戦士達の休日
「リルッ!」
パシャっと跳ねた水飛沫が、白い生き物の頭に降り注ぐ。
水面に映る自分の姿を夢中になって覗き込めば、バランスを崩し落下。ぶくぶくと弾ける泡を眺めること数秒、勢いよく水面から顔を出した生き物は嬉々として泳ぎ始める。
そんな愛くるしいペットであるリルンを、セレは優しい眼差しで見守っていた。
身に纏うのは純白の聖女服。目の前には、淡い光を放つ泉。
現在進行形で『お役目』の最中である。
「り、リル〜……」
水面から上がったリルンは体を大きく揺らし、ふらふらと右へ左へ揺れながらセレのもとまで飛ぶ。
蒼白なリルンを受け止めたセレが右手を軽く翳せば、体に垂れる水滴が綺麗に乾く。
「寒くなったのね」
膝の上に乗せ、頭のヴェールで包むと。リルンは嬉しそうに表情を和らげた。
「リルン?」
「リ……」
潜ったまま微動だにしないリルン。不安となったセレが僅かに捲ると――はしゃぎ疲れたのか、すやすやと眠っていた。
あららと目を丸くしたが、次にはそっと撫で始める。
「――?」
風に乗って小耳に止まる草の音。
生じた『違和感』を履き違えるほど、セレは
傍らに置いていた長杖を握り、音が鳴る方向に背を向けたまま両目を瞑る。
「噂は本当だったのか……⁉︎」
草むらを掻き分け現れた男達が、目の前の光景に瞠目する。
「となるとソイツが……」
「馬鹿っ、言葉遣いに気を付けろ」
「聖女様! どうかお願いです。この泉の水を、汲ませていただけないでしょうか⁉︎」
背中に響く声音は必死であった。
男達の服装は至る箇所汚れており、布には赤黒い血が染み付いている。ここまで辿り着くのは相当困難な道だったのだろう。
「俺達の住む村に疫病が流行っちまって、ここの泉が必要なんです!」
「お願いします聖女様!」
「聖女様!」
男三人の言葉に耳を傾け、ようやく目を開ける。
リルンをそっと地面に下ろし、杖を軸に立ち上がる。
「嘘をつくのは、おすすめしないわ」
こちらに一瞥もくれず放たれた言葉に――男達は僅かに肩を震わせる。
「んなことしませんよ俺達!」
「俺達は本気で村を救おうと――」
「ならどうして、貴方達の筒は『四人分』あるの?」
三人のうちの一人に視線が集まる。男達は腰から水を汲むようの筒を一つずつ提げていたが、どうしてか一人だけ二つ所持している。
「いやそれは……」
「それに血の付き方も変ね。まるで飛び散った血を『浴びたみたい』」
一様に口を閉ざす彼らに、セレは今一度告げる。
「もう一度言うわ。嘘をつくのは、おすすめしない」
――木洩れ日を浴び、銀の剣閃が瞬く。
無言で足を忍ばせた彼らは、一切の乱れなく剣の切先を向ける。
(遅い)
そうセレが心の中で呟く頃には。すでに魔法を放つ準備は整えられていた。
少女の胸に刃が突き立てられるよりも先に――迸るのは絶叫と轟音。
視界を染めるのは目を焼かんばかりの『閃光』。セレが準備していた【クイックワンス】とは『異なる』魔法に、両目を見開く。
「……やり過ぎたかしら」
「クレア!」
その場に沈む男達の後方――首をかしげる仲間の姿に驚愕。
「死んでなければいいわよね。じゃあ、適当に
手にする長杖を軽く叩けば、クレアの魔法円が展開。男達の姿が一瞬で何処へと消える。
「どうしてここにいるの? 国に帰ったんじゃ……」
クレアはこの休日を利用して故郷である海底国家『ロネウネ・モイス』に帰還する――セレは『お役目』前にそう聞いていたのだ。
あれから二日と経っていない今、引き上げるには些か早いタイミング。クレアは慣れた動作で、テーブルやらソファーやらを召喚しつつ答える。
「あんまり長居するのも却って邪魔になるかと思って、今回は早めに切り上げたのよ。『ネビュラ』に戻ったけど誰も居なくて、アナタのところに来たの」
「そ、そうなのね……」
すでに泉の周囲を自分の領域へと作り変えているクレアに、苦笑がこぼれる。
「安心して。『お役目』の邪魔はしないわよ」
「それは分かってるけど……見ていてもつまんないよ?」
「あら、つまらないわけがないじゃない。アナタと一緒にいるのに」
照れ隠しとばかりに。頬を膨らませるセレに対し、クレアは妖艶に目を細めた。
「リ……ル〜……」
もごもごと口を動かすリルンは現在、柔らかいソファーの上で寝かされている。
隣に座るクレアが頬を突けば、軽く身動ぎして。心地よさげに寝息を立てる。
「よく寝てるわね」
「リルンは一度寝たらなかなか起きないから……そのうちパッと起きるよ」
「もうお手のものね」
リルンを拾ってから数ヶ月。すっかり保護者として板に付いてきたセレ。
いつしか、リルンと暮らす生活が当たり前となっていった。
「ただ……」
「ただ?」
「リルンが元々暮らしてた場所は分からずじまいだから、帰してあげられなくて……」
今だにリルンの正体は明らかになっていない。分かっているのは、セレと出会った『異世界』出身ではないことだ。
こちらの言葉を理解しても、こちらが理解出来る言語をリルンは話せない。テレパシーも試みたが、「リルリル」しか読み取れなかった。本人から情報を得ることは不可能に近い。
「あの頃は《エターナルスター》探しを優先していたから途中でやめてしまったけれど、そろそろ再開しようかしら」
「……うん。そう」
「――リル〜〜〜ッ‼︎」
セレが斜め下に向けていた視線を上げると、目を潤ませたリルンが飛び込んできた。
「リル! リルリルリルー! リリルルルゥ〜〜……」
「……初めて聞く鳴き声ね」
「落ち着いてリルン、ねっ?」
セレに宥められ落ち着いたリルンは、定位置である腕の中へ。うるうると涙を溜めるリルンに、クレアが瞳を細めた。
「捨てられると思ったのね、きっと」
「捨てないよリルン。大丈夫だから」
『本当?』と自身を見つめるリルンに微笑みかけて。
「リルンが私を捨てないかぎり、ずっと一緒よ」
「リル!」
リルンは満面の笑顔を咲かせ、先程から一転。元気にセレの周囲を飛び回り始める。
「……暫くは帰したくても出来なさそうね」
肩をすくめたクレアに、セレは微苦笑を送った。
己が立った戦場の中で、最も苛烈を極めていた。
飛び交う攻撃の余波を受けながら、自身もまた長杖を手に呪文を唱える。
三対一。
人数も力量も、こちらのほうが上回っているはずなのに。
たった
時間を追うごとに逸る気持ち。かつてないほど乱れる心に困惑する。
――このままではいけない。
――『彼女』を目覚めさせてはならない!
たったひとつ、強い想いを胸に。
魔力を加速させた。
「お姉様っ、クレア姉様っ」
「ん……ルア?」
セレと合流する前――海底国家『ロネウネ・モイス』の王城は、海面に揺らめく月の光に照らされていた。
時刻は夜明け前。一つの寝台で共に眠っていた義妹のルアに体を揺らされ、クレアは眠たげな瞳を向ける。
「どうしたの……?」
「私ではなくてお姉様が……」
「……ワタシ?」
「はい……。うなされていましたよ、大丈夫ですか?」
目をぱちくりさせたクレアは、不安げな視線に首をかしげた。
「……覚えてないわね。起こして悪かったわ」
「いえ、お姉様が大丈夫ならそれでいいのです」
ルアは安堵したように――はたまた、触れないようになのだろうか――柔らかな笑みを浮かべる。
「おやすみなさい」
「……おやすみ」
再び瞼を閉じた義姉の横顔を、ルアはじっと見つめた。
クレアが一時帰宅してから三日目を迎えようとしている今日。ひしひしと感じてた想いが、より一層強まる。
強くて、優しくて、美しい
ずっとこの国に居てくれたら。
そんな我儘を言えれば、どれだけ良いものか。
血は繋がっていなくとも、義妹をしてきた自分には分かる。
(お姉様の居場所は『ここ』じゃない……)
「――おい、聞いたか? 城の蔵書を殆ど読み尽くされたそうだぞ」
「そうらしいな。まだ半年も経っていないというのに……やはり女神様は凄いんだな」
「通りますっ!」
城の巡回兵の足元を小さな影が潜り抜ける。
ぱたぱたと駆け抜けるのは、女王の第一子である王女『ルア』。少しやんちゃで天真爛漫な彼女は、教育係を困らせては女王を苦笑させていたが、その笑顔で皆の心を明るく照らしていた。
授業が終わるや否や、ルアは城の図書室に駆け込む。
「おねえさまっ」
「……ルア?」
積み上がる本の山から顔を覗かせる見目麗しき少女。
肩の長さに切り揃えられた髪に、ブルーの瞳――彼女の名は『クレア』。やがて『神王』の大親友になるなど微塵も知らない若き女神は、義妹の姿に微笑む。
「どうしたの?」
「おべんきょのじゃまはしないから……いっしょにいてもいいですか?」
可愛い申し出に小さく笑みをこぼし、「いいわよ」と返す。
えへへとはにかんだルアが隣にちょこんと座ると、クレアは再び本へ目を通す。
母である女王の背が見えていた幼き時代。
微睡みの海へ沈む義妹を頬を撫で、クレアは寝台から足を下ろす。
「……ごめんなさい、ルア。また来るわね」
寝息を耳朶に、クレアは部屋を後にする。
(もう帰っているかしら)
己が真に生きる場所を馳せながら。