戦士達の休日

戦士達の休日【2】


「リルッ!」

 パシャっと跳ねた水飛沫が、白い生き物の頭に降り注ぐ。
 水面に映る自分の姿を夢中になって覗き込めば、バランスを崩し落下。ぶくぶくと弾ける泡を眺めること数秒、勢いよく水面から顔を出した生き物は嬉々として泳ぎ始める。
 そんな愛くるしいペットであるリルンを、セレは優しい眼差しで見守っていた。
 身に纏うのは純白の聖女服。目の前には、淡い光を放つ泉。
 現在進行形で『お役目』の最中である。

「り、リル〜……」

 水面から上がったリルンは体を大きく揺らし、ふらふらと右へ左へ揺れながらセレのもとまで飛ぶ。
 蒼白なリルンを受け止めたセレが右手を軽く翳せば、体に垂れる水滴が綺麗に乾く。

「寒くなったのね」

 膝の上に乗せ、頭のヴェールで包むと。リルンは嬉しそうに表情を和らげた。

「リルン?」
「リ……」

 潜ったまま微動だにしないリルン。不安となったセレが僅かに捲ると――はしゃぎ疲れたのか、すやすやと眠っていた。
 あららと目を丸くしたが、次にはそっと撫で始める。

「――?」

 風に乗って小耳に止まる草の音。
 生じた『違和感』を履き違えるほど、セレは駆け出しルーキーではない。
 傍らに置いていた長杖を握り、音が鳴る方向に背を向けたまま両目を瞑る。

「噂は本当だったのか……⁉︎」

 草むらを掻き分け現れた男達が、目の前の光景に瞠目する。

「となるとソイツが……」
「馬鹿っ、言葉遣いに気を付けろ」
「聖女様! どうかお願いです。この泉の水を、汲ませていただけないでしょうか⁉︎」

 背中に響く声音は必死であった。
 男達の服装は至る箇所汚れており、布には赤黒い血が染み付いている。ここまで辿り着くのは相当困難な道だったのだろう。

「俺達の住む村に疫病が流行っちまって、ここの泉が必要なんです!」
「お願いします聖女様!」
「聖女様!」

 男三人の言葉に耳を傾け、ようやく目を開ける。
 リルンをそっと地面に下ろし、杖を軸に立ち上がる。

「嘘をつくのは、おすすめしないわ」

 こちらに一瞥もくれず放たれた言葉に――男達は僅かに肩を震わせる。

「んなことしませんよ俺達!」
「俺達は本気で村を救おうと――」
「ならどうして、貴方達の筒は『四人分』あるの?」

 三人のうちの一人に視線が集まる。男達は腰から水を汲むようの筒を一つずつ提げていたが、どうしてか一人だけ二つ所持している。

「いやそれは……」
「それに血の付き方も変ね。まるで飛び散った血を『浴びたみたい』」

 一様に口を閉ざす彼らに、セレは今一度告げる。

「もう一度言うわ。嘘をつくのは、おすすめしない」

 ――木洩れ日を浴び、銀の剣閃が瞬く。
 無言で足を忍ばせた彼らは、一切の乱れなく剣の切先を向ける。

(遅い)

 そうセレが心の中で呟く頃には。すでに魔法を放つ準備は整えられていた。
 少女の胸に刃が突き立てられるよりも先に――迸るのは絶叫と轟音。
 視界を染めるのは目を焼かんばかりの『閃光』。セレが準備していた【クイックワンス】とは『異なる』魔法に、両目を見開く。

「……やり過ぎたかしら」
「クレア!」

 その場に沈む男達の後方――首をかしげる仲間の姿に驚愕。

「死んでなければいいわよね。じゃあ、適当に転送しおくっときましょうか」

 手にする長杖を軽く叩けば、クレアの魔法円が展開。男達の姿が一瞬で何処へと消える。

「どうしてここにいるの? 国に帰ったんじゃ……」

 クレアはこの休日を利用して故郷である海底国家『ロネウネ・モイス』に帰還する――セレは『お役目』前にそう聞いていたのだ。
 あれから二日と経っていない今、引き上げるには些か早いタイミング。クレアは慣れた動作で、テーブルやらソファーやらを召喚しつつ答える。

「あんまり長居するのも却って邪魔になるかと思って、今回は早めに切り上げたのよ。『ネビュラ』に戻ったけど誰も居なくて、アナタのところに来たの」
「そ、そうなのね……」

 すでに泉の周囲を自分の領域へと作り変えているクレアに、苦笑がこぼれる。

「安心して。『お役目』の邪魔はしないわよ」
「それは分かってるけど……見ていてもつまんないよ?」
「あら、つまらないわけがないじゃない。アナタと一緒にいるのに」

 照れ隠しとばかりに。頬を膨らませるセレに対し、クレアは妖艶に目を細めた。


「リ……ル〜……」

 もごもごと口を動かすリルンは現在、柔らかいソファーの上で寝かされている。
 隣に座るクレアが頬を突けば、軽く身動ぎして。心地よさげに寝息を立てる。

「よく寝てるわね」
「リルンは一度寝たらなかなか起きないから……そのうちパッと起きるよ」
「もうお手のものね」

 リルンを拾ってから数ヶ月。すっかり保護者として板に付いてきたセレ。
 いつしか、リルンと暮らす生活が当たり前となっていった。

「ただ……」
「ただ?」
「リルンが元々暮らしてた場所は分からずじまいだから、帰してあげられなくて……」

 今だにリルンの正体は明らかになっていない。分かっているのは、セレと出会った『異世界』出身ではないことだ。
 こちらの言葉を理解しても、こちらが理解出来る言語をリルンは話せない。テレパシーも試みたが、「リルリル」しか読み取れなかった。本人から情報を得ることは不可能に近い。

「あの頃は《エターナルスター》探しを優先していたから途中でやめてしまったけれど、そろそろ再開しようかしら」
「……うん。そう」
「――リル〜〜〜ッ‼︎」

 セレが斜め下に向けていた視線を上げると、目を潤ませたリルンが飛び込んできた。

「リル! リルリルリルー! リリルルルゥ〜〜……」
「……初めて聞く鳴き声ね」
「落ち着いてリルン、ねっ?」

 セレに宥められ落ち着いたリルンは、定位置である腕の中へ。うるうると涙を溜めるリルンに、クレアが瞳を細めた。

「捨てられると思ったのね、きっと」
「捨てないよリルン。大丈夫だから」

 『本当?』と自身を見つめるリルンに微笑みかけて。

「リルンが私を捨てないかぎり、ずっと一緒よ」
「リル!」

 リルンは満面の笑顔を咲かせ、先程から一転。元気にセレの周囲を飛び回り始める。

「……暫くは帰したくても出来なさそうね」

 肩をすくめたクレアに、セレは微苦笑を送った。




 己が立った戦場の中で、最も苛烈を極めていた。
 飛び交う攻撃の余波を受けながら、自身もまた長杖を手に呪文を唱える。
 三対一。
 人数も力量も、こちらのほうが上回っているはずなのに。
 たった一柱ひとりの『神』が護る扉を、誰一人として通ることが出来ずにいた。
 時間を追うごとに逸る気持ち。かつてないほど乱れる心に困惑する。
 ――このままではいけない。
 ――『彼女』を目覚めさせてはならない!
 たったひとつ、強い想いを胸に。
 魔力を加速させた。


「お姉様っ、クレア姉様っ」
「ん……ルア?」

 セレと合流する前――海底国家『ロネウネ・モイス』の王城は、海面に揺らめく月の光に照らされていた。
 時刻は夜明け前。一つの寝台で共に眠っていた義妹のルアに体を揺らされ、クレアは眠たげな瞳を向ける。

「どうしたの……?」
「私ではなくてお姉様が……」
「……ワタシ?」
「はい……。うなされていましたよ、大丈夫ですか?」

 目をぱちくりさせたクレアは、不安げな視線に首をかしげた。

「……覚えてないわね。起こして悪かったわ」
「いえ、お姉様が大丈夫ならそれでいいのです」

 ルアは安堵したように――はたまた、触れないようになのだろうか――柔らかな笑みを浮かべる。

「おやすみなさい」
「……おやすみ」

 再び瞼を閉じた義姉の横顔を、ルアはじっと見つめた。
 クレアが一時帰宅してから三日目を迎えようとしている今日。ひしひしと感じてた想いが、より一層強まる。
 強くて、優しくて、美しい女神お方
 ずっとこの国に居てくれたら。
 そんな我儘を言えれば、どれだけ良いものか。
 血は繋がっていなくとも、義妹をしてきた自分には分かる。

(お姉様の居場所は『ここ』じゃない……)


「――おい、聞いたか? 城の蔵書を殆ど読み尽くされたそうだぞ」
「そうらしいな。まだ半年も経っていないというのに……やはり女神様は凄いんだな」
「通りますっ!」

 城の巡回兵の足元を小さな影が潜り抜ける。
 ぱたぱたと駆け抜けるのは、女王の第一子である王女『ルア』。少しやんちゃで天真爛漫な彼女は、教育係を困らせては女王を苦笑させていたが、その笑顔で皆の心を明るく照らしていた。
 授業が終わるや否や、ルアは城の図書室に駆け込む。

「おねえさまっ」
「……ルア?」

 積み上がる本の山から顔を覗かせる見目麗しき少女。
 肩の長さに切り揃えられた髪に、ブルーの瞳――彼女の名は『クレア』。やがて『神王』の大親友になるなど微塵も知らない若き女神は、義妹の姿に微笑む。

「どうしたの?」
「おべんきょのじゃまはしないから……いっしょにいてもいいですか?」

 可愛い申し出に小さく笑みをこぼし、「いいわよ」と返す。
 えへへとはにかんだルアが隣にちょこんと座ると、クレアは再び本へ目を通す。


 母である女王の背が見えていた幼き時代。
 微睡みの海へ沈む義妹を頬を撫で、クレアは寝台から足を下ろす。

「……ごめんなさい、ルア。また来るわね」

 寝息を耳朶に、クレアは部屋を後にする。

(もう帰っているかしら)

 己が真に生きる場所を馳せながら。

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