イヌサフランの芽吹き/age.5
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ぱたん。読み終えたアローラ地方童話集を閉じてふと時計を見れば、短針が10を示していた。ぎょっとして急いで寝巻きに着替える。いつもはとっくに寝ている時間なのに、と首を捻ってから、今日は沢山昼寝をしたことを思い出した。
洗面所で歯磨きを済ませ、何となく喉の渇きを覚えたからリビングへ向かう。ドアを開けると、ギナがキッチンでお湯を沸かしていた。ルヒカに気付いた赤い目が丸くなる。
「おや、まだ起きていたのか」
「ひるねしすぎた。水飲んだらねる」
そう言いつつルヒカは興味深そうにテーブルに近寄る。テーブルの上のお盆にマグカップが複数並べられており、近くにはポットや正方形の缶の他に、初めて見る道具も置かれている。しげしげと缶を眺めながらギナに尋ねた。
「これなに?」
「ロズレイティーの茶葉さ。みんなに差し入れようと思ってね」
「おれも飲みたい」
「これは眠気覚ましだから、今飲んだら余計眠れなくなってしまうよ。代わりにこちらをどうぞ」
いつの間に用意したのか、程よく温められたモーモーミルクが注がれたマグカップを手渡された。お礼と共に受け取り、ふうふう息を吹きかけてそっと啜る。濃厚でまろやかな温もりが口いっぱいに広がって、思わずほう、と息を吐いた。
ルヒカがホットミルクを飲んでいる間、ギナは慣れた手つきでポットに茶葉を入れ、お湯を注ぐ。蓋を閉めてから帽子のようなミトンのようなものを被せ、ニャース型(原種の方だ)のキッチンタイマーをセットした。
「これは?」
「ティーコージーという保温器具だよ。茶葉を蒸らすためにも使われている」
「むらすとどうなるんだ?」
「旨み成分が引き出されて美味しくなるのさ」
「こっちのちっちゃいザルみたいやつは?」
「茶こしといって、カップにお茶を注ぐ際に茶葉が中に入らないように受け止めるものだよ」
茶葉を蒸らす間、ロズレイティーの茶葉はロズレイドが好む甘くて刺激的な葉っぱを発酵させたものだとか、濃いめに淹れてモーモーミルクや甘い蜜、ノメルの実の果汁を混ぜる飲み方もあるとか、マラサダやイッシュ地方銘菓のミアレガレットがよく合うとかいった話を聞かせてもらった。
話が一段落した頃、タイミングよくタイマーが鳴り響いた。ギナは小判部のボタンを押して黙らせ、茶こしで茶葉をこしながらマグカップにお茶を注いでいく。その間にルヒカは飲み終えたマグカップをシンクへ持って行って濯ぎ、水切りかごへ置いた。
「洗ってくれたのか。ありがとうバンビ」
「うん。それ、父ちゃんにも届ける?」
「そのつもりだよ」
「父ちゃんの分、おれがもってく。部屋向かいだし。あったかいうちのほうがいいだろ」
ルヒカと彼の両親、そしてミバとジンコの部屋は3階、ギナとゴーシュの部屋は2階、スタッフルームは1階にある。現在はホウヤが3階、それ以外が1階で作業している。ルヒカの申し出自体はありがたく、「手伝いたい」という気持ちも尊重したいのだが、とはいえ5歳児に熱いものを運ばせるのは危険且つ不安でもあった。
どうしたものかとギナが逡巡していると、リビングの階段へ繋がるドアからミバが顔を出した。ギナは素早くルヒカを屈ませてテーブルの陰に隠し、青いマグカップをお盆の外に置きながら笑みを浮かべる。
「やあミバ、ちょうどいい所に。これをみんなに届けてくれないか。無論、君の分もあるとも」
今何かがいなかったか、と言いたげな訝しんだ目をしていたミバだったが、マグカップの乗ったお盆を渡され、碧眼を三日月形に細めた。
「む、ロズレイティーか。ありがたくいただこう。相変わらず気が利くな君は。こういう所がモテるのだろうよ」
「よしてくれ。俺が格好良くてモテるのは自然の摂理だし、男からの称賛など1ナノミクロンも嬉しくない」
「そういう所も相変わらずだな……」
前髪をかき上げながら優雅に微笑むギナに、ミバは大いに呆れが籠もった視線を向ける。溜め息を吐きながらお盆を持ち直した。
「まあいい、確かに承った。そちらの青いマグはホウヤの分か」
「ああ。彼に用があってね、差し入れついでに話しに行こうと」
「なるほど。こちらも冷めないうちに届けるとしよう。馳走になる」
「どういたしまして」
ミバがリビングから出て行き、階段を下りていく足音が遠ざかってから、ルヒカはゆっくり立ち上がった。
「行ったか?」
「ああ」
「あぶねー。今起きてるのミバに見つかったら大目玉だもんな。ありがと」
「ふふ、どういたしまして」
「つーかお前、父ちゃんに話あるとか、よくそんな息するようにウソつけるよな……引くわ」
「なに、嘘は言っていないとも。用があるのは事実だろう?」
意味ありげに微笑むギナの視線から、逃れるように顔を逸らす。いくら顔が良くて優秀とはいえ、こんな性悪を手持ちにするなんて母も趣味が悪い。彼の全てを見透かしたような目が何となく嫌で、話題を変えた。
「ロズレイティー、1つ残したってことはおれがもってっていいの?」
「ああ。俺も同行しよう」
このくらい一人でやれる、と反論しかけたが、ひっくり返して火傷でもしたら大惨事だと思い直して渋々頷く。ギナはにっこり微笑み、掌から出した葉っぱをマグカップに被せ、つるで固定して即席の蓋を作った。万が一転んだとしても、彼がいれば大惨事が起きる前に自分もマグカップもつるで受け止めてくれるだろう。それにまだ仕事も残っているだろうから、届けた後はすぐにスタッフルームへ戻るはずだ。
ルヒカは恐る恐るマグカップの取っ手を掴み、なるべく揺らさないようにそーっとテーブルから下ろした。
「飲み物を運ぶ時は肘を曲げ、できるだけ体に近づけて、腰の位置あたりの高さで持つと安定しやすいんだ。ああ、手と体をくっつけてはいけないよ。体の振動が直接マグカップに伝わってしまう」
ギナのアドバイスを受けながら一歩一歩ゆっくりと廊下を進んでいく。歩き慣れているはずなのに、やけに長く感じる。この時ばかりは、リビングから一番遠い部屋を使っているホウヤを恨めしく思った。
1分近くかけて、漸く目的の部屋の前に到着した。ルヒカの代わりにギナがノックすると、中から「おう」とぶっきらぼうな返事が返ってくる。
ドアを開けると、落ち着いた色合いの部屋の中、一際鮮やかなオレンジ色に目を引かれた。部屋の奥で、こちらに背を向けたままパソコンに齧り付いている父の髪だ。
部屋を見渡せば、至る所に本やら書類やら新聞やらが乱雑に積み上げられている。父は昔から片付けができないタイプで、ミバが幾度となく苦言を呈しても一向に改善の兆候は見られないらしい。自分のとっ散らかった部屋を思い浮かべ、血の繋がりが如何に強固なものかを噛み締めた。
ギナはルヒカだけを部屋の中に入れ、唇に人差し指を当てながら片目を瞑ると、そのままドアを閉めてしまった。そこで、彼は自分が父と2人で話をしたかったことに、とっくに気付いていたのだと思い至る。ここまで付いてきてもらったこと、気を遣われたことへのお礼を言いそびれてしまった。明日の朝一番に言おうと決心を固めつつ、父の背中に声をかけた。
「父ちゃん、ロズレイティーもってきた」
回転椅子を180度回転させたホウヤは、眼前のマグカップを抱えた息子を見て少しだけ目を見開き、次いで彼の足元に視線を向けて苦笑いを零した。濡らしてはいけないものがそこら中に散らばっているせいで、身動きが取れなかったのだろう。そろそろ本腰を入れて片付けなければいけないのかもしれない。でも見える所に置いとかねえとどこにあるか忘れちまうんだよなあ、と心の中で独りごちた。
脳内で「いい加減、読んだ本は本棚にしまうということを覚えろ!」とばくおんぱを発するミバを追い出し、床に散乱していた本などを拾い集めて隅に寄せて、何とか足場を作る。そして漸く右手でマグカップを受け取り、左手を息子の頭に乗せて軽く跳ねさせた。
「ありがとな」
緩く弧を描く碧眼、温かな骨ばった手。ルヒカの小さな体が安堵と達成感で満たされていく。少年は口元を緩め、満足気に「うん」と頷いた。
「つーか、おれが言えたことじゃねえけど、もうちょっとかたづけろよ」
「ここにあんの全部俺の私物だし、大事な書類とかはスタッフルームか資料室にあるから大丈夫だ」
やけに自信満々な言い草だが、何が大丈夫なのかさっぱりわからない。「こうはなるまい」と思う反面、「自分もいずれこうなるのだろう」という予感めいたものを感じていた。
再び回転椅子にどっかり腰を下ろし、蓋代わりの葉っぱを剥がしてロズレイティーを啜るホウヤ。「あー、美味え」と呟く様は、いつか見たドラマの、仕事を終えたサラリーマンがビールを煽ったシーンを連想させた。父は休憩がてらゆっくりお茶を味わうつもりのようだ。昼間から抱えていた疑問を尋ねるなら、きっと今しかない。
洗面所で歯磨きを済ませ、何となく喉の渇きを覚えたからリビングへ向かう。ドアを開けると、ギナがキッチンでお湯を沸かしていた。ルヒカに気付いた赤い目が丸くなる。
「おや、まだ起きていたのか」
「ひるねしすぎた。水飲んだらねる」
そう言いつつルヒカは興味深そうにテーブルに近寄る。テーブルの上のお盆にマグカップが複数並べられており、近くにはポットや正方形の缶の他に、初めて見る道具も置かれている。しげしげと缶を眺めながらギナに尋ねた。
「これなに?」
「ロズレイティーの茶葉さ。みんなに差し入れようと思ってね」
「おれも飲みたい」
「これは眠気覚ましだから、今飲んだら余計眠れなくなってしまうよ。代わりにこちらをどうぞ」
いつの間に用意したのか、程よく温められたモーモーミルクが注がれたマグカップを手渡された。お礼と共に受け取り、ふうふう息を吹きかけてそっと啜る。濃厚でまろやかな温もりが口いっぱいに広がって、思わずほう、と息を吐いた。
ルヒカがホットミルクを飲んでいる間、ギナは慣れた手つきでポットに茶葉を入れ、お湯を注ぐ。蓋を閉めてから帽子のようなミトンのようなものを被せ、ニャース型(原種の方だ)のキッチンタイマーをセットした。
「これは?」
「ティーコージーという保温器具だよ。茶葉を蒸らすためにも使われている」
「むらすとどうなるんだ?」
「旨み成分が引き出されて美味しくなるのさ」
「こっちのちっちゃいザルみたいやつは?」
「茶こしといって、カップにお茶を注ぐ際に茶葉が中に入らないように受け止めるものだよ」
茶葉を蒸らす間、ロズレイティーの茶葉はロズレイドが好む甘くて刺激的な葉っぱを発酵させたものだとか、濃いめに淹れてモーモーミルクや甘い蜜、ノメルの実の果汁を混ぜる飲み方もあるとか、マラサダやイッシュ地方銘菓のミアレガレットがよく合うとかいった話を聞かせてもらった。
話が一段落した頃、タイミングよくタイマーが鳴り響いた。ギナは小判部のボタンを押して黙らせ、茶こしで茶葉をこしながらマグカップにお茶を注いでいく。その間にルヒカは飲み終えたマグカップをシンクへ持って行って濯ぎ、水切りかごへ置いた。
「洗ってくれたのか。ありがとうバンビ」
「うん。それ、父ちゃんにも届ける?」
「そのつもりだよ」
「父ちゃんの分、おれがもってく。部屋向かいだし。あったかいうちのほうがいいだろ」
ルヒカと彼の両親、そしてミバとジンコの部屋は3階、ギナとゴーシュの部屋は2階、スタッフルームは1階にある。現在はホウヤが3階、それ以外が1階で作業している。ルヒカの申し出自体はありがたく、「手伝いたい」という気持ちも尊重したいのだが、とはいえ5歳児に熱いものを運ばせるのは危険且つ不安でもあった。
どうしたものかとギナが逡巡していると、リビングの階段へ繋がるドアからミバが顔を出した。ギナは素早くルヒカを屈ませてテーブルの陰に隠し、青いマグカップをお盆の外に置きながら笑みを浮かべる。
「やあミバ、ちょうどいい所に。これをみんなに届けてくれないか。無論、君の分もあるとも」
今何かがいなかったか、と言いたげな訝しんだ目をしていたミバだったが、マグカップの乗ったお盆を渡され、碧眼を三日月形に細めた。
「む、ロズレイティーか。ありがたくいただこう。相変わらず気が利くな君は。こういう所がモテるのだろうよ」
「よしてくれ。俺が格好良くてモテるのは自然の摂理だし、男からの称賛など1ナノミクロンも嬉しくない」
「そういう所も相変わらずだな……」
前髪をかき上げながら優雅に微笑むギナに、ミバは大いに呆れが籠もった視線を向ける。溜め息を吐きながらお盆を持ち直した。
「まあいい、確かに承った。そちらの青いマグはホウヤの分か」
「ああ。彼に用があってね、差し入れついでに話しに行こうと」
「なるほど。こちらも冷めないうちに届けるとしよう。馳走になる」
「どういたしまして」
ミバがリビングから出て行き、階段を下りていく足音が遠ざかってから、ルヒカはゆっくり立ち上がった。
「行ったか?」
「ああ」
「あぶねー。今起きてるのミバに見つかったら大目玉だもんな。ありがと」
「ふふ、どういたしまして」
「つーかお前、父ちゃんに話あるとか、よくそんな息するようにウソつけるよな……引くわ」
「なに、嘘は言っていないとも。用があるのは事実だろう?」
意味ありげに微笑むギナの視線から、逃れるように顔を逸らす。いくら顔が良くて優秀とはいえ、こんな性悪を手持ちにするなんて母も趣味が悪い。彼の全てを見透かしたような目が何となく嫌で、話題を変えた。
「ロズレイティー、1つ残したってことはおれがもってっていいの?」
「ああ。俺も同行しよう」
このくらい一人でやれる、と反論しかけたが、ひっくり返して火傷でもしたら大惨事だと思い直して渋々頷く。ギナはにっこり微笑み、掌から出した葉っぱをマグカップに被せ、つるで固定して即席の蓋を作った。万が一転んだとしても、彼がいれば大惨事が起きる前に自分もマグカップもつるで受け止めてくれるだろう。それにまだ仕事も残っているだろうから、届けた後はすぐにスタッフルームへ戻るはずだ。
ルヒカは恐る恐るマグカップの取っ手を掴み、なるべく揺らさないようにそーっとテーブルから下ろした。
「飲み物を運ぶ時は肘を曲げ、できるだけ体に近づけて、腰の位置あたりの高さで持つと安定しやすいんだ。ああ、手と体をくっつけてはいけないよ。体の振動が直接マグカップに伝わってしまう」
ギナのアドバイスを受けながら一歩一歩ゆっくりと廊下を進んでいく。歩き慣れているはずなのに、やけに長く感じる。この時ばかりは、リビングから一番遠い部屋を使っているホウヤを恨めしく思った。
1分近くかけて、漸く目的の部屋の前に到着した。ルヒカの代わりにギナがノックすると、中から「おう」とぶっきらぼうな返事が返ってくる。
ドアを開けると、落ち着いた色合いの部屋の中、一際鮮やかなオレンジ色に目を引かれた。部屋の奥で、こちらに背を向けたままパソコンに齧り付いている父の髪だ。
部屋を見渡せば、至る所に本やら書類やら新聞やらが乱雑に積み上げられている。父は昔から片付けができないタイプで、ミバが幾度となく苦言を呈しても一向に改善の兆候は見られないらしい。自分のとっ散らかった部屋を思い浮かべ、血の繋がりが如何に強固なものかを噛み締めた。
ギナはルヒカだけを部屋の中に入れ、唇に人差し指を当てながら片目を瞑ると、そのままドアを閉めてしまった。そこで、彼は自分が父と2人で話をしたかったことに、とっくに気付いていたのだと思い至る。ここまで付いてきてもらったこと、気を遣われたことへのお礼を言いそびれてしまった。明日の朝一番に言おうと決心を固めつつ、父の背中に声をかけた。
「父ちゃん、ロズレイティーもってきた」
回転椅子を180度回転させたホウヤは、眼前のマグカップを抱えた息子を見て少しだけ目を見開き、次いで彼の足元に視線を向けて苦笑いを零した。濡らしてはいけないものがそこら中に散らばっているせいで、身動きが取れなかったのだろう。そろそろ本腰を入れて片付けなければいけないのかもしれない。でも見える所に置いとかねえとどこにあるか忘れちまうんだよなあ、と心の中で独りごちた。
脳内で「いい加減、読んだ本は本棚にしまうということを覚えろ!」とばくおんぱを発するミバを追い出し、床に散乱していた本などを拾い集めて隅に寄せて、何とか足場を作る。そして漸く右手でマグカップを受け取り、左手を息子の頭に乗せて軽く跳ねさせた。
「ありがとな」
緩く弧を描く碧眼、温かな骨ばった手。ルヒカの小さな体が安堵と達成感で満たされていく。少年は口元を緩め、満足気に「うん」と頷いた。
「つーか、おれが言えたことじゃねえけど、もうちょっとかたづけろよ」
「ここにあんの全部俺の私物だし、大事な書類とかはスタッフルームか資料室にあるから大丈夫だ」
やけに自信満々な言い草だが、何が大丈夫なのかさっぱりわからない。「こうはなるまい」と思う反面、「自分もいずれこうなるのだろう」という予感めいたものを感じていた。
再び回転椅子にどっかり腰を下ろし、蓋代わりの葉っぱを剥がしてロズレイティーを啜るホウヤ。「あー、美味え」と呟く様は、いつか見たドラマの、仕事を終えたサラリーマンがビールを煽ったシーンを連想させた。父は休憩がてらゆっくりお茶を味わうつもりのようだ。昼間から抱えていた疑問を尋ねるなら、きっと今しかない。