トリカブトと手を繋ぐ
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乾いた大地、荒々しく燃え盛る炎の中。ひとりの少年が色とりどりの石を蹴散らし、踏み砕き、跳ね飛ばしていく。少年が歩みを進める度に、炎は激しさを増し、大地はひび割れ、石たちを呑み込んだ。
どれほど歩いただろうか。有象無象の石片の中、少年は唯一光を放っていた小さな小さな純白の石の前で足を止め、そっと拾い上げた。穢れなき新雪を思わせるその石を暫し見つめ、ポケットにしまう。不意に強い風が吹き、炎を鎮め、大地を撫で、少年の長い桃色の髪を巻き上げる。
露わになったその瞳は、抜けるような青空と真っ赤なスピネルを一緒に閉じ込めたような色をしていた。
☆
「──ちゃ~~ん。ルヒカちゃ~~ん、起きて~~。朝ごはん出来たわよ~~」
上からのんびりした声が降ってくる。ゆさゆさ揺さぶられながら瞼を持ち上げれば、褐色とオレンジ色が視界を占めた。
「……おはよ、ジンコ」
「おはよう~~」
欠伸混じりに言うと、ジンコはくすっと笑って俺の頭を撫でる。どうやら寝癖がついていたらしい。
……なんだか、不思議な夢を見た気がする。朧気で断片的だけど、ビティスが出てきたような。もう会えないと思ってたけど、そんなことないのかな。会いてえなあ。話したいことがいっぱいある。
覚醒しきらない頭でぼんやり思考を巡らせるけれど、上手くまとまらない。眠気覚ましに頭を振って、しぱしぱ瞬きする。時計を見たら、普段起きる時間はとっくに過ぎていた。マジか。ミバの声すら聞こえなかったなんて、相当深く眠ってたんだな。
「今日は珍しくお寝坊さんね~~。やっぱり、昨日色々あったから~~疲れが残っちゃったのかしら~~?」
頬に手を添えたジンコから「足の具合はどう~~?」と尋ねられ、右足を動かしてみる。……あれ?
「あんまり……つーか全然痛くねえ」
夜中の時点ではまだ少し痛みが残っていたのに。触ってもつついても全く痛みがない。それを伝えると、ジンコも「あら~~そうなの~~?」と不思議そうに首を傾げた。
「とにかく~~まずは朝ごはん食べちゃいましょう~~」
「うん。今日、なに?」
「サンドイッチよ~~。勿論、チーゴジャムサンドもあるわ~~」
にっこり微笑むジンコ。へへ、やった。なら今日のお供はロズレイティーにしよう。
「歩けそう~~?抱っこしましょうか~~?」
「いいよ。痛くねえから」
ベッドから降りようとする俺に、ジンコが本気なのか茶化しなのかわからない申し出をしてきたので、丁重にお断りする。ギナだともうちょっと判別しやすいんだけどな。からかってくる時は大体ムカつくニヤケ面してるから。
着替えと洗顔を済ませてリビングに向かう。食卓には珍しく全員が揃っていた。朝は大抵いないゴーシュまでいる。
みんなと挨拶を交わすと、父ちゃんからさっきのジンコと同じように「足どうだ」と聞かれた。同じ答えを返せば、父ちゃんは訝しげに片眉を上げる。
「そうなのか?……まあいい、とにかく食え。終わったら診てやる」
頷きつつ自分の席に着いたら、ロズレイティーが注がれたマグカップが置かれていた。思わずギナの顔を見ると、赤い目が緩く細まった。
「君は、チーゴジャムサンドの時はそれだろう?」
やっぱり。ギナはからかい魔の性悪ガエルだけど、すごく気配りが上手い。こういう所がモテるんだろうなあ。あと顔。
お礼を言って、程よい温度のロズレイティーを啜る。テーブルの中央に置かれた皿に盛りつけてある色とりどりのサンドイッチの山から、チーゴジャムサンドを取ってかぶりついた。このつぶつぶの食感と苦味がクセになる。もう1つチーゴジャムサンドを平らげ、お次はたまごサンドを選んだ。
俺がサンドイッチを3つ胃に収める間、ゴーシュはマトマサンドを1つ、ジンコはサンドイッチの山を2皿食べ終えた。ゴーストタイプは殆ど食事を必要としない種族とはいえ、ジンコと並べるとより少食っぷりが際立つ。まあ、ゴーストポケモンの主食は生命力とか魂だったりすることが多いから、食べてないわけじゃないのかもしれない。
全ての皿を空にしてシンクに運び終えると、父ちゃんに呼ばれた。片手に救急箱持っていたから、意図を察して椅子に座り、右足を出す。しゅるしゅると手早く解かれた包帯の下から現れたのは——傷どころか跡すらない、なめらかな皮膚だった。
「え……」
「あぁ?」
俺と父ちゃんの困惑の声が重なる。なんで、どうして?いくら軽傷ったって、エアームドの翼が掠ったのに。夜中に目が覚めた時は、まだ少し痛かったのに。戸惑いながら「こういうこと、ある?」と尋ねると、父ちゃんは頭を振った。
「確かに、切れ味のいいモンでやった切り傷は治りが早えけど、一晩かそこらで治ったりしねえ」
ガシガシ後頭部を掻いた父ちゃんは、洗い物当番ではなかったギナとミバを呼んで、俺の右足を示した。ふたりは寄ってくるなり眉を寄せ、難しい顔をする。数秒の沈黙の後、ミバが口火を切った。
「これは……どういうことだ?まるで、傷を負ったという事実ごと消えてしまったかのような……。包帯を変えた時、何か薬などを使ったか?」
「いや。だから尚更わかんねえ。お前は?手当てしたのお前だよな」
「……俺も、心当たりはない」
やや歯切れ悪く答えるミバ。おっさんのことは秘密にするのがベトベターとの約束だから、手当てはミバにしてもらったことになっている。実際おっさんの手当ては水とタオルしか使ってないから九割ほんとのことだけど、嘘が苦手なミバに口裏を合わせてもらうことに、感謝と申し訳なさが半分ずつ。
父ちゃんは「そうか」と呟き、ギナに視線を向ける。険しい表情のまま無言だったギナはやがてゆっくり口を開いた。
「交錯隔世遺伝、ではないかな」
こうさくかくせいいでん。初めて耳にする単語だ。父ちゃんとミバが「あー……なるほどな」「確かに、それならば説明がつく」となにやら腑に落ちているから、専門用語だろうってのはわかるけど。話に付いていけず戸惑っていると、ギナが解説してくれた。
「遥か昔、人間とポケモンは同じものだったが、徐々に枝分かれしてそれぞれの種族に進化した、というのが定説でね。人間とポケモンの境界が曖昧な時代や、枝分かれしたばかりの頃は、人間とポケモンが結ばれることは珍しくなかった。現代もその名残で、人間にはポケモンの、ポケモンには人間の遺伝子が、ほんの僅かに残っている、とされているんだ」
「たまーにその出涸らしみてえな遺伝子が強く現れるケースがあってな。そういうのを〝交錯隔世遺伝〟っつーんだ。まあ要するに、数千年越しの先祖返りだな」
ギナの言葉に父ちゃんが続ける。前半部分はよくビティスに聞かせて貰った「はじまりの話」にも出てきたから、内容はすんなり入ってきた。あれ、神話とかおとぎ話の類だと思ってたけど、実話なのかな。
「先祖返りってのはわかったけど、俺の怪我が治ったのとどう関係してるんだ?」
「ポケモンの場合、通常と異なる特性──いわゆる〝隠れ特性〟を持つ個体は、概ね交錯隔世遺伝だとされているけれど。人間の場合は原型ポケモンの言葉を理解出来たり、並外れた身体能力を持っていたり、特性を部分的に引き継いでいたり、と多種多様なんだ。君は恐らく、特性が〝さいせいりょく〟や〝しぜんかいふく〟のポケモンが遠い先祖にいたんじゃないかな」
「そっか、怪我がHPの減少とか状態異常って解釈すれば……あれ、でもダメージと傷病って別物なんだよな」
「確かにそうだが、回復系の特性を持つポケモンは傷病の治りも早い傾向がある。その辺りが反映されたのだとすれば、あり得ない話ではないよ」
ギナの話にワクワクしながら耳を傾ける。生命って不思議だなあ、すげえなあ。あとでメモに交錯隔世遺伝について書いておこう。
「つーか〝交錯隔世遺伝かも 〟ってだけでまだ確定じゃねえけどな。どこまでわかるかわかんねえけど、近いうちにちゃんと検査しとくか」
「そうだな。とはいえ仮に本当に交錯隔世遺伝だったとして、祖先に該当するポケモンや特性を発見できるかどうか。あれもまだまだ謎や不明点が多い」
「その辺は調べてみねえと始まんねえだろ。まあともかく、治ってよかったな」
父ちゃんの手が頭に乗せられ、ガシガシ撫で回された。ちょっと痛くて乱暴なその手があったかくて嬉しくて「うん」と大きく頷く。
「じゃ、ひとまずこの件は終わりっつーことで。解散」
パンパンと雑に手を叩いた父ちゃんは、結局出番のなかった救急箱を片付けに行った。その背中をミバが「そうだ、今日の往診のことで確認したいことがあるのだが」と呼びとめ、打ち合わせが始まる。俺も部屋に戻るか。
「バンビ」
不意に呼ばれて振り返れば、赤い瞳と目が合った。昨日と同じように俺の前で片膝をついたギナが、静かで穏やかな、けれどどこか憂いを帯びた表情と声で言葉を紡ぐ。
「君は怪我や病が治りやすい体質なのかもしれない。けれど、すぐ治るからといって自分を犠牲にするような行動は、どうかしないで欲しい。怪我そのものは綺麗に消えても、怪我をしたという事実やその時感じた痛みが、なかったことになるわけではないのだから。昨夜のホウヤも言っていたが、自分を大切にしてくれ」
「……うん。わかった」
俺が頷いたのを見て、ギナの眼差しが和らいだ。そういえば、包帯の下を見てからずっと険しい顔をしていた気がする。それだけ心配してくれたってことなのかな。……でも、なんとなく、それだけじゃないような。
「さて、そろそろ仕事に行くよ。今日は午後からマリエ庭園でペルシアン嬢、レディアン嬢、トサキント嬢、チュリネ嬢とデートの約束があるんだ」
キザったらしく前髪をかき上げ、ジンコに「ご馳走様、今日もおいしかったよ」とウインクを飛ばしてから階段を下りていく。その言動も背中もいつも通りだったから、やっぱり心配してただけかもしれない。
***
とんとんとん。階段を下りる軽い足取りはどうにか維持しているけれど、もう笑顔は崩れてしまった。煮え滾るマグマのような、荒れ狂う濁流のような内側の衝動を抑え込むため、拳を強く強く握りしめる。
……ついに、兆しが現れてしまった。もう暫く時間 はあるはずだが、いつ何が起こるか予測しきれない。もっともっともっと力を蓄えなければ。
あの子が何も気が付かないうちに、知ってしまわないうちに、全て終わらせる。彼女の幸福の象徴であるあの子を必ず守り抜く。
そのためなら、俺は。
「まずは今日の仕事をきちんとこなさないとな。キティたちが俺を待っている」
いつものように微笑んでみせ、スタッフルームへ続くドアを開けた。
どれほど歩いただろうか。有象無象の石片の中、少年は唯一光を放っていた小さな小さな純白の石の前で足を止め、そっと拾い上げた。穢れなき新雪を思わせるその石を暫し見つめ、ポケットにしまう。不意に強い風が吹き、炎を鎮め、大地を撫で、少年の長い桃色の髪を巻き上げる。
露わになったその瞳は、抜けるような青空と真っ赤なスピネルを一緒に閉じ込めたような色をしていた。
☆
「──ちゃ~~ん。ルヒカちゃ~~ん、起きて~~。朝ごはん出来たわよ~~」
上からのんびりした声が降ってくる。ゆさゆさ揺さぶられながら瞼を持ち上げれば、褐色とオレンジ色が視界を占めた。
「……おはよ、ジンコ」
「おはよう~~」
欠伸混じりに言うと、ジンコはくすっと笑って俺の頭を撫でる。どうやら寝癖がついていたらしい。
……なんだか、不思議な夢を見た気がする。朧気で断片的だけど、ビティスが出てきたような。もう会えないと思ってたけど、そんなことないのかな。会いてえなあ。話したいことがいっぱいある。
覚醒しきらない頭でぼんやり思考を巡らせるけれど、上手くまとまらない。眠気覚ましに頭を振って、しぱしぱ瞬きする。時計を見たら、普段起きる時間はとっくに過ぎていた。マジか。ミバの声すら聞こえなかったなんて、相当深く眠ってたんだな。
「今日は珍しくお寝坊さんね~~。やっぱり、昨日色々あったから~~疲れが残っちゃったのかしら~~?」
頬に手を添えたジンコから「足の具合はどう~~?」と尋ねられ、右足を動かしてみる。……あれ?
「あんまり……つーか全然痛くねえ」
夜中の時点ではまだ少し痛みが残っていたのに。触ってもつついても全く痛みがない。それを伝えると、ジンコも「あら~~そうなの~~?」と不思議そうに首を傾げた。
「とにかく~~まずは朝ごはん食べちゃいましょう~~」
「うん。今日、なに?」
「サンドイッチよ~~。勿論、チーゴジャムサンドもあるわ~~」
にっこり微笑むジンコ。へへ、やった。なら今日のお供はロズレイティーにしよう。
「歩けそう~~?抱っこしましょうか~~?」
「いいよ。痛くねえから」
ベッドから降りようとする俺に、ジンコが本気なのか茶化しなのかわからない申し出をしてきたので、丁重にお断りする。ギナだともうちょっと判別しやすいんだけどな。からかってくる時は大体ムカつくニヤケ面してるから。
着替えと洗顔を済ませてリビングに向かう。食卓には珍しく全員が揃っていた。朝は大抵いないゴーシュまでいる。
みんなと挨拶を交わすと、父ちゃんからさっきのジンコと同じように「足どうだ」と聞かれた。同じ答えを返せば、父ちゃんは訝しげに片眉を上げる。
「そうなのか?……まあいい、とにかく食え。終わったら診てやる」
頷きつつ自分の席に着いたら、ロズレイティーが注がれたマグカップが置かれていた。思わずギナの顔を見ると、赤い目が緩く細まった。
「君は、チーゴジャムサンドの時はそれだろう?」
やっぱり。ギナはからかい魔の性悪ガエルだけど、すごく気配りが上手い。こういう所がモテるんだろうなあ。あと顔。
お礼を言って、程よい温度のロズレイティーを啜る。テーブルの中央に置かれた皿に盛りつけてある色とりどりのサンドイッチの山から、チーゴジャムサンドを取ってかぶりついた。このつぶつぶの食感と苦味がクセになる。もう1つチーゴジャムサンドを平らげ、お次はたまごサンドを選んだ。
俺がサンドイッチを3つ胃に収める間、ゴーシュはマトマサンドを1つ、ジンコはサンドイッチの山を2皿食べ終えた。ゴーストタイプは殆ど食事を必要としない種族とはいえ、ジンコと並べるとより少食っぷりが際立つ。まあ、ゴーストポケモンの主食は生命力とか魂だったりすることが多いから、食べてないわけじゃないのかもしれない。
全ての皿を空にしてシンクに運び終えると、父ちゃんに呼ばれた。片手に救急箱持っていたから、意図を察して椅子に座り、右足を出す。しゅるしゅると手早く解かれた包帯の下から現れたのは——傷どころか跡すらない、なめらかな皮膚だった。
「え……」
「あぁ?」
俺と父ちゃんの困惑の声が重なる。なんで、どうして?いくら軽傷ったって、エアームドの翼が掠ったのに。夜中に目が覚めた時は、まだ少し痛かったのに。戸惑いながら「こういうこと、ある?」と尋ねると、父ちゃんは頭を振った。
「確かに、切れ味のいいモンでやった切り傷は治りが早えけど、一晩かそこらで治ったりしねえ」
ガシガシ後頭部を掻いた父ちゃんは、洗い物当番ではなかったギナとミバを呼んで、俺の右足を示した。ふたりは寄ってくるなり眉を寄せ、難しい顔をする。数秒の沈黙の後、ミバが口火を切った。
「これは……どういうことだ?まるで、傷を負ったという事実ごと消えてしまったかのような……。包帯を変えた時、何か薬などを使ったか?」
「いや。だから尚更わかんねえ。お前は?手当てしたのお前だよな」
「……俺も、心当たりはない」
やや歯切れ悪く答えるミバ。おっさんのことは秘密にするのがベトベターとの約束だから、手当てはミバにしてもらったことになっている。実際おっさんの手当ては水とタオルしか使ってないから九割ほんとのことだけど、嘘が苦手なミバに口裏を合わせてもらうことに、感謝と申し訳なさが半分ずつ。
父ちゃんは「そうか」と呟き、ギナに視線を向ける。険しい表情のまま無言だったギナはやがてゆっくり口を開いた。
「交錯隔世遺伝、ではないかな」
こうさくかくせいいでん。初めて耳にする単語だ。父ちゃんとミバが「あー……なるほどな」「確かに、それならば説明がつく」となにやら腑に落ちているから、専門用語だろうってのはわかるけど。話に付いていけず戸惑っていると、ギナが解説してくれた。
「遥か昔、人間とポケモンは同じものだったが、徐々に枝分かれしてそれぞれの種族に進化した、というのが定説でね。人間とポケモンの境界が曖昧な時代や、枝分かれしたばかりの頃は、人間とポケモンが結ばれることは珍しくなかった。現代もその名残で、人間にはポケモンの、ポケモンには人間の遺伝子が、ほんの僅かに残っている、とされているんだ」
「たまーにその出涸らしみてえな遺伝子が強く現れるケースがあってな。そういうのを〝交錯隔世遺伝〟っつーんだ。まあ要するに、数千年越しの先祖返りだな」
ギナの言葉に父ちゃんが続ける。前半部分はよくビティスに聞かせて貰った「はじまりの話」にも出てきたから、内容はすんなり入ってきた。あれ、神話とかおとぎ話の類だと思ってたけど、実話なのかな。
「先祖返りってのはわかったけど、俺の怪我が治ったのとどう関係してるんだ?」
「ポケモンの場合、通常と異なる特性──いわゆる〝隠れ特性〟を持つ個体は、概ね交錯隔世遺伝だとされているけれど。人間の場合は原型ポケモンの言葉を理解出来たり、並外れた身体能力を持っていたり、特性を部分的に引き継いでいたり、と多種多様なんだ。君は恐らく、特性が〝さいせいりょく〟や〝しぜんかいふく〟のポケモンが遠い先祖にいたんじゃないかな」
「そっか、怪我がHPの減少とか状態異常って解釈すれば……あれ、でもダメージと傷病って別物なんだよな」
「確かにそうだが、回復系の特性を持つポケモンは傷病の治りも早い傾向がある。その辺りが反映されたのだとすれば、あり得ない話ではないよ」
ギナの話にワクワクしながら耳を傾ける。生命って不思議だなあ、すげえなあ。あとでメモに交錯隔世遺伝について書いておこう。
「つーか〝交錯隔世遺伝
「そうだな。とはいえ仮に本当に交錯隔世遺伝だったとして、祖先に該当するポケモンや特性を発見できるかどうか。あれもまだまだ謎や不明点が多い」
「その辺は調べてみねえと始まんねえだろ。まあともかく、治ってよかったな」
父ちゃんの手が頭に乗せられ、ガシガシ撫で回された。ちょっと痛くて乱暴なその手があったかくて嬉しくて「うん」と大きく頷く。
「じゃ、ひとまずこの件は終わりっつーことで。解散」
パンパンと雑に手を叩いた父ちゃんは、結局出番のなかった救急箱を片付けに行った。その背中をミバが「そうだ、今日の往診のことで確認したいことがあるのだが」と呼びとめ、打ち合わせが始まる。俺も部屋に戻るか。
「バンビ」
不意に呼ばれて振り返れば、赤い瞳と目が合った。昨日と同じように俺の前で片膝をついたギナが、静かで穏やかな、けれどどこか憂いを帯びた表情と声で言葉を紡ぐ。
「君は怪我や病が治りやすい体質なのかもしれない。けれど、すぐ治るからといって自分を犠牲にするような行動は、どうかしないで欲しい。怪我そのものは綺麗に消えても、怪我をしたという事実やその時感じた痛みが、なかったことになるわけではないのだから。昨夜のホウヤも言っていたが、自分を大切にしてくれ」
「……うん。わかった」
俺が頷いたのを見て、ギナの眼差しが和らいだ。そういえば、包帯の下を見てからずっと険しい顔をしていた気がする。それだけ心配してくれたってことなのかな。……でも、なんとなく、それだけじゃないような。
「さて、そろそろ仕事に行くよ。今日は午後からマリエ庭園でペルシアン嬢、レディアン嬢、トサキント嬢、チュリネ嬢とデートの約束があるんだ」
キザったらしく前髪をかき上げ、ジンコに「ご馳走様、今日もおいしかったよ」とウインクを飛ばしてから階段を下りていく。その言動も背中もいつも通りだったから、やっぱり心配してただけかもしれない。
***
とんとんとん。階段を下りる軽い足取りはどうにか維持しているけれど、もう笑顔は崩れてしまった。煮え滾るマグマのような、荒れ狂う濁流のような内側の衝動を抑え込むため、拳を強く強く握りしめる。
……ついに、兆しが現れてしまった。もう暫く
あの子が何も気が付かないうちに、知ってしまわないうちに、全て終わらせる。彼女の幸福の象徴であるあの子を必ず守り抜く。
そのためなら、俺は。
「まずは今日の仕事をきちんとこなさないとな。キティたちが俺を待っている」
いつものように微笑んでみせ、スタッフルームへ続くドアを開けた。