トリカブトと手を繋ぐ
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***
あいつらから、もうすぐ旅に出ると聞いた時。咄嗟に「俺も行く」と口にしていた。
ガキふたりじゃ危なっかしいしな、仕方ねェからついて行ってやる。なんてうだうだ御託を並べる俺の手を両手で包み込み、あいつは火を灯したランタンみてェに笑った。
「嬉しい!これからもよろしくね、―――!」
「……んだそりゃァ」
「あなたの名前!あなたも一緒に旅をしてくれたらいいなって、ふたりで考えてたの」
「こっちから誘おうと思ってたんだけど、先越されちゃった」
ねー、と隣にいるガキと顔を見合わせて笑い合う。背中を走るこそばゆさに耐えきれず、暑苦しい、と振り解けば猛抗議が飛んできた。冷たいだのデリカシーがないだの騒ぐガキどもを適当にいなしながら、あいつの熱が残る左手をそっと握った。
「ねえ、名前、気に入ってくれた?」
「さァな。好きに呼びやがれ」
「もー、素直じゃないんだから!」
「誰がだ」
見上げてくるガキに素っ気なく返す俺へあいつが茶々を入れてくる。こんなやり取りを何度繰り返しただろう。
……俺はただ、あいつの側で、あいつの笑った顔が見たかった。あいつが笑っていてくれたら、それでよかったんだ。
☆
リサイクルプラントの前で今日も今日とておっさんの授業を受ける。今回はベトベターが海岸当番でいないから、生徒は俺だけ。けど、おっさんとふたりで話すのも随分緊張しなくなった。
授業は毎日違う内容だから楽しくて面白くて仕方ない。ほんと色んなこと知ってるよなあ、すげえなあ。明日あいつに見せてやりたくて、いつもより細かく丁寧にメモを取る。
「今日は終 ェだ」
「ありがとうございました!」
恒例の授業終了の言葉を交わし合う。相も変わらず素っ気ないおっさんは懐から煙草の箱を引っ張り出し、──それを、取り落とした。
驚いて見上げたおっさんの顔は、ぐしゃりと歪められていた。苦しげな息を吐き、壁に背中を預けた姿勢のまま、ずるずると頽れる。
「う……ぐ、ぅぁ、」
きつく食いしばられた歯の間から呻き声が漏れた。額も首筋も汗びっしょりだ。
どうしよう、どうしよう。真っ白になった頭の中で、その5文字がぐるぐる駆け回る。どうしよう、こわい、でも、なにかしなきゃ、くるしんでる、なんで、こわい、はやく、かんがえろ、でも、どうしよう、だれか、
誰か、呼んでこなきゃ。
俺じゃだめだ。何もできない、何もわからない。なら、せめて、助けを。
踵を返して駆け出そうとした俺の腕を、褐色の右手が捕まえた。苦痛に塗り潰された黒い右目と視線がぶつかる。
「なん……俺、誰か、呼びに、」
「いい、から……うごく、な」
ミシ、と骨が悲鳴を上げた。痛い。でも、おっさんはもっと痛い。
怖いし、痛いし、もう頭の中ぐちゃぐちゃで、わけわかんねえけど。とにかくおっさんに負担をかけたくない。掴まれてる方と反対の手をおっさんの手に重ねる。
「……わかった。ここにいる。だから、だから……」
どうしても続きが出てこなくて、口を閉じた。ゆっくりと、おっさんの手が緩んでいく。そのまま滑り落ちそうになったそれを今度は俺が捕まえ、そっと握った。少しでも気が紛れるように。早く痛みがどこかへ行くように。
時折鼓膜を刺す苦悶の声に何度も耳を塞ぎたくなったけど、それでもおっさんの手を離さなかった。
長いような短いような時間が過ぎて、ひどく乱れていたおっさんの呼吸が少しずつ落ち着いていく。恐る恐る顔を上げれば、再び黒と目が合った。しんどそうにはしているけど、痛みの色はもう見えない。そこに一先ずほっとする。
「……手、離せ」
倦怠感の乗った声でボソリと呟かれ、慌てて大きな右手を解放した。いつもなら問答無用で振り解きそうなものなのに、その気力すらないのかな。
フードを落とし、露になった濃い紫の短髪を雑に掻き上げたおっさんは、緩慢な動きで額の汗を拭う。おっさんの髪、初めて見たけどこんな色なのか。
涼やかな風が草木を揺らしながらさあっと通り抜けていく。やけに両手が涼しいのが気になって見下ろすと、じっとり汗をかいていた。そりゃそうか、めちゃくちゃ緊張したし、ずっとおっさんの手を握ってたもんな。リュックから引っ張り出したハンカチで片手ずつ拭き取った。
「世話ァかけたな」
「いや、別に……俺、何もしてねえし」
不意に鼓膜を揺らした低音にふるふると首を振る。なんか、調子狂うな……。つーかそれより!!
「もう平気なのか?すっげえ苦しそうだったけど……」
「ああ」
「でも、どっか悪いんだろ。病院行こう。俺の家、病院なんだ。腕のいい医者いっぱいいるから、」
「行かねェ」
冷たい声にぴしゃりと遮られた。けど、と食い下がったら射るような眼光に貫かれ、喉が詰まる。おっさんが時々見せる、奥底で激しい炎が揺れているこの目は、まだ怖い。でも、絶対逸らしたくなくて、睨み返すように黒を見つめた。数秒視線をぶつけ合い、また、前みたいに顔を逸らされる。
「さっきのこと、誰にも言うなよ。特にベトベター には絶対喋るな」
「ちょ、ちょっと待て!あいつ知らねえのか!?」
「だったら何だ」
にべもない言い草にカチンとくる。さっきのは素人目に見ても明らかに尋常じゃなかった。そのくせ病院嫌だって言うし、こんな大事なことベトベターにも話してねえってどういうことだよ!!
「何だよそれ!!あいつがどんだけあんたのこと大好きか、わかってるだろ!?あんたがどっか悪いなんて知ったら、あいつ絶対心配するに決まって――」
自分の言葉にはっとなる。……ああ、そうか。だから黙ってるんだ。俺だって、もし父ちゃんやギナたちが重い病気だって聞かされたら。急に全身が寒くなって、思わずぎゅっと拳を握りしめる。
「……今日はもう帰れ」
静かに告げられた言葉に、ただ頷くしかできなかった。
***
飛んできた石片が俺の左目を抉ったのと。ガキを突き飛ばしたあいつが崩れた壁の下敷きになったのは、ほぼ同時だった。
「キャロルッ!!」
ガキと俺、ふたり分の叫びが響く。痛みなんか一瞬で吹き飛んだ。無我夢中であいつのもとに這いずって行く。胸から下を瓦礫に飲み込まれたあいつは、虚ろな目にガキを映すと、掠れた声でよかった、と零した。そんなになってまで他人の心配かよ、馬鹿野郎!!
続いて緩慢な動きで俺に視線を向け、微かに目を見開いた。
「あ……目、」
「んなモンどうでもいい、今出してやるッ!」
ダストシュートを放とうと瓦礫に左手をかざせば、あいつの右手がそっと触れてくる。触れた場所から伝わるぬるさに心臓がぎしりと悲鳴を上げた。ポケモンだろうとニンゲンだろうと、生き物は弱れば体温が下がる。ふざけんな、テメェほのおタイプだろうが!いつもはもっとあったけェだろ……!!
「あたしはいいから……早く、逃げて」
「喋んな!おい、原型に戻れるか!?お前のサイズなら俺が抱えて、」
「いいの。わかるんだ。これ、助からないやつだ……って」
あいつの右手に弱々しく力が込もった。赤茶色の瞳が緩く細められる。
「お願い、―――。この子を守って」
死にかけのくせに。痛くて苦しくて仕方ねェだろうに。
狭くなった視界の中で、あいつは、馬鹿みてェに優しい顔で笑った。
……クソ。クソ、クソ、クソ、クソ、クソが!!
泣き叫びながら懸命に瓦礫をどかそうとしているガキを無理矢理引き剥がし、しっかり抱えて駆け出した。あいつを置き去りにして。
「―――、戻って!キャロルを助けないと!!」
暴れるガキをマントで包み込む。うるせェ、大人しくしてろ!
あいつは自分よりテメェを守ることを選んだ。自分が死ぬよりテメェを生かすことを選んだ。その決断を、その思いを、無下にできるわけがない。
ガキは未だにぎゃあぎゃあ喚いている。キャロルがまだ向こうにいる。助けなきゃ。まだ間に合うかもしれない。早く戻ろう。助けに行こう。
黙れ。俺だってそうだ。俺だって同じだ。でも、あいつが命懸けで守ったテメェを死なせたら、あいつの命が無駄になっちまう。あいつが命を張った意味がなくなっちまう。それだけは、絶対にさせねェ。
……あいつの代わりに、俺が死ねたらいいのに。
身を焦がすような憤りが痛みとなって潰れた左目に襲い掛かる。両の頬を滑り落ちる生ぬるい液体がそれぞれ色の違う染みを点々と残していく。噛みしめた唇から滲んだ鉄の味が、不快でたまらなかった。
*
「――!――ん、じっちゃん!!」
はっと意識が浮上する。眼前にすっかり狼狽したクソガキのツラ。その奥には見慣れた岩肌。左目に疼痛。……ああ、いつもの夢か。
「大丈夫か?魘されてたぜェ」
「……何でもねェよ。さっさと寝ろ」
少し呼吸を整えてから寝返りを打ち、心配そうに覗き込んでくるクソガキに背を向ける。何か言いたげだったが、間もなく床に寝転がる衣擦れの音がした。相変わらず察しのいいガキだ。背中を向けたままボソリと呟く。
「起こして悪かったな」
「ヘーキだよォ。俺さん寝つきいいし」
言うが早いか寝息が聞こえてきた。呼吸のリズムで演技かどうかくらいわかる。知ってんだよ、テメェの寝つきがいいことも。俺が魘された夜は俺より先に寝ねェことも。ガキのくせに余計な気ィばっか回しやがって。
眼帯の下の左目は未だにズクズク疼いている。痛むから腹が立つのか、腹が立つから痛むのかはわからない。ただ、あの夢を見る度に、左目が痛む度に、どうしようもなく打ちのめされた。
寝たフリが下手くそなクソガキを拾ってからは魘される頻度が随分減っていた。久々にあの夢を見たのは、恐らく。
ズキリ、一際鋭い痛みが走る。とうの昔に視力を失ったくせに、脳裏に焼き付いたあいつの顔はいつまでも鮮明で。
治まらない痛みごと握り潰すように左手で抑え込み、「クソッタレ」と吐き捨てた。
あいつらから、もうすぐ旅に出ると聞いた時。咄嗟に「俺も行く」と口にしていた。
ガキふたりじゃ危なっかしいしな、仕方ねェからついて行ってやる。なんてうだうだ御託を並べる俺の手を両手で包み込み、あいつは火を灯したランタンみてェに笑った。
「嬉しい!これからもよろしくね、―――!」
「……んだそりゃァ」
「あなたの名前!あなたも一緒に旅をしてくれたらいいなって、ふたりで考えてたの」
「こっちから誘おうと思ってたんだけど、先越されちゃった」
ねー、と隣にいるガキと顔を見合わせて笑い合う。背中を走るこそばゆさに耐えきれず、暑苦しい、と振り解けば猛抗議が飛んできた。冷たいだのデリカシーがないだの騒ぐガキどもを適当にいなしながら、あいつの熱が残る左手をそっと握った。
「ねえ、名前、気に入ってくれた?」
「さァな。好きに呼びやがれ」
「もー、素直じゃないんだから!」
「誰がだ」
見上げてくるガキに素っ気なく返す俺へあいつが茶々を入れてくる。こんなやり取りを何度繰り返しただろう。
……俺はただ、あいつの側で、あいつの笑った顔が見たかった。あいつが笑っていてくれたら、それでよかったんだ。
☆
リサイクルプラントの前で今日も今日とておっさんの授業を受ける。今回はベトベターが海岸当番でいないから、生徒は俺だけ。けど、おっさんとふたりで話すのも随分緊張しなくなった。
授業は毎日違う内容だから楽しくて面白くて仕方ない。ほんと色んなこと知ってるよなあ、すげえなあ。明日あいつに見せてやりたくて、いつもより細かく丁寧にメモを取る。
「今日は
「ありがとうございました!」
恒例の授業終了の言葉を交わし合う。相も変わらず素っ気ないおっさんは懐から煙草の箱を引っ張り出し、──それを、取り落とした。
驚いて見上げたおっさんの顔は、ぐしゃりと歪められていた。苦しげな息を吐き、壁に背中を預けた姿勢のまま、ずるずると頽れる。
「う……ぐ、ぅぁ、」
きつく食いしばられた歯の間から呻き声が漏れた。額も首筋も汗びっしょりだ。
どうしよう、どうしよう。真っ白になった頭の中で、その5文字がぐるぐる駆け回る。どうしよう、こわい、でも、なにかしなきゃ、くるしんでる、なんで、こわい、はやく、かんがえろ、でも、どうしよう、だれか、
誰か、呼んでこなきゃ。
俺じゃだめだ。何もできない、何もわからない。なら、せめて、助けを。
踵を返して駆け出そうとした俺の腕を、褐色の右手が捕まえた。苦痛に塗り潰された黒い右目と視線がぶつかる。
「なん……俺、誰か、呼びに、」
「いい、から……うごく、な」
ミシ、と骨が悲鳴を上げた。痛い。でも、おっさんはもっと痛い。
怖いし、痛いし、もう頭の中ぐちゃぐちゃで、わけわかんねえけど。とにかくおっさんに負担をかけたくない。掴まれてる方と反対の手をおっさんの手に重ねる。
「……わかった。ここにいる。だから、だから……」
どうしても続きが出てこなくて、口を閉じた。ゆっくりと、おっさんの手が緩んでいく。そのまま滑り落ちそうになったそれを今度は俺が捕まえ、そっと握った。少しでも気が紛れるように。早く痛みがどこかへ行くように。
時折鼓膜を刺す苦悶の声に何度も耳を塞ぎたくなったけど、それでもおっさんの手を離さなかった。
長いような短いような時間が過ぎて、ひどく乱れていたおっさんの呼吸が少しずつ落ち着いていく。恐る恐る顔を上げれば、再び黒と目が合った。しんどそうにはしているけど、痛みの色はもう見えない。そこに一先ずほっとする。
「……手、離せ」
倦怠感の乗った声でボソリと呟かれ、慌てて大きな右手を解放した。いつもなら問答無用で振り解きそうなものなのに、その気力すらないのかな。
フードを落とし、露になった濃い紫の短髪を雑に掻き上げたおっさんは、緩慢な動きで額の汗を拭う。おっさんの髪、初めて見たけどこんな色なのか。
涼やかな風が草木を揺らしながらさあっと通り抜けていく。やけに両手が涼しいのが気になって見下ろすと、じっとり汗をかいていた。そりゃそうか、めちゃくちゃ緊張したし、ずっとおっさんの手を握ってたもんな。リュックから引っ張り出したハンカチで片手ずつ拭き取った。
「世話ァかけたな」
「いや、別に……俺、何もしてねえし」
不意に鼓膜を揺らした低音にふるふると首を振る。なんか、調子狂うな……。つーかそれより!!
「もう平気なのか?すっげえ苦しそうだったけど……」
「ああ」
「でも、どっか悪いんだろ。病院行こう。俺の家、病院なんだ。腕のいい医者いっぱいいるから、」
「行かねェ」
冷たい声にぴしゃりと遮られた。けど、と食い下がったら射るような眼光に貫かれ、喉が詰まる。おっさんが時々見せる、奥底で激しい炎が揺れているこの目は、まだ怖い。でも、絶対逸らしたくなくて、睨み返すように黒を見つめた。数秒視線をぶつけ合い、また、前みたいに顔を逸らされる。
「さっきのこと、誰にも言うなよ。特に
「ちょ、ちょっと待て!あいつ知らねえのか!?」
「だったら何だ」
にべもない言い草にカチンとくる。さっきのは素人目に見ても明らかに尋常じゃなかった。そのくせ病院嫌だって言うし、こんな大事なことベトベターにも話してねえってどういうことだよ!!
「何だよそれ!!あいつがどんだけあんたのこと大好きか、わかってるだろ!?あんたがどっか悪いなんて知ったら、あいつ絶対心配するに決まって――」
自分の言葉にはっとなる。……ああ、そうか。だから黙ってるんだ。俺だって、もし父ちゃんやギナたちが重い病気だって聞かされたら。急に全身が寒くなって、思わずぎゅっと拳を握りしめる。
「……今日はもう帰れ」
静かに告げられた言葉に、ただ頷くしかできなかった。
***
飛んできた石片が俺の左目を抉ったのと。ガキを突き飛ばしたあいつが崩れた壁の下敷きになったのは、ほぼ同時だった。
「キャロルッ!!」
ガキと俺、ふたり分の叫びが響く。痛みなんか一瞬で吹き飛んだ。無我夢中であいつのもとに這いずって行く。胸から下を瓦礫に飲み込まれたあいつは、虚ろな目にガキを映すと、掠れた声でよかった、と零した。そんなになってまで他人の心配かよ、馬鹿野郎!!
続いて緩慢な動きで俺に視線を向け、微かに目を見開いた。
「あ……目、」
「んなモンどうでもいい、今出してやるッ!」
ダストシュートを放とうと瓦礫に左手をかざせば、あいつの右手がそっと触れてくる。触れた場所から伝わるぬるさに心臓がぎしりと悲鳴を上げた。ポケモンだろうとニンゲンだろうと、生き物は弱れば体温が下がる。ふざけんな、テメェほのおタイプだろうが!いつもはもっとあったけェだろ……!!
「あたしはいいから……早く、逃げて」
「喋んな!おい、原型に戻れるか!?お前のサイズなら俺が抱えて、」
「いいの。わかるんだ。これ、助からないやつだ……って」
あいつの右手に弱々しく力が込もった。赤茶色の瞳が緩く細められる。
「お願い、―――。この子を守って」
死にかけのくせに。痛くて苦しくて仕方ねェだろうに。
狭くなった視界の中で、あいつは、馬鹿みてェに優しい顔で笑った。
……クソ。クソ、クソ、クソ、クソ、クソが!!
泣き叫びながら懸命に瓦礫をどかそうとしているガキを無理矢理引き剥がし、しっかり抱えて駆け出した。あいつを置き去りにして。
「―――、戻って!キャロルを助けないと!!」
暴れるガキをマントで包み込む。うるせェ、大人しくしてろ!
あいつは自分よりテメェを守ることを選んだ。自分が死ぬよりテメェを生かすことを選んだ。その決断を、その思いを、無下にできるわけがない。
ガキは未だにぎゃあぎゃあ喚いている。キャロルがまだ向こうにいる。助けなきゃ。まだ間に合うかもしれない。早く戻ろう。助けに行こう。
黙れ。俺だってそうだ。俺だって同じだ。でも、あいつが命懸けで守ったテメェを死なせたら、あいつの命が無駄になっちまう。あいつが命を張った意味がなくなっちまう。それだけは、絶対にさせねェ。
……あいつの代わりに、俺が死ねたらいいのに。
身を焦がすような憤りが痛みとなって潰れた左目に襲い掛かる。両の頬を滑り落ちる生ぬるい液体がそれぞれ色の違う染みを点々と残していく。噛みしめた唇から滲んだ鉄の味が、不快でたまらなかった。
*
「――!――ん、じっちゃん!!」
はっと意識が浮上する。眼前にすっかり狼狽したクソガキのツラ。その奥には見慣れた岩肌。左目に疼痛。……ああ、いつもの夢か。
「大丈夫か?魘されてたぜェ」
「……何でもねェよ。さっさと寝ろ」
少し呼吸を整えてから寝返りを打ち、心配そうに覗き込んでくるクソガキに背を向ける。何か言いたげだったが、間もなく床に寝転がる衣擦れの音がした。相変わらず察しのいいガキだ。背中を向けたままボソリと呟く。
「起こして悪かったな」
「ヘーキだよォ。俺さん寝つきいいし」
言うが早いか寝息が聞こえてきた。呼吸のリズムで演技かどうかくらいわかる。知ってんだよ、テメェの寝つきがいいことも。俺が魘された夜は俺より先に寝ねェことも。ガキのくせに余計な気ィばっか回しやがって。
眼帯の下の左目は未だにズクズク疼いている。痛むから腹が立つのか、腹が立つから痛むのかはわからない。ただ、あの夢を見る度に、左目が痛む度に、どうしようもなく打ちのめされた。
寝たフリが下手くそなクソガキを拾ってからは魘される頻度が随分減っていた。久々にあの夢を見たのは、恐らく。
ズキリ、一際鋭い痛みが走る。とうの昔に視力を失ったくせに、脳裏に焼き付いたあいつの顔はいつまでも鮮明で。
治まらない痛みごと握り潰すように左手で抑え込み、「クソッタレ」と吐き捨てた。