コスモスダイアリー
その日。共同で任務にあたっていたベータとケイスは、沸々と煮えたぎる苛立ちを抱えたまま基地に帰還した。
転送陣の残存魔力が消えぬうちに。ベータはケイスの胸倉を乱暴に掴み上げ、ケイスもベータの首元に銃口を充てがう。
二人きりの空間に流れる一触即発の雰囲気。
長らく続いた睨み合いの末、ベータは押し出すようにケイスを突き飛ばした。後方に蹌踉めいたケイスはすぐに体勢を整え、ベータに向けて魔弾を発砲。腕を組むベータは軽く首を捻り回避。背後の壁に飾られていた絵画を魔弾が貫いた。
衝撃で滑り落ちる絵画を気にも留めず。無言で槍を構えるベータに、迎撃態勢につくケイス。滾る憤怒の念が両者の瞳をギラつかせる。
一体なにが彼らを突き動かすのか。問いかけたところで返ってくる保証はないが、足を踏んだとか。肩がぶつかったとか。些細なことの積み重ねである。
バタンッと倒れる絵画の音。それなりの音量であったが戦闘音にかき消される。
続いて、『ガシャン』と激しい音が響いた。間を置かず、静まり返る空間。
硬直する二人が向けた視線の先には――砕け散ったティーポット。床に散らばるただの破片に、ベータの血の気が失せる。
「あっ……じゃあ宜しく」
「逃げんな。逃すか」
逃亡を図るケイスのローブを掴み阻止。手を離さずにベータは半分以下となったティーポットを指差す。
「元に戻せよ。得意だろ」
「残念。あいにく専門外」
「なんだよ使えねーな」
「は? だったらあんたお得意の薬でどうにかしたら?」
「継ぎ接ぎだらけで壊したことバレるだろうが」
「使えないのそっちじゃん」
「だから聞いたんだろうが」
「……んで、どうする?」
不毛な言い合いは早々に切り上げ。袋に回収した破片を手に、ベータはケイスを見遣る。
「というか、それってクレアのなの?」
「だと思うが。この前使ってるの見たし」
ケイスの眉間に縦皺が寄り、ベータは顔を顰めている。二人が喧嘩を中断してまで対処に頭を悩ませているわけは、部屋の物を壊してしまったからではなく、“クレアの所有物を壊してしまったから”。
「そもそも、ここに置いておかなければ良かったって話じゃないのこれ。悪いのあっちじゃん」
「んなこと言ったら『室内で乱闘騒ぎするほうが間違いよね』って言い返されるだけだぞ」
「声真似上手いね」
「嬉しくねーよ」
どこか他人事のケイスに対し、真面目に考えろとベータは目尻を吊り上げる。
「別にいいじゃん怒られたって。そんなに怒られるのが怖い小心者なら止めはしないけど」
「馬鹿言え、そうじゃない。クレアに壊したことがバレてみろ。……セレに怒られる」
「それで瀕死になるのはあんただけだよシスコン」
話を聞いた自分が馬鹿だったと呆れ、ケイスはベータから袋を奪い取ると出入口の扉に向かう。
「ちょっ、おまっ、どこ行くんだよ!」
「クレアのとこ。壊しておいたよって言いに」
「止めろよお前‼︎」
すぐさまベータの妨害が入り、扉の前で小競り合いが始まる。ベータが袋を取り返したとき、外側から扉のドアノブが捻られる。気づいたケイスは即座にベータを突き飛ばし、扉の前に立った。
「え、ケイス? 帰ってきてたの?」
出入口を陣取るケイスに、迎えられたサクラは目を丸くした。ケイスは柔らかな笑みを浮かべては、サクラが入らないよう密かに扉を押さえている。部屋の中は依然として散らかったままなのだ。
サクラの死角には静かに佇むベータが待機。
「はい。つい先程」
「そうなの。……」
一向に退かないケイスにサクラは閉口してしまう。延々と微笑むだけのケイスを見つめているだけでは先に進めない。サクラは困り果てた様子で声をかけた。
「あの、ケイス。中に入れて……」
「あ〜すいません、さっき犬とボール遊びしていて散らかしちゃったんですよ」
「えっ犬いたの?」
「あ、もう帰りました」
「そうなのね。見たかったな」
明らかな嘘であるが押しに弱いサクラは素直に受け取ってしまった様子。ベータは苦笑した。
「これから後片付けするので、ご用なら承りますよ」
サクラは話すか否かをしばし悩んだのち、眉を八の字に曲げて打ち明ける。
「実は私のティーポットをどこかに置いてきてしまったみたいなの。もしかしてここにあるかなと思ったのだけれど……見てない?」
「みっ……てないですよ」
平然を装いながらも声は裏返り、冷や汗が背中に噴き出る。
サクラは一点の曇りなき眼差しをケイスに向けて苦笑い。
「そうよね、ごめんなさい。気にしないで。片付け手伝おうか?」
「大丈夫です。一人で十分ですから」
「わかったわ。それじゃあね」
サクラが扉の前から立ち去り、パタンと扉を閉める。
ベータは微動だにしないケイスを押し除け、扉を開けようとしたところケイスに阻止される。
「……お前さっき俺の話無視して行こうとしてたよな?」
「その台詞。そっくりそのまま返すよ」
「俺ちゃんとサクラには謝りたいんだが……」
「君の勝手な行動が僕の積み上げた信頼を崩すことになるの」
「信頼なんぞ最初から積み上がってねーから安心しろ」
「できない」
頑なな態度にベータは深い溜め息をこぼす。
「じゃあどうすんだよ」
「ナナに頼むしか……」
「ナナなら今日一日いないぞ」
ケイスは舌打ちを洩らした。
「いてほしくないときはいるのに」
「そりゃあいるだろ。アイツの家なんだし」
ベータはあのなぁと、子供に諭すが如く人差し指を立てる。
「素直に謝ろうぜ。いつまでも意地張ってるとかガキかよ」
「どの口が言ってんの?」
数分前まで必死に誤魔化そうとしていた男とは思えない発言である。
だがしかし、ベータの言う通り素直に謝罪を入れるのが得策。「わかったよ」と諦めたケイスを見計らったかのように扉が開いた。
「ケイス? 入るわね」
入ってきたサクラはベータの存在に驚くも、ケイスの弱々しい態度が気になる。
「あのですね……」
絞り出したか細い声に首をかしげるサクラ。ケイスが話し始める前に、サクラはあっと声を上げた。
「あのね、ケイス。さっき話したティーポット、私の部屋に置いてあったの」
「え」
「お騒がせしてごめんなさい」
これにはケイスだけでなくベータも虚をつかれた。
「じゃあこれは……?」
ベータが軽く掲げた袋の中身に。サクラは口元を手のひらで抑え、顔を青ざめる。全てを察したベータとケイスの顔からも色が失われていく。まさか。
「ねえ」
カツン。聞き慣れたヒール音に三人の肩が大きく震える。
「私のティーポット知ら」
足を踏み入れたその人は、半開きの唇をゆっくり閉ざした。
一部が黒焦げた壁、倒れる絵画。そして、ベータが持つ袋の中身。
クレアは、一瞬で状況を理解してしまった。
向けられる絶対零度の眼差しにベータと、ケイスまでも己の背筋を凍らせる。
「――あなた達」
彼らがその後どうなったか。サクラの口から語られることはなかったという。
Fin.