ハロー・アコニタム/age.7
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ベトベターと別れてから、図書館であいつから聞いたベトベター族の生態とかをメモ帳に書き留めた。やっぱ生の声って面白え。
ミバとジンコは元野生だけど、小さい頃にゲットされたから野生歴は長くないらしいし。ギナはあちこちフラフラしてたから手持ちだったり野生だったり色々で、ゴーシュは昔のことは断片的にしか覚えてないって言ってたな。事故に遭って記憶喪失になったとか。まああいつも手持ち生活の方が長いから、あんまり気にしてないみたいだけど。
数ページ分を文字で埋め尽くされたメモ帳をリュックに突っ込む。これが何代目かはもうわからないけれど、結構長持ちしている方だと思う。そういや3日前くらいに発掘したいつぞやのメモ帳、どこにしまったっけな。暗記は得意だし記憶力も良い方なのに、なんで探し物には生かされねえんだろ。
朝に読もうとして結局1文字も頭に入らなかった本を手に取るけれど、何となく気が乗らなくて棚に戻した。……沢山喋ったから喉乾いたな。財布持ってきてねえし、帰ってキンキンに冷えたサイコソーダでも飲むか。
☆
階段を登り、リビングに続く引き戸を開ける。「ただいま」を言うために開きかけた口を慌てて閉じた。
ドアのちょうど向かい側に設置されたソファで、母ちゃんが寝息を立てている。母ちゃんにそっと毛布をかけていたギナが俺に気付き、口パクで「おかえり」を言った。俺も口パクで「ただいま」を返す。
抜き足さし足でリビングを抜け、部屋に荷物を置いてから洗面所で手洗いうがいを済ませる。忍び足でリビングに戻ると、ギナがサイコソーダを注いだコップを渡してくれた。何でわかるんだこいつ、怖……。というのは腹の中にしまっておいて、お礼を言いつつ受け取ったコップの中身をゴクゴク一気に半分くらい流し込む。あー、うまい。
ふう、と一息ついてから声を潜めて尋ねた。
「母ちゃん、いつ帰ってきたんだ?」
「つい先程さ。アローラに用が合ったからここにも寄ったらしい。夜の船でメレメレ島に向かうそうだ」
「そっか。忙しいんだな、相変わらず」
出張するにしても精々アローラ地方内の父ちゃんと違い、母ちゃんは年中色んな地方をあちこち飛び回っている。今回みたいにちょっと顔を出すだけの時もあれば、何日か一緒にいられる時もある。とはいえ過ごせる時間はあまり多くはないけれど。忙しいから、大事な仕事だから仕方ない。別に俺、もう7歳だし。一人で過ごすの好きだし。父ちゃんやギナたちもいるから全然平気だけど。
「今日の夕食は一緒に食べられるよ」
「!……ふーん」
母ちゃんと一緒に食うの、いつぶりだろ。いや別にいつぶりでもいいけど。ジンコの飯はいつも美味いし。一人で食う時だって珍しくないし。ふーん。そっか。へえ。
コップを傾けながらちらりと見上げると、ギナがニヤニヤしながら生温かい視線を送ってきた。
「そのツラやめろよ。ムカつくから」
「おや、すまない。可愛いなあと思って」
「うるせえ、女にでも言ってろ」
残ったサイコソーダを飲み干す。性悪ガエルめ、俺をからかって遊ぼうったってそうはいかねえからな。
音を立てないように喉でくつくつ笑っていたギナが、ふと首を傾げる。
「ところでバンビ。何か良いことでもあったのかい?」
「え、なんで?」
「帰ってきた時、随分機嫌が良さそうだったから」
だから何でわかるんだよ、エスパータイプかよ。こいつが鋭すぎるのか、俺がわかりやすいのか、どっちだ。
ベトベターと仲良くなったことは、話しているうちに夢中になって余計なことまで喋ってしまうかもしれないから黙っていよう。あいつのじっちゃんのこと、誰にも言わないって言ったもんな。
「……別に。何もねえよ」
なるべくいつも通りの表情を装いながら素っ気なく返す。ギナは「ふうん?」と意味ありげに目を細めただけで追及してこなかったから、これ幸いと話題を変える。
「母ちゃん、ベッドに連れてかねえの?」
「ヴィーナスは眠りが浅くてね。動かすと起こしてしまう。家に帰ってきた時くらい、ゆっくり寝かせてあげたいんだ」
ギナの視線が母ちゃんに向けられる。その眼差しは、……何となく、ミバやジンコが父ちゃん に向けるものとも、こいつがジンコや他の女のひとに向けるものとも、違うような気がした。何が違うのかは、よくわからないけれど。
***
ごろごろとキャリーケースのタイヤと石畳が擦れる音が響く。夕食を終えたサニアとギナは、ウラウラ乗船所に向かっていた。
マリエシティのオリエンタルな様相に、サニアは故郷のカントー地方を思い出し、どことなく懐かしさを覚える。隣に着物を纏ったギナがいるのも、余計にそう思わせるのだろう。
ギナは毎度見送りを買って出て、荷物持ちもしてくれた。あなたも忙しいのだからと遠慮しても、「女性を夜に一人歩きなどさせられるものか。愛しのヴィーナスなら尚更ね」などと口八丁で丸め込まれてしまう。サニアは彼の好色ぶりをよく知っており、「全ての女性に優しく」という信条を曲げさせるのも悪いので、ありがたく甘えることにしていた。
ゴーシュは夕食前に軽く言葉を交わしたきり姿が見えなかったけれど、彼が不意に姿を消すのはいつものことだ。「行ってきます」は言えたからよしとする。ミバもジンコも、元気そうでよかった。
最後に、先程玄関で別れたホウヤとルヒカを思い出す。2人の見送りは毎回そこまでで、空港や港まで来たことはなかった。
サニアの夫はそういう人なのだ。無愛想だけれど、情に厚くて程よく淡白。いつでも気軽に送り出し、気軽に迎え入れてくれる。サニアはそれが本当にありがたくて、申し訳なくて、救われていた。
息子は、容姿は完全に母親似だけれど、性格は父親とそっくりだった。好奇心旺盛で、整理整頓が苦手で、さっぱりした性分。しかし、父親譲りの聡さと優しさ故に、ルヒカがサニアに我儘を言ったことはなかった。
育児休暇が明けてすぐ、カロス地方への出張が決まった時。玄関で夫の足にしがみつき、今にも零れ落ちそうな涙を湛えて手を振る息子の姿を、今でもはっきり覚えている。あんなに小さかったのに。
「ルヒカ、もう7歳なのね。ついこの前産まれたばかりだと思っていたのに……会う度に大きくなって」
「子どもの成長は早いからね。離れているから余計にそう思うのだろうよ」
しみじみ呟くサニアに、ギナが相槌を打つ。思えば、彼と初めて出会った頃のサニアも子どもだった。
「あなたにとって、私もあっという間だった?」
「……どうかな。刹那のような、百世 のような気がするよ」
曖昧に微笑むギナ。出会った頃から全く外見に変化がない彼の素性も実年齢も、付き合いの長いサニアすら知らなかった。教える気がないことは早々に察したから、尋ねることはもうしないけれど。
少し強い風が吹いて、サニアの視界が桔梗色に覆われた。ルヒカと同じ色の長い髪が風に靡く。
今日のあの子は、あまり寂しそうじゃなかった。隠すのが上手くなったのか、とっくに母離れしたのか。だとしたら申し訳ないような、寂しいような。それとも友達でもできたのかしら。無理に作れとは言わないけれど、信頼できる相手がいるのは幸福なことだから、大勢じゃなくていいからそういう相手と出会って欲しい。そう願わずにいられないのは、親のエゴだろうか。
ぽつぽつと言葉を交わすうちに乗船所に到着した。乗船ゲートの前で荷物を受け取り、ギナと向かい合う。
「見送りありがとう。任せきりで申し訳ないけど、ルヒカたちのことお願いね」
「構わないさ。他ならぬ君の頼みだ、命懸けで全うするとも」
「あなたがキザなのはよく知っているけど、その言い回しはやめて」
苦笑しつつ咎めるような響きを含んだサニアの言葉に、ギナはイエスともノーとも言わず、ただ微笑みを返した。右手を伸ばし、彼女の頬にそっと触れる。赤い瞳に、穏やかな声音に、真剣な色が宿る。
「君こそ、あまり無茶をしないでくれ。君が息災であることが、俺の……俺たちの幸福なのだから」
「……わかってる。もう昔と同じ轍は踏まないわ」
僅かに寂寥と悔恨を滲ませながらも、凛とした笑顔の花が咲く。それを見たギナは、甘くやわらかな微笑と共に満足気に頷いた。慣れた手つきで彼女の髪を一房掬い上げ、唇を落とす。
「また会おう、ヴィーナス。どうか元気で。ジュゴン 嬢にもよろしく」
「ええ、ギナも。あんまり女の子に刺されるようなことしちゃダメよ」
「キティに命を捧げるなら本望だ」
「もう、その言い回しやめてって言ってるのに」
おどけているようでどこまで本気なのか判断し兼ねる言葉に、眉を吊り上げ腰に手を当ててみせると、ギナは白旗代わりに両手を挙げる。数秒見つめ合って、ふたり同時に吹き出した。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
笑い合って、手を振りながら別れる。彼女の背中が完全に見えなくなってから、ギナは漸く出口へ足を向けた。
*
乗船場を出るのと同時に懐のライブキャスターが震えた。予想通りの番号が表示された画面を一瞥し、応答する。
「デート終わった?」
「まあな。……いたか?」
ゴーシュの茶々を平然と受け流し、声を落として問い返す。
「昨日の今日だからね。見つからない」
「そうか。今日の探索はもういい。彼女の乗った船が無事にメレメレ島に着くか見ていてくれ。阻むような輩がいれば排除しろ」
口調こそいつも通り穏やかだが、ギナの声も眼差しも、先程サニアに向けていたものとは一転して冷ややかだ。画面の向こう側からくすくす愉快そうな笑い声が漏れてくる。
「うん。〝殺さない程度に〟だね」
「ああ。何度でも言うが、彼女は生き物が傷つくことをひどく嫌っている。決して見つかるなよ。それと、つまみ食い もするな」
念を押すように強調すれば、ゴーシュはわざとらしくため息を吐いた。
「そんなに釘刺さなくても大丈夫だよ。信用ないなあ」
「前科持ちがよく言う」
「全部未遂だったじゃない。最近はちゃんと自力で我慢できるようになったよ」
「それもそうだな。……任せた」
「うん」
通話を切ってライブキャスターをしまう。ブオオオ、と汽笛が響き渡り、愛しいひとを乗せた船が徐々に遠ざかっていく。
君の笑顔を守るためなら何だってする。それが例え──。
真紅の瞳に昏く冷たい炎を宿し、ギナは夜の海に背を向けた。
ミバとジンコは元野生だけど、小さい頃にゲットされたから野生歴は長くないらしいし。ギナはあちこちフラフラしてたから手持ちだったり野生だったり色々で、ゴーシュは昔のことは断片的にしか覚えてないって言ってたな。事故に遭って記憶喪失になったとか。まああいつも手持ち生活の方が長いから、あんまり気にしてないみたいだけど。
数ページ分を文字で埋め尽くされたメモ帳をリュックに突っ込む。これが何代目かはもうわからないけれど、結構長持ちしている方だと思う。そういや3日前くらいに発掘したいつぞやのメモ帳、どこにしまったっけな。暗記は得意だし記憶力も良い方なのに、なんで探し物には生かされねえんだろ。
朝に読もうとして結局1文字も頭に入らなかった本を手に取るけれど、何となく気が乗らなくて棚に戻した。……沢山喋ったから喉乾いたな。財布持ってきてねえし、帰ってキンキンに冷えたサイコソーダでも飲むか。
☆
階段を登り、リビングに続く引き戸を開ける。「ただいま」を言うために開きかけた口を慌てて閉じた。
ドアのちょうど向かい側に設置されたソファで、母ちゃんが寝息を立てている。母ちゃんにそっと毛布をかけていたギナが俺に気付き、口パクで「おかえり」を言った。俺も口パクで「ただいま」を返す。
抜き足さし足でリビングを抜け、部屋に荷物を置いてから洗面所で手洗いうがいを済ませる。忍び足でリビングに戻ると、ギナがサイコソーダを注いだコップを渡してくれた。何でわかるんだこいつ、怖……。というのは腹の中にしまっておいて、お礼を言いつつ受け取ったコップの中身をゴクゴク一気に半分くらい流し込む。あー、うまい。
ふう、と一息ついてから声を潜めて尋ねた。
「母ちゃん、いつ帰ってきたんだ?」
「つい先程さ。アローラに用が合ったからここにも寄ったらしい。夜の船でメレメレ島に向かうそうだ」
「そっか。忙しいんだな、相変わらず」
出張するにしても精々アローラ地方内の父ちゃんと違い、母ちゃんは年中色んな地方をあちこち飛び回っている。今回みたいにちょっと顔を出すだけの時もあれば、何日か一緒にいられる時もある。とはいえ過ごせる時間はあまり多くはないけれど。忙しいから、大事な仕事だから仕方ない。別に俺、もう7歳だし。一人で過ごすの好きだし。父ちゃんやギナたちもいるから全然平気だけど。
「今日の夕食は一緒に食べられるよ」
「!……ふーん」
母ちゃんと一緒に食うの、いつぶりだろ。いや別にいつぶりでもいいけど。ジンコの飯はいつも美味いし。一人で食う時だって珍しくないし。ふーん。そっか。へえ。
コップを傾けながらちらりと見上げると、ギナがニヤニヤしながら生温かい視線を送ってきた。
「そのツラやめろよ。ムカつくから」
「おや、すまない。可愛いなあと思って」
「うるせえ、女にでも言ってろ」
残ったサイコソーダを飲み干す。性悪ガエルめ、俺をからかって遊ぼうったってそうはいかねえからな。
音を立てないように喉でくつくつ笑っていたギナが、ふと首を傾げる。
「ところでバンビ。何か良いことでもあったのかい?」
「え、なんで?」
「帰ってきた時、随分機嫌が良さそうだったから」
だから何でわかるんだよ、エスパータイプかよ。こいつが鋭すぎるのか、俺がわかりやすいのか、どっちだ。
ベトベターと仲良くなったことは、話しているうちに夢中になって余計なことまで喋ってしまうかもしれないから黙っていよう。あいつのじっちゃんのこと、誰にも言わないって言ったもんな。
「……別に。何もねえよ」
なるべくいつも通りの表情を装いながら素っ気なく返す。ギナは「ふうん?」と意味ありげに目を細めただけで追及してこなかったから、これ幸いと話題を変える。
「母ちゃん、ベッドに連れてかねえの?」
「ヴィーナスは眠りが浅くてね。動かすと起こしてしまう。家に帰ってきた時くらい、ゆっくり寝かせてあげたいんだ」
ギナの視線が母ちゃんに向けられる。その眼差しは、……何となく、ミバやジンコが
***
ごろごろとキャリーケースのタイヤと石畳が擦れる音が響く。夕食を終えたサニアとギナは、ウラウラ乗船所に向かっていた。
マリエシティのオリエンタルな様相に、サニアは故郷のカントー地方を思い出し、どことなく懐かしさを覚える。隣に着物を纏ったギナがいるのも、余計にそう思わせるのだろう。
ギナは毎度見送りを買って出て、荷物持ちもしてくれた。あなたも忙しいのだからと遠慮しても、「女性を夜に一人歩きなどさせられるものか。愛しのヴィーナスなら尚更ね」などと口八丁で丸め込まれてしまう。サニアは彼の好色ぶりをよく知っており、「全ての女性に優しく」という信条を曲げさせるのも悪いので、ありがたく甘えることにしていた。
ゴーシュは夕食前に軽く言葉を交わしたきり姿が見えなかったけれど、彼が不意に姿を消すのはいつものことだ。「行ってきます」は言えたからよしとする。ミバもジンコも、元気そうでよかった。
最後に、先程玄関で別れたホウヤとルヒカを思い出す。2人の見送りは毎回そこまでで、空港や港まで来たことはなかった。
サニアの夫はそういう人なのだ。無愛想だけれど、情に厚くて程よく淡白。いつでも気軽に送り出し、気軽に迎え入れてくれる。サニアはそれが本当にありがたくて、申し訳なくて、救われていた。
息子は、容姿は完全に母親似だけれど、性格は父親とそっくりだった。好奇心旺盛で、整理整頓が苦手で、さっぱりした性分。しかし、父親譲りの聡さと優しさ故に、ルヒカがサニアに我儘を言ったことはなかった。
育児休暇が明けてすぐ、カロス地方への出張が決まった時。玄関で夫の足にしがみつき、今にも零れ落ちそうな涙を湛えて手を振る息子の姿を、今でもはっきり覚えている。あんなに小さかったのに。
「ルヒカ、もう7歳なのね。ついこの前産まれたばかりだと思っていたのに……会う度に大きくなって」
「子どもの成長は早いからね。離れているから余計にそう思うのだろうよ」
しみじみ呟くサニアに、ギナが相槌を打つ。思えば、彼と初めて出会った頃のサニアも子どもだった。
「あなたにとって、私もあっという間だった?」
「……どうかな。刹那のような、
曖昧に微笑むギナ。出会った頃から全く外見に変化がない彼の素性も実年齢も、付き合いの長いサニアすら知らなかった。教える気がないことは早々に察したから、尋ねることはもうしないけれど。
少し強い風が吹いて、サニアの視界が桔梗色に覆われた。ルヒカと同じ色の長い髪が風に靡く。
今日のあの子は、あまり寂しそうじゃなかった。隠すのが上手くなったのか、とっくに母離れしたのか。だとしたら申し訳ないような、寂しいような。それとも友達でもできたのかしら。無理に作れとは言わないけれど、信頼できる相手がいるのは幸福なことだから、大勢じゃなくていいからそういう相手と出会って欲しい。そう願わずにいられないのは、親のエゴだろうか。
ぽつぽつと言葉を交わすうちに乗船所に到着した。乗船ゲートの前で荷物を受け取り、ギナと向かい合う。
「見送りありがとう。任せきりで申し訳ないけど、ルヒカたちのことお願いね」
「構わないさ。他ならぬ君の頼みだ、命懸けで全うするとも」
「あなたがキザなのはよく知っているけど、その言い回しはやめて」
苦笑しつつ咎めるような響きを含んだサニアの言葉に、ギナはイエスともノーとも言わず、ただ微笑みを返した。右手を伸ばし、彼女の頬にそっと触れる。赤い瞳に、穏やかな声音に、真剣な色が宿る。
「君こそ、あまり無茶をしないでくれ。君が息災であることが、俺の……俺たちの幸福なのだから」
「……わかってる。もう昔と同じ轍は踏まないわ」
僅かに寂寥と悔恨を滲ませながらも、凛とした笑顔の花が咲く。それを見たギナは、甘くやわらかな微笑と共に満足気に頷いた。慣れた手つきで彼女の髪を一房掬い上げ、唇を落とす。
「また会おう、ヴィーナス。どうか元気で。
「ええ、ギナも。あんまり女の子に刺されるようなことしちゃダメよ」
「キティに命を捧げるなら本望だ」
「もう、その言い回しやめてって言ってるのに」
おどけているようでどこまで本気なのか判断し兼ねる言葉に、眉を吊り上げ腰に手を当ててみせると、ギナは白旗代わりに両手を挙げる。数秒見つめ合って、ふたり同時に吹き出した。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
笑い合って、手を振りながら別れる。彼女の背中が完全に見えなくなってから、ギナは漸く出口へ足を向けた。
*
乗船場を出るのと同時に懐のライブキャスターが震えた。予想通りの番号が表示された画面を一瞥し、応答する。
「デート終わった?」
「まあな。……いたか?」
ゴーシュの茶々を平然と受け流し、声を落として問い返す。
「昨日の今日だからね。見つからない」
「そうか。今日の探索はもういい。彼女の乗った船が無事にメレメレ島に着くか見ていてくれ。阻むような輩がいれば排除しろ」
口調こそいつも通り穏やかだが、ギナの声も眼差しも、先程サニアに向けていたものとは一転して冷ややかだ。画面の向こう側からくすくす愉快そうな笑い声が漏れてくる。
「うん。〝殺さない程度に〟だね」
「ああ。何度でも言うが、彼女は生き物が傷つくことをひどく嫌っている。決して見つかるなよ。それと、
念を押すように強調すれば、ゴーシュはわざとらしくため息を吐いた。
「そんなに釘刺さなくても大丈夫だよ。信用ないなあ」
「前科持ちがよく言う」
「全部未遂だったじゃない。最近はちゃんと自力で我慢できるようになったよ」
「それもそうだな。……任せた」
「うん」
通話を切ってライブキャスターをしまう。ブオオオ、と汽笛が響き渡り、愛しいひとを乗せた船が徐々に遠ざかっていく。
君の笑顔を守るためなら何だってする。それが例え──。
真紅の瞳に昏く冷たい炎を宿し、ギナは夜の海に背を向けた。
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