トリカブトと手を繋ぐ
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気が向いたらまた話そう、なんて言ったけれど。俺とベトベターは、あの日から毎日会っている。
俺は一度本を開くと時間を忘れて読み耽るから、最近は外のベンチで読むようになった。昼頃にあいつがやって来て、1時間くらい喋ったら、あいつは仕事、俺は読書の続き。
色んな話をした。嬉しかったこと。楽しかったこと。驚いたこと。今日食べたもののこと。リサイクルプラントのこと。野生ポケモンの暮らしこと。他の地方のポケモンのこと。人間のこと。お互いの家族のこと。きのみ図鑑を持って行って、このきのみはどんな味でどんな効果があるとか、あのきのみはこういう食べ方をするとうまいとか、なんて話もした。ベトベターはザロクの実が一番好きらしい。
ベトベターと話すのは本当に楽しくて、あいつと話せば話すほど、段々ビティスのことを思い出さなくなっていった。
「じゃ、また明日なァ」
「うん、また明日」
お決まりの挨拶を交わして、地面と溶け合っていくあいつを見送る。そんな日々が半月ほど続いたある日。ベトベターが、来なかった。
はじめは仕事が長引いてるのかと思った。そういう日もあるって聞いていたから。もしくは、デカくて噛み応えのある好みドストライクなゴミがあったから、夢中でかぶりついているのかもしれない。
けれど、待てども待てども現れなくて、とうとうベトベターがいつも仕事に戻る時間を過ぎても、やって来なかった。
……もしかして、また怪我をしてどこかで倒れてるんじゃ。嫌な想像が脳裏を過ぎる。また急に友達と会えなくなるかもしれない。それに気付いた瞬間、いてもたってもいられなくて、はずれの岬を目指して駆け出した。
☆
ほとんど運動しないくせにいきなり全力疾走なんてするから、肺と足が悲鳴を上げている。それを無視して無理矢理動かしたせいで、はずれの岬に到着した時点でヘロヘロになってしまった。ぜえ、はあ、膝に手を当てて荒い息を吐く。もうちょっと体力つけよう。
漸く呼吸が落ち着いたからゆっくり顔を上げた。目の前には青々とした草むらが広がっている。時々、がさりと風ではない揺れが起こる。ひょっこり顔を出したチラーミィは、俺と目が合った瞬間素早く頭を引っ込めた。
……つーか、思わずここまで来ちゃったけど、どうしよう。リサイクルプラントで「ベトベターいますか?」って尋ねるか?いやでも「どのベトベターですか?」って言われたらどうするんだ。向こうが気付いてくれればいいけど、あいつの原型の姿は見たことないから、見分けられる自信はない。そもそもあいつが今リサイクルプラントにいるとは限らないし。
うーん、と唸りながら視線を巡らせると、草むらに囲まれている岩壁に、うつ伏せの状態でべったり貼りついているベトベターを見つけた。さっと背筋が冷える。俺が立っている場所からだと、遠くて怪我をしているかどうかまでは見えない。もっと近付くには、草むらに入る必要がある。
ポケモンを持たずに草むらに入ってはいけない。人間の子どもなら誰しも聞かされたことのある言葉が胸中を掠めた。あいつじゃないかもしれない。ただ寝ているだけかもしれない。でも、もし、怪我をしたあいつだったら。あいつじゃなくても怪我をしていたら。
リュックから今日のデザートのオボンの実を取り出し、落とさないようしっかり握りしめる。何となく取っておいて良かった。
様子を、見るだけだ。ポケモンたちを脅かさないようにそーっと近づいて、寝てるだけだったら回れ右。怪我をしてたら、オボンの実を側において回れ右。たったそれだけ。それくらいなら、俺にもできるはず。
ごくんと唾を飲み込んで、オボンの実を握り直す。草むら目がけて右足を一歩踏み出そうとした瞬間──背後からぐんと襟首を引っ掴まれた。そのまま体が浮きあがるや否や投げ出され、マリモのような低木に頭から突っ込む。
「ぶわっ!?」
顔面ダイブの弾みでオボンの実を離してしまった。状況が飲み込めずジタバタもがいていると、ドスの利いた声が鼓膜を揺らした。
「ポケモンも連れずに何考えてんだクソチビ。死にてェのか」
言葉が詰まる。不用意に野生ポケモンに近付いた人間が、ポケモンを連れていようといまいと、怪我をしたり死亡したりする事件は決して少なくない。加えて、被害者の大半はポケモンを持たない人間だ。反論の余地もない俺に、更なる追い打ちが降ってくる。
「おまけにきのみなんざぶら下げやがって。どうぞ狙ってくださいと言ってるようなモンだろ」
あ、と声を漏らした。そこまで考えが及ばなかった。気が動転していたとはいえ、あまりにも軽率だ。痛いのもポケモンを脅かすのも嫌だし、俺が怪我したら皆に心配かける。……止めてもらえて、良かった。
もぞもぞ頭を引っ張り出し、お礼を述べようと振り返る。声の主は強面の厳ついおっさんだった。眉間には深いシワが刻まれ、鋭い眼差しの左側が眼帯で覆われている。視線が交わった瞬間、フードから覗くおっさんの目が大きく見開かれた。一歩、二歩と後退って、呻くように呟く。
「テメェ……、テメェは……!!」
予想だにしない反応に面食らう。苦しげに顔を歪めているのに、吸い寄せられたかのように俺から視線を離さない。その視線が持つ圧に、アーボに睨まれたニョロゾのように指1本も動かせなくなる。口の中が急速に乾いていく。
おっさん、俺のこと知ってんのか?重たい唇を何とか持ち上げてそれを音にする前に、馴染みのある陽気な声が響いた。
「じっちゃーん!ただいまァー!」
マリエシティの方角から大きく右手を振りながら走ってくるのは、探し人ならぬ探しベトベターだった。
「ほい土産。大漁だぜェ」
左手で振り回していた、煙草の吸い殻が詰め込まれた袋をおっさんに差し出す。いつの間にか平静を取り戻したらしいおっさんは、軽く息を吐き、袋を受け取った方と反対側の手で、ベトベターの頭をぐしゃぐしゃ乱暴にかき混ぜた。この手つきは俺もよく知ってる。くすぐったそうに笑ったベトベターは、ふと俺を見取り、きょとりと首を傾けた。
「あれ、何でルヒカがここに?」
「何でって……お前が来ないから、どうしたのかと思って」
「いけねェ、話してなかったか」
ぴしゃっと額を打ったベトベター曰く、リサイクルプラントでは月に一度、各島のビーチに赴いて漂流物やポイ捨てゴミを食べて回る「海岸当番」というものがあるらしい。誰が担当かはローテーションが組まれているとか。
「海岸当番の時は早朝から昼過ぎまでいねェんだ。言っときゃよかったな、すまねェ」
「いいんだ。俺の早とちりでよかった」
眉を八の字にするベトベターに首を振る。そうだ、俺こそ言うべきことを言っておかないと。そっぽを向いて煙草をふかしているおっさんに向き直り、頭を下げた。
「止めてくれて、ありがとうございました」
おっさんは顔を背けたまま、ぶっきらぼうに「ああ」とだけ言った。物珍しげに今のやり取りを眺めていたベトベターが口を挟む。
「そういやじっちゃん、何で外にいるんだァ?」
「煙草休憩」
なるほどなァ、と頷きながら、俺の顔や頭にくっついていた葉っぱを取ってくれる。「ありがと」と言えば、気にすんなとばかりに俺の頭をくしゃりと撫でた。
「折角だから紹介するぜェ。こっちはじっちゃん。俺さんの親みたいなヒト。んで、こいつはダチのルヒカ」
前半は俺、後半はおっさんに向けて言う。ああ、このおっさんが〝じっちゃん〟だったのか。言われてみれば確かに、フードもマントもコートも、模様や色合いが原種ベトベトンを思わせる。内緒って約束したから口には出さないけれど。
それにしても……ダチ、か。初めて言われた。胸の内側がくすぐったい。
「うちのバカが世話になってるみてェだな」
「あ、いえ、こちらこそ」
おっさんが俺を一瞥し、ぼそりと呟いた。向こうから話しかけてくるとは思わなかったから、少しどもる。
会話終了。何となく気まずい沈黙を破ったのは、ベトベターの「あ」という気の抜けた声だ。ズボンのポケットをごそごそ漁り、中身を引っ張り出す。
「心配かけちまったお詫びと言っちゃァなんだけど、コレやるよォ。14番道路で拾ったんだァ」
差し出された手には、菱形で紫色の綺麗な石が乗っていた。中央に不思議なマークが浮かんでいる。色んな本で何度も見た。この形、このマーク、間違いない。
「Zクリスタルだ……!すげえ、現物初めて見た!色とマーク的にドクZか?うわーこんなに綺麗なのか……すげえ、すげえなあ!これ貴重なものだぞ、ほんとに貰っていいのか!?」
ベトベターはニカッと歯を見せ、興奮する俺の手にZクリスタルを握らせてくれた。
「おう。よくわかんねェけど、元々お前さんにやろうと思ってたんだ。気に入ってくれたんなら良かった」
「ありがとう!大事にする!」
すべすべの石をぎゅっと握りしめる。これは絶対、絶対失くさない。何処にしまっておこうか。肌身離さず持ち歩くのがいいかな。
今までむっつり紫煙を燻らせていたおっさんが徐に吸殻を口に放り込み、「そろそろ戻るぞ」と声をかけた。
「うーい。じゃァなルヒカ、今度こそまた明日ァ」
ベトベターはヒラヒラと手を振って、さっさとリサイクルプラントに向かったおっさんを追いかける。
「なァじっちゃん、午後の仕事終わったら稽古つけてくれよォ」
「めんどくせェ。覚えたきゃ勝手に盗め」
「ヘヘッ、やりィ」
紫と、それにじゃれつく緑の背中を暫く見送ってから、Zクリスタルを日に透かしてみる。小さいメテノが手の中にいるみたいだ。それをしっかり握りしめて、くるりと踵を返した。
***
すっかり暗くなった空が星で埋め尽くされた頃。日課の稽古を終えた俺さんは、額の汗を拭い、昼間聞きそびれていたことを漸く切り出した。
「……じっちゃん、怒った?」
「あ?」
煙草を咥えたじっちゃんの不機嫌そうな声と視線が飛んでくる。拾われたばっかの頃は、怒らせちまったといちいちビビってたっけなァ。今は目つきの悪さも眉間のシワも、標準装備だってちゃんとわかってるけど、今日は別だ。視線を下げながらもごもご続ける。
「じっちゃんはニンゲン嫌いなのに……俺さん、ニンゲンと仲良くしてたから」
じっちゃんは鼻を鳴らし、煙と一緒に「くだらねェ」と吐き捨てた。
「テメェの交友関係に興味なんざねェよ。つるみてェ奴とつるんでろ」
つっけんどんな言い分に少し気が楽になる。少なくとも、そこに関しては怒ってねェらしい。多分これからも。……じゃァ、何で。
じっちゃんは短くなった煙草を噛み砕き、ぼそっと付け加えた。
「……まァ、向こうはまだチビだからな。あんまり引っ張り回すんじゃねェぞ」
「うん」
じっちゃん、絶対目つきの悪さと愛想のなさで損してるよなァ。これ言ったら拳骨落とされそうだから言わねェけど。
そろそろ寝るか、とじっちゃんに促され、長年寝床にしている岩壁の割れ目に潜り込む。入り口はニンゲンのガキがやっと通れる程度だけれど、中は大人の男ふたりが横になれるくらいの広さがあった。
普通のベトベターは地面とかに溶け込んで寝るのに、じっちゃんは寝る時すら原型に戻りたがらない。最近は原型に戻るのが嫌なんじゃなくて、擬人化が癖になってんじゃねェかって気もする。
隣で目を閉じるじっちゃんの横顔をこっそり盗み見た。じっちゃんはニンゲンが嫌いだ。けど、社長さんや社員さんたちとは普通に接してるし、ニンゲンなら誰彼構わず敵意を向けるようなこともしない。なのに。
怒ってねェなら、何でルヒカには親の仇でも見るような目ェしたんだよ。あいつ、あんたのニンゲン嫌いと関係あんのか?俺の初めてのダチは……あんたの、敵なのか?
何度も喉から出かかったそれは、ついぞ言葉にできなかった。
俺は一度本を開くと時間を忘れて読み耽るから、最近は外のベンチで読むようになった。昼頃にあいつがやって来て、1時間くらい喋ったら、あいつは仕事、俺は読書の続き。
色んな話をした。嬉しかったこと。楽しかったこと。驚いたこと。今日食べたもののこと。リサイクルプラントのこと。野生ポケモンの暮らしこと。他の地方のポケモンのこと。人間のこと。お互いの家族のこと。きのみ図鑑を持って行って、このきのみはどんな味でどんな効果があるとか、あのきのみはこういう食べ方をするとうまいとか、なんて話もした。ベトベターはザロクの実が一番好きらしい。
ベトベターと話すのは本当に楽しくて、あいつと話せば話すほど、段々ビティスのことを思い出さなくなっていった。
「じゃ、また明日なァ」
「うん、また明日」
お決まりの挨拶を交わして、地面と溶け合っていくあいつを見送る。そんな日々が半月ほど続いたある日。ベトベターが、来なかった。
はじめは仕事が長引いてるのかと思った。そういう日もあるって聞いていたから。もしくは、デカくて噛み応えのある好みドストライクなゴミがあったから、夢中でかぶりついているのかもしれない。
けれど、待てども待てども現れなくて、とうとうベトベターがいつも仕事に戻る時間を過ぎても、やって来なかった。
……もしかして、また怪我をしてどこかで倒れてるんじゃ。嫌な想像が脳裏を過ぎる。また急に友達と会えなくなるかもしれない。それに気付いた瞬間、いてもたってもいられなくて、はずれの岬を目指して駆け出した。
☆
ほとんど運動しないくせにいきなり全力疾走なんてするから、肺と足が悲鳴を上げている。それを無視して無理矢理動かしたせいで、はずれの岬に到着した時点でヘロヘロになってしまった。ぜえ、はあ、膝に手を当てて荒い息を吐く。もうちょっと体力つけよう。
漸く呼吸が落ち着いたからゆっくり顔を上げた。目の前には青々とした草むらが広がっている。時々、がさりと風ではない揺れが起こる。ひょっこり顔を出したチラーミィは、俺と目が合った瞬間素早く頭を引っ込めた。
……つーか、思わずここまで来ちゃったけど、どうしよう。リサイクルプラントで「ベトベターいますか?」って尋ねるか?いやでも「どのベトベターですか?」って言われたらどうするんだ。向こうが気付いてくれればいいけど、あいつの原型の姿は見たことないから、見分けられる自信はない。そもそもあいつが今リサイクルプラントにいるとは限らないし。
うーん、と唸りながら視線を巡らせると、草むらに囲まれている岩壁に、うつ伏せの状態でべったり貼りついているベトベターを見つけた。さっと背筋が冷える。俺が立っている場所からだと、遠くて怪我をしているかどうかまでは見えない。もっと近付くには、草むらに入る必要がある。
ポケモンを持たずに草むらに入ってはいけない。人間の子どもなら誰しも聞かされたことのある言葉が胸中を掠めた。あいつじゃないかもしれない。ただ寝ているだけかもしれない。でも、もし、怪我をしたあいつだったら。あいつじゃなくても怪我をしていたら。
リュックから今日のデザートのオボンの実を取り出し、落とさないようしっかり握りしめる。何となく取っておいて良かった。
様子を、見るだけだ。ポケモンたちを脅かさないようにそーっと近づいて、寝てるだけだったら回れ右。怪我をしてたら、オボンの実を側において回れ右。たったそれだけ。それくらいなら、俺にもできるはず。
ごくんと唾を飲み込んで、オボンの実を握り直す。草むら目がけて右足を一歩踏み出そうとした瞬間──背後からぐんと襟首を引っ掴まれた。そのまま体が浮きあがるや否や投げ出され、マリモのような低木に頭から突っ込む。
「ぶわっ!?」
顔面ダイブの弾みでオボンの実を離してしまった。状況が飲み込めずジタバタもがいていると、ドスの利いた声が鼓膜を揺らした。
「ポケモンも連れずに何考えてんだクソチビ。死にてェのか」
言葉が詰まる。不用意に野生ポケモンに近付いた人間が、ポケモンを連れていようといまいと、怪我をしたり死亡したりする事件は決して少なくない。加えて、被害者の大半はポケモンを持たない人間だ。反論の余地もない俺に、更なる追い打ちが降ってくる。
「おまけにきのみなんざぶら下げやがって。どうぞ狙ってくださいと言ってるようなモンだろ」
あ、と声を漏らした。そこまで考えが及ばなかった。気が動転していたとはいえ、あまりにも軽率だ。痛いのもポケモンを脅かすのも嫌だし、俺が怪我したら皆に心配かける。……止めてもらえて、良かった。
もぞもぞ頭を引っ張り出し、お礼を述べようと振り返る。声の主は強面の厳ついおっさんだった。眉間には深いシワが刻まれ、鋭い眼差しの左側が眼帯で覆われている。視線が交わった瞬間、フードから覗くおっさんの目が大きく見開かれた。一歩、二歩と後退って、呻くように呟く。
「テメェ……、テメェは……!!」
予想だにしない反応に面食らう。苦しげに顔を歪めているのに、吸い寄せられたかのように俺から視線を離さない。その視線が持つ圧に、アーボに睨まれたニョロゾのように指1本も動かせなくなる。口の中が急速に乾いていく。
おっさん、俺のこと知ってんのか?重たい唇を何とか持ち上げてそれを音にする前に、馴染みのある陽気な声が響いた。
「じっちゃーん!ただいまァー!」
マリエシティの方角から大きく右手を振りながら走ってくるのは、探し人ならぬ探しベトベターだった。
「ほい土産。大漁だぜェ」
左手で振り回していた、煙草の吸い殻が詰め込まれた袋をおっさんに差し出す。いつの間にか平静を取り戻したらしいおっさんは、軽く息を吐き、袋を受け取った方と反対側の手で、ベトベターの頭をぐしゃぐしゃ乱暴にかき混ぜた。この手つきは俺もよく知ってる。くすぐったそうに笑ったベトベターは、ふと俺を見取り、きょとりと首を傾けた。
「あれ、何でルヒカがここに?」
「何でって……お前が来ないから、どうしたのかと思って」
「いけねェ、話してなかったか」
ぴしゃっと額を打ったベトベター曰く、リサイクルプラントでは月に一度、各島のビーチに赴いて漂流物やポイ捨てゴミを食べて回る「海岸当番」というものがあるらしい。誰が担当かはローテーションが組まれているとか。
「海岸当番の時は早朝から昼過ぎまでいねェんだ。言っときゃよかったな、すまねェ」
「いいんだ。俺の早とちりでよかった」
眉を八の字にするベトベターに首を振る。そうだ、俺こそ言うべきことを言っておかないと。そっぽを向いて煙草をふかしているおっさんに向き直り、頭を下げた。
「止めてくれて、ありがとうございました」
おっさんは顔を背けたまま、ぶっきらぼうに「ああ」とだけ言った。物珍しげに今のやり取りを眺めていたベトベターが口を挟む。
「そういやじっちゃん、何で外にいるんだァ?」
「煙草休憩」
なるほどなァ、と頷きながら、俺の顔や頭にくっついていた葉っぱを取ってくれる。「ありがと」と言えば、気にすんなとばかりに俺の頭をくしゃりと撫でた。
「折角だから紹介するぜェ。こっちはじっちゃん。俺さんの親みたいなヒト。んで、こいつはダチのルヒカ」
前半は俺、後半はおっさんに向けて言う。ああ、このおっさんが〝じっちゃん〟だったのか。言われてみれば確かに、フードもマントもコートも、模様や色合いが原種ベトベトンを思わせる。内緒って約束したから口には出さないけれど。
それにしても……ダチ、か。初めて言われた。胸の内側がくすぐったい。
「うちのバカが世話になってるみてェだな」
「あ、いえ、こちらこそ」
おっさんが俺を一瞥し、ぼそりと呟いた。向こうから話しかけてくるとは思わなかったから、少しどもる。
会話終了。何となく気まずい沈黙を破ったのは、ベトベターの「あ」という気の抜けた声だ。ズボンのポケットをごそごそ漁り、中身を引っ張り出す。
「心配かけちまったお詫びと言っちゃァなんだけど、コレやるよォ。14番道路で拾ったんだァ」
差し出された手には、菱形で紫色の綺麗な石が乗っていた。中央に不思議なマークが浮かんでいる。色んな本で何度も見た。この形、このマーク、間違いない。
「Zクリスタルだ……!すげえ、現物初めて見た!色とマーク的にドクZか?うわーこんなに綺麗なのか……すげえ、すげえなあ!これ貴重なものだぞ、ほんとに貰っていいのか!?」
ベトベターはニカッと歯を見せ、興奮する俺の手にZクリスタルを握らせてくれた。
「おう。よくわかんねェけど、元々お前さんにやろうと思ってたんだ。気に入ってくれたんなら良かった」
「ありがとう!大事にする!」
すべすべの石をぎゅっと握りしめる。これは絶対、絶対失くさない。何処にしまっておこうか。肌身離さず持ち歩くのがいいかな。
今までむっつり紫煙を燻らせていたおっさんが徐に吸殻を口に放り込み、「そろそろ戻るぞ」と声をかけた。
「うーい。じゃァなルヒカ、今度こそまた明日ァ」
ベトベターはヒラヒラと手を振って、さっさとリサイクルプラントに向かったおっさんを追いかける。
「なァじっちゃん、午後の仕事終わったら稽古つけてくれよォ」
「めんどくせェ。覚えたきゃ勝手に盗め」
「ヘヘッ、やりィ」
紫と、それにじゃれつく緑の背中を暫く見送ってから、Zクリスタルを日に透かしてみる。小さいメテノが手の中にいるみたいだ。それをしっかり握りしめて、くるりと踵を返した。
***
すっかり暗くなった空が星で埋め尽くされた頃。日課の稽古を終えた俺さんは、額の汗を拭い、昼間聞きそびれていたことを漸く切り出した。
「……じっちゃん、怒った?」
「あ?」
煙草を咥えたじっちゃんの不機嫌そうな声と視線が飛んでくる。拾われたばっかの頃は、怒らせちまったといちいちビビってたっけなァ。今は目つきの悪さも眉間のシワも、標準装備だってちゃんとわかってるけど、今日は別だ。視線を下げながらもごもご続ける。
「じっちゃんはニンゲン嫌いなのに……俺さん、ニンゲンと仲良くしてたから」
じっちゃんは鼻を鳴らし、煙と一緒に「くだらねェ」と吐き捨てた。
「テメェの交友関係に興味なんざねェよ。つるみてェ奴とつるんでろ」
つっけんどんな言い分に少し気が楽になる。少なくとも、そこに関しては怒ってねェらしい。多分これからも。……じゃァ、何で。
じっちゃんは短くなった煙草を噛み砕き、ぼそっと付け加えた。
「……まァ、向こうはまだチビだからな。あんまり引っ張り回すんじゃねェぞ」
「うん」
じっちゃん、絶対目つきの悪さと愛想のなさで損してるよなァ。これ言ったら拳骨落とされそうだから言わねェけど。
そろそろ寝るか、とじっちゃんに促され、長年寝床にしている岩壁の割れ目に潜り込む。入り口はニンゲンのガキがやっと通れる程度だけれど、中は大人の男ふたりが横になれるくらいの広さがあった。
普通のベトベターは地面とかに溶け込んで寝るのに、じっちゃんは寝る時すら原型に戻りたがらない。最近は原型に戻るのが嫌なんじゃなくて、擬人化が癖になってんじゃねェかって気もする。
隣で目を閉じるじっちゃんの横顔をこっそり盗み見た。じっちゃんはニンゲンが嫌いだ。けど、社長さんや社員さんたちとは普通に接してるし、ニンゲンなら誰彼構わず敵意を向けるようなこともしない。なのに。
怒ってねェなら、何でルヒカには親の仇でも見るような目ェしたんだよ。あいつ、あんたのニンゲン嫌いと関係あんのか?俺の初めてのダチは……あんたの、敵なのか?
何度も喉から出かかったそれは、ついぞ言葉にできなかった。
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