トリカブトと手を繋ぐ
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***
からからとドアが閉められ、足音が遠ざかっていく。ギナはゆっくりベッドに向き合い、かつて共にカントーを旅した男へ声をかけた。
「久しいな、―――。12年ぶりかい?随分老け込んだね」
「……テメェは変わんねェな、ギナ」
久々に呼ばれたその名は、思いのほか彼の耳に馴染んだ。舌打ちしたくなるような、むず痒いような感覚のまま、以前と全く変わらない姿の男の名を口にする。その音も存外舌に馴染んでいて、むず痒さが増した。
相も変わらず無愛想な彼に、ギナは君だって変わっていないさ、と胸の内で呟きながら口を開く。
「まさか、君がここにいるとは思わなかった。てっきり、とうに死んだものと」
「そりゃァこっちの台詞だ、クソヤブ医者。1年足らずで死ぬんじゃなかったのかよ」
「俺も驚いている。こんな例は初めてだ」
ほんとかよ、という悪態に微笑んでみせる。彼は信じていないようだが、ギナは本気で驚いていた。あの病を患いながら12年も生きていたことも。この口の悪さに懐かしさを覚えている自分にも。
「診察したいんだが、起き上がれるかい?」
「12年前にしただろうが。余計なことすんな」
「そう言わずに」
チッと舌打ちしてゆっくり上体を起こした彼に淡々と問診を行い、薬箱から取り出した聴診器を露になった褐色の胸部に当てていく。ふと「痩せたな」と、名状しがたい感情がギナの胸を過った。
診察結果は12年前と同じ。彼はあの時と同じように「だろうな」とだけ言った。
「入院はどうする?」
「しねェ。こうなっちまったら死に場所はここで……いや、ここがいい」
「……そうか」
それ以上言葉が浮かばなくて押し黙る。こういうことは、初めてではないのに。
コートのボタンを留めながら「……あの女、結婚したのか」と低い声が小さく零れ落ちた。それに何故だか胸を撫で下ろし、口を開く。
「ああ。今では一児の母さ。あの子の顔立ちは彼女とよく似ているから、さぞ驚いただろう」
「驚いたなんてもんじゃねェ。心臓止まるかと思ったぜ。……あの時、あのまま、止まっちまえばよかったんだ」
自棄な調子で吐き捨てられた言葉に苦笑する。ああ、本当に変わっていない。けれどね。
「彼女は変わったよ。いい人に出会ってね。以前のような、自分の身を顧みない無茶もしなくなった」
「……そうかよ」
〝助けられたから助けたい。そうじゃないと助けてもらった価値 がない〟
それがかつての彼女の口癖だった。どんなに止めても諌めても、頑として首を縦に振らなかった頃の。
褐色の右手が顔を覆う。微かに震えた声で「遅ェんだよ、馬鹿女……」と吐き出された悪態は、心からの安堵が滲んでいた。
目元を覆い隠したまま彼は再度問いかける。
「あいつ、幸せか?」
「そう見えるよ。俺の願望も含まれているけれど」
「……そうか。なら、いい」
誰よりあの女を見続けてきたこの男が言うならそうなのだろう。今なら、あの胸糞悪い無理矢理作った笑い方ではなく、心から笑えているのかもしれない。キャロルが生きていた頃のように。
……キャロル。約束、逃げちまってごめんな。でも、あいつ今、幸せなんだと。色々馬鹿なことしやがったけど、途中で投げ出した俺が言えたことじゃねェけど、お前が守った命は、楽しく生きてんだと。
「そういやテメェ、フラれたのか。ざまァねェな」
「いいのさ。彼女が誰を愛そうと、誰と結ばれようと、俺の思いは変わらない」
「フン、言ってろクソガエル」
からかい混じりに言ってやれば、ギナは涼しい顔で平然と答えた。ふてぶてしさは相変わらずだが……以前より自分の感情を自覚できるようになったらしい。昔はもっと戸惑って、持て余しているようだった。見てくれが変わってねェだけで、テメェも変わったのか。
壁の向こうが静かになる。あえて言葉は拾わなかったが、泣いているのはひしひしと伝わってきた。傷つけまいと隠してきたのに、それが却って傷つけていたのだと突きつけられ、己の不甲斐なさに心底打ちのめされる。けれど、左目の痛みはやって来なかった。
「ベトベターの彼、ご子息かい?」
「……さァな」
前髪を乱暴にかき上げ、ごろりとベッドに寝転がる。天井を眺めながら自嘲気味に零した。
「ったく、勝手なモンだな。ずっと死にたかったってのに……いざ死にかけると、死にたくねェって思っちまう」
キャロルを失ってから、ずっとずっと死にたかった。けれど死ねなかった。自殺だけはできなかった。俺はあの女とは違う。俺が後追い自殺なんざすれば、キャロルが泣いて怒ることも、あの女を悲しませることも、わかっていた。それは……それだけは、できない。
病を患った時、漸く会いに行けると思った。どの面下げて、という後ろめたさより、「会いたい」という思いの方がずっと強かった。けれど俺があの女の前で死ねば、あのクソッタレな自己犠牲 は間違いなく悪化する。だから側を離れた。愛想を尽かしたという建前に、これ以上傷つきたくないという本音を隠して。……なのに。
「俺も馬鹿だよなァ。子守りに嫌気が差して逃げたくせに、また性懲りもなく子守りやってよ。罪滅ぼしのつもりかってんだ、クソッタレ」
とにかくカントーから遠くへ行きたくて、適当にアローラ行きの船に乗った。初めて訪れた常夏の地は生憎の大雨で。あてもなくぶらついたマリエシティの片隅で見つけたのは、ボロボロで死にかけている同族のガキ。何でか放っておけなくてちっぽけなその手を掴んだ。
縁とツキに恵まれてリサイクルプラントで世話になることになった時、とっととガキを押し付けてトンズラすりゃァよかったんだ。そもそもアローラには死に場所を探しに来たんだ、長居する気も必要もなかったのに。
「……いや、違ェな。手放せなかったのは、俺の方だ」
ガキの隣も、この場所も、ひどく心地良くて。今度は離したくなくて。ずるずる居座るうちに発作も魘されることも減っていき、このままダラダラ生き続けるのも悪くねェかもしれねェと、少しずつ思えるようになっていった。
「それでも、あのバカの前でだけは、死にたくなかった。死ぬわけにはいかねェと思ってた。……あの女みてェになっちまうんじゃねェかと」
彼の長い独白をギナは黙って聞いていた。共に過ごした時間はそれなりに長いが、無口で頑なな彼がこんなにも自分のことを語るのは初めてだった。腹の内に溜め込んだものを洗いざらいぶちまけたかっただけかもしれないが、彼にその相手として選ばれたことが妙に誇らしい。
昔馴染があんまり珍しい一面を見せるから、酒気に当てられたように思わず口を衝いて出た。
「彼は大丈夫だよ。君が育て、君の背を見て育ったのだから。それに、あの子も側にいる。生き物だから間違えてしまうこともあるだろうけれど……きっとまっすぐ、生きていけるさ」
ギナのやわらかな声と眼差しに少し驚く。あの女以外にもこんな慈しむような目を向けるようになったのか。……やっぱりこいつ、変わったな。
何だか無性に笑い出したくて、くつくつ喉が鳴る。ふふ、と緑の男からも吐息が漏れた。
「今日は随分ベラベラ喋るじゃねェか。昔から舌の回る奴だが、野郎にゃ心底興味ねェくせに」
「なに、かつての仲間に冥土の土産でも、と思ってね」
「余計なお世話だ、色ボケ野郎」
この男とこれほど穏やかな時間を過ごしたことがあっただろうか。そもそもふたりきりで過ごしたことすら初めてかもしれない。それが余計におかしくて、顔を見合わせくっくと笑った。
不意にくらりと眩暈に襲われる。柄にもなく喋り過ぎたせいだろうか。けれど、色々吐き出して腹が決まった。あとは。
「ベトベター 、呼んできてくれ。俺が言う」
「……しかし」
「俺の口から話してェんだ。……頼む」
眉間に深いしわを刻んだギナはぐっと唇を引き結び、やがて「わかった」と頷いた。
念のため、とギナが調合した鎮痛剤を注射で受け、錠剤も幾つか受けとる。
「もういいだろ、さっさと出てけ。最期に拝むのがテメェのツラなんざ御免だ」
「はいはい。キャロル嬢によろしく」
「伝えるかボケ。自分 で言え」
「嫉妬深い男は嫌われるぞ」
「うっせえクソナルシストーカー」
最後まで軽口を叩き合いながら緑の背中を見送る。ドアを開ける直前、赤い瞳が振り向いた。
「……では、さらばだ」
「……あばよ」
ギナはほんの少し口端だけ持ち上げ、今度こそ振り返らずに出て行った。
からからとドアが閉められ、足音が遠ざかっていく。ギナはゆっくりベッドに向き合い、かつて共にカントーを旅した男へ声をかけた。
「久しいな、―――。12年ぶりかい?随分老け込んだね」
「……テメェは変わんねェな、ギナ」
久々に呼ばれたその名は、思いのほか彼の耳に馴染んだ。舌打ちしたくなるような、むず痒いような感覚のまま、以前と全く変わらない姿の男の名を口にする。その音も存外舌に馴染んでいて、むず痒さが増した。
相も変わらず無愛想な彼に、ギナは君だって変わっていないさ、と胸の内で呟きながら口を開く。
「まさか、君がここにいるとは思わなかった。てっきり、とうに死んだものと」
「そりゃァこっちの台詞だ、クソヤブ医者。1年足らずで死ぬんじゃなかったのかよ」
「俺も驚いている。こんな例は初めてだ」
ほんとかよ、という悪態に微笑んでみせる。彼は信じていないようだが、ギナは本気で驚いていた。あの病を患いながら12年も生きていたことも。この口の悪さに懐かしさを覚えている自分にも。
「診察したいんだが、起き上がれるかい?」
「12年前にしただろうが。余計なことすんな」
「そう言わずに」
チッと舌打ちしてゆっくり上体を起こした彼に淡々と問診を行い、薬箱から取り出した聴診器を露になった褐色の胸部に当てていく。ふと「痩せたな」と、名状しがたい感情がギナの胸を過った。
診察結果は12年前と同じ。彼はあの時と同じように「だろうな」とだけ言った。
「入院はどうする?」
「しねェ。こうなっちまったら死に場所はここで……いや、ここがいい」
「……そうか」
それ以上言葉が浮かばなくて押し黙る。こういうことは、初めてではないのに。
コートのボタンを留めながら「……あの女、結婚したのか」と低い声が小さく零れ落ちた。それに何故だか胸を撫で下ろし、口を開く。
「ああ。今では一児の母さ。あの子の顔立ちは彼女とよく似ているから、さぞ驚いただろう」
「驚いたなんてもんじゃねェ。心臓止まるかと思ったぜ。……あの時、あのまま、止まっちまえばよかったんだ」
自棄な調子で吐き捨てられた言葉に苦笑する。ああ、本当に変わっていない。けれどね。
「彼女は変わったよ。いい人に出会ってね。以前のような、自分の身を顧みない無茶もしなくなった」
「……そうかよ」
〝助けられたから助けたい。そうじゃないと
それがかつての彼女の口癖だった。どんなに止めても諌めても、頑として首を縦に振らなかった頃の。
褐色の右手が顔を覆う。微かに震えた声で「遅ェんだよ、馬鹿女……」と吐き出された悪態は、心からの安堵が滲んでいた。
目元を覆い隠したまま彼は再度問いかける。
「あいつ、幸せか?」
「そう見えるよ。俺の願望も含まれているけれど」
「……そうか。なら、いい」
誰よりあの女を見続けてきたこの男が言うならそうなのだろう。今なら、あの胸糞悪い無理矢理作った笑い方ではなく、心から笑えているのかもしれない。キャロルが生きていた頃のように。
……キャロル。約束、逃げちまってごめんな。でも、あいつ今、幸せなんだと。色々馬鹿なことしやがったけど、途中で投げ出した俺が言えたことじゃねェけど、お前が守った命は、楽しく生きてんだと。
「そういやテメェ、フラれたのか。ざまァねェな」
「いいのさ。彼女が誰を愛そうと、誰と結ばれようと、俺の思いは変わらない」
「フン、言ってろクソガエル」
からかい混じりに言ってやれば、ギナは涼しい顔で平然と答えた。ふてぶてしさは相変わらずだが……以前より自分の感情を自覚できるようになったらしい。昔はもっと戸惑って、持て余しているようだった。見てくれが変わってねェだけで、テメェも変わったのか。
壁の向こうが静かになる。あえて言葉は拾わなかったが、泣いているのはひしひしと伝わってきた。傷つけまいと隠してきたのに、それが却って傷つけていたのだと突きつけられ、己の不甲斐なさに心底打ちのめされる。けれど、左目の痛みはやって来なかった。
「ベトベターの彼、ご子息かい?」
「……さァな」
前髪を乱暴にかき上げ、ごろりとベッドに寝転がる。天井を眺めながら自嘲気味に零した。
「ったく、勝手なモンだな。ずっと死にたかったってのに……いざ死にかけると、死にたくねェって思っちまう」
キャロルを失ってから、ずっとずっと死にたかった。けれど死ねなかった。自殺だけはできなかった。俺はあの女とは違う。俺が後追い自殺なんざすれば、キャロルが泣いて怒ることも、あの女を悲しませることも、わかっていた。それは……それだけは、できない。
病を患った時、漸く会いに行けると思った。どの面下げて、という後ろめたさより、「会いたい」という思いの方がずっと強かった。けれど俺があの女の前で死ねば、あのクソッタレな
「俺も馬鹿だよなァ。子守りに嫌気が差して逃げたくせに、また性懲りもなく子守りやってよ。罪滅ぼしのつもりかってんだ、クソッタレ」
とにかくカントーから遠くへ行きたくて、適当にアローラ行きの船に乗った。初めて訪れた常夏の地は生憎の大雨で。あてもなくぶらついたマリエシティの片隅で見つけたのは、ボロボロで死にかけている同族のガキ。何でか放っておけなくてちっぽけなその手を掴んだ。
縁とツキに恵まれてリサイクルプラントで世話になることになった時、とっととガキを押し付けてトンズラすりゃァよかったんだ。そもそもアローラには死に場所を探しに来たんだ、長居する気も必要もなかったのに。
「……いや、違ェな。手放せなかったのは、俺の方だ」
ガキの隣も、この場所も、ひどく心地良くて。今度は離したくなくて。ずるずる居座るうちに発作も魘されることも減っていき、このままダラダラ生き続けるのも悪くねェかもしれねェと、少しずつ思えるようになっていった。
「それでも、あのバカの前でだけは、死にたくなかった。死ぬわけにはいかねェと思ってた。……あの女みてェになっちまうんじゃねェかと」
彼の長い独白をギナは黙って聞いていた。共に過ごした時間はそれなりに長いが、無口で頑なな彼がこんなにも自分のことを語るのは初めてだった。腹の内に溜め込んだものを洗いざらいぶちまけたかっただけかもしれないが、彼にその相手として選ばれたことが妙に誇らしい。
昔馴染があんまり珍しい一面を見せるから、酒気に当てられたように思わず口を衝いて出た。
「彼は大丈夫だよ。君が育て、君の背を見て育ったのだから。それに、あの子も側にいる。生き物だから間違えてしまうこともあるだろうけれど……きっとまっすぐ、生きていけるさ」
ギナのやわらかな声と眼差しに少し驚く。あの女以外にもこんな慈しむような目を向けるようになったのか。……やっぱりこいつ、変わったな。
何だか無性に笑い出したくて、くつくつ喉が鳴る。ふふ、と緑の男からも吐息が漏れた。
「今日は随分ベラベラ喋るじゃねェか。昔から舌の回る奴だが、野郎にゃ心底興味ねェくせに」
「なに、かつての仲間に冥土の土産でも、と思ってね」
「余計なお世話だ、色ボケ野郎」
この男とこれほど穏やかな時間を過ごしたことがあっただろうか。そもそもふたりきりで過ごしたことすら初めてかもしれない。それが余計におかしくて、顔を見合わせくっくと笑った。
不意にくらりと眩暈に襲われる。柄にもなく喋り過ぎたせいだろうか。けれど、色々吐き出して腹が決まった。あとは。
「
「……しかし」
「俺の口から話してェんだ。……頼む」
眉間に深いしわを刻んだギナはぐっと唇を引き結び、やがて「わかった」と頷いた。
念のため、とギナが調合した鎮痛剤を注射で受け、錠剤も幾つか受けとる。
「もういいだろ、さっさと出てけ。最期に拝むのがテメェのツラなんざ御免だ」
「はいはい。キャロル嬢によろしく」
「伝えるかボケ。
「嫉妬深い男は嫌われるぞ」
「うっせえクソナルシストーカー」
最後まで軽口を叩き合いながら緑の背中を見送る。ドアを開ける直前、赤い瞳が振り向いた。
「……では、さらばだ」
「……あばよ」
ギナはほんの少し口端だけ持ち上げ、今度こそ振り返らずに出て行った。