
『やっと、やっとだ……。もう一度あの空を、自由に……』
『まさか……外へ出られるの?また自由になれるの?』
『誰だか知らんが感謝する!さあ、早く行こう!俺たちはもう自由なんだ!』
少女が不思議なのは、いきなり檻や鎖が壊れたことだけではなかった。これまで周囲から聞こえてくる声は苦痛や絶望、憎悪 ばかりだったのに。じゆう、ってなあに?
次々とポケモンたちが檻を飛び出していく中、少女はいつものように冷たい床の上で大人しくしていた。にげたら、いたくされる。いたいのは、きらい。
様々な声や足音がどんどん遠ざかっていく。けれど1つだけこちらへ近付いてくる足音があった。伏せていた顔を持ち上げれば――澄んだ青。少女は一度も目にしたことのない、抜けるような青空。そこに赤い宝石が1粒浮かんでいる。少女は息をするのも忘れ、ただその美しい瞳に見入っていた。
少女と少年はしばし互いの瞳に互いの姿だけを映す。やがて少年の形のいい唇が小さく動いた。
「―――、――――」
彼の言葉は背後で起こった爆発にかき消されたが、その瞳は少女が初めて見る感情 を宿していた。
「来い」
差し伸べられた手にそっと己の手を重ねる。少年の手は思いのほか大きくて、あたたかかった。
*
少女はいつの間にか見知らぬ場所を歩いていた。ついさっきまで灰色の壁と床に囲まれていたはずなのに、辺りは色鮮やかで、知らない音や匂いで溢れている。けれど、右手から伝わる温もりのお陰で何も怖くはなかった。上から降り注ぐ眩しい光も嫌な感じはしない。
「貴様、名は」
「な?」
不意に発せられた少年の言葉に少女はぱちぱちと瞬いた。首を傾げながら見上げた先で青と視線が交わる。
「貴様の呼称、貴様を呼び表すものだ。奴らから何と呼ばれていた」
「えー、にじゅう、しち」
その答えに少年は不愉快そうに眉根を寄せ、「所詮モルモットに名など与えるわけがなかったか」と吐き捨てた。
「それ は忘れろ。しかし、呼び名がないと不便だな」
くるりと視線を巡らせる。やがて、白い花を沢山つけた小さな野草に目を留めた。傍らにいる少女の白い髪が風に乗ってふわふわ揺れている。
「……ふむ。ナズナにするか」
「なずな?」
「そうだ、ナズナ。これが貴様の名だ」
少年の右手が伸びてきて、少女の頬にそっと触れた。その手も、声も、眼差しも、全部あたたかい。体の内側も外側もぽかぽかする。
なずな、なずな、なずな。噛み締めるように何度も口にした少女はゆっくり頷き――本人は無自覚だったが、ほんの僅かに口端を持ち上げた。それを見た少年の口元もふっとやわらぐ。
「あ……な、たは?」
はじめて温もりをくれたひと。あの施設にいた誰とも違う、はじめての匂いを纏ったひと。あなたは、だれ?
少年は少女の視線をまっすぐ受け止め、その瞳にあの時と同じ感情 を宿した。
「俺様は、ビティス」
「びて……?」
「ビ、ティ、ス、だ」
「び、て、す」
少年を真似てみるがうまく発音できない。何度やっても同じで、むうと口を尖らせる。少年はもう一度手本を示し、「急かしはせんから正確に覚えろ」と右手を少女の頭に軽く乗せた。
「びて、す……。び……てぃ、す」
「ああ」
「びてぃす」
「何だ」
たどたどしく呼ぶ声に律儀に返事をする。少年と少女は手を繋いだまま、ゆっくり森の奥へと姿を消した。
侵入者はどこだ!何が起こっている!早く火を消せ!データは無事なんだろうな!?
悲鳴や怒号が入り交じり、それらを爆発音やガラスの砕ける音が塗り潰す。
「被造物の一端風情が神の真似事など、図に乗るのも大概にしろ」
炎と黒煙の中から現れた少年は、端正な顔に侮蔑を浮かべて吐き捨てた。壁や床を抉り、あらゆる機器を粉砕し、目についたものを片っ端からサイコキネシスで破壊しながら歩を進めていく。飛びかかってくるポケモンを薙ぎ払う度、近くで爆発が起こる度に桃色のおさげ髪が宙を舞ったが、彼の肌にも服にも塵1つ付きはしなかった。
「いたぞ!あそこだ!」
やがてバタバタとやってきた煤まみれの研究員たちにぐるりと囲まれる。彼らは不届きな侵入者を撃退すべく、次々とモンスターボールを放り、あるいは本来の姿に戻る。現れたポケモンの中にフシギバナがいるのを見とめ、少年は微かに眉を寄せた。
胸の前で軽く握った右手を鷹揚に振るう。手のひらから放たれた激しい炎は大の字を象り、フシギバナたちをまとめて焼き払った。同僚たちより数歩分少年から離れていたために唯一灰にならずに済んだ男は、数拍置いてどさりと尻餅をつく。少年がくいっと指を動かせば、男の体はふわりと宙に浮いた。逃げようともがいても体は言うことを聞かない。
「ま、待て!何者だ貴様ッ! 何故我々を襲う!?」
にわかに狼狽しだした男を鼻で笑い、緩く口角を吊り上げた。
「何故?理由などあるものか。……しかしまあ、強いて言うなら。
冷酷な微笑と共にぐっと拳を握る。バシャン、かつて男の形をしていた欠片や雫があたりに飛び散った。壁や床を汚す赤を見下ろし、もう一度鼻で笑う。
鉄の残骸を蹴散らし、肉片を踏みつけ、赤をばら撒きながら奥へ奥へと歩き続ける。道中何度も行く手を阻もうとする者が現れたが、少年はそれら全てを叩き潰した。
研究者も追手も屠り尽くし、やがて鉄格子がずらりと並んだ区画へ足を踏み入れる。狭い檻の中、あらゆる種類のポケモンたちが鎖で縛られ、所狭しと押し込められている。中にはヒトの姿を解けないようにされた者、他より過剰な拘束具を課せられた者もいた。
少年はその光景を静かに見据え、右手を前へかざした。檻の扉を吹き飛ばし、鎖や枷を砕いていく。
「どこへなりとも行け。去る者は追わん」
いきなり現れた謎の少年に警戒心を、あるいは恐怖を抱いていたポケモンたちは、突如与えられた自由に困惑する。そんな中、1匹のピジョットがよたよたと檻から這い出した。ボロボロの翼を引きずりながら懸命に前へ進む。もう一度、自由に大空を飛び回りたい。彼はその思いを支えにこの地獄を耐えてきた。
少年がピジョットに何もしないのを見て、1匹、また1匹と檻を出る。彼らは傷付いた体を支え合い、鉄や肉の焦げる匂いに微かに混じった外の匂い――風、水、草木の匂いをたどって歩き出した。懐かしい故郷、愛しい家族や仲間、トレーナーに思いを馳せながら。
けれど一部のポケモンは低く唸り声を上げ、少年を鋭く睨みつけた。己の本能が「
自分に向けられた爪を、牙を、わざを、少年は腕のひと振りで全て弾いた。直後、少年に攻撃したポケモンたちの肉体があっけなく弾け飛ぶ。物言わぬ肉塊と成り果てたそれらを尻目にぽつりと呟いた。
「大人しく外へ出ればよかったものを」
少年は何故彼らが襲いかかってきたのか理解していた。くだらん、と小さく吐き捨てる。どれだけ改造されていようと少年にはどれも〝ポケモン〟に思えた。何故なら彼らは。
哀れだと思わなくはない。だから檻を壊した。しかしその先は――無事に外へ出られるか、故郷へ帰れるか、そんなもの知ったことではない。自分が手を出すのはここまでだ。牙を剥けばへし折るし、逃げようとする意思すら奪われた者をわざわざ介錯してやる義理もない。この施設はもうじき崩れる。逃げないのならどの道死ぬだけだ。
長いおさげ髪を揺らし、少年はひとり、奥を目指した。
*
――ドオン。大きな音と共に全身が揺さぶられ、少女はびくりと目を覚ました。手足の毛を逆立て、身を固くしながら周囲に耳を澄ませる。肌がぴりぴりするし、遠くの方がやけにうるさい。角だって未だ熱を持っている。全身で「いつもと違う」と感じ取れた。他のポケモンたちもそうなのだろう、そわそわ身じろぎしている。
――ドオン。再び轟音。何かとてつもないモノが来る、と少女の血に宿る本能が警鐘を鳴らす。手足が震え、知らず知らずのうちに呼吸が荒くなる。こわい。こわい。こわいのはきらい。……でも。
それが胸を過った途端、体の強ばりがすうっと解けていく。ドオン、ドオン、さっきよりも近くから聞こえてきたけれど、少女の震えはもう止まっていた。
炎と煙と血の匂いがどんどん近付いてくる。やがて突然強い風が吹いて、少女たちを囲う鉄格子や手足を縛る鎖が粉々に砕け散った。不意に軽くなった手足を眺め、少女は不思議そうに瞬きする。
『やっと、やっとだ……。もう一度あの空を、自由に……』
『まさか……外へ出られるの?また自由になれるの?』
『誰だか知らんが感謝する!さあ、早く行こう!俺たちはもう自由なんだ!』
少女が不思議なのは、いきなり檻や鎖が壊れたことだけではなかった。これまで周囲から聞こえてくる声は
次々とポケモンたちが檻を飛び出していく中、少女はいつものように冷たい床の上で大人しくしていた。にげたら、いたくされる。いたいのは、きらい。
様々な声や足音がどんどん遠ざかっていく。けれど1つだけこちらへ近付いてくる足音があった。伏せていた顔を持ち上げれば――澄んだ青。少女は一度も目にしたことのない、抜けるような青空。そこに赤い宝石が1粒浮かんでいる。少女は息をするのも忘れ、ただその美しい瞳に見入っていた。
少女と少年はしばし互いの瞳に互いの姿だけを映す。やがて少年の形のいい唇が小さく動いた。
「―――、――――」
彼の言葉は背後で起こった爆発にかき消されたが、その瞳は少女が初めて見る
「来い」
差し伸べられた手にそっと己の手を重ねる。少年の手は思いのほか大きくて、あたたかかった。
*
少女はいつの間にか見知らぬ場所を歩いていた。ついさっきまで灰色の壁と床に囲まれていたはずなのに、辺りは色鮮やかで、知らない音や匂いで溢れている。けれど、右手から伝わる温もりのお陰で何も怖くはなかった。上から降り注ぐ眩しい光も嫌な感じはしない。
「貴様、名は」
「な?」
不意に発せられた少年の言葉に少女はぱちぱちと瞬いた。首を傾げながら見上げた先で青と視線が交わる。
「貴様の呼称、貴様を呼び表すものだ。奴らから何と呼ばれていた」
「えー、にじゅう、しち」
その答えに少年は不愉快そうに眉根を寄せ、「所詮モルモットに名など与えるわけがなかったか」と吐き捨てた。
「
くるりと視線を巡らせる。やがて、白い花を沢山つけた小さな野草に目を留めた。傍らにいる少女の白い髪が風に乗ってふわふわ揺れている。
「……ふむ。ナズナにするか」
「なずな?」
「そうだ、ナズナ。これが貴様の名だ」
少年の右手が伸びてきて、少女の頬にそっと触れた。その手も、声も、眼差しも、全部あたたかい。体の内側も外側もぽかぽかする。
なずな、なずな、なずな。噛み締めるように何度も口にした少女はゆっくり頷き――本人は無自覚だったが、ほんの僅かに口端を持ち上げた。それを見た少年の口元もふっとやわらぐ。
「あ……な、たは?」
はじめて温もりをくれたひと。あの施設にいた誰とも違う、はじめての匂いを纏ったひと。あなたは、だれ?
少年は少女の視線をまっすぐ受け止め、その瞳にあの時と同じ
「俺様は、ビティス」
「びて……?」
「ビ、ティ、ス、だ」
「び、て、す」
少年を真似てみるがうまく発音できない。何度やっても同じで、むうと口を尖らせる。少年はもう一度手本を示し、「急かしはせんから正確に覚えろ」と右手を少女の頭に軽く乗せた。
「びて、す……。び……てぃ、す」
「ああ」
「びてぃす」
「何だ」
たどたどしく呼ぶ声に律儀に返事をする。少年と少女は手を繋いだまま、ゆっくり森の奥へと姿を消した。