戦士達の休日

戦士達の休日【3】


 さて、まずは状況を整理しよう。
 目を細め、じっと見据えるケイスの視線には――床店の前で談笑するサクラとヴェレットの姿が。
 勘違いしないでいただきたいのは、決してケイスは二人の後をつけていないし、彼らも二人っきりで出掛けたわけではない。純粋無垢なヴェレットが、予定のない二人を誘っただけである(全てケイス目線)。

「これ桜の花で作った蜂蜜だって! 買ってみたら?」
「どうしようかな……」
「それ一つ」

 硬貨と引き換えに蜂蜜を購入したケイスと目が合うものの、サクラはすぐに視線を逸らす。
 彼らの関係は、非常に気まずい雰囲気にあった。
 元々はサクラとの関係をややこしくしたケイスに原因があるが――彼女からの願いで敬語を外したケイスは、距離の詰め方に悩んでいた。
 仕事であれば問題はないが、プライベートは別。途端に沈黙が流れる有様だ。

「ケイス! 帰ったら少しくれる?」
「いいよ」
「ありがとう。どんなアレンジに使おうかな〜」

 ヴェレットがいなければ、こうして『ネビュラ』の外に彼女サクラと出掛けることも無かっただろう。
 同じ名の花で出来た蜂蜜を他の男に渡したくなかった、という浅ましい理由だけで購入した蜂蜜入りの紙袋に提げ、彼らは再び歩き出す。
 三人が訪れているのは縁もゆかりもないとある『異世界』の広大な会場。珍しい食料品を扱う床店が出店しているとのことで遊びに来たのだ。ケイスとサクラはほぼヴェレットの付き添い人である。

「ケイスは……何か欲しいものある?」

 サクラの気遣いに胸中で苦笑を浮かべつつ、ケイスは微笑みを添えて返す。

「強いて言えばココアかな」
「チョコレートじゃないの?」
「食べきれてないんだよね。だから、賞味期限的にはココア」
「えっ食べきれてないの? じゃあオレにちょうだい!」
「加工するなら自分で買ったやつにしてよ」

 対ナナやベータと比べ――幾分か優しく返すケイスに、ヴェレットも「そうだよねー」と笑う。

「サクラはどうなの?」
「私は……特にないかな」

 サクラは困ったように眉を八の字に曲げる。

「そう。何か気にいるのがあったらいいね」

 返される笑みはどこかぎこちない。
 向けられる視線から逃れようと、サクラが少し先の床店に駆け寄るのを目に。ケイスは雑踏に紛れて嘆息した。


 他方、ヴェレットは思案する。
 軍の中では最小年である自分だが、周囲の変化に気づけぬほど子供ではない。ケイスとサクラの仲が以前より悪くなったのも分かっていた。

『――サクラと喧嘩でもした?』

 数日前。ヴェレットはそうケイスに尋ねた。
 大好きな仲間達が険悪であるのは悲しい。自分に何か出来るならと声を掛けたが、ケイスは伏目がちに。

『……寧ろ逆かな』
『仲直りしたってこと?』
『そんなところ』
『でもそんな風には……』
『いろいろあるんだよ。……君には関係ない話だから』

 そう話を切り上げられてしまった――出来事を想起したヴェレットは、このチャンスをどうにかして活かせないものかと思い耽る。

「ちょっと、悩みすぎじゃない?」
「え?」

 バチッと意識を現実へ引き戻したヴェレットの視界では、店主が眉を顰めこちらを見上げている。
 呼びかけたケイスが呆れ顔となる中、ヴェレットは慌てて商品を購入。そそくさとその場を離れた。

「それにしても……荷物が多くなったわね」
「一旦どっかに置いてきたら?」

 両腕いっぱいに荷物を抱える自分を見かねた案に、ヴェレットは『それだ!』と心の中で指を鳴らす。

「そうする! 二人はお店見ててよ!」
「いやちょっ」
「また後で合流しようね!」
「ヴェレット!」

 呼びかけも虚しく、ヴェレットの姿は人込みの先へと消えてしまう。
 残されたケイスとサクラの視線が、戸惑いがちに絡まった。


★☆


「どう? 見つかった?」
「いいえ、見つからないわ」

 早々にヴェレットを見失った二人は、人の波に揺られながら会場内に目を凝らすも発見出来ず。

「合流出来ないって分かるのに……」

 嘆息したケイスに、斜め後ろを歩くサクラは苦笑する。

「さっきよりも混んできたし、一旦避難しよう」

 心なしか、視界を埋め尽くす人々の割合が増えてきた。ケイスは完全に身動きが取れなくなる前に、サクラを連れて開けた場所へと向かう。
 広葉樹に寄りかかったサクラは、ふぅ、と張り詰めた息をつく。

「探しに行けないわね」
「そのうち連絡してくるでしょ。今は無理に動かないほうがいいかも」

 同じく背を凭れるケイスに、サクラも同調する。
 ――広葉樹を中心に広がる二人の空間。
 先程までの雑踏とかけ離れ、優しく風が頬を撫でる。
 暖かな日の光は枝葉の合間を縫い、彼らを照らしていた。

「ココアは買いに行けなさそうね」
「そうだね」
「……」
「……」

 一言二言交わしては、沈黙が落ちる。
 ヴェレットからの連絡はない――彼の意図に気づいたケイスは、どうしようかと黙考していた。

「ケイス」
「はい。……あっ」

 体に染み込んだ敬語が口を衝き、反射的に口元を抑える。

「な、何?」
「敬語のほうが良いならそっちでもいいよ」
「まだ抜けてないだけだから。それで、どうしたの?」
「ナナのこと、なんだけどね……」

 思わぬ名にケイスは眉を顰め、静かにサクラの言葉を待つ。
 サクラは視線を左右に泳がせた後、不安げに瞑目。

「最近、少し怖いの。何を考えているのか分からなくて……」
「……考えている事が分からないのは、前からじゃない?」
「確かにそうだけど……最近は、特に感じるの。悪いことが起きる気がして……」

 この手の『予感』は往々にして当たるものだ。
 『神王』の化身の言葉に、ケイスは思索する。

(『アレ』のこと……?)
「今考えても仕方ないわよね。ごめんなさい、ケイス」

 栓なきことだと、サクラは苦笑で話を終えた。

「――もしかして……何か心当たりがあったりする?」

 小首を傾げるサクラに、ケイスは「ううん」と片笑む。

「何も知らないよ」

 数えきれないほど吐いてきた『嘘』が。この時だけは、胸奥を苦しませた。

「……そう。ならいいわ」

 今度こそ話を終えたサクラは、「おーいっ!」と聞き慣れた声にそちらを見遣る。

「二人ともここにいたんだ〜!」
「それはこっちの台詞なんだけど」

 合流したヴェレットに、すぐさまケイスは半眼を浮かべた。

「あっちに綺麗な飴細工が売ってたよ。サクラ好きそうだったから見に行こう!」
「ありがとう」

 くすくすと笑うサクラに釣られ、顰めっ面であったケイスも頬を緩める。
 その後、ヴェレットの提案で異世界を二転三転する羽目になり――彼らが基地『ネビュラ』に帰ったのは、休日最後の夜になったのだった。


 あの日に吐いた『嘘』を、僕は今でも貫いている。
 サクラが溢した『予感』は的中し、僕らは各々別の道へと進む。
 ナナから聞いた話は伝えるべきだったのか。
 話していたら何かが変わっていたのか。
 どれが正解だったのかは……分からない。
 ただ一つだけ言えるのは――。
 失った幸せは戻らない、ということだ。

「――彼らが守った調和をぐちゃぐちゃに掻き乱して、壊してやるんだ」
「これは復讐なんだよ。『彼ら』に対する、ね。……僕の復讐は、誰にも邪魔させはしない。もちろん君にも」

 『神王』が認めた悪は嘲笑う。
 その背に、『魔王』の名を背負って。

「だから……ここでお別れだね」

 いつの日か、新たな『はじまり』が訪れることを。
 いつの日か、今は遠き日の返事を聞けることを。
 離れていく彼女の姿に、僕は願う。


★★


 どうしたら良かったのか。
 正解のない問いかけを、オレはずっと繰り返していた。
 けれど、正解なんて分からなくて。
 結局いつかはこうなってしまったんだ。
 誰もいない基地に帰る度に、寂しくて、泣きそうになる。
 失った幸せを取り戻したくても、オレ一人に出来ることは限られていて。
 きっと、勇気すらもなかった。
 大切な仲間の気持ちを踏み弄る勇気が。
 オレにも、ナナにもなかった。
 この旅で初めて、みんなの本心に触れた。
 いっぱい拒絶されたけど、『彼』も一緒に考えて、叫んでくれた。
 怖かったけれど、勇気をくれた。
 傷つく勇気を。
 傷つける勇気を。
 知った今なら大丈夫。
 話し合いが無理なら、その時は――。

「無理に戦う必要はないですよ」

 黒曜石の扉の前で。『彼』は簡単にオレの心を看破する。

「え、でも話し合いが上手くいかなかったら……」
「僕の我儘に付き合ってくださっているんです。ヴェレットさんの心をすり減らす必要はありませんよ。嫌なら嫌で、別の方法を考えるだけです」

 心がふっと軽くなったのを感じる。
 今一度呼吸を整えたオレは、ゆっくり扉を開く。
 最奥に鎮座する――『魔王』の御前を目指して。

「行ってくるね」

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