トリカブトと手を繋ぐ
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家に着いた後、ミバはすぐ仕事に戻ったし、みんなも忙しそうにしていたから、結局怪我の経緯を説明したのは夕飯が終わってからだった。
まず前提として、最近野生のベトベターと友達になったこと、そいつがリサイクルプラントで働いてるから、最近ははずれの岬で一緒に遊んでることを話した。
ポケモンを連れずに野生ポケモンと会ってたことは勿論危険だって怒られたけど、仲良くなったこと自体は咎められなかった。てっきり、トレーナーじゃないから仲良くしちゃ駄目って言われるかと思ったのに。そう言えば、「相手が人間でもポケモンでも、野生でもそうじゃなくても。もうダチになったんなら外野がどうこう言うことじゃねえだろ」って頭をぐしゃぐしゃにされた。……よかった。これからも、あいつと遊んでいいんだ。
「危ないことはしない(ひとりで草むらに入るとか)」「ベトベターの野生としての生き方を壊さない(餌付けとか)」としっかり約束を交わし、漸く本題に入る。
おっさんのことは誰にも言わない約束だから、いつもみたいにふたりではずれの岬で遊んでたら、突然現れたエアームドにベトベターが襲われて、思わず体が動いて庇い、怪我をした。そしたらリサイクルプラントのベトベトンが来てくれて、エアームドを気絶させた。そこにミバが来た……という風に話した。
俺が話し終わるや否や、ミバの怒声が部屋中に響き渡った。
「何をしているんだ君は!!」
家が揺れるほどの大音量。二重の意味で耳が痛い。ぎゅっと唇を噛み締め、俯きたくなるのを必死に我慢しながらミバを見上げた。
「守りたい、助けたいという思いは大切だ!立派だ!それ自体は決して悪いことではない!だが、身を挺せば良いというものではないんだぞ!!守り方も助け方も、手段は1つではないッ!!」
どんどん声量を増すミバの叫びと怒りだけではない表情に、胸がぎゅうぎゅう締め付けられた。溢れた涙がぼろぼろ頬を伝う。
「声でけえよ。近所迷惑だろが」
続けようとするミバに父ちゃんが背後からバサッとタオルを被せた途端、急に静かになった。目隠しされると大人しくなる鳥ポケモンの習性をいきなり実践され、驚いて涙が少し引っ込む。
「あとは俺が話すから、お前ちょっと落ち着け」
父ちゃんはミバをジンコに預け、しゃがんで俺と目線を合わせた。静かな声が響く。
「俺たちが何に怒ってるか、わかるか」
「お……おれが、むちゃして、しんぱい、かけた……から?」
しゃくり上げながら答えると、父ちゃんは「そうだ」と頷き、俺の頭をくしゃっと撫でた。
「お前が大怪我したり死んだりしたら、父ちゃんも母ちゃんもミバたちも全員泣くぞ。いいのか」
「い、いや、だ」
「そうだな。俺も泣かされるのは嫌だし、泣かすのも嫌だ」
父ちゃんは自分の額を俺の額にこつんとぶつけた。厳しくて優しい声がすぐ近くで聞こえる。
「誰かを大事に思うなら、自分も大事にしてやれ。体張る前に、自分 を大事に思ってる奴がいるってこと、思い出せ」
「うん」
「ミバや俺が言ったこと、わかんなくてもいいから覚えとけ。忘れてもまた何度でも教えてやる」
「……うん」
「まあ、何にせよ。軽傷で良かった」
最後の一言に何かの糸がぷつんと切れた。いろんなのが一気にぶわーっと押し寄せて来て、父ちゃんの首にしがみつき、思いっ切りわあわあ泣いた。背中をゆっくり撫でてくれる手があったかくて、優しくて、もっと泣いた。
気が済むまで存分に泣いてからやっと父ちゃんを離した。肩をぐしょぐしょにしてしまった申し訳なさと気恥しさで首を竦める。父ちゃんは目を細めて緩く口角を持ち上げ、いつものちょっと乱暴なやり方で俺の前髪をぐしゃぐしゃ撫でた。
「俺のターンはここまで。言いたいことがあるやつは今のうち言っとけ」
立ち上がってぐうっと伸びをし、ソファに身を預けた父ちゃんと入れ替わるように、今まで黙って座っていたギナが「では、俺が」と席を立った。ゆっくり俺の前に片膝を着く。珍しく微笑んでいないから、背中に寒気が走る。
「バンビ。まだ幼い君にこの話をするのは酷だが、幼いうちから言って聞かせた方がいいかもしれない、と判断した」
赤い瞳が細められる。どことなく冷たさを宿すその表情は、初めて見るはずなのに何となく見覚えがあった。既視感の正体を探ろうと逸れかける思考を慌てて追い出し、赤を見つめ返す。
「以前、故意であれ事故であれ、人間を殺したポケモンは殺処分される場合もある、と教えたろう。君の行為は、君自身もエアームドも危険に晒したんだ」
静かに語られた言葉に、氷でガツンと殴られたような衝撃が走り、ヒュッと息を飲んだ。……そこまで、考えてなかった。そっか、そういうことも、あるんだ。じわりと視界が滲み、強く強く唇を噛む。ぽたぽた、と床に新しい染みを作った。
ギナの右手が伸びてきて、そっと俺の頬を包み込んだ。細い眉が寄せられ、真紅に苦しげな色が混じる。
「ミバも言っていた通り、守りたい、助けたいという思いは大切で、それ自体は悪いことではない。けれど、死なないことと同じくらい、殺されないこと、殺させないことも大切だと、覚えておいてくれ。ポケモンと、何より君自身を守るために」
「……うん」
ギナは優しく微笑むと、また溢れ出した涙を長い指でそっと拭ってくれた。
「沢山泣いたから、明日は瞼が腫れてしまうかもしれないな。寝る前によく冷やすといい」
こっくり頷くとぽんぽん、と撫でられた。父ちゃんはぐしゃぐしゃやるけど、ギナはぽんぽんってするんだよな。
ギナが渡してくれたティッシュで鼻をかむ。ちょっとスッキリしたら、不意に別の声に名前を呼ばれた。
「ルヒカちゃん」
「は、はいっ」
ビクッと肩を跳ねさせ、声の方へ恐る恐る顔を向ける。いつの間にか床に正座したジンコが、にっこり微笑んでいた。隣にはタオルを外したミバが仁王立ちしている。
「こっちへいらっしゃい」
「……はい」
にこにこしてるのに目が全く笑ってない。語尾も伸びてない。背中を冷たい汗が滑り落ちる。ヤバい。ちびりそう。めちゃくちゃ怖え。まだ続くのかコレ。超逃げたい。
……でも、皆にこれだけ怒られるようなことをしたんだ。それだけ心配かけて、こんなに心配されてるんだ。がくがく震える足を何とか動かしてふたりの正面に座る。もちろん正座で。
「……遺伝って怖えな」
「まったくだ」
ため息混じりの父ちゃんの呟きにギナが深く頷いたけれど、絶賛叱られ中の俺には知る由もなかった。
☆
ジンコとミバにこってり絞られ、昼間の件もあってへとへとになった俺は、部屋に戻るなりベッドに直行した。
足を怪我してたからすぐに正座は勘弁して貰えたけど、にこにこしながら叱られるのと大声で怒鳴られるのを交互にやられるのはめちゃくちゃキツかった。多分今日、ここ1年で一番泣いた。
説教が終わってからの記憶は疲れと眠気で少しあやふやだけど、確か父ちゃんと風呂に入って、頭と体洗って貰って、包帯も換えて貰ったんだっけ。
ベッドに入ったら爆睡して、朝まで起きることはない……なんてことはなかった。何故か途中でばっちり目が覚めてしまった。
時計を見ようと目を開けようとして、目元に何か乗っていることに気付く。触ってみたら、すっかり温くなった濡れタオルだった。ああ、そういやギナが腫れるだろうから冷やしとけって言ってた。あいつがやってくれたのかな。
タオルをどかして起き上がり、ベッドサイドテーブルを手探りで探る。探り当てた時計のスイッチを押すと、淡いオレンジの光を放った。眩しさに目をしぱしぱさせながら時間を確認すれば、午前2時。マジかよ……。
畳んだタオルと一緒に時計をサイドテーブルに戻す。もう一度布団に潜り込んだけれど、なかなか眠れない。おかしい。寝付きは悪くない方なのに。
何度寝返りを打っても、何匹ウールーを数えても、全然眠気がやって来ないから、諦めて起き上がった。右足を動かしてみる。まだ少し痛むけど、歩くのに問題はなさそうだ。水でも飲んで来ようかな。
裸足でぺたぺた真っ暗な廊下を歩く。リビングに続くドアをなるべく音を立てないように開け、キッチンに向かった。
「こんな時間にどうしたの」
闇の中から突然そんな声がして、思わず悲鳴を上げそうになる。恐る恐る周りを見渡せば、いつの間にかすぐ側にゴーシュが立っていた。それはそれでビックリしたけど、声の主がゴーシュだったことに、ほっと胸を撫で下ろす。
「なんだ、ゴーシュか。脅かすなよ」
「ごめんね。そういうつもりはなかったんだけど」
口を尖らせて抗議する。眉を八の字にして頬を掻いたゴーシュは、もう一度どうしたの、と聞いてきた。
「なんか目が覚めちゃって、水飲みに来た。お前は?」
「月が綺麗だから、エネココアでも飲みながらお月見しようかなって。ルヒカくんもどう?」
「じゃあ、いただきます。ありがと」
「どういたしまして」
座ってていいよ、と言うのでお言葉に甘える。目が闇に慣れてきたのと、窓から煌々と差し込む月光のお陰で少しは周りが見えるようになったけれど、明るい場所と同じようには動けない。一方ゴーシュはいつも通り、むしろいつも以上に見えているみたいだ。ゴーストタイプだもんな。
「あまいミツ入れる?」
文字通り甘い誘惑に少し迷ってから頷く。エネココア飲むならどっちみちもう一回歯磨きしなきゃだし。
手渡されたマグカップを受け取り、お礼を言ってからふうふう息を吹きかけた。一口啜れば、濃厚でクリーミーな甘さと温もりが口に広がり、喉を通り、腹に落ちていく。ゴーシュが作るエネココアは他のみんなが作るやつより甘い。本人曰く、濃い味が好きだかららしい。
ぼんやり今日の出来事を思い返す。さっき父ちゃんたちに言われたことで頭がいっぱいだったけれど、もう1つ、大きな問題があった。
「……あのさ」
「なあに?」
「俺、今日……えっと、知り合いを、すげえ怒らせちゃって。……謝りたいけど、どう謝ったらいいかわかんねえんだ。つーか、謝っていいのかも、わかんねえ」
父ちゃんたちに怒られた理由はわかったけれど、正直おっさんが何であそこまで怒ったのかはわからない。下手なことをすればまた怒らせてしまうかもしれない。そう思うと、どうすればいいか益々わからなくなる。
ゴーシュは少し考え込み、エネココアを一口飲んでからゆっくり口を開いた。
「ルヒカくんの知り合いがどんなひとかわからないけど。おじさんは、やらない後悔よりやる後悔の方が素敵だと思うよ。人生、何があるかわからないしね。伝えたいことがあるなら、伝えられるうちに伝えておいた方がいいんじゃないかな。死んでからじゃ遅いから」
ゴーシュの低くてゆったりした声と言葉が、パンに浸したスープみたいにゆっくり心に染み込んでくる。
「どう謝ればいいのかわからない、の方は……そうだな、とりあえず思ってることをそのまま言葉にしてみたらどう?心の言語化、っていうのかな。ルヒカくん、そういうの上手だと思うんだけど」
「……うん、わかった。やってみる」
上手かどうかはわかんねえけど、でも、勇気出た。要するに俺、ビビってたんだ。大きく頷けば、ゴーシュはにっこり微笑んで「がんばれ」と言ってくれた。
程よく冷めたエネココアを啜りながらもらった言葉を反芻する。その中で、ふと気になったことを聞いてみた。
「なあ、ゴーシュもやっておけばよかったって思ったこと、ある?」
「そりゃああるよ。惜しいことしたなあってこと、沢山ね。でも、おじさんはやってよかったことの方が多いかな。今の生活も楽しいし、結構満足してる」
「そっか」
頬杖をつき、目を三日月形にしてのんびり語る。なるほど、ゴーシュは普段そんなこと考えてるのか。でも。
「結構 満足、なんだな」
何気なく呟くと、ゴーシュは目を丸くして、それから喉でくつくつ笑い出した。あ、これツボった時の笑い方だ。今の何がツボったのか全然わかんねえ。昔からこいつのツボは謎だ。
「そうだねえ。おじさんは欲張りだから、心の底から満足するにはまだ足りないや。一番欲しいものもまだ手に入ってないし。まあ、これはこれで楽しいからいいんだ。すきなものほど、さいごに取っておきたいしね」
「ふうん」
ゴーシュは微笑みながら楽しそうに話してくれるのに、何となく……寒気を感じるのは何でだろう。こいつがゲンガーだからかな。
よくわかんねえけど、ゴーシュが楽しいならまあいいか。俺は好きなもの最初に食べる派だけど。それより、エネココアのお陰か段々眠くなってきた。くああ、と大きく欠伸をしたら、ゴーシュはふふっと小さく笑った。
「そろそろベッドに戻ったら?カップはおじさんが片付けておくから」
「んー……ありがと。おやすみ」
「おやすみ」
微笑むゴーシュにひらひら手を振ってリビングを後にする。
……あ、歯磨きしなきゃ。
***
「やっておけばよかったこと、か」
リビングにひとり残ったゴーシュは、月を見上げながら楽しげに呟いた。思い浮かぶのは、朧気で霞がかった記憶の中で、今でもはっきり覚えているひとのこと。あの夜も、月が綺麗だった。
「もっとちゃんと、おかあさんたちに〝だいすき〟って言っておけばよかったなあ。俺の愛情表現はわかりにくいらしいし、言葉にしないと伝わらないことってあるもんね」
勝手に暴れ出しそうになる右手を左手で抑え込む。だめだよ、今はまだ。ちゃんと我慢しなくちゃ。そういう〝約束〟なんだから。
ルヒカくんも、ご主人も、ホウヤくんも、ミバくんも、ジンコちゃんも、──ギナも。
「殺したいなあ 、みんな」
ぺろり、唇についたエネココアを舐めとった。
まず前提として、最近野生のベトベターと友達になったこと、そいつがリサイクルプラントで働いてるから、最近ははずれの岬で一緒に遊んでることを話した。
ポケモンを連れずに野生ポケモンと会ってたことは勿論危険だって怒られたけど、仲良くなったこと自体は咎められなかった。てっきり、トレーナーじゃないから仲良くしちゃ駄目って言われるかと思ったのに。そう言えば、「相手が人間でもポケモンでも、野生でもそうじゃなくても。もうダチになったんなら外野がどうこう言うことじゃねえだろ」って頭をぐしゃぐしゃにされた。……よかった。これからも、あいつと遊んでいいんだ。
「危ないことはしない(ひとりで草むらに入るとか)」「ベトベターの野生としての生き方を壊さない(餌付けとか)」としっかり約束を交わし、漸く本題に入る。
おっさんのことは誰にも言わない約束だから、いつもみたいにふたりではずれの岬で遊んでたら、突然現れたエアームドにベトベターが襲われて、思わず体が動いて庇い、怪我をした。そしたらリサイクルプラントのベトベトンが来てくれて、エアームドを気絶させた。そこにミバが来た……という風に話した。
俺が話し終わるや否や、ミバの怒声が部屋中に響き渡った。
「何をしているんだ君は!!」
家が揺れるほどの大音量。二重の意味で耳が痛い。ぎゅっと唇を噛み締め、俯きたくなるのを必死に我慢しながらミバを見上げた。
「守りたい、助けたいという思いは大切だ!立派だ!それ自体は決して悪いことではない!だが、身を挺せば良いというものではないんだぞ!!守り方も助け方も、手段は1つではないッ!!」
どんどん声量を増すミバの叫びと怒りだけではない表情に、胸がぎゅうぎゅう締め付けられた。溢れた涙がぼろぼろ頬を伝う。
「声でけえよ。近所迷惑だろが」
続けようとするミバに父ちゃんが背後からバサッとタオルを被せた途端、急に静かになった。目隠しされると大人しくなる鳥ポケモンの習性をいきなり実践され、驚いて涙が少し引っ込む。
「あとは俺が話すから、お前ちょっと落ち着け」
父ちゃんはミバをジンコに預け、しゃがんで俺と目線を合わせた。静かな声が響く。
「俺たちが何に怒ってるか、わかるか」
「お……おれが、むちゃして、しんぱい、かけた……から?」
しゃくり上げながら答えると、父ちゃんは「そうだ」と頷き、俺の頭をくしゃっと撫でた。
「お前が大怪我したり死んだりしたら、父ちゃんも母ちゃんもミバたちも全員泣くぞ。いいのか」
「い、いや、だ」
「そうだな。俺も泣かされるのは嫌だし、泣かすのも嫌だ」
父ちゃんは自分の額を俺の額にこつんとぶつけた。厳しくて優しい声がすぐ近くで聞こえる。
「誰かを大事に思うなら、自分も大事にしてやれ。体張る前に、
「うん」
「ミバや俺が言ったこと、わかんなくてもいいから覚えとけ。忘れてもまた何度でも教えてやる」
「……うん」
「まあ、何にせよ。軽傷で良かった」
最後の一言に何かの糸がぷつんと切れた。いろんなのが一気にぶわーっと押し寄せて来て、父ちゃんの首にしがみつき、思いっ切りわあわあ泣いた。背中をゆっくり撫でてくれる手があったかくて、優しくて、もっと泣いた。
気が済むまで存分に泣いてからやっと父ちゃんを離した。肩をぐしょぐしょにしてしまった申し訳なさと気恥しさで首を竦める。父ちゃんは目を細めて緩く口角を持ち上げ、いつものちょっと乱暴なやり方で俺の前髪をぐしゃぐしゃ撫でた。
「俺のターンはここまで。言いたいことがあるやつは今のうち言っとけ」
立ち上がってぐうっと伸びをし、ソファに身を預けた父ちゃんと入れ替わるように、今まで黙って座っていたギナが「では、俺が」と席を立った。ゆっくり俺の前に片膝を着く。珍しく微笑んでいないから、背中に寒気が走る。
「バンビ。まだ幼い君にこの話をするのは酷だが、幼いうちから言って聞かせた方がいいかもしれない、と判断した」
赤い瞳が細められる。どことなく冷たさを宿すその表情は、初めて見るはずなのに何となく見覚えがあった。既視感の正体を探ろうと逸れかける思考を慌てて追い出し、赤を見つめ返す。
「以前、故意であれ事故であれ、人間を殺したポケモンは殺処分される場合もある、と教えたろう。君の行為は、君自身もエアームドも危険に晒したんだ」
静かに語られた言葉に、氷でガツンと殴られたような衝撃が走り、ヒュッと息を飲んだ。……そこまで、考えてなかった。そっか、そういうことも、あるんだ。じわりと視界が滲み、強く強く唇を噛む。ぽたぽた、と床に新しい染みを作った。
ギナの右手が伸びてきて、そっと俺の頬を包み込んだ。細い眉が寄せられ、真紅に苦しげな色が混じる。
「ミバも言っていた通り、守りたい、助けたいという思いは大切で、それ自体は悪いことではない。けれど、死なないことと同じくらい、殺されないこと、殺させないことも大切だと、覚えておいてくれ。ポケモンと、何より君自身を守るために」
「……うん」
ギナは優しく微笑むと、また溢れ出した涙を長い指でそっと拭ってくれた。
「沢山泣いたから、明日は瞼が腫れてしまうかもしれないな。寝る前によく冷やすといい」
こっくり頷くとぽんぽん、と撫でられた。父ちゃんはぐしゃぐしゃやるけど、ギナはぽんぽんってするんだよな。
ギナが渡してくれたティッシュで鼻をかむ。ちょっとスッキリしたら、不意に別の声に名前を呼ばれた。
「ルヒカちゃん」
「は、はいっ」
ビクッと肩を跳ねさせ、声の方へ恐る恐る顔を向ける。いつの間にか床に正座したジンコが、にっこり微笑んでいた。隣にはタオルを外したミバが仁王立ちしている。
「こっちへいらっしゃい」
「……はい」
にこにこしてるのに目が全く笑ってない。語尾も伸びてない。背中を冷たい汗が滑り落ちる。ヤバい。ちびりそう。めちゃくちゃ怖え。まだ続くのかコレ。超逃げたい。
……でも、皆にこれだけ怒られるようなことをしたんだ。それだけ心配かけて、こんなに心配されてるんだ。がくがく震える足を何とか動かしてふたりの正面に座る。もちろん正座で。
「……遺伝って怖えな」
「まったくだ」
ため息混じりの父ちゃんの呟きにギナが深く頷いたけれど、絶賛叱られ中の俺には知る由もなかった。
☆
ジンコとミバにこってり絞られ、昼間の件もあってへとへとになった俺は、部屋に戻るなりベッドに直行した。
足を怪我してたからすぐに正座は勘弁して貰えたけど、にこにこしながら叱られるのと大声で怒鳴られるのを交互にやられるのはめちゃくちゃキツかった。多分今日、ここ1年で一番泣いた。
説教が終わってからの記憶は疲れと眠気で少しあやふやだけど、確か父ちゃんと風呂に入って、頭と体洗って貰って、包帯も換えて貰ったんだっけ。
ベッドに入ったら爆睡して、朝まで起きることはない……なんてことはなかった。何故か途中でばっちり目が覚めてしまった。
時計を見ようと目を開けようとして、目元に何か乗っていることに気付く。触ってみたら、すっかり温くなった濡れタオルだった。ああ、そういやギナが腫れるだろうから冷やしとけって言ってた。あいつがやってくれたのかな。
タオルをどかして起き上がり、ベッドサイドテーブルを手探りで探る。探り当てた時計のスイッチを押すと、淡いオレンジの光を放った。眩しさに目をしぱしぱさせながら時間を確認すれば、午前2時。マジかよ……。
畳んだタオルと一緒に時計をサイドテーブルに戻す。もう一度布団に潜り込んだけれど、なかなか眠れない。おかしい。寝付きは悪くない方なのに。
何度寝返りを打っても、何匹ウールーを数えても、全然眠気がやって来ないから、諦めて起き上がった。右足を動かしてみる。まだ少し痛むけど、歩くのに問題はなさそうだ。水でも飲んで来ようかな。
裸足でぺたぺた真っ暗な廊下を歩く。リビングに続くドアをなるべく音を立てないように開け、キッチンに向かった。
「こんな時間にどうしたの」
闇の中から突然そんな声がして、思わず悲鳴を上げそうになる。恐る恐る周りを見渡せば、いつの間にかすぐ側にゴーシュが立っていた。それはそれでビックリしたけど、声の主がゴーシュだったことに、ほっと胸を撫で下ろす。
「なんだ、ゴーシュか。脅かすなよ」
「ごめんね。そういうつもりはなかったんだけど」
口を尖らせて抗議する。眉を八の字にして頬を掻いたゴーシュは、もう一度どうしたの、と聞いてきた。
「なんか目が覚めちゃって、水飲みに来た。お前は?」
「月が綺麗だから、エネココアでも飲みながらお月見しようかなって。ルヒカくんもどう?」
「じゃあ、いただきます。ありがと」
「どういたしまして」
座ってていいよ、と言うのでお言葉に甘える。目が闇に慣れてきたのと、窓から煌々と差し込む月光のお陰で少しは周りが見えるようになったけれど、明るい場所と同じようには動けない。一方ゴーシュはいつも通り、むしろいつも以上に見えているみたいだ。ゴーストタイプだもんな。
「あまいミツ入れる?」
文字通り甘い誘惑に少し迷ってから頷く。エネココア飲むならどっちみちもう一回歯磨きしなきゃだし。
手渡されたマグカップを受け取り、お礼を言ってからふうふう息を吹きかけた。一口啜れば、濃厚でクリーミーな甘さと温もりが口に広がり、喉を通り、腹に落ちていく。ゴーシュが作るエネココアは他のみんなが作るやつより甘い。本人曰く、濃い味が好きだかららしい。
ぼんやり今日の出来事を思い返す。さっき父ちゃんたちに言われたことで頭がいっぱいだったけれど、もう1つ、大きな問題があった。
「……あのさ」
「なあに?」
「俺、今日……えっと、知り合いを、すげえ怒らせちゃって。……謝りたいけど、どう謝ったらいいかわかんねえんだ。つーか、謝っていいのかも、わかんねえ」
父ちゃんたちに怒られた理由はわかったけれど、正直おっさんが何であそこまで怒ったのかはわからない。下手なことをすればまた怒らせてしまうかもしれない。そう思うと、どうすればいいか益々わからなくなる。
ゴーシュは少し考え込み、エネココアを一口飲んでからゆっくり口を開いた。
「ルヒカくんの知り合いがどんなひとかわからないけど。おじさんは、やらない後悔よりやる後悔の方が素敵だと思うよ。人生、何があるかわからないしね。伝えたいことがあるなら、伝えられるうちに伝えておいた方がいいんじゃないかな。死んでからじゃ遅いから」
ゴーシュの低くてゆったりした声と言葉が、パンに浸したスープみたいにゆっくり心に染み込んでくる。
「どう謝ればいいのかわからない、の方は……そうだな、とりあえず思ってることをそのまま言葉にしてみたらどう?心の言語化、っていうのかな。ルヒカくん、そういうの上手だと思うんだけど」
「……うん、わかった。やってみる」
上手かどうかはわかんねえけど、でも、勇気出た。要するに俺、ビビってたんだ。大きく頷けば、ゴーシュはにっこり微笑んで「がんばれ」と言ってくれた。
程よく冷めたエネココアを啜りながらもらった言葉を反芻する。その中で、ふと気になったことを聞いてみた。
「なあ、ゴーシュもやっておけばよかったって思ったこと、ある?」
「そりゃああるよ。惜しいことしたなあってこと、沢山ね。でも、おじさんはやってよかったことの方が多いかな。今の生活も楽しいし、結構満足してる」
「そっか」
頬杖をつき、目を三日月形にしてのんびり語る。なるほど、ゴーシュは普段そんなこと考えてるのか。でも。
「
何気なく呟くと、ゴーシュは目を丸くして、それから喉でくつくつ笑い出した。あ、これツボった時の笑い方だ。今の何がツボったのか全然わかんねえ。昔からこいつのツボは謎だ。
「そうだねえ。おじさんは欲張りだから、心の底から満足するにはまだ足りないや。一番欲しいものもまだ手に入ってないし。まあ、これはこれで楽しいからいいんだ。すきなものほど、さいごに取っておきたいしね」
「ふうん」
ゴーシュは微笑みながら楽しそうに話してくれるのに、何となく……寒気を感じるのは何でだろう。こいつがゲンガーだからかな。
よくわかんねえけど、ゴーシュが楽しいならまあいいか。俺は好きなもの最初に食べる派だけど。それより、エネココアのお陰か段々眠くなってきた。くああ、と大きく欠伸をしたら、ゴーシュはふふっと小さく笑った。
「そろそろベッドに戻ったら?カップはおじさんが片付けておくから」
「んー……ありがと。おやすみ」
「おやすみ」
微笑むゴーシュにひらひら手を振ってリビングを後にする。
……あ、歯磨きしなきゃ。
***
「やっておけばよかったこと、か」
リビングにひとり残ったゴーシュは、月を見上げながら楽しげに呟いた。思い浮かぶのは、朧気で霞がかった記憶の中で、今でもはっきり覚えているひとのこと。あの夜も、月が綺麗だった。
「もっとちゃんと、おかあさんたちに〝だいすき〟って言っておけばよかったなあ。俺の愛情表現はわかりにくいらしいし、言葉にしないと伝わらないことってあるもんね」
勝手に暴れ出しそうになる右手を左手で抑え込む。だめだよ、今はまだ。ちゃんと我慢しなくちゃ。そういう〝約束〟なんだから。
ルヒカくんも、ご主人も、ホウヤくんも、ミバくんも、ジンコちゃんも、──ギナも。
「
ぺろり、唇についたエネココアを舐めとった。