コスモスダイアリー

不思議な生物がやって来た


「その子が保護したっていう?」
「うん。そうだよ」

 セレの腕の中から、雲のような見た目をした生物が、愛くるしい瞳を目の前のナナに向けていた。


 仕事で訪れた異世界で倒れていたところを、セレが助けた謎の生き物。
 怪我を負い衰弱し切っていたが、治癒魔法の甲斐あって完治した謎生物はそのままセレに懐き、セレも放っておいたら同じことを繰り返すのではないかと考え、『ネビュラ』に連れ帰ってきたのだ。


「この子とってもふわふわなの」
「へえ〜触っても平気かなぁ?」
「リン!」

 元気よく謎生物が鳴き声を上げる。まるでこちらの言葉を理解しているかのようだ。

「じゃあお言葉に甘えて……」

 優しく頭に手の平を添える。手の平を通じて伝わってくる感触は、雲のように肌触りがよくフワッフワッ――雲に触ったことなどないが。

「な、ナナ……?」
「――はっ」

 あまりの手触りの良さに無心で撫で続けていたナナは正気に帰る。

「ぐぅ……こんな恐ろしい生物がいるなんて……」
「大袈裟ね」
「リル?」

 笑みを溢すセレとナナのもとに大股で近づいてきたのは、鬼の形相をしたベータことシスコン。

「リル〜⁉︎」

 ベータは無遠慮に謎生物の頭を掴みセレから引き剥がすと、乱暴にポイ捨てする。

「もう兄さん!」

 膨れっ面で抗議するセレに、ベータは『ふん』とそっぽを向く。大好きで可愛い妹にベタベタしているのが気に食わないシスコンに、ナナは見境なしかと呆れ顔。
 一方で投げられた謎生物は空中で一回転し、浮遊。口をへの字に曲げると、首元から垂れるマフラー状の飾り羽を操り、先端に浮かぶ光輪をあろうことかベータに投げつけた。

「っ⁉︎」

 ベータは咄嗟に体を捻り回避に成功。2つの光輪は後方の壁に激突することに。
 まさか攻撃をしてくるなど思ってもみなかった一同は、見開いた目を謎生物に向ける。

「――凄い! あなたって戦えるのね!」
「いやいやいや⁉︎ 俺今そいつに殺されかけたんだが⁉︎ 危険生物‼︎」
「自業自得じゃん」

 凄い凄いと褒めるセレの肩で謎生物は嬉しそうに頬擦りしている。実の兄が攻撃されたのには全く触れず謎生物を愛でる妹を奪われ、謎の敗北感がベータに重くのしかかる。

「俺だって戦えるのに……」
「それを言ったらセレもだしベータに足りないのは愛嬌」
「はあ⁉︎」

 怒り心頭に発するベータをさりげなくスルーしつつ、ナナはセレに話しかける。

「そういえばその子って、誰かと一緒に暮らしていたんじゃないの? 妙に人間慣れしてる気がする」
「たしかに。あの場には私以外いなかったけれど……そうなの?」

 セレは肩に乗る謎生物に訊ねる。

「リル? リルルン!」

 謎生物はショックを受け悲しんだかと思えば、セレの胸元に飛び込んだ。

「リルル! リル〜……」

 瞳を潤ませながら必死になにかを訴える謎生物に、セレは眉尻を下げる。
 言葉を理解することはできない。だが『見捨てないで』と言われているように感じた。

「……大丈夫よ。一緒にいるからね」

 宥めるように撫でであげれば、思いが通じた。謎生物は頬を緩め、セレの周りを飛び回る。

「その子もセレに懐いているようだし、暫くは一緒にいてあげたら?」

 彼女らの様子を眺めていたナナがそう提案すると、セレは「そうね」と微笑む。

「よろしくね」
「リルっ!」

 飛び込んできた謎生物を受け止めるセレの表情は、あどけない少女の笑顔だった。
 こうしてセレのペットとして迎え入れられた謎生物であったが、問題は山積みだ。

(早ぇーとこ飼い主か故郷見つけて追い返すか……)
「『早いとこ飼い主か故郷見つけ出して追い返そう』……って思ってるでしょ」
「なっ! なんでわかった……⁉︎」
「ダダ漏れだよ」

 これも問題のひとつだと、ナナはベータを横目に嘆息した。



「あら、その子が噂の子ね?」

 翌日。朝一番にセレは保護した謎生物を連れ、クレアのもとに訪れる。
 すでに基地の司令室で作業をしていたクレアの前に、謎生物はふわりと漂う。

「リル〜?」
「あっこの子ね、『リルン』って名前を付けたの」
「リン!」

 昨晩のうちにセレは謎生物に――『リルン』と名前を授けた。鳴き声から連想したものであったが、当の本人も気に入っているらしく呼ばれる度に大はしゃぎ。

「いい名前ね」

 でも、とクレアは目を細める。

「そのリルンについての情報は見つからなかったわ」
「えっ? ほ、本当に?」
「ええ。正真正銘、『謎生物』よ」

 クレア、そして彼女が作り上げた魔術システム『メーア』の手にかかれば、全宇宙において解けない疑問はないと言えるほど。ありとあらゆる異世界に精通している彼女が出した結論に、セレは細い肩を揺らした。

「へえ……面白いじゃん」

 口元を怪しく歪ませたのは、その場に居合わせていたケイス。

「ちょっとだけ貸してくれない?」
「嫌よ。解剖するバラすつもりでしょ」

 ケイスから守るべくリルンを抱きしめる。狂気の念を感じたリルンの顔はやや青ざめていた。

「大丈夫大丈夫。痛くしないよ。それにほら、クレアも知らない情報提供に協力するってことで……」
「結構」

 ハッキリとクレアから却下されてしまえば、ケイスは露骨に顔を歪める。

「はぁ? おばさんになって好奇心も衰えたんじゃない⁇」
「セレを悲しませたくないもの。ぼっちボーイにはわからないでしょうね」

 両者間に火の粉が散るのが見えたセレは、早々に司令室から離脱。リルンを連れて宿舎のダイニングルームへ向かい、朝食を作ってくれているであろうサクラに会うため厨房を覗く。

「おっはよー! あ、その子も一緒なんだね」

 気づいたのは、すでにリルンを紹介をしていたナナ。隣ではサクラがお野菜を切り刻んでおり、ナナの言葉に手を止めた。

「ほらさっき話してた子! 謎生物!」
「リルン……って名付けたんだけど」
「いいね!」

 おいでと両手を広げたナナにリルンも飛び込み、撫でられるがままにされている。
 対してサクラはというと、リルンの可愛さにノックアウトされたのか完全に固まっている。

「サクラも抱いてみなよ」
「う、うん……」
「リルリル〜♪」

 恐る恐るナナからリルンを受け取ったサクラは、触れた瞬間にふにゃりと頬を緩めた。

「か、かわいい……」
「そうだね可愛いね」

 真顔で返しながら携帯端末で写真に納めるナナを、セレは兄の姿に重ねた。

「リル!」

 暫くはサクラとナナに可愛がられていたリルンだったが、一際大きく鳴いたかと思えばセレのもとに戻った。

「ど、どうしたの?」

 嫌な素振りなど見せなかったリルンの行動に戸惑う。
 ナナは揶揄うような笑みを浮かべた。

「あはっ、一番はセレってことだね」
「え? え?」

 サクラもナナと同じ考えなようで、「愛されてるのね」とくすくす笑っている。
 セレがリルンを見遣ると、明るい声で鳴いて応える。
 くすぐったさも感じながら、慕ってくれて嬉しいなと微笑み返した。

「げっ……」

 そこにやって来たのは、昨日リルンと一悶着あったベータ。リルンを見るや否や、嫌そうな声を洩らす。
 リルンはベータに飛びつくと、飾り羽でベータを叩き始める。

「あれ、ベータ。ヴェレット呼びに行ったんじゃないの?」

 ナナの口振りから察するに、ベータは朝が弱いヴェレットを起こしに行っていたようだ。
 ベータはリルンの叩き攻撃を手の平でガードしながら答える。

「今朝は手強くてな。フライパンとお玉貸してくれ」
「駄目に決まってるでしょ。前にぶっ壊したの忘れたの?」

 速攻でナナに却下され、サクラは苦笑い。
 別の方法を思案するベータに名乗りを挙げたのは、リルンだった。

「リ!」
「……リルン、起してみたいの?」
「リルルン!」

 話の内容を理解しているのか定かではないが。やる気に満ち溢れているリルンを妹の手前拒否するわけにもいかず、ベータは仕方なく連れてヴェレットの部屋に。
 一応、扉をノックするも返事はない。

「……、入るぞー」

 嘆息とともに中に入り寝室に向かえば、ベッドの上で気持ち良さげに爆睡しているヴェレットの姿が。
 初めからリルンを頼りにしていないベータはヴェレットの体を揺らし覚醒を促すも、規則正しい寝息が乱れることはない。
 その間リルンはというと、ヴェレットの寝室を物珍しげに見渡していた。

「……リル?」

 テーブルの上に置かれた小瓶が気になったリルンは小瓶を手にし、中に詰められていた白い物体をひとつ手に取る。
 どこか自身の手触りと似ているふわふわとした物体に興味を抱いたリルンは、鼻孔をくすぐる甘い匂いに釣られ、口に放り込んだ。


「――リルーーーッッ‼︎」
「うわぁっ⁉︎」


 あまりの美味しさに絶叫したリルンの声に、寝ていたヴェレットも飛び起きた。

「な、何事⁉︎ えっなにアレ‼︎」

 慌てふためくヴェレットはベッドの傍に立つベータに説明を求める。
 ベータは白い物体――『マシュマロ』を次から次へと頬張るリルンに半眼を向けながら返した。

「……セレが連れ帰って来たペットだ」
「えっ、あっ、そうなんだ……。マシュマロ好きなの?」
「知らね。そんなことよりとっとと支度しろ」

 まさか役に立つとは……。昨日に引き続き、ベータは謎の敗北感を味わうことになった。
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